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「マジかよ」
飛んで火にいる夏の虫という言葉がある。
この場合それが正しい用法なのかわからないけれど、往々にして悩んでいる時に限って気まずい人とバッタリ出くわすものだ。
今日の俺はまさにそれだった。
大学食堂の窓際の席に、アズミがいた。
机には飲みかけの紙パックのオレンジジュース。
俺と同じチョイスだ。
「同じだね」
にっこりと微笑むアズミ。
俺は苦笑いしてうなづいた。
チョビにアズミを紹介してくれと頼まれてからはや一週間。
どうしたらいいか悩んでいるうちに時間はどんどん過ぎていた。
俺が躊躇している理由は簡単だ。
チョビとの関係をうまく説明できないからである。
最近仲良くなって頻繁に一緒に遊んでいる中学生の女の子って、どう考えてもアウトだろ。
俺が中学生なら全然おかしくはないんだけど、残念ながら大学生だ。
年齢が離れすぎている。
一体どうすればいいんだろう……。
俺が立ち尽くしているとアズミが問いかけてきた。
「ジュン君、座んないの?」
ぽんぽんと横の椅子を叩く。
生協棟の二階にある食堂は壁全面が窓になっている。
窓に面したテーブルは基本的に一人用なんだけど、友人と隣り合って座って使うやつも多い。
俺は深呼吸した。
そうだな、立ち止まっていても仕方がないか。
意を決して、アズミの隣に座る。
「こんな時間にいるなんて珍しいな」
「講義とサークルの間がかなり空いちゃったの」
サークルって多分戦車道だよな?
「それってさ、戦車に乗るやつか?」
「え、知ってたんだ?」
アズミが若干嬉しそうに言う。
「たまたまね。アズミが載っている雑誌を見たんだ」
「それって月間戦車道?」
よしっ。
会話の方向がいい具合に向いてきたぞ。
俺は心の中でガッツポーズ。
さて、難関はここからだ。
チョビのことをどう説明するかだが……。
正直なところ、俺たちの関係をそのまま説明するのは難しい。
他人が聞いても「なんじゃそりゃ?」だろう。
だからここは、とりあえず妹ということにしておくか。
「そっ。俺は戦車道に詳しいわけじゃないんだけどさ。妹が好きなんだよ」
「え? 妹さんいたの?」
「あぁ。その雑誌も毎月買ってるみたいで。そんで先日、『これってお兄ちゃんの大学の人だよね?』って訊かれたってわけ」
「ふぅん……」
あ。
なんかこの反応、疑ってるっぽい?
「なんか怪しいなぁ」
何でだよ。
どこがおかしいってんだ。
「いったい何が怪しいんだよ」
「だって今まで妹さんの話題なんて聞いたこともないし」
「いや、わざわざ大学で妹のこと話さないだろ。シスコンじゃないんだから」
「それじゃ、妹さんの名前は?」
「え、それはチョビ……」
「チョビ?」
「あ、いや、千代美。千代美だからチョビ子って呼んでるんだよ」
「ふぅん」
相変わらずアズミが厳しい目を投げかけてくる。
が、一応納得はしてくれたようだ。
「それで、その子は戦車道やってるの?」
「そ、そうなんだよ」
俺は身を乗り出す。
「その、チョビ子さ、前々から学校で戦車どうやってるんだけど、あんまり上手くいかないみたいで。どうやったら強くなれるか悩んでるんだよ。それで雑誌を見て、アズミに会いたいって言ってるんだ。その、だ、だめかな? ほんのちょっとしたアドバイスでいいからしてやってくれないか?」
ここぞとばかりに一気にまくし立てた。
アズミはというと、ちょっと気圧されながらも人差し指を立てて言う。
「ちょっと待って、ジュン君。もうちょっと情報がないとアドバイスできるかどうかもわからないよ。その子って高校生? 中学生?」
「あ、ごめん。中学生だよ」
「それじゃ、ポジションは何?」
「ポジション?」
「つまり、装填手とか通信手とか操縦士とか」
「あ」
しまった。
よく考えたら、そういうこと詳しく知らないんだった。
こ、今度ちゃんと訊いておかねば。
俺が黙っていると、アズミがため息をついた。
「ま、お兄ちゃんからすると戦車に乗ってるのは全部同じに見えるのかもしれないけど。でも、それぞれに役割があって、ぜんぜん違うのよ。その子がどういう選手になりたいのかにもよるし。みんなで試合に勝ちたいのか、それとも自分自身の腕を磨きたいのか、とかね」
それはなんとなくわかる話だった。
俺がバイトしているゲーム会社だってそうだ。
原画家がいて塗りがいてライターがいてプログラマーがいて。
誰が欠けても完成しないし、それぞれの求められる能力はまったく違う。
そんなことを考えていると、アズミがやれやれと肩をすくめて微笑んだ。
「ま、しょうがないから会ってあげる。でも、的確なアドバイスできるかどうかはわかんないよ?」
「ほ、本当か!?」
俺はつい嬉しくなってついつい大きな声を出す。
「う、うん。いいよ」
そうと決まれば、さっそく伝えてやらないと。
いてもたってもいられない気持ちになって立ち上がる。
「本当に助かったよ。今度必ずお礼するから!」
俺はアズミにそう告げて食堂を去る。
残されたアズミが少し驚いたようにつぶやいた。
「……あんなに熱心な姿、初めて見たかも」
* * *
中庭に出て、チョビに電話をしようとしてふと気がついた。
今はまだ昼過ぎだ。
普通に授業中だ。
「焦りすぎだな」
苦笑いして頭を掻く。
と、握り締めた携帯に不在着信が入っていた。
「ん?」
電話の主は(有)Forcus。
俺のバイト先のゲーム会社だ。
え?
