その日は照りつける日差しが鬱陶しいくらいには快晴だった。友の一人がいつものように辺りの調査に向かい、何かあれば自分たち主力メンバーで回収する予定だった。
犬の魔獣の気配もなく、全て滞りなく、いつもと同じ、些細な日常になる。ハズだった。
ここは別の集落、しかもあの炎神を信仰する者たちの狩場で、自分達は土足で踏み入ってしまったのだ。なんとか敵を退け、撤収しようとした時。誰かが彼女に向かって火を当て、殺害しようとした。それに激昂した自分はその誰かを殺してしまった。
それが神の逆鱗に触れた。
仲間達は、家族は、兄弟は、みな炎神の神聖な炎に浄化された。そして、無限に思えるような戦いの末、自分は彼女と力を引き換えに炎神を食らった。
たった一晩で自分は全てを失った。彼女がどこかで自分を見守っているのはわかる。けれどもうきっと、並んで歩くことはできないし、家族達と過ごしたあの時間に戻ることもできない。
世界が自分の全てを奪った。自分にとって、彼らが居てこその世界だった。彼らのおまけでしかなかった世界が、彼らを奪った。
もう一度、あの時間を取り戻す。そのために彼は世界を歩いた。人を殺し、魔物を殺し、神を殺し。孤独に苦しみながら、それでも狂うことは許されない。
彼は過去にしがみつく。過去を見据えて、後ろを向いたまま前に歩く。見つめる過去は後ろにあるのに、そこへ行くことはできない。
けれど信じている。きっと、いつか戻れると。それがまだ、果てなく遠くても。
八代の初陣を終え、遅めの夕食を取った後、入浴を済ませ、自分で淹れたこだわりのコーヒーを飲みつつ、下のフロアから持ち出した本を読んで居た。
読んでいる本が文学系であれば絵になるような優雅なものだが、表紙の二次元美少女と「幼馴染に甘く起こされてたい」というタイトルがそれを許さない。
「ン、やっば幼馴染だな」
感慨深く頷きつつ、コーヒーを啜る。彼の性能上、本を一度取り込んでしまえば一瞬のうちに全て読み終えることができるのだが、それをせず敢えて無駄に読み、時間を費やす。こういった無駄で無意味な行為は数少ない楽しみだ。
「あるじぃ〜」
「なんだ、起きてたのか」
本来、八代は寝れない存在だったハズだが、亮から離れ、しかも神聖さを失ったことで寝れるようになった。帰り際に「眠い」と呟いた時には二人揃って驚愕したものだ。
「……寝れぬ」
「眠いんじゃねえのか」
「違うんよ。眠いんのは眠いんじゃが……なんか、ぞわぞわして寝れぬのじゃよ」
ちょっと何言ってるか分からなかった。
「ンー、なんなら眠らせてやろうか」
「妾の神経に何かするとかいう物理的な方法じゃなければ歓迎じゃ」
「ダメなのか」
「……あれじゃよ、寝る時、というか、主の中で沈む時、いつも主の感覚があったからの。なんじゃ……あれじゃよ」
「添い寝しろと」
「ハッキリ言うでない!」
今更何を恥ずかしがる必要があるのか亮には分からなかった。
「七面倒臭え狐だな」
「妾は八代で、九尾じゃけれど」
「……」
「いや、あの、すまんかった」
亮の白い目に耐えきれない八代が謝罪。それを受けてため息をつきながら、亮は本を閉じて立ち上がる。
「行くぞ」
「うっしゃー!」
手のかかる子供、老人と言うべきか。一度愛菜という子育てを経験している亮だが、手のかかる者が増えるとは。
八代の部屋となった空き部屋に二人で入り、消灯して八代をベッドに寝かせ、自分はベッドに腰掛ける。
「主は……そうか、寝れぬのか」
「わかってんだろ」
だからわざわざ横になる必要などない。
「……妾、もう一度主の中に入ろうか?」
「要らねえよ。普通の、人の生活になれるならなった方がいい。前も言ったが、もうお前は要らない」
「…………なんか、やだなぁ」
口調が変わってきたが指摘しない。大抵こういう時に語るのは本心だからだ。
「なにがだ」
「んー、今までは主の中で、主の心を聞いて感じてたけど、なんか。今は、大事な、大切なものが欠けてる気分」
その感覚は亮にも理解できる。自分は彼女ほどその欠けた物に依存してはいないが、彼女は違ったのだろう。寝れない理由も恐らくそこだ。
