ある日、唐突に全てを失った。数えるのが億劫になるくらいには時間が経った。今もまだ俺は生きている。
あの時まで、世界にはお前しかいないように見えた。お前がいたから世界があるように見えた。だけど、それは違った。世界はお前を奪った。眼中になかった世界程度が、お前の装飾品程度でしかなかった世界がお前を────俺の全てを奪っていった。
「……朝か」
また日が昇った。お前が居なくとも世界は進む。時間は止まらない。俺はまだ死んでいない。
「……真衣、苦しいよ」
日の光は眩しい。この光みたいに未来は明るい。そう二人で信じていたあの頃の俺たちが、今の俺の首を絞める。
だから歩き出す。この苦しみを終わらせるために。
神の所業。それはきっと、かつて自分が持っていたあの力の事だろう。体の一部を代償として支払い時間を巻き戻す。たったの一時間だけだったが、時間を巻き戻すなんてきっと人間の取り扱える範疇を超える。だからこそ考える。あの力をもう一度使えて、一時間の制約を取っ払えるとしたら。あの日、あの時に戻って彼女を助けたい。
しかし、どうすればいいのかだけがわからない。この世にはそもそも人の数が少ない。魔物であればいくらでもいるのだが、知能の低いそれらが自分のこの問題を解決するヒントを持っているとは思えない。言ってしまえば手詰まり。自分にはもうどうすることもできないの。
そういう自分への無力さが募り、気晴らしも兼ねて魔物は殺害する。
だからこの現状も彼にとっては良くある虐殺。
「ガッ、ゴ……」
かつて自動車と呼ばれた物に押し潰された群れのリーダーは、彼を睨んだまま息絶えた。長い間、群れのために戦ってきたその生涯はここで閉じられた。
そのリーダーに思うところがあったのか、リーダーの上の自動車に体当たりをして助けようとした何匹かの魔物は、彼に放り投げられた同族に当たり、どういうわけかその同族は爆発した。それだけに留まらず、その爆発は自動車のガソリンに引火し、誘爆した。やはりその何匹かは爆発によって息絶えた。
そういう虐殺は、もう二時間近く続いている。もし動物達の間にも天国やら地獄の概念があるなら、ここは地獄の一部に等しい空間だろう。見えない何かに遮られ、彼から逃げる事はできない。愚かにも彼を捕食しようと集まった魔物達は、追い詰めたつもりで追い詰められ、殺されていた。その数は3桁を超える。様々な種族によって構成された魔物の集まりはもう壊滅寸前だった。
「ガロオオゥ!!」
ウォッチドッグといずれ呼ばれる犬型の魔物が彼に取りかかり、首元に喰らい付こうとする。が、その口が首に届く前に頭を手で掴まれ、そのまま頭が潰れた。彼は落下する胴体を蹴っ飛ばし、後方にいた別のウォッチドッグへぶつける。間髪開けずに上空から爪を立てて接近する鳥の方を向いて────
「飽きた」
その言葉の直後、全ての魔物は彼に吸い寄せられる。魔物だけではない、植物、瓦礫、ありとあらゆるものがだ。そしてそれら全ては彼に触れ、彼の中へと飲まれて消えた。
更地になったその場所で、全て食らった魔人、亮は辺りを見渡してから呟いた。
「……ここはなにもないか。次だ」
どれだけ歩いただろうか。長い時間かけてやっと辿り着いた場所に手掛かりとなるものはなにもなかった。使い物にならないガラクタばかりだった。今食らった魔物達もそうだ。仲間やら同族のことばかりで、そのくせして奇跡を起こせるほどの想いを持たない。使えない生物ばかりだ。
割りに合わない。こんなことをする意味はない。
けれど諦めるなんて、そんな選択肢は存在しない。諦められない。探し続けるしかないのだ、そして探し出して間違いなくそれを成し遂げる。たとえ何を犠牲にしようとも。
魔物を逃さないために、周囲に張っていた魔力の膜による結界を解除して歩み出した。そのとき。
「ガウ」
「なんだ、こいつ」
その動物は行く手をふさぐ形で唐突に現れた。知識にはある。以前、世界では「虎」と呼ばれていた存在だ。もちろん魔力の影響で、雰囲気だけは変わり果てている。しかしこれは逆に珍しい。本来であれば原型は留めていても、なにかしら外観に変化があるものだ。なのに、目の前の存在は、取り込んだ書籍、「小学生の動物図鑑」の中の写真のままだ。つまりは異常な存在ということだ。
