ものすごく励みになります!
また、更新が遅くなってしまい、本当に申し訳ありません!
チョビの携帯を閉じてから、深く息をついた。
「なんだよ、これ……」
いろんなことが頭の中でぐるぐると回り、よくわからなくなる。
目の前には、酔って寝てしまっているチョビ。
そして、俺の写真が待ち受けに設定された携帯電話。
これまでも一緒にいて、チョビからの好意を感じたことは多々ある。
けれども俺はそれは、妹がお兄ちゃんに甘えるような感覚なのだと思い込もうとしてきた。
そもそものきっかけを思い出す。
チョビ自身がそう言っていたじゃないか。
〝うち、お兄ちゃんっていないから。なんかこう、お兄ちゃんがいたらこんなのかなぁって感じがした〟
その言葉を聞いたのって、もう4か月ぐらい前のことになるのか。
あの時は、そういう気持ちだったのかもしれないけれど。
今日まで、何度も会って一緒に遊ぶうちに、気持ちが変化していてもおかしくはない。
「あぁ、くそっ」
俺はつぶやいて、頭を掻いた。
むしろ、チョビは妹みたいなものだと思い込んで歯止めをしていたのは、俺の方なのかもしれない。
これまで何度か見え隠れしていたチョビの想いのサイン。
それを見て見ぬふりをしていたのは、俺自身じゃないのか。
「でも……」
チョビはまだ、中学生だ。
多分これまで男と付き合ったことなんてないだろう。
一方で俺は20歳の大学生。
中学生の女の子と、本格的な恋愛なんて、どう考えても倫理的に問題がある。
チョビと一緒にいることは、すごく楽しい。
だからこそ、今まで、倫理的な部分を棚上げしてきてしまった。
そこまで深い関係になっているわけじゃない、だから、もう少しだけ。
そんな考えが、自分の中にあったような気がする。
チョビのことは大切に思ってる。
だからこそ。
ここから先、いい加減な答えを出したくない。
でも……どうすればいいんだろう……。
ため息をついた瞬間、チョビの携帯電話が震えた。
杏ちゃんからの着信だった。
夜遅い時間だ。
もしかしたら、大切な用事かもしれない。
俺は逡巡してから、通話ボタンを押した。
すると意外なほどお気楽な杏ちゃんの声が聞こえてきた。
「やほやほ♪ 今日のデートの首尾はどうだったかねー? そろそろ家に帰ってるっしょ?」
あ。
全然重要な用事じゃなかったわ。
さっきまでの緊張感が抜けていく。
と同時に、これは渡りに船だとも思った。
「杏ちゃん。ごめん。俺なんだ」
「どういうこと? 純一さん?」
杏ちゃんが驚いた声を出す。
「え? え? も、もしかして一夜を過ごしちゃってんの?」
「違うからっ!」
思わず突っ込みを入れる。
「チョビ子が、アルコールの入ったアイスを食べて酔っぱらっちゃったんだ。今は眠ってる。夜遅くなってきたから、家に連絡を入れたいんだけど、俺が電話をしていいものかどうか迷ってる」
「……わかった」
杏ちゃんが、真剣な声色に変わった。
「私から連絡入れとくよ。うちに遊びに来て寝ちゃったことにしとく」
「……ありがとう」
俺は深々と頭を下げた。
「迷惑かけて、すまない。俺、大人なのに」
「気にしないでよ。別に純一さんが悪いわけじゃないでしょ」
「杏ちゃん」
そこから、またいつもの軽い調子に戻って言う。
「それよりさー。純一さん。安齋の携帯を使ってるってことは見ちゃったんでしょ?」
「な、なにを?」
「待ち受け画像」
「ま、まぁね」
「嬉しい?」
「あ、あほか。子供に好かれて鼻の下を伸ばしたりするかよ!」
俺の答えに、杏ちゃんの声のトーンが変わった。
「あのさ、純一さん。あんまり安齋のことを子ども扱いしないで欲しいな。ちゃんと女の子なんだから」
俺が答えに詰まっていると。
「そんじゃね。もしも、よっぽど目を覚まさないなら連絡して。迎えに行くから」
そう言って通話を切った。
* * *
30分ほどすると、チョビが目を覚ましてくれた。
眠ったことで酔いもすっかり吹っ飛んだらしい。
アイスを食べた後のことはほとんど覚えていない様子だった。
「お、お兄さん。本当にごめんなさい。また迷惑かけちゃった……」
帰りの電車でしゅんとうなだれるチョビ。
俺は首を振る。
「そんなことないって。あれは不可抗力だし」
「あ、あの……」
「ん?」
「酔っちゃったとき、私、なんか変なこと口走らなかったか?」
「う~ん、どうだろうなぁ」
俺がわざと目をそらすと、チョビが涙目でしがみついてきた。
「い、言ったのか? なんか変なこと言っちゃったのか?」
「そのピザは私のもんだぞ、がるる~、とか言ってたぞ、この食いしん坊め」
「う、うぎゃ~! 恥ずかしいぞ~!」
忘れてくれーと大騒ぎのチョビ。
俺は苦笑した。
うん、こういう冗談を言い合える感じがちょうどいいんだよな。
電車を降りるときに、チョビがいつもよりも神妙な口調で言った。
「これに懲りずにまた一緒に遊んでほしいぞ」
俺は曖昧にうなづいた。
* * *
翌日のバイト中に、唐突にディレクターに呼び出された。
なんだろう?と思ってディレクターのデスクに行くと、盛大なリテイクを食らった。
「悪くはないんだけどね」
分厚い眼鏡にあごひげという特徴的な容姿のディレクターが俺の描いたシナリオに目を通しながら言った。
「もうちょっとこう、展開にフックが欲しいんだよね」
フック?
