街中を逃走する鈴木数馬と宝姫咲輝と双海寧音の三人を、亮は屋根上から追跡し、監視していた。十分ほど走り回って路地裏に入ったところで咲輝が足を挫いて休憩の運びになっていた。
壁に寄りかかって三人で何か話していたが、ちょうどいい屋根が彼らの近くになかったので会話が聞き取れない。耳をすませればどうとでもなるが、どうせ仲良くイチャイチャしてるだけだろうしと聞く気にはなれなかった。
屋根の上に立って眺める。退屈だとか、暇だとか、そういう気持ちがないわけではないが、何百年以上もの暇な時間を経験してきた亮からすれば、この程度の暇は大したものじゃない。
監視しながら外界遠征に向けた事だって考えられるし、今後起こるであろう新世界の危機についてだって────
「あっ、義兄さん!」
「ン?」
亮にとってはいつまでも聴いていたい声が聞こえた。数馬達が居る裏路地の手前の通りで、七尾優衣が亮を見つけて手を振り、声を掛けてきた。
現在自分は姿を透明にさせているので、肉眼では見つかることなんて無いはずだが、まぁそんな事は些細な話だ。
彼らはしばらく動きそうにないので、自分の目を視覚を魔力に変換してその場に置いて、体の方は優衣の方へと向かうために屋根から飛び降りる。
「どうした、優衣」
「特にやることがないから、ブラブラしてたの。そしたら、なんとなく義兄さんが居るような気がして、来てみたら」
そう言って笑う優衣。その笑顔を見るともう仕事なんて放り出して一緒に遊び出したい気分になる。
同一人物ではない、紛い物だとしても、存在しない脳裏に焼き付いた笑顔と変わらないものだから。
「と、でも義兄さんは仕事なんだよね、邪魔しちゃってごめん」
「気にするな。なんなら仕事の方が邪魔だからな」
「ふふ、そう言って貰えると嬉しいな」
ただのバカップルのやり取りを繰り広げながらも、それでも充実した時間だった。名残惜しくはあるが、そろそろ数馬たちが動き出すような素振りを見せているので、会話を切り上げる方向に。
「ンじゃ、そろそろ」
「ん……私も今日一日だけ着いてってもいい?」
「着いてくって、仕事にか」
思わぬ提案に亮が尋ね返すと、優衣は小さく首を縦に振った。
「邪魔はしないようにするから」
「……だが、万が一てのがある」
「そこは大丈夫だよ。たとえ何があっても、義兄さんが守ってくれる、でしょ」
全くずるいなと思う。例えばこれが愛菜ならば、絶対に守れる確証なんてない。と言っていたところだ。ただその顔で、その声で守ってくれるかなんて聞かれたら。
「それもそうだな」
肯定するしかない。真衣と優衣は同一人物ではない。だけれど、かつて自分が一度失敗した事は知っているはずだ。絶対に守ると誓って、心の底からかけがえのない大切なものと思って、守れなかったことを。
だから優衣の言葉は自分にもう一度チャンスをくれているようで──それがたまらなく嬉しかった。
であればと意識を切り替える。守られる側にも最低限、知っておくべきことはある。その確認へ。
「仕事内容は知ってるか?」
「うん、宝姫咲輝って子の護衛って愛菜ちゃんから聞いたよ」
「その通りだ。退屈な時間が続くと思うが、大丈夫か?」
「もちろん!宛もなくお散歩してるよりは退屈じゃないよ」
「そう言ってくれると助かる。ンじゃ、そこの屋根の上まで飛べ……飛べないか」
さてどうすると。自分はもちろん八代はその気になれば空の果まで跳べるが、愛菜と同じように優衣もそんな飛行能力は有していない。愛菜の場合、夜であれば必要無いが昼の場合は魔術で浮遊させるか、魔力の壁に包んで持ち上げるかの二択でどうにかしている。
ただ今回は勝手が違った。
「(……力加減間違えて痛い思いさせたらどうしよう……)」
愛菜にやっているようにやればいい。ただそれだけの話ではある。ではあるのだが、ガッチガチに緊張していた。