「どうした、腹減ってるわけじゃないのか。つーか、この惨状を見て敵意を持たないで来るか」
基本、魔物は三大欲求の一つ、食欲を満たすために行動する。人や生き物の数が減ってきている今では、生物を見つければ即捕食。それが一般的だ。であるのに、目の前の魔物はこちらに敵意を向けない。まるでこちらを見極めるような、そういう意思を感じる。
「……Come on」
「…………は?」
聞き間違いでなければ。目の前の魔物は喋った。
「Follow me」
「マジでなんなんだお前」
魔力の影響で知能が上がったのだろうか。外観に現れるほどの肉体強化ではなく、知能に魔力があてがわれている。そう考えれば納得できるが、前例は見たことも聞いたこともない。
「我らが主人があなたに会いたがっている」
「言語が不安定だな。……その主人とやらがこっちに来るのが道理だろ」
「それについては「すまない」とおっしゃっていた」
「お前の主人は未来でも見通せるのか?」
「……わからない」
冗談といえば冗談だ。別に未来予知ができずともそれくらいの予想はできる。それでもそう聞いたのは、自分が今求めているのが未来予知のような普通ではない力を探しているから。
しかし、魔物が俯いたのを見ると、これは期待できるかもしれない。
「隠してるわけじゃないな。まぁいい、連れてけ」
「Sir」
なかなか面倒臭い魔物が居たものだ。恐らく滅びた国の言語、アメリカ語だか英語だかだろう。取り込んだ本の情報と照らし合わせて間違いないはずだ。
しかし、そんなことよりも獣の魔物が言葉を喋る。そして言葉を喋る魔物が慕う、もしくは畏怖していて、理解できていないなにかが居ることに心が踊った。こんな気持ちは久し振りだ。会話ができる生物と出会うのは何十年ぶりだろうか。そしてそれが全てを取り戻すための手がかりを握っている可能性がある。高揚しないわけがない。
「ところで、なんで会話ができる?それもお前の主人とやらの力か?」
「……Maybe」
「ハッキリしないんだな」
「では。あなたは自分がなぜそんな力を有するに至ったのか。理解できていますか?」
「そういう感じか。理解した」
生まれ持った特別な才能。そうとしか言い表せない。生まれた時から自分はこうであり、そしてそれが当たり前だったのだ。
この魔物もそういう道を辿って来たのだろう。成長の過程で身につけた物はあれどそれを身につけるための才能は元からあった。周りにはない自分だけの才能があった。
それからお互いに軽い世間話を挟みながらも歩みを続ける。久し振りに会話をしたが、話せば話すほどこの魔物の知能の高さが伺えた。
言葉の選び方から場の空気の読み方まで、まるで人間の様だった。
「少し、休憩を入れます」
三時間ほど歩いただろうか。綺麗な湖のほとりの木陰に、獣は座り込んだ。
「なんだ、暑いのか」
「……Sorry」
そう言って立ち上がり、湖へと足を進め、完全に浸かり切ってゴクゴクと湖の水を飲み始める。仕方ないだろう。気温は現在、55度ほどある。自分は気温など大した問題にならない体ではあるが、普通はこの気温に体がついていかないものだ。
「気にするな。どうせ時間なんていくらでもある。急いで行ってお前に倒れられる方が面倒だ」
適当な大石を見つけ、それに座り告げる。
「やはり、あなたは優しいのですね」
「ン?突然なんだ」
「……当初、私は不安でした。あなたを連れてくるというのが」
水を滴らせながら湖を出て、ブルっと体を震わせて水を飛ばす。
「あなたにとっては有象無象かもしれませんが、私の同郷の者達は皆、あなたに殺されました」
「……」
「責めるつもりはありません。元々あれらは死んでもいい類の魔物です。知能は少なく、食欲に突き動かされるような者ですから。しかし、ああも簡単に。魔物の中でも最強の一族と謳われたアレらを、一瞬で全滅させた。私は力を持つあなたが怖かった」
