「待って、待ってよ!」
「…………っ!」
必死に呼び止める。一瞬だけ止まってくれた。
「ご、ごめん、でも、分かってくれるって、信じてるから」
「……なんだよ、それ」
なんて自分らしくない言葉遣い、でもそんなことを気にしていられようか。自分というものが今、跡形もなく崩れようとしているのだから。
イヅナはもうそれ以上何も言わずに行ってしまった。
ペタリと、力なく座り込む。どれくらいの時間が経ったのだろう、赤ボスが僕の様子に気づいてテクテクと歩み寄ってきた。
「ノリアキ、ダイジョウブ?」
「ノリアキ……そうだ、僕は、『コカムイ ノリアキ』……そうだよね……?」
先ほどまでは茫然自失としていたが、話しかけられて少し自分を取り戻した。
「ソウダヨ、ノリアキハ”ジャパリパーク”ノ大事ナ”お客様”ダヨ」
「お客様? 自分が誰かも分からない、どんな人間かも分からない僕が?」
「確カニノリアキノ過去ハ分カラナイケド、今マデノノリアキノ様子ヲ見レバ、悪イ人ジャナイッテ分カルヨ」
気休めだ、中身のない励ましだ。
「……ありがと、赤ボス」
それでも、存在を肯定してくれる者がいてくれることは、自分にとってどれだけ救いとなるだろう。
「料理、作らないと。サーバルたちの分も作るって約束したから」
「モウ大丈夫ナノ?」
「大丈夫じゃないけど、何もしないよりはいいかなって」
元々の計画では油揚げを入れた味噌汁を中心にしてイヅナを釣るつもりだったけど、その必要はなくなってしまった。それでも用意してもらった食材を無駄にするわけにもいかないし、まあせっかくだからってことで作ろう。
料理に夢中になれば、きっとその間だけは忘れられる。
さて、一番初めにご飯を炊こう。いくつかあるかまどの1つをこちらで使って、残りの所で味噌汁やらなんやらを作る算段だ。
「火はこんな感じかな」
妙な不安にでも駆られて碌にできないかと思っていたが、意外にも難なく火を点けることができた。
そうしたらさっさとお米を洗ってそのお米と水を鍋に入れて火にかけてしばらくしたら炊けるのを待つのみだ。しかし白米だけでは料理とは言い難い。この時間に味噌汁と焼き魚を作る。
まずは焼き魚、これは焼き網があったのでそれを使って焼き上げることにした。
「……はあ」
焼き加減を調整しなきゃいけないから、焼けるまでは手を離せない。
「ノリアキ、ボクガ見テイテモイイ?」
「赤ボス、できるの?」
「マカセテ」
「じゃあお願いするね、僕は味噌汁にとりかかるよ」
そうは言ったものの赤ボスでは少し心配で、何度か離れたまま赤ボスがちゃんとやっているか確認した。
「……味噌汁か」
お湯を沸かして、いや沸く前からわかめとか油揚げは入れておくべきか? そんなときのための料理本、こういう時は本当に役に立つ。
「ふむふむ、なるほど……」
本の言う通りにやっておけば間違いはないはずだ、包丁をトントンと鳴らして食材を切って鍋に入れて水も入れて火を点けて……作業はトントン拍子に進んでいく。
「ノリアキ、魚ガ焼ケタヨ」
「あ、分かった」
味噌汁が吹きこぼれそうな様子はないから、少し置いといて焼き魚を皿に乗せよう。
……よし、これに軽く塩を振って、焼き魚は完成だ。
その後しばらく鍋とにらめっこ――別にただ見ていたわけじゃないが――していたら、お湯がグツグツと煮立ってきた。このタイミングで火を弱めて沸騰を抑える。
そしてこのタイミングで味噌を投入する、ここまで本に書いてあった。
あとは流れ作業でご飯の確認もしながら、とうとう仕上げの段階に入った。
「……じゃあちょっと味見を」
味噌汁を少しすくって、フーフーと息をかけて冷ましてから味見した。
「……む、味がしない」
お湯の量に対して味噌が少なすぎたのかな?