「(力加減って……あれ、俺いつもどうしてたっけか……)」
何千人と何億体の魔物の喜びやら悲しみやら快楽やら痛みやらを常に全心身を這いずる中で正気を保っていられる亮ではあるが、こと彼女が絡むと錯乱するのだった。
「あ、そうか」
動き出さない亮を見て、優衣は何を察したのか亮の背後に回り込んだ。
「ン?」
「よっと」
そこで軽く正気に戻り、何事かと思った矢先、優衣の掛け声と共に小さな衝撃と背中に柔らかい感触を感じた。
「……!?」
「準備できたよ、義兄さん」
別になんてことは無い、背中から優衣に抱き着かれただけだ。俗に言う「おんぶ」という状態なだけだ。そこまで理解して、透明化を優衣にかける。このままだと第三者から見れば、優衣は空気にしがみついてるみたいなよく分からない体勢になってしまうからだ。
「これで義兄さんが居た屋根まで戻れるね」
「……おう」
遥か昔。こうして飛び付かれた事もあった。今でもその時の感覚は覚えている。その時と変わらない温かさに、とても気持ちが安らいだ。
「……じゃ、行くぞ。しっかり捕まっとけよ」
「うん!」
優衣の元気な返事を聞いてから、膝を少し曲げて飛び上がる。あっという間に先程まで居た屋根へ到着した。
「義兄さん、ありがとう」
「ン、どういたしまして」
そう言葉を交わしてから、優衣は亮に回していた腕を離し、屋根に着地しようとして──足を滑らせた。
瓦を詰めて傾斜を作らせている屋根は、瓦一枚一枚は並行ではあるが、段になっているので階段の踏み間違いのような事は起こりうる。というか今起きた。
「っ!?」
再聖というこの世の法則をぶち壊す力を持ってはいるが、七尾優衣には他に特別な力はない。新世界における平均的な身体能力以下の持ち主である。
だからこんな事も起こりうる。
「大丈夫だ」
のを、もちろん亮は把握していた。
優衣がコケるより先に、魔力の壁を柔らかくして優衣の体を包み、固定させた。
「あ、ありがとう」
「ン。優衣も、おっちょこちょいなんだな」
「……こういうところも同じに作ってくれなくてもいいのに……」
不満そうな優衣の言葉に小さく微笑んで、空中に寝っ転がるような体制の優衣へ右手を差し出す。
「まぁ、あいつにはあいつの考えがあるんだろ。俺には全く見当つかないがな」
「義兄さんで分からないなら私も分からないかな。あ、鈴木君達は向こうに行くみたいだよ」
数馬達は自分達の居る家とは反対方向へ進み出した。これではまた屋根から屋根を移動していかなければならない。
「みたいだな。よし、優衣、来い」
言って、優衣に背を向けて屈む。
「か、構えられると恥ずかしいね」
そう言って照れつつも、近付いて亮の首に腕を回し、しっかりと握った。
振り落とされない具合であることを確認してから、亮は再び数馬達を見失わないように屋根から屋根へと飛び移る。
「ねぇ義兄さん」
「なんだ?」
飛び移りながら、優衣が話しかけてきた。
「今のこの状況、愛菜ちゃん達が見たらどうなるかな?」
「……考えるのも面倒臭いくらい面倒臭い事になりそうだから考えさせてくれるな」
「ふふっ。愛菜ちゃんも八代ちゃんも、義兄さんのこと大好きだもんね」
と、言い終えたところで次の屋根に着地した。
「好きって言うか、アレはもう依存しているだけな気はするがな」
「依存?」
「あぁ。八代は長過ぎる時間を俺と共に過ごした。単純にもう……俺と同様にぶっ壊れてる」
随分長く持った方だったとは思う。何せ百年近くは裏切った自分を憎んでいたのだから。
「……なんで知ってるのか自分でもよくわからないけど、水神が関係しているんだよね」
確かにそれは優衣が知り得るはずのない事だが、別に知っていたって不思議じゃないので特に反応はしない。
