研究所を見つけてから3日、例のごとく日記に記される日付は『20日目』、とでも言うべきか、今日はおそらく暇になるだろうと思っていた。
博士が持ってきたファイルはあらかた読み終わったが、役立ちそうな情報は手に入れられなかった。
一応ロッジの中にカードキーが存在していないかかばんちゃんにも協力してもらって調べたけど、こちらも同じく見つからなかった。
見つからなかったという報告だけでもしておこうかと思ったが、新しいものを渡されることは明白、今日は休みたい気分だったから次の日に図書館に行くことにした。
どうせまたすぐに忙しくなる、今日ぐらいはゆっくりして、これからの出来事に備えておこうと思っていた。
……そう、思っていた。
「コカムイ、久しぶりだな! 待つだけというのは悪いと思って、今日は私から来ることにした!」
ヘラジカさんがハシビロコウさんと共に空から飛来してくるまでは。
「ひ、久しぶりだね……どうして?」
「うむ、少し前にイヅナが来てな、手合わせしたらお前のことを思い出したんだ」
「い、イヅナがっ!?」
「お、落ち着け、あれは……どれくらい前だったか」
「……4日前です」
「おお、そうだった! ハシビロコウ、流石だな」
「えへへ……」
「で、僕を思い出したっていうのは?」
「これはあくまで感覚だが、イヅナとお前の戦い方がよく似ている、そう感じてな」
「な、なるほど……?」
感覚と言いきられてしまったらこちらからは言いようがない。僕がヘラジカさんと手合わせしたのはイヅナがフレンズになる前、だったら似ているのはとり憑いたイヅナの干渉があったせいかもしれない。
「……あ、ジャパリまん食べる?」
「いや、後にする。戦いの前に物を食べては存分に動けない」
……ああ、分かってた、戦い方が似てるとか思い出したとか、要はそういうことだよね。
「コカムイ、今再び、手合わせ願いたい!」
ハシビロコウさんが竹刀や風船を持ってきている時点で気づいていたよ、でも思い出せば再び手合わせすると約束してしたようなしてないような……もうどう転んでも戦うんだ、考えるのはやめた。
「コカムイさん、その、気を付けてくださいね?」
「……程々に頑張っておくよ」
受け取った紙風船を前と同じ右腕につけて、竹刀を握りしめる。妙な焦燥が胸に広がる。思わず首にかけた勾玉を握りしめていた。
「……ふう……」
収まってきた、もしかしたら勾玉のおかげかもしれない、心なしか体が軽くなったように感じる。
「準備はいいか?」
10mくらい離れて向かい合っている。
「……はい」
「ハシビロコウ、合図を」
「わかりました」
程々にこなすといっても適当にやってしまっては失礼だし、ヘラジカさんは納得してくれないだろう、集中してちょっとでも太刀打ちできるように頑張ろう。
「よーい……はじめっ……!」
「行くぞ、はぁぁぁあああっ!」
突進、横方向に動けば避けるのは難しくない。
「……ふぅっ!」
「……っ!」
横を通り過ぎる瞬間に急停止しての突き、体をくねってかわした。次に横向きに走って――所謂サイドステップだ――一定の距離を保つように立ち回る。
「フゥ……」
正面きって突っ込んでも正面で立ち向かっても勝ち目はない。ある程度離れていれば相手がこちらにたどり着くまでに回避行動が終えられる、しばらく膠着状態を演出して時間を稼ごう。
「…………」「…………」
耳が冴える、風の音がいつもより鮮明に聞こえてくる。ヘラジカも攻めてくる素振りは見せない、隙を伺っているのか、こちらの策に乗ろうとしているのか。
昨日の夜小降りの雨が降った。この辺りにできた狭いぬかるみが足跡を克明に残している。下手をすれば足を取られるかもしれない。大げさだが何が起こるか分からないし、絶対の信頼をおけるものはない。
「どうした、来ないのか?」
挑発ともとれる言葉、ヘラジカはこの状態がこれ以上続くことを好まないようだ。
「ヘラジカさんが、来ればいいじゃないですか」
言い返した……ってことでいいだろうか、少し気分が高じて、普段通りの言葉遣いでないことが言っているときも自覚できた。
「……ふ、では遠慮はしないっ……!」
走ってくる。しかし何かがおかしい。
「……?」
ひとまずそのままの場所はまずいので、横に移動した。
「ふぅ…………っ!?」
移動したのにヘラジカはこちらに向かっている、それも移動方向を変えることなく。
「行くぞ、はぁっ!」
「……くぅ…っ!」
懐かしきバックステップで距離を取る、そしてヘラジカ後方の地面についた足跡を見て、ヘラジカがカーブして移動したことに気づいた。
「避ける方向が逆だったら、攻撃できませんでしたよ?」
「なに、その時はまた突っ込むさ」
計算ずくか天性の才能か、ともかく滅多な方法では勝てないと思い知らされることとなった。
どうすれば……そう思ううちに再び勾玉を握りしめていた。不安になると握る癖でもついてしまったかな。でも、握ると再び体が軽くなる、サーバルくらい跳べそうな気分だ。
