旧世界の唯一の人、魔人亮にとっても、新世界の軍のサポートは面倒なものだった。半径300kmまでの魔力を持つ生き物を探知できる身をもってしても、ほぼ狩り尽くしてしまったこの辺りからウオッチドッグを探知し、その場へ行くことは容易ではない。彼一人であるならばまったく問題はないが、ウオッチドッグの速度についていけず、簡単に狩り殺される兵を連れ、兵が戦うとなると話が変わるのだ。
やっかいなことに、他の生物に細胞レベルで化ける「アバター」と呼称される魔物がいるこの世界で、センサーを張り巡らされた野営地から出るのが危険なのである。だから、亮のサポートは「野営地の防衛を潜り抜けて兵と直接交戦し、兵の命を脅かしたウオッチドッグを殺害してよい」ということになった。
まぁつまりどういうことかというと
『一向に進展ないの!気合入れた矢先にこれは笑えるの!』
『黙れ狐』
暇なのである。何百年と世界を放浪してきた身としては、この一時的な暇など大した時間ではないが、目標が決まっていて、自分が動けばすぐさま目標を達成できるのに、それができない、所謂「お預け」状態。それこそ何百年振りか。
「悪いな、付き合わせて」
倉庫に背を預けて狐と会話をしていた亮に声をかけたのは、この部隊の隊長、コードネーム「ゼロ」。どうやら彼もまた暇を持て余した一人のようだ。
「そう思ってるなら許可をくれ。三十分もあれば全部片付けてくる」
「悪いがそういうわけにもいかない。仮にもここに居る奴等は全員、こっちでは期待の新人なんだ。訓練は十分、あとは実践をこなせば一流になるんだ」
「たかだか犬……ウオッチドッグに戸惑ってたやつらがか?」
「……普通は初速50km近い速度で動く犬を目で追うことなんてできないんだ」
亮としてそれ以上に速く動く魔物と何度も戦闘しているため、内心首を傾げざるを得なかったが、まぁそれだけ新世界では戦いというものが無いのだろう。
「で、君によればこの近くにウオッチドッグは居ないのだったかな?」
「一つ先の街に五。距離として47km。あとは70km以上離れてるな。昨日狩ったのがこの辺りを縄張りにしていたんだろ」
「……その探知はいったいどういう原理なんだ?」
「わからないが、そんな気配がする」
「一介の兵が言うと、玄人を気取るなと渇を入れるところだが、君の場合、そうかと言うしかないな」
ウオッチドッグの魔力がある。としか言いようが無いのだ。こればっかりは感覚の世界で、他に言いようが無い。彼は取り込んだ物の記憶を有しているが、どんな哲学書やら科学書やらを用いても説明できる言葉が無い。
『ゼロ、着ました。深淵です』
ゼロの持つ無線機からそんな言葉が聞こえた。
「あぁわかった。それで向こうはどうすると?……なに?だが……いや、わかった。それならちょうどいいやつが居る。向こうも納得するだろう」
無線機を懐にしまい、なぜかいい笑顔を作ったゼロが亮に向かって口を開く。
「魔人亮、喜べ、仕事だ」
「……」
なんとなく、いやな予感がした。これも、どんな哲学書やら科学書やらを用いても説明できない感覚だ。
亮はセンサーの範囲外で待機していた。与えられた仕事は、新世界が誇る魔術師、二つとない魔術を操る「極術師」と二人で遠方まで狩りに行けとのことだった。その極術師とやらは先ほど新世界から旧世界に到着したばかりで、準備をした後に、この場で合流らしい。
十分ほど待機したところで、件の極術師はやってきた。
「あぁ、君が魔人か」
黒いスーツと黒髪のよく似合う女性が居た。こんな廃墟の港にはミスマッチだが、亮の記憶の中にある「THEできるオフィスウーマン2034年三月号」の中に登場する女性にそっくりだ。つまりは、どこにでもいたらしいスーツの似合う女性だ。磯臭い港の外れの荒れた土地には間違いなく不釣り合いだ。
だが亮が一番目を惹かれるのは、彼女から溢れ出す黒く透明な魔力。
見たことない質の魔力だった。基本的に魔力は白く映るものだが、彼女は違った。透き通っているのは変わらないが、黒みがある。
「あんたが、深淵」
ゼロに前もってされた説明によれば、新世界には何人か、飛び抜けた魔力を持つ者が居る。彼らは「極術士」と呼ばれ、人々から尊敬され、畏怖されるらしい。生まれながらにしてそうあった者、努力を重ねてそうなった者。どちらにせよ共通して極術士は他の者とは一線を画す魔術を使用する。らしい。
「話はゼロから聞いている。短い時間だがよろしく頼む。さっそく進もうか」
「あんた、そんな格好でいいのか」
挨拶を簡単に済ませて進もうとする深淵にそう尋ねた。
「問題はないよ、心配をしてくれてありがとう」
「いや、別にそういうわけじゃない。まぁ問題ないならいいが」
『おぉ!主のツンデレを久し振りに……あ、ちょ主これは洒落になってな……』
狐を昨日より一層深いところに沈めつつ、深淵と肩を並べて歩き出す。
「さて、君の勘によれば近くの廃虚の街に五匹か」
