黒猫の気まぐれ冒険譚 作:蒼陽
『______! 必殺の右ストレートが炸裂ゥ!リングに響くこの轟音こそが、怒涛の99連勝の証だーーーー!』
K-1と呼ばれ、男たちが自らの力を存分に振るい誇示する場、その最高峰の場で、彼は肩で息をし、滝のような汗が傷にしみるのを感じながらも、喜びに打ち震えていた。
惜しみのない称賛の声をその身に受けながら、綺麗に着飾った女性から受け取ったマイクに、喜びの声を通すのだった。
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「ったく…まさか本当にやっちまうとはな。流石だよ」
「腹に一発もらった時はもう終わったかと思ったけどな」
背を伸ばし、呆れ声のうちに大きな喜びを隠しながら呟く幼馴染の男に答えて、頰いっぱいに貼られた絆創膏の淵を撫でながら笑う男。
彼こそ格闘家としての盛大なな偉業を達成したまさしく生ける伝説その人であり、喜びと高揚感も冷めやらぬまま酒を煽った帰りであった。
今日くらいは、と普段からお堅い幼馴染をもう一軒回ることに同意させる画策をしつつ、今日の試合を振り返る。
「なぁ、もう一軒、どうだ?」
「試合直後だってのにそんなに元気なら余裕だったろうよ、明日の俺の取り立てにも付き合ってもらいてえくらいだぜ」
「格闘家の拳をんなことに使わすんじゃねーよバカ」
2人は物心ついた時から孤児院で育ち、そして片方はヤクザ、片方は格闘家となった。
メディアに騒がれると面倒だ、というのは重々承知しているが、そんなことは家族に会えなくなることに比べれば他愛のないことだと笑い飛ばし、初めは離れようとしていた幼馴染も、今では諦めつつあるらしい。
「オイ!嬢ちゃん!」
柄にもない思考の渦に飲み込まれていた男の意識を現実に引き戻したのは、幼馴染の焦りに溢れた怒声だった。
見れば、金髪の、見るからに幼い少女が虚ろな様子で赤信号にも関わらず横断歩道に踏み出そうとしていた。そして。
_____気がつけば、飛び出していた。
道路に踏み出したを抱き、幼馴染に向けて豪快に投げ飛ばす。驚いた顔をしたが、それでもしっかりと彼女の体を抱きとめた幼馴染を見て、安堵する。
嗚呼、もしこの世に神様がいるのなら、きっと彼は盲目に違いない。
運命とは、時として善や才能をためらいなく壊す。
次の瞬間、けたたましいクラクションと巨大な鉄の塊が、男の研ぎ澄まされた感覚を壊れるほどに満たした。
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「……ここ、は」
気がつけばそこは、船の上だった。
辺りは暗く、船が浮かぶ湖には、彼が乗る船の他に怪しく淡い光を灯す提灯が多数浮かび、かつてムードの大事さを理解した方が良いよ、と彼女に振られたことのある俺がいうのもなんだが、これ以上ないほど幻想的に思えた。
「目が覚めたかしら、気分はどう?……と言っても、体はないのだけれど」
どれくらいの時間だろうか、じっとしているのが苦手な俺が柄にもなくぼーっとしていると、いつのまにか陸地の見えぬ湖に浮かぶ、俺の乗る船____もっと言えば、俺の膝の上に、少女がちょこんと佇んでいる。
黒くてふわふわの髪に、人形のような、雪にも劣らないと思えるほど白い肌。頰はほのかに紅く染まり、その血のように赤い瞳には少女だというのにどこか女の妖しさを覗かせる。
幼馴染風に会わせればサイコーにマブい、お菓子やるからこっち来なァ。ということ間違いない。
「うおっ?!お、お嬢ちゃんは一体…」
「知らなくても良いのだわ、どうせ忘れてしまうもの」
だからこんなに大胆になれるのだけど、と付け足しながらクスクスと笑う彼女は初めて会うはずだが、何故だろうか、こんなにも落ち着いた気分なのは。
状況に困惑することにも飽き、先ほどの聞き捨てならないことを問うて見る。
「体が…ない?」
忘れてしまう、そう言われても気になることは気になるものだ。
ここがどこで、彼女が誰か、今何時で、どうやってここに来たのか。
疑問は尽きないが、この中の一つで最も気になることを訪ねた。
「……えぇ。残念だけれど。」
無駄に落胆させたくないけれど仕方ないわよね、男の子だもの、と頬を膨らませながら彼女は応えた。
残念…あぁ。
どこか夢の中にいるような気分だったが、ズキリ、という頭痛とともに自分に起こった出来事を思い出した。
俺は…死んだんだな。
「か、格好良かったのだわ!彼女はおかげで救われたのだし、貴方は正しいことをしたのだもの。そんなに悲しい顔をしないで?」
それでも…それでも。
死んだらすべて終わりだ。
けど、あの子が無事だという話も聞けたお陰か、しばらくすると気分も晴れて来た。
よほど暗い顔をしていたのか、俺が沈黙している間ずっとオロオロしっぱなしだった少女は、ようやく顔を上げた俺を見て優しく微笑んだ。
「ありがとな。んで、俺はどこに連れて行かれるんだ?できればその、虫地獄ってやつだけは勘弁して欲しいんだが……」
そんな俺の呟きを聞くと、ポカンとした後、彼女はあはは!と俺に体重を預けるようにして仰け反りながら、腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ雫を指でなぞりながら、困惑する俺にようやく応えてくれる。
「人を庇って死んだのだから、行くとしても天国でしょうに。あいかわらず虫も苦手なのね。……ねぇ、あなた」
「ん……?」
「もう一生、寄ってみない?」
可愛らしく人差し指を立てながら、身をよじるようにして俺の顔を見上げながら。
彼女は、ハシゴに誘うかのような気軽さで、輪廻転成とかいうやつを、俺に勧めてくるのだった。