どういうことだ?
「なんかこう、プロットに沿って上手く書けてるんだけど、おかずが足りないというか。全体的に書き直してよ」
「ぜ、全体ですか?」
「そう」
今から全体的に修正して、スケジュール的に大丈夫なんだろうか?
冷汗がしたたり落ちるような気がした。
「間に合うかどうか、自信がないのですが」
「間に合わせるのが仕事でしょ?」
「うっ」
か、返す言葉もないぞ。
「樋口君、将来的にはそのうちメインで起用したいとも思ってるから。そのためにも、今回の作品で実力を見せてほしいんだ」
「……っ!!」
ディレクターのその言葉が、効いた。
そんなこと言われて、断れるわけないじゃないか。
俺は頭を下げた。
「できる限り、頑張ってみます」
その日から、とんでもなく仕事が忙しくなった。
シナリオライターを目指してはいても、趣味の小説しか書いたことのなかった素人だ。
修正をして、より良くしたいとは思っていても、どこをどう直せばいいのか見当もつかない。
誰かにアドバイスをもらおうにも、マスターアップに向けて、みんな忙しそうにしている。
そもそもライターは俺以外は外注だ。
くそっ、自分で努力するしかないか。
俺は頬をはたいた。
* * *
大学の講義に、ゲームのシナリオライティング。
その二つで日々のサイクルがほとんど支配されてしまい、他のことをする時間が無くなった。
休日のほとんどは、シナリオを書くための勉強に充てるようになった。
俺は社内の先輩に頼み込んで、他の作品のシナリオスクリプトのファイルを渡してもらった。
それを読み込み、どういう風に作り上げているかを研究した。
チョビがピザを食べに行こうと誘ってくれたのだが、どうしても都合が合わなかった。
「ごめん。しばらくアルバイトが忙しいんだ」
俺がそう伝えると、チョビはかなり残念そうにしていたが、了解してくれた。
俺としては、ほっとする部分もあった。
チョビの好意に気が付いてから、表向きはいつも通り接していてもどこかしら後ろめたさを感じてもいた。
中学生の女の子の好意に対して、いったいどう受け止めればいいのか。
考えれば考えるほど答えが出ない。
だから、忙しくてしばらく会えないことは、俺にとって体のいい〝逃げ〟でもあった。
なのにチョビは、そんな俺に対して俺をいたわって元気づけるような言葉をくれた。
「お兄さん、頑張って! パンツァーフォー!だぞ!」
パンツァーフォー!か。
チョビらしい応援だ。
ほほえましく感じる一方で、俺は、自分のバイト内容を明かせないことで、さらに後ろめたさも膨張させた。
戦車は太陽の下をまっすぐ進むけど。
俺が作ってるギャルゲーって、
* * *
そうこうしているうちに夏が過ぎ、秋の入り口がやってきた。
肌寒くなってきたので、ポロシャツをタンスにしまって、春に来ていたいつものパーカーを取りだし、俺は街を歩いていた。
その日は珍しく、大学の講義が早めに終わり、バイトもない日だった。
特に当てもなく歩いていると、イタリア料理のいい匂いが鼻をくすぐった。
「あ、ここって」
それは、以前チョビと一緒に来たことのある店だった。
あのオシャレすぎて緊張した店だ。
俺のお腹が鳴った。
そういえば、最近ピザを食べていない。
というか、ちゃんとした飯さえ食えてねぇしな。
今日はここで食べて帰ろうか。
何気ない気持ちで、扉をくぐる。
もう昼下がりだからだろうか。
店内はかなりすいていた。
「おや」
以前と同じ、燕尾服に身を包んだダンディな店員さんが俺を見てにっこりとほほ笑んだ。
「いらっしゃいませ。本日はおひとりですか?」
本日は?
