専業主夫になった比企谷八幡が浮気するお話。 作:ハーミット紫
「乾杯」
その声にグラスを合わせる。
結婚式が無事に終わり、俺達は場所を移して二次会を始めていた。
残念ながら由比ヶ浜達は葉山達主催の方に行ってしまたので雪ノ下と俺の2人だけだ。
出来たらあとから合流するとは言っていたが、難しいだろうな。
平塚先生は二次会には参加しなかった。学校で問題があったのか式が終わるとすぐの帰ってしまった。
最後まで俺達の帰りの心配をしていて謝ってくれていた。
残念ながら例え残ってくれていてもこうやってバラバラに行動しているのだから、あの当時のように皆でとは行かなかったな。
「由比ヶ浜さん達が来れなかったのは残念だけど仕方無いわね」
「そうだな。三浦と葉山の結婚式だから仕方無いとしか言いようがないな」
由比ヶ浜達が葉山達のほうの二次会に参加するなら帰るか。そう思っていたら雪ノ下が声を掛けてきた。
雪ノ下もあちらの二次会には参加しないと告げてきた。貴方もどうせ帰るんでしょう?
なら久しぶりにと雪ノ下が提案したこの二次会は、会場から少し離れることにはなったが落ち着いて雰囲気の良い店で開始された。
ゆったりとした個室でソファーに座り、グラスに口をつける。
美味しい。
俺はこういった店に明るくは無い自覚があるので、素直に雪ノ下に賞賛の言葉を送った。
「良い店だな」
「あら、貴方から褒めて貰えるては思はなかったわ」
俺の隣に座る雪ノ下はそういって微笑む。
かつてとは違う距離に少し戸惑いを覚えると共に、雪ノ下のかつてと変わらぬ笑顔に懐かしさがこみ上げる。
「雪ノ下さんか?」
「その通りよ。
私はあまりこの手のお店に詳しくは無いから姉さんを頼ったの。
あの人にこの手のことを聞けば間違い無いもの」
「相変わらずお凄いことで」
「そうね。けど、姉さんの話はこのくらいにしておきましょう。
噂をすれば何とやら……でしょう?」
「確かにそれは困る」
そういって2人一緒に笑う。
高校を卒業して、大学に進学して直ぐは奉仕部で集まって今みたいに何気無い話で笑いあったな。
「あら、グラスが空よ。
私も追加で頼むから、ついでに頼んで上げるわ」
あんまり飲み過ぎてもな…
それに、いくら相手が雪ノ下とはいえ男女2人きりだ。既婚者として避けるべきことだが、まぁ、良いか。
次はまたいつになるかわからないのだから少しくらい羽目を外しても構わないよな。
「そうだな。なら雪ノ下と同じので頼むや 」
「わかったわ」
雪ノ下はそう答えると手慣れた感じで注文をした。
聞いたことの無い名前の酒だが、雪ノ下が勧めてくれただけあって美味しく飲みやすい。
「専業主夫生活はどうかしら?」
「…自分でもまさかなれるとは思っていなかったから今でも不思議だな。
恵まれてるよな。何不自由無い生活をさせてもらっているよ」
「…そう」
雪ノ下は俺の答えに特に何かを言うわけではなく、そう答えて酒を煽った。
雪ノ下らしく無い姿だが、美人がすると様になる。
「そういえば昔…」
その後も他愛の無い話が続く。
懐かしい思い出話に花が咲き、酒が進む。
こうして楽しく過ごせるのも随分と久しぶりな気がする。
いつ以来だろうが?思い出そうにも頭は回らない。少し飲み過ぎたかもしれないな。
◆
「…自分でもまさかなれるとは思っていなかったから今でも不思議だ。
恵まれているよな。何不自由無い生活をさせてもらっているよ」
彼の答えはまるで模範解答のように聞こえた。
あらかじめ考えていた答えを言っている。そんな感じがしてならない。
彼は笑って答える。それなりの期間の付き合いがあったはずなのに見たことの無い笑い方だった。
彼はこんな笑い方をする人だっただろうか?
