キツネとカミサマ   作:ろんめ

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Chapter Ⅶ 白の狐よ、世界を化かせ。
Ⅶ-172 風邪ひきキツネとお世話焼き


 

 ぎゅうっと固く絞ったタオルを、仰向けに眠るキタキツネの額に乗せる。

 

 寝苦しそうだった顔が少し穏やかになって、僕の気分も良くなった。

 

 そうしたら次は、ギンギツネのお粥を取りに行かなくちゃなのかな?

 

 あとはそうだ、一緒に薬も取ってこないとね。

 確かキッチンに置いてあったんだっけ。

 

 だったら、とキッチンに行くために立ち上がろうとした僕の腕を、キタキツネが咄嗟に掴んで引き止めた。

 

「やだ、行かないでぇ…」

「え、でも…」

「ダメ、離れちゃイヤだよお…!」

 

 涙目になって駄々をこねるキタキツネ。

 

 普段はのらりくらりと理由を付けて躱しているところだけど、病人が相手になると妙な罪悪感が湧いてしまう。

 

 僕はその腕を払えず、もう少しだけキタキツネの相手をすることになる。

 

「そんなこと言われても…ほら、色々と取りに行かなきゃだよ?」

「ん~、じゃあついてくもん!」

 

 ぴょこんと勢いよく起き上がったキタキツネ。

 額に乗せたタオルは飛ばされて、床と湿っぽい音を立てた。

 

「ね、寝てた方が良いよ? 無理に立ったりしちゃ…」

「大丈夫、ボクは十分元気だから…ごほ、こほっ…うぅ…」

 

 タオルを弾き落としてまで立ち上がったキタキツネだけど、すぐに咳き込みながらまた布団に横になる。

 

 本当に元気ならそもそも寝てないし、まあ当たり前だよね。

 

 僕はもう一度タオルを絞って彼女の額に乗せ、長いオレンジの髪の毛を指で梳いて言い聞かせる。

 

「もう、風邪ひいてるんだから素直に寝てて…分かった?」

「…うん、寝てる。だから、行かないで…?」

「えー…?」

 

 わがままは止まらない。

 気が付いたら両腕でガッチリと引き留められていた。

 

 もう、仕方ないなぁ。

 

 僕は横に寝っ転がって、添い寝をするようにキタキツネにもたれかかった。

 

「少しだけだよ? お腹が空いたら何か食べなきゃだし、お薬も飲まなきゃいけないから」

「分かった…えへへ…!」

 

 心底嬉しそうに僕に抱きつくキタキツネ。

 

 嫌な気分じゃないけど、これじゃ風邪がうつっちゃうんじゃないかな…?

 

 軽い不安を抱えながら戯れてくるキタキツネをあやしていると、後ろの襖が開く音がした。

 

「ノリアキ様、キタキツネさん。お粥とお薬をお持ちしました」

「…ちぇっ、ホッキョクギツネか」

「ありがとう、丁度取りに行けなかったんだ」

 

 僕は起き上がってホッキョクギツネの手からお盆を受け取る。

 

 名残惜しそうな指が僕の腕を撫でたけど、流石にひっくり返しちゃまずいと思ったのか力は強くない。

 

「もう、心配し過ぎだって」

 

 空いた左でキタキツネの手を握る。

 手袋を外した指先の感触は、風邪の熱のせいもあって汗ばんでいた。

 

「えへへ…!」

 

 それでも嬉しそうなキタキツネ。

 そして、繋がれた僕達の手を羨ましそうに見つめるホッキョクギツネ。

 

「…こっち、する?」

 

 僕はお盆を床に置き、右手をホッキョクギツネに向けて差し出した。

 

「…はい♡」

 

 ホッキョクギツネも僕の手を取り、一時の穏やかな団欒を味わう。

 

「キタキツネさんは、私のこっちの手をどうぞ」

「いらないよっ!」

 

 三人で手を繋いで、円でも作りたかったのかな?

 

 キタキツネに手を弾かれたホッキョクギツネは、寂しそうな表情をして自分の手の平を眺めていた。

 

「…変なの」

 

 キタキツネが、理解できないようにボソッと呟いた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ノリアキ様、持って来ました」

「ありがとう。ごめんね、何回も使い走りにしちゃって」

「良いんです、私はあなたのお役に立てれば幸せですから」

 

 そう言って、ホッキョクギツネは持ってきたリンゴを僕に手渡す。

 

 これはキタキツネのおねだりで、瑞々しい果物が食べたかったようだ。

 

 リンゴは栄養価も高いから、少しでも元気になるようにとホッキョクギツネが選んでくれたのだろう。

 

 相変わらず優しい子だ。

 

「これ…丸ごと食べるの?」

「……あっ」

 

 ちょっぴり、抜けてる部分はあるみたいだけどね。 

 

「そっか、そのまま渡しても困っちゃうよね」

「…も、問題ありません。お皿もありますし、ここで切れば良いんですよ」

「でも道具が………まさか、爪で?」

 

 フレンズの爪なら鋭いし、例の如くサンドスターの力もあるし出来ないことは無いだろうけど…

 

「そんな、とんでもありません! しっかり洗わないとばい菌が入っちゃいます…」

「だよね。でも、そうしたら…」

 

 一体何を使って切ればいいかな?

