「…こうして見上げると、雪山から見るよりも壮大ですね」
「ふっふっふ、そうでしょう…なにせ、このキョウシュウのシンボルですからね!」
遥か上方に見える虹が、わたしの虹彩に飛び込んでくる。
ドクドクと胸が高鳴って、奥に秘めたる興奮が指の先を中から血の色で染め上げます。
こんな風にワクワクした気持ちなんて、ノリアキ様に頭を撫でてもらった時以来です。
まあ…九割減って感じではありますけれど。
「…でも、火山なんて本当に登って大丈夫なんですか?」
「ご安心ください! 元パークガイドであるこのミライが、少なくとも火山の安全は保障しますよ」
「うふふ、それは心強いですね」
さてと、言い方からしてセルリアンの危険はあるらしいですね。
まあそれも、わたしが蹴散らしてしまえば問題ないでしょう。
「いやぁ…まさかまたこの山に登れる日が来るなんて、感動的です…! アイネさんもそう思うでしょう?」
「同感ですね。しかしどうして、彼女が一緒に来ているのですか」
厳しく目を細めるアイネさん。
わたしに向けた視線は冷たく、昨日の夜の空気そのまま。
度々わたし達二人と顔を合わせながら、何か言いたげにため息を吐くことを繰り返しています。
その仕草はまるで、気まずい想いを抱えているみたい。
しばしの間観察を続けていると、寧ろ彼女の立ち振る舞いからは罪悪感が見える。
わたしを疎ましく思っているわけではないのでしょうか?
ふと、そんな疑問を覚えます。
…というわけなので、少し試してみることにしました。
「アイネさん。もしかしてなんですけど、昨日のことを気にしてたり――」
「準備に時間が掛かっているだけです。完了次第出発する手筈ですから…その、勘違いなさらぬ様に」
「……はーい」
…まあ、今は気のせいということにしておきましょう。
わたしが思わぬ手応えに感心していると、近くのラッキービーストが前触れもなく声を発しました。
『通信接続……Bグループの準備完了サインを受信しました』
「…アイネさん、これは?」
「今回の調査はわたくし達だけではなく、それぞれ別方向から登山する幾つかのグループに分けて行います」
「は、はぁ…?」
「簡単に言えば、他の人達も登るってことですよ」
「…なるほど」
ミライさんの説明で何となく理解できました。
まあ、わたし
あくまでわたしの目標はアイネさんとミライさんから情報を引き出してイヅナさんに伝えること。
そこから、この調査隊を一早く本部に帰還させる方法を見つけることなのです。
「火山の初期調査は三日。例え小さなことでも、何か掴めるといいけど…」
イヅナさんは、雪山に調査の手が入るまでに帰したいと言っていました。
現状はどうでしょう。
今は火山の調査をしているけど…それが終わる三日後。
それぞれの地域に彼らの手が伸びても不思議ではありません。
或いは
「はぁ、これじゃあ油断できませんね」
「ホッキョクギツネさん、何か言いましたか…?」
「…あっ、いや、セルリアンも出るでしょうから気を抜けないな~と、思って…」
「……ええ、その通りですね。十分に注意して登りましょう」
…あぁ、危なかった。
咄嗟に出てきた言い訳で、どうにかアイネさんを誤魔化すことが出来ました。
でも、こんな小声にまで反応するなんて。
わたしが考えているよりも、彼女の神経は尖っている状態のようですね。
それは踏みあぐね、ジリジリと砂を鳴らす足が教えてくれています。
『ピピ…全グループの出発信号を検知しました…』
「……では、そろそろ行きましょう」
パチンッ。
無慈悲な足先に蹴り上げられた石が、木の幹に当たって虚しい音を奏でた。
…まるで空洞。
ほんの少しだけ、気になる木でした。
―――――――――
砂利踏みそこの葉足蹴にし、三人とボスは歩み登りて。
見えた長椅子平地の長屋、そこで一旦休みとなります。
「ふぅ…疲れちゃいました」
「慣れない地形ですからね、休めるときに休んじゃいましょう」
ミライさんにジャパリまんを受け取って頬張る。
この度貰ったのは運動に最適、水分補給の出来るジャパリまん。
無闇に齧ると溢れちゃうので、注意して食べてくださいね?
