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本当に励みになります!
「思わずオッケーしちゃったけど、本当にいいのかな」
家に帰った後、自室で一人呟く。
勉強を教えるためとはいえ、大学生の男が中学生の女の子の家に行くなんて。
なんか倫理的にまずいような気もする。
まぁ、その。
チョビはまだまだ子供っぽいから、変な事にはならないと思うけど。
「問題は、俺の気持ちなんだよなぁ……」
そうなのだ。
気づいてしまった、チョビのことが好きだという気持ち。
そのこと自体には、もう嘘はつけない。
でも。
だからといって、恋人同士になるとか、そういうのは少し早いと思っている。
何せ、年齢が離れすぎている。
ともすれば、あらぬ誤解を周囲にあたえたり、チョビを傷つけたりしてしまうかもしれない。
だからこそ。
今のままの状態が、一番良いんじゃないのか。
チョビとは、これからも仲良くしたいし、一緒に遊んだり、ピザを食べたりしたい。
でも、そこに無理やり恋愛を持ち込むのは自重したほうが良いような……。
「はぁ……難しいもんだ」
ため息をついた瞬間、電話が鳴った。
着信はチョビだった。
うぉっ。
なんつータイミングだ。
ちょうどお前のことで悩んでいるときにかけてきやがった。
電話を取ると、チョビの元気な声が聞こえてきた。
「あの、お兄さん、こんばんわ」
「おう、こんばんわ」
なるたけ平然を装う。
「さっきお願いした、勉強会なんだけど、3週間後の日曜日でどうかな?」
あぁ、そういう話か。
俺はカレンダーに眼をやった。
ちょうど空いてるな。
「いいよ。でも、思ったよりも先だな。中間テストが近いんじゃないのか?」
「じゅ、準備があるんだ、いろいろとっ」
何の準備だよ。
教えてほしいところとかリストアップすんのかな。
急に色々訊かれて、答えられなかったら恥ずかしいかも。
〝あれれ~? お兄さん、いつも私のことアホ扱いしてなかったか?〟
ニヤニヤしたチョビがからかってくるのが目に浮かぶ。
うっ。
それはしゃくだな。
からかわれるだけならまだしも、
〝お、お兄さん……本当に大学生なのか?〟
そんな反応された日には目も当てられないぞ。
今まで築き上げてきた(?)大人の威厳が総崩れだ。
中学時代の教科書、ざっと読み直しとこうかな。
それはそれとして……。
実はもうひとつ懸念があるんだよなぁ。
「あのさぁ、チョビ子」
「なんだい、お兄さん」
「その日さ、親って家にいるの?」
そう。
そこが心配なのだ。
なんというか、親御さんにどう説明していいのかよくわかんないからな。
唐突に謎の大学生が『娘さんに勉強教えに来ました』って、変だろ。
俺が親なら警察に通報するぞ。
「大丈夫! お父さんとお母さんはお出かけだぞ!」
何が大丈夫なのかわかんないが、高らかにそう宣言された。
「うちの親って仲良いんだ。二人で買い物とかに行ったら夜まで帰ってこないし」
やけに自慢げにそう言った。
仲がいいのが嬉しいみたいだ。
そうか。
いないのか。
少しほっとしたぜ。
って、よく考えたらそれはそれで、まずくないか?
「それじゃ、弟は?」
「朝から部活に行くって言ってたぞ」
マジかよ。
完全に二人きりじゃねーか。
え?
それっていいの?
勉強教えるっていったら、たぶん部屋だよな。
部屋で二人きりってことか?
