――――ガゴンッ!
「ん?なんの音だ?」
警備担当はそんな堅い何かが落ちる音を聞いた。普段ならば不自然な音ではない。下層で研究者が実験を行ったり、被検体達が実験の過程で殺し合いをしていればこれくらいの音は多々聞こえてくる。
だが、今は久々の休業日だ。研究者達は休みを満喫し、被検体達は牢に隔離されている。被検体達の悲鳴ならば昼間に聞こえてきたが、今は叫び疲れたのか、はたまた今日は薬がないことに絶望し、意識を失ったのか静かになっている。
ざっくり言うならば、今の音は異音だ。
「こちら秀吉。不審な物音が聞こえた。確認に向かう」
無線を飛ばし、自分の行動を伝える。これには大きく二つの意味がある。一つはこれからの行動を伝えることによって、もし何かあったとき、味方が迅速に状況を判断することができる。今であるならば、もし彼の身になにかあったとき、その音の発生源、付近で何かあったのだと推測できる。
そしてもう一つ。
「かったりぃなー」
仕事しているアピールである。もしなにかあったとき、無線機を提出しなくてはならないため、みんなで楽しいお話ではなく、異常の確認とかよくやってますよ的な記録を残しておかないといけないのだ。まぁ、雇用主が雇用主なだけあって、その辺の管理の仕方は分からない。問題があれば無線の内容がどうとか関係なく闇に葬られるだろう。問題児の餌にされてしまう未来も見える。
「(たしか、ここを右に曲がって……)」
機関銃と監視カメラに見下ろされた廊下を進み、音のした方向へ、突き当たりを右に曲がり。
「よう」
「えっ?」
それが、彼の最後の言葉だった。
極術使い「深淵」を人工的に製作する計画。「アバターオブダークネス」の成功作に限りなく近い失敗作を回収する。自分を新世界に馴染むようにと育ててくれた親の最後の願いに報いるため、亮は単身で件の施設に乗り込んでいた。
まさか緑生い茂るホワイトの森の中にこんな巨大地下施設を作ったとは驚きだが、いざ施設内部に侵入してから理由がわかる。施設内の設備などは確かに最新鋭のシステムで固められているが、壁天井床などはかなり年季が入っていた。百年以上前のものなのは確実だが、それ以上かもしれない。そもそも、どう頑張ってもこの規模の施設を秘密裏に作り上げるなんて現在の新世界では無理だ。もしかしたら新世界の建造時に作られた物かもしれない。なんて色々考えるが、だからと言って自分のやることに変わりはないので思考放棄。
まずは土で隠された入口を探し出して土を払い、蓋された秘密の階段を降る。そこからいつもの様にエーテル認証システムで施錠されたドア。笹塚未菜、つまりは深淵の魔力を浸透させた義手を自分の手と交換し、認証。想定通りにドアは開いてくれた。もし開かなかった場合はプランBとして虐殺開始のところだった。
その後通路を進んでいく。施設内の全てのセンサーを特殊な目で見てスルーし、熱検知式監視カメラを自分の姿と体温を辺りと同化することでかわし、そうしてようやっと研究施設に入るためのエレベーター付近。
そこでやっと人の魔力を感じ取り、無数に取り込んである手頃な石を落として呼び寄せたところ、見事に引っかかって今に至る。
「っと」
出会い頭に気絶させた男の首を右手で持って握りつぶす。男は絞殺を越えた首の切断により死亡する。倒れて音を立てる前に体をそのまま取り込み、そして間髪空けず今取り込んだ男へ装備諸々姿を変えた。
「小野定道。独身二十九歳……子供が死んで奥さんは逃げた。両親はとうの昔に他界。親戚には見捨てられた。現実逃避で娯楽に逃げ込み破産。生活費を稼ぐために闇に落ちる。小学生の時のあだ名はチリチリ。髪の毛のことか、なるほどかわいそう」
