「うぅぅ、憂鬱だ……」
バイト先のゲーム制作会社の休憩室でつぶやいた。
仕事が憂鬱なわけではない。
むしろゲーム好きが高じて始めたバイトだ。
今はまだ、デバッグ作業ばっかしか任せてもらえていないけど、やりがいを感じている。
俺が憂鬱を感じているのは、チョビが、この近くのピザ屋に行きたがっていることだ。
2度目の食事の後、これからも一緒にピザを食べる約束をした。
そのことは単純に嬉しい。
チョビと一緒にピザを食べるのはすごく楽しい。
だが。
バイト先の近くの店ってのが問題なのだ。
「だってなぁ……ギャルゲーだもんなぁ……」
俺が今バイトをしているこの有限会社FOCUSは、いわゆる美少女ゲームを専門的に開発している会社。
18禁作品ではないことがまだしも救いだが、はっきり言って、かなり際どい作品もある。
ついさっきまで俺がデバッグ作業に没頭していたゲームも、猫耳の美少女と同居するという内容だった。
パンチラとか、お風呂シーンとか、そういうのがいっぱい出てくる。
チョビがそのことを知ったらどんな反応するだろう。
“お、お兄さんって変態さんだったのかっ?”
ウジ虫を見るような目で睨まれるかもしれない。
もう一緒にピザ食いに行ってくれなくなるかも。
それとも、泣き出してしまうだろうか。
エッチなゲームとかに免疫なさそうだし。
まだ中学生の子供だもんな。
“お、お兄さんが、こ、こんなゲームを作る人だったなんて……”
顔を赤らめて涙目で後ずさりするチョビの姿が浮かぶ、
うぁぁぁ。
駄目だ、駄目だ。
ネガティブな発想しか出てこない。
とはいえ……。
“今度はお兄さんの職場のそばの店に行きたいな”
楽しそうにそう言ったチョビを落胆させたくはない。
連れて行くといったからには、約束は守りたい。
よしっ。
とりあえず、例の店の調査から始めてみるか。
そもそも俺の記憶違いでイタリア料理店じゃなかったなら別の店にすればいいだけだし。
もしもちゃんと在ったなら……うちの社員さんたちが来ないかをチェックだな。
まぁ、うちの社員さんたちがおしゃれなイタリア料理屋に行くとは思えないけど。
みんな牛丼とかカップ麺とかばっか食ってるし。
そんなわけで。
夜遅くにデバッグ作業から開放されると、社屋のそばのイタリア料理店へと向かった。
小さな路地を二つほど抜けて、児童公園の裏側へとたどり着く。
そこから三差路を左へ行くと、緑色の看板が見えた。
「ビンゴかよ」
ため息交じりにつぶやく。
緑色の看板には、赤い文字で『ピッツァテリア・パガーニ』とある。
どう見てもイタリア料理店だ。
っていうかピザがウリだわ、ここ。
壁の色は真っ白で、看板・文字・壁でちゃんとイタリア国旗の3色になっている。
「でもまぁ……」
俺は周辺を見渡した。
バイト先から近いとはいえ、路地をいくつか隔てている。
直線じゃないから、この位置から社屋が見えたりはしない。
それにそもそも、駅とは反対の方向だ。
帰り道で出くわすということもあり得ないだろう。
そう考えると、やっと少し安心できた。
すると、今度チョビと会うのが待ち遠しくなってくる。
あいつと一緒にいると楽しいからな。
次の約束は一月後だ。
待ち遠しいぜ。
ちなみに、月一で食べに行くことにしたのはチョビの提案だった。
家事のお手伝いをしてお小遣いをためて食べに行きたいらしい。
そういうところはすげーしっかりしてるよなぁ。
ちゃんと対等でいたいっていう意思を感じたから、俺はあえておごるとか言わないことにしたのだ。
* * *
そして一か月後の金曜日。
俺はいつものパーカーを着込み、イタリア料理店の前にいた。
駅前で待ち合わせは目立つ。
直接店の前で、と伝えておいた。
きょろきょろ……。
チョビのやつ、まだ来てないな。
しょうがない。
ネット小説でも読んで時間つぶすか……。
と思ったら。
「お、お兄さぁん……」
チョビっぽい声が聞こえてきた。
あれ?
