それから二ヶ月の月日が流れた。あれから一度も水神傘下の者達からの攻撃はなかった。いつ襲撃が来てもいいように警戒しつつ、この辺りの土地柄を見て回ったり、狐の神の傘下の魔物達とコミュニケーションを取ったりと、まぁ退屈はしないで済んだ。見て回れば回るほどに、神が如何に自分を慕ってくれる者を想い統治して来たのかがよくわかる。
「(ンー、っても所詮魔物だからなぁ)」
しかしながら、魔物というものは自分本位である。
例えば、人は基本的に自分が苦しい時は誰かに助けを求める物だ。過の偉人の言葉にある通り、人は一人では生きていけず、誰かと協力することでしか生きていけない。
対して魔物はある程度成長すると自分の事は自分でどうにかしようとし、非常時には知能の低さ故に自分でどうにかしようとする。
つまり、神が最も想われる死の瞬間に想われない事がある。人は死の間際に大切な人を想ったり、大事な仲間に助けてくれと願ったりするが魔物はそうしない事が多い。その分、神は損しているわけだ。それでもあれだけの力があるという事は、それなりに想われているということだろう。
今更そんなことを考える。しかしもう始まってしまったから、この思考に意味はない。
「はぁ……」
亮は、山の頂上から狐の神が治めていた土地が燃え上がるのを眺めながら溜息をついた。
眼下では人による魔物の掃討が行われている。二ヶ月と割と早い段階で水神傘下の者達は攻撃を仕掛けて来た。悔やまれるは水神自身はこの戦いに参加していないことだ。漁夫の利を得る企みは失敗に終わっている。
しかし、「殺された仲間の仇を取るために命を懸けて戦う」人々の意志は水神に力を与え、近い将来食う時には大きな糧になってくれるだろう。
「キュュゥ……」
と、考えていると魔犬が一匹、吹き飛ばされてこっちへ飛んできた。かなりの高さにあるのだが、当たりどころが良かったか。
さすがに死んだかと思ったが、脚が一本真逆に曲がってるのにも関わらず残った体力と気力で起き上がって戦場へと戻ろうとしている。
「まぁまぁ、立派なことで」
戦場ではコレと似たような事がいくつも起こっているのだろう。それが全て神のためであるならばいいのだが。そう思考したところで魔犬がその場に崩れ落ちた。
「あぁ、ダメか。なら」
結局、絶命した魔犬。死んだなら死んだでその記憶を貰う。右腕を伸ばしてそのまま亡骸に触れ、引き寄せて体に取り込み、その魔物の積み上げて来た全てをいただく。
案の定、死の間際に想って居たのは神の事ではなく、ただ自分を攻撃した者に対する復讐心。これでは目の前のキルゾーンで神が得る力も高が知れる。
「先は長そうだよ……真衣」
山頂でポツリと呟いたその言葉は、風に乗り、木々の焼ける音と人と魔物の悲鳴に掻き消された。
神の力を振るう者としてまず間違いなく、視界に入った敵は殺せる。視界に入らずとも、臭いや気配を察知できれば同様に殺せる。ついでに言うなら、その程度の敵であるならば傷一つ負うこともない。断言できる。そういう力を持っている。それはかつて、憧れた人達の様になりたくて、今度はその人達を守りたくて、そのために一心に努力を積み重ねて得た力だ。
だが、逆に。どれだけ強いとしても所詮は、ある程度の魔物を束ねるある程度の魔物達にとっての神だった。
「あっ……」
不意に目の前で。どこからか降ってきた炎の岩石が、自分を守ると言って前方で戦った狼を押し潰した。だが嘆く前にどこから飛んできた弓が体に突き刺さる。別にそんなものは痛くも痒くも無いので消し飛ばす。
「くっ、失せい!」
間髪開けず視界に入った敵をどこか適当なところへ飛ばす。なんとなく、感触からして地球の中心に入って溶けただろう。しかしそんな事はどうでもいい。
「あぶな……」
空に異常を感じて、すぐさま上空を旋回するカラスの魔物に警告しつつ、逃がすために神の力を振るい、安全にところに移動させようとしたが遅かった。突然現れた雷に当たり、黒い煙を纏って重力のまま地へ落ちた。
「あ……あぁ……」
