細々と再開します
黒鎌帝を道歩く人に尋ねても、その名はパッと出てくるものではない。前国王とか、歴代で最も任期が短い王とか、政策の全てを安定装置に頼り切った不甲斐ない王とか、そういう言い方をすれば誰でも分かるだろう。今では笑い話のタネになりつつあるような存在だ。
今まで王と呼ばれた者達は、基本的にその生涯を王という立場に捧げ、全うし続け、老いか病に倒れるものだった。
エーテル細胞を持つこの世の人間が、科学の発展した新世界で病死とは珍しいのだが、それは王の血族はエーテル細胞を、言うなれば魔力を一切持たないことに起因する。
そう、王族はこの新世界において魔術が使えない。さらに言うならこの世で最も弱い血族。
黒鎌帝も例に漏れず、王としての職務を始めてからたったの十五年で病により命を落とした。世間にはそう報じられている。
実際は違う。彼は自ら命を絶った。その理由はわからないが、部屋で自らの心臓にナイフを突き刺して自殺。
世間には病死と隠された。本来ならば大々的に行う葬儀をひっそりと行い、その遺体は焼却され、今は王居内にある王達の墓の下で眠りについている。葬儀にはスタッフとして亮やナナシも参加した。遺体もきちんとその目で確認している。
つまり、黒鎌帝がデータベースの閲覧者というのはあり得ない。
「アバターの次は亡霊かよ。ここ最近の新世界は向こう以上のカオスだな」
『こちらでの亡霊の正体の大体は、実は生きていた。もしくは生体情報を用いた別人だ。そっちでは本物の幽霊が出てきそうではあるが』
「こっちの亡霊は九割がアバターで一割が魔人だ。単純明快でわかりやすい」
『それは……亡霊より恐ろしいな』
隙を見せれば死んだ上でよくわからない何かが自分でして生きる生物か、遭遇すればほぼ死んでしまう化け物。
それと何をするのか全くわからない霊的存在のどちらが恐ろしいかと問われると、亮はどちらかというと後者だった。
「ンで、こっちはその亡霊の正体が割れるまで宝姫咲輝を見てればいいのか」
『あぁ、引き続き頼む。なんとか外界遠征までにカタを付けられればいいが……』
「正攻法で追い詰めようとしてんだ。それを熟知した相手には難しいだろ」
『これでも、こちらはどの組織よりも優れたシステムを使って……うん?……クソ』
言葉を途中で止めて、ナナシは悪態をついた。珍しく苛立ち気味だ。
「どうした」
『マグナスの通信を盗聴していたんだが、どうやら回収した男が突然死亡したらしい。外傷はないとの事だ』
「毒殺か」
考えられない話ではない。敵に情報を与えないための策だろう。この状況でそれをやれる技術はこの世界ではかなり普及している。
「遠隔操作、或いは患者の体調で自動解放できる医療用のカプセル。行動不能を察して、予め血管に流していたカプセルを解放した。その辺か」
悲しいことに医療用に作られたもののほとんどは、人を殺すために使える。本来は突然の発作を抑える薬をカプセルに封じて置き、発作時に遠隔、または自動で解放される物だ。今回はその薬が毒だった。ただそれだけのトリックだ。
『頭のキレる連中だ。戦力だけ見れば大したことない組織なんだがな』
「仲間を毒殺したやつ。そしてそれを受け入れるやつ。中々の覚悟と意思はあるみたいだな」
力が全てじゃない。ある程度の力があるなら、それを如何に効率よく使うかで価値は上がる。毒殺された彼は組織のためならと命を張ったのか、はたまた無理やりやらされたのか。どちらにせよ彼は自分の持ち得る力を使い組織に貢献したわけだ。
「ンで、本当に俺は見てるだけでいいのか」
今からでも毒殺された死体の元へ赴き、それを食らえば敵の正体は割れるだろう。死人だろうと頭があるならば記憶は読み取れる。当然毒も食らうことになるが、毒で殺される様な体は持ち合わせていない。
その後も引き続き亮が追えば早い。迅速に目的地に辿り着き、相手が居ればそこで終了だし、居なかろうと何かしら手掛かりを見つけられるはずだ。
間違いなく最善策で、全てを迅速に解決できる手段。だが。
『……うむ、変更はない』
