ID.in Personality 作:内臓脂肪が多いガリノッポ
一体どれくらいの間固まっていたのだろうか。目の前の光景に思考を停止させられた僕は、何をどうしていいか分からず立ち尽くすばかりだった。
「と、とりあえずなにかしなきゃ! けど何をすれば……あわわわ。」
警察?いや、それは最終手段だ。無闇におおごとにするのは良くない。それじゃあ救急車?いや、怪我してるかどうかも分からないしーーーーってそうだ!まずこの娘の状態を確認しないと!
ようやくまともな思考を取り戻した僕は、急いでその娘に駆け寄り身体の様子を診た。
「……息はしっかりしてる、か。」
その娘は静かに寝息を立てていた。冷たい地面の上なのにも関わらず、それはもう安心し切った様子で寝ていた。体に傷は見られないし、実に健康体だ。
では、何故こんな路地裏にいるのだろうか。彼女の容姿を見る限り、小学校の高学年から中学1生くらいといったところだ。背も高い部類では無いだろう。とても夜遊びをする子には見えない。家出と考えるのが妥当だろう。
しかし理由はどうであれ、このまま放置するのは危険だ。どうにかして、彼女の身を安全なところに運ばないと。
やはり、警察を呼ぶしかないのだろうか。だが、未成年の僕じゃあらぬ誤解を受けかねないし、個人的に警察はあまり信用していない。どうにかして他の方法を取りたいところだ。
時刻は午前0時を回っていた。どうにも警察を呼ぶのが躊躇われた僕は、気持ち良さそうに寝る彼女を前にして、腕を組んでいた。
「……それにしても本当に心地良さそうに寝てるなぁ。」
顔を覗き込むと、整った少女の寝顔が見える。丸まって横たわる少女は、規則正しく寝息を立て、隙だらけの姿を晒していた。けれども、なんだか触れ難い雰囲気を纏っていて、それ故に起こそうにも手が伸ばせない。そんな曖昧な感覚に負けた僕の中から、楽観的な考えが出始めていた。
「もしかしたら、このままでもこの子なら安全なのかもーーーー
ーーーー瞬間、鈍痛が走る。身体全体を強い衝撃が走った。
「ヴゥッ!?」
衝撃により、体内の空気が吐き出される。背中を打ち付けた僕は、痛みに戸惑い思考が乱される。身体を打ち付けるまでの過程が全く理解出来なかった。唯一理解ったのは何かに強く引き寄せられた様な、例えるなら磁石の様に強く引き寄せられたかの様な、不思議な感覚だけだった。
「い、一体何が……?」
状況を知るために、衝撃により反射的に瞑っていた目を開くと。
「え」
居た。そう、居たのだ。文字通り目の前に______いや、視界いっぱいに。
おかしい、ああ可笑しい。先に述べた通り、僕はたしかに背を地面に打ちつけた。だから僕の目は空に向いている筈だ。しかし、少女の姿がこの目には映っている。それはつまり________
「……警察呼ばなくて本当に良かった。」
そう、僕の体の上に彼女は乗っていた。それも抱き締める形で。もしこの光景を誰かに見られていたなら、僕の人生はその時点で肥溜めにダイビングしていただろう。状況があまりにも速く、予想外に移り変わっていった所為なのか、変に僕の思考は落ち着いていた。
至近距離から少女が規則的に繰り返す呼吸が聞こえる。それが無性に心臓の鼓動を速くさせる。今すぐにも離れたいところだが、生憎と彼女に掴まれているため、力を入れなければ引き剥がせない。
「……ゥ……ン」
「っ……!」
それは脊髄反射のように意思とは無関係に起こった。僕は立ち上がるのと同時に、彼女の体を持ち上げ背負ったのだ。それは何故起きたのか。いや、考えるまでもない。声が聞こえた。彼女の口から叫びが聞こえたんだ。その訳も解らないし、それがどんな単語を呟いていたのかは分からない。けれども、その悲壮さと切なさが詰まった懇願の声が、僕に届いた。
それを理解した僕の細胞は、まるで義務を果たせと言わんばかりに自らの身体に命令を下したのだ。
夜はまだ長い。吹き付ける風もこれから更に冷たくなるだろうし、彼女が身体を預けるだろうアスファルトは、一層その凹凸の棘をその肌に食い込ませていくに違いない。だが彼女はきっと明日には起きて、また健康な体のまま動きだすだろうという妙な確信があった。
しかし、このまま彼女を置いておくという選択肢は、僕の中から既に消え去っていた。今の僕はさっきまでちゅうちょしていた筈の彼女に触れるという行為どころか、警察を呼ぶという行為すらも行おうとしていた。数秒、そう、たかが数秒だ。その間に起きた出来事は、僕の思考を180度反転させたのだ。
____今まさに警察に連絡しようとしたそのとき、辺りにコツンという軽い音が響いた。彼女を背負ったまま足元を確認すると、何やらカードの様なものが落ちていた。
『井戸内園111号室
拾って確認したところ、どうやら彼女の物のようだ。住所、名前、年齢、性別、顔写真など、個人情報の数々が記されていた。そのうちの一つが、僕の記憶の網にかかった。
「井戸内園って確か、孤児院じゃ……」
井戸内園、それはこの付近にある孤児院だ。精神科の病院と隣接し、孤児院とは思えないほどの大きさの敷地。自分の目で確かめたことは無いが、その謎の立地に噂は絶えない。
