氷の幻影
それから一週間が経った。裏の仕事のない極一般的な日々を過ごし、特筆することのない平和な時間が続いていた。気にかかるわけではないが、鈴木数馬が休んでいるらしい。あわせて、一つ上の学年の宮里由紀も。大方、彼女を象ったアバターを追っているのだろう。愛菜曰く、彼は偶然トラブルに遭遇しては解決する、そういう体質らしいから。なんとも人生楽しそうな体質だ。
アバターに関して気になることがある。アバターは本来、その人にまんま成り、意識を失う象られた者を殺害してからその者に成り代るものだが、亮が見たのは幼い宮里由紀。それに宮里由紀自身も生存している。本来のアバターの生態とはだいぶ違っていた。
「八代、アバターが真似た相手より幼くなったって事例あるか」
「唐突になんの話じゃ。向こうの魔物が恋しくなったか?」
「それはお前の方じゃないのか」
亮がそう返すと、八代は狼狽える。彼女がかつて成そうとしていた夢に共感した友人達の事でも頭によぎったのだろう。
「……妾は聞いたことも見たこともないの」
昼頃。愛菜と優衣は学校で、亮と八代は二人でソファに腰を下ろし、昼ドラを横目にそんな会話を始めていた。
「お前で知らないならないか」
「我が子らにはアバターを見かけたらすぐさま逃げろと命じとった。アレとはあんま関わりないから、断言はできんがの」
八代は聖移を使って数体の魔物に自分の思考能力を移動させ、魔物の統率を図っていた。そうして知能を持った魔物に、同じ種族の魔物を統制させ、ゆくゆくは全ての魔物を殺し合うことなく繁栄させる。そして、人と共存することを目的にしていた。特に何の目的もなく対象に成り代るアバターは排他する存在だったのだろう。
だが実際、紛れても統率はできるし、成り代わる相手を殺害した後のアバターは成り代わった相手と全く同じ行動をとる。同じ物ではあるが、仲間がアバターだったという時の気持ちは複雑を通り越した何かだ。
もっとも、八代の目的はアバターがどうの以前に魔人の前にあっさり散ったわけだが。
「じゃが、極術師の子供を象ったクローンなんてどっかで聞いたことあるとは思うがの」
「愛菜と同じだと言いたいわけだろ。愛菜はアバターの一片が使われてるらしいな。けどあの宮里由紀はまんまアバターだった」
何かトリックがあるのか。はたまた見落としている何かがあるのか。少々考えるが、よくよく考えてみるとわりとどうでもよく、とりあえずベランダで喫煙のため立ち上がる。
「うっわ、さすがにお昼に放送するもんじゃなかろうて。何人死んどるんこの話」
確か夫に浮気された妻が最初の夫を殺し、継いで二人目も殺し、ついに警察にバレるもしばらく逃走するも逮捕。が、彼女を追っていた刑事が彼女に惚れて釈放後に二人は結ばれる。そして今、その刑事が殺されたところだ。
そんなドラマをそこそこ楽しんでいる八代を微笑ましく思いながらも、自室を抜けてベランダへ。
「……」
タバコに火をつけて吸って吐く。建物側の壁に背を預けて、昼間の面白みのない街並みを一望した。新世界を覆う壁にはリアルな太陽が映し出されていて、どういう原理か太陽光すら放っている。ちなみにそれらの原理はこの世界で一般的に公開されていない。そういう物を公開するということは、人々にこの世界が作り物だと言うことをはっきり伝えることになる。新世界の創世記からかなり時間が流れているため、人々は大抵、新世界の中だけが本当の世界と思い込んでいる。各地区の壁際は立ち入り禁止になっているのにも、そういった理由がある。全ては外の世界に目を向けさせないための手段だ。
もっとも、成長していけば隔離されているこの世界に違和感を感じるようになり、この世界が海底にあることもすぐに判明するわけだが。それでも完全に、どういう仕組みで隔離されているのか知っているか知っていないかの差は大きい。
そもそも外界遠征などという行事もあるのだから、隠す必要もないような気もする。これはかつて自分もそうだったような、デリケートな人の心とやらを守るための措置なのだろう。
「そういえば、そろそろか」