もしかして俺のこと覚えているのか?
「あ、はい。今日は一人です」
「左様でございますか。では、こちらへ」
カウンターの席に通される。
「あの。覚えているんですか? 一度来ただけなのに」
「それはもう。印象的なお客様でしたから」
あー。
そういうとあの時、チョビのやつが大騒ぎしてたしなぁ。
騒がしい子供を連れてきたって感じで覚えられてたか。
俺が思い出して苦笑する。
「素敵なお嬢様をお連れして、大変仲がよろしい雰囲気でしたので」
「お、お嬢様? あいつが?」
俺は思わず聞き返す。
「えぇ。お似合いのお二人だと記憶いたしております」
そう言って微笑む店員さんの表情には、嘘やおべんちゃらを言っている様子は見受けられない。
「あ、ありがとうございます」
俺はそう呟いて席に着いた。
メニュー表を開く。
最近ろくなものを食べてなかったから、ちょっと豪華にいきたいと思ってたんだけど……。
「あ、ここ、セットメニューは二名様からか」
しょうがないから、単品のお任せピザを注文した。
以前と同じように、店内ではジャズが流れていた。
今日はサックスの入っていない、静かで品の良いピアノトリオ。
少し寂し気な曲風でもあった。
俺は、一人だとすることがないので、ぼんやりと厨房を眺めてピザが出来上がるのを待つ。
厨房では痩身のコックさんが、真剣な目つきで窯を見つめていた。
頃合いを見計らって、パーラーでピザを回す。
あ、そうやって焦げ目を調節しているのか。
そういうと、厨房を見たのって初めてかも。
いつもはピザが出来上がるまでの時間、ずっとチョビをからかって遊んでいたもんな。
っていうか。
一人で待っていると結構退屈だな……。
やがて、出来上がったピザが運ばれてくる。
本日のお任せは、キノコをふんだんに使った〝フンギ〟というピザだった。
フンギとはズバリ、イタリア語でキノコのことらしい。
店員さんがそんな説明をしてくれる。
うん、秋らしくていいじゃないか。
「いただきまーす!」
俺は手を合わせて一切れ口に含んだ。
美味い。
コクのあるホワイトソースに、きのこの味わいが見事なアクセント。
でも。
なんか、足りなかった。
美味いんだけど。
めちゃくちゃ美味いんだけど。
何かが足りない。
「な、チョビ子。これってちょっと、いつもと違うくねーか? 一切れ食べてみろよ」
もしも目の前にチョビがいたら、俺はそう言って一切れ差し出しただろう。
だが、今日は一人だ。
たとえ期待と違うピザを食べても、笑い話にもできない。
「………………」
俺は、黙って次の一枚を口にする。
美味しいんだけど。
やっぱり、何かが足りない。
あれだけ真剣にピザ職人さんが作ってくれたピザなのに。
何なんだろう、これ。
「……あじけねぇ……」
誰にも聞こえないような小さな声で、そんな言葉が自然に口から出た。
* * *
チョビから電話があったのは、その翌日だった。
まだ悩んでいた俺は、少し気後れしたけれど、電話を取った。
久しぶりにチョビの声が聞きたかった。
「あっ!」
通話ボタンを押すと、チョビの嬉しそうな声が聞こえた。
こいつ、花が咲いたような声出しやがって。
「なんだよ。そんなに電話に出てほしかったのか?」
俺はいつもの調子でからかう。
極力、こいつを意識しないように。
「ち、ちがっ、いや、違わないけど……」
ちょっとすねたようにチョビが言う。
否定しないのかよ。
「だってお兄さんすごく忙しそうだったから。声聞けたの、久しぶりだし」
確かにそうだ。
前に海に行った時からふた月ほどが過ぎてしまっている。
メールのやり取りとかはあったけど、声を聴くのはお互い久しぶりだ。
「もしかして、いっちょ前に気を使ってたのか?」
「いっちょ前は余計だぞ! ……お兄さんの迷惑になりたくないんだ」
こういうところ、こいつって結構いいやつなんだよな。
「でも、その、どうしても、我慢ができなかったんだ」
なにかもごもごとつぶやく。
「電話ぐらい、してくれて構わないよ。チョビ子が寂しくないようにちゃんと相手してやるから」
微笑ましくなって冗談めかしてそう言うと。
「そ、そっか。そう言ってくれると嬉しいな」
まじめな答えが返ってきてしまった。
うぐっ。
なんか調子狂うなぁ。
「そ、それで。勇気を出して電話してきたんだから何か用事があるんだろ?」
「あ、そうだった!」
チョビが電話口で手をポンと叩く。
「お兄さん。映画を一緒に見に行かないか?」
ちょっと意外な提案。
チョビが続ける。
照れ隠しだろうか、早口で畳みかけた。