「そうか、わかった」
スピード解決を重んじるナナシにしては珍しい指示だ。こういうものは基本的に守り続けるよりかは、攻撃側を全滅させるのが手っ取り早い。最も確実な護衛というのは、予め全ての障害を排除することだ。
亮はもちろんそれを知っているし、ナナシとて知らないわけではない。これまでそういうスタンスで仕事をしてきたのだから。
何か、話せないわけがあるのか。しかし、自分の周りに影響が出る事柄でないのなら特に亮は気にもならなかった。
「ンじゃ切るぞ」
『あぁいや、少し待ってくれ。念のために君に一つ聞きたいことがある』
「なんだよ」
『君や、極術師なしでこの世界は魔人を倒せるか?』
そんなナナシの質問でなんとなく察する。彼女が突発的に意図の分からない質問をした時は新世界存亡の危機だ。前例もある。
新世界の裏側の、さらにその奥深い組織の頂点。そのナナシが自分の持ち得る全ての情報を使えば新世界において分からない事などごく僅か。であるのに、念を押したこの問答。それはつまり、新世界の裏の頂点が理解できない事と同義である。
「……俺の知る限り、真に完成した魔人を無力化する方法は三つだ。魔人が魔人を喰らう。深淵があの空間に引きずり込む。それと」
と、間を空けて。
「人が奇跡を起こして、神の所業に手を出す」
『神術か……だが魔人は物質を喰らい、その性質を自分の物とし、力にする。魔力、神聖も例外なく。ではないのか?』
「神聖を取り込めるのは俺だけだ。完成した魔人でも神聖に対する耐性は一切ない。俺は出来損ないだからな」
『……君は出来損ないの意味をじっくり辞書で調べるべきだ』
「彼の偉人は言った。人は自分の人生という物語の主人公だと。人の物語は死をもって完結する。それができない俺は魔人でも、魔物でも、人でもない」
永遠に完結しないものほどつまらないものはない。ありふれた日常を淡々と垂れ流す物語だって、「いずれ人は死ぬから今を最大限に楽しむ」とか「日常生活から成長の喜びを知る」みたいな意味があるのだ。
であるなら、それが出来ない自分は────
「話を戻そう。俺を遠征に連れて行かないなら、そんな運頼みにはならないと思うぞ。魔人だろうと人を殺すのと大して変わんないからな」
たとえ完成された魔人でも、神術があれば問題はない。消したいと思えばそれだけで消せる。
『いや、君は旧世界へ行っていてくれ。……この世界は、そろそろ困難に立ち向かってみる時かもしれない……か』
ポツリと呟かれた後半の言葉はナナシの気持ちではないのだろう。誰の言葉か。ナナシの背後には今回の件の黒幕が居るのか。亮は知らない……というよりも、興味が湧かなかった。
「……まぁ俺は命令されたことをやるだけだ。引き続き仕事に戻る」
『そうしてくれ』
それ以上語ることはなく、通話を終えた。
「どんな話だったの?」
「魔人を倒す方法がどうのって聞こえたのじゃが」
大人しく待っていた愛菜と八代が通話を終えた亮に尋ねる。
「敵が何しようとしてるのか分かっただけだ」
「え、なにそれ。この事件終わりじゃん」
「ン、そうなんだが本気で止める気は無いみたいだ」
「複雑な新世界の事情ってやつじゃな。社会って面倒臭いの」
「そうだな。だが、外界遠征までは宝姫咲輝の護衛はする。もう襲撃はないと思うから、お前ら帰ってていいぞ」
亮の頭の中では、もう既にこの事件の収束までの流れを読めている。詳細まではわからない。黒幕が最終的に何をしたいのかもわからない。だがこれだけは言える。黒幕は最後の最後で目的を達成できない。
「ないと思うって……諦めたってこと?」
「外界遠征が始まってすぐか、一週間後か、その辺りに仕掛けてくるだろ」
「極術師の不在を狙うか。セコい立ち回りじゃの」
「妥当っちゃ妥当だ。つーか、今までそれを警戒して外界遠征は極術師一人が駆り出されてたんだろ。なんで今年だけ全員で行くのかがわからなかった」
極術師の存在そのものが、犯罪の抑止力となっているのは語るまでもない。正義感の強いマグナスや、イエローで自警団をしている本名不詳のリフレクター。彼らの活躍を代表として鑑みれば、極術師の抑止力としての効果はかなりの物といえる。