もしかして今日、バイト入れてたっけ?
忘れてた?
俺は冷や汗をかきながら発信ボタンをタップ。
数コールですぐにアシスタントディレクターの末永さんが出た。
「あっ。樋口君、ちょうどよかった」
「す、すいません。もしかして今日、バイトの日でしたか?」
「え。違うよ、ぜんぜん違う話だよ」
ほっ。
胸をなでおろす。
「いったいどうしたんですか?」
「実はね、外注ライターの後藤さんが逃げちゃってね」
「逃げた?」
「あぁ……つまり、返信も何もくれないってこと。もう続き書く気がないというか。業界的にたまにあるんだよ、そういうこと」
それって結構やばい状態なんじゃないの。
「それでさ、いろいろ当たってみたんだけど、この時期今からライターさんが捕まらなくって。内村さんとかは引き受けてくれそうなんだけどあの人高いから」
誰だよ内村。
「でさ。樋口君、もともとはライター志望でしょ。応募のとき短編とシナリオ送ってくれてたよね」
「え、あ、はい」
え。
まさか、これって。
「そこでちょっとお願いがあるんだけどね。ディレクター的には、一度樋口君を使ってみたいって。まぁ経験ないし? お試しって感じで。ちょっと書いてみてよ。無理そうならすぐに他の人探すから」
頬が熱くなるのを感じた。
まさか。
俺にシナリオの仕事が回ってくるとは。
ゲーム会社で働きたいと思ったきっかけは、すごくシナリオの面白いゲームを高校1年生の夏休みにやったことだった。
それ以来、漠然とした思いだったけど、もしできるならシナリオを書きたい。
そう思っていた。
だから、Forcusに応募したときも、「こういうこともできます」という感じで自作の短編を添えていたのだ。
バイト採用された後もデバッグばっかだったから、デバッグ要員として雇われたのかと思ってたけど。
ちゃんと俺のシナリオ、読んでくれてたのか!
思わずにやけそうになる唇を押さえつつ、俺は答えた。
「や、やらせてください! その仕事! 是非やりたいです!」
受話器の向こうで末永さんがニヤリと笑ったような気がした。
「いいね。その返事。後藤さんが書いた途中までのものがあるから。それをじっくりと読み込んで、違和感のないように物語を続けてほしい。大まかなプロットはすでにあるから、それに沿って書いていくんだよ」
「はい」
「もし時間が空いているなら、さっそく社屋に来てくれないかな?」
「わかりました。今から行きます」
今日ばかりは、のんびりと歩く気持ちにならなかった。
いつもはゆっくりと30分かけて歩く道のりを、駆け足で行く。
途中、チョビと出会った例のイタリア料理店の前を通った。
ちょうど昼下がりだからだろう。
ドアにはCLOSEDの知らせが立てかけてあった。
走りながら、チョビと初めて食べたピザのことを思い出した。
あれがほんの数ヶ月前の出来事なのか。
いろいろなことがめまぐるしく変化しているような気がする。
一生懸命夢を追っているチョビに、俺も。
ほんの少しだけ近づけるだろうか。
* * *
「樋口君、すぐ来てくれてありがとう」
末永さんが満面の笑みで俺を迎えた。
「さ。この席に座って」
いつもと違うPCデスクを指差される。
「キャラクターと、途中までのシナリオのデータが入ってるから」
「はい」
PCの電源を入れ、設定資料のフォルダを開いて絶句した。
「これって……」
逃げ出した後藤さんの担当だったキャラ。
それは。
先日の、チョビにちょっと似たキャラだったのだ。
* * *
その日の夜、チョビに電話をした。
アズミと会う約束が取れたことを伝えるためだ。
子供相手だからあまり遅い時間にかけるも不謹慎かと思い、21時丁度に電話をかける。
かけた瞬間にチョビの声が聞こえた。
は、早いな。
待機していたかのようだ。
「お、おおおおお兄さん? ほ、本日はお日柄もよくっ!」
わけのわからんことを口走るチョビ。
相変わらずだ。
「もう夜だぞ、チョビ子」
「あ、そそそ、そうだなっ」
「っていうか出るの早いな、お前」
「ふぇっ!?」
「さてはお前、携帯電話買ってもらえたのが嬉しくて毎晩、手に持ってるんだろ」
冗談めかして言うと慌てふためいた声が聞こえてきた。
「な、なななに言ってるんだ! そんな子供じゃないぞっ」
あ。
これはマジで握って寝てやがるな。
思わず笑みが漏れる。
「何気に、携帯にかけるのは初めてだな」
「う、うん」
「ちょっと新鮮かも。お前は今、部屋か?」
「そ、そうだぞ」
「そっか。何してたんだ?」
「えっ!? えと、そ、その……」
ごにょごにょと言いよどむ。
おいおい。
答えられないようなことをしていたのか?
