目を覚ますと、真っ白な天井があった。
綺麗にされていたから、顔のようなシミは見つからなかった。
少しして気を失う前のことを思い出し、勢いよく体を起こした。
「……っ! イヅナは?」
「ああ、起きましたか、心配したのですよ?」
見回して、周りの様子を把握した。
ここは研究所の医務室だ。僕が横たわっていたベッドの隣に低い椅子があり、そこに博士が座っていた。
「博士……」
「かばんのラッキービーストに通信が入って、文字通り飛んでいくとボートの隣に倒れるお前が……という顛末なのです」
「ああ、そう……ごめん、草か何かにつまづいて――」
博士が眉間にしわを寄せたのが見えたから、ついそこで言葉を切ってしまった。
「やれやれ、この期に及んでそんな嘘が通じるとでも?」
「……ええと」
「それにたった今、お前がイヅナの名前を出したのです」
――はあ、つい本当のことを隠してしまう癖は、いつからついてしまったのだろう。
「……私が着いたときには、倒れたお前と赤ボスしかいなかったのです」
「……そう」
何か取られてはいないかと懐や鞄を探ったが、物が無くなっているということはなかった。ただし、落としたゲーム機の一つはイヅナに持っていかれたようだ。
しかし、説明するにしてもどう表現しよう、イヅナの、あの言動を。イヅナは――恐れていた、妬んでいた、求めていた――一体どうすればいいのだろう?
うまく言葉にできる気がしない。
「…………話してはくれないのですか?」
「……ごめん」
「落ち着いてからでいいのです、ですが、あまり長くは待たないのですよ」
「うん、分かった」
「長くは待てないのです、私も、そしておそらく――イヅナも」
そう呟いて、博士は医務室の扉を開けて出ていった。
一人残されて、再び仰向けに寝転がった。
「……赤ボス?」
赤ボスの名を呼ぶが、反応はない。部屋の外にいるのかな。
二度寝したいなと思ったら、眠気はすっきり覚めている。強く打ったはずの頭も痛みはほとんどしない。とはいえ、安静にしていた方が吉だろうと思い、眠れなくても目は閉じようとした瞬間――
『悪い子、とっても悪い子……懲らしめてあげなきゃ……ふふふ……』
気を失う前に聞いたイヅナの言葉がフラッシュバックした。
「っ!?」
思わず再び体を起こし、衝動的にベッドから降りて気が付けば身だしなみを整えていた。
どこかに眠っていた本能が「こんなことをしている暇はない」と警鐘を鳴らしていた。
こうなってしまうともう元には戻れず、仕方なく研究所のロビー――メインコンピューターがある部屋――に行った。
「起きて大丈夫なのですか?」
「眠る気にならなくてね」
「まあ、ジャパリまんでも食べるのです」
と袋に入ったジャパリまんを差し出してきた。
「ありがとう」
椅子に座っていただくことにした。お腹が空いている気はしなかったけど、体は求めていたようであっという間に食べきった。
「助手とかばんちゃんはどこへ?」
「……ああ、そういえば伝えていませんでしたね、お前は一晩眠っていたのです」
「じゃあ、僕がイヅナに会ったのは昨日のこと?」
「ええ、助手は図書館、かばんはロッジにそれぞれ戻ったのです」
そうか、一晩も寝ていれば頭の痛みも和らぐはずだし、道理で眠気もしなかった訳だ。
赤ボスが膝の上に乗って、目を緑にピカピカと光らせて何かしている。
「健康ノ問題ハナイミタイダネ」
やっていたのは健康診断だったみたいだ。しかし、緑色に光った目を見ていると、これまた昨日のイヅナの様子を思い出してしまう。あれは、ただの見間違いだったのかな。
「重い怪我ではないのですね、安心しました」
「――心配してくれてたんだ」
「当然です、この島の長なので…………何か?」
「ううん、別に」
「さて、まだここでやることはありますか? ないなら……私が送ってやるのですよ」
「うーん、じゃあ雪山まで」
「忘れ物の無いようにするのですよ」
あはは、小学生じゃあるまいし、忘れ物なんてしないよ。
――小学生の時実際にどうだったかは……やめにしよう、考えても分からないことだ。
博士に持ってもらって、雪山までひとっ飛びだ。
