本当に励みになります!
「まさか、夏の定番イベントを消化する日がやってくるとは……」
地元のスーパーの2階の紳士用品売り場で、男性用水着を手に取りながらつぶやいた。
チョビに海に行こうと誘われはしたものの、ここ数年来泳いだことがない。
海パンがなかったので買いに来たわけだ。
季節は夏真っ盛り。
あんまり人のいないぼろいスーパーだけど、サマーレジャー特集なるものが開催されていた。
微妙にダサい感じの安っぽい水着が並んでいる。
いや、これでいいんだよ俺は。
かっこつけるほど男前じゃないからな。
駅前まで行けば少しお洒落なモールとかもあるんだけど、子供の頃から通い慣れてるスーパーのほうが好きっていうか落ち着く。
「やっぱサーフパンツが無難だよな」
そう言いながらグレーの下地に椰子の木が描かれた一着を手に取った。
夏らしいデザインだ。
これでいいだろう。
レジに持っていこうとすると。
「なかなか眼の付け所がいいねー」
聞き覚えのある声が耳元でささやいた。
「うひっ」
思わず変な声を上げて振り返ると、チョビの友達の杏ちゃんがいた。
「やっ。お兄さん。奇遇だねー」
なんか謎の芋っぽいおやつを食べながら手をふってきた。
本当に偶然か?
この子の性格的に、なんかたくらんでいてもおかしくなさそうだ。
っていうかここ、紳士用品売り場なんですけど。
「何でこんなところにいるの?」
俺が疑わしげに問いかけると杏ちゃんがあっけらかんと答える。
「いや、たまたま駅前で見かけたから、尾行してみた」
何やってんだよ君は……。
「ここんとこ安斎がさ、なんか嬉しそうにニヤニヤばっかしてるんだけどさー。訊いても教えてくれないから。こりゃお兄さん関係でなんかあるんだろうなってね」
そう言って、俺の手にある水着を指差す。
「海行くの?」
「まぁね」
「安斎と?」
「そ、そうだよ」
「お兄さん、やるねー」
口元に手を当てて杏ちゃんがニマニマと目を細める。
俺はため息をついて言った。
「ただの保護者代わりだよ」
「またまたご謙遜」
本当だっての。
子供と海行くのに、それ以上の他意があるかよ。
「あ、そうだ。お兄さん今暇?」
「まぁ、暇っちゃ暇だけど」
「それじゃせっかくだしちょっと付き合ってよ」
「え? 何に?」
「私の水着選び」
「もしかして、一緒に来るの?」
「違うよ。夏休みになったら友達とプール行くからさ。それ用の」
杏ちゃんに背中を押されて、女の子向けの水着コーナーへ。
うっ。
数人だけどお客さんがいる。
チラッと俺のほう見たぞ。
こ、これは恥ずかしいかも。
「なにキョドってんの?」
「いやほら、男がこういうコーナーってちょっと変じゃないか?」
「付き添いのお兄ちゃんって感じで振る舞っとけば大丈夫でしょ」
そう言いながら杏ちゃんが水着を一枚手に取る。
「こんなのどーかな?」
どれどれ。
その水着を見て絶句した。
ほとんど紐じゃねーか!
むしろどうやって着るんだよ。
「セクシーでしょ」
「あ、あほか! 子供が着てどうする!?」
「アンバランスな意外性の魅力とか発揮されちゃうかもね」
小さな体をくねらす。
こいつ、絶対にからかってやがる。
「頼むから普通の水着を買ってくれよ」
俺がそう言うと、杏ちゃんがちょっと真剣な表情で問いかけてきた。
「それじゃさ、お兄さん的にはどういう水着が好きなの?」
おおぅ、唐突だな。
俺は水着売り場をチラッと見る。
いろんな種類があるな。
女の子の水着なんてまじまじと眺めたことがないから、どれが良いとかわからないぞ。
そりゃ俺も男だから、ちょっとセクシーなビキニとかは好きか嫌いかで言えば好きだけど。
杏ちゃんぐらいの歳でそういうのもどうかと思うし。
その時、やや子供っぽい雰囲気のワンピースの水着が目に留まった。
ピンクの花柄でいかにも可愛い感じのやつ。
杏ちゃんの雰囲気だと、こういうのがむしろ似合うんじゃないだろうか。
変に大人ぶったの買うよりも良いだろう。
「これなんかどうだ?」
俺がその水着を指差すと、杏ちゃんがじろじろと眺めた。
「ちょっと子供っぽくない?」
不満そうに問いかけてくる。
確かにそうかも知れないが、無難といえば無難だろ。
「そういうのの方が好きだよ。女の子っぽくて」