どこにいるんだ?
「こ、こっち」
んん?
声のするほうを見ると、カラフルなロゴの入ったTシャツと短パンを着た女の子の姿が。
ただし、体の半分以上を電柱に隠していた。
何やってるんだ、こいつ。
「お、お、お兄さん。こんばんは」
消え入りそうな声でチョビが挨拶する。
どうした、いったい。
「こんばんは。というか、なんで隠れてるんだよ」
「い、いやその。ふ、普段着だから……変じゃないかなって」
むしろ変なのは前の軍服だ。
突っ込みを入れたいのを我慢しつつ、もじもじとしているチョビを見つめる。
アクティブな雰囲気の洋服はイメージにぴったりだ。
普通に良く似合ってる。
「いいと思うぞ」
その一言にチョビがパァッと笑顔になった。
「ほ、本当か?」
「あぁ。元気な子供って感じだな」
「こ、子供……」
あからさまに落胆した表情になるチョビ。
あれ?
なんか変なこと言ったか、俺?
「にしても、チョビ子もちゃんと普段着持ってたんだな」
「当たり前だろ!」
「今回も前みたいな服で来るかと冷や冷やしたよ」
「あの事はむしろ忘れてほしいぞ……」
ぷいと横を向いて、髪をいじりながらそう呟く。
「そ、その……」
「ん?」
「お、お兄さんは……戦車道の服と、こういう普通の服と、ど、どっちが、好きだ?」
唐突な質問だな。
チョビを見ると、けっこう真剣な表情をしている。
ちゃんと答えておくか。
「戦車道も悪くはないけど、普通に遊びにいくならやっぱ普段着だな」
俺はそう言って、チョビの頭をポンポンと触った。
ちょうど良い位置にあるんだよな、こいつの頭って。
モスグリーンのつむじがちょうどよく見える。
「う、うわわわ」
するとチョビが真っ赤になりながら大慌てで身をよじった。
「きゅ、急に触るな」
がるるるっと牙をむきだしそうな勢いで俺をにらむ。
あ。
しまった。
あんまりにも子ども扱いしすぎたか。
そろそろ思春期なお年頃だもんな。
「あ、あんまりドキドキさせないでくれ」
チョビは何かつぶやくと、つんとした表情でそっぽを向いて、店の入り口の方へ歩いて行ってしまう。
「ほら早く。席がなくなっちゃうぞ」
「わかったよ」
俺は苦笑いして後ろを追った。
古びた木製の扉を開けると、サックスの音色が耳に飛び込んできた。
「え?」
古びた雰囲気の外観からは想像もつかないほど、『ピッツァテリア・パガーニ』の内部は洗練されていた。
一瞬、扉が別のお店に通じていたのかと思ったぐらいだ。
アンティーク風の北欧家具で統一された椅子や机。
やや暗めの照明。
高級オーディオで再生されているモダンジャズ。
垢ぬけた雰囲気の燕尾服の店員さんたち。
そして。
客層はカップルばかりだった。
というか、カップルしかいねぇ。
どうしよう、と思って隣のチョビを見ると、案の上、わたわたとテンパっていた。
「ど、どどどうしよう、お兄さん。ば、場違いじゃないか? お、怒られたりしないかな」
「入っちゃダメってことはないと思うが」
とはいえ。
店内は、ドレッシーな服装のお洒落な男女が多い。
年齢層は30代が中心だろうか。
一方こちらは、安っぽいパーカーの大学生(俺)と、いかにも普段着な中学生(チョビ子)。
アウェー感ハンパねぇ。
に、逃げ出したくなってきたぞ……。
そんなことを考えていると、俺の手のひらに、小さくてあったかいものが触れた。
チョビの手だった。
チョビが、俺の手をぎゅっと握っていた。
何かを決意したように、声を上げる。
「くじけたら負けだ! 行こう、お兄さん」
そう宣言すると、俺の手を引いてつかつかと店内へと入っていく。