取り込んだ際にフラッシュバックするその者のこれまでの過去の記憶、その人が人生で積み上げてきた全てに適当な感想を残して、亮は装備品の無線機のスイッチを押し、残りの警備員を集めるために無線を飛ばす。
「こちら秀吉。あー、B区域で異音を聞きつけ向かったんだが、どう処理すればいいかわからないものを見つけた。信長か家康、来てくれ」
亮は彼の記憶にある、ほかの警備員のコードネームを呼んで、こちらへ集める。
『了解、そのポイントなら俺が近い。すぐ向かう』
『こちら家康了解』
できれば二人まとめて来て欲しいものだったが、そう都合のいいものではなかった。
「(生体反応ナノマシン……やり方変えるか)」
取り込んだ男の情報をもう一度精査する。どうやら警備担当の人間達は、意識一つで同じタイプのナノマシンを組み込んだ者達の位置をかなり精密に把握できるらしい。ただし、生きていれば。
つまり、死亡した時点でその者の位置は把握できなくなり、逆にそれが何かあったと伝えることになる。よって今からこちらへ訪れるコードネーム信長という人間は殺さずに処理しなければならない。殺した事に家康が気づき、警報でもならされてしまっては、今日の計画は丸々頓挫してしまうから。
亮は二人の居場所の割り出しに意識を集中させる。ここからの距離を正確に判断し、これから自分の取るべき行動をシミュレート。何パターンもの計算を終え、最適解を導き出す。これでいいと判断したところで、呼び寄せた信長の反応が近くなり。
「おう、どうし……ぐっ!?」
「ちょっとそのまま寝ててくれ」
つまりは殺さなければいい。魔力を放出し、対象の首を殺さない程度に締める。
これで後はさっさと事を済ませればいいだけだ。大騒ぎになる前に深淵を奪取して逃げる。最悪、皆殺しにする。正解はわからないが、不可能はない。二択の問題を空欄で提出する理由なんてないのだ。
『後一人は頼む』
『処す?』
『気絶で』
久し振りにお呼ばれして殺意満々な狐に残り一人の家康とやらの処理を頼む。呼ばれて早いが亮の背から狐の顔の骨を出現させ、浮遊しながら高速で通路を駆け抜けていった。
「ふぁっ!?」
間抜けな声が響き渡った後にゴン!と音が聞こえ、間髪開けずに骨が帰って来る。
「たでーま」
「なるほど、これはそういう声になるわ。つーかお前喋れんの?」
B級ホラーをスクリーンで見るとコメディ映画に見えると過の偉人が言っていた意味がわかった気がした。狐の顔の骨が凄い速さで突っ込んで来ると、なんか凄い。一瞬語彙力が欠如する。
「ンで、警備はこれだけだったか。薄いが人を動員すればその分外部に漏れるリスクがある。こんなもんか」
言いながら、最奥にあるエレベーターまで辿り着く。そういえば入口の詰め込んだような無人警備装置の数々は、警備を外に出さないためなのかもしれないなんて考えて、とりあえず一つ下のフロアへ移動した。
降りた先は研究施設というより、凶悪犯を詰め込んだ刑務所の様だった。新世界の刑務所は四人一部屋だが、ここは一人一部屋、最も鉄格子の中は二畳程度の広さしかない。
ここで今一度状況の整理を始める。自分が探すべきは「MA70E」というシリアルナンバーを割り当てられた深淵のクローンだ。できたらここ最近で多発した失踪事件と何か繋がりがあるかもしれないから、その確認も頼むとナナシから言われている。
が、行方不明社数は三十。鉄格子の数とは合わない。しかしこの狭い世界でこれだけの人が居るとなると、本当にどっから連れてきたのかと思う。
ともかく、シリアルナンバーを確認してさっさと見つけようと動き出す。
かつて食べた火を操る魔物。当時はわざわざ加熱する必要がないため好んで食べていたが、気がつくと体から火が出せるようになっていた。魔人化が完成したのはその頃かと過去に思いを馳せながら、鉄格子を触って溶かし、向こう側の被検体へ声を掛ける。