あえてそう言った。
これで紐の水着を買うのは回避できるだろう。
「ふぅん。わかった」
そうつぶやいて、杏ちゃんが水着を携帯で写真に撮った。
「何してるの?」
「ん? 候補に入れとこうと思って」
「今買わないのかよ」
「私、買い物については慎重派だから」
意味ありげに笑ってそう言った。
「ところでさぁ」
ちょいちょい。
杏ちゃんが俺にしゃがめと合図する。
何だよ、いったい。
目線の高さぐらいにしゃがむと、俺の耳元でささやいた。
「さっきの紐みたいな水着。特別にお兄さんの前でだけ試着してあげよっか?」
「な、なに言ってるんだ!?」
「あははは。うろたえてる」
ひとしきり笑うと、俺の手元に食べかけのお菓子の袋を押し付けた。
「それあげる。海では安斎によろしくー」
ぴゅーって擬音が出そうな勢いで走り去っていった。
「台風みたいな子だな」
一人残された俺はつぶやく。
ってか何くれたんだ。
杏ちゃんがくれたお菓子の袋にはこんな文字が。
〝茨城銘菓 干し芋〟
意外に渋いの食べてるな。
* * *
さてそれから一週間ほどが過ぎて、約束の日がやってきた。
県外の海に行くわけではないので、集合は昼前ぐらい。
俺は待ち合わせ場所の駅前へ。
海とか行くの本当に数年ぶりだから、妙に緊張する。
一応、通気性のある麻のシャツを着て、リュックサックに水着とか、サンダルとか入れてきた。
あ。
いたいた。
チョビはすでに駅前の変なモニュメントの前で待ってくれていた。
その服装は……いつもと少し違っていた。
夏らしい、ふわっとした雰囲気の白いワンピース。
襟首のところには薄いブルーで刺繍がしてある。
麦藁帽子をかぶり、少し大きめのボストンバッグを抱えたチョビは、まるで家出中の名家のお嬢様みたいにも見える。
俺はドキッとしてしまった。
服装だけじゃない。
表情とか、雰囲気にもだ。
モニュメントにもたれかかって俺を待っているチョビの表情は、いつもの明るい子供っぽいものと少し違っていた。
かすかなアンニュイ感っていうか。
俺の横で、はしゃいでいるときとぜんぜん違う。
一人でいるときはこんな感じなのか?
思ってたよりも大人っぽいというか。
た、たまたまだよな。
たまたま。
そうに決まってる。
俺はわざと明るく声をかけた。
「お待たせ、チョビ子!」
「あっ! お兄さん!」
俺に気がついたチョビが、ぱぁっと笑顔になった。
あ、いつもどおりの元気な表情だ。
なんか安心した。
そうなると、ちょっとからかいたくなってくる。
「麦藁帽子かぶってるんだな、今日は」
「う、うん。日差しが強いから」
「虫取り網を持ってたら最強だな」
「私は男の子じゃないぞ!」
がおっと吠えられた。
「冗談だよ。それで、今日はどこまで行くんだ? 県内とは聞いてたけど」
「じゃーん! ここだぞ!」
チョビが自慢げに旅行雑誌を開く。
行き先は知多半島か。
なになに?
〝この夏初登場! 巨大海上ウォータースライダー〟?
「プールみたいなウォータースライダーが海水浴場に設置されてるんだ」
待ちきれないという様子でチョビが言う。
へぇ。
普通に楽しそうだな。
「電車で最寄り駅まで行って、そこからバスに乗るみたいだぞ」
「オッケー。それじゃ行こうか」
「うん!」
二人で切符を買い、駅構内へ。
列車はすぐにやってきた。
おっ。
意外に空いてるな。
並んで座れそうだ。
「ここ、とーった!」
ぴょんっと、チョビが座席に腰掛ける。
「お兄さんはここね」
自分の横の座席をぽんぽんとたたく。
「はいはい」
俺は苦笑して隣に座った。
お嬢様っぽい服装しててもいつもと変わんねーな。
「おっと」
座ろうとしたら、チョビのふわっとしたワンピースのスカートを巻き込んでしまいそうになる。
「ごめん、チョビ子。ちょっとスカートの裾を持ってて」
「あ、そ、そっか」
慌ててチョビが裾をまとめる。
「こういう服、あんまり着ないからわかんなかったぞ」
「確かに珍しいよな。どうしたんだよ」
「え、えと。それは」
顔を赤くして俺を見る。
なんだなんだ。
一呼吸おいて、チョビが呟くように言った。
「せ、せっかくお兄さんと遠くにお出かけだから」
「え?」
今、俺とだから、って言った?