「そ、その。深い意味はないんだぞ? ただ、お兄さん最近ずっと忙しくて疲れてるみたいだったから。爽快なアクション映画とか見たら、気持ちが晴れてすぅっとするんじゃないかと思ったんだ」
映画かぁ。
確かにチョビの言う通りかもしれないな。
このところずっと煮詰まってて、シナリオも止まっちゃってるし。
気分転換になるかもしれない。
それに、映画館なら会話をするわけじゃないから、俺の抱えてる気まずさも多少はマシだ。
それに単純に、チョビが俺のことを気遣ってくれてるのが嬉しい。
ここまで言われて断るってのは気が引ける。
「おっけ。行こうぜ、映画」
「ほ、本当かっ!」
がばっと身を乗り出さんばかりの勢いの声。
「やった! お兄さんと一緒に映画だ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねそうな勢いでそう叫ぶ。
そんなチョビに思わず俺が笑い声を上げると、恥ずかしくなったのか「はぅぅぅ、い、今のは忘れてくれ……」とかつぶやいている。
こいつ、絶対赤くなってやがるな。
「そんじゃ、いつにする?」
「もちろん、お兄さんの都合に合わせるぞっ」
そんなチョビの気遣いで、次の3連休の最終日ということになった。
* * *
さすが連休の最終日だ。
繁華街は人込みでごった返していた。
それでも、待ち合わせ場所に行くと、えらい奇麗な女の子がいた。
鐘のオブジェの前に立っている、白いニットのセーターに品の良いチェックのスカートといういでたちの女の子。
意外にもそれはチョビだった。
周りにいる男たちがちらほらと目線を投げている。
はっきり言って、かなり目立っている。
「お兄さん、やっほー!」
俺に気が付いて、チョビが嬉しそうに手を挙げた。
と同時に、ちらほらチョビを見ていた男たちが舌打ちする。
俺への目線が怖えーよ。
っていうか……。
俺は、あらためて、まじまじとチョビを見つめた。
秋がやってきて少しシックな服装だってこともあるのかもしれないけど。
二か月ぶりに見たチョビは、なんだか大人びていた。
もしかして、背も少し伸びたか?
成長期だからな。
「ん? どうした? お兄さん」
俺の戸惑いなど知る由もない純真な表情で、見つめてくるチョビ。
俺はくるりと振り向いて、すたすたと歩きながら言った。
「は、早く映画館に行くぞ。間に合わなくなる」
「お兄さん、そっちの方向じゃないぞ……」
「うぐっ」
きょ、今日は俺がチョビみたいになっちまってる。
やべぇ。
なんかこいつをからかって調子を取り戻さないと。
「す、スカートは苦手なんじゃなかったのかよ」
「え、そ、それは、その」
おっ。
いい反応だ。
「お、お兄さんがこの間のスカートも、その、ほ、ほめてくれたから」
うぁ。
後ろにいるから表情は見えないけど、たぶん顔を真っ赤にしたような声でそんなことを言ってくる。
今度はこっちが恥ずかしくなってきた。
* * *
映画館は、繁華街のはずれにあった。
昔ながらの2スクリーンの映画館。
ちょっとボロくなった大きな看板に「町の映画館 キネマ倶楽部」と銘打たれている。
駅前の大型ショッピングモールにもシネコンがあるんだけど、チョビ曰く「こっちのほうが落ち着く」らしい。
「で、どれを見るんだ?」
「ふっふっふ!」
チョビが自信たっぷりに上映中のポスターを指さした。
「お兄さんを爽快な気分にさせる映画はこれだぁ!」
〝この秋一番の問題作! ひたすらに戦車が走る!!〟とあおり文句の入ったその映画のタイトルは、『101台・戦車狂い咲き』。
「お前が見たいだけだろーが!」
俺は思わずチョビのつむじにチョップを入れた。
「な、何するんだよぉ!」
八重歯を見せて俺をにらむチョビ。
「それは俺のセリフだ。なんだよこの映画。完全にお前の趣味だろ」
「そ、そんなことないぞ?」
目線をそらしてへたくそな口笛を吹くチョビ。
「ていっ」
もう一発チョップを入れてやった。
「で、でも、本当に面白いんだぞ、これ」
つむじをさすりながら涙目でチョビが唇を尖らせる。
「次から次へと戦車が攻撃されるんだ。それでも、どんなに装甲が痛んでも負けずにゴールを目指して走り続けるんだ。感動するぞ! 絶対にお兄さんも元気が出るぞ!」
こ、こいつ。
本気で言ってやがる。
これは本気の目だ。
「しょうがないな」
俺はやれやれとため息をついた。
「そこまで言うなら、だまされたと思って見てやるよ」
「やった!」
ぴょんっとチョビが抱き着いてきた。
うわっ、ち、近いから。