外界遠征とは年に一度、極術師一人と大規模に編隊された軍が旧世界へ赴く行事だ。ちょうど亮が旧世界から新世界へ移住するきっかけになったアレである。期間は一ヶ月ほどで、目的はその都度変わっている。過去の遺産の持ち帰りやら魔物の駆除やら様々だが、全てに共通して言える事は命懸けの行事であるということ。亮から言わせれば、人が居なくなった現在の旧世界には危険などないとは思うのだが、平和ボケしたこちらの世界の者からすれば命懸けらしい。
そしてそんな行事には今年が愛菜が赴く。愛菜が外界の魔物共に遅れを取るとは思っていない。心配する必要など全くないのだが、なんとなく、存在しない頭に何かが引っかかる。そこまで考えて、亮は携帯電話を取り出し、着信履歴から番号を選んで発信した。
『はい、もっしー』
聞こえてくるのは、現国王の声。発信相手はこの国のトップだ。今はこの茶番に付き合う気になれない。さっさと用件を伝える。
「王、頼みがある。次の外界遠征に行かせてくれ」
『……いきなり穏やかじゃないな。その理由は?』
最初のふざけたような声が消える。代わりに重く、刺すような声になる。
「なんとなく」
『乗船まではメディアの目もあるし、中に入れば軍隊も居る。やっとお前の存在が消えつつあるのに、また世界の者に悟られるのは良いことではないんだ』
「そうか。確かにその言い分は最もだし、俺が行くメリットの方が少ないか」
そこまで言い切って、大きくタバコを吸って吐き出し、灰皿が一杯になっているのを確認して吸い殻を体内へ取り込む。
少し考えればわかる。魔人がそういう行事にでしゃばるのがよろしくない理由の数々。
今回で言うと、それだけの力を持つ彼が居るならばそもそも軍隊などが不要になる点。新世界では巨大過ぎる力を持つ彼の居場所がなくなる点。隠蔽しようとするならば、知ってしまった者への対処。その他諸々、挙げれば切りがない。
そして亮はそれを把握した上でこう続ける。
「なら言い方を変える。行かせろ。ではきゃ今すぐこの世界ごと旧世界に行くことになる」
『……お前さ、交渉下手だよな』
「ン、否定はしない」
それだって仕方ない。彼が世界の平和を望む者に対して力というカードを切れば、相手はイエスと言わざるを得ないのだから。
『わかったけど、マジで深淵以外に存在を悟られんなよ。死ぬほど面倒くせえんだぞ』
「気体として潜水艦に入るか、液体として入るか、透明なまま水中を泳いで行くかで悩んでる」
『あぁそう、好きなの選んでちょ』
どれもこれもまともな人間からすれば同じだ。戦いに精通した者なら、彼が姿を消していても気配やら魔力やらで察知することはできるが、新世界では今のところ愛菜以外、そんな者を見たことがない。力の差がありすぎて気がつかないからか、理由を考えたことはないがそんなところだ。
そんな者達があの世界に赴くのだ、死んで当たり前である。周りの人々が敵と味方の二つに区別できない世界で、自分の身を守る事を忘れているのだから。
『……にしても魔人きゅんは律儀なのな』
「なにがだ」
『黙って行けばいいものを、わざわざ許可を取るとかさ』
どうせ無理矢理言うことを聞かせるなら、黙って行けばいいという話なのだろう。一理ある。
「別にコソコソ動きたいわけじゃないからな。面倒だが連絡してれば何かあったとしても状況把握が早い。それに、そっちもそっちで俺が居る事を前提に、手を打てるんじゃないのか」
『くはっ、ばれてーら』
「言ってみろよ。ある程度ならそう動いてやる」
『ってもやってもらうことなんて簡単だ。拠点を広げたいから、先に殲滅しといてほちぃってとこだ』
「それくらいなら構わない」
魔物など大した敵ではない。かなり手軽なオーダーだった。
『詳しい内容はメール送っとくわ。適当にチェキしとき』
「なんか使い方違くないか」
『え、なんの?チェキ?』
「ン、まぁいいや」
『良くない知りたい。え、おい待』
通話を終えてもうタバコを取り出して再び口にする。壁を背にして上を見る。相変わらず空にしか見えない壁だ。旧世界にて様々な本やらを取り込み、多くの知識を有したはずだが、コレを建造できる技術はわからない。いつかこの世界の隠された何かを暴くのも面白いと思い、そして次にその向こう側を想う。
この地に足を踏み入れてから、あの地に戻ったことはない。久し振りに戻ることになる。
「……なんの感慨も湧かないな」
