ないものねだり   作:ここなっつ

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第一章

10月のあくる日、ようやく秋めいてきた日差しを浴びながら、花園奏音は保健室の掃除を1人でしていた。本当はもう1人掃除当番の女子がいるのだが、用事があるとか言ってさっさと帰ってしまったのだった。何の用事かははっきり言っていなかったので、おそらく掃除をすっぽかすほどの重大な用事でははないのだろうと奏音は思っている。いわゆる、押し付けというものだ。なによ、どうせ私が押しに弱くて断れないタイプだって思って調子乗っちゃって。なめきってやがる。心の中で口汚く罵倒しつつも、一方ではっきり拒否できずに心の中で文句を言う以上のことができない気弱な自分に自己嫌悪も感じていた。何で私はこうなんだろう。何で自分の気持ちをはっきり表明できないでいるんだろう。どうして、陽南夏みたいにハキハキしてないんだろう。怒ったり落ち込んだりと感情の起伏が激しく変化している時、保健室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「はぁい。どうぞ。」

 

怪我人とか病人だったらまずいな。治療も看病もできないし。ああでもここ保健室だから基本そういう人しか来ないか。そう思いながらドアの方を見ていたら、そこに立っていたのは怪我人でも病人でもないクラスメイトだった。

 

「雪村さん、先生に何か用事?先生いないけど。」

 

ややあっけにとられながら尋ねる。雪村は保健委員でもなかったので、一体どんな用があるのだろうと不思議に思ったのだ。かつ、奏音は雪村と話を交わすのすら今回が初めてかもしれないのだ。(かもしれないというのは以前にも会話したことがあるかもしれないという意味ではなく、この問いかけに雪村がまだ応えていないので、無視されるかもしれないという可能性を踏まえてのことである。)また、奏音と仲の良い人だったら自分に会いにきたのかと合点がいくが、雪村の場合それも有り得ない。この場所にも、この場所にいる(はずの)人間にも用がない。では一体どんな理由で?

 

「えーとね、用事ってほどでもないんだけど、先生に相談したいことがあって。そっかー、いないのか。」

 

雪村が話しているのを聞いて、息が少し弾んでいることに気付いた。

 

「もしかして、走ってきたの?それなのに、ついてないね。」

 

「別に急ぎの用だった訳でもないからいいよ。」

 

ではなぜ息を弾ませるほど慌ててきたのだろう。変わった子、と思いながら雪村の顔を見た。派手ではないけれど顔の造りが整っている。男子が可愛いって騒ぐ訳だな。

 

「それより花園さん、1人?もう1人いなかったっけ?」

 

「なんかもう1人の子わね、用事があるって言って帰っちゃった。」

 

「ふーん。掃除をパスしてまで行くほど大事な用だったのかな?」

 

「さぁ…。詳しい事情は聞いてないから分からないけど。」

 

言いながら奏音は変に思った。なんか雪村さんの声、かなり刺あるような…。自分がされた訳でもないのに。こんな正義感?に強いタイプだったっけ?あるいは、すごく真面目な人なのかも。

 

「まあ、仕方ないよ。用事だったんだし。」

 

「絶対大した用事じゃないよ。たとえ大事な用だったとしても、代わりに手伝ってくれる人を宛がうとか、せめてどういう事情があるのか教えて真剣に謝るとかするのが礼儀でしょ。」

 

こんな怒る子だった?もっと感情に乏しいイメージがあったんだけどな。

 

 雪村が掃除用具から雑巾を取り出した。

 

「えっ、ちょっと待って。雪村さん、なにしてるの?」

 

「雑巾濡らして絞って床ふく準備してるの。」

 

「えーいいよ、雪村さんここの掃除当番じゃないし。悪いから。」

 

「欠片も悪くない。今日どうせ暇だったから掃除する。」

 

相談する相手がいないから?でもそうだったら「暇だった」ではなく「暇になった」なのでは?奏音はそう思ったけれど、口には出さなかった。挙げ足を取るような言い方をして、せっかく手伝ってくれている人を不快にさせたら申し訳ない。

 

「明日会ったらその人に何で1人で掃除させたのかきかないとね。」

 

…。いや、もう十分不快になってるような。

 

「まあそうしたいのは山々だけどね。私も悪かったから。」

 

「どうしてそんなこと言うの?」

 

「嫌だってはっきり言わなかったから。本当に嫌だったら拒否しなきゃいけなかったのに、それをしなかった。

 

だから掃除を1人でしてるのは私の自業自得でもあるんだよ。」

 

「仮にそうだったとしても、その相手の人が掃除をしなくていい言い訳にはならない。それっていじめられるのにも原因があるっていうのと同じ理屈じゃない?」

 