亮を見据えながら魔物は言葉を続ける。だがその瞳に恨みの類の感情は篭っていなかった。もしこれが逆の立場の場合、亮ならば、たとえ自分が死ぬことになろうとも殺しに行くが、そうはならないのならば、本当に同郷の魔物をなんとも思っていないのだろう。
「しかし、こちらかに敵意がないことを知ると、あなたは一切手を出さなかった。私は嬉しかったのです。この世界はまだ種族間を越えて和解できる。きっとみなで協力し、平和な世界を築くことができる。その可能性の一端が見えた」
「……そうか」
本心としては、面白そう。利用できそう。手がかりになりそう。なんていう、平和とか友好とか協力とか、そんなものを鼻で笑う下心があるのだが、まあ勝手に勘違いしてくれて都合よく事が進むのは悪くない。
罪悪感は湧かない。使えるものは全て使う。当然だ。
「参りましょう。まだもう少し歩きますので」
先導して歩き出した虎の後に続いて、亮も歩き始めたが、数歩進んだところで敵意を感じて足を止めた。まだ距離はあるが、速度と気配の殺し方からして鳥。
虎の方が気付いたのは、軽く手遅れな距離になってからだった。
「Shit……」
流暢な英語の後にはもう既に鳥の魔物が虎の眼前に居る。速度を殺さず、むしろ降下による位置エネルギーも加えて加速していた。絶体絶命の危機的な状況だが、幸い虎に同行しているのは魔人だ。
鳥は虎に触れる前に見えない壁に阻まれ激突し、ゴリッと骨が折れる音とべちゃっと肉が潰れる音を同時に発して息絶えた。
「どうした。あれくらい気が付けただろう」
「申し訳ありません、助かりました。暑さで反応が鈍りました」
「…………はぁ、ほら」
仕方ないとため息をついて、獣に対して魔術を行使する。
「So cool……これは?」
「氷の魔術も元を正せば温度の操作だ。これはその応用みたいなもんだ」
何も相手を氷漬けにするだけが氷の魔術じゃない。その性質を用いれば対象の体に膜を張って涼しくする事だってできる。デカイ口を叩いて説明したが、これも食らった誰かの知識によって会得した物だ。
「Thanks」
「……日本語で頼む」
随分と変な生き物に懐かれたと苦笑し、待っているのであろう更に変な生き物の元へ歩みを進めるのだった。
「Here」
もうだいぶ聞き慣れた唐突な英単語。もはやなにも言うことはなく聞き流してその建物を見上げる。
「……随分立派なことで」
目の前にそびえ立っているのは、ボロボロな外装の社。木造の巨大な建物だが、腐っていたりあるべき柱が無かったりと今にも崩れそうな具合だ。だが置物のような装飾品などは綺麗に飾られている。終わってしまった過去の遺物をせめてもと飾り立てている様だ。
だがそんなことよりも。なんだろうこの背中にまとわりつくようなこの妙な感覚は。まるでこの建物に威圧されるような、吹けば崩れてしまいそうな建物なのに、輝いて見えるのは。
「こちらです」
虎の先導で社の階段を上がり、真っ二つに割れた賽銭箱を避けてその先の扉の前へ。本殿だかなんだかと呼ばれる場所だと記憶している。
だが扉は閉ざされているようだった。
「どうした、開かないのか」
「いえ、この扉を開けて中に入るのには合言葉が必要なのです」
また大層な仕掛けだ。見たところ扉に魔術などが施されている形跡はない。これも主人とやらの未知の力によるものか。ますます楽しみだと思った直後、虎が息を大きく吸って合言葉を放つ。
「I'm back」
苦笑することすら忘れた。
「よいぞ、入るのじゃ」
「(そっちは古の日本語かよ……)」
このマッチ感には流石にツッコミを入れざるを得なかった。むしろ声に出さなかった自分を褒め称えて欲しい。魔物とは知性を持つとこんな面白動物になるものなのか。
「失礼します」
「……普通に扉を押して開くのかよ」
今のやりとりに合言葉を挟む必要がどこにあるのだろうか。亮はとうとう口にしてツッコンだ。
中は正しく和一色の雰囲気だ。所々床に汚れが目立つが、それでも今の世界では綺麗と言える範疇のもの。中でも奥の白いレースのカーテンは汚れが一切見当たらない。その奥に件の主人がいるのは明白だった。