戦車道魂だぁ~とか言いながらカウンターまで歩いていき、颯爽と店員さんに告げた。
「に、2名でお願いします!」
「か、かしこまりました」
唐突に入ってきた中学生の女の子にちょっと店員さんがたじろいでるぞ。
俺は感心してつぶやいた。
「お前、ときどきカッコいいよなぁ」
「へへん」
自慢げに笑う。
「しかし」
俺はチョビが握ったままの手を見る。
「手を引かれるとは思わなかったよ」
「ふぇ? 手?」
俺の言葉に、チョビが自分の手を見る。
俺の手を握っている。
「うぇぇぇ? いつの間に?」
無意識だったのか。
慌てて手を離したチョビが、真っ赤になって否定した。
「違うぞ! 深い意味はないぞ!」
「いや、わかってるよ」
俺は苦笑して言った。
「でも、お前の手って暖かいなぁ」
「えぇぇぇぇ?」
「子供ってやっぱ体温高いんだな」
そう言った瞬間、なぜが足を踏みにじられた。
* * *
店内はかなり込み合っていた。
よくよく考えたら、金曜日の夜だ。
当たり前といえば当たり前か。
すぐそばのカウンター席では、洗練された雰囲気の男女がグラスを傾けていた。
会話がかすかに聞こえてくる。
「次のお飲み物はいかがなさいますか?」
「そうだな。程よい酸味で厚みのある白はある?」
「はい、ございます。やや度数が高めでも宜しいでしょうか」
「かまわないよ」
「では……」
オールバックに髪を撫で付けた慇懃な態度の男性店員がワインクーラーから一本のボトルを取り出した。
「ダミアン・マルヴァジーアと申しまして、イタリアのワインなのですが、この2011年のヴィンテージはアルコール度数が強く16.5度あります。しかしながら、非常に力強い、白とは思えないほどの厚みと味の深みがございまして」
「では、それにしようかな。君もこれで良いね?」
男が、隣の女性に問いかける。
女性は何も言わずうなづいた。
「大人の世界だ……」
チョビがうわごとのように呟いた。
「お兄さんはお酒飲んだことはあるのか?」
「そりゃ、ありはするけど」
バイト先の打ち上げで焼肉屋でビールを飲んだぐらいだがな。
そのような微妙なニュアンスは汲み取ってくれなかったらしい。
チョビは妙に納得したようにいった。
「へぇ……やっぱりお兄さん、大人だなぁ」
「い、いやぁ」
俺は苦笑いをして頭を掻いた。
ワインを注ぎ終えた店員さんが、こちらへやってきた。
「ご注文はいかがいたしましょうか」
あ。
しまった。
周りの雰囲気に呑まれてメニューすら見てなかったよ。
それはチョビも同じだったらしく、あわててメニュー表に目を通している。
「お決まりでないようでしたら、後ほどうかがいに参ります」
そう言って、店員さんが去っていった。
ほっとして、メニュー表に目をやる。
……が、読めなかった。
ってか、全部アルファベットで書いてやがる。
〝Pizza Del Giorno〟という文字の下に〝Margherita〟〝Cicinelli〟〝Funghi〟〝Diavola〟〝Quattro Formaggi〟の5種類の名詞が。
うぅむ。
雰囲気的にこれがピザ一覧だと思うのだが。
「読める?」
チョビがこそこそと訊いてくる。
俺は首を振った。
大学の第二外国語をイタリア語選択にしとくべきだったなぁ。
だが、こちらの狼狽に気がつかなかったらしく、店員さんがまたもや問いかけてきた。
「お決まりでしょうか」
「ひゃ、ひゃい!」
唐突に問いかけられてびびったのか、チョビが変な声を上げた。
それを同意と勘違いしたらしく、店員さんが
「ではご注文をお申し付けください」
と伝票を取り出す。