床を雑巾で拭きつつ、きっぱりいい放つ。話しながらにも関わらず、手の動きが全く止まらずにさっさと拭く仕草に、奏音は感心していた。

 

「雪村さん、手際いいなぁ。」

 

「そうかな。普段からしてることだから。」

 

「えっ、家でも拭き掃除してるの?」

 

「そんなところ。」

 

そう言ってから雪村は顔をあげて奏音の方を見た。

 

「さっきの話に戻るね。その相手の人には、やっぱり何かしら言っといた方がいいと思う。」

 

「それはちょっと無理。それが言えたら最初から掃除押し付けられる羽目になってない。」

 

次に奏音の口から飛び出した言葉は、この場ではいうつもりのなかった、しかし普段からずっと思っていたことだった。

 

「私も陽南夏だったら良かった。」

 

「陽南夏って寺崎さん?どうして?」

 

どうしてが多い子だ。さっきの話の流れからだとそんなこと分かりきっていることじゃないのか。

 

「陽南夏だったら自分の意見をはっきり言えるから。たとえどんな圧力があったって、嫌だったら嫌っていう。周りに流されないっていうか。そういうのって、私みたいな言いたいこと言えない人間にとってはすごく羨ましい。だから、陽南夏だったら良かったって思ったの。」

 

そこで止まろうと思ったのに、一旦あふれでた言葉は滝のように留まることを知らない。

 

「しかもね、ただ自分の意見を言えるだけじゃなくってね、それが皆の意見にそぐわないようなものだったとしてもそれを言われた相手は絶対に不快にならないの。それどころか、言われた相手もああなるほどって思って、陽南夏の意見に最後には納得しちゃう。その光景を見てていつも魔法みたいだなって思ってた。人の心を動かす魔法。いつも羨ましくて、でも私にはそんなことできっこないから、遠くから見てるだけ。そんな自分が嫌でたまらない。」

 

何で私、こんなことまでしゃべってるんだろう。それも初めて話す(かもしれない)人相手に。これじゃまるで陽

 

南夏の信者みたい。恥ずかしすぎる。途中から恥ずかしさのあまりすごく早口になって、一気にまくしたてたものだからもう少しで過呼吸になるところだった。顔が火照る。顔から火がでるほど恥ずかしいとは正にこのことか。

 

「宮園さんって寺崎さんのことすごく好きで尊敬してるんだね。」

 

顔が赤くなるほど興奮した奏音とは対照的にやけに落ち着いた口調でゆっくりと言った。雑巾掛けの手を休めず(いつの間にか再開していた)続ける。

 

「確かに寺崎さんのその力はすごいよね。私も羨ましいと思う。でも宮園さんが寺崎さんみたいになる必要もないと思うよ。宮園さんにできて寺崎さんにできないことだってたくさんあるでしょ?」

 

「何にもない。勉強もスポーツも陽南夏の方ができるし。」

 

「それ以外にもあるでしょ。皆違って皆いいとかオンリーワンよりナンバーワンとか言ってる人達だっているし。」

 

「そんなのきれいごと…。いや、そうじゃない。全くその通りだ。後のやつ。最初の言葉と趣旨が矛盾してるけど。」」

 

「あははっ、確かに、ほんとだ。最後のは言い間違え」

 

「そうじゃなかったら何の慰めにもならないからね。」

 

途中まで学校の先生みたいだなと思いながら聞いていたけれどそれもそのいい間違えを聞くまで。

 

「私は別に宮園さんが寺崎さんみたいになる必要ないと思う。ほら、船頭多くして船山にのぼるってことわざ?あるでしょ。寺崎さんは人を動かす、いわゆるリーダー気質ってやつで。でもそれはたくさんいる必要はない。むしろ居ちゃ駄目なわけでね。1人でいい。王様が何人も居たら、王様同士でいさかいが起こって戦争が始まっちゃう。」

 

宮園さんが寺崎さんになる必要ないって2回言った。そして、陽南夏が王様ってこと?あくまで例えなんだろうけど、いささか壮大すぎるような。王様ってほど人を従えてるイメージはないんだけど。

 

「そこまで熱弁しなくても…。それと国内だったら戦争じゃなくて紛争っていうんじゃ…。」

 

「そうだったっけ?まあどっちでもいいや。世界史でも似たような話なかった?」

 

本当に言いたいことは言えずに、些細なことに突っ込む。胸に秘めた言葉は心にたまっていくだけだ。そのかたまりが重くのしかかり、時折消化不良を起こす。今までもそうだったし、これからもそうだろう。先ほど思いのたけをぶつけたのが奇跡のようだった。