なんか、あらぬ妄想をしてしまいそうになり、俺は首を振る。
ちょ、チョビ相手に変なこと考えてどうすんだ。
相手はまだ中学生なんだぞ。
俺のそんな葛藤も知らずにチョビは嬉しそうだった。
「お兄さんと一緒にお勉強、楽しみだなー」
心底待ちきれないといったウキウキとした声。
邪念が無いというか、純粋というか。
意識しすぎな自分が恥ずかしくなってくる。
チョビへの気持ちに気がついてから、おかしいぞ俺。
「ところでお兄さんは、大富豪と神経衰弱どっちが好き?」
…………おい。
俺は思わず電話の向こうにいるチョビにエアチョップを入れた。
「勉強の合間に遊ぶ気満々じゃねーか!」
「きゅ、休憩も大事だかんな」
「スパルタで行くからな」
「ひ、ひどいぞ、お兄さん」
チョビが唇を尖らせているのが目に浮かぶ。
俺は思わず笑ってしまった。
と同時に、少し肩がほぐれた。
チョビはあんまり二人きりとか気にしてないみたいだし。
こっちだけが妙に緊張してると、変になりそうだ。
できるだけ、平常心でいこう。
そう、そのほうが良いよな。
* * *
とは思ったものの。
いざその日がやってくるとやはり緊張する。
約束の日、俺は電車に乗りながら「平常心、平常心……」とつぶやいていた。
結構な不審者に見えたことだろう。
チョビの家の最寄り駅が近づいてくると、心臓が早鐘のように打った。
くそっ、どうしたんだよ、俺。
でもまぁ、その……。
何気に、女の子の家に遊びに行くのって初めてなんだよな。
友達少なかったんだよ、昔から。
悪いか。
最寄り駅で降りて、改札口を出ると、チョビが待ってくれていた。
白いワンピースの上に爽やかな淡いブルーのカーディガンを羽織っている。
か、可愛い。
見た目だけで言うと、雑誌の街角スナップに載っていてもおかしくない感じ。
なのだが。
「や、やぁ。お兄さん」
ギギギ、と、機械音が鳴りそうなほどカチコチの動きでチョビが手を上げる。
お前も緊張してるのかよ!
電話口だと平気そうだったくせに。
あれか。
いざとなると怖気づくタイプか。
いや、ちょっと安心したけど。
俺だけが意識しまくってたら恥ずかしいからな。
「お、おい、チョビ子。動作が硬いぞ」
「お、お兄さんこそ」
「「…………」」
図星過ぎて会話が続かない。
なんかお互いに照れた感じで向き合ったまま固まってしまう。
ここはちょっと、雰囲気をほぐさねば。
冗談のひとつでも言っておくか。
「チョビ子、ジャージじゃないんだな」
俺の言葉にチョビがずっこける。
んでもって突っ込んできた。
「ジャージなわけないだろ!」
「いや、地元だし。なんかジャージでうろついたりしてそうだから」
「し、しないからっ」
顔を真っ赤にして否定。
「ふんっ。知らない」
拗ねたようにぷいと後ろを向いて歩きだす。
「あ、待てよ」
あわてて後を追った。
知らない町なんだからな。
見失ったら大変だ。
適当にチョビをなだめたり、またからかったりしながら歩く。
小さな商店街を抜けようとした瞬間。
コロッケ屋のおばさんが声をかけてきた。
「あら。千代美ちゃん。今日は可愛い格好ね~」
「うぇっ!?」
チョビがびくっと反応する。
いつも買い物をしてるお店なのか、おばさんは親しげだ。
俺はいいことを思いついた。
「女の子らしい格好、似合うのにもったいないですよね」
適当にあわせてみる。
「どちらさま?」
「兄です」
「ち、違っ……むぐぐぐっ」
否定しようとするチョビの口をふさぐ。
俺の適当設定を信用したおばちゃんが話しに乗っかってきた。
「そうなのよー。千代美ちゃん可愛いから。スカートとかちゃんと履いたら良いのにね~。ほら、なんだっけ。〝戦車道〟って書いてあるジャージばっかり着てるでしょ~」
おばさんが楽しげにおしゃべりを始める。
あ、やっぱジャージだったか。
しかも戦車道。
ブレないヤツめ。
「チョビ子、お前やっぱ普段は……いてっ」
思いっきり脇腹に肘を入れられた。
その後、拗ねてしまったチョビをなだめるのに時間がかかったのだが。
「でも自然体も良いと思うぜ。ジャージのチョビも普通に可愛いだろうし」
何気なくそう言うと、やたらと顔を真っ赤にして許してくれた。
* * *
さて、チョビの家なんだが……。
「じゃんっ! ここだぞ」
自慢げに指さすその先はかなり古い家だった。
〝小遣いが少ないんだ〟とかよく言ってるから、お金持ちの印象はなかったけど。
予想以上にボロい。
一応一軒家ではあるのだが、平屋の木造建築。
築50年は経っていそうだ。
「せ~のっ」