「…そう」
自分から聞いておいて素っ気ない返事をしてしまう。
嫌な女。それ以上は聞きたくなくて新しい話題を探してしまう。
「そういえば昔…」
露骨な話題替えだ。これは酷い。
けど彼は咎めるわけでも無く、その不出来な誘導に乗ってくれた。
貴方はそういう人よね。それが懐かしくて、嬉しくあるのに胸が痛んだ。
「比企ヶ谷くん?」
そんな拙い手で始まった思い出話は想いの他楽しいものになった。
話題は二転三転したけれども、始まめのような気不味さを感じることも無くな長く話込んだ。
「眠ってしまったの?」
少し席を外してから戻ると彼はソファーに深く座り、眠っていた。
「…」
彼を起こして、御開きにする。
もし酔って目を覚まさずそれが難しい場合は、気がひけるけれども彼の携帯電話を借りて奥さんに連絡して彼を引き取ってもらう。
「…」
しなくてはいけないことはすぐに頭に浮かんだ。
けれど私は彼の隣に座り、暫く彼の横顔を見つめていた。
「比企ヶ谷くん。起きて、ここで寝るのはいけないわ」
どれくらいそうしていただろうか。
ようやく私は軽く肩を揺すり、覚醒を促した。
けれど彼は少し寝苦しそうにしただけで、起きる様子はなかった。
「…」
他意はない。
ただ介抱するだけなのだから。
式は終わったのだから、ネクタイくらい緩めれば良いのにそれをしない彼が悪い。
そっとネクタイを緩め、ボタンを一つ外す。
「…これは」
これは、きっとそういうものなのだろう。
だから彼はネクタイも緩めずにいたのだろう。
彼の奥さんによるものだろう。夫婦なのだから何もやましい事では無い。彼らにとって当たり前の日常の一つ。
そう分かっている筈なのに胸は痛んだ。
「…ごめんなさい。携帯電話借りるわね」
気持ちを切り替えて、テーブルに置いてあったそれを手に取る。
返事は無いとは思っていたけれども、一応声をかけておく。
「駄目ね」
当然のことながら携帯電話にはロックが掛かっていた。
「……どうしようかしら」
彼の携帯電話を借りたのは当然のことながら、私が彼の奥さんの連絡先を知らないからだ。
私は彼の自宅の場所も分からないし、現状は八方ふさがり。
「…」
私の家に連れていくのが良いのかしら。
道義には反するけれども、現実的な案ではある。
タクシーを拾って私の家に向かう。途中で彼が起きたのならそのまま行き先を彼の自宅にすれば良い。
「…もしもしタクシーを、一台お願いします。
えぇ、場所は…」
しばらくしてタクシーが到着した。未だに眠っている彼に声を掛ける。
起きてくれればそのまま彼を自宅に送れば良い。
「…ぅん」
彼は目を閉じたまま、曖昧な返事をした。
何度か呼び掛けるが、同じような反応ばかりでラチが明かない。
幸い肩を貸す必要はあったけれども、タクシーまでは歩いてくれた。
私の葛藤や後ろめたさを他所に、彼はタクシーが私の家に到着しても眠っていた。
「…」
四苦八苦しながら、どうにか彼を自宅に誘導出来た私は1人飲み見直すことにした。
彼は私のベッドで休ませた。
お酒に弱かったのかもしれない。学生時代にはそんな素振りは見せたことは無かったけど。
私がかなり強い部類なのは自身でも不思議だ。
「熱くなってきたわね」
着替えもせずに飲み直したのを今更ながら後悔する。
眠ってしまう前に着替える。その前に化粧を落とさなくてはいけない。
シャワーだけでも浴びたかったけれど、今日はかなり飲んでいるし諦めよう。明日の朝一番に浴びる。そう決めたら我慢もできる。
化粧を落として着替えようと思った所で、着替えは寝室に取りに行かなければ出来ない事に気がつく。
「仕方無いわね」
寝室に向かう。部屋に入ると規則正しい呼吸音が聞こえる。
姉が引っ越し祝いにくれた一人で使うには大きすぎるベッド。彼の隣には一人が横になれるぐらいのスペースが空いている。
「…」
煩いくらいに心臓が早鐘を打つ。
一歩、また一歩近づいてしまう。起こさないように静かにベッドに腰掛ける。
そして暫く彼を見ていた。いけない事だとはわかっている。
それでも私は、その衝動に逆らうことができなかった。
並んでベッドに横になる私と彼。
彼にとっては不本意なことだろうけれども、私は止めることが出来ずにいる。
ずっと好きだった。今迄ずっと忘れようとしていた。けど今日は久しぶりに彼に会ってそんなことは到底無理なのだと気がついた。
面倒な女だ。けどそんな女と2人でお酒を飲んで、挙句に家に連れ込まれるなんて貴方も悪いんだからね。