だからこそ、彼ら全員が居なくなる今回の外界遠征の時期に反動で大きな犯罪が起きる。そんなことは火を見るより明らかだ。
「そんなの、裏でこそこそやってる奴らにでっかく動いてもらうためじゃないの?」
「ふむ、肉を断たせて骨を切るってやつかの」
「や、それ逆」
愛菜の言い分が最も正しいだろう。期間限定の大チャンスを与えて炙り出し、一網打尽にする。多少の犠牲は出るだろうが、今後のことを考えれば仕方ない犠牲と割り切れる範囲。
しかし今回炙って出てくるのは魔人だとナナシは考えている。その場合、肉を切らせるとそのまま骨まで断たれるだろう。
それはもちろん八代も分かっていたようで。
「……しかし、その話の流れなら問題は犯罪者などより魔人。という事になると思うんじゃが」
「ナナシはそう言ってるな」
「魔人……亮みたいなのって事だよね?」
亮は愛菜の疑問に対して頷いた。
「俺は魔人のでき損ないみたいなもんだから、あんま参考にならないが。まぁ概ねその認識で間違いない」
「無理じゃん。どうするの」
「奇跡頼みだな。簡単にまとめると、「多分きっと分からないけど誰かが恐らく何とかしてくれるから何とかしてもらう」ってよ」
「えぇ……何その超平和ボケ思考。この国狂ってる……」
「「今さら気づいたのか」」
「外界から来た人たちは言うことが違うなぁ……」
人口二千万人。彼の偉人達の時代よりかは遥かに少ないらしいが、これだけの人数をこんな狭い世界に突っ込んで、みんな仲良く平等に。なんて一応できている方がおかしいのだ。
徹底した教育によって生み出された道徳、有識者や安定装置による経済のコントロール、クローン技術や培養などで安定して生み出される食糧。この世界は徹底的に争いの種を潰している。
人間の原動力は欲望であり、欲望に従えば必然と争いは生まれる。だが、発生する争いや犯罪さえも今や安定装置によって管理、処理されている。
欲望のままの争いを知っている旧世界育ちの亮と八代の目には、この新世界は狂っているようにしか見えない。
「うーん、やっぱり私達か、亮だけでも残った方がいいんじゃないかな」
「黒いのに賛成じゃ。極術師不在のこっち側で大きな犯罪。それも一つだけではない可能性があり、終いには魔人じゃろ?主や妾以外に事を丸く収めることができるとは思わんが」
普通に考えればその結論に至るだろう。二人の言うことには賛同できるし、その方が新世界の平和を守るという点では合理的。だが。
「ナナシがこの件に俺らの出番はないとよ。それに考えてみろ、こっち側も大事かもしれないが、愛菜、お前が行くのは外界、旧世界だ」
年がら年中、人一人の命を簡単に奪える魔物が徘徊している。それも新世界の技術を用いても全滅させられないほどの数。極術師ですら足並みを揃えないとやられるかもしれない世界。
単純な力で言えば、愛菜があの世界で生きていけない事は無い。影や闇に溶け込み、ヒットアンドウェイだけで戦い続ければどうとでもなるだろう。
だが進化を続ける魔物達が、自分の知らぬ間に「神聖」を手にしている可能性もある。その場合、たとえ深淵だとしてもどうしようもない。とどのつまり。
「新世界の平和は大事だろうが、ンなことより愛菜。お前の方が大切だ」
新世界がどれだけ荒れようと、そこに大切な物がなければどうだっていい。それよりも大切な者があちらへ赴くというのだ。ならば亮はそれを守るために動く。
「っ……えへ」
「ぬぅ、黒いのズル」
だらしなく頬を緩ませる愛菜とむくれ顔の八代。亮にとって、守らなくちゃいけないのは彼女達であり、この新世界なんかじゃない。
「(それに……鈴木数馬に宝姫咲輝が知り合いで、ンで魔人。まぁもう結末は一つしかない)」
亮が想像した事の顛末はこうだ。外界遠征が始まり、新世界が荒れる。鈴木数馬は知り合いを守ろうと新世界を走り回る。その隙に宝姫咲輝が拉致される。それを知った数馬は仲間と共に情報を集め、やがて咲輝に辿り着く。