掛け声をかけて、ガタガタと音のする引き戸を開ける。
中は薄暗い。
けど、チョビが入り口の電灯をつけると、明るくなった。
「さ、お兄さん。入って入って」
俺が来たことが嬉しくてたまらないというようにチョビが背中を押す。
玄関に足を踏み入れると。
印象が変わった。
「おぉ……」
思わず、感嘆。
外見は古いけど、中の整理がちゃんとされていたからだ。
壁とか、床とか、経年劣化で痛んではいても、すごく大事に使っているのがわかる。
この家に住んでいる人が、自分の家を大切にしているんだってことが伝わってくる。
「お、お兄さん?」
チョビがおずおずと話しかけてきた。
「そ、その……。うち、古い家で、ごめんね?」
「いや、そんなことないぞ」
俺は即答した。
「俺、好きだわ、この家。住んでる人の愛情みたいなのが伝わってくる」
その言葉にチョビがぱぁっと笑顔になった。
「え、えへへ、そうだろ?」
まだまだ成長中な胸を張る。
「お祖父ちゃんが昔、頑張って建ててくれた家なんだ」
「そっかぁ」
その家を家族みんなで大事にしてるってわけだ。
俺は、自分の一人暮らしのアパートを思い浮かべた。
ろくに片付けとかしてないかも。
……家帰ったらちゃんと掃除しようかな。
チョビに案内されて、廊下を歩く。
台所を抜けた先にチョビの部屋があるらしい。
ってか、普通に部屋に入れてくれるのか。
やべっ。
またドキドキしてきた。
「お、お兄さん」
部屋の前で、ぴたっとチョビが立ち止まる。
かなり緊張した面持ちで、障子に手をかけた。
ぎゅっと目を閉じてゆっくりと開く。
「ど、どうぞ。わ、私の部屋、だぞ……!」
恥ずかしげに、俺を見つめる。
「そ、それじゃ、入らせてもらうな」
「う、うん」
人生初の、女の子の部屋。
一歩を踏み出すと、そこには……。
「…………何にも無ぇ」
本当に何もないぞ。
片付いてるとかいうレベルじゃない。
窓際のベッド以外、まったく何もない。
ってか、本棚に一冊も本がないとか不自然すぎるだろ。
「……チョビ子?」
「あ、え? な、何かおかしかったか?」
「いや、おかしいというか」
じっとチョビを見つめる。
チョビが目をそらす。
「お前。これ。何もかも押し入れに突っ込んでるだろ」
「そ、そそ、そんなことはないぞ」
「じゃ、押し入れ開けてみ?」
「そんなことしたら戦車道グッズが零れ落ちてくるぞ……あっ」
やっぱりか。
「ふんっ」
押し入れの障子を開けてやる。
「うぎゃー! や、やめろー!」
ばさばさー。
戦車のフィギュアやら、学園艦のペナントやら、丸めたポスターやら何やらが雪崩状態だ。
ってか、折り畳みテーブルとか教科書とか座布団とかまで落ちてきたぞ。
「……お前、教科書まで押し込んでいったい何を勉強する気だったんだよ」
思わずあきれ顔の俺。
「うぅぅ、片づけてたら、何処まで片づければいいのかわからなくなっちゃったんだー!」
チョビが涙目で縋り付いてきた。
「はぁ、しょうがないなぁ。とりあえず、必要なものだけは出そうぜ」
「うぅぅ。わ、わかったぞ」
テーブルと、教科書と、ノートと……ん? なんだこれ。
文庫本か?
タイトルは…〝不器用姫と……〟
しゅばっ。
すげー勢いで、手に持った本を奪い取られた。
「み、みみみ見たか?」
相当に焦ったチョビが耳まで真っ赤して問いかけてくる。
「いや。ちらっとしか」
「お、お兄さんはやっぱり、あっち向いててくれ!」
しょうがないから、後ろ向いてぼんやりと窓のほうを眺める。
よくよく見ると、カーテンの意匠が可愛い花柄だった。
ベッドサイドに置かれた小さなライトにも、北欧風っていうのかな?きれいな柄のカバーがかぶせてある。
それに、なんか部屋全体に良い匂いがする。
「…………」
ずるいよな。
ガサツなように見えて、こういう細かいところがどうしようもなく〝女の子〟なんだから。
「もうこっち向いていいぞ」
その言葉に振り向くと。
ちゃんと床の上に絨毯とテーブルが設置されていた。
教科書とノート、それに文具類も用意されていてばっちりだ。
ってか、ノートの表紙が戦車だった。
ジャ〇ニカ学習帳みたいなデザインなんだけど、虫とかじゃなくて戦車の写真。
「お兄さん、お目が高い」
自慢げにニヤリと笑うチョビ。
「戦車道連盟特別仕様のノートなんだ! レアものだぞ! 特にこれは私のお気に入りのP40が表紙ってわけ!」
どこで売ってんだよ、そんなん。
よくよく見ると、筆箱も。
可変式の戦車型だ。
うわぁ、こういうギミック筆箱持ってる奴いたなぁ……子供の頃。