別に、思い出の地を巡るわけではない。愛菜を守り、王の命をこなす。ただその二つだけのために動く。そういえば八代はどうするか、と考えた直後、携帯が震え、メールを受信した。王からだ、先ほどの話の詳細だった。亮が参加ということで変更されたプランが事細かに記されている。この短時間にこれだけ仕上げるとは流石の手腕と言ったところか。亮はその内容を丸暗記してからそのメールを削除する。携帯を仕舞おうとした時、二度携帯が震えた。今度は電話、相手はナナシ。仕事の話だろう。
「俺だ」
『仕事だ。例の、宮里由紀のアバター』
やっと出番か。なんて思いつつ、ナナシの言葉の続きを待つ。
『まずは事の顛末を話そう』
別に聞きたいわけではないが、一応ナナシの言に耳を傾けた。
簡単にまとめるとこうだ。アバターは培養されたもので、宮里由紀の細胞を与えたら構成情報を読み取り、宮里由紀として成長を始めた。しばらく研究施設で育てられていたが、宮里由紀の存在を知り、姉として認識し、会いたい、遊びたいと思った。だから研究施設を氷漬けにし、研究員、シェイカー達を殺して外へ出た。たまに騒ぎを起こしたから存在が認知され始めた。ここまではついこの間取り込んだ者達の記憶を統合し、辿り着いた答えだった。
だがつい昨日、宮里由紀、鈴木数馬は宮里由紀のクローンと出会い、ぶつかり、話し合い、分かり合い、宮里由紀の元で生活することになったらしい。
大体亮の予想通りだ。もし二人が動かなかったら、新世界はクローンに氷漬けにされる可能性もあった。二人はクローンを受け入れ、ハッピーエンドを迎えた。
そして、このタイミングで自分の番だ。
「ンで、なにすればいい」
『食らえ。跡形も残さずこの世から抹消しろ』
まぁ、そうなる。
「宮里由紀はそいつを妹として迎えてるんだろ。いいのか」
『当たり前だ。アバターが今後暴走しないとも限らない。それに近々外界遠征も控えている。まさか連れていくわけにも行かないし、一人残して寂しいとかふざけた理由で街を氷漬けにされるわけにもいかない。研究機関に盗まれまたアバターを複製されたら問題だし何より世間に今更なんて説明する』
正論のオンパレード。間違いなく当たる問題からもしもの事態まで。例を挙げて事例にメリットデメリットを付けていった結果。まぁ、この世にいない方がいい。
遥か昔の自分ならこの話は蹴っていただろう。魔物だろうと関係ない、前を向いて歩き出した者の希望の芽を摘むことはできない。くらいな戯言を垂れて。
「まぁわかった。塵芥残さず取り込んで無かったことにしてくる」
なんて事はない。魔物を一体食うだけだ。たとえそれが、好きで生まれたわけじゃないのに、人の悪意にさらされ苦痛の中でもがき苦しみ、やっとこれから真っ当な生活に向かって歩き出し、大切なものを手に入れた存在だとしても。
そんなものは魔人にはなんの関係もない。
『……ちなみに、私は乗り気じゃない』
「そうか」
はぁ。と、電話口からため息が聞こえた。
『いくつになろうとも、前を向いた歩き出した存在を葬るのは好きにはなれないんだよ』
「あぁそう。でも仕事だろ」
珍しく愚図るナナシに正論をぶつける。ここまでナナシが自分の心を語るのは本当に珍しい。根は優しいのは知っているし、その心を殺してこの仕事に就いているのも知っている。たまにはこういう事もあるんだろうくらいに考えた。
『魔人、お前はどうだ』
「死ぬほどどうでもいい」
育った環境のせいだろうか。身内の事なら当たり前だが、何の関係もない第三者にそこまで気を使う。そんな心を理解はしているが、そうしてみたいと思ったことはなかった。
『……そう言えば、お前の座右の銘はなんだったか』
「俺が良ければ全て良し。誰かのためにってのが当たり前なこの世の中だ。一人くらい自分のためだけに動いていたっていいだろ」
『相変わらずブレないな、お前は』
「変わらない何かを持ってみろ。失くさない限り変わらない、変えられない」
『ふっ、考えておこう。……仕事は明日の日の出までだ』
「ン、わかった」
通話を終えて、短くなったタバコを吸いきり、また吸い殻を体内へ取り込む。灰皿に溜まってる灰と吸い殻も捨てるのが面倒だと感じて、灰皿の中に手を突っ込み全て取り込む。汚れが付着する前にも取り込んでいるため、手が汚れることもない。
「……ンー」