そしてそこで数馬を待ち受けるのは魔人だ。だが臆することなく、彼は立ち向かう。圧倒的な力の差は彼が諦める理由にはならない。その想いが、奇跡を起こし、魔人を討ち果たす。そんなところだろう。
と、思考し、であるならば自分はそこまでの流れを円滑に進めるため、どうせ一枚岩ではない敵の黒幕のために宝姫咲輝の護衛を勤めるしかない。
「ンじゃ、そういうことで」
それだけ伝え、再び亮の体が透明になり地を蹴って飛び上がる。愛菜と八代の静止の声が聞こえたが無視。あっという間に新世界を覆うシェルの付近にまで到達し、足元に魔力を固めた足場を作り、その上に立つ。
「(……さ、どこかな)」
この限りある新世界に置いて、人一人の魔力を辿るのは至難の技だ。人口密度が高いこの環境では、人が自然と放つ魔力が複雑に絡み合うからだ。
流石の亮でも駅などの特に人口密度の多いところに行かれると、特定はかなり面倒臭い。愛菜や八代の様に異質かつ膨大で、長いこと感じる機会があれば話は違うが。
それはそれとして、奥の手も無いことはない。対象の居場所へ「聖移」を用いる方法があるにはある。だが家の中などとは違い、正確に判明している情報が少ないため消費される「神聖」の量がわからない。加えて一刻争うような事態でもないので、冷静に考える。
「(……そういや事件のあったデパートがどうとか言ってたか)」
先日襲撃があったあの場だろう。そう判断し、とりあえず向かうことにする。難しいことはない。建物さえ見つかれば後はそこから自由落下するだけだ。
風を切りながら落下していく。さすがに地上に落ちるのはまずいので、とりあえずデパートの屋上を目指して落下していく。
「……当たりみたいだな」
降下中に数馬や咲輝を見つけたわけじゃない。だが確信を持ってそう言える。
そのデパートの屋上には先程遭遇したマグナス・スローンが居たからだ。
「(正義感が強いのも考えもんだな)」
アレも、目の前で困っている人が居たら助けずには居られない口なのだろう。もしこの世に鈴木数馬という存在がなければ、主人公だったのはマグナスかもしれない。
しかし、炎を扱い人の上に立つ正義感がカンストしているなんて、どこかの誰かに似ている──なんて考えつつ。
「(そろそろ邪魔だ)」
彼にはきちんと外界遠征に向けて準備を整えておいてもらわないといけない。何も極術師全員を駆り出す理由が新世界内部の掃除に止まるわけない。極術師全員でやる何かがあるのだろう。それに向けての準備を怠られるわけにはいかない。
だから、亮はマグナスの背後に着地し、透明化を解除した。
「……今度は、姿を見せたか」
マグナスはこちらへ振り向きながらそう言葉を発した。
「別に、姿を見せたのは戦いたいからじゃない。そもそも俺がお前を倒したいならもう終わってる」
「姿を隠し、こそこそしていた者にしては口が達者だ」
「ン、確かにそうだ。だから試してやろう。かかってこい」
その言葉の直後、言われずともとばかりにマグナスが無言で火球を放つ。見た目はただの火球。しかし内包している魔力の濃度は桁違いに高い。
極術師並みの魔力量でもまともに受ければ火傷では済まないだろう。触れれば最後、炎という生物共通の弱点に呑まれて消える。
しかしマグナスが相手にしているのは、魔力という人の進化の遥か向こう側に位置する魔人を超えた、魔人の出来損ないだ。
迫り来る殺人級の炎の球体に臆することはない。亮の体に触れれば呑まれて消えるのは炎の方だ。
「……なんだそれは」
「才能はある。ブラスターとか大層な名前の理由はわかった。が所詮はお山の大将だ」
マグナスの火球からは「想い」を感じた。それは間違いなく、この世の理不尽に晒される少女を守る決意を乗せた攻撃だった。だがこの程度の「想い」はまだ亮に傷を負わせるほどの「神聖」にはならない。
「戦うだけ無駄だから黙って話を聞いてこっちの用件を聞いて頷いた方がいい」
「……たかだか、火球が意味を成さなかった程度で跪けと?」
「跪け……なるほど、その手もあるか」
まるで感心したように呟き、一呼吸空けてから言葉を続けた。