俺は思わず突っ込んだ。
「小学生男子か! お前はっ」
「な!? お、女の子だぞ!」
「こんな筆箱使ってるやつのどこが女の子だよ」
「う、うっさいなぁ!」
自慢のギミック筆箱を握りしめて牙をむく。
そんなチョビを見ているとさっきまで感じていた女の子らしさはどこへやらだ。
前言撤回だな。
やっぱこいつ、まだまだガキンチョだわ。
やれやれと首を振って、俺もカバンから自分の筆箱を出す。
「ま、いいや。勉強始めようぜ。どこがわかんないんだ?」
「えと……全部」
思わずズッコケそうになる。
まぁ、たまにあるよな。
何から始めたらいいかわからないってケース。
どうするかな。
一から教科書に沿って講義をするほどの時間はないし。
「そんじゃ、とりあえず、算数にするか」
「なんで?」
「これまで接してきて、お前が数字に弱いってことは把握してるからな。あと、記憶問題をここで一緒にやってもさほど意味はないと思うし」
「な、なるほど」
チョビがほへーっという顔をする。
「とりあえず中間テストで良い点とろう。範囲を教えてくれ。範囲内で問題解いて、わかんないところを俺が教えるから」
「わ、わかったぞ!」
こうして、勉強会が始まった。
チョビからざっと今習ってる範囲を教えてもらって、俺はその範囲の教科書をチェック。
重要そうな部分をピックアップしておこう。
その間、チョビには問題集を解いてもらう。
しばし、時間が過ぎたころ。
「あっ」
チョビが声を上げた。
「ん? どうした?」
「ピザの問題だ」
「どれどれ?」
問題集をのぞき込む。
「ひゃっ」
チョビが悲鳴を上げた。
「お、お兄さん、急に顔を近づけられたら、て、照れる……」
「ご、ごめん」
慌てて距離をとる。
問題の内容は……。
二種類のピザの大きさを比べるというものだった。
ラージサイズとレギュラーサイズ、どちらが得をするか。
あぁ、なんかよくあるよな、こういうの。
スタバでグランデとトールどっちがお得かとか。
「チョビ子、わかるか?」
「う~ん……」
額に指を当てる。
「考えてみる」
「わかった」
こういうところ、チョビはすごくしっかりとしている。
簡単に「わかんないから答えを教えて」と逃げない。
わからないなりにも、自分で考えて解を探そうとしている。
悪あがきともいえるんだけど、大切なことだと思う。
俺は、アズミがチョビにリーダーの素質があると言っていたことを思い出した。
こういう、腰が据わった態度って、確かにリーダー的なのかもしれない。
「もしかして、値段もかかわってくる?」
チョビが問いかけてきた。
俺はうなづく。
「そっか。ということは……わかったぞ!」
真剣な表情でガリガリと鉛筆をノートに走らせる。
「両方の面積を出して……。同じ分量での値段を比べればいいんだ!」
おぉ!
やるじゃないか!
「どうだ! お兄さん!」
ドヤ顔で答えを見せつけてくるチョビ。
「……やり方はあってるけどな。計算で凡ミスしてるぞ」
「な、なんでだぁ~」
あ。撃沈した。
* * *
2時間ほど勉強を続けているとお昼時になった。
午前中からずっと続けていたからな。
そろそろお腹が減ってきた。
「なぁ、チョビ子。ちょっと休憩するか?」
「…………」
聞こえていないらしい。
真剣な表情で、ノートに筆を走らせている。
一緒に勉強して初めて気が付いたことだが、こいつの集中力はなかなか凄い。
エンジンがかかるまでは時間がかかるが、やり始めたらのめりこむ性質だ。
一途というか、なんというか。
あんなに苦手そうだった算数の問題を、拙いながらもわき目も降らずに解き続けている。
とはいえ……。
息抜きも必要だ。
「おーい、チョビ子さん」
俺はちょっとふざけて、足を延ばしてテーブルの下でチョビの足をつついてみた。
「ふひゃっ!!」
唐突な刺激に、チョビが飛び上がる。
「な、なななななにをするんだお兄さん」
「そろそろ休憩しようぜ。もうお昼過ぎだ」
「え?」
時計を見る。
「あ、ほ、ほんとだ!」
「お前、すげー集中してたな。えらいぞ」
褒められ慣れてないのか、嬉しそうな表情ではにかんだ。
「な、なんでだろう。いつもはもっとだらけちゃうんだけど。……お兄さんが、そばにいてくれたからかな」
「頑張ったご褒美に、ピザでもデリバリーしてやろうか。俺がおごるよ」
「あ、いや、いいんだ!」
チョビが、ばっと立ち上がった。
「あの。今日は、私、お昼を用意してるんだ」
「え? そうなのか?」
「う、うん。っていうか、その。お昼、作ろうかと思って」
作る?