 

「雪村さんは陽南夏みたいになりたいって思わないんだね。」

 

「もちろんそうだよ。かと言って今の自分に満足してる訳でもないけど、寺崎さんみたいになりたいって思ったことも誰かが寺崎さんみたいになって欲しいって思ったことも1度もない。」

 

なぜだろう。なりたい思わない通り越してなりたくない、なって欲しくもないと言っている気がするのは気のせいか。

 

 奏音がそう考えたところで、雪村がふっと笑った。これから自虐するような笑い方だった。

 

「寺崎さんのアンチみたいだね、私。気分悪くしてたらごめんなさい。」

 

その仕草や言葉は心底申し訳なさそうにみえる。別に陽南夏の悪口を言ったって訳でもないから、謝ることじゃないのに。それなのに謝るのは私が陽南夏を好きって言った(?)からか。でもそれだったら最初から言わないか。もしくは私がついさっき思ったことを見抜いたのかもしれない。それでそういうつもりなかったって言いたいのかも。雪村さんけっこう鋭い。

 

「気分悪くなんかなってない。私の方こそ失礼だった。雪村さんは陽南夏になりたいって思うはずないよね。だって雪村さんは可愛くてモテモテなんだから。」

 

さっきは自分の話に夢中で気付かなかった。雪村さんは陽南夏みたいになりたくないのかときくことは、雪村さんが陽南夏より格上の存在だって言ってるのとほぼ同じだということを。そんなつもりは毛頭なかったけど、言ってることはそういうことだ。

 

「可愛くもモテモテでもないんだけどな。それこそ寺崎さんの方がモテてるでしょ?」

 

「どうだったっけ?あんま告白された話しないから。」

 

まあ実際そこそこされてそうだけど。告白された話に限らず、自慢話全般をしてるイメージがない。奏音が寺崎に憧れているのは、自分をひけらかすことをしないからというのもあるからだった。ひけらかす要素が十分あるのにも関わらず。そんな人はかなり希少価値がある。

 

「でも確か彼氏はいなかった気がする。」

 

「そうなんだ。モテると逆に恋人作らなくなるっていうしね。」

 

「それ聞いて真っ先に思い浮かぶのは高梨君だな。」

 

「えっ、あの人彼女いないんだ?てっきりいるのかと。よくデートしてるの目撃されてない?」

 

「あーあれ彼女じゃない。しかも目撃されてる相手毎回違うし。」

 

「なんじゃそりゃ。現代版光源氏?」

 

「色んな子とデートしたいらしいよ。経験積みたいんだって。」

 

「なにその遊び人の言い訳みたいなのは…。そんな話するってことは、高梨君と仲良いんだね。」

 

「個人的に仲良いっていう訳じゃないんだけどね。私と陸と幼なじみで、陸が高梨君と中学から同じバスケ部で親しいから、その繋がりで話すことがあるくらい。」

 

「繋がりがあるって言っても、そういう話するぐらいだから高梨君は宮園さんのこと良いと思ってるよ。」

 

いや、高梨君が良いと思ってるのは雪村さんだよ。奏音はそう言いたくなったけど、なんとかこらえた。高梨君がまだ言ってないこと、勝手に本人にばらすのはよくない。高梨が好きな人がいるのに他の女子と遊び回っている理由を奏音は知らない。いつか言っていた、さっき雪村に語って聞かせた理由かもしれないし、ただ単に本命の子とは遊びに行けないから他に誘ってくる子と遊んでるだけだという可能性もある。 

 

「ところでさっき言ってた陸って誰?」

 

「陸は佐山陸だよ。学年トップでバスケ部の。」

 

この子は陸の下の名前知らなかったのか。

 

「佐山陸?学年トップ?」

 

前言撤回。下どころか名字も知らなかった。そもそも存在さえ把握してない様子である。

 

「陸のこと知らないんだ。学年では有名人だったと思ってたんだけどな。」

 

「その人同じクラスじゃないから知らないんだと思う。

 

クラス違うと接点ないじゃない?」

 

「雪村さんに存在認知されてないって知ったら、陸ショックで泣いちゃうかも。」

 

「その人だって私の存在知らないよ。」

 

「ううん、知ってるよ。前雪村さんのこと訊かれたことあるもん。」

 

しまった、しゃべり過ぎた。

 

「どんなこと?」

 

「先月の体育館でのこと。ほら、あの怖い先輩に雪村さん言い返してたでしょ?普段からああいうこと言うタイプなのかって。」

 

「それでなんて応えたの?」

 

「普段はそうでもないって言った。」

 

雪村は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「もしかして私の受け答えまずかった?」

 

「ううん、そうじゃないんだけど…。その先輩怖いことで有名だったの?」

 

「そうだよ。何回も補導されてて、警察のお世話になってるって噂の。」

 

そっちも知らなかったんかい‼すごい無知だな!