チケット売り場に並ぶと、売り子のお姉さんが問いかけてきた。
「男女のお二人様ですと、現在〝ラブラブ割〟というのがございますよ」
「「うぇ!?」」
俺たちは声を合わせる。
「ら、ラブラブ割り?」
チョビがあたふたとした声でお姉さんに問いかける。
「はい。おひとり1800円のところ、お二人様で2100円ですのですっごくお得です。この3連休限定の特別企画なんです」
「た、確かに安いな」
俺は思わずつぶやいた。
実質、一人につき750円も安くなるのか。
貧乏大学生にはありがたいことこの上ない。
「お、お兄さん、どうする?」
チョビが顔を真っ赤にして訊いてくる。
「魅力的ではあるな」
俺はそう答えた。
どうせとりあえずラブラブだって言っときゃいいだけだろうし。
ラブラブな男女なら何でもいいなら、親子でも適応できそうだ。
ってかそういう意味だろう。
「そ、そうだな! うん! うん!」
なんか自動式の人形みたいにこくこくと頷くチョビ。
「そ、それじゃ、ラブラブ割りで!」
力いっぱいそう宣言する。
目立つからやめてくれ……。
「かしこまりました。それでは、あちらのスタッフの指示に従ってください」
「へ?」
お姉さんの促されて、隣にいたスタッフさんの方へ。
「ラブラブ割りは、特別企画ですので。こちらで、ラブラブなお二人の証拠に記念撮影をしていただきます」
「は?」
あれよあれよという間に、ロビーの隅に設置されたハートマークのオブジェの前に立たされる。
「さ、ここでお二人で手でハートマークを作ってください」
妙にニマニマしたスタッフの女性が、俺たちを促す。
「ほらほら、どうしたんですか? 早くやらないと、割引が適応されませんよ~?」
「ちょ、チョビ子?」
「~~/// お、お兄さん!」
「は、はい」
「い、行くぞ、パンツァー・フォーだ~!」
ヤケになった感じのチョビが、俺の手を取る。
すっげー恥ずかしいけど、衆人環視の中、二人でハートのポーズ。
それをチェキに収められた。
「はい。記念にどーぞ♪」
出てきた写真を見ると、お互い真っ赤になって目線をそらしながらポーズをとっていた。
ま、まさか後日ロビーに貼ったりされてねーだろうな。
そんなことをしているうちに、上映時間ギリギリになってしまった。
「あ、やばい。お兄さん、始まっちゃう」
「行くかっ」
「うん」
気を取り直して、スクリーン2へ。
もう予告編が始まっていて、館内は真っ暗だ。
暗くてこけそうだ、と思ってたら。
「お兄さん。こっちだぞ」
手を握られた。
「えっと、Hの11と12だから」
すっげー自然な感じで手を引かれる。
こいつ、無意識でやってるのか。
っていうか、たまに見せる妙なリーダーシップの片鱗か。
……前も思ったけど、手があったけぇ。
んでもって、小っちゃくてやわらけぇ。
暗さに目が慣れてくると、観客はほとんどが女性だった。
戦車道をやってる人たちなのかな。
「見てみて、あの子。お兄ちゃんの手を引っ張ってる。可愛い~」
「恋人同士かもしれないよ?」
「え~? 歳が離れすぎてない? そ、それとも禁断の関係だったりして……」
そんな会話が聞こえた。
ってか、俺たちのことだ。
「!!」
チョビもその声が聞こえたらしい。
大慌てで手を離した。
「す、座ろう、お兄さん」
照れ隠しなのか、そっけなく言う。
「お、おぅ」
俺も自分の席に腰かけた。
地方の小さな映画館だからだろうか。
席と席の感覚がかなり狭い。
ちょっと手を動かせば、お互いの指先が当たってしまう。
事実、映画を見ている間中、時々そういうことになった。
だが、チョビは嫌がらなかった。
というかむしろ、俺の指にぴとっと自分の指をくっつけてきたりした。
……あったけぇ。
映画の内容は……。
まぁお察しだ。
とにかくたくさん戦車が出てきた。
なんか戦車乗りたちの命を懸けたデスゲームな内容。
ラストシーンでは、地雷だらけの砂漠をゴール目指して生き残った戦車たちが走っていく。
んでもって、爆発したり吹っ飛んだりしていた。
* * *
「はぁ~! 面白かったぞ」
チョビが満足げに伸びをする。
「おっ前、やっぱ子供だな」
「な、なんでだよぉ!」
「え? あぁいうアクションで大はしゃぎできるあたりが」
「そ、そんなことないぞ! お兄さんは感動しなかったのか? 最後に、危険地帯を抜けたと思った瞬間にC.V.33が狙撃されてひっくり返ってしまった場面! 涙なしには見られなかったぞ」
あ~、小っちゃい戦車がひっくり返ってたな。
確かに、観客から結構、鼻をすする音が聞こえてきたけど。