え?
それって手作りってこと?
「あの、ほら。海に行ったとき。お兄さん、おにぎり喜んでくれただろ? だ、だからその。また何か、作ってあげようと思って」
まじか。
「それに。きょ、今日は、私のほうがお礼しなきゃだから」
ぎゅっと目を閉じて、宣言する。
「て、手料理、食べてほしいぞ!」
すっげー嬉しい。
こんなん、断れるわけないだろ。
「わかった。ありがとう、チョビ子。それじゃごちそうになるよ」
「ほ、ほんとか!」
「もちろん」
「あ、あの。まだ料理に慣れてないから、へたっぴかもしんないけど、いいか?」
「まずかったら全部お前に食べてもらうから大丈夫だぞ」
俺は冗談めかしてそう言う。
「い、いじわる」
チョビは口をとがらせつつも、楽しそうだった。
* * *
「ちょっと待っててくれよな」
と言ってチョビが障子を開ける。
障子の向こうはすぐキッチンだ。
「手伝おうか?」
「大丈夫。お兄さんはゆっくりしてて。あと」
「あと?」
「は、恥ずかしいから作ってるところ見るのは禁止な」
そういうもんなのか。
ぱたっと閉められた障子の向こうに、ぼんやりとチョビのシルエットが浮かんだ。
エプロンを結んでいる動作が見える。
なんでだろう、女の子がエプロンつけてるところって妙に可愛く見えるんだよな。
それから、エプロンを付けたチョビのシルエットはパタパタと動き回る。
何を作ってくれるんだろうか。
自宅のキッチンだし、家庭的な雰囲気のものかな。
味噌汁とご飯が似合いそうな。
そんな想像をして、しばらく待っていると。
何とも香ばしい薫りが漂ってきた。
それは、俺の、というか俺たちのよく知っている薫りだった。
トマトベースのソースとチーズが混じった香り。
「お待たせ、お兄さん!」
満面の笑顔でチョビが障子を開ける。
両手で大きなお皿を抱えていた。
「ふっふっふ。何を作ってたと思う?」
自信満々の表情でいたずらっぽく笑うので、俺は先に言い当ててやった。
「ピザだろ、チョビ子」
「んなっ!? なんでわかったんだ!?」
俺は苦笑した。
「そりゃわかるさ。お前と一緒にこれだけたくさん食べてきたんだからな。焼けたチーズの匂いですぐにピンときた」
「さ、さすがお兄さん。うぐぐぐ、せっかく驚かせようと思ったのに」
冗談めかして悔しそうにそう言うと、机の上にお皿を置く。
お皿には大きなサイズのピザがあった。
「いや、正直驚いたぞ。ピザって自宅で作れるものだって思わなかったから」
その言葉にチョビがぴくんっと反応する。
「そうだろ? そうだろ?」
あ。
待ってましたとばかりの反応だ。
「この間、オーブンで焼いたピザのお店に行っただろ?」
「アメリカ風ピザの店か」
「オーブンで作れるなら、自宅でもできないかなって調べてみたんだ。お魚を焼くグリルかフライパンがあれば作れちゃうんだぞ!」
えっへんと胸を張り、ピザを指差す。
「今日はお魚のグリルで焼いてみたんだ。上手くできるか心配だったけど、ちゃんとチーズがとろとろになってて良かった」
お皿の上の手作りピザは、お店のもののような整った形じゃなかったけど。
俺にはお店のピザよりもおいしそうに見えた。
「これってさ、もしかして、生地も手作り?」
「う、うんっ!」
気がついてくれたことが嬉しくてたまらないというようにうなずく。
パンの生地みたいにこねて醗酵させたのかな。
だとしたら、かなり手間と時間がかかったはずだ。
朝早く起きて生地まで作ってくれていたのか。
それはちょうど天気の良い日曜日のお昼時。
キラキラと輝く陽光が窓越しに溢れ、手作りピザを照らしていた。
もちろん、俺の目の前に座っているチョビも。
明るい日差しに照らされたチョビは、最高に可愛かった。
俺は、なんだか気恥ずかしくなってしまった。
目の前の可愛い女の子が、俺のためにピザを手作りしてくれた。
そのことが、とんでもなく嬉しかった。
胸の奥が温かいもので満たされるようだ。
「さぁお兄さん、冷めないうちに食べてほしいぞ」
「それじゃ一枚もらうな」
「うん!」
