「さて、最後の確認は済みましたか?」
「…うん、いつでも行ける。そっちこそ、もう準備が終わったの?」
「私は、どんな時でも備えを欠かしていませんよ。現に…
さも当然のように語るオイナリサマだけど…ああ、恐ろしい。
自分でも、この計画の壮大さは理解しているつもりだ。
どれだけの力が必要になるかも、同様に知っている。
だから、まさか一切の準備もなく実行できるなんて思っていなかった。
「…そうだね、聞かなくても良かったかな」
勿論味方だったら心強い。
だけど、忘れたつもりは無いよ。
…必要なら裏切る。
オイナリサマも、言うまでも無く私も。
これは、そんな硬くて脆い共同戦線。
無論それ以上の協力なんていらない。
存分に、神様の力を利用させてもらうとするよ。
「じゃあ、そろそろ始めちゃおっか」
だけど最初は、私のターンだ。
「ふぅ……えいっ!」
手を振りかざして、周囲にサンドスターを撒き散らす。
たくさんたくさん。
辺りに虹色が降り積もって山が出来上がるくらいに。
「もっと…多く…っ!」
しばらくサンドスターを放出したら、次にちょちょいと妖術を掛ける。
サンドスター・ロウと同じように、セルリアンを生み出す力を持った術。
それを使って、輝きのある限りに量産していく。
虹が尽きるまでセルリアンを生み出したら、そいつ等を使役して周囲を歩き回るように命令を与える。
…これで、
「……ふぅ」
額に滲んだ汗を、着物の袖で拭った。
サンドスターを使うからかな…予想以上に消耗が大きい。
まだまだ大丈夫だけど、これじゃペースが持ちそうにないなぁ…?
「おや、もうお疲れですか?」
「舐めないで…全然平気だから…っ!」
「良かったです、私の出番は遠そうですね」
膝を付いてなるものか。
諦めてなんてやるもんか。
もう、道は開けている。
―――――――――
『――月さえ見えずに真っ暗で、道が見えなかった』
「はぁ…はぁ……っ!」
静かな山肌に風が吹き、アイネの荒い息の音を遠くへと運んで行く。
今日の風は一段と冷たい。
棒のようにつった脚を単調に動かしながら、彼女はとうとう山の頂に舞い戻ってきた。
今度こそ彼女は一人きり。
今にも崩れ落ちそうな肩を、支える者などいない。
「は…ぁはは…! なんで来ちゃったんだろう…?」
丁寧な口ぶりはすっかり抜け落ち、義務と使命で厚化粧をした本心が風に晒され剥き出しになる。
彼女は十年前の世界に居た。
視界には、在りし日の光景しか映されていなかった。
「あっ……」
ビュウ…ビュウ…と音を立て、背中を押した強い風。
ガラガラ体が崩れて倒れ、握った砂が石を噛む。
もはや励ましの後押しすらも、アイネにとっては自らを傷つける攻撃であった。
「……行かなきゃ」
さあ、この先などあるものか。
既に終着駅まで辿り着いてしまった。
或いは執着の心のみが、終わりを知らないのかもしれないが…
――果たして、その欲望が満たされ得るだろうか?