着くまでだんまりというのも暇だから、空中で博士とお話をした。
「お前が図書館で寝泊まりすれば、我々が読めない本を読んでもらえるのですがね」
と言ったので、博士の方を向いて
「そんなこと言って、絵本を読ませたことは忘れてないよ?」と返した。
「……むむ、まだ根に持っているのですか」
「博士だって、イヅナとの一件、水に流せてないんじゃない?」
そう言うと博士は少しニヤリと笑って、
「ヤなやつなのです」と。
「顔と言葉が合ってないよ」
「いいえ、よく合っていると私は思いますよ」
「はは、そっか」
でも、実際はイヅナと博士の関係はどうなっているのだろう。話を聞く限りだとあまりいいとは言えない出来事があったみたいなんだけど。
――この際だ、聞いてみてもいいかも。
「博士は、イヅナのことどう思ってるの?」
そう問いかけると一瞬驚いたような顔を見せ、少し考える素振りを見せた。
「そう、ですね……一言でいえば、ムカつくのです」
「ムカつく……か」
確かに好き勝手やってたり、怪我させたり、気に入らないと思われても仕方ないようなことはしていた。僕はイヅナを見捨てたくないけど、博士がそうでなくても、文句を言うことはできない。
「ええ、ムカつくのです、あいつはいつも逃げてばかりですから」
「逃げてばかり?」
「お前にとり憑き、夜の図書館で出会った時も、狐火を使ってすぐに逃げました……ゆうえんちでのパーティでも、適当な言い訳を付けて逃げた上に、私とは話そうとしなかったのです」
「……そうだったみたいだね」
確かに博士たちへの反応はイヅナが二人を疎ましく思っているような感じを受ける。
「邪険にされることに怒っている、と感じてますね?」
「え、ああ……うん」
「3日ほど前、イヅナがお前の元に現れたときはどうでしたか? 昨日会った時は? お前の話を、まともに聞きましたか?」
それは……違う。イヅナは自分が言いたいことだけを話して、やりたいことだけをやって去っていった。だけど、昨日の様子は自分を制御できていないように見えた。切り捨てるには、残酷すぎる。
「お前はきっと、イヅナに対して何かしないといけない、そう感じているのでしょうね」
「…………」
「ですが、それはお前だけにしかできないことですか? 我々には協力できないことですか?」
「……分からないよ」
イヅナに、何をすればいいかなんて。だから、誰にできるか、なんて分からない。
「このまま逃げ続けていては、いつか自分を見失うのです。誰かが、あいつを自分自身と向き合わせてやらなければ、いけないのです」
「向き合わなきゃ、いけない……」
「それはお前も同じですよ、コカムイ」
「……っ」
心当たりがあった、ずっと前の出来事から。
図書館でイヅナについて調べて、その正体を知った時も、僕は隠した。
イヅナの記憶を見せられて、『僕』が外では僕じゃない誰かだったことを知った時も。
あまつさえ昨日イヅナと出会ったことも、隠そうとしていた。
「お前たちはよく似ているのです、何かが違えば、お前がイヅナのようになっていた可能性もあるし、これからお前がそうなってしまうかもしれない」
「だから、向き合うことが必要なのです、お前も、イヅナも……さて、着いたのです」
「ありがとう……博士」
「それと、思い詰めすぎる必要はないことも、覚えておくのです」
「……うん」
「では、私はもう行くのです、今度図書館に来た時は、またあの『ジャパリカレーまん』を作るのですよ」
そう言って、博士は図書館の方向に飛び立った。
「キタキツネ、ギンギツネ、ただいまー」
声を掛けたけど、中から返事は聞こえない。
居間に入ってゲーム機を入れた鞄を下すと、テーブル、というかちゃぶ台の上にメモが置かれていることに気づいた。僕が書いたものかと思ったけど、違うみたいだ。
読んでみると、
『ゆのはなをみにいきます きたきつね』
と書いてあった。
全部ひらがなで、少しつたない字だけど、読むことはできた。
「へえ、文字書けたんだ……」
書けるなら読むこともできるのかな、と考えたけど、よく考えればあのメモは急いでいたせいで漢字かな交じりになっていた。これでは読める物も読めない。
