新世界において最初に観測された魔術、深淵。
そのすぐ後に有用な魔術が生まれたが、影に潜むという他に見ないような特殊な性質が、昨今まで原初の魔術として高い知名度を誇る大きな理由だ。
だが、この魔術を持っていた初代深淵と呼ばれる、新世界で最初の魔術師がどういう存在だったのか知る者は少ない。なにせ、彼は引き篭もりだったのだから。
整っていない顔立ち、太った体系、上がり症、冴えない頭脳、内気な性格、小さい声量、滑舌の悪さ。彼の悪いところを上げれば切りはない。そんな彼が新世界で貶され、尊厳を踏み躙られ、自分の世界に閉じ篭り、孤独で無様で惨めな生活を送っていたのは語るまでもない。原初の魔術師と言われても彼の顔写真を誰一人として見たことがないくらいだ。
そんな彼は引き篭もり続け、暗い闇に自分だけの世界を作った。
それが、深淵の世界に公表できない真なる深淵の本質だ。
闇、静寂、孤独
その三つを願って創造された縦50m横50m高さ50mの正四面体の世界が彼の世界だった。深淵はその世界に自分や対象を送ることができる。その事を、誰かが、闇に落とすと言った。
今、彼らがいるのはそんな世界だ。誰にも邪魔されず、記録されることのない闇の世界。
世界を壊せる者達に相応しい舞台だった。
まず、八代が放った惑星丸々一つ消滅させる光線を左手で払いのける。代償に掌が消滅するが、特にこれと言った意味はない。すぐに元通りになる。これは、魔力を犠牲にして回復させるとか、残りの寿命をすり減らすことで回復するような、そういう弱者の所業ではない。
八代も喜ぶようなことはない。これを例えるならスポンジを押して凹んだと喜ぶようなものなのだ。彼女もそれはわかっている。
だから続け様に、優衣の方へ光線を放つ。亮は目で見てからとある魔術で優衣の前に立ち、それを再び掌で防ぐ。当然、亮がその程度で優衣を守れないなんて、八代も思っていない。それでも真正面から、止められると分かっていてやるのには訳がある。
優衣の背に、音もなく、カーボン製のナイフが迫る。
聖光がこの闇の空間で唯一の光として輝いている。が、亮が聖光で照らしている場所はかなり範囲が狭い。もちろん、全員を照らしてはいるが、走って移動すればすぐ出られる範囲だ。八代がわざわざ亮に無意味な攻撃を放ったのは、愛菜が闇に入るため。そして闇の中で優衣の背後まで周り、影体を出してナイフを投げた。
惑星を破壊する光線を囮にしてナイフ一本を投げる。最初からそんなことを予想していた亮は鼻で笑う。
ナイフは優衣に触れることなく、見えない何かに触れてその場に落ちる。
「ンで、満足したか」
「……人は、人を守れないんじゃなかったのか、主」
「守れないさ。現に俺は、お前らを攻撃できないから防戦一方だ。それに、この空間に来た時点で、俺はもう守れていない。愛菜を殺さなきゃ出られない訳だからな」
この空間の出入りは深淵にしか行えない。魔人とて例外ではない。最初にこの空間に入った時は、そもそも入れたことに驚いたものだ。彼はとある事から存在が揺るがなくなってしまったから、この空間は元いたあの世界と同じ世界だと考える。反世界か、次元の下地か、詳しいことはわからないが、それならば、空間を湾曲させたりし続ければそのうち出られるかもしれないが、愛菜を殺した方が早い。
「だからもう」
言って、突然、愛菜と八代は彼の前に並べられる。愛菜の方は影に入っていたにも関わらずだ。
「っ……」
「聖移……」
八代が魔物の神として君臨していた時の神術、「聖移」だ。言葉にすれば大したものではない。対象を問答無用で瞬間移動させる。ただそれだけ術。口にするのは簡単。しかし、星を星に移動させたりもできるとすれば話は変わる。そんなことはしたことがないからどういう結果になるかはわからないが。ともかく物を特定の座標に無理やり移動させるのだ。人を人に重ねて二人をありえないやり方で殺すという事だってできる。通勤時間の短縮からビックバンの誘発まで幅広く使える便利な術というわけだ。
「終わりだ」
そのまま二人を魔力で拘束する。そして二歩歩いて二人の目の前に移動する。魔人の右手が愛菜に迫り、左手が八代に迫る。触れれば終わる。そんなことは二人がよく知っている。
愛菜は亮が相手に触れることなく対象を葬ってきたのをよく見ている。想像するまでもない。