月間戦車道でも読んでたぐらいの返答が帰ってくるかと思ったんだが。
「あ、あぅぅ……」
電話越しに、もじもじと恥ずかしがっている様子が伝わってくる。
ちょ、ちょっと待ってくれ。
いったい本当に部屋で何をしていたんだよ。
へ、変な想像しそうになっちまうぞ。
「わ、笑わないか?」
消え入りそうな声でチョビが問いかけてくる。
「あ、あぁ。笑わない」
「……えと、その。け、携帯に登録したお兄さんの番号を眺めていたんだ」
え?
俺の番号?
じっと眺めていたのか?
それってどういうことだよ。
俺に電話をかけようとしてたってことか?
な、なんか照れるな……。
「そ、そっか」
俺はなんだか気恥ずかしくなって、そっけなく答えてしまう。
「う、うん」
チョビも恥ずかしいのか、言葉少なくうなづいた。
「あ、そ、それよりさ。朗報があるんだ」
「朗報?」
「あぁ。例の雑誌に載っていた子。アズミに会う約束が取れたぞ」
「え!? ほ、本当か!?」
「あぁ」
「や、やったぁ!」
驚くほど嬉しそうな声をチョビが上げる。
「ありがとう、お兄さん!」
「いやいや。これぐらいお安い御用だよ。それとさ。アズミが尋ねてたぞ。チョビ子はいったいどういう選手になりたいのかって。腕を磨きたいのか、チームで勝ちたいのか、とか何とか」
「…………」
「ん? どうした? チョビ子」
「あ、いや。それって、すごく難しい質問だなって思って」
「そうなのか?」
「うん。戦車道って、一人のエースがいたら必ず勝てるスポーツじゃないから」
「というと?」
「前にお店のテレビで見た試合、覚えてる?」
「あぁ。なんとなくは。最初は優勢に見えたチームが、気がついたら囲まれていて、フラッグ車を撃たれて負けちゃったな」
「そうなんだ。あのチーム、すごく天才的な操縦手が一人いるチームだったんだ。スピードに定評がある攻撃的なチームで。でも、そのエースがたとえいくつの戦車を倒したとしても、前に出すぎて手薄になった守りを突かれたらお終いだった。勝ったほうのチームは、天才的なプレイヤーはいなかったけど、対戦相手をよく分析した練りこまれた戦略を立ててた」
「なるほどね」
そこでチョビが一息をついた。
何かを考え込むかのように。
「エース的な選手には、なりたい。戦車道やってると誰でも一度は夢見ると思う。チームの中心で、輝いている自分を」
「うん」
「でも」
その後にチョビが発した言葉は、すごく力強かった。
「私は、チームで勝ちたいかな。たとえ一人ひとりが弱くても、みんなで団結すれば強くなれるような。そんなチームを固く結ぶ糸みたいな選手になりたいな」
「そっか」
「うんっ!」
楽しそうにうなづくチョビ。
「あ、そうだ。あのさ。俺も実は今日さ……」
「なになに? お兄さん、いいことあったの?」
興味津々という様子でチョビが問いかけてくる。
だが。
俺は言葉を止めた。
「あ、いや。やっぱ、なんでもない」
「んん??」
* * *
それからも少し雑談をして、通話終了ボタンを押すと、22時になっていた。
俺はベッドに寝転び、天井を見つめた。
「……チョビ子。結構、大人なんだな」
それが今夜感じたことだった。
今までちょっと子ども扱いしていたけど、戦車道に対する彼女の姿勢には、一本の芯が通っていた。
それは誇り高さだと表現しても差支えがないものだった。
『なんとなく』ばかりで生きている俺よりも、もしかしたらずっと大人なのかもしれない。
俺が、言い出そうとして言えなかった言葉。
それは、『俺もほんの一歩、夢に向かって踏み出せたかも』という言葉だった。
本当は、そのことが言いたかった。
だけど。
いったいどう説明する?