チョビに促されて、一切れ手に取る。
少し不格好だけど、頑張って円形に整えられた生地の上に載っているのは、玉ねぎ、オリーブ、プチトマトに……何だろう? こげ茶色の、肉の塊みたいなの。
ツナってわけじゃなさそうだし。
「チョビ子、これって?」
「まぁまぁ、食べてみて」
にひひっといたずらっぽく笑う。
促されて、一口食べてみると。
誰もが家庭で食べたことのある、懐かしい味わいが口の中に広がった。
噛むごとに肉汁がじわっと染み出すそれは。
「もしかして小さくちぎったハンバーグか?」
「当たり!」
チョビがサムズアップ。
「お母さん直伝の手ごねハンバーグだぞ。免許皆伝まで時間がかかっちゃった」
「もしかして、電話で言っていた準備って、これのことだったのか?」
「え、えへへ」
やられた。
勉強の準備かと思ってたよ。
今日一日家庭教師をおおせつかった身としては「勉強しろよ」と言わなくちゃならないのかもしれないけど。
「せっかくだからどうしても、お兄さんにうちの味を食べてほしかったんだ」
はにかんでそんなことを言うチョビが可愛すぎて、叱ることなんてできやしない。
というか、嬉しすぎる。
チョビがいろいろ考えて、このピザを作ってくれたってことがすごく伝わってくる。
思わずニヤけてしまう自分の表情を正面からチョビに見られたくなくて。
俺はお手拭きで手を拭くと、立ち上がった。
「ん? どうした? お兄さん」
「このっ、このっ、チョビ子のくせに~」
チョビの頭のツインテの根元のあたりを両手で挟んでグリグリしてやった。
「うぎゃっ、やめ、やめろ~!」
チョビが楽しそうにジタバタする。
「このっ。やり返してやるぞ」
「させるかっ」
そんな風にちょっとだけ遊んだ後、ピザが冷めるといけないからってことで大急ぎでテーブルに戻る俺たちなのだった。
* * *
「あ~、美味しかった」
大きなお皿いっぱいのピザをすっかりと食べ終えて、俺たちは一息をついた。
チョビが作ってくれたピザは、本当に美味しかった。
それは、試行錯誤しながら作ってくれた拙いピザだったけれど。
正直、これまで食べたどのピザよりも美味しく感じられた。
「なぁ」
「ん?」
「俺、お前のこと、好きだわ」
自然にそんな言葉が口をついて出た。
それは、俺自身にしても予想外の言葉だった。
言うつもりなんてなかった。
言ったら、だめだと思っていた。
なのにその瞬間、なぜか、俺は言ってはならないはずの言葉を発してしまっていた。
沈黙。
チョビが、唖然とした表情で俺を見つめていた。
自分の言ってしまった言葉の重みが、数秒遅れで俺に圧し掛かってきた。
俺は、自分の口元を抑えた。
けれども、もう遅かった。
チョビが、俺をじっと見つめる。
まるで、時が止まってしまったようだった。
「え。あ。い、いま、好きって言った?」
確かめるように。
チョビが、茫然と口を開いた。
俺はどうすればいいかわからなかった。
反応がないことを知ると、もう一度チョビが問いかけてきた。
「い、言った、よね? 今、好きって」
俺は……。
小さく、うなづいた。
発してしまった言葉を裏切りたくなかった。
チョビに向けて言った言葉を。
濁してしまいたくなかったからだ。
「で、でも、俺は」
違うんだ、今すぐどうとかいうんじゃないんだ。
そんな言葉を続けようとしたのだが。
目の前で、チョビが唐突に泣き出してしまった。
「お、お兄ぃさぁん……」
「ちょ、チョビ子!?」
「ず、ずるい、ずるいぞぉ!」
涙でべちゃべちゃになった顔で、俺に言う。
「きょ、今日は、私。いろいろ準備して。お洒落して。ピザとか作って、喜んでもらって。べ、勉強も頑張って。そんで、そんでぇ……」
こみ上げる気持ちに耐えられないというように、つっかえながら言う。
「か、帰る前に、ちゃんと。私のほうから告白するつもりだったのにぃ……!」
そう叫ぶと、がばっと俺に抱きついてきた。
子猫みたいに、つむじを俺にこすりつけて、呟く。
「わ、私も。お兄さんのことが、大好きだぞ……」
