キツネとカミサマ   作:ろんめ

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Ⅴ-157 奪い切れない、病みの輝き

 悪夢、というものを知っているだろうか?

 

 …いや、そんなことは聞くまでもないか。明確な事実をしらばっくれて誤魔化そうとするのは、僕だけで良い。

 

 早くも話が逸れたけどさておき、この言葉は文字通りの意味の他に、”目を逸らしたくなるような惨劇”を比喩して使われることもある。

 

 或いは忌まわしい過去の記憶を意味したりもするし、とりあえずカッコよく見せようと適当にくっつけられることもある。

 

 そして僕はというと、一番最後を除いた三つをこの身で経験している。

 

 そのうちの一つは記憶に新しい。

 

 あれは、正に”目を逸らしたくなるような惨劇”という表現がぴったりと当てはまる。現にその状況でも無いこの瞬間でさえ、僕は考えないように努めてしまっているのだから。

 

 ”…ああ、いっそ本当に悪夢だったらいいのに。”

 

 きっと『悪夢(この言葉)』で表現される出来事には、おしなべてそんな願いが込められているのだろう。

 

 裏を返せば恐ろしい。それは、自らの手で覚めない悪夢の中に自分を押し込めてしまうのと同じことだ。

 

 振り返れったら、ホッキョクギツネの幻影が見える。夜空の輝きは闇に消え、帰依した彼女を黒が照らした。幻に手を伸ばしたら、溶けて血潮になってしまった。

 

 …ところでホッキョクギツネは、あの時語った言葉の通り僕を愛していたのだろうか?

 

 イヅナの言葉を鵜呑みにして僕自らそう名乗る訳ではないけど、あの縋り方はまるでカミサマを目前にしているかのようだった。

 

「もう…わかんないのかな…」

 

 溶けた赤色を握りしめると、仄かな熱を確かに感じた。ああ、何と悪趣味な暖かみなのだろう。この温度は意識を失う前のあの瞬間を思い出させ、吐き気を催す。

 

 何とも律儀な悪夢だことで、好き好んでこんな夢を見ようとする自分の無意識にも呆れ果てた。

 

 手を振って液体を跳ね飛ばし、綺麗になった手の平を見て血濡れになった筈の服をはためかせる。そしてこの状況を不思議に思う。

 

「…ん?」

 

 気付くとそれは一瞬だった。ここは夢で更に、僕は夢の中で思考ができている。明晰夢を見ているのだろうか?

 

「だったらこんな景色、早く()()()欲しいけどな…」

 

 諦めも半分にそう呟いてみると、急に世界が明るくなった。いつの間にか僕は布団の上に寝転んでいて、見えるはずの天井はイヅナの顔に遮られている。

 

「あ、ノリくん…やっと、目を覚ましてくれた…!」

「イヅナ…? それに、キタキツネとギンギツネも…」

 

 三人は皆一様に僕の顔を覗き込み、揃って安堵の情念に顔を綻ばせている。イヅナは大粒の涙を流してギンギツネも瞳を潤ませ、キタキツネに至っては抱きつきまでして思いの丈を示している。

 

 何が何だか分からないまま体を起こした僕を、イヅナは泣きながら抱き締めて離さない。

 

 とりあえず、”ちゃっかりキタキツネを引き剥がす”といういつも通りの行動にとても安心した。

 

「ノリくん、二日も寝たきりだったから…とっても心配したんだよ…?」

「…ふ、二日も?」

 

 途端に疑問が湧いて出てくる。

 

 どうして二日も寝てしまっていたのか。寝ている間に何か無かったのか。そして、何より――

 

「……ノリアキ?」

「…いや、何でもないよ。それよりお腹空いたな、ご飯はある?」

「すぐに用意するわ。空っぽのお腹に刺激のあるものは悪いし、お粥にするわね」

「うん、ありがとう」

 

 ギンギツネを見送って、僕はそれとなく体を横たえる。

 

 怖気づいたんだ、ホッキョクギツネについて尋ねることに。確かに恐ろしい、彼女が死んだと聞いてしまうことも、その最期を改めて詳らかに認識してしまうことも。

 

 可能ならばこのまま蓋をして、『シュレーディンガーのホッキョクギツネ』にでもしてしまった方が随分と気楽だ。

 

 しかしそれは不可能だろう。かつて僕を突き動かした温厚で争いを嫌った恐怖より、この惨劇の向こう側を見てみたいという残酷な好奇心が強くなっている。

 

「食べ終わったら…かな」

 

 どちらにせよ、食事の前に血濡れた話は似合わない。

 

