7月、梅雨も定期テストも終わり、多くの生徒が夏休みへの期待に胸を膨らませる季節。
しかし、3年生にとってはこれから進路を考える一つの大きな節目であり、高校最後の1学期の終わりは、彼らに否応なく残りの時間が少ないことを思い知らせる。
「複雑だ……気が付けばもうこんな時期か、ハァ……」
「やっぱり、この学校に思い入れとかあるんですか?」
「ま、これで仮にも2年とちょっと通ってるからな」
思い出と言っても2年生の頃の話がほとんどだ。
何故かは知らないが、1年の思い出は殆ど残っていない。
慣れるのに精一杯だったか、あるいは時間が経ったせいか、それでも中学のことはぼちぼち覚えてるわけだ。
高1の記憶だけスッカラカンに抜け落ちてるのは不思議と言わざるを得ないな。
「神依さんは、進路どうするんですか?」
「進路かぁー、大学には行きたいが、どの大学に行くかな……」
大きく仰け反って腕を伸ばすと、後ろにいた遥都と目が合った。
「この時期に希望が定まってないって、危機感を持った方がいいんじゃないかい?」
「だろうけどな、行けるとこで一番いいの目指すか」
「もうちょっと考えた方がいいんじゃ……?」
「あー、夏休みのうちに考えとくさ」
さてと、ここまでの話で当然疑問に思ったに違いない、俺と遥都と会話をするこの人物は一体誰なんだ、と。
彼女こそが、先に述べた転校生だ。
名前は
かなりの優等生で、テストでも遥都が危うくトップを陥落しかけ、危機と言う危機を高校で初めて彼に味わわせた張本人である。
引っ越し先の家が割と近くにあったためか、紆余曲折あって仲良くなってしまった。
若干遥都の追っかけのようになっている節があるが、遥都がそれに言及することはない。
気付いてないのか無視しているのか、どちらにせよ学校での遥都は相変わらず本の虫である。
「後回しは良くないよ神依、オレが図書室にある進路関係のいい本を紹介してあげよう」
「おお、助かるぜ」
「善は急げ、すぐに向かうよ」
その言葉通り図書室まで直行した遥都の後に続いて俺も図書室に行った。
例に漏れず、白銀も俺たちについてきた。
図書室に着くと遥都は慣れた足踏みで本棚を漁り、自分と俺の分の本を数冊持ってきて机に置いた。
「じゃ、オレは
「進路の本は俺だけか?」
「もちろん、オレの進路はもう決めたからね」
「へいへい、奇妙な本ばっかり読ませやがって」
”奇妙な本ばっかり”、というのは本当の話だ。
ただの推理小説ならいざ知らず、名作の中の問題作を探し当てては実験でもするかのように俺に読ませてくる。
しかも感想文まで要求してくるんだから適当にも読めないのが困りものだ。
……まあ、お陰で学校の宿題が楽にこなせるようになったけどな。
話を戻して、なんと遥都は感想文の傾向? か何かを分析して、一つそこから俺の性格を探ろうと模索しているらしい。
お前は博士か! ……木葉博士だったな。
「お前もしや、コレの感想文なんて書かせないだろうな……?」
「そんな気はないけど……書くかい?」
「遠慮する、進路ガイドの感想なんて書けやしないぜ」
「ええと……その……」
声がして振り返ると、手持ち無沙汰の白銀が困った顔で手を動かしていた。
「白銀さんも、コレ読む? 神依のよりは面白いよ」
「進路ガイドと比べたら、そりゃな」
「え、いや、私は別に……座ってるだけでもいいから」
白銀はまごついている様子だ、ひとしきりウロウロした後、遥都の隣の椅子に座って、読んでいる本を覗き込んだ。
「白銀さんも興味あるのかい? だったらもう一冊あるから……」
「ま、待って、その、このままで……」
「え……そうか、分かった」
二人が肩を寄せて本を読んでいるのに、俺の手に握られているのは退屈で中身の薄い進路ガイドだ。イヤになって本を閉じ、前の二人の様子を眺めることにした。
「……もう一冊、あるんだけど」
「……いりません」
「……そう、か」
遥都は知らないが、白銀の方はいい気分のようだ。
見ようによっちゃ、中々
「……っ!?」