 

「そっかぁ、知らなかった。まさかそんなヤバい人だったとは…。あれは失敗だった。あんな風に言うつもりじゃなかったのに。」

 

それはそんな不良だって分かってたら言い返さなかったっていうこと?そう訊こうと思ったその時、保健室のドアを勢いよく開ける音がした。

 

「奏音お疲れー。そろそろ終わる?ってあれ?一緒に掃除する子雪村さんだったっけ?」

 

「違う違う。雪村さんが保健室の先生に用事があって来たんだけど、先生が留守で。私が1人で掃除してたから手伝ってくれてるの。」

 

「ふーん。で、ペアの子は何してるの?」

 

「悪いけど用事あるから掃除よろしくってLINE がきた。」

 

「何それ。完璧押し付けじゃん。」

 

そう言ったのは寺崎ではなく雪村だった。

 

「奏音ドンマイ。次からはそうさせないようにしないと。味しめるよ。そういうタイプは。」

 

「分かってる。」

 

「言ってくれれば私も手伝うのに。遠慮深いんだから。そういえばさ、全然関係ないけど舞とさっきちょっと話しててね。高梨君とこれからデートって浮かれてた。」

 

「はい?!」

 

驚きのあまり声が少々裏返ってしまった。寺崎の言う「舞」とは、奏音と一緒の掃除当番の生徒で、その掃除当番を一方的に奏音1人に押し付けた野中舞だったからだった。まあどうせ大した用事じゃないだろうとは思ってたけど、まさかこんな簡単に「大したこと」じゃないことが分かるようなことだったなんて‼ばれることを想定していないのか、ばれても問題ないと高をくくってるのか。一体人をどこまでこけにしてるんだろう。せめてばれたらまずいぐらいには思って欲しかった。

 

「デートが掃除より大事な用ってこと?そんなわけないじゃん。さっきってどれくらい前のこと?」

 

「20分くらい?今日バスケ部なかったから、他の日より長く遊べるって、今日逃したらデートできなくなるかもしれないからこの機会を逃すわけにはいかないんだって言ってたけど。」

 

「そのめちゃくちゃな理屈を宮園さんの前で言えるのか見てみたいものだね。」

 

「舞掃除当番だったんだ。というか、掃除押し付けられたのは雪村さんじゃなくて奏音だよね?なのに何で奏音じゃなくて雪村さんがそんな怒ってるの?」

 

「義務を果たさない人がいるのが嫌なの。」

 

奏驚きも怒っていないわけではなかった。ただ怒りの感情をストレートに表現できないだけだった。寺崎はそれに気付かなかったのだ。(奏音の代わりに怒り奮闘している雪村のような存在がいてくれるおかげで、特に示すこともないかと思ったというのもある)

 

「20分か。じゃあまだ学校の近くにいるかな。」

 

「おそらくは。」

 

「その掃除しない人のフルネームってなんだっけ。」

 

「野中舞。雪村さん同じクラスなのに…。今から何するつもり?」

 

訊きつつ雪村はカバンからスマホを取り出している。

 

「どこにいるかまでは分からないから、今から電話して呼び出してみる。」

 

「電話番号知らないでしょ?」

 

「その人も同じクラスだから、クラスLINEは入ってるよね?そこから友達追加すれば無料電話できるから、そこからかける。」

 

こっちはこっちでかなり驚きだ。掃除をさせるためにそこまでするのか。止めさせた方がいいのかもしれない。野中舞の身勝手で迷惑を被ったのは奏音なのだから、奏音が止めてと頼めば止めるだろう。しかし、奏音はそう言わなかった。電話をかける雪村と、電話をかけられた野中舞がどんな返しをするのか見てみたかったからだ。それに、雪村のしていることは間違っているとも思えないから。

 

「LINE じゃ駄目なの?」

 

「LINE の方が気付かないふりが簡単だから。高梨君と一緒なんだったら、電話鳴ってるのにそれに出ないような人だとは思われたくないだろうから出ざるを得ないでしょ。」

 

そういう意図もあったのか。しかも気付かないふりって。自分にとって都合の悪いLINEは既読すらつけないだろうと相手を見限っているらしい。

 

 寺崎も雪村がしようとしていることを止めない。さりげなく野中舞を擁護する発言をしつつも、そこまで介入するつもりもないようだ。

 

 雪村の読み通り、電話が繋がった。

 

「もしもし?野中さん?」

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