後に引けなくなったのか、チョビはメニュー表を指差した。
「わ、私、これで!」
おいおい、大丈夫かよ。
明らかに適当に決めただろ。
「ピッツァ・ディアボラでございますね。サイズはいかがいたしますか?」
「え、えっと、サイズはラ……」
チョビがラージと言いかけたところを遮って俺が答える。
「あ、えっと、サイズはミディアムで。そんでもって、俺は……」
きょとんとこちらを見るチョビに理由は後で説明するからと目配せして、店員さんに問いかける。
「先ほどのディアボラってのと、もう一枚合わせるならどれかお勧めはありますか?」
「そうですね。ソースの雰囲気を変えて当店特製クアトロ・フォルマッジなど如何でしょうか」
「では、それにします」
洗練された身のこなしで、店員さんが去っていく。
別の席の御用聞きがあるようだ。
チョビが俺に問いかけてきた。
「この前みたいにラージサイズを分けなくて良いのか?」
「やっぱ2人で1枚しか頼まないってのはマナー違反な気がするしな。それに……」
「それに?」
俺はチラッとメニュー表を見る。
「この状況でノリと勢いだけで頼んだ1枚だけってのは危険な予感がするからな。予防線を張りたくなった」
「???」
チョビが首をかしげる。
3回も飯を一緒に食って、こいつの性格はだいぶ掴めてきたからな。
すぐにテンパるくせに、ときどき大胆で、わりとその場の勢いで行動するタイプだ。
押さえ役が必要なタイプだな。
一緒にいて退屈はしないけど。
* * *
それにしても。
改めて注文を終えて店内を見回すと、本当にカップルしかいないな、この店。
前の店は二人っきりの恥ずかしさがあったが、今度の店は今度の店で、お洒落すぎてなんともいえない気恥ずかしさがこみ上げてくる。
何か話そうにも、場に似合わない会話をしてしまいそうで躊躇してしまう。
と、気がつくと、チョビがなんだか憂鬱そうに自分の胸元を見ていた。
「どうしたんだ?」
問いかけると、チョビが言った。
「私だけ、子供みたいな格好だなって……」
「あぁ、そういうことか」
その場違い感は、俺もさっきから感じている。
自分自身にだけど。
「勢いで無理やり入っちゃったけど、メニューも読めなかったし」
「まぁ、それは仕方ないって。俺だって読めなかったよ」
「でも……」
そこで会話が途切れた。
なんか元気付けてあげたいんだけど、言葉が出てこなかった。
どうしようかな……。
しばらく、沈黙の帳が下りる。
店内の、小洒落た男女の流れの良い会話が俺たちを包み込む。
チョビはいつもの颯爽とした雰囲気をなくして、なんだか縮こまってしまっているように見えた。
その雰囲気を切り裂くように、机の上に一枚のピザが置かれた。
「お待たせいたしました。ディアボラでございます。クアトロ・フォルマッジはもうしばらくお待ちください」
「た、食べようぜ。せっかくピザがやってきたんだ。ほら、チョビ子が選んだやつだぞ」
「う、うん!」
俺が促すと、どことなく暗くなった雰囲気を払拭するように、チョビが元気よく、一枚を小皿に取る。
「あ、そうだ。お兄さんにも1枚だけあげる! 取って良いぞ」
「おうよ」
促されて自分の分を一枚、手前の小皿に。
「それでは」
「いただきまーす!」
口に含むと、スパイシーな味わいが口内に広がった。
ディアボラ。
赤い色をしたそのピザは、一見普通のトマトソースのマルゲリータのようだが、実際には味わいはかなり異なっている。
唐辛子か何かの辛味だろう。
舌を刺すようなピリリとした鋭い刺激があった。
心地よい刺激だ。
トマトソースの中に練りこんであるのだろうか?