「チョビ子、自分が小っちゃいから小っちゃな戦車に感情移入してたのか?」
「うが~! 私は小っちゃくなんかないぞ!」
がおっと牙をむく。
「そ、それに背だって順調に伸びてるしな」
ちょっとふくれっ面でそう言った。
あ、やっぱ伸びてたのか。
「それ、会ったとき思ったんだよ。あれ? 背、伸びた?って」
するとチョビが満面の笑みになる。
「くふふ。そーだろ? 最近は牛乳たくさん飲んでるからな」
「最近なの?」
「あ、それは、その……」
なんか人差し指を合わせてごにょごにょ。
「は、早くお兄さんの背丈に追いつきたくてだな……」
「え?」
「な、なんでもない! それよりも、お腹すいたぞ! ピザを食べながら、映画の感想とかお話ししようよ!」
「それはいいけど。どっかあてはあるのか?」
「大丈夫! 前に角谷と映画を見たときに近くにピザ屋さんぽいのを発見してあるんだ」
「おっけ。じゃ、そこに行こうぜ」
「しゅっぱーつ!」
楽しそうに鼻歌を歌いながら、チョビが歩き出す。
その後ろをついていきながら、ふと気が付いた。
あれ?
なんか、こうやって二人で遊んでたら、気まずいとかそういう気持ち、吹っ飛んじゃってるぞ……。
「ここだっ!」
意気揚々とチョビが指さしたのは、小さな喫茶店のようなお店。
〝アメリカンダイナー ビリーズ〟と入口の木の板に書いてある。
「アメリカンって書いてあるぞ」
俺はチョビの肩をつついた。
「お、おかしいな。この前はすっごくおいしそうなピザの匂いがしてたんだけど」
そう言いながら、ドア付近に置かれたメニュー表をぱらぱらとめくる。
「あっ!」
と、うれしそうな声を上げた。
「あったぞ、お兄さん」
ドヤ顔で見せつけてくるページには〝当店自慢・ニューヨークスタイル・ピザ〟の文字が。
「へぇ。ニューヨーク風か。面白いかもな」
「入ってみようよ」
「おぅ」
ウェスタン映画に出てきそうなスィングドアを開けると。
「いらっしゃいませ~!」
おぉぅ。
ちょっとセクシーなGパンを履いた金髪の女の子が迎えてくれた。
生意気そうな顔立ちだけど、なかなか可愛い。
俺のそんな反応を見て。
「………………」
あ、チョビの熱が一気に冷え切っていくのがわかる。
「別の店にしよう、お兄さん」
なんか不機嫌そうにそう言った。
「あら? 2中の安齋千代美じゃないの?」
「え?」
意外な言葉に、店を出ようとしていたチョビが振り向いた。
セクシーな服を着た店員の女の子がせせら笑うように言った。
「敵情視察に来て、目前逃亡って感じ?」
「お、お前はッ………」
「ふふん」
「…………誰だっけ?」
あ、ずっこけた。
がばっと起き上がって女の子が言う。
「4中の藤村アカネよ! 戦車道の校区大会で闘ったことあったでしょうが!」
「あ、思い出したぞ! ていうかなんでお前、アルバイトしてるんだ? 同い年だろ?」
「ふふん。ここ実家なのよ。お手伝いしてるの。私、将来はサンダースに入学したいのよ。だからアメリカンな雰囲気に慣れておこうってわけ」
「サンダース?」
俺の問いかけにチョビが答えた。
「サンダース大学付属高校。能天気でお金持ち主義の学校」
「あ、あんたこそ、あの弱っちぃアンツィオ狙ってるんでしょ? 学力も足りないくせに」
「う、うっさい!」
お互い、ぐぬぬとにらみ合う。
くるりと振り向いてチョビが言った。
「敵前逃亡とか言われるのは心外だ。やっぱりここで食べよう」
「へいへい」
「!?」
そんな俺に反応したのはアカネちゃんだった。
「え。安齋千代美、誰その人。お兄さん?」
「いや、兄妹じゃないぞ」
「!!!???」
なんか、盛大にびっくりしている。
「お、男連れ? このセクシーな私がいまだに恋人いないのに? そ、そんな、まさか……」
わなわなと震えると。
「ま、負けたわけじゃないんだからねー!」
そう叫んで厨房へ逃げて行ってしまった。
「ど、どうする?」
「ま、まぁせっかくだし、食べていこっか、お兄さん」
さすがアメリカン・ダイナーを謳っているだけあって、店内は古き良きアメリカという雰囲気だった。
オールディーズを流しているジュークボックス、きらびやかなネオンサイン、白黒タイルのフローリング。
チョビがきょろきょろと興味深そうにあたりを見回す。
「ちょっと」
「「!!」」
唐突に声をかけられてびっくりした。
いつの間にか、アカネちゃんが戻ってきていた。
不機嫌そうに腕を組んで、メニュー表を持っている。
「注文取らずに戻ったらパパに怒られちゃったじゃない」
それは君自身のせいでは?