「シリアルナンバー」
「F14R007」
「はやっ。だがハズレか」
髪が延びきり、少女なのか少年なのか判別のつかない子供が無機質に答える。立ち上がって踏み出せば自由の身になれるのにも関わらず、子供はその場から動こうとせず、鉄格子が壊されたことに喜びもしない。子供の頭の中には「自由」という概念が存在しないのだろう。喜ぶことも悲しむことも、当たり前の生活を送るという事が頭の中にはないのだ。
「慣れってこええな」
そんな子供に同情することもせず、適当な感想を述べて次の牢へ向かう。
「シリアルナンバー」
「F14R008」
「……これ、この一列全部F14Rってところか」
ざっと見たところ、牢は五十は並んでいる。それらが全て「F14R」系列であるならば皆ハズレだ。彼が探しているシリアルナンバーは「MA70E」。何の関連性もない文字列。であるならば、そもそもこのフロアでない可能性が高い。下にはまだ7フロアもあるので、さっさと違うフロアへ移動した方がいいと考えた
「……エレベーター……いやいいや」
呟いて、右膝を持ち上げた。上げた瞬間に足の裏から金属を擦る音と共に刀が生える。足踏みしてそのまま刀を床に差し込み、足でコの字を描く。床にかなり厚みがあるが、刃の長さを伸ばすことによって、下のフロアの天井を突き破る。ガリガリガリと削るような音がするが、刃が折れることも欠けることもなく、綺麗に切れ目が入る。そのままもう一度足踏みすることで床を踏み抜き下へ続く穴が出来上がった。
そのまま落下してフロアを移動する。
「……骨が折れそうだ」
移動して真っ先に出てきた言葉がそれだ。上のフロアと同じように一本の廊下の脇に牢が立ち並んでいるのだが、長さが上の比ではなかった。一体どれだけ収容されているのだろうか。
「また聞いて回るか」
虱潰しはどうも性にあわないと感じるが、自分は範囲内の人間の脳内を見て回れるわけじゃない。そんな便利な手段を持ってる仲間はかつていたが、もう居ない。
まぁ、目的が破壊や殺しではない時点で面倒なのは確定しているのだった。
そうして面倒臭くなりながらも歩き回り、聞いて回っていたら、声がした。
「お兄さん、そのシリアルナンバーを持つ被検体は一番下のフロアにいるわよ」
「会話ができるヤツ居たのか」
二つ先の牢から幼い女の子の声がした。驚きながらもその牢の前へと歩く。
見た目はその辺の牢の子供と変わらない。もしかしたら声が高いだけの男の声かもしれない。外ならば個性的な外見だが、この場では無個性極まりない。
「えぇ、私はコミュニケーションを取ることができる。そういう風に作られたわ」
「何が目的で?」
「さぁ?ただの実験体である私に人権はないし、知ろうとすることも許されないもの。興味がないわ」
「そうか」
確かにその通りだ。与えられた実験のためだけに動けるようになっていればいい。その他の機能は与えられていない。ただそれだけのことだ。余りにも残酷なことだが、それだって仕方ない。それが最も効率が良いのだから。
「ただそうね、お願いがあるのお兄さん」
「なんだ。叶えてやれるかどうかはわからんが聞こう」
「難しいお願いじゃないわ。私を、殺してくれないかしら?」
「なんでだ?別に逃げればいい」
「私はここ以外で生きていく方法がわからないし、どのみち私の寿命は残り五ヶ月。無理して生きていたいとも思わないもの」
よく喋る事よりも、生き死にについて語れる知能がある事に驚く。なげそんな機能を持っているのかが驚きだ。だが別にその望みを叶える事に抵抗なんてない。