八代は亮の中で幾度もその手で多くの血を流してきたのかをよく見ている。想像するまでもない。
そして、二人は亮が自分の邪魔をする者に対して一切の情けをかけないことを知っている。だから、その手は彼の邪魔をした自分達を消し去る手だ。
その手が自分達の頭に触れる、二人は目を閉じ諦めた。死を覚悟した。が。
ーーーーコン
「「いたっ」」
軽くチョップされた。
「……とりあえず、お前らアニメの見過ぎと漫画、ラノベの読みすぎだ。まず話し合えよ」
二人にとって彼女の存在が許しがたいというのはわかった。だが、だからと言って即殺害はどうかと思った。
「そんな子に育てた覚えはないぞ」
「「えぇ……」」
が、八代と愛菜からすれば一体どの口が言っているのだろうというところだ。話し合いなしで虐殺してるのを何度も見ている。
「……まぁなんだ、お前らが俺を想ってこんなことしてるのはわかる。だから、頼む」
頭は下げない。が、彼の言葉が心からのお願いだと言うのを、二人はよく知っている。
「俺は大丈夫だから、信じてくれ。あいつから、真衣から頼まれたから仕方なくじゃない。俺がやりたいんだ」
おそらく。こらまでのやりとりも含めて全て、神の定めた運命の通りだろう。亮も、八代も、愛菜も、こんなの神からすれば茶番。そう思う。だけど、家族である亮の心からの頼みを断るなんて、二人にはできなかった。
「……仕方ないなぁ」
「そうじゃの」
瞬きする間に元の、自分たちの家へと風景が変わる。先ほどまでの八代の光線の影響なんてどこにもない。彼らの暖かい家庭というものが、変わる事なくそこにある。
「優衣ちゃん、この家のルール。帰ってきた時はただいま。行くときは行ってきます」
「見送る時はいってらっしゃい。迎える時はおかえりなさいじゃ。忘れたら消し飛ばすからの」
「……はい、二人とも、ありがとうございます」
そんな微笑ましいやり取りが、亮の目の前にある。
亮はかつて自分の全てを失った。もう自分には何も無い。本当に、何もなかった。けれど今は手に入れてしまったらしい。守らなきゃいけないものを。
「……ンし、じゃあ買い物行くぞ。今日は好きなもん作ってやる」
「妾は油揚げをトースターで焼いたやつに醤油垂らしたいの!」
「牛丼!」
「私は……唐揚げを食べてみたいです」
「……優衣は癒しだな」
愛菜と八代の協調性の無さと言うかなんと言うか。しかしこれで日常というものが帰ってきた。たかが数分の家族喧嘩であったが、無事に丸く収まった。
またいつ非日常というものが来るのかはわからない。きっとすぐだと思う。そしてそれは終わりの日で、その日になれば皆笑顔で笑えるわけがない。でも、それまではこの怪物達の家での生活を楽しもう。
「……うだー……」
愛菜は思った。好きな人にしてもらう膝枕というものは、どうしてこんなに快適なのだろうかと。好きな人の体温を感じつつ、その柔らかさを堪能し、鼻に意識を集中させれば、自分の好きな匂いがする。
こんな時間が無限に続けばいいと思った。この状態から動きたくない。彼の膝の上という、されたい放題なポジションをキープし、されたい放題されたい。腕を自分の上において欲しい。こっちを見て欲しい。頭を撫でて欲しい。こうしているだけで暖かい何かが心を満たしている。そしてその何かがもっと欲しい。他は何も要らない。この暖かさがあればーーーー
ただし、これは本来一人で味わうものである。
「……うだーん……」
よって、亮の右膝で同じようなことをしている銀髪クソ女狐こと八代が邪魔だった。
「八代ちゃん、狐の寿命って二年から五年だって。まだ?」
「朝っぱらから紛い物の人間かっこ試験管培養かっこ閉じに喧嘩を売られた」
「ほーん?同胞食いの畜生行為で九尾の妖狐かっこロリババアかっこ閉じになった愛玩動物風情がなに言ってんのかな」
「畜生行為?え、お主がそれ言う?知っとる?彼の偉人達の言葉を借りるとそれブーメランって言うのじゃよ」
「くっ、そう言えばそうだった!!」
「……お前ら人の膝の上でおっかない口喧嘩するんじゃねえよ」
突然おっぱじめた喧嘩。亮は本を読みつつ口を開いた。読書中に煩いことこの上ない。
「だって八代が!」
「黒いのが!」
「きっかけは愛菜だが、八代も乗った時点で喧嘩両成敗だ。どっちも謝れ」
