「……それにしても、良くここに居ると分かりましたね?」
「手掛かりがあったんです。昨日、丁度ここで見つけた」
ホッキョクギツネが懐から箱を取り出す。
手の平に乗せて、少しはみ出そうなくらいの大きさの箱。
件の腕輪を入れても、まだ余裕がありそうな箱。
アイネはそれを見て、とても大きく目を見開いた。
「それが…ここに…?」
「はい。この辺りでしょうか…そう、土を被って隠れてたんです」
ホッキョクギツネが指差したのは、アイネがつい先程掘り出した穴の付近だった。
「…わたくしに、見せてもらっても?」
「いいですよ、どうぞ」
手に取ったそれを、しばらく呆然と眺める。
目の端からは涙がこぼれ、口は幸せを噛み締めるようにもごもごと動く。
徐に蓋を開いて、腕輪を中に収める。
…案の定、ピッタリ。
箱がこの腕輪のために作られたことの、何より確かな証明だった。
「良かった…やっと会えた…!」
アイネは蓋を閉じ、ぎゅっと箱を胸に抱くようにして瞼を閉じる。
閉じた目の端からも雫は流れ落ち、言うまでも無くそれは喜びの涙だった。
「…ミライさん」
「そうですね」
二人はその場を離れ、アイネを一人きりにしてあげることにした。
彼女にだって聞かれたくない思いはあるだろう。
そして何より…周囲にはセルリアンが蔓延っている。
奴らを撃退するための時間もまた、ホッキョクギツネたちには必要だったのだ。
「……パパ」
アイネは目を閉じたまま……今度は額に腕輪を当てて、伝わる冷たさにクスリと笑った。
腕輪は何も答えない。
鼓膜を揺らすのは風の音だけ。
けれど、アイネは語り掛ける。
自らの過去を清算し、今こそ次の目標へと進んでいくために。
「パパが居なくなってから…大変だった。みんな可哀想に思って優しくしてくれたけど……ダメ、立ち直れなかった」
瞼の裏には、スライドショーのように記憶の光景が浮かんでいるだろう。
「何度も後悔して、自分が嫌になって…それでも、頑張ったの」
その一つ一つをアイネは握りしめ、ぐしゃぐしゃに破いて捨てていく。
「沢山勉強して、意見を言えるほど賢くなって、今日ここに来た。全部、パパを取り戻すために」
もう悪夢なんて必要ない。
魔よけの銀が煌めいて、アイネは腕輪を手首に付けた。
逸らさずに視線を向ける。
虹の光を跳ね返し、彼女の想いに応えるように、腕輪はより一層強い輝きを放ち始めた。
アイネは決意した。
もう、余計な言葉なんて要らない。
「ありがとう。さよなら……
絞り出すような辛い一言。
そのたった一言で一体何が変わったのだろう。
彼女の時計が一気に十年の時を刻むような、そんな奇跡は起こらない。
けれど、無駄な決意ではなかった。
止まっていた時計の針を、一ミリでも動かす。
零を一に変える。
風向きがふっと入れ替わり、背中を押してくれていた。
―――――――――
場面は変わって、ミライとホッキョクギツネ。
アイネからそう遠くない砂利道の上で、セルリアンと相まみえていた。
爪を振るい、戦うのはホッキョクギツネ。
ミライはホッキョクギツネの戦況を確認しながら、この島の行く末を案じていた。
「予測していない大発生……一体、何が」
逃げるための経路を確認してみれば、セルリアンの多さに辟易してそんな言葉が漏れる。
彼女はこの惨状を一目見て、調査隊の力だけでは到底対処不能であることを一瞬のうちに悟った。
「これは…ダメかもしれませんね…」
何を想うでもなく、諦めの言葉が口をつく。
自然な流れであろう。
例えば総員で大挙して攻めたとして、それで火山をどうこう出来るだろうか?
ましてや、今ここに居るのはホッキョクギツネただ一人。
彼女には露払いをしてもらって、少しでも長く時間を稼ぐ他に術はないとミライは考えている。
島を調査することは諦めても、生きることを放棄したつもりは無い。
「願わくば元凶を探し当てたい所ですが……アイネさんを連れていくのが先でしょうね」
ふー、すー、と息をする。
予想外の重なった状況の中でも、論理的な判断は忘れない。
それが、一流のパークガイドの矜持だ。
「ホッキョクギツネさん、少し行ってきます。すぐに戻って来ますが、どうかご無事で」
ミライは行った。
ホッキョクギツネは見送り、独り言のように呟いた。
「…イヅナさん、聞こえますか」
「一応ね。私のお仕事は終わったから」
真っ白な空。
近くを見れば、真っ白な狐。
虚空からイヅナが姿を見せた。
「
「そうだよ、説明もしたでしょ?」
「聞きました。でもいざ目の当たりにすると…信じられませんね」
たった一人のフレンズが、まさか島を覆い尽くさんばかりのセルリアンを生み出すなんて。
イヅナの埒外さを幾分かは知っているホッキョクギツネも、これには大層驚かされた様子だった。
「……セルリアンは、本物なんですよね」
「そうじゃなきゃ、向こうも本気にならないから」
「フレンズの皆さんも、襲われるんですよね」
「ま、セルリアンって
淡々と無情さを説くイヅナ。
ホッキョクギツネが見せる不可解な優しさに、彼女は不審な目を向けていた。
「…まさか、同情してるの?」
「わたしは…出来るなら、誰にも苦しんでほしくありません」
「あぁ…そう」
お人好し。
そう言いたげに、イヅナの口が空気を噛んだ。
けれど言葉は音とはならず、代わりに理屈が飛んでくる。