「本当、とんでもないや」
頭の回転が速くなってきた……接近戦では敵わない、かといって遠くから狙う武器はない。何か思いもよらない方法がないものか。
「…………」
ヘラジカは再び飛び掛かる用意をしている。早く、何か、何か……
「……試してみるか」
ふと思いついた一手。成功する保証はどこにもないが、一撃でも決めるにはこの方法しか思いつかない。
足音が響く。ヘラジカが動き出す前に走り出した。突然向かっていく僕に警戒している。
おおよそ5m、さあ、ここで流れを変えよう。
「っ、何!?」
両足で踏み切って大きくジャンプする。思い出してもらえばわかると思うがヘラジカは頭に風船をつけている、だとすればここからはヘラジカの風船が丸見えであることはすぐに理解してもらえると思う。
「なるほど、そう来たか」
ヘラジカは振り下げられる竹刀を受け止めようと自分の竹刀を横に持って構える。
……でもね、そうじゃないんだ。
僕は竹刀を逆手に持って、大きく掲げた。
ここから
左手で勾玉を握って、狙いを定める。やがてジャンプの最高度に達し、落下が始まろうとしたその時……
「……せいやぁっ!」
竹刀を投げた。
「…………っ!?」
およそ普段ではあり得ないほど正確な直線軌道を描いて飛んだ竹刀は、ヘラジカの風船を中心に捉え、割った。
「すごーい!」
「びっくりです……」
「……見事だ」
僕は勢いよく踏み切って、投げた。であれば勢いも相当だ。そして幾分か強く投げすぎたせいで、姿勢が崩れている、つまり……
「わっ、うわわっ!?」
着地を失敗し、ゴロゴロと転がった挙句木に背中をぶつけた。
ここで思い出してほしい、僕は紙風船を右腕につけた。さて、今一体どんな状態だろう?
「……あ」
紙風船が転がった衝撃で割れてしまったことはすぐに理解してもらえると思う。
「え、えっと……引き分け?」
ヘラジカの意表を突いた戦いは、どこか残念な形で幕を閉じることになった。
その後はロッジの中に入って、ゆっくりジャパリまんを食べながら談笑していた。
「いやはや、まさかあんな攻撃をしてくるとはなぁ」
「あはは、さっきは無我夢中で」
「しかし、ヒトの野生開放か……」
「え、野生開放?」
「ん、知らないのか?」
「知ってるけど、なんでその言葉が?」
「なんだ、気づいてなかったのか? ジャンプした瞬間のお前の目は文字通り『輝いていた』。野生開放の特徴だ」
「……そうだったんだ」
妙に身体能力が上がっていたのも野生開放の効果だったのか。
「それにやはり、イヅナとどことなく戦い方が似ている」
「イヅナ……あっ、イヅナについて聞いてなかった!」
なんとなく有耶無耶になっていた。
「ヘラジカさん、イヅナのその後について聞かせて!」
「分かった、戦った後か……数日私たちのところにいて、その後は分からないな」
「そっか……何か無かった? その、不思議なこととか」
その問いには、ヘラジカではなくハシビロコウが答えた。
「そういえば一度、イヅナちゃんの具合が悪くなったことがある」
「……うむ、そんなこともあったな、すぐに治ったようで安心したが」
「……それっていつのこと?」
「確か、3日前だよ、その午前だったかな」
日記で示すと17日目、オオカミさんの話を聞いたり研究所を見つけたりしたあの日だ。午前と言うとオオカミさんの漫画の相談を受けていた時間だ。特に重大なことはないように思えるけど……
「あれ、待って……?」
その頃、僕も何かおかしなことがあった。そうだ、博士に起こされる前、なぜかロッジの正面で気を失っていた。おそらく午前のことだったはずだ。気を失う直前のことは覚えていないけど。
「でも、関係があるとはなぁ……」
同じ時間帯に変異が起こっていた、偶然と片付けても問題はないはずだけど……
「まあ、覚えておこうかな。ありがとう、ヘラジカさん、ハシビロコウさん」
「なに、今日は楽しませてもらった、礼を言うのはこちらだ」
「コカムイ君、その……またね」
来た時と同じように、ハシビロコウの手を借りて、ヘラジカは空を飛んで満足げにへいげんへと帰っていった。
「明日は、図書館に行かないとね」
「私たちもついていっていい?」
「いいよ、ここ数日ロッジにいたからね」
カードキーを確認して、イヅナをおびき寄せる食べ物を作って、あとは野生開放、これについても調べたい。……うん、目先の目的はこんなもんかな。
じゃあ、今日は久しぶりに日記を載せて締めることにしよう。
『20日目
今日はヘラジカがハシビロコウと一緒にロッジまで飛んできた。
十数日ぶりに戦わされた。
その代わり、野生開放について少し知ることができた。
明日は図書館で、目下の目的を整理しよう。』
……ふむ、取り立てて面白い日記ではなかった。だけどきちんと毎日書いているからそこは安心してもらいたい。
ちなみに、日中の運動が良い方向に働き、その日はいつもよりもよい睡眠を取ることができた。