そう言って、見上げた表情は。
涙でボロボロだったけど、最高に幸せそうだった。
俺は……。
チョビを、ぎゅっと抱きしめた。
様々な迷いが、その一瞬に吹き飛んでしまった。
俺とチョビの間には、まだいくつか問題が横たわっているけれど。
チョビを受け止めることが、今一番チョビを喜ばせてあげられることだ。
そう思ったからだ。
* * *
しばらく、二人で抱き合って過ごした。
どれぐらい時が経ったのだろうか。
数分かもしれないし、数秒かもしれない。
感覚が麻痺していた。
このままだと、一生こうして過ごしてしまいそうだ。
それぐらい、チョビの柔らかくて小さな体を抱きしめることは心地よかった。
けれども、いつまでもそうしているわけにはいかない。
大人の俺のほうが、自分を律する心を持たなきゃならない。
「チョビ子」
「んぅ……」
小動物のような声を出して、チョビが俺を見上げる。
涙はもう、すっかり止まっていた。
「これ以上抱き合ってるのはまずいからさ。その、とりあえず離れようぜ」
俺がそう言うと、チョビは少し名残惜しそうだったけれど、体を離してくれた。
「わ、私……すごいことしちゃってたぞ……」
強く抱きしめあったことがよほど恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして呟く。
「あ、あのさ、チョビ子」
「は、はいっ。なんでしょう」
テンパっているのか、めったに使わない敬語になってやがる。
「その、お互いの気持ち。わかったわけだけどさ」
俺の言葉にすごい勢いで肯首する。
「で、できるだけ、抱きついたりとかはナシな」
「うぐっ!」
チョビが盛大に反応する。
「そ、そそそ、そうだな、は、恥ずかしいもんな」
というかまぁ、どちらかといえば倫理的な問題なわけだが。
「で、でも……」
チョビが俺を見つめてきた。
「そ、その、たまには、ダメか?」
うっ。
そんな目で見つめるな。
俺はしどろもどろになる。
「ま、まぁその、た、たまになら」
「やった!! そんじゃ、そんじゃ、手を繋いだりとかは?」
「そ、それぐらいなら、まぁ」
「へへへ~」
ニコニコとしながら歩み寄ってきて。
「えいっ」
体をくっつけて真横に座ると、ぎゅっと手を握ってきた。
小っちゃくてふにゃふにゃしてやがる。
んでもって暖かい。
これまでも何度か手は繋いできたけど。
今日のはちょっと、意味合いが違う。
「べ。勉強しろ。もう休憩は終わりだ」
俺がそう言うと。
「はーい!」
返事だけはいっちょ前だが、全く手を離す気がないチョビだった。
* * *
そのあとはどうのこうの言いながらもちゃんと勉強を開始。
お互い照れくさかったからか、あまり雑談せずに集中したのでかなり範囲を進めることができた。
チョビは、きっかけさえあれば要領をつかめるみたいで、結構むつかしい問題も解法がわかるようになってきた。
気が付くともう夕方だ。
さすがに親御さんが返ってくるとまずいから、お暇することにした。
「……む、むしろ挨拶してほしいぞ」
チョビは何かもごもごと呟いていたが、すぐに俺の後をついてきた。
家の外に出ると、かなり冷たい風が肌を刺した。
家の中の温度との差ってのもあるが、秋が深まっている証拠だ。
「お兄さん、今日はありがとう」
チョビが言った。
「それはこっちのセリフだよ。ピザ、すっごく美味しかったぜ」
ふにゃっと微笑むと、チョビは俺の横に並んだ。
自然に手を握ってくる。
「駅まで送るね」
「お、おぅ」
俺は鼻を掻いた。
二人で、ゆっくりと歩く。
地方都市の住宅街。
俺たち以外、誰もいない。
夕暮れが夜に変わりかけている路地を歩いていると、二人きりの別世界に迷い込んでしまったみたいだった。
小さな公園のそばを通りがかったとき。
チョビが足を止めた。
「お兄さん」
「ん?」
「覚えてる? ピザ屋さんのそばの公園で見かけた、その……」
もじもじとしながら、呟く。
「き、キス……してた人」
あー。
いたな。
たまたま遭遇したんだよなぁ。