「気にすんな。大丈夫だ、寝るまで側にいてやる」
言って、八代の頭を撫でる。
「……うむ」
八代は安心したように、一度大きく息を吸って吐き、脱力した。
「主は、寂しくない?」
「別に」
「……そう言えば、主はいつだって寂しかったんだった」
「うるせえ」
八代に、狐に隠し事はできない。彼女は自分自身だったから。そしてその逆も然りだ。もうこれ以上語る言葉ない。八代にとって、亮が側にいる。それだけでいい。
「すぅ……」
しばらく黙っていると、静かな寝息が聞こえてきた。今まで隠していた狐の耳がヒョコッと現れ、尻尾は邪魔なのか出てきていない。寝たかどうかは耳で判断すればいいかと思うと少し可笑しい。
「(戻るか)」
ベッドから立ち上がり、リビングへ出る。コーヒーを口につけるが、どうにも本の続きを読む気にはなれなかった。今は静かに、ただコーヒーを啜り、ぼーっとただ虚空を見つめる。もう、心の中から誰かが話しかけて来ることはなくとも。
結局、そのまま愛菜が修学旅行から帰宅する時間になった。一日と半日の間はこれと言った仕事も問題もなく、八代と二人で無駄に時間を費やした。
問題といえば仕事の事後処理でナナシから「やりすぎ」とお叱りを受けたがその程度。そういえば彼女に八代のことを伝えていなかったが、まぁそのうち機会が来るだろうと気に留めなかった。
夕食を作るのもまだ早く、特にすることもなかったので、ソファに腰を下ろして適当にニュースを流し見していると、下のフロアから本を取って戻ってきた八代が亮の膝の上に座った。
「重い」
「邪魔とかじゃなくて重い!?」
そう言うと大抵、愛菜なら退いてくれる。余計なやり取りをせず自発的に退かす手っ取り早い方法だ。
「や、主にはこの程度で重いとかいうことはないじゃろうて」
「重いかどうかじゃなくて邪魔だってことだ」
「ぐぅ……お?」
「愛菜が帰ってきたか」
玄関で扉を開く音がした。愛菜の特殊な魔力の気配もする。間違いなく彼女だろう。
「ただい……ま」
リビングに入るなり、亮と八代を見て固まる愛菜がいた。片手に待った、着替えなどが入ったバッグが音を立てて落ちる。
「ん、おぉ、黒いの、おかえり。じゃったか」
亮の膝の上から八代が声をかけると。
「なんじゃわれええええええええええええええええええええ!」
愛菜が発狂した。
「うるせえよ」
「いやいやいや、こんなん叫びたくなるって!」
「品がないの」
「狐耳のロリが品を諭すん!?」
帰宅早々元気なことだ。向こうで少々問題が起きたと連絡があったが、どうやら無事解決できたようだ。
「……あれ、これが噂に聞くデリヘルってやつ?亮ってこういう性癖だった……?」
「ンなわけあるか」
「ほほう、今日はどんなコースにするのじゃ、主」
「チェンジ」
「ん?それは私をご所望っていう」
「くたばれ」
「チェンジですらない!?」
軽い茶番を繰り広げてから、さっさと本題に入ることにする。
「このコスプレイヤーみたいなのは八代っていう……ペットだ」
「……なんか、より一層理解が追いつかないんだけど。ちょっとレベル高くない?」
「愛玩動物じゃよ」
「きっと私にはまだ早いお話なのかもしんない」
愛菜が遠い目をし始めたが、気にせず続きを語ることにする。
「あれだ、前に話したろ。狐のこと」
「そゆこと」
かなり前の話だが、何度か八代、狐の存在は彼女に伝えてある。普通の精神ならば頭がどうかしてると一蹴するような内容だが、どうやら忘れずに受け止めていてくれたようだ。
「狐改め八代じゃ。お世話になる。よろしく頼むぞ、黒いの」
「うん、よろしくね、八代ちゃん。私のことは愛菜でいいよ」
頷いてお互いに挨拶を終える。特に問題なくことが運んでいるのはいいことなのだが、どうにも亮は嫌な、面倒くさい予感がしていた。
「……んで、八代ちゃん、いつになったらそこを退くのかな」
「主が立つ時かの」
「逆だよね、いつ亮が立ってもいいように退いておくべきじゃないかな。八代ちゃん、邪魔じゃないかな?」
「おん?」
「あ?」
「……これか……」