「なら跪け」
同時に、マグナスは膝を折る。
「……体が……」
余りにも奇怪な現象に襲われた。今まで受けたどんな攻撃にも当てはまらない初めての体験。
自分の中の知識に無理やり当て嵌めるなら、子供のイタズラに膝カックンなるものがある。マグナスはされた事などないが、イメージはできる。そしてそのイメージ通りの現象が起きた。新世界トップの魔力量を備えて、常人を遥かに凌ぐほどの身体能力を持っているのにも関わらずだ。
加えてその膝を折った状態から体が全く動かない。体が重いとか、力が入らないとかではなく、まるで体全体を寸分の狂いもなく壁で覆っていて、どれだけ体を動かそうとしても妨げられて動けない。そんな感覚。
「これは、念力……?お前が久坂陽吾か」
「残念ながら俺は極術師なんて大層な肩書きは持ってない。ついでに補足しとくなら、それは念力じゃない」
念力ももちろん亮は扱える。旧世界においても、汎用の利く魔術は便利だった。ただ、無限の魔力を持つこの身で人を押さえ付けるような使い方をすると、誤って潰してしまうくらいなので使い勝手が悪い。使い慣れたこのやり方だからこの状況が作れてはいるが、亮にとって人とは柔らかいもの。喩えるなら豆腐を握るというのは難しい行為であると言ったところか。
「……隙間がなく動けぬのなら隙間を作ればいいだけのこと」
試しに、マグナスは全身から熱を放射し、その体を覆う何かを探る。摂氏100℃を優に超える熱。並みの物質ならば溶け出したり燃えたり、ともかく抜け道を作るには十分な温度だ。空気を震わす熱を作れば念力程度は振り切れるだろう。
しかし、当然ながらそんな上手くいくはずもない。
亮が用いたのは常套手段である空気中の魔力の操作だ。自分の体内から溢れ出る魔力を空気中の魔力と結合させ硬質化。それで柔軟かつ強固な魔力の空気が出来上がる。
行動を封じるも良し、首を絞めて殺すも良し、鋭利にして切り落とすも良しの、万能の一言に尽きる。
「……ならば」
「……ン?」
しかしながら、マグナスに取ってそんな事は問題じゃない。たとえ理解不能な何かに押さえつけられようと、それが困っている人を助けない理由にはならない。
──ボオオオオオオオオン!
と、爆音を響かせ火柱が立った。新世界の天井にまでは届かない。だが大火災と呼ばれても遜色ない爆発の様な火柱。常人では近くにいれば大火傷では済まないだろう。
「期待してたのと違うが。まぁいい」
ため息すら灼熱に焼かれる。
軽く適当に囲っていたとは言え、新世界で魔力の壁を打ち破ったのは、またしても彼が初めてだった。熱気で空気が震える状況の中、亮は嘆息しつつ説得に全力を尽くすと決め──そして携帯が鳴った。
灼熱の炎で埋め尽くされる視界の中で、マグナスが今の火柱で相当の力を使ったのか、未だ膝をついていることを気配で確認し、携帯を取り出して通話をする。取り出す際は魔力の壁で携帯が熱で溶けない様に配慮することも忘れない。
「もしもし」
『この事態はマグナスとの接触を控えろと言わなかった私が悪いか?』
「いや、なんかイライラした俺に非がある」
『お前が苛立つ理由に興味が無いわけじゃないが、前回の件もあってそのデパートは致命的な損害を被る。その上マグナスの名を出せば極術師というレッテルに傷がつく。誤魔化すがこの落とし前は?』
「任せる」
『……全く、よく他人事のように言えるものだ。追って連絡する』
それで通話が終わる。どんな罰を与えられるのか分からないが、今のところ興味ない。
当座の問題は、たった今地を蹴って業火の中からこちらへ高速で突っ込んでくるマグナスだ。
速度が速度。向こうは間違いなく殺しに来ているが、亮にその気は無い。彼を殺さないように止めるのが少々手間だった。
「仕方ない」
あまり使いたくないが、こうでもしないと戦いの規模がこの屋上に留まりそうにないので、最終手段を使うことにした。
だらんと垂れていた右腕のその先にある右手、人差し指の先端に雫を作った。指先の雫はやがて引力によって一滴、地に落ちていく。
