キツネとカミサマ   作:ろんめ

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Ⅷ-203 人間と神様

 山を下り始めて数分。

 石段から逸れた森の中で、俺はオイナリサマの姿を見つけた。

 

「見つけたぞ、オイナリサマ」

「……神依さん」

 

 オイナリサマは体育座りで、俯きながら地面の草を弄っている。

 それは神様らしからぬ、普段のオイナリサマの印象ともかけ離れた行動だった。

 

「らしくないぞ、何してんだ?」

 

 だから、真っ先に口をついて出てきた言葉が()()であることも、概ね納得できることだろう。

 

 オイナリサマは俺の問いかけに顔を上げ、何か言おうと口を開く。

 

 しかし、声は出ない。

 

「……ごめんなさい」

 

 しばらくの間躊躇った末、やっと出てきたのは謝罪の言葉だった。

 

「あー……なんだ、謝られてもな」

 

 俺は困った。謝るような事をされた覚えも、()()()()()()()無い。

 

 それに、こう言うのも失礼だが……オイナリサマは、自分の非を誰かに謝るような性格をしていない。

 

 ――少なくとも、俺のイメージの中ではな。

 

「俺は気にしてない、誰でも負けることだってあるさ」

「いえ、そうではないんです」

「……違うのか?」

 

 俺はてっきり、”黒イナリに負けたせいで俺を危険に晒してしまった”……なんて考えていると思っていたんだが、どうやら違うらしい。

 

 じゃあ何だ?

 こうなると、さっぱり見当もつかないな。

 

「よく分かんないし…その、続けてくれ」

「は、はい…っ」

 

 コクコク、恐怖に震えるように頷いて、パクパクと空気を噛む。相当な緊張が伝わってくる。

 

 そこまで畏まって謝るような事……あったか?

 

「私…神依さんの記憶、勝手に奪ってしまって…」

「…え?」

 

 …あ、確かにあった気がする。

 

 でも、そんなこと。

 

「それで、沢山神依さんに嫌な思いもさせてしまって…」

「………それを、謝ってるのか?」

「はい……謝って許されるとは、思っていませんけど」

「な…なるほど?」

 

 

 ―――――まさか、マジで言ってるのか?

 

 

「あの、改めて言わせてください。神依さん…ごめんなさい」

 

 

 ―――――あ、マジみたいだ。

 

 

「あぁ、うん…少し、気持ちを整理させてくれ」

「…はい」

 

 一度冷静に考えてみても、やっぱり現実を信じられない。

 しかし彼女の姿を見る限り、嘘なんかではなさそうだ。

 

 見よ、あの美しい土下座のフォルムを。

 川のせせらぎのように流れる髪の毛の中、真っ白に光る尻尾の流線美が―――じゃなくて…そう、謝罪。

 

 分からないな。

 

 一体全体、どういう心変わりが有ったんだ?

 オイナリサマが俺に謝るなんて、例え月が落ちてきても有り得ないことだと思っていたのに。

 

 掛けようと思っていた言葉は全て飛んでしまった。今の俺の頭の中は、彼女の毛並みのように真っ白だ。

 

 とりあえず、何か言うか。 

 

「まあ、その…アレだ。反省は、してるんだな?」

「…はい、とっても」

「…そうか」

 

 二の句が継げぬ、何も浮かばぬ。

 理由はともあれ心の底から反省している様子だし、これと言って特に付け足したい言葉がないからだ。

 

 だから、理由を考えてみようか。

 

「なぁ…言うのもアレだが、突然すぎやしないか? どうしてそう思ったのか、理由は分からないか…?」

「理由、ですか?」

 

 ゆっくりと首を傾げて、オイナリサマは枝葉の隙間から空を見上げる。

 

 儚げに揺れる耳は寂しく、目や口よりも物を言う。

 俺は不安げな手を握った、握り返された温度は冷たかった。

 まるで活気も輝きもなく、放したら消えてしまいそうだ。

 

 長い逡巡の末、やがて太陽が手の平分ほど傾いた頃、オイナリサマはまた謝罪の言葉を口にする。

 

「…ごめんなさい」

「構わないさ、分かんないんだしな」

 

 あと、彼女の前では言葉に出来ないが……こういう()()()()()オイナリサマも新鮮で、それに何だか可愛らしい気もする。

 

「ま、気にしても仕方ないことだ。とりあえず神社に戻らないか?」

「はい、そうですね」

 

 ゆらり、身体を不安定によろめかせながらも彼女は立ち上がる。

 心配して俺は腕を差し出したが、掴まれることは無かった。

 

 ふっと逸らしたオイナリサマの顔は、申し訳なさとバツの悪さに染まり切っていた。

 

 まだ、引け目を強く感じているらしい。

 