「お主は下がれ」
「Sir。表にて待機します」
主人の命を受けて虎は足を翻す。
「あぁ、ここまで道のりご苦労じゃった。ありがとう」
「ありがたきお言葉」
部下への労いを忘れない主人らしい。言葉は通じそうだと思いつつ、亮はその主人が居るであろう仕切りの前に立つ。
「よくぞ参った、魔人」
「顔くらい見せたらどうだ。それが客人に対する態度か」
「ふっ、そちらこそ頭が高い。控えろ、神前ぞ」
「なに……?」
仕切りの向こうの存在はそう言った。神前、と。そして納得する。
「(そう……か。この感覚は。この感触は)」
思わず口元が綻ぶ。このピリピリと背中を刺すような何か。息がつまるような威圧感。肺を握られているかのような圧迫感。間違いない、これは、神の気配だ。
「妾は神。文字通りお主とは位が違う」
「そうか。神……探したぞ」
口元が綻ぶ。やっと、やっと見つけた。
「ほう」
それを見てか、臆すことのない亮に何か感じたらしい。このまま今すぐコイツを食らってその力を拝借したいところだが、まずは事を荒立てずに目標を達成できるか確認する。
「いくつか聞きたいことがある」
「わざわざ来てもらった礼よ。なんでも一つ、答えてやろう」
「お前は死んだ人を生き返らせられるか?」
「管轄外と言っておくよ」
「なら、時間を巻き戻すこと」
「妾は一つと言った」
「ケチくさい事を言うなよ。時間なんていくらでもあるだろ」
「ならぬ。上下関係の瓦解は規律を乱す」
なんとも面倒臭い神だと思う。
まぁこの神はみんな仲良く、みんなのためになることとりあえずやってた炎神の様な、自由に振る舞った結果周りに人が集まるタイプとは違うのだろう。元々自分が頂点で、属する者なら誰も彼も仲間に引き入れるがそれ以外はダメ。なんていうタイプだ。
こういうのはやりやすい。一人じゃ生きていけないから周りの者を全て奪ってやれば自滅する。誰よりも一人であることを恐れているから。
「……ならいい、ンで何が望みだ」
「魔物と人間を繋ぐ架け橋になれ」
まぁこんな環境を作り上げている時点でまともな奴じゃないと思っていたが、やはりまともじゃなかった。だから即答する。
「断る」
「なぜじゃ?もう戦わずに済む」
「なぜ戦うことがダメなんだ」
「ふむ、そういう感じか。ならば妾の手足になれ」
「断る」
「ならば、妾と語らえ」
「だいぶ妥協したな」
従えと言っていた割には随分と下手な提案だ。
「話し合わんと始まらん。語らい、互いに理解し、それでも理解できない時に拳を振るうものじゃ。もっとも、大抵力でわかりあうことなどできはしないがの」
「そうだな」
そもそも、他人とわかり合おうとすること自体に無駄が大きいと思っているが、そんなことを言って早々に可能性を摘むのは避けたい。今は使えなくとも、コレを神として成長させていけば死人を生き返らせたり、時間を巻き戻す力の手がかりになる可能性もあるのだから。
「ならば近くに寄れ」
「自分が動けよ」
そう返すと、向こうはくっくっ笑った。仕切り越しに影が動いたのが分かる。神が動いた。たったそれだけだが、それは大きな意味を持つ。
そうまでして、自分の立場を弱めると知って神は動き、魔人へ近寄った。
神が仕切りの目の前に立つと、突然仕切りが消え去る。あたかも初めからその場に存在していなかったかのように。そして神の姿が露わになる。
「……狐か」
幼い白髪の幼い女の子。だが背中から生えた九つの尻尾が異質さを表している。身の丈に合わないサイズのそれらは上を向いてゆらゆらと揺れている。
亮の記憶では過の偉人たちの創作物の中にあったケモ耳幼女を連想した。まんまそのままである。違いがあるとすれば、この姿を見ても可愛いなどという感想を抱かない点だろう。立ち振る舞いのみならず、神の発する雰囲気には強い神聖さがある。
「もしやお主……」
狐の神は魔人を見て目を見開いた。何を驚いているのかはわからない。
「良き語らいができそうの」
「……なんだわからないが。それはよかったな」
笑顔を見せた神に対してそう言って、これからどう立ち回るべきか模索する亮だった。