自分の言葉の意味に気がついたのか、チョビは慌てて訂正する。
「あ、いや、ち、違って! そ、そう! この服、お母さんが買ってくれたんだけど! ちょっと恥ずかしくて着る機会がなかったから! も、もったいないなって!」
「そ、そうか」
俺は納得したように頷く。
「確かに、着なかったらもったいないもんな」
「そ、そう。そうなんだ」
「で、でもこれからはたまに着たらいいと思うよ。普通にすごく似合ってるし」
「ふぇっ!?」
その一言に、チョビが湯気を立てた。
「に、にに似合ってるだなんてそんな……」
下を向いて、指と指をあわせながらつぶやく。
「が、がさつな私には、似合わないぞ。さ、さっき待ってる間もすごく恥ずかしかったし」
それでちょっと憂い顔だったのか。
「そんなことないって」
俺はチョビの頭をぽんぽんと触った。
「お前ほら、このドリルなツインテールとかお嬢様っぽいじゃん。なんちゃってだけど」
「なんちゃっては余計だっ」
あ。手をはねのけられた。
* * *
窓の外の景色が、だんだんと郊外っぽくなっていく。
地元を離れて遠くまで来てるんだなーって実感する。
ところどころ、観光名所とかの看板も見えてきたし。
あまり遠出はしないタイプなんだが、テンション上がってきたかも。
「そういうと、チョビ子は海とか良く行くのか?」
「小学生の時以来だぞ」
「そうなのか」
「友達とプールとかは行くけどな」
そういうと杏ちゃんがプールに行くって言ってたっけ。
「だから、今日は本当に楽しみなんだ。おにぎりも作ってきたぞ! 海に着いたら一緒に食べよっ」
ボストンバッグを指差す。
なんかいいなぁ、そういうの。
やがて、列車に揺られていると。
〝海岸前駅~、海岸前駅~〟
駅員さんのアナウンスが入る。
おっ。
ここだな。
「降りるか」
「うん!」
駅舎を降りると、かすかに潮風っぽいものが感じられた。
海が近い証拠だ。
ベンチとかのデザインも、ひなびた雰囲気の味のあるものになっている。
ミントグリーンの屋根が可愛い感じの小さな駅舎を出ると、夏の太陽が俺たちを照りつけた。
暑いけど、どこか心地よい。
「ここからバスに乗るんだよな」
「あ、あれじゃないかな?」
チョビが指差した先には古びた雰囲気のポールが。
バス停留所だ。
ところが。
「よ、読めねぇ」
停留所の時刻表が経年劣化で一部読めなくなっていた。
「ふっふっふ、大丈夫だぞ、お兄さん」
チョビがドヤ顔で携帯電話を取り出す。
「こういうときは、インターネットに情報が載っているはずだっ」
おぉ、使いこなしてるじゃねーか。
チョビが、まだ少しぎこちない動作で携帯を操作して、画面を切り替える。
と、そのとき。
操作をミスったのか、一瞬、別の画面に。
「あ、あわわわわっ!」
大急ぎでチョビが携帯を閉じる。
「み、見たか?」
恐る恐るという感じで問いかけてくる。
「え? いや? 一瞬だったからよく見えなかったけど」
「そ、そっか」
ほっとしたようにチョビが息をつく。
「チョビ子、お前なんか見られて困るようなのでも保存してるのか? もしかして、なんか恥ずかしい画像とか?」
わざと俺がふざけたように言うと、真っ赤になって否定する。
「そんなわけないだろ、変なこと言うな!」
「そんなに否定したら逆に怪しいぞ〜」
そんな風に遊んでいるとすぐにバスがやってきた。
ぜんぜん携帯で調べる意味なかったわ、これ。
* * *
海水浴場の最寄のバス停に着いた。
「結構な人だな」
さすが夏。
さほど有名なビーチではないのに、かなり混んでいる。
当たり前だが、ほとんどがカップルか家族連れ。
俺とチョビみたいにちぐはぐな年齢の二人組みというのは珍しい。
ってか、カップル多いな。
くっ、リア充どもめ。
自慢じゃないが俺は海でデートなんてしたことないぞ。
「お兄さん、どうしたんだ?」
チョビが心配そうに覗きこんできた。
「いや、ちょっと周りを見てただけだよ。カップルばっかだなって」
「そ、そうだなっ!」
チョビがなぜか嬉しそうに答える。
「ふ、2人で海に来たらカップルだもんな」
「ま、歳が近けりゃな」
「うぐっ」
一転して暗い表情に。
「わ、私とお兄さんは?」
「ん? どう見えるかってことか?」
「う、うん」
なんだろう。
カップル……は無理があるだろ。
大学生と中学生だぞ。
犯罪だ。
かと言って、家族連れでもないよな。
親子には見えないだろ。
兄妹というには顔が似てないし。
「歳の離れた従兄妹とか?」
無難な答えを出すと、チョビが拗ねたようにつぶやいた。
「お兄さんのバカ」
「おま、言うに事欠いて。いつも補習受けてるのは誰だよ」
「そ、そういう意味じゃないぞ!」
じゃ、どういう意味だよと、問いかけようとしたら、チョビがワンピースのスカートに手をかけた。
たくし上げて脱ごうとしている。
「え? ちょ? なにやってるの?」
「ん? 海に入るから、水着にならなきゃ」
「お前、やっぱバカだろ! なんで人前で脱ぐんだっ!」
思わず手で覆い隠そうとする俺。
避暑地のお嬢様みたいなワンピースの女の子が唐突に脱ぎだしたから結構な注目を集めている。
特に男ども。
俺は思わず周囲を威嚇する。
み、見るんじゃねーぞ!