「そうだが、それは切っ掛けに過ぎない。いくつもいくつも旧世界の人々と魔物の記憶を見て、思いを知って、諦めた」
決定打は平行世界だかなんだかからの、魔物の憑依者を喰らってからだったと記憶している。それを境に本格的に考えが自分と共通化されてきた。
「人と魔物も取り決めを作り、互いに理解を深めればいつかは平和な世界が築ける。端折って言えばこんな理想を持っていた。だが今は現実的な思考だ。人と魔物どころか、人と人すら基本分かり合えない。だから別に自分が良ければ他がどうなろうと知ったことじゃない」
子供の夢を捨てた大人の考え。そう決め付けるのは簡単な事だが、八代に取っては今までの生を否定する決断だった。大人は自分のかつての夢を子供だったと笑う。
八代は過去の夢を憎悪する。自分はなんて無駄な理想を掲げていたのだろう。なんて無駄な時間を過ごし、愚かにも本当に大切な事を忘れていたんだろうと。
「俺達はたとえ「世界」に否定されようと、「自分の世界」を守れるのならば、「世界」なんてどうでもいい。「自分の世界」を守るためなら、「世界」だってぶっ壊す」
二人は、一人と一匹は、そういう考えで動いている。
ただし、これは別段二人が特別な考えだという話ではない。一言に自己中心的な思考回路の持ち主なんて吐いて捨てるほどいる。
ただ、世界に届くほどの特別な力を持っていて、それでも「自分の世界」のためだけに「世界」を切り捨てられるのが彼らだ。
「まぁ、そんな俺に育てられたんだから、愛菜だってそうなる」
「……愛菜ちゃんも確かに極端だもんね」
「出自の関係もあるからな。どこか普通の人とズレているのを昔から理解していた。俺や八代やナナシみたいなのと居る方が居心地がいいって事だ。あいつも、寂しがり屋だからな」
物心着いて直ぐに人を殺し、血肉を食べて生きてきた。その記憶を持った状態で普通に生活できるはずもない。未だに殺していいと言われた人以外殺した事はないが、それでもズレは拭えない。学校に行きだしてからは価値観の相違にだいぶ悩んでいた。優等生を演じているのもこのせいなのだろう。なるべくしてこうなっただけだ。
「んー、分かったかも」
「ン?」
優衣の閃きに耳を傾ける。
「結局さ。みーんな寂しがり屋だってこと、だよね」
優衣の言う通り、結局それだけだ。
世間ではメンヘラだのなんだの言うのかもしれないが。
「……はは、確かにな。優衣は?」
「ん?」
「優衣は違うのか?」
どういう訳か。優衣は弱々しく尋ねる亮に少し首を捻りつつも、答える。
「違わない。寂しいよ」
その言葉が。優衣の思いなのかどうか分からない。ただ、首に回された腕の力が少し強くなったのを感じた。別に自分に害を成すほどの力ではない。優衣がいくら力を込めたところで、亮にどうということはない。
けれど、
多少シリアスな場面もあったが、亮達の都合なんてお構いなく数馬達は進んで行く。
「あいつら、マジでどこに向かってんだ?」
デパートから最も近い咲輝の家かと思っていたが、それを過ぎ去ってさらに南下して行く。あの防犯設備フル装備の要塞に逃げ込むのが安全な筈なのだが。
「この方向だと……もしかして遊園地かな」
「遊園地って……なんだ、あの爆発の後に遊園地で日常パートに持ち込もうってか。どんだけ図太い神経してんだよ……」
確かに今回のデパートでの爆発を敵の襲撃だと仮定した場合、その後の襲撃が無いから敵は人目のつく場所では襲撃しないと考える。であれば確かに人の多い遊園地などはいい逃げ道になるのかもしれない。人の山に紛れてついでに遊び倒せば、よっぽど追跡に長けている者で無ければ見失ってしまうだろう。
ここまで思考できるのならば、彼らはどれだけ場数を踏んでいるのやらである。間違いなく普通に生活していたらこの選択肢は無い。