 奇妙なほど強くなった好奇心を訝しみ、これがホッキョクギツネを殺したのかと呪いながら、ギンギツネの作った口当たりの良いお粥を、少しずつ胃に流し込むのだった。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 日記に記された日付。最後に日記を書いたのは『第280日目』だったと覚えている。僕が眺めているページには『第282日目』と、書いた記憶の無い言葉。

 

 そこには僕の物ではない可愛らしい文字で、僕の知らない出来事がつらつらと丁寧に書き記されていた。

 

 とても短い文章ながらも丁寧で、途中に差し込まれた若干難しい表現からも推察するに、これを書いたのはイヅナで殆ど間違いないだろう。

 

 やっぱりイヅナの字は読みやすい。これで一日の出来事がもっと詳しく書かれていたら完璧だったろうに。

 

「だって、時間が無かったし…」

「あはは…まあ、別に頼んだわけでもないから」

 

 代わりと呼ぶには短すぎる文章だけど、日記はその日のうちに書くのが僕のこだわりだ。何はともあれ、執筆の流れを絶やすことなく日付だけでも書いてくれたことが嬉しい。

 

 …しかし何度か読んでみると、僕はあることに気づいた。

 

「でも、丁寧だね。文の書き方とか、何となく僕のやり方に似てる」

 

 そう、言葉遣いとか改行の位置とか、諸々の細かい書体とかが僕の書いたものとよく似ているのだ。

 

 それを偶然の一致と片付けられるほど僕の好奇心は弱くない。尋ねてみると、イヅナは得意げに胸を張って言った。

 

「ノリくんの書いた文はたくさん読んだから!」

「あはは、なるほどね」

 

 時間が無かったって…きっと読みすぎたんだね。

 

 だけど、昔の習慣から惰性的に書いていた日記が…こうやってイヅナを楽しませることが出来たなら、コレにも十分な価値がある。

 

 今日という一日も終わったら、しっかりと書くことにしよう。

 

 次に書くであろう文章は、あまり明るい内容にはならないと予感しているけど。

 

 

「ところで…ええと、いい天気だね?」

「あは、そうだね。ずっと眺めてたい」

 

 隙間風の音が部屋に響く。

 

 ホッキョクギツネのことを尋ねようとしたけど、後ろめたさの所為で回りくどい言い出しになってしまった。

 

 無駄に引っ張っても仕方ない。単刀直入に訊くとしよう。

 

「ホッキョクギツネは、どうなったの?」

「…生きてるよ」

 

 イヅナからは、たった一言。僕の問いに驚きはせず――さっきの仕草から察していたのだろう――ただ簡潔に、僕の知りたかったことを教えてくれた。

 

 心の中に安堵が広がり、そして同時に疑問を抱く。僕の頭は臆病深いようで、心を癒した安堵の光はすぐにその闇に塗りつぶされてしまう。

 

「どうして…無事だったの…?」

 

 あの出血では到底助かりようが無かった。イヅナたちが来たとしても手遅れだろうし、第一助けもしないだろう。

 

 頭の中で色濃く渦巻いた僕の疑問の表情を見て、それを軽く一蹴するようにイヅナは笑った。

 

「忘れちゃった? ノリくん、気絶する前にホッキョクちゃんを治そうとしてたでしょ」

「そうだけど、全然足りなくて…」

 

 ――だから助かった訳がない。

 

 そう言うとイヅナは呆れたように笑った。微笑ましいものを見るような表情を浮かべて、その理由を丁寧に諭す。

 

「ノリくん、どうして二日も寝込んでたか分かる? ホッキョクちゃんの治療の為に、体の中のサンドスターを殆ど使い切っちゃった所為だよ」

 

 そう言われて、自然に手が左胸を抑える。

 

 空っぽになりかけたサンドスターを確かめようとしたのか、或いは彼女が負った傷を無意識に思い出したのか。そこには何もない。

 

「ノリくんの体にあるサンドスターは普通のフレンズよりもずっと多いの。その殆どを使われたなら、治らない訳はないでしょ…?」

「…そうだったんだ」

 

 サンドスターの使い過ぎで気を失った。二日も寝込んでいた理由としては実に納得できる。

 

 僕はその説明で全てが腑に落ち頷いた。けれどイヅナを見てみると、若干顔を歪ませてこちらを昏い眼で見つめている。

 

「うふふ…頑張ったね、偉い偉い…」

 

 暖かい手が頭を撫でた。甘くあやすような声を投げかけつつも、その語り口に僕はやっぱり嫌な予感を覚える。

 

 イヅナは続きに腕を広げて、僕をゆったりと抱き締めた。

 