 

 僕がその質問を口にする前に、ホッキョクギツネは懐から()()()()を取り出す。

 

「用意はあります、()()を使ってください!」

 

 それは、鋭い果物ナイフだった。

 

「…うん?」

 

 何の脈絡もない果物ナイフの登場に、僕は思わず首を傾げた。

 

「ノリアキ様、どうかいたしましたか?」

「いや、えっと…え? なんで、こんなものが懐に…?」

「はい、いつでも使えるように、便利なものはいつも持っているんです!」

「いやいやいや、危ないって!?」

 

 い、『いつでも使えるように』って……そんな頻繁にナイフを使うの? 宿にいながら?

 

 あと、ホッキョクギツネが刃物を使()()って言うと否応なしに例の事件の記憶が思い起こされてしまう。いや本当に。

 

 …なんなの?

 

 『忘れないでください』ってなんだったのあれ?

 

 あんな強烈な体験、忘れたくたって忘れられる訳ないじゃんっ…!

 

 いやまあ、イヅナの能力を考えなかった場合の話だけど。

 

 

 …あれ、頭の中に声が聞こえる。

 

『ノリくん…何か、変なこと考えてない…?』

『えっと…何でもないよ…?』

『…そう』

 

 …テレパシーって怖いな。

 

 

 とにかく、ホッキョクギツネと刃物の組み合わせは危険だよ。

 

 僕の精神的な安定の為にも、この二つは引き離しておかなくちゃ。

 

「ホッキョクギツネ、それは持ち歩かないで。それと何か刃物を使う時は、必ず僕に相談してからね?」

「…はい、分かりました!」

 

 あれ…結構素直。

 

「ホッキョクギツネってなんか…理由を聞いたり、嫌がったりしないよね」

「勿論です。ノリアキ様の言うことは絶対ですから」

「…あはは、そっか」

 

 なんでだろう。

 一応僕の思い通りになってるはずなのに、すごく怖い。

 

「まあ、いっか…今日はありがたく使わせてもらうね」

 

 ホッキョクギツネから果物ナイフを受け取って、リンゴに刃を入れる。

 

「そうだ、皮はむいた方が良い?」

「…うん」

 

 口元まで布団で覆ったキタキツネは、耳をピクピク揺らしながら頷いた。

 

 いつもわがままと突拍子もない発言と行動とゲーム三昧で僕を困らせている……結構困ってるなあ。

 

 まあそれは置いといて――そんなキタキツネでも、体調を崩すとこんなにもしおらしくなる。

 

 風邪は良くないことだけど、これはこれで可愛いかもしれない。

 

「はい、出来たよ」

「ありがと…こんっ…」

 

 如何にもなキツネらしい咳をして、キタキツネはリンゴを食べ始める。

 何も言わずにむしゃむしゃと、美味しそうな表情をして食べていた。

 

 最後の一切れを飲み込んだら、キタキツネはまた布団の中に潜り込む。

 

 今度は頭まですっぽりと隠し、耳を澄ませると中から安らかな寝息が聞こえた。

 

「…しばらく、そっとしておいてあげよっか」

「うふふ…そうですね」

 

 僕達は小声でそんなことを言い合い、ホッキョクギツネは部屋を出ていく。

 

「…ふふ」

 

 対する僕はと言うと、キタキツネの横に寝っ転がってじっと彼女の寝息に聞き耳を立てていた。

 

 こんな時間が、ずっと長く続いたら。

 

「ノリアキ……おやつ…」

 

 光の見えないキタキツネの寝息は、目覚めの時など知らないのだろう。

 

 差し込む光に構うことなく、三時の夢に浸っていた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…え、薬が足りないの?」

 

 ギンギツネの言葉に尋ね返すと、彼女は難しい表情で頷いた。

 その視線はこちらではなく、彼女の手元の薬箱に向けられている。

 

「だって、風邪なんて珍しいことでしょう? 碌な数が残ってなかったのよ」

「そっか、確かに…こんなこと初めてだもんね」

 

 でも、薬がもう無いとなるとそれは大変なことだ。

 

 キタキツネの容体も、ここ最近は回復の兆しが見えている。

 

 だけど、それも薬をしっかり飲んでこそだ。薬を飲まなくなったら、底から一気に悪化に転んで行っても何も不思議じゃない。

 

「大変だね、早く次の分も用意しないと」

「…ええ、そうね」

 