「悪しき炎を浄化しろ」
神術がここに発動して──
────ピチャ
と、マグナスはどこからか水滴の滴る音を聞いた。有り得ない話だ。大気中の水分が焼き尽くされ、炎が焦がす音が支配するその場に置いて一滴の水が跳ねる音が聞こえてくるなど有り得ない。加えて自分は今正体不明の誰かに高速で突貫している真っ最中。水滴の音など聞こえるはずがない。
直後に。
一滴の聖なる水が、悪しき炎を消し飛ばす。
「っ!?」
空気を焼き焦がす灼熱が、一瞬の内に消えてなくなった。遅れて自分の顔に何かが付着した。冷たくもなぜか暖かいその液体。先程まであった正体不明の者への危機感、敵意が何故か徐々に薄れていく。
「(精神操作?しかしそれでは炎が失せることは……!?)」
気が付けば。高速で移動していたマグナスはその場に停止していた。これもまた理屈がわからない。あの速度からの停止にはかなりの衝撃があるはずだ。そもそも止まり切れるはずもない。先程の突貫は捨て身の攻撃の様なもの。真正面から受け止められた場合、その衝撃でこちらがやられることすらあったはずだ。
「(私は一体何と戦っている……?)」
極術師として、この世界の頂点としての自覚はある。自惚れではないが人の身には有り余る力を持っていると考えている。そんな自分の捨て身の一撃を、たった一滴の液体で止めた目の前の存在はいったいなんなのか。
「……貴様は何者だ」
停止した位置から、正体不明のソレに質問を投げ掛ける。
「残念ながらおいそれと話せるものじゃないな。だが、お前と同じで宝姫咲輝を守る立場に居る」
「それを信じろと?」
「俺がお前に対して危害を加えない理由を考えろ。最初に言ったはずだ、戦うだけ無駄だから黙って俺の用件を聞いて頷けと」
愛菜や八代がこの場に居たら、間違いなく「そういう言い方だからこうなるんだ」なんてツッコミを頂くところだろう。冷静に考えればその通りなのだが、なんとなくマグナス相手にそこまで丁寧になれなかった。
「ならば貴様の用件とはなんだ」
マグナスとしても、不本意とはいえ冷静になった今、ここでアレと事を構えるのは得策ではないと判断した。
「宝姫咲輝の護衛は俺に任せろ」
たったそれだけの用件。ではあるが、マグナスはそう簡単にその要求を呑むわけにはいかなかった。そんな事は彼自身の教えに反する。
「人が困っているのを知っていて、助けるなと言うか」
「あぁ」
有り得ない。
それがマグナスの心だ。ただの一般人が本気で命を狙われ実際に殺されかかった。それを知っていてその一般人を守らないなんて選択肢は有り得ない。仮にも自分はこの新世界で最も強い力を持っている。たった今それを覆されたばかりだが、それでも手を伸ばすことで助けられる位置に人が居るのならば手を伸ばす。
「……ワケは?」
「仕事」
胡散臭いにもほどがあると思いつつ、しかし間違いではない。暴走した世界の裏側の住民を討ち果たし、亡霊を炙り出して企みを止め、一人でも多くの人を危険に晒さないためには宝姫咲輝というエサが必要なのだ。
「私を説得する気はあるのか?」
「悪いな、他に言葉が見当たらない」
この状況だと何を言っても嘘くさい気はする。世界平和とか口にしていたらもう一戦始まっていただろう。
まぁ正直に答えたところでマグナスが納得するはずもないので、もう少し言葉を付け足す。
「……ンー、まぁ言うなら、お前にやるべきことをやってもらって少しでも俺の目標に近付いてもらうためだ」
ここでマグナスを外し、亮から鈴木数馬へバトンを繋ぐ。そうしなければ数馬の成長はない。数馬には早いところ「神聖」を手に入れて貰いたいと思っていた。
ゆくゆく、数馬は成長するにつれ特別な力を持つだろう。きっと神術に匹敵する様な何かだ。
そして、それを喰らえばきっと自分はただ一つの目標を達成できる。と、考えている。
「信じろなんて虫のいい話だが、俺が見ている間、宝姫咲輝には傷一つつけさせない。それは約束しよう」
「…………」
マグナスは黙って亮に視線を送っていた。品定めする様な目だ。信ずるに足りる存在かどうか。暫くしてマグナスが口を開いた。