俺、ギャルゲー創ってるんだ、とでも言うのか?
チョビ子に似たキャラの担当になったんだぜ、とでも?
もしかしたら、ちゃんと説明したらチョビはわかってくれるかもしれない。
笑ったり気持ち悪がったりしないかもしれない。
けれども。
俺には勇気が足りなかった。
チョビがまっすぐに見据えている、戦車道という気高い夢に比べて、俺の夢はオタクっぽくてジメジメとしているように感じてしまったからだ。
「あぁ、もう、何をうじうじしているんだ!」
自分を鼓舞するかのように頬をはたく。
そうだ。
チョビには言いにくいけど。
俺は俺で頑張らなきゃ。
絶対に良いシナリオを書いて、結果を出すんだ。
* * *
数日後の夕刻。
俺は大学の最寄り駅にいた。
アズミとチョビを引き合わせるためだ。
アズミが指定してきた場所はなんと大学の食堂だった。
俺としてはチョビをつれて校内に入るというのは避けたかったのだが。
「あら。妹さんを連れて歩くことに問題があるの?」
意地悪く舌を出すアズミに押し切られてしまったのだ。
「お兄さんっ!」
「うわっ」
背中をちょんと触られて思わず変な声を上げてしまう。
振り向くと、悪戯っ子の笑顔を見せてチョビが俺の背中をつついていた。
その服装は……。
「なんじゃそれ」
俺は思わずつぶやく。
なんか体操服みたいな短パンに戦車道連盟のロゴが入ったティーシャツ。
そして頭には『ぱんつぁーふぉー!』と書かれたハチマキ。
ダセェ。
ダサすぎる。
ユ○クロのポロシャツの俺のほうが相当マシだ。
「え? え? へ、変か?」
チョビが戸惑いの声を上げた。
「街中でその格好は面白すぎるだろ。ってか、その格好で電車に乗ったのか?」
「う、うん」
「マジで」
「でも、試合の観戦に行くときとか普通にこういう格好で移動してるぞ?」
試合を見に行く阪神ファンみたいなもんか?
「ってか今日は試合を見に行くわけじゃないだろ。何でそんな格好なんだよ」
「だ、だって。憧れの大学選手に会えるわけだし!」
き、気持ちはわからないでもないけど……。
「何あの子、かわいいー」
「あはは。ぱんつぁーふぉーだって~」
通りすがりの女子大生二人組みがクスクス笑って通り過ぎていった。
大学の最寄り駅でこれは、は、恥ずかしすぎる。
俺は真っ赤になってチョビに言った。
「あ、あんまり人目につかないうちにさっさと行くぞ」
* * *
歩きながら問いかける。
「ところでさ。ぱんつぁーふぉーって何なんだ?」
「ふっふっふ。さすがお兄さん、眼のつけどころが良いぞ!」
チョビが唐突ドヤ顔。
「戦車を進めるときの合言葉なんだ! こうやって!」
楽しそうに拳を振り上げて叫ぶ。
「ぱんつぁーふぉー!!」
いらんこと訊いた俺が馬鹿だったよ。
さらに目立っちまってる……。
「あ。そうだ、チョビ子」
「ん?」
「アズミの前では、妹ってことにしといてくれよな」
釘を刺しとかないとな。
「え? 妹?」
「そう」
「いいけど、何でだ?」
「まぁ、その。説明しにくかったんだよ。俺たちの関係のこと。ピザ仲間ってのも意味不明だし。妹ってことにしといたほうが話が早いんだ」
「わかった! じゃ、今日は一日、妹だな♪」
妙に嬉しそうにチョビが言う。
「それじゃ、お兄さんってのも変だから、〝お兄ちゃん〟って呼ぶぞ♪」
「お、おぅ」
お兄ちゃんか。
し、新鮮だな。
「お兄ちゃん♪」
楽しそうに連呼して俺の周りを衛星みたいにぐるぐる回るチョビに、言い忘れていたことを付け加えた。
「あと、家族なんだから、苗字は俺に合わせといてくれよ。お前、今日は樋口千代美だから」
「ふへっ!?」
その一言に、ぼんっと音を立てそうな勢いでチョビが沸騰する。
「み、苗字が一緒!!?」
どうした、いったい。
「そそそそんなの早すぎるぞぉ」
もじもじと体をくねらすチョビ。
何だその面白い動き。
「でででも、お兄さんが望むならっ! わ、わかった、樋口千代美な!」
「お、おぅ」
なぜか嬉しそうに樋口千代美、樋口千代美と繰り返すチョビ。
挙動不審この上ない。
「さ、もう行くぞ。待たせたらアズミが怒っちまう」
「そ、そうだな」
歩き出した俺の後ろをチョビがててっとついて来る。
「ところでさ、お兄さん」
「なんだ?」
「その。雑誌のお姉さんとは、親しいのか?」
「この間、言ったじゃんか。友達ってほどでもないって。講義でたまに一緒になるんだよ。そういうときに話す程度」
「でも、下の名前で呼んでるから」
「それは、向こうが俺のこと名前で呼ぶからだよ」
「え。アズミさんはお兄さんのことを名前で呼んでいるのか!?」
妙なところに食いついてきたな。
「も、もしかして、呼び捨て?」
「いや。違うけど。ジュン君って呼ばれてるな」
「じゅ、ジュン君!? な、何なんだその恋人同士みたいな呼び方は」
チョビがその呼び方にやけに反応する。
ぷいっと不機嫌そうにそっぽを向くと、ほっぺを膨らませ始めた。
「お前、何で急にフグみたいになってるんだ?」
「しらないっ」
そう言い捨てると、勝手にずんずんと歩いていく。
おい。
道知ってるのか?