するとチョビが慌てて俺に言った。
「お、お兄さん、心配しなくていいから。下に水着を着て来てるから!」
あ、ホントだ。
ほっとするも少し残念な気分。
優雅なワンピース着てても中身はチョビ子か。
いや、そりゃそうなんだけど……。
チョビが洋服の下に着ていたのは、可愛らしい花柄がプリントされた、少し子供っぽい水着だった。
スーパーで俺が杏ちゃんに勧めたのに似ていなくもない。
だが、いかにもな子供用ワンピース水着ではなく、ちゃんと上下に分かれていて、大胆な露出ではないが、おへそが見えている。
腰のあたりにはパレオが巻いてあって、ほんのりと優雅な避暑地感も。
普通にすげー可愛い。
「ど、どうだ? お兄さん」
さっきまでの男前な脱ぎっぷりはどこへやら。
もじもじとして、問いかけてくるチョビ。
いや、似合ってるよ、すごく。
「あ、その」
だが、いざとなると、気の利いた言葉が出てこなかった。
いや、仕方ねーだろ。
俺、女の子と水着で遊んだこととかねーし。
こういうときなんて褒めたらいいのかわかんねーんだよ。
「だ、だめか……?」
あぐ。
黙っていると、チョビがなんとも不安そうな眼で俺を見つめてくる。
俺はちょっと頬を赤らめて言った。
「か、可愛いと思う」
その一言が限界だった。
「あ、ありがとう……」
お互いぼそぼそと呟いて、頷きあう。
なんか微妙な空気感になってしまい、しばしお互い無言に。
その時、チョビのお腹が鳴った。
「ひゃっ」
恥ずかしそうにお腹を押さえるチョビ。
俺は吹き出した。
「何だよ、お腹減ったのか」
「い、いや、そのっ」
「昼前に電車に乗ってそのまま海まで来たものな。まずは腹ごしらえしようぜ」
「う、うん」
そんなわけで二人並んで浜辺に座り、おにぎりを食べる。
うん、めっちゃ美味い。
チョビのやつ、おにぎり作るの上手いな。
こう、なんてーの、お米がふわっとしてるっていうか。
「美味いな、このおにぎり」
「そ、そうか?」
「あぁ。なんかこう、おにぎりってどれでも一緒かと思ってたけど、ちょっと違うっていうか。美味く作るコツとかあるのか?」
「そ、そりゃまぁすっごく愛情こめて握ったかんな」
最後の部分がよく聞き取れなかった。
俺は思わず聞き返す。
「ごめん、チョビ子。もう一回教えてくれ」
「や、やっぱり内緒!」
なんかまた拗ねられてしまった。
* * *
腹ごしらえを終えると、海へ繰り出す。
水を掛け合って遊んだりした後は、いよいよ本日のお目当ての海上巨大ウォータースライダーへ。
こうやって見ると、見上げるほどデカイな。
こりゃ海でないと設置できないわ。
近所のプールとかだとはみ出しちまう。
「さっ、並ぼう、お兄さん」
チョビに促されて待機列へ。
やっぱ込み合ってるな。
15分ほど並ぶと、俺たちの番がやってきた。
「お一人で滑られますか? それともお二人で滑られますか?」
黄色いキャップを被ったスタッフのお姉さんに問いかけられる。
ん?
順番に滑るだけのものじゃないのか?
「一緒に滑ることもできるんですか?」
興味津々といった様子でチョビが問いかける。
「はい。大丈夫ですよ」
スタッフさんが笑顔で答える。
「それならもちろん二人一緒がいいぞ!」
チョビ子がさも当然といったように言った。
するとスタッフさんが滑り方の説明を始めた。
「では、ご一緒に滑る場合の滑り方の説明をいたしますね。まず、男性の方ここに座ってください」
スライダーの起点の位置に座らされる。
「女性の方、男性の方の股の間にすっぽりと挟まるように座ってください」
「え?」
チョビの焦った声が。
「お、お兄さんの、あ、足に挟まれて座るの?」
「はい。そうしないと危ないですから」
「あ、え、えと、で、でも……」
チラチラと俺の足……というか股間を見るチョビ。
おい、意識しすぎだろ。
でもまぁ、チョビも思春期なお年頃だしなぁ。
嫌がってるならやめておくか。
「どうする? チョビ子。一人で滑るか?」
「う、ううん!」
勇気を振り絞るように首を振るチョビ。
「い、一緒に滑りたい!」
そう言って俺の足の間に腰を下ろす。
きゅっと引き締まった小さなお尻が、俺の体にちょこんと触れた。
だが、ぴったりと密着するのには抵抗があるのか、微妙な距離を保っている。
それでもかなり恥ずかしいらしく、うつむき加減でもじもじ。
そんなチョビにスタッフのお姉さんの無慈悲な言葉が炸裂する。
「もっとくっついてくださいね」
「え、えぇぇぇ」
「危険防止のためですので」
「こ、これぐらい、か?」
消え入りそうな声で呟きながら、チョビが少しだけ俺にお尻を近づけた。
「あ、もっとです♪」
スタッフのお姉さんがニッコリ笑顔で言う。
この人、楽しんでないよね?
「あ、あぅぅぅ」
踏ん切りがつかないチョビ。
真っ赤になってあたふたしている。
しょうがないなぁ。
あんまり手間取っていると後ろのお客さんにも迷惑だし、何よりちゃんと密着しておかないと危ないんだよな。
「チョビ子、ちょっと我慢しててくれよ?」
俺はそう言って、後ろからギュッとチョビを抱きしめた。
「ふ、ふぇっ!!? お、お兄さん!!?」
「あんまり触られるのは嫌かもしれないけど。ちゃんとした体勢でないと怪我するかもしれないから」
「それでオッケーです♪」
いい笑顔のスタッフのお姉さんに太鼓判をもらい、いよいよ滑ることに。
「男性の方、手はしっかりと女の子のお腹に回してくださいね」
「は、はい」
俺は指示に従ってチョビのお腹に手を回す。
う、うわっ、柔らけーな。
なんかこう、ふにっとしててすべっとしてて、でもスポーツやってるからかきゅっと引き締まってる。
って、てかダメだろ、俺。
何ドキドキしてんだよ、チョビ子は子供だぞ。
首を振って、邪念を吹き飛ばす。
よしっ、大丈夫だ。
「それではどうぞー」
スタッフのお姉さんの合図で滑り出した。
思ったよりもスピードが出ている。
ウォータースライダーってこんなに早いものだっけ?