どうやら彼女、いや針村さんは井戸内園の人のようだ。そこには、井戸内園の責任者の電話番号も記されていて、連絡も取れそうだ。連絡が着けば、万事解決だろう。
携帯に電話番号を打ち込み、電話を掛ける。知らない人に掛けると思うと、緊張により手が少し震える。誤解の無いように状況を話せるだろうか、そんな不安が頭に浮かぶ。
携帯電話のコール音が響く。それが何度か繰り返された後、ようやく電話が繋がる。
「あ、あの、僕、いや私は府露糸と申します。今そちらに在住の針村さんが私の目の前に居まして、そ、その、えっと、夜も危ないですし引き取りに来ていただけないかと思いましてーーーーーーーー
♢
緊張で固まった僕の舌は、いつもの饒舌さの1割も発揮できなかった。まともな状況説明も行えず、理解してもらうのに10分以上も掛けてしまった。
その話しの結果としては僕が井戸内園に、彼女を連れていくことになった。なんでも、井戸内園には夜に責任者以外の職員がいないそうで、あちらから引き取りに来るのは難しいらしい。
「よっこいせっ、と。」
少し下がった体を背中に背負い直す。ついさっきまで働いていた彼女の腕の力は、既に抜け切っていた。力の抜けた人はたとえ子供でも中々の重さがあり、腰に負担をかけ続けるのと共に、足の歩幅を狭くさせた。
それにしても、井戸内園の責任者________
けど、まぁ、僕がこの娘に何かする訳でもないのだから、気にすることも無いか。そう考えることにした。
なんだか今日は変な一日だ。僕は不意にそう思った。落ち込んで外に出るなんていう、自分でも阿保らしいと思う行為をしていたのに、いつの間にやら少女を背負う羽目になっていた。いやはや、過程を削って文章にすると余計にそう感じる。しかし僕は未だ眠りについていない。だから、まだ何かが起こるかもしれない。そんな嫌な予感とも期待とも呼べる感覚が僕の中にはあった。
「それにしても目覚める気配が本当にないなぁ、君。」
夜道を見ず知らずの人に背負われ、運ばれているのにも関わらず、未だ少女は深い眠りの中にいた。これを図太いと見るべきか、僕レベルの阿保と見るべきか些か判断に迷う。いや、寧ろおおものなのかもしれない。どちらにせよ、そこには小動物の様な可愛らしさがあった。
「____ふぅ、やっと着いた。」
徒歩十数分、時間としてはさして掛かっていないが、人ひとりを背負ってとなると予想以上に体力がいるようで、帰宅部の僕には少しばかり堪えた。
井戸内園は噂に違わない広さで、孤児院というよりは小さな学校に近い外観をしていた。二階建てではあるが、教会ほどの幅はあるだろう大きな建築物は、この井戸内園の異常さを物語っていた。
「噂に違わずすごい広さだな、此処。」
そう、驚くべきは建物だけでは無い。その敷地内も建物のスケールに負けない広さだ。遊具が並ぶエリアに、運動場のごとくだだっ広い平地、そして敷地内全てを囲う高さ5メートル程のフェンス。どれもこれも孤児園と言うには些か無理があるだろう。そんな所へこれから入ると思うと少し気が重い。
門の前に着いた。フェンスと同じくらいの高さのそれは、僕の気が引けている所為なのか閉鎖的に見えた。しかし、ここまで来て事を投げ出すのはそれこそ気が引ける。そんな思いに後押しされ、僕は門の横にあるインターホンを震える指で押した。
僕の緊張とは裏腹にインターホンは軽快な音を鳴らした。夜の静寂にそれはよく響いた。そして再び訪れる静寂。小心者の僕は、自分の手を汗が濡らし始めているのを感じた。
「はい。私が井戸内園園長 井戸内開都です。そちらは先ほど連絡をくれた府露糸くんでしょうか?」
「は、はい。わ、私が府露糸です。」
「今、門の前に向かいます。少し待っていてください。」
そんな定型文のような会話をしてから、ほどなくして井戸内氏は姿を見せた。金属が軋む耳障りな音を立てながら門が開く。どうやら門の開閉は自動で行えるらしく、時間は掛からなかった。
「改めてこんばんは。まずはここまで彼女を連れて来てくれてありがとう。手間の掛かる事をお願いしたのは此方の方ですが、本当に感謝しています。」
井戸内氏の容姿は、声とはイメージが違った。てっきり几帳面なビジネスマンと考えていたが、実際は予想よりも若く、そして柔らかな表情をした男性だった。年齢は———————どうにも判断し辛い。一見歳を重ねたように見えるが、それと相反してその顔には老化現象と呼べるものが見られなかった。
「いえ、この夜中に未成年の女の子を放って置くのは気が引けたので。」
「その様子だと、針村くんはまだ熟睡してるようだね……」
「ええ、背負って歩いていても身動き一つ起こしませんでした。」
その言葉に井戸内氏は目を見開いた。そして考え込む仕草を取り、少し考え込んだ。
「……うぅむ。いや、すまない。別段深い意味はないんだが、彼女は人に触れられるのが苦手なんだ。だから寝ている時とはいえ、少し不思議でね。」
かぶりを振った井戸内氏はそう話した。この子は警戒心が強いとの話だが、僕が見た今までの様子からはとてもそうは思えない。それとも寝ている時だけは例外なのだろうか。いや、僕が考えても仕方がないか?