悩むのは外界遠征の事だ。宮里由紀のクローンの事はどうでもいい。ナナシは自分のことをブレないと言った。確かに考え方は変わらない。目指すところは何も変わらないからだ。だからあの場所へ戻っても、自分の心情など変わらない。
しかし変わるかもしれないとも思う。あの頃と違い、今は愛菜という守るべきものを手に入れてしまった。今あそこへ行けば、何か景色が違って見えるのかもしれない。
「……ふ」
また無意味な事を考えていると分かって、鼻で笑う。
「あーるじー!おやつ!!油揚げをトースターで焼いて醤油かけるやつ!!」
「ダメだ油揚げは今晩おひたしにして食べるから」
「ぬぅ、買いにくいのじゃ!!」
「……はぁ、支度しろ」
「うぃー!!」
「外でやるなよそれ」
そういえばポン酢が切れそうだったか。一人で繰り返していた無意味な思考は、気がつけば冷蔵庫の中身の思い起こしと、一週間の献立へと切り替わっていた。
ナナシより送られてきた、絶対零度、宮里由紀のアバターは宮里由紀の家にいるらしい。さすがにしばらくは家から出られないのか。それに下手に表に出すよりかは、家に居させた方が安全というものだ。
「(無駄に硬いセキュリティだな。元絶対零度も一枚噛んでるかこれ)」
外観は少し大きい普通の一軒家。と言ってもここはホワイト地区の高級住宅街なので、周りの物とは大差ない。だが、家全体に張り巡らせてある魔力の膜はこの家特有だろう。本来目で見えるものではない、亮だからこそ見えるものだ。これなら基本的には誰が来ても侵入者を探知できる。
魔力の膜の正体は、家の中に恐らく置かれているだろういくつかの装置によるもの。膜自体に侵入者を撃退する効果はないが、予め設定された魔力を持つもの以外が触れれば警報が鳴る仕組みになっているはずだ。以前、外界遠征で軍隊が使用していた物の改良版だろう。
仕事とだけ言って、内容は愛菜達には伏せて来たのが悔やまれる。このセキュリティを掻い潜るのは愛菜なら簡単なのだが、いかんせん魔力の塊である自分には難しい。それこそ聖移を用いらなければ。だがあまり使いたくないというのもある。
だから、取れる行動は一つ。
らしくない夢だと笑われそうと思いながらも、由紀は今見ている夢がとても楽しかった。自分と、妹になった自分のクローン、もっと言うならばアバターの由美と、今回の件で行動を共にし、そして恋した鈴木数馬の三人でイエロー地区の遊園地で遊ぶ夢だ。
ただただ楽しい。なんのアトラクションに乗っているのか曖昧で不明だが、ともかく楽しいと感じていた。
この夢を実現させるのには、きっと多くの障害があると思う。でも、妹として受け入れたのだから、ただ真っ直ぐ人として生きて欲しいと思う。そのための障害など全て払ってやる覚悟は持った。この夢のように、きっと何の憂いもなく笑える日を手繰り寄せてみせる。揺るがない思いを持っている。そして。
────ピピピピピピピ!!
と、警報機の音が家中に鳴り響いた。
「由美!!」
その音を聞いて由紀は飛び起きる。さっきまでの夢とは真逆の現実が訪れる。
「(早い、早すぎる……普通はもっと機を見て……)」
考えが甘かった。極術師が最も警戒している時期に突入されると思っていなかった。そんな命知らずが居るとは思っていなかった。そんなネガティブな考えを振り払い、寝間着のまま、部屋を飛び出て隣の由美の部屋へと駆け入る。
「由美!!」
部屋を開け、目の前の状況を瞬時に理解する。もう、その部屋には誰もいなかった。そんな現実を受け止めたくなくて、割れた窓の方へと駆け寄る。窓から顔を出して辺りを確認する。人を連れ去り、三階から降りるのならばまだ下にいるはず。だから下を見るが。
「……ぁ」
居ない。窓が破られた以外の痕跡がまるで何もない。下は庭の芝生だ。登るための梯子が掛かっていたならそれがあるはずだし、芝の上に置いた跡が残っているものだ。だがそう言った明確な痕跡は何一つない。
「……っ!」
由紀は窓から飛び出し、氷の階段を瞬時に作り上げながら下へ降りる。表へ出て夜の住宅街を駆けた。自分が裸足で寝間着なのなんて忘れてしまった。
ついこの前知ったはずだった。この世界の闇を。世界のために誰かを犠牲にする事があることを。ここはそういう犠牲の上に成り立っている世界だったことを。極術師というレッテルは闇の中では大した意味を持たないことを。なのに、大丈夫だと思った。一度日の光を浴びたのならば闇は払われたと思った。その結果がこれだった。