そっちは違う方向だぞ。
あ、電柱にぶつかった。
ちゃんと前見ないから……。
* * *
どういうわけか不機嫌になってしまったチョビをあやしつつ、大学に到着。
大きな大理石の正門を見あげ、チョビが感嘆の声を上げた。
「大っきいなっ。中学校の正門とは大違いだぞ!」
「私立の大学だからな。金かけてんだよ、きっと」
「お兄さんは毎日この門をくぐってるのかぁ」
しみじみとつぶやくチョビ。
ごめん、結構サボり気味だから毎日は通っていないぞ。
「ねぇねぇ、お兄さん。一緒にくぐろう」
「え? いいけど?」
俺がそう言うと、チョビの小さな手が俺の手をぎゅっと握ってきた。
「せぇのっ!」
二人で一緒に正門をくぐる。
「えへへ。まるで同級生みたいだね」
ニコニコと笑うチョビ。
いきなり手を握られてびっくりしたけど、楽しそうだからいいか。
「ところでチョビ子。ここからはちゃんと『お兄ちゃん』って呼べよ」
「うん。わかってるよ、お兄ちゃん♪」
ちょっとした秘密のミッションをこなすような感覚なのか、チョビがにひひっと笑った。
* * *
待ち合わせ場所の学食に向かうまでの間、結局チョビとは手をつないだままだった。
恥ずかしいからそろそろ手を離してくれと言ったんだけど、離そうとすると涙目になる。
しょ、しょうがないなぁ。
〝お兄ちゃん〟を連呼してまとわりつくチョビを見て微笑ましげに通り過ぎていく生徒たちの目が痛い。
同じ講義の奴とかいなかっただろうな?
明日からロリコン疑惑が立てられないといいが……。
いや、この場合シスコン疑惑か……。
「ここの2階が学食だ」
「おぉー!」
チョビがまたもや感嘆の声を上げる。
「学食って初めてだぞ」
「え? そうなのか?」
「うちの学校は給食だからな」
そうか。
そういえば中学って給食のところも多いからな。
「それじゃ、学食のシステムって知らなかったりするのか?」
「うん」
「ほら、あそこに食券券売機があるだろ? あれで買うんだよ」
「え! なんだそれ!」
チョビが新しいおもちゃを見つけたように目をキラキラさせる。
「見てみたいぞ!」
「あ、こらっ」
てててーっと券売機のほうにかけていくチョビ。
俺はあわてて後ろを追いかける。
「お兄ちゃん、これって押したら券が出てくるのか?」
「ま、そういうことだ。って勝手に押すな」
「? 出てこないぞ」
「お金入れてないから当たり前だろ」
「あ。そっか」
と、チョビが愉しそうに財布を取り出す。
「ちょっと待て! 今日は飯を食いにきたわけじゃないだろうが!」
「で、でもお腹も空いたぞ……」
チョビがお腹を両手でさする。
夕刻にしたのがアダになったか。
「まぁまぁ。何か食べながらお話したらいいんじゃない?」
声に振り向くと、アズミが手を上げていた。
ちょっと優雅な雰囲気のサマーニットに、腰履きのスキニーといういでたちだ。
さりげなくお洒落なんだよな、こいつ。
「こんにちは。あなたがチョビ子ちゃん?」
「はぅっ」
チョビが恥ずかしそうにうつむく。
おい。
いつもの元気キャラはどうした。
俺の背中に半分隠れながら、おづおづと挨拶を返した。
「は、はじめまして。ひ、樋口千代美です。いつもお兄ちゃんがお世話になってます」
「はい。はじめまして」
ニコニコとアズミが手を差し出した。
握手か。
差し出された手を見て、チョビもようやく俺の背中から離れる。
ぎゅっと強く握り返した。