ということで味噌をもう少し溶かして馴染むまで混ぜて、もう一度。
「……あれ、まだダメだ」
仕方ないからもう少し増量した。
「まだまだ薄すぎるかな」
こんなことってあるのだろうか? そう思いつつこれじゃあ出せないからもっと入れた。
「味は出てきたけど……」
全然足りない。
「なんでこんなに味がしないんだろう……」
ええい、こうなったら2倍の量を一気に入れてしまおう。
……まあこれだけ入れれば十分に味は出たはずだ、博士たちを呼ぼう。
「ようやくですか」「では、いただきますなのです」
「いただきまーす!」
「じゃあ、いただきます」
4人ともまずは魚から手を付けるみたい。
「この箸とやら……なかなか持ちづらいのです」
「サーバルには使えないのではありませんか?」
「え?」
サーバルは早々に諦めて魚は手を使って身と骨を分けていた。
「大丈夫、ちゃんと洗ったから!」
「サーバルちゃん、はい、ティッシュ」
「ありがとー!」
そう言ってサーバルは手を拭いていたけど、あれは食べ終わってからもう一度洗わないと脂は落ちそうにない。
「もぐもぐ、この魚はおいしいのです」
「ご飯との相性もなかなか、いいのです」
喜んでもらえてなによりだ。赤ボスが見ていてくれたおかげでもあるから、あとでもう一度お礼を言っておこう。
「では次に……えっと」
「味噌汁、だよ」
「そうでした、味噌汁をいただくのです」
博士が一口味噌汁を飲んだその瞬間、ピタリと固まった。
「博士、どうしたのですか?」
博士の様子を疑問に思いつつ、助手も一口。
「こ、これは……」
「しょっぱいのです!?」「何なのですかこれは!?」
博士たちの様子はとてつもなくしょっぱいものを飲んだような反応だった。
「えー、そんなにしょっぱいの?」
そこまでしょっぱく作った覚えはない。サーバルも一口飲んだ。
「うみゃー!? しょっぱーい!?」
「ええ!?」
サーバルにまで……
「その、ボクも飲んでみますね……」
続けてかばんちゃんも一口。途端に顔をしかめた。
「こ、これは、とっても塩辛いですね……」
かばんちゃんも、ということは味噌を入れすぎてしまったんだな。
一応僕も口にしておこう、最後に入れた後は味見をしなかったから。
博士の器を受けとってゴクリと飲んだ。
「……しょっぱくないよ?」
「お、お前は何を言っているのですか!?」
何を言っている、と感じているのは僕も同じだ。
「というか、全然味しない」
「冗談はやめるのです、まるで塩を飲んでいるようなしょっぱさなのですよ」
流石に冗談だと思う。そんなにしょっぱいならこんなすまし顔なんてできっこないに決まっている。
「塩かぁ……」
おもむろに人差し指につけて塩をなめてみた。
「あれ、味がしないや」
「お前、熱でもあるのではないのですか?」
そう言われて手のひらを額に当ててみたけど、別段熱くなっているようには感じない。
「ボクガ健康診断ヲスルヨ」
赤ボスにサンドスターや体温の様子などをスキャンしてもらった。少しの間解析して、結果を教えてくれた。
「体ニハ、一切ノ異常ナシ」
「じゃあ、問題ないんじゃない?」
「大アリなのです、味を感じていないのですよ!」
「赤ラッキーさん、味を感じなくなる原因って、何ですか?」
「……ソウダネ、ヒトノ場合、風邪ヲヒイタリシタ時、アルイハ……
強いストレス、ああ……そういうことね。全部合点がいった。
でも何があったか話せと言われればきっと上手く説明できないだろうから、しばらく誤魔化しておきたい
「だとすれば、コカムイ、何かあったのですか? あるいはイヅナが――」
「――博士」
「……何なのですか?」
少々強引に話を遮った。
「これ、研究所のカードキー、博士に預けるね」
「こ、これをどこで?」
「……もらった」
「っ!? やはりイヅナが……」
「ねえ」
「……今度は何ですか」
「僕、少し雪山の2人のところにいようかなって思ってる、だから研究所に行く準備ができたら、雪山まで迎えに来て」
「…………は?」
少し突拍子もないことを言ってしまったようで、博士はキョトンとしている。
「じゃあかばんちゃん、雪山までバスに乗せてくれる?」
「あ、はい。……でも」
「大丈夫、落ち着いたら、話すから」
「……分かりました」
「じゃあ、博士、また」
バスに乗って、雪山を目指して出発した。
「はあ……とことん自分勝手ですね、イヅナも、お前も」
「そういう意味では、似た者同士かもしれませんね」
「……やれやれなのです」
道中、
「こ、コカムイくん、大丈夫なの?」
「大丈夫だよサーバル、少しお世話になるだけだから」
「……そうじゃなくて」
「大丈夫だよ……大丈夫」
自分に言い聞かせているようで、いや実際に言い聞かせていて、滑稽に感じられる。だけどこれをやめてしまったら、何かが壊れてしまいそうで。
結局ほとんど会話もないまま、雪山に着いた。
「じゃあ、コカムイさん、あんまり思いつめないでくださいね」
「うん、分かった、ありがと……またね、サーバル」
「……うん」
サーバルは目を合わせてくれなかった。
そのまま、バスは行ってしまった。
1人になると、ついさっきイヅナに受け取ったイヅナの記憶のことを思い出してしまった。
なんて残酷な事実だろう。
イヅナのやったことが残酷? 違う。
僕がやったことが? そうではない。
ただ、その事実が、僕の信じた『僕』を壊してしまった。
僕が記憶が無いなりに精々信じて目指したものを覆してしまった。
そうだ、僕は、いつか外に帰る時も来るんじゃないか、そう思って今までここで暮らしてきたんだ。
僕とは違う、『