「私だって……こんなバレたらノリくんに怒られるような方法、好き好んで使ってるわけじゃないよ? でもほら、他に無いからさ」
「ええ…分かっています」
ホッキョクギツネは舌を噛んで頷く。
イヅナと違い、彼女は余計な犠牲を良しとはしていない。
ともあれ、今度のそれは必要なコストではないと考えている。
だが彼女が幾ら反感を抱いても、今更作戦を中止することなどできない。
ごめんなさい…そう呟く。
名も分からぬフレンズたちの無事を、そっと胸の中で抱いたホッキョクギツネだった。
「ま、今回は諦めなって。それより、ホッキョクちゃんもまだ仕事が残ってるからね」
「大丈夫です、覚えていますよ」
ホッキョクギツネに課せられた恐らく最後の任務。
それは調査隊がこの島を完全に去るまで、最初に演じて見せた『被害者』の立ち位置をそのままに保っておくこと。
『黒幕』のイメージを彼らに一切持たせないまま、不運にも撤退を強いられてしまったと思いこませておくこと。
そのための駒として、ホッキョクギツネは実に重要だった。
「私はオイナリサマと最後の調整をしに行くから、そっちはすっかり任せたよ」
「ご安心ください、任された以上はやり遂げます」
ゆらり。
空間が奇妙に歪んだ。
イヅナの姿は、まるで蜃気楼であったかのように跡形もなく消え去った。
「あと少しで、何もかも平和になる…」
例え才能があって、ある程度楽しいことだとしても。
誰かを騙し続けることに、ホッキョクギツネは疲れを感じていた。
だから、ここに来てようやく鮮明に見えた終わり。
彼女が深く安堵のため息をついた気持ちも、分かる人はきっと多いだろう。
「…お待たせしました」
そこへ、アイネを連れたミライが戻って来る。
「アイネさん…」
「ご心配をお掛けしましたね。わたくしは、もう大丈夫です」
アイネは晴れやかな顔をしていた。努めて明るく振舞っていた。
決して無理ではない。
この空元気は、いつの日か満ちる類の空箱だった。
「……無事で、何よりです。これからはどうするんですか?」
「私たちはキョウシュウから撤退します。でも、これで最後にする気はありません。……ありのままの現状を伝え、更なる準備を重ねて、また戻ってくるつもりです」
希望に満ちた表情で宣言をするミライ。
今度はホッキョクギツネが努める番だった。
哀れみ、或いは冷ややかな目。
気を抜けば向けてしまいそうになるそんな視線を抑え、努めて彼女は暖かい視線を作り上げた。
生暖かい、嫌な温み。
自分自身で、そう感じていた。
「…そうですか、寂しくなりますね」
嘘をつくときは、言葉も選ぶ。
「大丈夫です、なるべく早く戻って来ますから」
「…ええ、頑張ってくださいね」
だから彼女は、なるべく本心の言葉を使うことにした。
「さあ、研究所の調査に赴いた皆さんも連れ戻さないとですね」
「事態は一刻を争います、早く向かいましょう」
そんなこんなで、またやり過ごすことが出来た。
終わりまで、残り僅か。
―――――――――
「今回の調査、決して芳しい結果を手に入れた訳ではありませんでした。寧ろ、厳しい現実を知ったと言えます。ですが―――」
港の埠頭で、アイネが全員に向けて演説をしている。
調査隊全員に向き合い、今回の結果を無駄にしないよう、芯の通った言葉で鼓舞している。
良い言葉だ。ホッキョクギツネは思った。
そして、虚しくなった。
「お別れ、なんですね……」
「少しの間です。そう寂しがらせはしませんよ?」
ホッキョクギツネの隣に並び立ち、ミライが肩に手を置いて励ます。
しかしミライは、隣のキツネが抱いていた感情の一欠片も理解していない。
それが出来るだけの情報を持ち合わせていない。
「…えぇ、わかってますよ」
責めるのは筋違いだ。
隠したのは彼女の側だ。
だからホッキョクギツネは、その一言で返事を済ませた。
そう、わかっている。
ミライがそんな言葉を自分に掛ける理由も。
これから、この島で何が行われるのかも。
よもや彼女こそが今この瞬間、この島で一番多くのことを知っている存在かもしれない。
辛さを押し殺しながら息を吐く。
知るということは、時に辛いものだ。
「…ミライさん、最後に一つ、訊いても良いですか?」
「ええ、何でもお答えします! あ、スリーサイズ以外で……」
「…ふふ」
”スリーサイズ”という言葉の意味を、ホッキョクギツネは知らなかった。
けれど慌てるミライの姿が面白くて、笑った。
それが、彼女がミライに向けた最後の笑みだった。
「もし、目標の目の前で壁に行き詰まったら、どうしますか?」
次に向いたのは、問いだ。
「諦めませんよ。見えている限り、絶対に辿り着けると信じてますから」
その問いは、ある種の情けだったかもしれない。
「ありがとうございます、答えてくれて」
「…うふふ、どういたしまして! 少しでも良いことが出来て、私も嬉しいですよ」
ホッキョクギツネは顔を伏せる。
先を思うと虚しくて、目を合わせる気にはならなかった。
「ミライさん、もうすぐ出航します!」
「分かりました! …ホッキョクギツネさん、それではまた…いつか!」
「はい……
いつか。
運が良ければ、
出航の音が鳴る。
それを耳聡く聞き付けたように、島に吹く風もふわりと変わる。
「さようなら…お元気で」
永遠のお別れを、涼しい海の風に乗せて。
終わりが始まる場所を、潤んだ瞳で見つめた。