狂おしい程に希う父親は、とうの昔に虹に溶けて消えてしまったと言うのに。
「やだ」
昨日と同じように火口を覗きこんだ彼女は、そう呟いて煮えたぎる輝きから目を背けた。
背けざるを得なかった。
あのまま見続けていれば、また釘付けにされていただろうから。
「…探してみよう、自分で」
一日遅れた仕事始め。
よたよたと歩き出した姿は生ける亡者のよう。
もしくは、心があの日に死んでしまったのだと思えば…大して不思議ではない。
そんなことを考えながら、アイネは引き寄せられるように歩いていく。
足取りの先には、あの飛行機の残骸があった。
「…ボロボロだね」
一目見て、そんな感想が飛び出してきた。
確かにひどく損壊している。
あらぬ角度で地面に突き刺さっているところなど、見るに堪えない。
しかし、アイネはその骸を見て口の端を吊り上げた。
「懐かしい…こうやって制圧しようとしたヒトも居ましたね」
口ぶりは郷愁。
帰ってきた敬語が余裕の復活を窺わせる。
けれど見つめる瞳の色は歓喜。
それも、仲間を見つけたかのような視線。
「わたくしも本当なら、こんな風に……」
風に、たなびく。
アイネは乱れた髪を整え、腰を低くして飛行機の陰を探り始めた。
迷いなく土を掘る手つきは、そこに何かがあると知っているかのよう。
そんなアイネの後ろを、骨を咥えたイヌが走りすぎていく。
ここでは寧ろ珍しい、フレンズではない方のイヌだ。
穴を掘り、咥えた骨を地面に埋める。更に何処から持ってきたのだろう、輝くサンドスターの結晶も一緒に埋めてしまう。
土を足蹴に穴を埋め、彼は満足げに立ち去ってしまう。
きっと、あの骨とサンドスターのことは…長くない内に忘れてしまうだろう。
それはさておき。
執念深く一か所を掘り続けていたようだが、とうとう何かを掴んだようだ。
「っ…あった…!」
爪に何かが当たる音。
それを聴いたアイネの目は大きく見開かれた。
風を切るように動いた手。
朽ち果てた骨を投げ捨て、その奥にある
「やっぱり、火山で失くしてたんだ…!」
彼女がとうとう見つけたそれは、小さなアレキサンドライトのあしらわれた腕輪だった。
銀色に形作られた輪っかの内側には、『アイネヘ』と小さな文字が彫りこまれている。
もしかしたら見えないかもしれない。
涙を浮かべて、曖昧になってしまった視界では。
「…よかった、コレだけでも見つけられて」
…だがそんな小さな文字など、文字通りアイネの前では些細なものだった。
彼女は覚えている。
深く鋭く刻まれている。
その腕輪を貰ったのは彼女がまだ幼く、パークが今よりもずっと平和だった頃の話だ――
―――――
ジャパリパークには、非常に多くの飼育員や研究者が勤務している。
世界の何処よりも多くの謎と神秘が眠り、数多の命が犇めき合うまさに大自然。
普通の動物園と同じような体制では、到底まともに業務が回るはずもない。
だから、ここに務める人間の数は…ごく普通の施設のそれとは比較にならないほど多いのだ。
…それはそれとして、ジャパリパークは海の上に誕生した離島の動物園である。
中には本島から船で半日かかる距離の島もあり、おいそれと行き来ができる距離ではない。
だから多くの職員は住み込みで働いている。
起こるトラブルの数も桁違いで、例え休みだとしてもパークを離れられないから……
長期休暇の時は、家族の方がジャパリパークまで出向いて共に時間を過ごすということも珍しくはない。
因みに……こういう構造上、職員全員が同じように休みを取る訳にはいかないため、ジャパリパークの長期休暇は『二十四節気』を元に定められている。
舞台は秋、『白露』の休みの間のこと。
幼き日のアイネは母親とジャパリパークを訪れ、職員であった父親と長閑なひと時を過ごしていた。
『二十四節気』によって分けられた長期休みは、年に四回訪れる。
しかしアイネがこうして父に会えるのは、多くて二回の休みだけ。
彼女がこの日を何より待ち焦がれていたのも、決して不思議な話ではないだろう。
そして今度の休みは、アイネにとって他のどんな記憶より印象的な思い出だ。
その訳は何故か。