さらには、生地の上にトッピングされたカリカリに焼かれたサラミにも辛口の味付けがなされている。
それらをやさしく包むように、モッツァレラチーズの甘み。
まさに、大人の味わいだ。
大人っぽくてお洒落なこの店のイメージ通りのピザじゃないか。
良かった。
めちゃくちゃ美味しいぞ。
これは、選んだチョビを褒めてやらなくちゃな。
……と思って、チョビを見ると。
うつむいてわなわなと震えていた。
「どうした? チョビ子」
「か、」
「か?」
「か、か、か、辛い~!!!」
そう叫ぶや否や、大急ぎで水を飲む。
チョビ、辛いの苦手だったのか……。
「だ、大丈夫か?」
コップの水を飲み干したチョビは涙目だった。
「あぅぅぅぅ、な、なんとか我慢できた……」
「よかった……」
俺はほっと胸をなでおろした。
「でも……」
チョビが残りのピザを見つめて言った。
「こんなに辛いと、残りのは食べられないかもしんない……」
「気にするなよ。もう1枚頼んでるからさ。交換しよう。そっち全部食べて良いから。辛い方は俺がもらうよ」
「う、うん……」
それでも、チョビは落ち込んだままだった。
「私……ダメすぎるぞ……」
「え?」
「勝手に注文して、それで食べられなくて交換してもらうなんて、お兄さんに迷惑かけてばっかりだ……」
うつむいてつぶやくチョビの声は、哀れなほどに沈んでいた。
俺はかける言葉が見つからなかった。
安易にピザを交換したら、ますますチョビは負い目を感じてしまうだろう。
どうにか、うまい解決策はないものか……。
額に手をあてて考えていると、次のピザがやってきた。
濃厚なチーズの匂いが漂う。
「お待たせいたしました。当店特製、クアトロ・フォルマッジでございます」
俺の目の前に置かれたのは、耳の部分以外は真っ白のふくよかとしたピザ。
トッピングはほとんどない。
チーズのみが溢れんばかりに生地の上に鎮座している。
ところどころ青っぽい斑点があるところを見ると、青かびのチーズが混ぜられているのだろう。
クアトロってそういえば、英語のカルッテトかな?
4種類のチーズのピザってところか。
「これをかけてお召し上がりください」
店員さんが、小さな瓶を置いた。
トロリとした黄金色の液体。
一瞬、オイルかと思ったが違う。
これってもしかして……。
俺は、それを一滴だけ指先に垂らす。
なめると、予想通りの甘みが口の中に広がった。
幸せな気分になるこの甘い液体。
蜂蜜だ。
「チョビ子」
「な、なに?」
「お前の注文、大正解だよ」
「でも……」
「ほら、これ、食べてみな」
俺は熱々の出来立てクアトロ・フォルマッジにトロリと蜂蜜を垂らし、それをチョビの小皿に置く。
貰ってばかりで気が咎めるのか、躊躇しているチョビに言い放つ。
「冷めちゃうと美味しくないぞ」
「あぅ……わ、わかった」
その一言で、食欲に負けたチョビが、おずおずとピザを手に取った。
口に運んだ瞬間、満面の笑顔になる。
「こ、これって!?」
俺はチョビを見つめてにやりと笑った。
「どんな味がする?」
「あ、甘い! 甘くてなんだかお菓子みたいな味がする!」
「そっ。これ、蜂蜜がセットだったみたいなんだ」
「で、でも。ちゃんとピザしてる」
「チーズが濃厚だからだな」
「うん! とろとろのチーズの上に蜂蜜のトッピング。チーズのふわふわを蜂蜜が包み込んでいるみたいだ」
「それから、さ」
俺は続けて、チョビの小皿に先ほどの辛いディアボラを乗っけた。
「続けてこっちを食べてみな」
「え、えと」
「絶対大丈夫だから」
「わ、わかった。お兄さんがそう言うなら!」
意を決したように、はむっとディアボラにかぶりつく。
「!! か、辛い~!! で、でも!」
チョビの瞳がキラキラと輝いた。
「蜂蜜の甘いピザの後に食べたら、いいアクセントになるかも!」
「だろ?」
俺は微笑んだ。
「これなら、まるっきり交換じゃなくて、半分こでも食べられるかな?」
「うん!」
もうすっかりとディアボラの一切れを食べ終えたチョビが、Vサイン。
「蜂蜜のピザと一緒だったら、辛いピザも大丈夫!」
あぁ、よかった。
俺はほっと胸をなでおろした。
* * *
「あぁ、おいしかった」
満足げにつぶやいて、チョビがお腹をさする。