あ、そうか。
二人で滑ると体重が加算されるから速度も上がるのか!
「ひゃー! すごいぞっ!!」
さっきまで赤くなって黙っていたチョビが歓声を上げる。
普段戦車道やってるからスリリングなものには耐性あるのか。
な、なんか男の俺のほうがビビってるとカッコ悪いな。
変な声を上げるのは堪えよう。
と、そんなことを考えた矢先、スライダーの角度が変わった。
やべっ。
手が離れそうになる。
俺は慌ててチョビの体を強く抱きしめなおす。
「お、おおおおお兄さん!!?」
「ご、ごめん、ちょっと手が離れちゃって」
「あ、いいいや、わ、わかってる」
自動首振り人形みたいにコクコクと頷くチョビ。
その瞬間。
ざっぱーん!!
俺たちは海に着地した。
「ぷはぁっ!」
水面から顔を出したチョビが、濡れた子猫みたいに体をぶるぶるとさせる。
「け、けっこうスピードが出てたな」
「うん! 楽しかった!」
チョビは嬉しそうだ。
「あ、そうだ。お兄さん、けっこう怖がってただろー?」
ちょっと意地悪そうに問いかけてきた。
「うぐっ、そ、そんなことはない」
「耳元で息をのむ音が聞こえたぞ?」
こ、こいつ。
大人をからかいやがって。
「ま、まぁなんだ。そこそこドキドキはしたかもな。こ、声は出してないぞ。声を出すほど怖くはなかった」
「あはは、でもちょっとは怖かったんだな」
チョビがケタケタと笑う。
「くそっ。お前のほうは全然平気だったのかよ」
「スピードには慣れてるからな!……まぁ、その、べ、別の意味ではドキドキしたけど」
「ん? どういう意味だよ」
「し、知らなくていいの!」
ぷいと顔を背ける。
なんだよ、時々こういう反応するよな、こいつ。
話題を変えるか。
「おっ。チョビ子、見てみろよ、あれ」
俺は海の向こうに見つけたものを指さした。
それは一隻の学園艦だった。
それ一つで街ともいえるような巨大な船が、海岸線にぼんやり浮かんで見えた。
「どこの船かな」
「ちょっと遠すぎてわかんない」
チョビが残念そうに答えた。
「チョビ子が好きなイタリア軍風の学校……アンツィオだっけ。それも確か学園艦なんだよな?」
「お兄さん、覚えていてくれたのか!?」
チョビがきらきらと目を輝かせる。
「そりゃまぁね。お前と一緒にいると、自然に多少戦車道のことも詳しくなるよ」
「ありがとう! すごくうれしいぞ!」
ついさっきのちょっとツンとした態度はどこへやらだ。
まったく、見ていて飽きないやつめ。
はしゃぎつかれた俺たちは、浜辺に移動する。
学園艦の遠影を眺めながら、会話を続けた。
「俺は陸の育ちだからあんまり知らないんだけどさ。学園艦って学生寮みたいな感じなのかな」
「地元じゃない子からしたらそんな感じみたい。親元を離れてアパートとかで暮らしながら学校に通うんだ」
「地元?」
「学園艦育ちの子。親が学園艦の街でお店やってる人とか」
「なるほどね」
陸の育ちと全然違うんだろうなぁ。
俺がそんな人生に思いをはせていると、チョビが続けた。
「学園艦には戦車道の名門が多いんだ。黒森峰、プラウダ、聖グロリアーナ……」
「お前の好きなアンツィオは?」
「か、かなり弱っちいんだ。強くなってほしいぞ……」
「そっかぁ」
ふと、先日のアズミの言葉が思い浮かんだ。
チョビが隊長に向いてるっていう。
「そういう弱いチームの隊長になって強く育て上げるっていうのも、やりがいがあるかもな」
「え?」
チョビが俺を見た。
「いや、ふと思ったんだよ。お前さ、時々すっげーリーダーシップを発揮するときあるだろ。俺と一緒にいても。こう、引っ張ってくれるというか。もともとはアズミが言ってたんだけどさ。お前、隊長に向いてるかもって俺も思うよ」
「は、え、へぁ……」
口をぽかんと開けて、目をぱちくりとさせたチョビが、変な声を発する。
こいつ、褒められなれて無いなぁ。
時間差で我に返ると、俺の背中をぽかぽかと叩いてきた。
「も、もうっ! お兄さん! おだてるのは禁止だぞっ!」
明らかな照れ隠し。
可愛いやつめ。
「で、でもまぁ、その。あ、アンツィオなら、その。わ、私の学力でも頑張れば合格できるかもしんないし。そ、その。お兄さんがそう言ってくれるなら、け、検討しとくぞっ」
早口でそう、まくしたてる。
「ははは。がんばれよ」
俺がつむじをポンポンと触ると、
「だ、だからそれも禁止~っ!」
と、身をよじった。
「そ、そろそろ行こっ!?」
話題を変えたいのか、チョビが立ち上がる。
「行くってどこへ?」
「ゆ、夕食!! お腹減ってきたぞ」
「確かにな。もうこんな時間か」
海まで遠かったから、もう17時だ。
帰る時間も考慮するならそろそろ食べてもいいだろう。
「あのさ、チョビ子。実は、行こうと思ってる店があるんだ」