無意識で、そんな声が漏れた。守りたかった者達が次々と自分の目の前で壊されていく。力を使い、前へ出て、たくさん敵を殺して、けれども足りない。
「あれは……そっちに行くでない!!」
罠を察知し、飛び出した魔犬を止めるも止まらず、なんとか神の術を行使し、瞬間的にその場から逃した。が、タイミング悪く、焼けた大木が逃した先に落ちてしまった。
「なんで……」
神は、目の前で逝ってしまった者達のことをきちんと覚えている。本当は今すぐ駆けつけて遺体を抱え弔いたい。ありがとう、お疲れ様、おやすみ。それだけでもいいから伝えたい。
だが、ここは戦場である。それをしている間に増えるのは、同じく弔いたい仲間だ。だからできない。今は死に逝った仲間から目を逸らすしかない。少しでも大きく助けるために。
「くっ……」
それが、ただただ辛い。だからと言ってその事で膝をつくわけにもいかない。そう、この戦場には彼も居る。それを思うだけで、神は再び瞳に力を宿す。
「……やらねばなるまい。此奴らの信仰を受ける者として」
前を見据える。一人でも多く救うために。それが今自分が一番やるべきことであり、やらなくてはいけない事なのだ。全ては、今まで自分が信じ積み重ねてきた物の正しさを証明するために。きっと、自分達と同じ様に戦っている彼に信じてもらうために。
空気が聖なる神の威厳に震える。一つでも多く守りたいから。その想いの強さは、そのまま神の強さになる。
今この場で、神は改めて無敵となった。それでもやるべき事は変わらないが、想いが違う。覚悟が違う。
──だから
────神だけが生き残った
「…………」
燃え上がる森の中を、魔物の神が徘徊する。あれほど阿鼻叫喚のBGMが流れていたのに、今はそれが嘘の様に木々が燃える音だけだ。そんな中、もしかしたらまだ生きている仲間がいるかもしれないと一抹の希望を抱いて歩き回る。
だがどれだけ歩き回っても、あるのは死体ばかり。それらがどういう想いで生き絶えたのかはわからない。が、ただ守れなかったという事実は理解できる。
どれだけ歩き回っただろうか。燃え盛っていた木々が倒壊して空が開けたところで足を止めた。夜が明けて、日の日差しが視界の先の社を照らしていた。
戻ろう、戻れって座して待っていれば、きっと誰かが帰ってくる。希望論にすらならない持論を持って帰路に着く。
土を踏み、死体を跨ぎ、ゆっくりと戻る。自分の居場所まで後100mほど。そしてその時。
────ザッ
と、土と何かを擦らせる音が背後から聞こえた。確認するためにゆっくりと振り向く。
本当は見たくなかった。確認せずとも、もうそこに誰が居てこの後どうなるかなんてわかっていた。
「まぁ、そういうことで」
「……」
足元には魔犬の亡骸が捨てられていた。そして、言葉を発したのは魔人、亮。いつものように、優しさの介在しない冷たい目でこちらを見ている。
きちんと事実を確認し、目を瞑って大きく深呼吸し、目を開く。
「きさま……」
呟いて。右手を亮へ。裏切り者へ向け────放つ
「あっぶねえ」
あの白い光線はまずい気がした。触れれば触れた箇所が浄化されるだろう。炎神を取り込み、神聖さによる浄化にある程度の耐性はあるが、あの威力は少々まずいと思った。実際に触れればどうなるかはわからないが、それが怖い。耐えられるかもしれないし、なんともないかもしれない。だが浄化され消し飛ばされる可能性もある。
「貴様、貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様」
呪詛のようにブツブツと神が呟く。神が持っていた神聖さに、恨みと憎しみと悲しみと嘆きが混ざっていく。
聖なる神の狂気に空気が震える。
「なぜ裏切ったあああああああああああああ!!」
ついで、聖なる神にこの世の位置関係が服従した。
「……チッ」
神前に魔人が一瞬で移動する。もちろん本人の意思ではない。目の前の神の力だ。この前試した様に、亮に神の術は通用しないが、足場は別だ。証拠に亮の立っている場所は少し土が盛り上がっている。