「神依、どうかしたかい?」
頭が痛い、視界が真っ暗になった。
耳鳴りがする、口の中が乾いていく。
「いや、何でもない」
そうだ、何でもない。頭はガンガンと痛んでいるが大したことではない。
今日は具合が悪いだけかもしれないし、もしかしたら退屈な本を読んだからかもしれない。
本当に何もなく、読み終えてから頭痛が襲ったのだって少し時間差があっただけだ。
だからこの程度の不調、
「ほ、本当に何でもないのかい?」
「ああ、この本が退屈すぎて辛かっただけだ」
ほら、もう一切痛くない。
これでいい、よく分からないが、分からないままの方がいいと直感した。
「その、は、遥都さん……?」
白銀が、そろそろと授業の時のように手を挙げた。
「えっと、その……な、何か私にお手伝いできることはないですか!?」
「いや、別に何も無いけどな」
「そう言わずに……ほら!」
「ほら! ……って言われても、特に行事も何もないし」
まあ、そうだろうな。
でも白銀は納得いかないみたいで、まだまだ食い下がる。
「で、でも、何か……ないんですか!?」
「な、何が君をそこまで駆り立てるんだい……!?」
「ふっ、アハハハハ……!」
「神依、笑っている場合かい?」
「いや、だって、ハハ、面白くて、ハハハハ!」
理由は知らんが、そうかそうか、つまりはそういうことだな。
「遥都の、
「じょ、助手ですか……!」
「おい神依、勝手に進めないでくれ」
遥都が止めるが知ったことか。
小学生の頃から”木葉博士”というあだ名を広め続けて早8年、ようやく俺の努力が一つの形で報われるのだ。
「木葉博士の、白銀助手だ、いいだろ?」
「わぁ……はい!」
白銀は目をキラッキラに輝かせている。
ここまで喜んでくれるなら、俺の数十秒での思い付きにも甲斐があったというものだ。
「なぁ、神依……?」
「おいおい、不満なのか?」
「ああ、大いにね、博士呼びはまだしも、助手なんて必要ないよ」
「えぇ……!?」
遥都のこれ以上ない直球な物言いに、白銀は撃沈……とまで行かなくともそれなりのショックを受けている。
「なるほど……なら白銀助手はやめだ」
「そうしてくれると有難いよ」
確か、フルネームだと白銀文未……だったよな。
「ミミ助手……いや、ミミちゃん助手だな」
「……は?」「……え?」
二人は揃って素っ頓狂な声を上げた。
「我ながら名案だな、じゃあもうこんな時間だ、俺は帰るぞ」
「ちょっと待て、神依!?」
「えっと、わわわ、何が何だか……」
去り際にでっかい爆弾を投下して、俺は颯爽と図書室を後にした。
これで、今まで遥都にやられた悪戯の10分の1はお返しできたはずだ。
10年近くにわたって遥都が増やし続けた
……素晴らしいことだ。
「……さて、ついて来てないよな?」
校門前で振り返ると、昇降口付近は下校する生徒で一杯だが、そこに見知った顔は何一つ見られない。
「ようやく一人で帰れるぜ」
ちょうど最近、一人で帰りたい理由もできちまったしな。
俺は帰り道に、分かれ道を
「何も、変わんねえな」
階段から見上げた神社は、見た目だけはかつて俺の目に映った姿と全く同じだった。
……その神社を守る
しかし、かつてそこにいた妖の気配は、微かな一つの気配を除いて無くなっていた。
爺ちゃんは死んだ。
一か月ほど前に、何の前触れもなくぽっくりと逝った。
最期に何を思ったのか、俺たちに聞かせる間もなく。
今でも神社には入れない。
約束をした爺ちゃんが死んでいなくなっても、この場所から妖が消えてしまっても、入りたくなかった。
俺が神社に入っても、誰もいないし、爺ちゃんも叱ってはくれない。
そしたら、本当に爺ちゃんが死んだと思い知らされる。
葬式には出られなかった。
その日はずっと家で泣いていた。
色んな事情で家族が神社を捨てたのに、みんなが神社も爺ちゃんも忘れたのに、妖怪も見限ったのに。
俺だけは、爺ちゃんの死を受け入れられないまま時間が止まっている。
でもそれって、俺だけは爺ちゃんを忘れてないってことじゃないのか?