俺はそう言って、スマホを取り出した。
「え? そうなのか?」
「あぁ。いつも通り、ピザでいいよな?」
「うん! ピザがいいぞ」
「よかった。この店なんだけど」
俺はスマホで検索した情報を見せる。
イタリアン料理・グロッソ。
バスの窓から、ちらりとそれらしい店が見えたから調べておいたのだ。
大体の場所で検索したらビンゴ。
イタリアンの店だった。
こじんまりとした地元密着のお店みたいだけど、観光客で混んでるよりもむしろいいだろう。
「お兄さん、お兄さん」
「ん?」
「どうしてその店にしようと思ったんだ?」
どうしよう。
言うべきかな。
ちょっと恥ずかしいんだが。
ええぃ、乙女か俺は。
言っちまえ。
「いつもチョビ子に店選んでもらってばっかだろ。初めて会った時も、お前に助けられたし。さっきの話じゃないけどさ、俺もたまにはその、引っ張りたいっていうか。ちょ、チョビ子のために、み、店を選びたくなってだな……」
「~~~っ!!!」
その言葉に、チョビが見る見るうちに笑顔になっていく。
「も、もうっ! お兄さん! もうっ!」
びっくりするぐらい、にまにましながら俺の背中をぽかぽか叩く。
「ちょ、おま、いつもより力入ってないか?」
「そ、そんなことないぞ!」
ぽかぽかぽかー。
い、痛いからその照れ隠しはやめろよ。
* * *
そんなわけで、グロッソへ。
ビーチからは少し離れてるけど、歩けない距離じゃないのでてくてく徒歩で向かった。
「おぉ」
遠くからだとちんまりと見えたが、近づくと結構貫禄のある店だ。
古い洋風建築の一軒家をそのまま店にしたっていうか。
ヨーロッパ風の水銀燈みたいなのが軒先に設置されていて、お屋敷の扉みたいな木造のドアを照らしている。
「な、なんかドラキュラが出てきそうだぞ」
「お前、お店の中で絶対にそれ言うなよ」
ちょっとおっかなびっくり、ぎぎぎっと音の鳴る木製の扉を開く。
すると、店内も薄暗かった。
「ひっ」
チョビが俺のシャツの裾をつかむ。
あれ、意外のホラー系は苦手か?
「いらっしゃいませ」
「うわっ」
び、びっくりした。
真横から唐突に声をかけられた。
チョビのやつを見ると俺の後ろに隠れてガタガタしている。
いや、安心しろ、ただの店員さんだ。
「お二人様ですかな?」
白髪にひげを生やした、魔術師みたいな爺さんの店員が問いかける。
「は、はい」
俺は頷いた。
* * *
窓際の席に案内される。
海が見える、いい席だ。
白いテーブルシーツの敷かれた机に配された、これまた木製のレトロな椅子に座ると、小さな音でコンチェルトが流れ出した。
デジタルの音質じゃないなと思って目をやると、爺さんがレコードプレイヤーをセットしていた。
少しノイズをはらんだ、しかし心地よくて温かみのある音が店内に満たされる。
ようやく少し落ち着いたチョビがひそひそと言った。
「お、お化け屋敷に来ちゃったのかと思ったぞ」
「ま、まぁ、俺もちょっとビビった」
「どうぞ、メニューです」
「うぎゃーっ!」
チョビがビックリして両手を上げる。
爺さん、ねらったようなタイミングだな。
「ご、ごごごめんなさい。悪口じゃないんです」
平謝り。
一方爺さんは飄々と笑っていた。
「古い店ですからね。お嬢さんを驚かせてしまったかな」
髭をなでながらつぶやく。
「ちょっと待っていてください」
そう言って奥へと引っ込むと、キャンドルを一本持ってきた。
疑似のキャンドルではなく、本物だ。
「これで少しは明るくなりますかな?」
爺さんが火をつける。
すると、キャンドルが美しい青色に輝いた。
「わぁっ。色付きのキャンドルだ」
「職人さんの手作りなんです。この色はアクアマリンといって、なかなか出せないんですよ」
「へぇ」
ゆらゆらと揺れる光は幻想的だ。
窓から見える海もあいまって、別世界にいるような気持ちになる。
「本当に綺麗だな、お兄さん!」
「あぁ」
すっかり笑顔になったチョビが、メニューを開く。
「どれにしようかな~」
マルゲリータ、クアトロ・フォルマッジ、マリナーラ、チチネッリ。
定番のメニューの中に、一つ聞きなれない名前があった。
「「デメトリオ?」」
小さく説明の記述がある。
〝作れるときのみ。黄色いピッツァ〟
あ、怪しい……。
「お兄さん、これにしよう! これ!」
チョビが目を輝かせる。
しょ、しょうがないなぁ。
俺は手を挙げて、爺さんに合図した。
「あの、これってありますか? 作れるときだけって書いてありますけど」
「はい。本日は大丈夫ですよ」
「やった! それじゃこのピザで! ラージサイズを分けようよ、お兄さん!」
冒険しすぎだろ。
っていうかどんなピザか聞かなくていいのか?