「本当に頑張ったんだね…()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 骨を折ってしまいそうな程の力。骨まで焼き尽くしてしまいそうな嫉妬の炎を、静かで愛らしい語調から確かに感じた。

 

 そのまま、屋根の雪が滑り落ちるまで僕は抱き締められていた。

 

 小さな雪崩は部屋に影を落とし、イヅナは僕を離して儚げに笑う。

 

「ホッキョクちゃんは()()()()()()。もう目は覚ましてるから、会いに行ってあげて」

「ありがとう、イヅナ。なるべく早く――」

「良いよ、ゆっくりしてても。だって…そういう決まりでしょ?」

「え…?」

 

 イヅナはそれきり、僕に顔を見せることなく部屋から姿を消した。

 

「…そっか」

 

 なんとなく察してしまった。

 

 僕も、部屋を後にした。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「あ…ノリアキ様」

 

 窓が開き、外が良く見える部屋の中。布団の上で体を起こし、ホッキョクギツネは綺麗な白い髪の毛を日光に照らされていた。

 

「…無事でよかった」

 

 ホッキョクギツネの髪の毛はイヅナのそれよりも明るい白で、雪の結晶とその輝きを同じくしている。

 隙間から床に漏れた日光が木漏れ日のように美しく、その様子は彼女の儚さを更に引き立てているのだ。

 

 だけど今の彼女には、それらの全てさえも些細なことに見せてしまう()()が施されている。

 

「包帯…いっぱいだね」

「えへへ、沢山ケガしちゃいましたから」

 

 …全部ホッキョクギツネは自分でやったことだ。けど直接口に出しては言えない、僕にも原因の一端がある気がするから。

 

「もう大丈夫なの?」

「見ての通りの有様ですが、ノリアキ様のお陰でもう問題ありません…!」

 

 腕に脚に巻かれた包帯は、僕が気絶する前に見た傷口の位置に綺麗に巻かれている。

 

 この丁寧な処置はギンギツネかな。

 所々肉に食い込むように巻かれているのを見ると、やっぱりこの包帯にも巻いた人の静かな憎しみが込められている。

 

「わたし…もう死んじゃったと思ったんですけどね」

 

 何ともなさげに彼女は言う。

 

 見開かれた目に輝きは無く、代わりに底の見えない深淵が映る。

 

「死んでほしく、なかったから」

 

 思わず手を掴む。冷たかった。

 

 温度も希望もない指を絡め、出所の知れぬ強い力で離さぬように手を引く彼女。

 

 雪を思わせる冷たい細指が、彼女が今にも融けて消えてしまうのではないかと僕に錯覚させた。

 

 そう考えた途端に、僕は強い力でホッキョクギツネの腕を捕まえていた。ここから消えたら今度こそ死んでしまう。

 

 実体験が鳴らす予感に収まらない警鐘が、僕に今までと違う感情を抱かせた。

 

「…ノリアキ様?」

 

 守らなきゃダメだ。

 

 庇護していなければ、今すぐにでも死んでしまう。

 

 守らなくては。

 

 今までの三人との生活と一緒に、ホッキョクギツネの命さえも。

 

「しばらく…安静にしててね」

「ええ、ノリアキ様がそうおっしゃるのでしたら――」

 

 嫌なことなんて何一つない。そうホッキョクギツネは言う。

 

 ああ、彼女はきっとその通りだ。

 

 また()()()のようにと命じれば喜んで自らの体を傷つけるだろうし、死ねと言えば本当に死んでしまうことだろう。

 

「本当に、自分の体を大事にしてね。死んじゃダメだよ…?」

「…ご心配を、掛けてしまいましたね」

 

 

 ――ああ、この感情は何だろう。

 

 今迄に抱いたことのある何かだけれど、確実に何かが異なっている。

 

 似ている、恐怖にそっくりだ。だけど違う。

 

 そうだ、自分の何かが脅かされてはいないんだ。僕は何も奪われないし、何も与えられない。

 

 ただ僕が一方的に彼女の生殺与奪を握っている。彼女はそれに反抗しようともしない。

 

「ホッキョクギツネ…君にとって、僕は何?」

 

「ノリアキ様ですか? そうですね、例えるなら…」

 

 徹底的に自分を失い、一切を僕に委ねてしまう…委ねてしまえる精神を。

 

 僕と何処かが似ていながらも、凡そ理解の及ばない彼女の心を。

 

 

「…カミサマ、でしょうか?」

 

 

 きっと僕は恐れていてそして同時に、”守らなきゃ”って…思ってるんだ。

 

 

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