僕は思考を放棄すると、背負っている彼女を降ろし、井戸内氏に任せることにした。感謝の言葉を述べながら彼女を抱えようとした井戸内氏だが、それは予想外の事によって遮られた。
「——————止めて。」
透き通った声が耳に届いた。それと同時に僕の腕は動きを止めた。そう、あんなにも深い眠りについていた彼女は、電源をつけられた電子機器のごとく突然目を覚ました。その目は大きく、少し薄い黒色の瞳をしていた。
「自分で立てる。」
言葉の通り彼女は僕の腕を離れ、その足で地面に立った。服の乱れと頭の青いリボンを整えると、彼女はその声を再び響かせた。
「……此処は、井戸内園……?」
「その通りだよ、針村くん。そして、そこにいる彼が、街の路地裏にいた君を此処まで連れてきてくれたんだ。感謝をしなければいけないよ。」
「…………」
彼女はもじもじと体を動かしながらも言葉を紡ごうとしていた。その様子からは今さっきの淡白さは見る影もなく、恥ずかしさからか上手く話せないでいる年頃の少女そのものだ。
「その、えっと、無理に話さなくても良いよ。初対面の人と話すのは大変だし。」
彼女への困惑はあったが、上手く会話が出来ない気持ちは僕にはよく分かる。だから先に僕から言葉を口にした。
「えっと、怪我はない?」
「……うん。」
「その、体調は大丈夫?」
「……うん。」
「あー、何か無くした物とかは無い?」
「……うん。」
うぅむ、どうにも上手く会話が続かない。相手のことを知らないというのは、ここまで会話を困難にするものなのか。
「……」
「……」
そして、訪れる静寂。彼女も何を言えば良いか分からないようで、その顔をうつむかせてしまった。そういえば、アイツが言ってたな。「男の価値は会話の中で決まる」って。飽くまで決めるの相手らしいが、その是非で男の価値は判断されているらしい。いや、だとしたら僕の価値は今石ころ程度しかないことになるが。
「共鼠くん、何か言いたいことがあるなら勇気を出しなさい。君がしたいことなのだろう?」
思考が現実から逃げ始めたとき、井戸内氏が助け舟を出してくれた。流石いつも子供たちの相手をしている方だ。絶妙なタイミングで言葉を発してくれた。
「……その、ありがとう、ございました……」
そよ風が吹けば聞こえなくなるだろう音量で、けれどしっかりと意思は篭った感謝が僕の耳に届いた。勇気を出して、僕に感謝の言葉をくれた。その事実が妙に嬉しくて身体と顔が少し熱くなる。案外、僕は単純なのかもしれない。
「うん、そう言ってもらえると嬉しいよ。何事もなくて本当に良かった。」
今度は笑顔で話すことができた。さて、これで一件落着だ。なんだか気も晴れたし帰ろうか。
「それでは、僕はこれで。君も、夜に出歩くのは気をつけてね。井戸内さんも、お疲れ様です。」
「君こそお疲れ様。繰り返しになるがとても感謝している。今度改めてお礼をしたい。もしも受けてくれるのなら連絡してほしい。」
大の大人にも関わらず、僕のような若輩者に頭を下げてくれる井戸内氏はなんと出来た人なのだろう。そんな尊敬の意を感じながら、ありがとうございますと言葉を添えると、二人に背を向け帰路に着くことにした。明日は土曜日だが、態々これ以上夜更かしをするしか必要もないだろう。
「______あっ」
地面を踏みしめ身体を前に運ぶ筈だった僕の右足は、地面と平行になる軌道を描き空を切った。
______そして、これが今日最後の出来事。僕の意識は星々が輝く夜空の光、少し肌寒い風、そして本日2度目の背中及び後頭部へ鈍痛を感じながらシャットダウンした。
一難去ってまた一難。そんな言葉があるが、僕はこう思う。もしこの言葉が本当なら人生とは難がひたすら積み重なっているだけではないのだろうか、と。まあ、つまりはアレだ。
無限ループって怖くね?
針村共鼠: ほぼほぼ眠ってた子。一応本作のメインの一人。名前の通り針鼠がモチーフ。どんな子かはこれから分かるはず。
井戸内開都: できる男的なイメージの人。若くもないけど、年寄りにも見えない感じのアレ。例えるならるろ剣の比古清十郎みたいな?感じの若さ。