もうあれって5ヶ月ぐらい前の出来事なのか。
「そ、その。お兄さん」
きゅっと、チョビが俺の服の裾を引っ張った。
チョビのほうを向くと。
すっげー潤んだ目で、俺を見つめてきやがる。
その表情は、子供っぽいいつものチョビと、少し違っていて。
なんというか、その、あ、艶やかっていうか。
「もうすぐ、駅に着いちゃうから」
ポツリと、そう言うと、俺を見上げて。
「お、お別れ前のキス、してほしいぞ」
戸惑う俺に向かって、とんでもないお願いをしてきたのだった。
※※※※※※※おまけ・アンチョビのターン※※※※※※※
ちょっとドリルっぽいツインテールの少女が雑誌コーナーをうろちょろしている。
手にとりたい本があるのだが、恥ずかしくて勇気が出ないといった様子だ。
数回、その雑誌の前を行き来した後、人がいないことを確認してようやく手に取った。
〝大好きな人に作ってあげたい愛情料理特集〟
そんな見出しが躍るティーン向け情報誌。
アンチョビは雑誌をぎゅっと抱いて、つぶやく。
「だ、大好きな人……」
即座に純一の顔が思い浮かび、思わず頬が熱くなる。
ページをめくると。
〝彼との距離が急接近!? 手料理は男の子を夢中にさせる最強ツールだよ〟
ここがポイントというように人差し指を立てたモデルの女の子の写真と一緒に、そんな言葉が書かれている。
「や、やっぱりそうなのか!」
アンチョビは顔を上げた。
「お兄さん、お料理作ってあげたら喜んでくれるかな……」
しかし。
我に返って、アンチョビは首を振った。
「で、でも……急に手料理なんて作ったら、変なやつって思われちゃうかも……」
そ、それに、手料理を食べてほしいっていうのも、なんかすっごく恥ずかしいし……。
あぁぁぁぁ、どうしよう。
お兄さんに手料理を食べてほしいけど、どうすれば不自然じゃないんだろう。
ひとしきり悩んでから、アンチョビは盛大にため息をついた。
ダメだ、良い方法が思いつかない。
「とりあえず今日は小説を買って帰ろうかな……」
しょんぼりと、少女向け小説のコーナーへと向かう途中、学習参考書のコーナーを横切る。
「はうっ。勉強もしなきゃ……」
思わずつぶやいた瞬間、素晴らしいアイディアがひらめいた。
「そ、そうだ! 勉強を教えてもらって、そのお礼ってことにすればいいんだ!!」
ポンッと手を叩く。
パンツァー・フォー!と叫びたいところだが、ぐっと我慢。
「そうと決まれば!」
今月のお小遣いは小説じゃなくって、お料理の勉強の本に使うぞ!
「何をつくろうかな」
家庭的な和食、おしゃれな洋食。
いろんな料理が頭に浮かぶけれど。
「…………ピザ」
アンチョビは、先日食べたアメリカ風ピザを思い出した。
窯がなくても作れるピザ。
もしかしたら、家庭でも作る方法があるかもしれない。
手作りのピザがもしも作れたら。
きっと純一は喜んでくれるはずだ。
だってピザは、私とお兄さんにとって特別な料理だもの。
「よぉーし、頑張るぞぉ!」
元気いっぱいにガッツポーズをしてから、あることに気がついた。
「そ、そそそういえば」
アンチョビは頬を赤く染める。
「勉強を教えてもらうってことは、わ、私の部屋で二人きりっってことかっ!?」
純一と二人っきり。
もしかしたら、ちょっとした瞬間に、指とか触れちゃうかも。
そしてそのまま……。
「う、うわわわわっ」
妄想が爆発しそうになり、慌てて我に返る。
「な、何を考えてるんだ私はぁ~!!」
ぽかぽかと自分の頭を叩く。
「だめだだめだ! あんまりうろたえてると、お兄さんに変な子だって思われちゃうぞ」
そう自分に言い聞かせるチョビ子だった。
(続く)
とうとう手作りピザまでたどり着きました。
高いピザだから美味しいとか、有名な店だから美味しいとかじゃなくて。
どんなピザでも、好きな人と一緒に食べるから美味しい。
そのことに二人が気づいていくというのが、本作で一番書きたいことなんです。
好きな女の子の手作りピザなんて、その究極系かな、と。
少しでも楽しんで読んでいただけましたら、幸いです。