 ギンギツネは薬箱の蓋を適当に閉めて素っ気ない返事をした。

 彼女の目には焦りも不安の色もなく、寧ろどこか期待の色さえ浮かんでいる気さえする。

 

 一度でもそう思ってしまったせいか…彼女がのんびりとミカンを食べる姿もまるで、何かを待っているかのように見えてしまった。

 

「…ギンギツネ?」

 

 だとすれば…僕が止めがたい感情に突き動かされるよう彼女の名前を呼んだことも、きっと可笑しなことではないのだろう。

 

 そんな僕の頭を撫でて、宥めるように彼女は言った。

 

「心配なんて要らないわ、キタキツネは治るから」

「…なんで、そんなこと」

「だって…薬ならどうせ研究所にあるでしょ? イヅナちゃんに取りに行かせれば問題なんて無いわ」

 

 ギンギツネは論理的だ。

 キタキツネの為の薬が無くなって、あわや危険が訪れかねないこの状況でも冷静だ。

 

「……そうだね」

 

 空気が冷たくて、少し指がかじかんだ。

 

 

「キタちゃんの為のお薬だね、分かったよ」

 

 キッチンを後にして、僕はイヅナの元へと向かった。

 

 理由は勿論研究所。

 一応のことを考えて、僕とイヅナで一緒に取りに行くつもりだ。

 

 …そのために、僕はイヅナがやっていた作業を止めてしまった。

 

 何をしていたんだろう。

 物を書いていたように見えたけど、イヅナは教えてくれなかった

 

 ”まだ秘密”って言ってたから、そのうち分かるかな…?

 

 閑話休題。

 今は研究所のお話に戻ろう。

 

「時間取っちゃってごめんね、ありがとう」

「気にしなくていいよ。私の時間は、ぜーんぶノリくんのモノだからさ」

 

 背中にくっつき、頬と頬をすりすりさせてくるイヅナ。

 

「もう、またそんなこと言って…」

「本気だよ?」

「はいはい、行こっか」

「うん♪」

 

 軽口は終わって、一緒に飛び立とうとしたその時。

 

 …サク、サク。

 

 軽く雪を踏む、重い足音が聞こえた。

 

「ノリアキぃ…どこ行くのぉ…?」

「えっ、キタキツネ!?」

 

 寝てたはずじゃ…

 というか、まだ熱も下がってないうちにこの子は…!

 

「キタキツネ、僕たちは今から研究所に薬を取って来るんだよ…すぐ戻るし、お願いだから寝てて?」

「やだ、行かないで」

「もう、また…!?」

 

 困った僕はイヅナに頼ろうと後ろを振り返って…

 

「……っ!」

 

 …イヅナの表情を見て、自分で解決しようと決心した。

 

「うーん…でもなぁ…」

「行くのだってイヅナちゃん一人で良いでしょ? ノリアキはここにいて?」

「……」

 

 薬は大して嵩張らないし、二人で運ばなければならない程の量がある訳でもないから、イヅナ一人でも運ぶことは出来る。

 

 だけど…なんだか、危ない気がするんだよね。

 

 もし、故意に違う薬を持ってきたりしたら…

 

 これを不信と呼びたくない。

 むしろ、長い時間を共に過ごしてきたからこその疑い。

 

 イヅナだって、余計な疑いを掛けられる余地が無い方が好ましいだろう。

 

「じゃあ…僕は、ここに残るよ」

「えへへ、ありがと…!」

 

 だけど、僕は行けない。

 

 だから…

 

「ホッキョクギツネ、いる?」

「はい、ここに」

 

 僕が呼び掛けると、塀の裏からホッキョクギツネが姿を現した。

 

 冗談半分で呼んだんだけど…そっか、ずっといたんだね。

 

「イヅナと一緒に、研究所までキタキツネの為の薬を取って来てくれる?」

「分かりました、ノリアキ様の仰せのままに」

 

 僕が頼みごとを伝えると、ホッキョクギツネは恭しく礼をしてそう言った。

 

 なんか…こういうのもやりづらいなぁ…

 

 でも、うん。直してもらうのは帰ってきてからにしよう。

 

「ねぇ、ノリくん…?」

「ごめんイヅナ、運んであげて?」

「…仕方ないなぁ。分かったよ、ノリくんのお願いなら」

 

 キタキツネを睨みつけ、しかし何も言わずに、イヅナはホッキョクギツネの首根っこを掴んで飛んで行った。

 

 ホッキョクギツネならキタキツネへの敵意も無い。

 イヅナが違う薬を持って行こうとしていても、彼女なら加担することもないだろう。

 

 だから、一先ずは安心かな。

 

「ふぅ…じゃあ、早く戻るよ」

「えへへ、はーい♡」

 

 宿に入る間際、僕はなんとなしに火山の方角を眺めた。

 

 山頂に根を張る虹が普段より高く立ち上っていたのは、何かの因果だったのかな。

 

 

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