食事を終えた俺たちは、『ピッツァテリア・パガーニ』のすぐそばの公園にいた。
公園のベンチに座って、自販機のペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいる。
どうのこうの言ってもやはりディアボラは辛かったらしくて、チョビが帰る前に水を飲みたいと言い出したのだ。
「やっぱり、無理してたのか?」
俺がちょっと心配になって問いかけると、チョビはぶんぶんと手を振った。
「違う。無理なんかしてないぞ。ディアボラもすっごくおいしかったし。ただそのちょっと、し、舌が」
可愛らしく舌を出す。
ピリピリしているらしい。
そんな様子が微笑ましい。
「お兄さんはお水、いらないのか?」
「俺はまぁべつに大丈夫だったから」
「ほへぇ。大人だなぁ」
「お前が辛いの苦手すぎるんだよ」
「そ、そんなことないぞ。あ、でも、辛いっていう味にもいろんな種類があるってわかったかも」
「いろんな種類?」
「うん。生地にかかってた唐辛子の辛さと、サラミの辛さがちょっと違ったから」
「あぁ。そういうことか。唐辛子の辛さってカプサイシンっていう成分だって言うからな。山葵とかマスタードはまた違う成分らしいし。味付けに使ってる素材が違ったんだろうな」
「お兄さん、物知りだな」
「たまたまだよ。お前こそ味覚が良いのかもな」
「へへへ」
自慢げにチョビが笑った。
「チーズだってちゃんと違いがわかったんだぞ」
「違い?」
「そう。チーズ方のピザ、きっと2種類のチーズを混ぜてるな。濃い味とマイルドなのが混じってた」
「ドヤ顔のところ悪いけどな、4種類だぞ」
「え、そ、そうなのか?」
「クアトロ・フォルマッジのクアトロって4って意味だからな」
「ずっこいぞ。ピザの名前でわかっただけじゃないかー!」
ぽかぽかと俺を叩いてくるチョビを適当にあしらっていると、見知った人影が見えた。
さっきの店で、カウンターでボトルワインを飲んでいた男女だ。
「あ。さっきの人たちだ」
チョビも気がついたらしく、つぶやいた。
「へへへ。やっぱ大人でもピザが辛かったのかな? 自販機のお水買ってたりして」
そう言って笑おうとしたチョビの表情が固まった。
公園の片隅の男女のシルエットが、抱き合ったからだ。
「おぉぉ」
俺は関心の声を上げる。
いい雰囲気の二人だったからな。
我慢しきれずすぐそばの公園でいちゃついて帰るってところか。
水も飲み終えたし、俺たちは退散しますかね。
「おい、チョビ子。邪魔しちゃ悪いから帰ろうぜ……って、おい」
チョビは、真っ赤になって手で顔を隠しつつ、抱き合う男女を凝視していた。
めっちゃ見てる。
見過ぎってぐらいに見てる。
「こらっ」
俺はチョビの頭をはたいた。
「はぐっ」
チョビが変な声を上げる。
「そんなに見たら失礼だろ」
「み、みみみ、見てないぞ」
「いや、思いっきり見てたから」
「みみみ、見てないってば」
必死で否定するチョビを連れて公園を退散。
夜道を歩きつつ、俺は言った。
「しかし、お前。意外におませさんだな」
「なぁ!?」
チョビがまたもや変な声を出す。
「な、ななななに言ってるんだ」
「いやいや、興味深々だったじゃんか。じっと見つめて」
「そ、それはその、あの……」
「やっぱ見てたんだ」
「あぅぅぅぅ、お兄さんの意地悪ぅ」
「ははは」
そんなこんなでチョビをからかいながら帰る。
路地の途中で、チョビがつぶやいた。
「なぁ、お兄さん」
「ん?」
「あ、あの二人。ちゅ、チューしてたのかな」
「え? どうなんだろ。抱き合ってただけかも」
「そ、そっか」
「気になるのか?」
「し、知らない!」
またもや足を踏まれた。
※
駅前までやってきて、解散することになった。
「次はどこに行く?」
まだ頬を少し赤らめたままのチョビが問いかけてくる。
「そうだなぁ」
俺はそこでふと、ちょっとチョビに復讐してやりたくなった。
「そうだ。今度はお前の学校のそばの店にしようぜ」
「私の?」
「そっ。今回は俺のバイト先のそばだったからな」
ふっふっふ。
友達に見られるかも、とか恥ずかしがるがよい。
「うん。いいぞ」
あっけらかんとチョビが答える。
あれ?