「あの。今日はお時間をとっていただき、ありがとうございます。アズミさんのような強い選手の方とお話できて、光栄です」
め、珍しい。
チョビのやつが敬語を使ってる。
「そんな、私なんてたいしたことないわ」
アズミが大人っぽく笑った。
「どれぐらい参考になるかわからないけれど、今ここで伝えられることならなんでも教えてあげるからね」
そう言って、俺のほうを見る。
「チョビ子ちゃん、お腹空いてるんでしょ? 何か食べながら話しましょうよ」
「いいのか?」
「うん。私も家で作る手間が省けるし」
「だってさ。チョビ子。学食体験できるぞ」
「う、うん!」
チョビがこくこくとうなづく。
「チョビ子ちゃんは好きな食べ物あるの?」
「え、えっと、ピザが好きです」
相変わらずブレないな。
「そうなんだ。それじゃちょうど良いわ。ちょっと珍しいピザもあるのよ?」
そう言って、アズミが指差した先には。
『ピッツァ ぺスカ・エ・プロシュート』の文字が。
どんなピザか想像もつかねぇ。
「学食にピザあったんだ?」
「うちの学食、イタリアン多いよ? イタリアンレストランの会社が経営母体らしいし」
へぇ。
知らなかった。
あ、よく見ると厨房の奥に小さな窯もある。
「私は今日はこれにしようかな」
アズミが選んだのはペペロンチーノ・コンキリエ。
なんじゃそりゃ。
ぺペロンチーノって言うからにはパスタか?
こういう片仮名メニューは女子が注文するものっぽくて避けてたからなぁ。
俺は感心したように言った。
「アズミ、お前女子力が高い感じだなぁ」
「えぇ? ジュン君、なに言ってるの」
「いや、ほら。なんかお洒落っぽいメニューだから」
「そんなことないよ~。ジュン君も同じもの注文してみる? ちょっと変わったパスタって感じだよ?」
「へぇ。それじゃ……」
俺も同じようにペペロンチーノ・コンキリエのボタンを押そうとしたら。
「えいっ!」
チョビの指が勝手にピッツァ・ぺスカ・エ・プロシュートを押した。
「あっ。お前、何するんだよ」
俺の文句を無視してチョビがアズミをちらりと見る。
「お兄ちゃんは私とおんなじのを食べますので、お構いなく」
つんっと澄ました声でそう言った。
* * *
お洒落メニューであろうとも、学食だ。
思わず唸りたくなるようなスピードで提供される。
俺たち3人は、お決まりの窓際の席に並んで座った。
アズミが注文したペペロンチーノ・コンキリエは、やっぱりパスタの一種だった。
ただし、麺の形が違う。
というか麺じゃない。
小麦粉を貝殻のような形にしたものだ。
味付けそのものはペペロンチーノと変わらないらしい。
アズミはそれを器用にフォークの背中に乗せて口に運んだ。
「刺して食べるのはマナー違反なんだってさ」
照れくさそうにそう言って笑う。
一方、俺とチョビのピザは。
生地の上にたっぷりの生ハムが乗っているというものだった。
一枚一枚はかなり薄いが、その分本当にたっぷりと乗せてある。
ほとんど生地が見えないぐらい。
所詮学食だしなぁと思っていたが、普通に美味そうだ。
あ、プロシュートってそういえば、生ハムのことか。
このピザの名称、ぺスカ・エ・プロシュートだったよな。
ペスカとプロシュートってわけだけど、ペスカはなんだろう?
生地の下の白い陶器の皿には、オイルが少し溢れている。
それもまた食欲を誘う。
たっぷりオイルって意味だろうか?