面倒臭い予感が的中する。ともかくこのままではヒートアップする一向なので、さっさと八代を見えない魔力の手で持ち上げて膝から退かす。恐らく我関せずでタバコを吸いに行くのが最善の手であるはずだ。
「やーい退かされてやんのー!」
「幼子のような煽りも大概にせい。主に全く相手にされないくせに」
「は、退かされてタバコに負けた狐が何言ってんのかなまったく」
「それ言うならお主は全てのアプローチを鼻で笑われたりそもそも気づいてもらえなかったり、子供イタズラと思われたりと」
「……やる?」
「ふん、深淵ごときが魔物の神に刃向かうと?」
とかなんとか、八代と愛菜が口論をしている間、当の亮は興味なさそうにベランダでタバコを吹かしていた。家族の様な者たちに好かれているのは嬉しいことは嬉しいが、あくまで家族愛の範疇に留めておいて欲しかった。
とかなんとか考えてた時、巨大な破裂音がした。直後にベランダの窓ガラスを消し炭にする黒い光線が亮の真横をすり抜けようとして、流石にまずいので片手でそれを止める。さらに間髪開けずにカーボン製のナイフが頭部に突き刺さった。
どちらも普通の人間ならば、跡形もなく消し炭になるのと、シンプルに死亡するタイプのやつである。
「……あかんやつじゃこれ」
「……あれに比べればまだ私ナイフだからセーフな気がする」
ぶち抜かれたドアの穴から二人が仲良く亮を覗き見る。その仲の良さをなぜさっき発動できなかったのか、問いただしたいところである。
まぁそんなことより。
「お前ら今のやつの十倍の攻撃を同じ部位に受けるか二人仲良く夕飯作るか選べ」
「「ただいま準備します!!」」
「ン、仲良くな」
風穴の空いたドアや窓ガラスを見てため息をつく。これからまた同じ穴が空くかもしれないた思うと気が重い。
そういえば、自分をここで育てた恩師も、子育ては難しいと言っていたか。なんとなく、その気持ちが理解できた気がした。
セントラル地区王居の一室。窓からは枯山水の庭園が良く見えて、けれど室内は洋一色の、芸術家が見たら渋い顔をするだろう。その和洋折衷を拡大解釈した様な部屋の主人、つまり王は、好物の梅昆布茶を啜ってから口を開いた。
「そんで、修学旅行はどうだったん?」
ベッドの上に腰をかけた、見た目十代の王は、椅子に腰掛けて上品にコーヒーを飲む少女へ問いかける。
「そこそこ楽しめたよ。久し振りに未知があったからね」
そう笑いかける少女の口振りはまるで、知らないことなどないと言いたげだ。
そしてその少女が未知という要素は穏やかじゃない。王はおちゃらけた雰囲気から一変し、真面目な口調でこう返す。
「……やはりあの少年は……」
「私が理解できない存在かな。私はあの場で宮里由紀が大怪我を負うって定めたはずなのに、それを彼が助けた」
「……神の定めた運命に縛られない存在か」
それもそのはずだ。対面の少女は、この世の最高に位置する神だから。
「それで仕込みは終わりなのか」
「まだあと一つ。それで私の出る幕は最後になるかな」
優しく笑う彼女がむしろおっかない。
「神を超えられる存在はきっと彼に他ならない。だからこれから彼が主人公の物語を作り、それを使う」
神は描く。主人公が己を超えてこの世界をハッピーエンドに導く様を。
「仲間とともに成長し、助け、時には助けられて、艱難辛苦を共にし、敵を倒し、謎を解いて真実に辿り着いて、真に倒すべき敵を見据えて、世界を救う。そして最後にハッピーエンドをもたらし、英雄になる」
神は願う。バッドエンドで描かれたこの物語を主人公が救うことを。
「……そうしてあんたは、神は敗れるのか」
「そう。そして、やっと私は……んー、楽しみだね」
神神は望む。もう一度、彼と共に歩める日が来ることを。
「言っておくが、新世界を破滅させるのなら私は容赦しない。神だろうと私は許さないぞ」
「ん、がんばって」
それだけ言って、神は立ち上がり、唐突にその場から消え去った。まるで最初からその場に居なかったように。一瞬にして。
「……まったく、これだから化け物は」
残ったのは王と。
「んん……」
ベッドに横たわる少女だけだった。
高評価をお二方からいただきました。数字間違えてないか甚だ疑問ですが、励みになります、ありがとうございますorz