意外にダメージなかった?
「それじゃ、なんかお店探しておくよ。またな~」
手を振って改札を入っていった。
マジかよ。
肩透かしだぜ。
※※※※※※※おまけ・アンチョビのターン※※※※※※※
帰りの電車の中。
アンチョビは手すりを握りながら、ずっと車窓の風景を眺めていた。
地方都市の街明かりが流れていくのだが、景色はほとんど頭の中に入ってこない。
先ほどからずっと、公園での出来事ばかりが頭をぐるぐると回っていた。
店を出て、「それじゃ帰るか」と言う純一の袖を引いて、「やっぱりまだ辛いのが舌に残ってる」と告げた時、アンチョビは実はもう、それほど辛さは感じてはいなかった。
辛さは蜂蜜が十分に緩和してくれていたし、水なら店内で飲むことができた。
「水が飲みたい」などというのは口実だったのだ。
店を出て、駅へと向かう途中児童公園のそばの自販機が目に入った時。
アンチョビは心の片隅で「水が飲みたいと言えばもう少し一緒にいられるかも」と考えてしまった。
もう少しだけ。
名残惜しかった。
純一との楽しい時間をもう少しだけ味わいたい。
ただそれだけだったのだ。
なのに……。
「そ、その結果、とんでもないものを見てしまったぞ」
もごもごと口の中でつぶやく。
もう少しだけ純一と一緒にいられればそれで満足だったのに。
まさか、抱き合ってる男女と遭遇するなんて!
思い出すだに、興奮してしまう。
アンチョビも、もう中学生だ。
性に興味がないわけではない。
とはいえ、そういった情報は身近にはないし、周囲に恋人と付き合っている友人もいない。
実際に抱きしめあっている男女を目にしたのは今回が初めてだった。
「あ、あんなふうに抱き合うのものなのか?」
しみじみとつぶやく。
これから先、大人になって。
男性とお付き合いしたり、結婚したりすると、私も抱きしめたり抱きしめられたりするのだろうか?
アンチョビの中で、もやもやとしたシルエットが互いを熱く抱擁しあう。
そのシルエットは。
いつの間にか、自分と純一のものになった。
「う、うわわわわっ。違う、違うぞ。そんなのおかしい。何を考えてるんだ私!」
思わず車内だというのに声を上げてしまう。
「あ……」
周りの乗客が、アンチョビを怪訝な目で見ていた。
「ご、ごめんなさい……」
周囲に謝りながら、アンチョビは携帯電話を握り締めてつぶやいた。
「い、家に帰ったら、相談しなきゃ」
いつも相談に乗ってくれる友達の顔が頭に浮かんだ。
(続く)
次回はチョビの学校での様子とかも書きたいですね。
余談。お店の名前パガーニはイタリアのミュージシャン、マウロ・パガーニから。
主人公がゲーム製作会社でバイトしてる設定は作者がかつてゲーム製作会社社員だったから。知ってる職業の方が書きやすいですし。