「由美!……由美!!」
当てもなく走り続けて、名前を呼んだ。大切な妹の名前を呼び続けた。
そんな彼女を、元凶はタバコを加えながら彼女の家の屋根に座り込んで眺めていた。
その隣で、彼女の母親は彼を、魔人を恨みと増悪を込めた目で睨んでいた。
「……まぁ、こんなとこだろ」
由紀の声が遠くに行ったところで、亮は呟いた。
「……やっぱり、あの子を関わらせるべきじゃなかった」
宮里由紀の母親、元絶対零度の宮里紀子は震える声でそう言った。
「当たり前だろ。あんたは何を思って関わらせた。止めるべきだっただろ」
タバコを吐いて、紀子の言葉を待つ。
二人は知り合いだった。彼女が絶対零度としてこの世の裏側に居た頃の同僚だ。だからこそ彼女はこの世の闇をよく知っているはずだった。それなのに、彼女は自分の、闇を知らなかった自分の娘をこっち側に関わらせた事が解せなかった。
「変えられると思ってたのよ。あの子と、あの子に手を貸してくれた彼の二人なら」
「その結果がこれか」
「……あなたはいつもそうね、人の気持ちなんて欠片も理解せずにただただ合理的」
「仕事だからな」
もう一口タバコを吸おうとしたところで、タバコが突然凍る。どうやら話はこれで終わりにするらしい。
「まぁ、宮里由紀と俺を関わらせなかっただけ、まだ理性的だな」
「あなたみたいなのと関わらせるわけないでしょう。そうしたら、あの子はもう二度と普通生活を送れなくなる」
「そうだな」
紀子は右手を突き出し、魔人を氷漬けにするべく魔術を発動させる。元絶対零度。極術としての力は失われたが、それでも上位術の中でも上の方に位置する。自在ではない。だが人を凍らせる程度の力はある。伊達で闇に居たわけではない。
「あなたはここで終わらせる」
生み出した氷は、未だに座ったままの亮を足元から覆い始める。逃げることなどできはしない。力でどうにかできる硬さではない氷だ、例え肉体強化の魔術を使う者でも逃げ出すことはできない。
普通は。
「もう会わないといいな」
だが、亮は頭からその存在を気体へと変える。砂場に作り上げた山が風に流される様に、魔人はその場から消失した。後には彼を固めようとしていた氷だけが残される。
「……くっ……」
この世は犠牲の上に成り立つ。その犠牲を積み上げる者と、無力な自分を恨んで、紀子は膝をついた。
風に乗って流された先はホワイト地区の路地だった。取り敢えず自分自身を人の形に戻して帰路に着く。すぐさま体の中から懐から取り出して雇用主へと終業連絡をする。
『終わったか』
「あぁ。そういや、元絶対零度と会ったぞ」
『……そうか、彼女はなんて』
「娘を関わらせるべきじゃなかった。と」
『あぁ……これは、もう彼女と飲みになんていけないな』
「行ったことなんてあったんだな」
『彼女が初めて人を殺めた時に、な』
「へぇ。ンじゃ切るぞ」
余り興味がなかったので早々に通話を終え歩き始める。数歩歩いたところで亮はふと足を止めた。思い返すのは紀子の言葉だ。
「(元絶対零度は世界の裏側を知っていても娘を関わらせた。そうするべきではないと分かっているのにだ。それはきっと、鈴木数馬のせいだ)」
紀子は最初は止めようとしていたと考える。そして鈴木数馬と会ったのだろう。会って、会話をし、鈴木数馬が紀子の考え方を変えた。
「(それが、その魅力とも言えるものが……鈴木数馬を真衣が選んだ理由)」
そこまで考えて、亮は飛び上がった。そのまま空を蹴って、帰路を急いだ。
「(俺じゃダメな理由……)」
主人公補正とでも言える様な何か。絶対無理だと思っていても、何とかしてくれると思わせてくれる感覚。無力でも勇気だけで立ち向かう強さ。そして、奇跡を起こす想いの強さ。
「……チッ」
舌打ちをした時には、自分の家のベランダは目の前にあった。手すりに向かって透明な魔力の手を伸ばして掴み、ワイヤーを巻き取る要領で体をベランダに入れる。そのまま座り込んでタバコを取り出し火をつけ、大きく吸って吐き出した。
「……なんで、俺じゃないんだろうな」
風に流される紫煙を見つめ、そう呟いた。
だいぶ空きましたけど一応生きてます、ちまちま投稿していく予定です