しかしそれでは本来、自分は足場を失って浮遊するのみだろう。
つまりこれは、亮の立つ位置は変えず、世界の位置をずらしたのだと把握する。
そう確認している間に頭上、右上、左上、右、左、右後ろ、左後ろに狐の顔の骨、そして正面に神聖なる神が、神聖な白い光線を放つ。死なんて概念を魔人は持たないが、これは直撃すれば消滅するだろう。神の術ではなく、神聖さによる暴力だからだ。
「(さて、どうなる)」
それらが届くよりも早く、亮は自分の体全体に聖なる炎を纏った。殺意マシマシな神の怒りに対して、特になんの感情もなく、盗んだだけの炎で対抗できるとは思っていない。死ぬならそれはそれでいいとすら思う。だから聖火ごと浄化されると思っていた。そもそも気持ちでは負けていた。
だが。
「……ンー、耐えられるのか」
炎神から盗んだ聖なる炎は魔物の神による攻撃を物ともしなかった。
「な……に」
眼前の神は言葉を失っている。あの攻撃は万物を浄化する。なのに、目の前の不純の塊を浄化できなかった。その事実を神は認められなかった。
「くっ!」
続け様に攻撃を加える。先程と同じ全方位による裁き。亮は再びそれを受け止め。
「……くっ、ふっ……ははっ、あぁなるほどな」
笑う。なんとなくタネがわかったからだ。効かないのが面白いからではない。
「何を笑っておる!!」
「お前、俺を殺したいんだろ?恨んでるんだろ、憎んでるんだろ。だからだ。人らしい私利私欲にまみれた殺害欲が神の裁きなわけないだろうが」
神は、誰かのために動かなければ成立しないらしい。自分がそうしたいとか、利己的な行動は神の行いじゃない。
そうだと言い切れはしないが、自信はある。自分が使った時もそれは大抵、誰かのためだった。さらに言うなら使えなくなった時は確か────そこまで考えて思考を止める。まずは目の前の、ただの魔物を取り込むのが先だ。
「黙れえ!」
また、破壊の光線が放たれる。だが、もちろんそれは亮には届かない。鋼すら貫通して消し飛ばす衝撃程度、彼には意味がない。殺意しか込められていない攻撃など通じるわけがない。
それを理解して、亮は先程まであった笑みを消す。興味を失ったおもちゃを見る様な目で、神を、神だった狐を映す。
「もう終わりだ」
言って、歩いて、狐に近寄る。
「くっ……」
再び破壊の光線が飛ぶが、亮は足を止めずに正面から受ける。視界が白から開ければ先程まで居た位置に狐はいない。間違いなく移動した。
「(……濃度は悪くとも術自体は発動するのか)」
ではなぜ自分はという考えが再び蘇るが、上空から飛んでくる白い光線に対して聖なる炎を飛ばして、どちらとも振り払う。
続いて足下から神聖さを微かに感じ、前方へ飛んで──飛んだ先に右手で刀を放り投げて狐の骨を怯ませ、左手でただの炎を使い右へ移動。したところで急降下し、水平に放たれた白い光線を避ける。
それで背後の山の表面が大きく削れる。やはり神聖さが薄れてもなお、破壊という点でこの魔物は飛び抜けていた。
「……そうか、お前は
魔物の中でも上に位置する九之枝と呼ばれた九体の魔物。だからこそ魔物を束ねられたのだろう。亮の質問に関して狐は白い光線で返答するが、別に回答がなくとも構わない。どの道、九之枝も全て食らう予定ではあるのだ。
「お前で七体目だ」
宣言したからには逃すわけにはいかない。もっとも向こうも逃げるなんて選択肢は持っていないだろうが。そういうわけで手っ取り早く終わらせる。
再び、破壊の光線が四方八方から飛ばされる。先程からチラチラと狐の姿が視界に入るが、一々消えるせいで把握しきれない。だが、一瞬でも動きが止められればそれでいい。そのために。
体から、二ヶ月前に食らった虎の亡骸を出現させてその場にほうり捨てる。
「き」
止まる。ほんの一瞬、怒り叫びたいがために止まる。そして逃さない。
ずっと準備していたエーテルを右手の掌に集め、固め、さらにそこに炎神の神聖さを混ぜ込む。大した量じゃない。狐を浄化するほどの量にはならない。だが、半殺しにはできる。