「……んー、これは義兄さんと二人で遊園地デートってやつなのかな」
「優衣、愛菜みたいなこと言ってんな。バカになるぞ」
「義兄さん本当に愛菜ちゃんと八代ちゃんには辛辣だよね」
亮としてはそういうつもりは無いのだが、どうやら優衣にはそう見えてしまったらしい。
「まぁあれだ、親心ってやつだ」
「そっか。それは私には分からないね」
なんてやりとりをしていると、またワンブロック、数馬達が遊園地の方向に進み出していた。再び飛んで屋根を移動して、後を追う。
もう少しで件の遊園地の通りだ。住宅街のど真ん中に存在する遊園地は、騒音防止の遊園地を覆うようにドーム状になっている。一度中に入られると外からでは中の様子が分からない。
別にやりようがない訳では無いが、タダでさえインターセプターの襲撃は打ち止めになると考えているのに、遊園地なんて襲撃のしようの無いエリアで、わざわざ魔力に視覚を込めて。なんてやる気にならない。
「あ、やっぱりそうだ」
入ってくれなければ良かったのだが、そう上手くいく物ではなかった。数馬達は遊園地入り口の列に並んで居る。
休日ということもあって、長蛇の列になってはいるが、ゲートを通過すれば埋め込まれるチップで入場料は自動精算してしまうので、流れはかなり早い。
「よし、優衣、行くか」
「私達も遊園地に?」
「そうだ。万が一があるからな」
万が一なんてないとは思うのだが、せっかく優衣と二人で出掛けているのだ。遊園地に入って少し楽しむくらいはいいだろうと判断した。
「そっか、そうだよね」
背負っているため顔は見えないが、声色で喜んでいてくれているのがわかる。
取り敢えずあの人混みの中で不可視化を解くのはまずいので、もう一度宝姫咲輝の魔力を記憶する。その後に路地裏の人目のつかないところに飛び降りて、優衣を背から下ろして不可視化を解除した。
背中の優衣の感触が無くなったのがとっても寂しかった。
「っと。義兄さんありがとう」
「ン」
優衣のお礼を聞いてから、二人で歩き出す。咲輝の魔力はちゃんと記憶してあるので、これだけの人混みでもどこにいるかはきちんと把握できている。
「にしても、本当にここは色んな地区から人が来るんだな」
「遊園地はホワイト地区とグリーン地区とセントラル地区に一つずつしかないからね。遊園地大好きな人は遠くの地区でも拘りがあって来るみたいだし」
新世界の真の支配者とか呼ばれてる赤と黒のネズミがマスコットのセントラル地区の遊園地。
新世界に唯一存在する魔物と呼ばれる黄色いネズミがマスコットのグリーン地区の遊園地。
ただ無駄にでかい遊園地がホワイト地区の遊園地だ。特色も何も無い。
果たして他地区の二つに比べて地味なのにホワイト地区の遊園地にこれだけの人が来るのか。
答えは簡単だ。ここの遊園地は他二つに比べて面白くないから並ばなくて済むと思った者達が沢山来るから並ぶ。
結局どうせ並ぶことには変わりないと気が付いた者は何人いるのだろうか。
「人の列が凄いね」
「休日だからな」
二人とも大人しく列に並び始める。数馬達はかなり前に居るわけだが、しっかりと咲輝の魔力を認識しているので、見失うことはない。
「ここのアトラクションは結構種類が豊富だから、色んな所を回ることになると思うよ。もちろん、その分待つ時間も長いだろうけど……」
「元々退屈な仕事だったわけだからそんなに気にならないが…………ていうか優衣、この遊園地来たことあるのか?」
「私じゃないけど、姉さんは鈴木君達と来たことあるみたいだよ」
「……あぁ……なるほどな」
今すぐ鈴木数馬を魔力の壁で圧殺しようと本気で思ったが、隣に優衣も居ることだしと動揺を抑えた。鈴木君達と言っていたし、数馬と二人きりで言った訳では無いので良しとした。
「義兄さんは?愛菜ちゃんとかと来たことはないの?」