俺の胸中を察したのか、チョビがちっちっちと指を振った。
「こういう時、わざわざ味を聞くのは野暮ってもんだぞ」
すると爺さんが補足してくれた。
「当店の看板メニューですので、お味は安心ください」
「だってさ、お兄さん」
「わ、わかったよ」
ラージピザ一つだけってのもあれだから、デザートコースっていうのを注文する。
飲み物と自家製アイスがついてくるらしい。
暑いしちょうどいい。
海を眺めたり、おしゃべりをしたりして待つこと10分ほど。
出来立てのピザが運ばれてきた。
それは……本当に黄色かった。
「う、うわっ、こんな色のピザ初めて見たぞ」
チョビがおっかなびっくり、生地の耳の部分をつんつんする。
「確かに。乗ってる具自体はシンプルなんだがな」
そうなのだ。
そのピザは、スタイルとしてはごく平凡なマルゲリータに近いものだった。
もちっとした生地の上に、黄色いソース。ところどころ、白いとろけたチーズが混じり、そしてルッコラのようなものが乗せてある。
ただ、黄色いのだ。
どういうことなんだ、これ。
「た、食べてみよう、お兄さん!」
「そうだな!」
俺たちは手を合わせる。
「「いただきまーす!」」
はむっ。
「ん!!」
なんだ、これ。
味としては、スタンダードなトマトソースのピザに近い。
でも、ほんの少し違う。
トマトソースなら酸っぱいんだけど、このピザにはほんの少しだけ甘みがある。
でも、先日の桃のピザみたいな、違う具材で付け加えられた甘さじゃなくて。
ソースそのものに、酸っぱさと辛さと甘さの複雑なハーモニーがあるっていうか。
いや、これ、普通にめっちゃおいしいわ。
見ると、チョビも満足げに頬を緩めていた。
もう2切れめに突入している。
「大当たりだったな、チョビ子」
俺がそう問いかけると、チョビは笑顔で頷いた。
「お味はいかがでしたでしょうか?」
食べ終えたタイミングで、デザートとドリンクを持ってきた爺さんが問いかけてきた。
「すっごく美味しかったぞ、お爺ちゃん!」
チョビが笑顔で答える。
お爺ちゃんって、おい。
だが、爺さんも満面の笑みだった。
「そうかそうか、それはよかった」
ため口になってる。
孫娘としゃべってる感覚になってる?
「あの、黄色いソースって、どうやってるんですか?」
俺は、気になって仕方がなかったことを問いかけてみた。
教えてくれないかな。
こういうのって企業秘密かもしれないし。
だが、爺さんはあっさりと種明かしをしてくれた。
「それはね、黄色いトマトを使ってるんですよ」
「黄色いトマト」
「そう。黄色いトマトは、いいものは糖度が高いんです。だから普通の赤いトマトで作ったソースよりもほんの少し甘みが増すんですよ。ただ、良いものが取れた時しか作れないからね」
そうか、それで作れるときだけなのか。
「こういう黄色いピザをデメトリオっていうんですか?」
「あぁ、そういうわけじゃありません」
爺さんが遠い目をした。
「この黄色いピザは、別に決まった名称があるわけじゃないんです。デメトリオってのは人の名前です。このピザを教えてくれた、イタリアのね。私は若いころイタリアで修行していて。その頃に友人だった男です……」
遠い友人の名を冠されたピザ。
「さ、アイスが溶けてしまわないうちに食べてください」
そう言って、爺さんは厨房に去っていった。
そうだな、溶けないうちに食べるか。
アイスも美味しいな。
ほろ苦い味というか。
バニラアイスに、なんかソースがかかってるな。
「お、おにいしゃんっ!」
「へ?」
唐突に声をかけられた。
顔を上げると。
う、うわっ!
近い!
チョビがなんか、身を乗り出して俺にくっついてる!
な、なんだなんだ!?
ってかお前、赤くないか?
「おにいしゃんはぁ、あの、その、なんれいつも、わたしとぉ、いっしょにあしょんでくれるのら?」
へ?
なんて言ってるの?
ってか、明らかに様子がおかしくないか?
チョビの変な言葉は続く。
「おにいしゃんはぁ、ぴ、ぴざはぁ、しゅきか?」
お兄さんは、ピザは好きか?って言ったのか?
い、一応頷いておこう。
「ぴ、ぴ、ぴざとぉ、わたしと、どっちがしゅきなのら?」
何を言ってる、何を。
ってかこいつ、酔ってないか?
いったいなぜ……ま、まさか。
俺はアイスをもう一度見る。
この、かかってるのって……。
「お、遅かったか」
爺さんが厨房から飛び出してきた。
「申し訳ありません。その、女の子のアイスにもいつもの癖でリキュールをかけてしまいまして!」
おい!
「よ、弱いリキュールなのですが。まさかこんなに酔うとは……」
「と、とりあえず、水持ってきてください」
「は、はい」
爺さんが再び厨房に走っていく。
「こたえて、くりぇないのか?」
うぉ。
いつのまにかチョビがぴったり横にくっついていた。
「わたしはぁ、ぴざ、も、しゅ、しゅきらけど、お、お、おにいしゃんのほうが……も、もっとぉ……」
ばたんっ。
そこまで言うと、ぶっ倒れた。
「すぴー」
寝てやがる。
なんかいい夢でも見てるのか、気持ち良さげな寝顔だ。
ちょっと安心した。
いつのまにか机の上のキャンドルも消えていて、急に静けさがやってきた。
救急車を呼ぶほどではなさそうなので、爺さんの好意でお店の休憩室を使わせてもらう。
チョビを寝かせて回復を待つ間、俺はぼんやりと海を眺めた。
学園艦はまだ、水平線の向こうに停泊していた。
ふいに、チョビの将来のことが胸をよぎった。
もしもチョビが来年高校に合格して。
それが、学園艦の学校だったら、あぁいう船での生活が始まるのか。
あれ?