「あむ、もぐもぐ…」
冷たく喉を潤すひや水。
火山の近くは暖かく、わたしにとってはむしろ慣れない気候。
こうして適度に体を冷やせるのはありがたいことです。
「ところで…この小屋には何があるのですか?」
「見てみます? 少しくらいなら時間も取れますよ」
「はい、気になります♪」
こういうオンボロな建物ってなんか興味をそそられますし、ノリアキ様へのお土産が見つかるかも知れません。
内臓とは裏腹に熱くなった手の先を引き戸に掛け、振り抜くように開け放って、わたし達は埃まみれの小屋の中へと入っていきました。
「けほっ、こほっ…手入れが、されていませんね…」
「まあ…うっ! 十年放置されていたと考えれば…マシな方だと思いますよ」
結構ポジティブなミライさんの談に感心しながら、わたしも彼女の後に続いて小屋の中を探り始めます。
舞い散る埃と軋む床、落ちそうな明かりは白色灯。
濁った窓の向こうには森、あの辺りにはロッジでしょう。
まあ、それはそれとして、何があるのか漁ってみましょう。
掃除だと思えば、これくらいの埃は大したものじゃありません。
手近な箱の中に腕を突っ込んで探り始めます。
そして、その数分後――
「うーん……ホッキョクギツネさん、何か見つかりましたー?」
「いえ、使えないガラクタばっかりです」
早くもわたしは、『ここでノリアキ様へのお土産を探そう』などと愚かなことを、例え一瞬でも思ってしまったことを既に深く後悔していました。
…はぁ、考えてみれば当然ですよね。
長ーい間ほったらかしにされた小屋なんかに、碌なものが残っているはずがありません。
有用なものは持ち去られているに違いないでしょう。
「何が悲しくて、お掃除のボランティアなんてしなきゃいけないんですかねー…」
「まあまあ、希望を捨てるにはまだ早いですよ」
「…そうですか?」
ミライさんに励まされて、再び両手を動かし始める。
別に彼女の言葉に唆された訳ではありません。
ただ…暇だったので。
「…お、見つかりました!」
「え?」
突如に叫んで立ち上がり、赤を掲げたミライさん。
埃でくすんだ視界を睨むと、それは何やら覗き穴。
「…あの、それは?」
「双眼鏡です。思いもよらない掘り出し物ですよ!」
興奮したままはしゃぎ出して、窓へと向かったミライさん。
袖で適当にガラスを拭い、汚れが落ちないのを見ると力任せに開けてしまった。
ふっふっふ…と、前に聞いたような笑いをこぼして、双眼鏡を目元に当てた。
「おおー、やっぱりよく見え………」
「…あれ?」
自然観察をしたままに、彼女は言葉を失った。
微動だにしない様子を不思議に思っていると、前触れもなく動き出す。
「あの、ミライさん……?」
彼女はわたしに目もくれず、早足で扉へ一直線。
外に出る間際に足を止め、こちらを振り返りもせずに一言だけを残したのです。
「少し行ってきます…アイネさんに、伝えておいてください」
「あ、そんな……」
いよいよ姿はもう見えません。
行く先すらも分かりません。
ほったらかしに寂れた小屋と、答え合わせのない謎を残し、ミライさんはたった一人で
「…一応、言っておかないと」
ここから、アイネさんと二人きりですか。
何とも気まずい巡り合わせに、埃が舞って目に付きました。
―――――――――
「おや、ミライさんは?」
「あ、あの…突然、何処かに走って行っちゃって…」
「…?」
困ったように首を傾けるアイネさん。
勿論隠せなどしない、わたしは事の顛末を洗いざらい彼女に話した。
「なるほど、そういうことでしたか…」
得心があるように頷くアイネさん。
表情はもはや慈愛の微笑み。
わたしの話を聞きながらも、彼女は遠くをゆったりと眺めていた。