「愛菜がちっちゃかった時は行ったな。ただその遊園地は潰れちまったけどな」
「あそこかぁ……今度は、ここにみんなで来ようね」
「そうだな」
外界遠征が終わったらそれもありだろう。確かに最近は愛菜と遊びに行くような事も少なくなっていた。この間の買い物だって結局行ってないような物だし、たまには労ってやるのもいいかもしれない。
「そろそろ順番か。そういえば、優衣はIDとか持ってるのか?」
「うん。姉さんが作ってたみたい」
新世界の者達が体に埋め込まれているチップが優衣の体に入っているのか気になったが、さすがに抜かりはないようだ。
この新世界で生きていく上で、体内にチップがあるのは当たり前のこと。飼っている動物に首輪を付けるように、新世界で生きていくにはチップが必要だ。
「まぁ、どこからお金が出てるのか分からないのがちょっと心配なところだけど……」
「銀行に行けば確認できるだろ」
と、亮が言うと優衣は途端に遠い目をした。
「…………銀行に行って、ATMで自分の口座を照会したら、どういうわけか銀行から外に出てるんだ……」
「こええよ」
「携帯電話で口座を調べるとなぜか圏外になるし……パソコンで照会しても表示されないし……」
みるみるうちに優衣の顔色が悪くなっていく。どうやら優衣には割と神の手が入ってるらしい。それもかなり杜撰なようだ。
「八階建てのマンションの九階に住んでたり、部屋中どこで撮ったのか分からない義兄さんの写真で埋め尽くされてたり……」
「……なんか聞き捨てならない発言があったような気がするんだが」
深く聞きたい気持ちは抑えて、優衣を正気に戻してやらないといけない。まだブツブツと改竄された現実を列挙している。
「優衣、一旦置いておいて、楽しもう。順番回ってくる」
「……そうだね」
咲輝の監視なので本来、楽しんではいけないのだが、こうでもしないと神の杜撰さに潰れてしまいそうだった。
二人で遊園地のゲートを通り、無事に料金の支払いが終わった。何かエラーが出ないか、優衣はビクビクしていたが、特に問題なく通行できて安心していた。
「さて奴らは……」
咲輝の魔力の感じる方向に進んで行く。メリーゴーランド、屋台の群れ、ジェットコースターを通り過ぎて、到着したのはお化け屋敷。待機の列に彼らの姿も確認できた。
「……」
「優衣?」
お化け屋敷を見上げて膠着する優衣。不安になって声をかけたら、直ぐにハッとして列の最後尾に並んだ。
「行こう、義兄さん」
「お、おう」
そう言えば。と、亮は彼女の微笑ましい一面を思い出しながら、この後にその思い出が再現されるかと思ったら、優衣には悪いがとても楽しみになっていた。
入り口で係の人に案内され、二人で暗い室内を進んでいくと、やがて広い部屋に出る。まぁ最初のホラースポットだろう。
部屋のど真ん中に井戸がある。もう何が起こるのか分かる。もうちょっと隠せよとツッコミたい気持ちを抑え──
井戸の中から真っ白な手だけが出てきた。
「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「(……ホント、一緒なのな……)」
彼の偉人達が残したDVDなる物を二人で観賞した時も、中身がホラー物で終始ビビってたのを思い出す。確かその時は驚いて抱き着いて来る時の感触と、ビビってるのがめちゃくちゃ可愛いとかそんな事ばかり考えていた。
「(……あぁ、めっちゃかわいい)」
今もそんな感じである。
とまぁそんな事を考えている間に、井戸の中から段々と頭、顔を覗かせてくる。
「……っ!!!っ!!」
言葉になっていない。叫びたいのだろうけど声が出ていない。
「う、うううぅぅぅ……」
井戸から首元辺りまで覗かせた幽霊が呻き声を上げた。
「義兄さんっ……」