隣のチョビを見ると、実に嬉しそうな表情でピザを見つめていた。
「お、おいしそうだな! お兄ちゃん」
「俺もそう思っていたところだ」
顔を見合わせた俺たちに、アズミが微笑みかける。
「ふふふ。意外な味だから、食べてみて」
「意外?」
手を合わせて、一切れ手にとる。
おぉっ。
オイル分が多いから、とろとろだ。
はむっと口に含むと。
「「あ、甘い!?」」
俺とチョビは声を合わせて叫んだ。
え。
何だこれ。
生ハムがたっぷりと乗っている見た目から予想していた塩辛い味とまったく違うぞ。
いや、塩辛くはあるんだけど、そのあとにすっごく上品な甘みがやってくるというか。
やわらかくて、みずみずしくて、それでいて噛み応えがあって。
なんか、果物っぽい。
ってか絶対、果物だ。
にこっと笑い、アズミが俺たちに言った。
「プロシュートを一枚剥がしてみて」
「こうか?」
言われるがままに、生ハムを一枚横にずらすと。
その下から、薄くスライスされたピンク色の物体が現れた。
果実のスライス。
「これってもしかして、桃?」
「ご明察♪」
アズミが手をポンと合わせた。
「ペスカは桃の意味。主食なのにデザートみたいで不思議でしょ?」
俺とチョビは同時に頷いた。
* * *
夕食を終えたあとは、チョビがあれこれとアズミに質問攻めをしていた。
俺は戦車道にそこまで詳しくないからわからない部分も多かったけど、戦略の立て方や、戦局の分析のポイント、チームの作り方などを教わっていたようだ。
途中、俺の携帯電話が鳴った。
バイト先からだった。
途中まで書いたシナリオのチェックが入ったらしい。
チョビとアズミにはあまり聞かれたくない話だったので、俺は食堂を出て、階段口で仕事の話をした。
少し長話に鳴って戻ってくると、二人の会話は終わったようだった。
すっかりと打ち解けた様子で雑談をしている。
それこそ、仲のよい姉妹のようにも見えた。
アズミに礼を言って、俺たちは帰路に着く。
別れ際にアズミが俺にそっと言った。
「チョビ子ちゃん、センス良いよ。特に、人をまとめるってことの意義を理解できてる。隊長に向いてるかもね」
へぇ、と思った。
そそっかしいチョビが隊長に向いてるってのは意外な意見だ。
「買いかぶりすぎだよ。アイツ子供っぽいし」
俺がそう言うとアズミはやれやれと肩をすくめた。
「ジュン君が思ってるほど子供じゃないと思うよ」
* * *
アズミと別れて食堂を出ると、夕闇が深くなっていた。
夜に差し掛かるギリギリの時刻。
街が赤く染まっていく時刻。
俺とチョビはそんな街を駅までゆっくりと並んで歩く。
「お兄さん、今日はありがとう。アズミさんから色んなことを教えてもらったぞ」
チョビがそう呟いた。
よかった。
なんかチョビのやつ、最初はアズミのこと警戒してる節があったからな。
打ち解けてなによりだ。
「お前、最初はなんか少しぎこちなかっただろ。意外に人見知りか?」
「そ、それは違うぞ。別の理由があったんだ」
「別の理由?」
「でも、もう解決した」
「ふうん」
唐突にチョビが唇を尖らせる。
「しかしお兄さんがうらやましいぞ」
「なんでだよ」
「あんな美味しいピザが学校で食べられるなんて」
「いつもは食べないよ。俺、カレーかカツ丼ばっか食べてるからな。安いし」
「えぇ、もったいないな」
「ま、ピザはお前と食べるときだけだよ」
「そ。そうなのか」
チョビの顔が赤らんだような気がした。
夕陽が照らしただけかもしれないけれど。
しかし考えてみればキザなことを言っちまったかも。
やべ、恥ずかしくなってきた。
チョビをからかって話の流れを変えようか。
「あ、そうだ。もう〝お兄ちゃん〟とは呼んでくれないんだな」
「まぁね」
あれ。
真顔で返されたぞ。
恥ずかしがるかと思ったんだが。
「〝お兄ちゃん〟も悪くないけど、それじゃ本当の兄妹になっちゃうかんな」
「なんだよ、他人行儀だな」
「ち、違うぞ。むしろその……」
俺の言葉に、チョビが何かをもごもごと呟いた。
「もっと、近づきたいぞ……」
「え?」
「じ、実は、その……」
チョビが立ち止まり、俺を見つめる。
その頰は夕陽に染まっているんじゃなくて、本当に赤らんでいた。
「私も、お兄さんのこと。名前で、呼びたい」
区切るように、ハッキリと。
そう告げた。
「え、あ」
不意をつかれた俺はうまい言葉が見当たらず、返事にもならない言葉を発する。
「だ、ダメか?」
捨てられた子犬のような表情でチョビが問いかける。
そんか顔されたら断れないだろ。
俺はため息をついて笑った。
「いや、全然ダメじゃないよ」
「ほ、本当か!? お兄さん!」
「ま、お前との付き合いも長くなってきたしな。呼び方を変えるのもいいんじゃないか?」
これ以上この空気感を続けると、なんか変になりそうであえて軽く答える。
「しかし、どう呼ぶ気だ?」
「あっ! か、考えてなかったぞ……」
チョビがしょぼんと落ちこむ。
と思ったら顎に手を当てて悩みだす。
めまぐるしいことだ。
「お兄さんは年上だから、呼び捨てはおかしいし。君付けはアズミさんに取られてるし……」
取られてるとかそういう問題なのか?
「や、やっぱり、さん付けかな。これまでもそうだったし!」
名案とばかりに顔をあげた。
「よ、呼んでみてもいいか?」
うっ。
そんな潤んだ目で見つめるな。
俺はちょっと目をそらしながら、いいよ、と答える。
チョビが、一呼吸して、呟いた。
「じゅ、ジュン、さん……」
言ってから、湯気が出るほど赤くなり、俯いた。
よほど恥ずかしいのか両手で顔を覆い隠すチョビ。
お、おい、なんだよその反応、なんかこっちまで照れるだろうが。
ってか、こいつ、こんなに可愛かったか?