「……あ、向こうにフレンズさんがいます」
指差し眺めた丘の向こう、原っぱに生えた高い草むら。
アイネさんの言う通り、緑の中を縦横無尽に駆け巡る誰かの姿がありました。
「……本当ですね。何のフレンズでしょう?」
「ミライさんが居れば、嬉々として説明してくれていたに違いないですが…まぁ、仕方ありませんね」
「…ごめんなさい」
わたしの謝罪を聞いた彼女は、からりと笑って受け流す。
「ホッキョクギツネさんの責任ではありませんよ。大方、素敵なフレンズさんを見つけて興奮してしまったのでしょう。ミライさんのことですから」
軽口を添えて気を紛らわし、問題を全て捨て置いた。
勿論ミライさんのことは、わたしより彼女の方が幾分かはよく知っていることでしょう。
…でも、去り際のミライさんの雰囲気を思い出すとどうしても、真相が彼女の言う通りであるようには思えないのです。
「早く、戻ってきてくれると良いですけど」
「…あぁ、それはわたくしも同感です」
当たり障りのない一言で、わたしは事実をひた隠す。
ミライさんが何を見たのか、それは彼女にしか分からない。
「……」
嫌な冷たさをした汗が、額を伝って目に入る。
「さあ、わたくし達は山頂を目指しましょう」
「はい……そうですね」
ザラリ。
擦れた砂利の音が耳を刺す。
今日は、何もかもが痛いです。
―――――――――
静かな登り道。
耳を揺らし、音を届けるのは山肌を走るぬるい風のみ。
ミライさんが居ないとこんなに静かになるんですね。
「ふぅ…」
お陰で、溜め息をつくことさえ躊躇ってしまいます。
「……」
珍しいものや懐かしいものを見つける度に盛り上がっていたミライさん。
対して、アイネさんは物静かです。
素敵なお花を見つけてもそっと撫でたりするだけで、殊更に主張するようなことは有りません。
思い出してみれば、今朝からずっとそんな感じ。
けれど、ミライさんの印象が強烈で意識する暇もありませんでした。
そんな彼女が、唐突に口を開いたのです。
「…少し、よろしいでしょうか?」
わたしは驚き、黙って頷く他にありません。
「いえ、大したことじゃないんです……けど、放っておけない気がして」
「…ええと?」
「表現し辛いんですけど、ホッキョクギツネさん…何か、隠しているような気がして」
「……っ」
運命とは悪戯心の旺盛な存在のようで。
ありえないと思っていたことが起きた直後に、もっと予想外な出来事を運んで来る。
でも、何よりわたしの思考の外にあったことと言えば…
「いえ、別に責めているわけではなくて…もし不安なら、力になりたいなと思って…」
…その言葉が、ただの善意で口にされたことでした。
「…大丈夫ですよ、わたしは」
「そうですか。それなら、良いんです…」
もちろん、彼女に相談することなんて何一つありません。
そう、ほんの少し意表を突かれただけ。
わたしも彼女も、すぐに本調子に戻ることが出来ました。
そして、間もなく。
「…見えてきましたよ、ホッキョクギツネさん」
「……アレが、そうなんですか?」
わたしは、一番高い所に立って、尚見上げなくてはならない柱の前に…ようやく辿り着いたのです。
ああ、なんて美しいのでしょう。
「ええ。あの穴から立ち昇るのが、この島に降り注ぐサンドスター。”ここ”が、”ここ”こそが、火山の山頂です」
図りもせぬまま潤む視界。
想うことなどたった一つ、ノリアキ様とここに来たい。
…でも、不思議に思いました。
それは、わたしが上を向いていたから。
「ようやく、戻って来れた……!」
ずっと下を、火口だけを見下ろしているアイネさんが。
とても奇妙に、見えたのでした。