「責任を感じる気持ちも分かるが…程々にな?」

「優しいんですね、ありがとうございます」

 

 それを最後に、またオイナリサマは口を噤んでしまう。 

 

「はぁ……」

 

 オイナリサマの手を引きながら、石段をゆっくりと上りながら。

 

 俺は彼女の最後の言葉に心の中でだけ同意し、そして自分のお人好しとも言うべき質の悪さにため息をついた。

 

 突き放せばいいのにな、嫌いなら。

 

 ……じゃあ、そういうことなんだろうな。

 

 心の底から。困ったことに―――

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 神社に戻ってきて、緑茶を淹れてきて。

 

「ほら、飲んで落ち着こうぜ」

「えへへ、ありがとうございます」

 

 隣り合わせの座布団に腰を下ろして、俺たちは今後の予定を話し合ってみることにした。

 

「まあやっぱ、結界をどうするかだよな」

「…そう、ですね」

「もしかしてまだ、張り直すだけの体力は戻ってないか?」

 

 先の戦いは苛烈だった――それは黒イナリの消耗からもよく分かる――さしものオイナリサマといえど、それから逃れることは出来ないだろう。

 

 ……と俺は納得したが、事実は違うようだ。首を振って彼女は言う。

 

「もっと…深刻です」

「…深刻?」

 

 ゆったり開いた手の指先を、額に添えて瞑想を。

 

 閉じた目の端から雫が滴り、声は枯れ果てた砂漠の模様。

 

「忘れちゃいました。結界の張り方も、他の術の使い方も」

 

 パタン。

 力なく垂れた腕の先、手が畳と乾いた音を奏でる。

 

 術を使えなくなってしまったオイナリサマ。

 

 その原因に……幸運にも、俺に思い当たる節があった。

 

「…あ、もしかして輝きか?」

「多分、そうだと思います」

 

 黒イナリは結界を張った。

 オイナリサマの輝きを奪ってやっていた。

 だったら輝きの中に、諸々の技術が詰まっているはずだよな。

 

 でも、輝きなら……

 

「だったら安心してくれ、ほら」

「……こ、これは?」

 

 手を出して、その先から虹色の石を取り出す。

 

 それはオイナリサマの輝きの結晶。

 体内に取り込んだ黒イナリから急いで抽出した、世界の何よりも美しい宝石。

 

「輝きなら俺が取り戻しておいたからな、これで大丈夫になるんじゃないか?」

「あ、ありがとうございます! もう、何から何まで…!」

 

 ……今更ながらの思い付きだが、オイナリサマが自信を喪失したことも、彼女が輝きを失った影響じゃないのか?

 

 俺も昔、大量に輝きを失った時はかなり憂鬱な気分に支配されていた。

 

 オイナリサマの存在は割と輝きへの依存度が高そうだし、輝きを失った影響が顕著に表れても不思議なことではない。

 

 つまり、目の前にいる彼女のしおらしさも輝きを失くしたせい、ということになって………ええと、本当に返してよかったのか?

 

 まあ、この際だから彼女を信じよう。

 

 そもそも、いつまでもこの状態のままに放置しておくことだって嫌だもんな。

 

「で、自信は戻って来たか?」

「はい、元気がみなぎってくるようです…!」

 

 両手でガッツポーズを作って、にこやかに笑って。

 そんな姿を見ただけで、取り返した意味があるなと思ってしまって。

 

 こんな神様に惹かれてるなんて。

 

 嫌じゃないけど、なんか悔しいな。

 

 …負けた気がして。

 

「じゃあ、出来そうか?」

「はい、もう少し休んだらすぐに」

「ハハ、少しで良いんだな」

 

 改めて思った、彼女は規格外だ。

 本当に、俺たちなんかとは格が違うんだな。

 

 そして…そんな彼女でさえ、時にはこういう風になるんだな。

 

 そうだ、少しからかってやろう。

 

 このまま無罪放免にするのも、それなりに気に食わない。

 

「ところでだが…輝きを失くして初めて、やっと謝る気になったんだな?」

「あ、あはは………でも本当は、それだけじゃないんです」

 

 ポリポリとオイナリサマは頬を掻く。これも滅多に見ない仕草だ。

 まあ、フレンドリーになったと考えれば、割とプラスの変化に思える。

 

 気恥ずかしそうに微笑んで、独白の続きを。

 

「あの黒い私に、言われた言葉がありましてね」

 

 

『―――貴女って、本当に心を掴むのがヘタなんですね? ずっと二人きりだったのにカムくん、全然靡いてないじゃないですか』

 

 

「そう言われて、揺らいでしまって…その隙を突かれて、輝きを取られちゃいました」

「へえ…そんなことが」

 

 ――驚いた。

 