「けど、湯ノ花かあ」
湯ノ花が装置に詰まっていると温泉が出なかったり電気が使えなかったりするから、詰まったとあれば見に行くのも不思議ではない。
ただ僕はその装置のある場所を知らないから出かけても遭難してしまう。帰ってくるまでゆっくりしよう。そう思い鞄からゲーム機を取り出した。
しかし、電源ボタンを押しても電源が入らない。充電切れかな……と考え充電プラグをコンセントに差してゲーム機につなぐと、充電ランプが点灯した。
ということはつまりもう電気は使えるんだ。となると湯ノ花は除去したということになるし、待っててもすぐに帰ってくるはずだ。
「暇だなー」
研究所では面白いことを多く知ることができた、だけどヒトのフレンズについては分からなかったし、オスの特徴を持つフレンズについても言及されている資料はなかった。やっぱり初めての現象なのかな。
「セルリアンに、サンドスター……」
ツタを出すセルリアンを生み出す原因になったのは、サンドスターを保存する研究だ。だけど、サンドスターを保存することで何が起きるのだろう。産業利用? 研究材料の長期利用を可能にする……? セルリアンが発生して、一つの実験室を廃棄することになっても続行したんだ、何かあるに違いない。
その思考を遮ったのは、地面だけでなく空気をそのまま大きく揺さぶるかのような轟音だった。
「……雪崩?」
外の様子を確認した。確かに雪が大きく崩落して雪崩が起きている。しかし、それとはまったく別の方向で起きていた事が、僕の目を釘付けにした。
紫のセルリアン。かつて研究所にいた、ツタを出す個体と全く同じ形状だった。
そのセルリアンに、キタキツネが襲われている。ギンギツネも助けようとしているけど、キタキツネがいるところはギンギツネよりも高い地形で、2人の間は急な坂だ。手間取っている。
「赤ボス、博士たちを呼んで! 図書館近くのボスに連絡を!」
「ワカッタ!」
応える赤ボスの声は普段より覇気のあるものだった。
でも、グズグズしていればキタキツネは食べられてしまう。
今にもセルリアンはその鎌型の腕を振り回し、キタキツネをその毒牙に掛けようとしている。
「ど、どうすれば……」
僕が助けに行けるのか? そもそも間に合うのか?
きっと間に合わない、だけどこんなところで指をくわえてキタキツネが食べられるところを見ているわけにいかない、いく訳がない。
やるんだ、助けるんだ。
そう思った僕の体は、思考よりも早く、他のどんなものよりも早く、動いていた。
「……ボク、もうダメなのかな?」
「ダメよキタキツネ、私が助けるから! 諦めないで!」
風を切って、ギンギツネの視界を横切って、僕は『飛んで』、セルリアンの攻撃範囲からキタキツネを持ち上げて連れ出した。
その時は、僕は自分が一体何をしたのか理解していなかった。
「大丈夫、キタキツネ?」
「あ……」
キタキツネはびっくりしているみたいだ。そりゃあ、突然現れて助け出された、となっても理解が追い付かないだろう。
だけど、キタキツネの視線は、なぜか僕の
「コカムイさん、どうしたの、それ……?」
「ど、どうしたって……?」
再びキタキツネの方を見ると、僕の腕の中でお姫様抱っこの形で持ち上げられているキタキツネが、
「あれ、何かついてる?」
キタキツネを下ろして頭の上を探ると、手に不思議な感触がした。例えるなら、イヅナの狐耳のような……しかしそれだけでなく、頭の上に触れられたような感覚がある。
「え……えっ!?」
思いついたように、両の手でそこについている狐耳を触る。確かにそれは、紛れもなく僕についているものだった。
さらに、後ろに視線を向け背中を見下ろす。
そこには確かに付いていた。キタキツネやギンギツネと同じ形で、イヅナと同じ色の、純白の尻尾が。それは本当に真っ白で、下手をすれば雪と見分けがつかないほどだ。
「耳も、同じ色……?」
「う、うん……それと、髪の毛も白くて……目も、赤い」
それは、イヅナの特徴と合致している。それが指し示すこと、それは――
「一体、なんで……?」
――僕は、キツネになってしまった。