「……私の目には、貴様はある種の悟りに到達している様に見える」
「……は?」
唐突に何の話か分からなかったが、そういえばマグナスはレッド地区の寺の出だったと思い出す。産まれてすぐに寺に引き取られ、そこで育てられていた。
「最後に問う。貴様が信じる物はなんだ」
これはきっと「どこの宗教か」なんて簡単な話ではない。仏の禅問答と言うやつだろう。十字架の聖者や八百万の神の教えならば旧世界で喰らった者たちの記憶から考え方を理解できるが、仏の神は少々知識が足りない。
だが亮からすれば、そんな問いに意味なんてなく、答えは一つだ。
「一人の女の子」
即答だった。
「……そうか」
誰。なんて野暮なことは聞かない。マグナスは、そうとだけ答えた亮の瞳の奥底に、先程までとは違う、何かを感じ取った。
「分かった、私は貴様を信じよう。私が思ってる以上に、貴様は生きていた」
「そいつはどうかな」
「私は貴様に従い、行くとしよう。後は、任せた」
「ン、任された」
マグナスは地を蹴って飛び上がる。両掌を後方に向け、炎を噴射、彼の偉人達の時代にあったジェット機と同じ容量で、そのまま飛んで南下していった。レッド地区にある寺の跡地がマグナスの住処だと聞いている。恐らくそこに戻るのだろう。
「……お前が育った寺を全壊させて、恩師の「我郎」を殺したのは俺だとは言いにくくなったな」
なんてボヤきつつ、宝姫咲輝の捜索に移る。先程と違い、距離は近いのは感じ取れる。ので、魔力を放出し、デパート内部とデパートの出入り口から溢れ出す人の並から宝姫咲輝を探し出す。
反応はすぐにあった。どうやらまだデパート内に居るらしい。
「(近くに一つ……いや二つか。確か双海寧音と、吹けば消し飛びそうな魔力は鈴木数馬か)」
どうやら三人は表に出て人混みに紛れるよりも、中で隠れている方がいいと判断したらしい。本来であればこの人混みに混じってしまえば基本は手出しされない。だが、もし敵が本当に情け容赦を持たない場合、一般市民を巻き込んだ攻撃からの逃げ道がなくなる。肉の壁だって爆発には耐えられないのだ。
「気長に見張るとするか」
いつものように姿を消して、屋上から咲輝の動きにのみ気を配りつつ、ふと思考する。
「(ナナシは外界遠征までにカタをつけられればいいと言った。だが宝姫咲輝が利用されることも折り込み済み。つまり、黒幕の思惑は外界遠征中に宝姫咲輝を拉致することだ。だが、協力関係にあるインターセプターはなるべく早く事を済ませようと今日襲撃してきた。一枚岩じゃないのは確実……)」
矛盾を大きく含んでいる点も、インターセプターの暴走と考えれば納得が行く。つまりナナシがカタを付けたいのはこの事件ではなく、インターセプターの方だろう。暴走している方を抑えられれば、後は黒幕の描いた通りに事が運ぶという事だ。
本当に黒鎌帝が黒幕かどうかまでは想像がつかないが、もしそうだとするならば、これはかなり昔から計画されていたという事になる。
「(狙いは宝姫の心臓を用いて魔人化する事だろうな。そのための準備は……まぁシェイカーの研究資料から出来上がってるだろう)」
帝とシェイカーは深い仲にあった。シェイカー自身も魔人という存在には興味を持っていた。色々混ぜるのが大好きな一族の研究者だ、魔人というありとあらゆる物を取り込む性質が興味深かったのだろう。魔人はある意味、万能ミキサーみたいなものだから。
「(はたして、鈴木数馬は魔人相手にどれだけ戦えるか。それは楽しみだ)」
亮は口元を歪める。鈴木数馬の頑張り次第では奇跡が起きる。どれだけ完成度の高い魔人ができるのかは分からないが、低くとも魔人は魔人。それを超えるなら、本当に鈴木数馬が自分と、神の希望に成り得る。
と、そのタイミングでデパート内の咲輝達が移動を始めた。恐らくサイレンの音から警察車両の到着を察知してだろう。人混みに紛れながら真ん中の出入口から出てくる。
「せいぜい気張れよ主人公」
そう呟いて、亮も不可視化の魔術を使ってデパートの屋上から飛び上がった。