なんだろう、今までお兄さんって呼ばれてたから、子供を相手にしてる感じだったけど。
普通に名前で呼んで照れたりされたら、ほら、アレだ。
女の子と向き合っているような勘違いをしてしまう。
俺は慌てて首を振った。
ヤバイ。
名前呼びはヤバイわ。
やめさせなきゃ。
俺とチョビが言葉を発したのは殆ど同時だった。
「「や、やっぱりやめとこう!」」
あれ?
お互いに顔を見合わす。
チョビがまだ赤らんだまま答えた。
「そ、その。恥ずかしすぎて、なんか。その」
あー。
お前もそうか。
ちょっとホッとした。
「ま、これからも〝お兄さん〟がいいかもな」
「う、うん! もう暫くは、そ、そうするぞ」
なんかちょっとニュアンスが違ったけど、まっ、いいか。
そのあとはやっといつもの雰囲気に戻って冗談を言いあいながら駅まで帰った。
別れ際に、改札口でチョビが俺に言った。
「ところで、お兄さん。夏休みって暇か?」
「ん? あ、そうか。そろそろ夏休みか。そうだな。バイトがない日は暇だな」
サークルも入ってない、ぼっちだしな。
「そ、そっか」
「どうした? チョビ子」
「う、海。行かないか?」
「海?」
海ってあれだよな。
夏の定番の、リア充どもの巣窟の。
子供の頃以来行ってないわー。
「え? なんで?」
思わず問い返す。
いや、だって海とか想定外すぎるから。
「べ、別に他意はないぞ。アズミさんの貝殻みたいなパスタを見ていたら行きたくなったんだ。そ、それだけだかんな!?」
妙に必死な様子で言い訳するチョビ。
なるほどね。
貝殻パスタか。
「う〜ん」
ちょっと考える。
海ねぇ。
ずっと行ってないしなぁ。
いや、1人では行きにくいからな、夏の海とか。
とはいえ、別に嫌いではない。
むしろ小学生の時に伊豆に家族旅行した時の海の青さには、感動した記憶もあるしな。
チョビと一緒なら、保護者って感じでちょうどいいか。
「オッケー。行こうか」
俺の返事に、チョビが嬉しそうに飛び跳ねた。
※※※※※※※おまけ・アンチョビのターン※※※※※※※
純一がバイト先からの電話で食堂を離れると、アンチョビは口数が少なくなった。
そんな様子を見て、アズミが言った。
「お兄ちゃんが横にいないと寂しいのかな?」
「なっ!? ば、バカにすんな!」
アンチョビが牙を剥く。しかしアズミは動じない。それどころか、とんでもない爆弾を投下してきた。
「チョビ子ちゃん、本当の妹じゃないでしょ」
「ふへっ?」
ば、バレた?
あんまり似てないからか?
狼狽するアンチョビに、アズミはさらに追い討ちをかける。
「バレバレよ。だって兄妹の仲の良さじゃないもの。チョビ子ちゃん、私に対抗心燃やしまくりだし」
「あ、あ、あああ」
そこか!
そこでバレたのか!?
あまりにも恥ずかしい指摘にアンチョビは言葉を失い、ロボットのように口をパクパクとさせる。
だが、アズミが見せた表情は、柔らかいものだった。
「大丈夫よ。ジュン君を取ったりしないから」
「ほ、本当ですか?」
「うん。それどころか、応援するよ」
「で、でも。アズミさんもたぶん、お兄ちゃんのことが……その……」
「違うの」
アズミが首を振る。
「ジュン君はね、昔、近所に住んでいたお兄さんにちょっと似ているのよ。それで話しかけやすくって」
にっこりと微笑むアズミは、アンチョビには女神に見えた。
そこから、純一が戻ってくるまでの会話は戦車道そっちのけで恋愛談義になってしまった。
「あ、そうだ。そろそろ夏なんだし、海に誘ってみたらどうかな? いつものお食事から少し趣向を変えて」
アズミのそんな提案に納得するも、アンチョビは表情を曇らせる。
「そうしたいけど、理由が……」
「理由は作るものだよ。周りにいつだってヒントは隠れてるから。戦車道の作戦だって同じ」
そう言って、アズミは先程食べ終えた皿を指差す。
「ほら、私の食べてたコンキリエ。貝殻みたいだったでしょ? それを見てたら海に行きたくなっちゃった。それでちゃんと理由になるわ」
「ふぉぉぉぉ……」
アンチョビは尊敬の眼差しをアズミに向ける。
師匠と呼ぶ日も近いかもしれなかった。
(つづく)
次回は海でイチャイチャしたいです。