それって。
俺とチョビのこういう毎日も終わっちまうってことじゃないのか?
そのことに思い当たると、急に変なもやもやが胸の中に満たされだした。
今日見たいろんなものが頭にぐるぐると浮かぶ。
いくら綺麗でもいつかは消えてしまうキャンドル。
〝期間限定〟のピッツァ。
遠くの友人。
あぁぁ、なんだよ、変なつながり方をしそうじゃねーか。
俺は首を振る。
なんだよ、俺。
なんなんだよ、この気持ち。
ちょ、ちょっと、おかしいだろ。
あぁぁぁ、でも。
すっげーもやもやする。
そんなことを考えているうちに、けっこう夜が更けてしまった。
これ、一応チョビの親に連絡しといたほうがいいかな。
あんまり遅いと心配するだろうし。
俺が電話して大丈夫だろうか。
いや、しかし、緊急事態だしな。
意を決して、携帯を開く。
だが。
「うぁ、電池切れだ!」
しまった。
海岸のルートとか、この店とか、いろいろ検索に使いすぎたか。
爺さんに充電器を借りようとしたが、機種が合わなかった。
どうしよう。
……。
「チョビ子、すまん」
謝りながら、チョビの携帯を開く。
待ち受け画面を見て、俺は固まってしまった。
「え、え?」
チョビの携帯の待ち受け画面の画像。
それはどう見ても俺の写真だった。
ど、どういうことだよ。
チョビの携帯の待ち受けが俺って。
いくら俺が鈍いバカでもわかるよ。
それって、その……。
俺は、無言でいったん携帯を閉じる。
なんか、見たらいけないものを見てしまった気分だった。
※※※※※※※おまけ・アンチョビのターン※※※※※※※
海に行く少し前のある日。
アンチョビが家で恋愛小説を読んでいると、携帯にメールが届いた。
杏からだ。
添付ファイル付き。
アンチョビが携帯を手に入れてからというもの、頻繁に杏はメールを送ってくる。
オモシロ画像が添付されていることもざらだ。
おかげでアンチョビも、添付ファイルの開き方はすっかり覚えた。
「角谷のやつ、また私を笑わせる気だな」
軽い気持ちでファイルを開いてから、ピシッと固まった。
添付ファイルは一枚の写真。
純一の写真だった。
それも、真剣な顔つきでなにやら水着を選んでいる様子だ。
「な、ななな! お兄さんの写真!? し、しかも水着コーナー!?」
慌てて携帯を閉じる。
だが。
数秒後、またそっと開いてしまう。
杏からもう一通メールが来ていた。
『やっほー。お兄さん見かけたから隠し撮りしちゃった。待ち受けにでもしたら?』
「な、なななに言ってるんだ!」
思わず携帯相手に叫びつつ。
やっぱり画像を保存してしまうアンチョビ。
「ど、どどどうしよう」
悩むこと数十分。
結局、待ち受けにした。
「はぁ、はぁ……。なんて事をしてくれるんだ、角谷のヤツは」
肩で息をしながら呟く。
と、またもやメールが。
「も、もうお腹いっぱいだぞ」
メールのタイトルは〝耳より情報〟。
怪しい事この上ないのだが。
悩みつつも開いてみると、こんな文が。
『あとさー、お兄さんに水着勧められたよ』
「ふへっ!?」
アンチョビはガバッと携帯に食らいつく。
ど、どういうことだ!?
慌ててメールに返信。
『なんでお前が水着を勧められるんだ!』
『まーまー、落ち着きなよ。これも安斎のためだから』
『私のため?』
『そっ。お兄さんの好みの傾向を調査しようと思ってね』
『ど、どんなのが好みだったんだ!?』
『こんなん』
『なっ!!?』
送られてきた写メに絶句した。
花柄の子供っぽいワンピース水着だ。
こ、これがお兄さんの好み!?
『嘘じゃないだろうな!?』
『ほんとだよー。それを名指しで勧められもん』
『わ、わかった。ありがとう』
パタンと携帯を閉じる。
そしてアンチョビは頭を抱えた。
うぁぁぁ、予定が崩れたぞ!
実はアンチョビは、勇気を出して大人っぽい水着を買って、お兄さんにアピールする予定だったのだ。
な、なのに!
子供っぽい方が好みなのか!?
わ、私としては、お兄さんとお似合いな感じの大人になりたいのに!
でもでも、お兄さんの好みとズレていたら本末転倒だ!
「あぁぁぁぁ、ど、どうしよう……」
悩みに悩んだ末。
アンチョビは、可愛い感じの花柄の水着を買った。
しかし、せめて形だけはワンピースではなくセパレートを選んだ。
やっぱり、ちょっとでもお兄さんに大人っぽく見られたい。
そんな想いがこめられていた。
(つづく)
いよいよお話も進んでまいりました。
次話では、二人がもっと近づけたらと思います。
余談。店名グロッソはイタリアンロックの名盤「コンチェルト・グロッソ」が由来です。