「どっちが、いいんだろうな」
答えは出せない。
だけど、例え神社に入れなくても、今日ここに来れたのは良かった。
「けど……なんでだろうな」
それほど遠くない過去、誰かとここに
誰だろう、その人は……
「ま、いいや、分かんねぇこと考えても、
用事も済んだし、さっさと帰るか。
「ただいま」
「お帰り、今日は少し遅かったねぇ」
母さんはソファーで本を読んでいる。
「ああ、ちょっと図書室行っててさ」
「本読んでたのかい? だったら神依にも読んでほしいのがあるんだよ、ほら」
そうして母さんが読んでいた本を手渡された。
紅白で表現された珍しい配色の表紙には、『忘れたものを思い出すための本』と書いてある。
「……なんだこれ」
「いい本なんだよ、神依も」
「いらないよ」
そんなつもりじゃなかったけど、何故か食い気味に断ってしまった。
「なんだい、つれないねぇ、私なんてこれで思い出し放題、仕事が増えて大変だよ」
「大丈夫なのか?」
「そりゃ問題ないさね、こんなに元気元気さ!」
すると母さんは両腕をグルグルと回し始めた。
非常に元気である反面、これは非常に不味い兆候だ。
「……あ」
案の定、ここで母さんの動きがピタッと停止した。
またぎっくり腰だ……腕を回したのが原因なのは初めてだが、この症状そのものは何回も見ている。
「またか……母さん、ほら横になって」
「あ、ああ……済まないねぇ神依」
「全くだ、今帰ってきたばっかりだぞ?」
母さんももう年だと言うのに、この
「じゃ、俺は部屋に行くから、収まるまで大人しく寝てろよ?」
「ああ、ごめんね……」
「……気にしなくていいよ」
だからこそ、この年に達しても父さんと母さんは仲が良いんだろう。
……時々、俺の居場所が無いと感じるくらいには。
「疲れたな……」
なんとなくベッドに横たわり目を閉じた。
疲れて寝過ごしてしまったようで、次に目を開けた時、既に日付は変わっていた。
それでも眠い目を擦り、空っぽになった腹を満たすため、制服に着替えて階段を降りた。
そして学校にて普段と変わらぬ一日を過ごし、今日もまた家に帰ろうと教室を出たその時、横から声を掛けられた。
「あの、神依さん……」
声の主は白銀だった。
そう言えば、遥都と白銀はあの後一体どうなったんだ?
「おう、どうした?」
「相談があるんですけど、少しいいですか?」
急いで帰る事情もないから、白銀の相談とやらを聞くことにした。
「その、遥都さんのことなんですけど……」
「も、もしかして、遥都と何かあったのか?」
流石に悪ノリが過ぎてしまったかと冷や汗をかいたが、白銀は首を振って否定した。
「いえ、そうじゃなくて……遥都さんの好きな食べ物とか、知ってますか?」
白銀はもじもじしながら俺に尋ねてきた。
「あいつの好物か……チーズと、カレーと……饅頭とか、だな」
「そうですか、ありがとうございます!」
「だけど、なんで俺に聞くんだ? あいつ本人に聞いた方が早いだろ」
”その質問は俺にとってのパンドラの箱だったんだ。でも、俺はそれを白銀に問うてしまった、愚かにも、かつての惨劇を忘れたせいで。”
「その、それは……」
あからさまに白銀は口籠った。
様子からして、相当言いにくいことなのは確かなようだ。
もしや、喧嘩などしていないだろうか、仲直りのための食べ物なのか……?
「ああ、言いにくいなら言わなくていいぜ」
風に当たろうと思い、俺は教室の窓を開け放って外を眺めた。
「いえ、私、遥都さんが……」
「……」
「
「なるほどな、そういう訳か」
振り返ることなく、そう答えた。
”否、この時俺は振り返ることが出来なくなっていた”
「ま、アイツの迷惑にならない程度なら手伝ってやるよ」
「……あ、ありがとうございます」
案の定と言えばそうだが、まさか遥都のことを好きな人が現れるとはな。
まあ親しくなるとそんな気がしないだけで、案外人気はあるのかもな。
「あ、私、委員会の仕事があるのでこれで……」
「分かった、まあ……頑張りな、ハハ」
「……はい! じゃあ、また」
外を向いたままひらひらと手を振って、白銀がいなくなるのを待った。
「……行っちまったか」
脂汗がにじみ出て、体がどうしようもなく重い。
これは嫉妬? 違うさ、
「なんで、だよ」
なんとなく、理由は分かっている。
”好き”という言葉が、俺の消しようのない悪夢のような過去を想起させたんだ。
悪魔のような奇跡が、偶然にも俺を幸せな夢から覚まして
なんで、俺は忘れていた?
それは確かそう、神社だ。あの日の記憶は、神社に行った所で途切れている。
「ん、遥都か? ちょっと用が出来たんだ」
遥都に電話を掛けた。
「会えるか?」
確かめなければ、あの二人のことを。
「あの公園はどうだ? 小さい公園だ、昔よく遊んだろ?」
そう、まだ小学校に入りたての頃、3人で遊んだんだ。
「ああ、また公園でな」
携帯の電源を切って、空を見上げた。
そういや、白銀のことはどうしようか。
「どうでもいいか」
……どうせ、俺には関係のないことだ。