「さっさと注文してよね」
「ぷぷっ。怒られたんだ」
笑いをこらえきれないチョビが、ドヤ顔でメニューを指さす。
「じゃ、私このニューヨーク・スタイル・ピッツァな」
「ピッツァ?」
アカネちゃんがギロリと睨んだ。
「ひっ」
あ、チョビがビビってる。
「ピッツァじゃなくて、ピ・ザ。ピッツァとピザは別物よ!」
「そ、そうなのか?」
俺の問いかけになぜかアカネちゃんがちょっと照れながら答えてくれた。
「イタリア風の、窯で焼くもちっとした生地のがピッツァ。うちのはアメリカンスタイルだから、生地がサクッとしてて、オーブンで焼くの」
* * *
果たして出てきたピザは……異様に大きかった。
というかだな。
恐ろしいほど巨大な2切れだけが丸い皿に鎮座している。
「え?」
俺たちは、出てきたものを見て互いに顔を見合わせた。
「ど、どうしよう。2切れしかないぞ、お兄さん」
チョビがあたふたと声を上げる。
いや、しかしこれ。
一切れで十分に普通の丸いピザ一枚分ぐらいあるんじゃないのか?
しかも生地の上にはトッピングが、溢れかえらんばかりに乗せられている。
ケッパー、サラミ、ソーセージ、ベーコン、オリーブ。
これでもかと言わんばかりのてんこ盛りだ。
「心配するな、チョビ子。一切れで十分すぎるぐらいの大きさだぞ」
「でも……一緒に分けることができないぞ」
シェアすることをいかにも楽しみにしていたという風にチョビがうなだれる。
いつも二人で分けるのが楽しいもんな。
「あっ」
俺はふと、テーブルの隅に置かれたナイフとフォークを見て思いついた。
「そうだ、チョビ子、これを使おうぜ」
大きな一切れのピザを、ナイフとフォークで切り分けていく。
「ほら、これで分け合えるだろ?」
「ほんとだ!」
チョビが嬉しそうに自分もフォークを手に取る。
「お兄さんのは私が切り分けてあげるぞ」
ちょっと危なっかしい手つきでもう一枚のピザを4等分してくれた。
物量で勝負の国民性が出た〝ピザ〟を口に運ぶ。
「「これはこれで、美味い!」」
俺とチョビの言葉がハモった。
顔を見合わせて笑いあう。
こいつと一緒に食べてたら、ピザでもピッツァでも関係ない。
何を食ってても美味い。
俺はやっと気がついた。
この間のピッツァが味気なかったのって、一人で食べたからだ。
チョビと一緒じゃなかったからだ。
それに、この二か月、俺が抱えていた後ろめたい感情。
チョビと会ったとたんに吹っ飛んじゃっていた。
一緒にいるのが楽しくって。
すっかりいつも通りだった。
体の奥底に熱がともったような感覚があった。
じんわりとした、暖かい気持ち。
やべっ。
この感覚って。
…………。
―――俺、チョビのこと、好きなのかも
ちらっと、チョビを見る。
チョビのやつは、口元が汚れるのも気にしないでピザにかぶりついている。
こんな、ガキンチョなのに。
いつの間にか、俺の中でかけがえのない大きな存在になっている。
年齢とか、関係ない。
こいつだから。
こいつと一緒にいるから、楽しいんだ。
「んぅ? お兄さん?」
見つめられていることに気がついたのか、ちょっと恥ずかしそうに口元を指で隠した。
そんな様子が可愛くって、俺は思わずデコピンした。
「な、何するんだよぉ」
「あんまり美味そうに食べるからちょっとむかついた」
「むぅ。仕返ししてやるぞ」
「おっと! そうはいくか!」
周りから笑われそうなほどはしゃいで遊んだ。
* * *
ボリュームたっぷりのピザを食べ終えて、まったりしていると。
「お兄さん、これって何だろう」
チョビが、机の隅に置かれた小さなおもちゃを手に取った。
それは懐かしい、卓上占い機だった。
コインを入れたらおみくじが出てくるやつだ。
「占いができるおもちゃだな。おっ。サービスでタダだってさ」
側面にそんなことが書いて貼ってある。
『当店に来てくださったお客様に幸せが訪れることを願って。お一人様、一度だけお占いください』