確かに余生を謳歌できる保証はない。王あたりに頼めばできるかもしれないが、この世の常識を身につけてしまったら死ぬのが怖くなったり、そもそも表を歩けるほどの常識を身につける頃には寿命で死ぬのではないかと思う。
「ン、わかった。来世でがんばれ。教えてくれて助かった。ありがとう」
「どういたしまして。さようなら」
伸びきった髪で表情は見えなかったが、笑顔だった気がした。だからせめて苦しまない様に、聖火を使う。ロウソクの様な小さな火が漂って彼女に触れる。その瞬間、優しく燃える火が彼女を包み込む。
「不思議な火ね……暖かい」
眠る様に倒れた。この世で最も安らかな死を彼女に与えてから、亮はエレベーターへと向かう。
『珍しいの』
『生きていたく無いのに生かされるなんて苦痛なだけだろ』
『……まぁ、気持ちはわかる』
世界はとても強くて、人はひどく弱い。それを知ってるからこそ、彼は自分から命を断ちたいと思う事を否定しない。生きていれば幸せを掴めるとか、報われるとか、そういう希望論を嫌う。そう思う者はそれでいい。そうとすら思えない者の気持ちを自分は汲み取る。
だって自分は死ねないのだから。
「ここか」
エレベーターから降りると、そこは闇だった。真っ暗な廊下を進んで行くと、先ほどの少女から教えて貰った部屋と思わしき場所へ辿り着く。道中の真っ暗な廊下では不可視のレーザーカッターが絶え間なく走り続けており、いちいち避けるのも面倒で自身を液体化して通ってきた。扉も厳重に閉じられていたが、これに関しても蹴り一発で開く、もとい壊れるので問題にはならなかった。もうここから先は問題が起きようと気にしない。
そこは「部屋」というよりかは「倉庫」と言う方が正しいだろうか。ダンボールやプラスチックのケース、なにかの基盤。ジメジメとした肌にまとわりつくような空気が流れるその空間は、今までの独房とは明確違う。他の独房に付いていた豆電球すら取っ払われており、光源になる物は一切存在しない。暗闇に対応できる目を持つ亮だからこそ、そこに物があると判断できるが、恐らく普通の人間ならばこの部屋を歩くことはできないだろう。
積まれたダンボールの迷路を縫うように進んでいくと、ピチャ、ピチャと水滴の跳ねる音が聞こえた。亮は音の発生源に近づき、右手を伸ばす。水にしては感触がおかしく、少しぬめっとしていた。残念なことに亮の目はこの闇の中で色まで判別できるほどの高性能ではないので、警備員の装備であった小型の懐中電灯を出現させて持ち、右手を照らす。
「なんだ、血かコレ。ンー、もしかして」
確認しようと思い、大型の懐中電灯を体内で100ほど生成。ついでに瞬間接着剤を周りに塗りたくって一気に放出。懐中電灯が様々な物に当たる音が聞こえ、至る所に光を射す。そして、彼の視界に映った光景。それは
「……おお、すげえ」
天井まで積み上げられた人間の遺体。山一つでは足らず、二つでもダメなようで三つ目に突入している所だった。わざわざ数える気も起きないが、100はあるだろう。問題なのはここまでどうやって死体を並べたのかではなく、どこから生きていた人を調達したのかだ。ブリーフィングで教わった行方不明者の数は三十人。山はその三倍以上もある。
取り敢えず、亮は右手に懐中電灯を出現させ、遺体の顔を確認していく。そうすることで、やっと気が付いた。
「あぁ、もしかしてここに居る者ほとんどがクローンか」
一体一体の顔を拝んでいくと、同じ顔が多々あることが分かる。それはつまり最初の三十人をベースにしてクローンを複製、それを殺害、この山が出来上がったのだろう。人間のクローンを作ることは禁じられているはずなので、上に居たクローンと合わせればこの数はなかなか思い切った行動である。幼い子供ばかりだったのはそのせいか。