唐突に喧嘩を売った愛菜が悪いのは分かるが、八代なんて自分以上に年齢を重ねた立派な大人である。さらに言うなら老人を超越した何かである。子供に売られた喧嘩を買わないで欲しいところだ。
「悪いが主、妾は謝る気はないぞよ!主の膝の所有権は妾にある!」
「ないよ!!亮の体はナノミクロン単位で私のもの!」
「おん?」
「は?」
「いや、俺のものなんだが」
亮のもっともな言い分を無視して、二人の喧嘩はさらにヒートアップする。
「やるか黒いの。妾は確かに神を返上した身。しかし、小娘一人消し去るのなんて容易いぞ!神聖な妾の力に浄化されるといい!」
「いいよ旧神。たかが神ごとき、深淵に呑まれると思い知らせる。闇の空間で永劫に後悔するといい!」
「やめろ世界が滅ぶ」
神性さは弱まったとはいえ、亮の魔力を取り入れて邪悪なる力を合わせて振るうことができる八代。
未だ実態を掴めないとは言え、世界をそのまま闇に落とせるとされる極術、深淵を使う愛菜。
両者が本気で激突したとして、新世界が壊れるだけで終わるかどうか怪しい。旧世界も含め、世界そのものがなくなる可能性もある。
「……そもそも、お前ら人の膝の上をなんだと思ってる」
「聖域」
「天国」
「コイツらの盲目な愛が重い」
家族に愛されるのはまぁいいことなのだろうが、この二人の場合は恐らく一般的な家族愛という概念に収まっていない気がする。
「そうじゃなくてな、お前らにそうやって膝に居られると俺は動けねえんだ。好いてくれるのは嬉しいがもうちょいこっちを気遣って」
「お、照れてる。別に言ってくれれば退くし、いうこと聞かなかったら無理やり引き剥がせばいいのにね?」
「まぁそう言ってやるな黒いの。主は紳士に見せかけた年齢三桁超えのピュアボーイ。きっとイヤイヤ言ってるように見せかけて実際は退いてほしくない感じなのじゃよ」
「お前ら口閉じて膝から退くかこの家出てくか選べ」
「「すいませんでしたっ!!!!」」
そう言われた直後、二人は常人では目で追うことのできない速度で亮の膝から離れ、ピシッと直立し、声を合わせて謝罪する。確かにこの前までこの面子での平和な日々をとか思っていたが、八代を再び取り込んだり愛菜を追い出したりしてもいいのかもしれない。
「ぅぅ……おはようございます、義兄さん、みなさん。朝からどうしたんですか……?」
なんてやり取りをしていると、今まで空き部屋だったところから優衣が目をこすりながら出てきた。きちんとしてると思いきや、優衣はかなり寝坊助で、ほっとくと昼過ぎにならないと起きてこないタイプだった。
「あ、おはよ、優衣ちゃん」
「おー、白い方か、今日も遅いの」
「おはよう、優衣。朝飯何か食べるか?作るぞ?」
朝の挨拶をしつつ、亮は朝食を提案する。三人は三時間ほど前に済ませた。
「んー、自分で作りますから大丈夫ですよ」
「いや、暇なんだ、やらせてくれ」
「でしたら、昨日の残りの鯖煮と軽いサラダを準備しておいてくれませんか?私はお風呂に入ってきます」
「任せろ」
「義兄さん、ごめんなさい、お願いします」
「気にすんな、ゆっくり入って来い」
優衣が脱衣所へ入り、扉を閉めた瞬間、座ったままの体制で聖移を発動。冷蔵庫の前まで移動し、中からタッパーに詰めた鯖煮と、トマト、キュウリ、レタスを取り出し調理を開始する。
「相変わらず、白い方には優しい……というか、神術をそんなポンポンと……」
「文字通りポッと出のくせに……ある日突然誕生したくせに……」
「そもそも主の恋人と全く同じ容姿で、記憶は持たずとも同じ性格というチート。何をどう取ったら妾達に勝利があるのか」
「「はぁ……」」
なんてため息が聞こえてきたが、戯言なのでスルーする。優衣は真衣が亮に託した存在だ。それと同等に扱えという方が、彼の中で無理な話である。
「っし、後は鯖だ」
3分クッキングもびっくりな早さでサラダの調理を完了した亮は、タッパーの鯖を鍋に移し、鍋を右手で持って鍋底に左手を当て、その左手から火を出すことで擬似的なガスコンロとした。普通に魔力の無駄遣いである。
「んー、暇だなぁ」
「そやの」
「お前らもうちょい趣味とか持って動いたらどうだ。休みの日なんか一緒に買い物行くか、こうやってグダグダしてるだけだろ」
「んー、私としては亮と色々するのが趣味なんだけどなぁ」