俺は上についているボタンを押してみた。
中でなんか回る音がして、小さな筒みたいなのがポンッと出てくる。
広げると、格言みたいなのが書いてあった。
〝失う前に大切なものに気がつけば幸いである〟
ふむ。
そりゃそうだ。
「えい!」
チョビも盛大にボタンを押した。
ぽんっと出された紙を広げて、赤面した。
「なんて書いてあった?」
俺の問いかけに、あわてて紙を隠す。
「な、内緒」
そして、しばらく沈黙。
意を決したように顔を上げると、俺をじっと見つめてくる。
「お、お兄さん!」
「ん?」
目が合うと、一瞬恥ずかしそうにうつむく。
けど、すぐに俺の目を見つめ直し。
「こ、今度……」
すーはーと深呼吸。
勇気を振り絞るように小さな拳を握りしめ。
一息に言い切った。
「私の家に来て欲しいんだ!!」
え!?
い、家!?
チョビの家に!?
俺が狼狽していると、チョビが慌てて手を振った。
「い、いや、違うぞ。へ、変な意味じゃないかんな。その……勉強を教えてほしいんだ」
ほっ。
そういうことか。
「さっき、4中の子にも言われちゃったけど。私、アンツィオを目指してるのに、どうしても、もうちょっと点数が足りないんだ。それで、その。大学生のお兄さんに、わからないところを教えてほしいんだ」
……アンツィオか。
やっぱり、本気で行きたいって思ってるんだな。
脳裏に、ちらりと学園艦のシルエットが浮かんだ。
合格したら、離れ離れになっちまうんだよな、俺たち……。
って、何ネガティブになってんだ。
せっかく、チョビが人生の目標を立ててるのに。
応援してやらなきゃダメだろ!
迷いを振り切るように、頬を叩いて俺は言った。
「わかった。今度、仕事の忙しくない日に教えてやるよ!」
※※※※※※※おまけ・アンチョビのターン※※※※※※※
「あぁぁぁ、とうとう誘っちゃったぞ……っ!」
家に帰ってから。
アンチョビは自室の学習机に座ってはいるものの、まったく勉強に手がつかない状況だった。
参考書を広げてはいるのだが、一向に集中できない。
だ、だって、今度、お兄さんがやってくるんだぞ!
わ、私の部屋に!
アンチョビはこれまで、弟以外の男性を部屋に上げたことがない。
それは生まれて初めての体験だ。
も、もしも、可愛くない部屋だと思われたらどうしよう。
そんなことを考えると、いても立っても居られなくなる。
さっきから勉強しようにも、部屋の片付けとか、そんなことばかりしてしまっている。
まだ、いつ来てくれるかとか、具体的なことは何も決まっていないというのに。
で、でも、もし来てくれたら……。
「~~~!!!」
なにやら、恥ずかしい妄想でもしてしまったのか、アンチョビは両手で顔を隠して足をバタバタとさせた。
その瞬間、机の角に盛大にぶつけてしまう。
「はぅっ!」
振動で、机の上に置いていた小さな紙が床に転がった。
それは例の占いの紙だった。
アンチョビは慌ててそれを拾い上げ、大切そうに手のひらに載せる。
純一に内緒にした、格言の内容はこうだった。
〝もしもあなたが求めるものがあるならば、心を偽るな〟
お兄さんは私の占いの結果も見たがっていたけれど。
こんなの、お兄さんに見せられるわけがない。
だ、だって、恥ずかしすぎるじゃないか。
私が求めるものって、それは、つまり、その……お兄さんなんだから……。
「はぅぅぅぅぅぅぅ~」
そんなことを考えているとまた頬が火照ってきた。
アンチョビはひとしきり悶えてから、呟いた。
「ち、違うことをしよう」
今日はもう、勉強なんか無理だ、絶対。
自分に言い聞かせ、書棚へと向かう。
一冊の本を手に取った。
勉強も教えて欲しいけど。
純一が家に来てくれたら、したいことが実はもうひとつあったのだ。
本当の目的とも言うべき〝それ〟のために〝別の勉強〟もしなくてはならなかった。
(続く)
さて、次回はいよいよ、おうちでデートです。かなり攻めるチョビを書きたいですね。