そして次に浮かび上がる不明な理由。それはなぜわざわざクローンを複製して殺害しているのか。自分のような魔人を強化するのならば、複製の理由は分かる。同じ魔術を持つ者を食らえば食らうほどその魔術に対応する魔力の質は向上していき、強力な魔術を扱うことができる。だが、ここで研究されているのは人工的に極術、深淵を開発する方法だ。魔人ではない。
「(笹塚さん……あんたが死んだせいで余分な仕事が増えてるんだけど)」
笹塚未菜、今は亡き極術使いに思いを馳せる。亮にとっては面倒見がよく、一周回ってうざい、ちょっと変わった魔術を使うだけの人だったが、彼女の欠落はここまで世界を狂わせるらしい。
「はぁ、面倒く……ン?」
呟いた瞬間。首を切られた。冷たく、少し粘ついた刃を首元に当てられそのまま切られた。だが背後に気配はなく、振り返っても誰もいない。完全に暗殺者の手口だ。殺される間際にすら姿が見えない、殺気もなく気配もないため、そんじゃそこらの暗殺者より質が悪い。普通ならばこの瞬間ジエンドだが、切られた首元は切られた瞬間に修復され、そもそも刃一つで殺されるような体ではない。
「中々、ご丁寧な歓迎だな。そうやってこの山を積み上げてきたのか」
返事はない。ただ相変わらず血が滴る音のみ響いている。
「言葉が通じているのかは知らないが、お前を助けにきた。大人しく連行されてくれ。俺は、あの人の複製品だろうが傷を付けたくない」
伝える。別に傷つけたくないわけではないが、向こうに心とかその辺の物があると信じて。だが、返ってきたのは言葉ではなく刃物だった。ブスッと亮の頭に突き刺さる。
「言葉で済ませられる内に終わらせときゃいいものを……」
聖光があれば直ぐに済ませられそうだが、生憎とあの時は食らえなかった。無い物ねだりしても仕方ないので、とりあえず。より一層懐中電灯を生成して放出していく。影を光でかき消す。闇をゴリ押しで払う。
「あ……ぐ……」
その甲斐があってか、亮の真後ろから呻き声が聞こえた。光が眩しいのか、目を押さえている。
「深淵。闇や影に潜んでその中を高速で移動、相手が影や闇に近ければ闇へ引きずり込み、現実とはまた違った理の世界へ飛ばす。そこを行き来できるのは術者だけ。他は知らんけどそんなとこだろ」
振り向いて、近づく。呻いてしゃがみこむ深淵の頭を掴んで、放り投げる。
「あがっ……」
壁に当たって落ちる。今ので骨の何本かは折れたであろう。それを示すかのように、彼女の細い右足はあるまじき方向へ向いている。人の肉ばかり食っていたからか、体はひどく脆い。
だがそれには目もくれず、深淵の元へ一歩ずつ歩いて向かう
「お前はこの研究所でなにを見てきた?」
「…………っ!」
折れてもなお、ボロボロなパーカーの内側の影からナイフを放り投げる。それは見事、亮の首に突き刺さる。だが、当然亮は足を止めない。顔に一つ、首に一つ、刃物が突き刺さっていくだけで、なんの意味もない。
「人の闇だろうな。光の射すことのないドス黒い闇だ。己の利益のために人を道具として扱い利用する。俺も大差ない。自分のために命を粗末に扱うことに関しては」
「…………うあああっ!」
もう三本。突き刺さる。が、やはり意味をなさない。
「がんばれ、生きるために対抗するのは悪いことじゃない」
言葉の最中に追加で五本刺さるが、それで最後だったらしく、深淵はしゃがみこんで壁により掛かり、まるで、化け物を見るかのように亮を見上げる。実際、そうだが。
「……そんな目で見るな。俺もお前も、異常という面で見れば大して差はない。むしろ俺の方が普通だ。魔物になり損ねた魔人なんだからな。異常に成り切れなかった紛い物だ。っても伝わってないよな。さて、何を言えばいいものか……」