「うむ。そこは黒いのに同意じゃの」
「どこで育て方間違えたんだろう、コイツら」
保護者としては人に誇れる正しい趣味を持って欲しいところだ。誇れなくとも、夢中になれる何かを持って欲しい。
「わかった、じゃ優衣ちゃんの朝食の準備が終わったら二人で買い物に行こうよ」
「……だとよ、八代」
「え、妾?」
「違うよ!亮だよ!新しい服買いたいから選んでほしいな」
「やだよ一人で行ってろ」
何が悲しくて娘のような愛菜の洋服選びに付き合わなくてはいけないのだろうか。まぁ好きな人に選んでもらった服をとかそういうことなのは分かる。がそれを理解した上で面倒くさいものだ。
「あ、よし」
愛菜が突然なにかを思い出したかのように立ち上がり、リビングの壁に設置されている、お風呂場と音声のやりとりができる装置を使い始めた。
『今日も早く起きれなかったなぁ。まだ二人とぎこちない感じだから、なんとかしたいんだけどなぁ』
優衣のそんな声がスピーカーを介して聞こえてきた。
『早起きして、ご飯の準備とか、少しでも恩返しできればいいのに』
「……いい子だ」
「ええ子や」
「さすが俺の義妹」
聞いてた三人が口々に感想を漏らす。
「どうしよう罪悪感が……ええいままよ」
よくわからないが一瞬なにかの葛藤があったらしくも、通話のボタンを押した愛菜がスピーカーに向かって口を開く。
「優衣ちゃーん!」
『ひゃっいたっ!?ま、愛菜ちゃん?どうしたの?』
突然聞こえてきた愛菜の声に驚き壁に頭でも当てたのだろう。ゴンと結構痛そうな音が聞こえた。
ちなみに、優衣と愛菜はタメ口で話している。最初こそ堅苦しかったが、クラスメイトという事でなんとかやってるらしい。亮は学校など行ったこともないため、学校で二人がどういう生活をしているのかはわからない。
「この後、お洋服買いに行かない?」
『ふ、服?ていうかそれ今誘わなきゃいけないの?』
仰る通りである。
「そう!今じゃなきゃダメ。だから今決めて」
『……こういう愛菜ちゃんを学校で見せたらすごいことになるんだろうなぁ。あ、行くよ、せっかくの休みだし』
その言葉を聞いた亮が一瞬、小さくだが震えた。
それを見た愛菜がニヤリと口元を歪ませる。
「そーいえば今日、鈴木さんとか双海さんとかも遊ぶって言ってたよね、たまには男の人に選んでもらうとかいいと思わない?」
『そういえば言ってましたね』
「だから優衣ちゃんも鈴木、君とか双海さんとかに選んでもらうとかありじゃないかな」
「ほぎゃああああああああああああああああ!あるじ!みみ!妾の耳が燃えとる!!動揺しすぎじゃってええええ!」
やたら君を強調するのに優衣は不信感を抱いていた。それとなぜか聞こえてくる八代の悲鳴がとっても気になっている。
『ま、まぁそうですね……』
「うんうん!じゃあ行こうね!ゆっくりどうぞ〜!」
「いたひ……焦げとる……ちりちりじゃ……」
とっても賑やかなリビングだった。
「んで、亮は行かないんだっけ?」
「……そういや新しい土鍋買いたいとか思ってたな行く」
「計画通り……!」
まぁそんなこんなで。根本家の化け物四人組は買い物に繰り出すことになった。
そしてその頃、どっかの地下施設で魔人と深淵と優衣の監視に勤めていた名前のない誰かの愉快な仲間たちがディスプレイに貼り付けになっていた。
「ナナシ。魔人に動きがありました」
「話せ」
「それが……その……魔人、深淵、妖狐、七尾優衣の四人で外出をしております……」
「……はあああああぁ……クソ国王め、なにが世界の脅威はすべて魔人に引っ付けとけばいいだ!!この状況下で!彼らの前で!面倒ごとが起きてみろこの世界じゃ手に余る面倒ごとが増えるだけだぞクソッタレ!!」
世界を崩壊に導くことができる化け物三人プラス壊れた世界を修復できる神の使い一人。この四人が並んで歩いているだけで心臓に悪い。
「……どうします?」
「とりあえず監視だ。何かあったとしても我々じゃどうしようもないがな!祈ってろ。何もないことを」
「……なにに、でしょう」
「わからん」
祈るべき神はきっとこの光景を見て微笑んでいるに違いない。きっと助けてくれはしないだろう。
「はぁ……」
今日もナナシの胃に多大な負荷がかかる。そして思い出す。過の偉人風に言うならば、これはフラグというやつではないかと。
そんなに長くなかったorz