 黒イナリの発言がどうこうというより、オイナリサマに嫌味で揺らぐような心の隙間があったということに。

 

「きっと彼女が…私の姿をしていたからですね」

 

 それは…皮肉だな。

 

 アイツが嫌っていた自身の姿が、オイナリサマへの決定打になるなんて。

 

 そしてコレは、オイナリサマにとっても皮肉な事実だろう。

 

 黒イナリがあんな姿になった原因は、オイナリサマが俺に掛けた()()()()()に他ならないのだから。

 

 

 

「あの、神依さん…」

 

 いつの間にか、握る手の主導権は向こう側に。

 

「……私が、嫌いですか?」

 

 声も、手も、身体も、何もかも。

 まるで、雪中に置き去りにされた子狐のように震えながら、オイナリサマは俺に尋ねる。

 

 これは、慎重に言葉を選ばないといけないな。

 

「別に、嫌いじゃないさ。ただ…」

「…ただ?」

「もう少し、振舞い方を考えてもいいんじゃないかとは…思う」

 

 言い終わって見ると、オイナリサマは顔を伏せている。まあ、突き刺さるところは沢山あるだろうな。

 

 俺はまた、慎重に言葉を選びながら話していく。

 

「俺を拉致した件だって…ホッキョクギツネを痛めつけた件だって。きっと、他にやり様は有った筈なんだ。……()()()()()()()()、尚のこと」

 

 ここからが、多分本題。

 俺が伝えたいと思っていること。

 

「何だかんだ言って、オイナリサマには力があるだろ? 何も戦いだけじゃない、穏便に願いを叶えることなんて、造作もないことじゃないのか…?」

 

 目的の為なら手段を選ばない。

 

 場合によっては、それが最善なら、俺にも思うところはなかっただろう。

 

 だけど、オイナリサマなら別の方法で出来たはずだ。

 それが、俺の心にはやはり引っ掛かるのだ。

 

「…そうかも、しれません」

 

 オイナリサマは俺の言葉を認め、静かに涙を一滴流した。

 だけどそれはすぐに拭って、首を振って毅然とした顔。

 

 まるで、自分には涙を流す資格などないと言うかのような表情。

 

 一言。

 

 消え入りそうな声で呟く。

 

「今更、謝りになんて行けるでしょうか…?」

「…難しいだろうな」

「そう…ですよね」

 

 ホッキョクギツネの心に刻まれた傷は大きいだろう。

 会いに行けばまた傷を抉るだけになる可能性が高い。

 

 オイナリサマもそれを分かって、飽くまで夢物語として口にしたんだろうな。

 

 物悲しそうに微笑んで、この話は終いにした。

 

 

 ―――まあ、これくらいかな。 

 

 

 言いたいことは、言うべきことは、これで伝えた。

 

 別にこれで、過去を清算できたとは思っていない。

 

 だけど、今は十分じゃないだろうか。

 

 ポンポン。

 

 オイナリサマの肩を叩く。

 ただそっと、彼女に寄り添ってやるように。

 

「ま…どうしても俺が居ないと不安だって言うなら、傍にいてやるさ」

「え……?」

 

 ポカンと、気の抜けたような声を出すオイナリサマ。

 何だろう、まだ叱られると思ってたのかな。

 

 ハハ、俺はそこまで鬼じゃないさ。

 

 それにこの反応……まさか、忘れてるのか?

 

「だって…約束しただろ? 例え俺一人だけでも、オイナリサマが願う限りは望み続けてやる…ってな」

「か、神依さん…!」

 

 両手で俺を捕まえて、目を潤ませて息を荒げる。

 今度零れた涙の雫は、溢れた喜びの色をしていた。

 

 ぎゅ~…っと。

 

 俺を抱き締めるオイナリサマの腕の力は、段々と強くなっていく。

 

「よしよし…はは、仕方のない神様だ」

「えへへへ、神依さん…!」

 

 熱い口づけを交わし、抱擁は強く柔らかく。

 もう一度、神様との契約を交わす。

 

 

「ずっと、一緒に居てくれるんですよね…!」

「…ああ、約束する」

 

 

 俺とオイナリサマ。

 人間と神様。

 

 病みに黒ずんだ輝きは、奇しくも未練の怪物に漂白された。

 

 白く、白く、心の中まで。

 

 やがてまた、神の社を虹のベールが包む。

 

「あの、神依さんっ! 今夜は、久しぶりに一緒に…」

「今は抑えて…な?」

「は、はい…」

 

 はしゃぎ出したオイナリサマにも、今日の間は安心できる。

 

 けれどまだ、全部を元に戻すには早すぎる気もするから。

 

 今はただ一緒に。静かに彼女の腕の中に。

 

 

 二人を手繰り寄せた数奇な運命を、木漏れ日の中で偲び続けた。

 

 

 

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