そしてそれを狐に向けて飛ばす。
────ゴッ
と、一瞬だけ大きな爆音がした。
「ぐうぅあああぁ……」
魔と聖の混じった破壊の衝撃は縦に伸びて天を貫いた。狐の体は衝撃による空間の湾曲に巻き込まれ捻じ曲がり破壊され、それでもその神聖さと九尾の狐として魔力によって回復する。だがダメージは大きい。肉体的にも、精神的にも。狐は力なく膝をついた。
「……」
亮は無言で狐の目の前に立ち、か弱い狐を見下ろした。
「なんで……」
狐は力なくそんな言葉を漏らし、続けた。
「あの時、妾は……お主達に助けられた…………温かさを知った……妾も、そうありたいと願った……」
涙を溢れさせながら狐は続ける。
「だからこそ築き上げて、お主達に認めて欲しかった……人と魔物は一緒に生きていけると……お主達を迎えて、一緒に生きたかった……なのに、なぜ」
狐は想いをぶつける。届きはしないとわかっている。目の前の彼は、もう自分を助けてくれた彼じゃない。それでも、伝えたかった。
「なぜ……お主が壊す!!どうしてこうなってしまった!」
力を振り絞って顔を上げて、亮を見上げる。
だが狐が目にしたのは、ただ興味もなく自分を見下す化け物だった。
「知らん」
魔人が右手を自分へ向けた。
「(……あぁ……)」
あの日、その右手に救われた。傷だらけで力なく倒れていた自分を、その右手で拾い上げ、抱き上げてくれた。
隣にいた少女と本当に心配そうにしてくれて、励ましてくれて、貴重な食料も分け与えてくれた。治った時は自分のことのように喜んでくれて、とても暖かいと感じた。
あの時自分もそうなりたいと願った。
何よりも憧れたその右手が今、自分を食らわんとしている。
────ごめんな
どこからか、謝罪の言葉が聞こえた。自分の都合のいいように解釈された幻聴かもしれない。だが狐はそれを聞いてふと思いついた。
自分の体がどんどん彼に呑まれていくのがわかる。このままではただ彼の糧となるだけだろう。
ならば、せめて。
「……なんだ」
亮は違和感に気付く。徐々に狐の積み上げて来た物が自分に馴染んでいくのはいつものことだが、なぜだか、その思い出に対して感情移入を強制させられている。
「(思いの濃度が濃い……違う……なんだ)」
者を食らえば大抵はそれらが積み重ねて来た記憶やら思い出やらを主観的に見ることになるのだが、感情移入を強制されたことはない。最初の頃はそういうのもあったが、今では主観的に見せられても客観的に捉えられるようになった。
だからこの感覚に戸惑う。何故自分は今、こんなにも自分に殺されて悔しい思いをしているのか。と、そこまで考えて気がつく。これは自分の感性じゃないと。
「狐、お前まさか」
知能を持った魔物たちを思い出す。あれらは狐の思考力を移動させられたから人の言葉を話すくらいの知能を身につけた。狐の使う「聖移」とは物体の移動だけではない。形を持たない感情の移動、或いは意思の移動すら行えるのだろう。
「俺の体を乗っ取るつもりか」
聞かなくても答えはわかる。答えが頭の中に入ってくる。
「(はぁ、なるほどこの土壇場で理性を取り戻し、奇跡を起こしてこの世の法則を捻じ曲げたか)」
その想いの強さに感服した。それほどまでならばこのまま自分の体を明け渡すのもいいかもしれないとすら思った。だんだん体の感触が消え始める。さすがにこれは無理だなと諦め始める。
だが。段々と薄れていく意識の中、ふと、思い浮かぶ。たった一人、いつまでもただただ好きだった者の笑顔が。
「(……ダメだ、足りない。この程度の想いじゃ俺の想いを塗り潰せはしない)」
それだけで意識が戻り始める。これは奇跡ではない。ただ単に、想いの力が狐を上回っただけ。いつもと同じ、ただの力押し。
気が付けば体は自分の思う通り動くようになった。だが。
「……なんか、居るな」
『……』
二人の長い付き合いはこうして始まった。今はまだ口も聞けない間柄だった。二人が冗談を言い合えるようになるのは、まだ先の話だ。