真実は、キョウシュウの紅葉が風に舞い上がった時にこそ見えることだろう。
「…ねぇ見てパパ! 葉っぱが赤くてキレイだよ!」
「はは、そうだな! 向こうはどうだ? あっちの原っぱの景色はもっと綺麗だぞ」
父は丘の方を指差して言う。
アイネは視線で指の先をたどり、目を輝かせておねだりをした。
「行く! つれてって!」
「よーし、肩に乗りなさい」
「わーい!」
父に連れられ、真っ赤に染まった丘でフレンズ達に混じって走り回った。
地面を踏むたびに木の葉が舞い、転んでも柔らかいクッションに倒れ込むかのよう。
「あははっ…!」
全身全霊で紅葉を楽しんでいるアイネを、父は微笑ましげに見つめていた。
「…アイネ、父さんから贈り物があるんだ」
「それって、プレゼント?」
まともに物を貰ったのなんて、果たしていつのことだろう。
アイネは自らの短い人生の記憶を辿り、おおよそ初めてであるはずの父からの贈り物にとても歓喜した。
「中々会えないからね…また無事に会えるよう、お守りを渡すよ」
「お守り…?」
「ああ。アイネがこれを身に付けている限り……神様がどんな災いからでも、アイネを守ってくれるんだ」
手首に通し、大きさを調節してアイネの身体にフィットした銀の腕輪。
その中心で鮮やかな緑に光輝くアレキサンドライトに、アイネの目は釘付けになった。
「わぁ……ありがとう、パパ! 大切にするね!」
どんな災いからも守ってくれる、父からの贈り物。
これさえあれば…例え滅多に会えなくても、何も嫌なことなんて無い。
…無い。
……無かった。
「…嘘つき」
あの日までは。
腕輪は、父を守ってなどくれなかった。
いや、アイネ
その代償が父親の命とは、なんとも救い難いものだが。
「あれ、何処に行っちゃったの……?」
更に不運は重なる。
アイネの父が命を落としたその日、彼女は腕輪も無くしてしまった。
大切な父からの贈り物。
まさか父と一緒に消えてしまうとは……アイネは、この世の終わりを感じた。
それどころか、願いさえした。
「パパが居ないなら、こんな世界…!」
それでも、アイネは生き続けた。
他でも無い父の面影を探し続けるために。
父と同じ道を進んで、本部が放棄したキョウシュウの土を再び踏むことを夢見て。
そして―――――
「……パパ」
彼女はようやく、心の拠り所まで戻って来ることが出来た。
……だけど。
「…アイネさん」
また。
ここにも。
十年経っても。
平和な時間を奪おうとする者がいる。
「色々と…お話しすべきことがあります」
「…やめて」
「調査のこと、このエリアのこと。そして……お父上のことも」
「聞きたくない、あっち行って…」
腕輪を握りしめ、アイネは後ずさる。
その分だけ、ミライも距離を詰める。
逃げることも、近寄ることも許さないというように。
表情を殺して、ミライは努めて淡々と言葉を紡ぐ。
「アイネさん。私たちにはあなたが必要です。調査隊をまとめるリーダーが必要なんです」
「そんなの、誰だって…!」
「あなたしか……最初に声を上げたあなたにしか、務まりません」
ミライの静かな、説得の言葉。
ただ、アイネが普段の様子に戻ってくれるように。
そんな思いを乗せた言葉への返答は…
「やだ」
…拒絶だった。
「やだよ、やめてよ。わたしから……パパを奪わないでよッ!」
他のことなんて考えられない。
父親という凡そ大きすぎる欠如を埋められる存在は、彼女の世界に他にはない。
負の方向に振り切れた、圧倒的な輝きの籠った叫び。
その明かりに、引き寄せられて…!
「っ!?」
「…大丈夫、ですか?」
日光を跳ね返し輝く、鋭い爪。
アイネの少し上の空気を掻き切ったその斬撃は、死角から近づいていたセルリアンを確実に仕留めていた。
ふと周囲を見回した彼女。
案の定と言うべきか…山の上からは、島のあらゆる場所に蔓延るセルリアンの姿が本当に多く、よく見えた。
呆然とするアイネに、ミライは告げる。
「やはり、この島はまだ危険です」
「や……やだ…!」
最後の抵抗。
力なく振り回された彼女の手。
「戻りましょう…パークセントラルに」
ミライは優しく握りしめ…そう、穏やかに諭すのだった。