怯える深淵に対して掛ける言葉がない。これでも彼は驚いている。なにせ、人工的に作られた極術使いだ。恐怖、怯え、そういう感情は排除して、死ぬことすら恐れない戦闘マシーンになっているものだと思っていたから。それがどうだろう、突然入ってきた彼に攻撃し、通用しないと分かると怯えている。この光景を見る限り、普通の独房に閉じ込められた子供達の方がまだ戦闘マシーンらしい。彼らは生きることを捨てているから。
「……あれだよ、お前、結局闇の中で殺して盗んでってやるんだったら、一日三食好きなもの食べたくね?」
「…………?」
しゃがんで、体と頭に突き刺さった刃物を捨て深淵にそう語りかける。すると、彼が自分に攻撃をするつもりがないを察知したのか、首を傾げた。
「ごはん。わかる?ごはん」
「うんうん」
コクコクと頷く。どうやらある程度の言葉、イエスのジャスチャーは可能なようだ
「よし、腹減った。飯食べに行こうぜ」
そう言って、亮は彼女に右手を差し出した。
「はらへった……?」
「そう、腹減った。食べ物、食べたい……わかる?」
「うん。食べ物、食べたい」
これも通じた。この調子で行けば、案外まともな会話ができるのはすぐかもしれない。というよりも、ご飯やら食べ物という言葉で完全に敵意や殺意、恐怖までもが消えている。
「ン。じゃ、外行くぞ」
「ん。そとなに?」
深淵は再び首を傾げた。深淵も当たり前といえば当たり前だが外の世界。いや、世界というものを知らない。
さてどうしたものかと亮は考え込む。よくよく深淵の体を見てみると、上着はボロボロになった挙句血塗れの黒いパーカー。しかも前がチャックで閉まるタイプで、パーカーの下には何も着ていないので胸元まで見えている。下半身は同じくボロボロの薄い生地の布。まるで手術終了直後だと言いたげなほどには血濡れ。
「間違いなくこのまま外に出したら俺が捕まるな」
「つーかーまーる」
初めて聴いた言葉を繰り返す深淵。さすがは極術使い。そこそこの学習能力はあるようだ。まぁ仮にもあの人のクローンかと納得しつつも、どうやってなんの問題も起こさずに表に連れ出そうか考える。
ついで言えば、あるまじき方向にひん曲がった足も直さなくていけない。
「しんえ……いちいち深淵って呼ぶのもアレだな。お前、シリアルナンバーは?」
「MA70E」
他の非検体同様、シリアルナンバーと聞かれれば即座に応答する。そういう風にプログラミングされているのだろう、彼女達の脳は。
「そうか、MA……じゃ、今日からお前の名前は真……いやダメだなに考えてんだ俺……よし、愛菜だ」
「……名前……ま……な?」
「あぁ、愛菜」
「…………?」
「はい。だろ?」
名前の概念を理解出来ていないのだろう、深淵改めて愛菜は首を傾げるだけだった。
「愛菜」
「…………」
亮は彼女の新しい名を呼び続け、理解させることをやめない。これは彼女の遺言に従った依頼だ。もし人としてやり直せるのならばやり直させる。無理なら殺す。後者は亮とてやりたいものではない。彼女ならやらないから。だからこそ人としてやり直させる。名前をつけるのはその第一歩だ。
「愛菜」
「……い」
「愛菜」
「は……ぃ」
「愛菜」
「はいっ!」
そして、何度も繰り返し、ようやく名前のない深淵は、愛菜になった。
それからしばらくして、主任はやって来た。今日も今日とてあの失敗作に餌を与え兵器として成長させたり、完全なる初代深淵を生み出す事に励まなければならない。
職場の仲間たちと今日も楽しく人体実験。
「……あ……」
が、彼を待っていたのは、アットホームな職場ではなく。
「聞きたいことがある」
魔人だった。
なんとなく、俺Tueee系の需要だけでここまで評価されている事に気が付き始めました