意味不明なくらい素早い動きで、優衣が亮の背に隠れた。今までに見た事のない俊敏な動きである。
遅れて背中にさっき失われた柔らかい感触が伝わった。先程とは比べ物にならない力で抱き締められている。
「(……今なら死んでいいわ)」
そして亮は数十年振りに途轍もない充実感に満たされていた。
「残業代ぃい……残業代いいいいい!!」
「助けて義兄さん……っ!」
「大丈夫だ優衣、そこの看板に「親ガチャ失敗してロクな学歴が無くブラック企業に就職して残業代が出ないけど退勤時間が遅くて疲れたから自炊せずに安いからという理由で牛丼ばっかり食べていたのでお金が無く奨学金の取り立てに会いヒモジイ苦しさから消費者金融に手を出しそれも返せなくて破産して仕事が無くなり泣く泣く自害した彼の偉人達の時代の霊」と書いてある。よくある話だし、どうせ人を呪える様な強い意志だって持ってないだろうから問題ないさ」
「そんな世知辛い世の中やだよぉ〜」
というかここの幽霊屋敷の幽霊の設定がやたら生々しくもこじつけ感が尋常じゃないのはなんなのだろう。どうして状況の理由で自殺した霊が井戸の中から出てくるのかが分からない。
「こぉんげつぅ……手取り11まぁぁぁぁん!!」
「いやあああああああああああああああ!」
「演技が真に迫ってるな」
新世界でお金に不満を感じたことが無いので、この者の苦しみは理解できないが、なんか可哀想な気がした。
お化け屋敷を出た時、優衣の瞳は真っ赤に腫れていた。めちゃくちゃ怖かったらしく、涙の跡がすごい。亮の着ている革ジャンが濡れていて、お化け屋敷に入ってしまった罪悪感が湧きつつも、可愛いなとか思ってしまう亮だった。
目の腫れに気が付いたのか、優衣は恥ずかしそうにした後、唐突に神術「再聖」を発動。
──聖なる神の使いの願いに世界の理が従う。
自分の目元を正しく再生させ、あるべき姿に戻す。まぁつまりは目元の腫れと涙の跡が消え去ったという事だ。
神の力の圧倒的無駄遣いである。
その後、数馬達の後を追って辿り着いたのは。
「ジェットコースターか」
「義兄さんには刺激が足りないかな?」
「いや、優衣と居るから何しても楽しい」
「そっか。私も義兄さんと居るから楽しいよ」
列の先に並んでいる数馬達一行よりも遥かにバカップルの様な二人だった。
ちなみに前方では宝姫咲輝と双海寧音による鈴木数馬の隣はどっちが座るか戦争が勃発していたりするので、遊園地に野郎だけで来てしまった連中のヘイトは全てそっちに集中していた。
「鈴木君達とはギリギリ同じタイミングに乗れそうだね」
「そうだな」
言われてどうしたものかと考える。一応、自分も優衣も顔は知られているので、こちらに気付かれると少々問題がある。自分は顔を変えてしまえばそれで済むが、優衣の顔までは変えられない。
「(……まぁいいか)」
最悪、その場で自分だけ消えればいいのだ。その時優衣には申し訳ないが……
「義兄さん、順番だよ」
「ン、乗ろう」
今は、この時間を何よりも優先していたかった。
その後も様々なアトラクションに乗って、そろそろ日も沈む。そろそろ帰宅だろうと予想し、それを裏付けるように数馬達は観覧車の列に並び出した。締めに観覧車は鉄板というのは分かるが、女性二人と男性一人の組み合わせで観覧車とかどうなのだろうと思いつつも、いずれ愛菜や八代と来たら女性三人と男性一人になるので、あまり考えないようにした。
「観覧車かぁ」
「どうした?並ばないと乗れないぞ」
優衣は観覧車の列から少し離れた場所で止まった。
「んー、これは乗らなくていいかな」
「……そうか、そうだよな。俺と乗るの嫌だよな……悪い気が付かなくて」
「ち、違うよ!義兄さんお願いだから落ち込まないで」
顔を伏せて露骨に落ち込む亮。ちなみに本気で気を落とすのは、こういう体になってから初めてである。
「あのね、何となくなんだけど、これは義兄さんと二人で乗っちゃいけない気がするの」
「ン?どういうことだ」
「ほんっっっとうに、よく分からないんどけど、乗ったら、私、消されちゃいそうな気がする」
優衣の言っている事を馬鹿なと笑うことはできない。神に作られた優衣にしか理解できない何かがあるのだろう。優衣に対して怒ることなどできはしない。
「そうか……理由は分かるか?」
「多分、嫉妬じゃないかな?」
「だったらお前早く出てこいよって思うのは欲張りなのか」
何かしら理由があるのは察せるが、そこまでするなら早いところ出てきてくれよと。
「まぁいい。ンじゃ少し離れたところで様子を見よう」
「うん。ごめんね、義兄さん」
「いいよ。気にするな」
残念なことだが仕方ない。亮達は観覧車から離れ、数馬達の動向を見張ることにする。途中の自動販売機で飲み物を買って、その近くにあるベンチに腰を降ろした。
「義兄さんの言う通り何も起こらなかったね」
「まだ終わってないから安心はできないが、少なくとも今日はもう無いだろうな」
彼らも完全に日が落ちる前に帰宅するだろうし、忘れそうになるが、襲撃は今日あったのだ。その時にマグナスの姿を見ているのだから、警戒するのは当たり前。
「あ、話は変わっちゃうけど、義兄さん今日は晩御飯どうするの?」
「要らないよ。愛菜と八代と、三人で好きに食べちゃってくれ。つーか、俺はしばらく帰らないから、好きにしててくれ」
外界遠征の前日か、その辺まで帰宅できないだろう。間違っても監視の対象が襲われるのは、ナナシのゴーサインが出た時でないといけない。
「そっか。お仕事じゃ仕方ないもんね」
「悪いな、優衣には全然構ってやれなくて」
「大丈夫だよ、住まわせて貰ってるんだし……それにいつか、私の出番っていうのがあるはずだもん」
確かに、なんの意味もなく、リスクの高い自分の分身なんてものを置いていくはずがない。それがなんなのか分からないが痛いところだが、神は未来を見通すもの。
それに「再聖」という戦いには向かないが、回復のような力があるのだ。想像したくはないが、きっと、何か失敗した時の保険なのだろう。
「優衣の出番か。ないに越したことはないんだがな」
「それはきっと義兄さん次第なのかもね」
「そうだな、俺ががんばらないとな」
缶コーヒーに口をつけて、味わう。やっぱり自販機の微糖は微じゃないな、なんてどうでもいいことだ。絶対にブラックの方が美味しい。
「……鈴木君達、もう少しで降りてくるよ」
「ン、そうみたいだな」
数馬達を乗せたゴンドラが一周してくる。この後は遊園地を出て、数馬が咲輝、寧音の二人を送り届けて終わりだろう。それはつまり、優衣と二人の行動の終わりを意味している。
「義兄さん、今日は無理言ってごめんね」
「気にするな。楽しかったからな」
「ホント?私も楽しかった」
ありふれた言葉しか出てこない。こういう時にはもっと気の利いた言葉があるのだろうが、素直に楽しかったとしか言えない。
──本当は、物足りない。なんて言えるはずがない。
心にそんな罪悪感が湧いてくる。せっかく一緒に、このつまらない監視なんていう仕事に着いてきてくれたのに。自分の浅ましさに嫌気が刺す。
もちろん楽しかったのは本当であって、それでも、それでも──
「大丈夫、もう少しで会えるよ、亮」
「っ!?」
声がして、慌てて優衣の方を見る。
「ん?」
だが、そこにはキョトンと首を傾げる優衣が居るだけだった。
「どうしたの、義兄さん」
「…………いや、なんでもない」
直ぐに数馬達のゴンドラへ視線を戻す。
「(……真衣、今言ったからな。忘れんじゃねえぞ)」
少しだけ、ほんの少しだけ、浅ましい心が満たされた気がした。
レイルロアの略奪者に私の執筆時間が略奪されました