「ン、そうだ。最近になってこの辺りの海水が引いたからな。俺もここでそっちと会う直前は、そこに訪れていた」
「ならばそこの五匹は任せてもらおう。一応、これでも私は新世界で化け物と称される人種だ。君の反応を見てみたい」
化け物。その代名詞も久し振りに聞いた。幼い頃から自分はそう呼ばれてきたが、自分にぴったりだと思ってはいるし、納得もできる。心の中の狐も化け物と呼ばれていた。正確には神であったが──とまぁ、化け物という言葉を身近に感じる身としては、新世界の化け物を拝んでおきたい気持ちはある。未知に心を躍らせる、懐かしい感覚だ。
「楽しみにしておく。深淵なんて大仰な名前がついているんだ、さぞすごいんだろう」
「やめてくれ。好き好んでそんな名になったわけじゃない。なんだ深淵って。過の偉人の言葉を借りるならば厨二病という重度の病ではないか」
「この世の境界が曖昧になって平行世界の自分と意識が同化する精神疾患のことか」
「待て、旧世界での厨二病の概念はどうなっている……」
と、そんな感じで旧世界の化け物と新世界の化け物が自らの世界の文化交流をしていた。ある程度「厨二病」という概念について意見交換を終えたところで、目的のポジションに到着した。
深淵は襟につけた小型のマイクのボタンを押しながら口を開いた。
「こちらダークネス。目標ポイントに到着した」
「ダークネス……」
なんともタイムリーなコードネームだった。ゼロの無線機とは違い、彼女の耳に嵌められたイヤホンがレシーバーとなっているので、亮には会話の内容は聞こえない。その気になれば聞くことも可能だが、慌てている様子もないのでそこまでする必要はないだろう。
「ああ、わかった。目標を回収したらまた連絡する」
「向こうに問題は?特に何も無いとは思うが。勘だがな」
「残念だが勘ははずれだ。暇を持て余してカードゲームをおっぱじめた部下を殴ったらしい」
「それ軍としては大問題じゃねえかよ」
予め、野営地に魔物が接近しそうな場合は亮が深淵を介して連絡する手筈になってはいるが、あまりにも緊張感を欠いている気がする。
「平和な世界の軍隊とはそういうものだ。いざという時にならなければ緊張など持てはしない。何度も訓練を積んだからこそ、自分たちであればすぐに対応できるという過信が生まれているのだ」
「言ってる意味はわかるが、実感は湧かないな」
いつ敵が来るのかわからない。貯めこんでいた食料がこっそり盗まれるかもしれない。微かな音にすら気を配らなければ生きていけなかった時期を経験した身としては、本当に彼らの感性がわからなかった。
「こっちに来れば君もすぐにわかる」
「……ン、まぁ楽しみにして……くるぞ」
その言葉を聴いて、深淵の顔色も変わる。直後、彼女は懐に手を突っ込み、一丁の拳銃を取り出した。見た目は亮も旧世界で見て拾って扱った物と同じだが、シルバーのフレームに大きなサイレンサーが装着されており、違った印象を与えられていた。
だが亮は首を傾げる。さて、どこから出したものなのだろうかと。
「距離は」
「そこの倒壊したビルの向こう側。殺気を殺してビルの上に二体向かう。三体は俺らの背後に回りこもうと迂回してる」
「それは推測か」
「何百年とああいうのを殺し続けて培った魔人の推測だ」
「あぁそうか、それはなんとも」
言葉を区切って深淵は振り返り、銃を構えて。
「頼もしい」
撃つ。
音も無く銃口から弾丸が放たれ、背後から高速で迫ってきていたウオッチドッグの眉間を貫く。
「まずは一体」
「上からも来るぞ」
「わかっている」
だがどう足掻いても銃でどうにかできる間合いではない。続けざまにもう一体を撃ち抜くが、ビルから降下し、奇襲をかけていたウオッチドッグ一体の爪が彼女の首に触れようとしていて――――
「ン?」
突然、深淵はその場から消えた。一瞬だ。一瞬の内に彼女の姿が消え去った。彼女の首に爪を立てようとしていたウオッチドッグは、深淵が消えたせいで地面に激突する。ついでに、ビルから同じく降下していたもう一体は亮の体に触れ、前足から彼に呑まれ始める。
「忘れてた」
このままいくと体全体を飲み込んでしまい眼球が回収できない。即座に吸収を止め、ウオッチドッグを体から切り離す。足が呑まれてなくなったウオッチドッグはその場に痛みでのたうち回っていた。
「グロロロロロウ!!」
三体のウオッチドッグは姿を消した深淵のことなど忘れ、ターゲットを亮に絞る。ほとばしる食欲からか、足を一つ失ったウオッチドッグも立ち上がり、殺意のこもった目で彼を睨み付ける。
「……早くしろ」
とっとと全員戦闘不能してやりたい気持ちを抑えて、深淵を待つ。まさか逃げたのかとも思いはしたが、あれはそういうタイプではない。
信じた甲斐があったと言うべきか、亮が二呼吸したところでようやく戦いは終わりをみせた。
地面から上半身だけを出した深淵が、ウオッチドッグの死角から銃を構えていたからだ。
「なんだそれ」
四発の銃弾が正確に四体のウオッチドッグの急所を捉える。それでいて眼球には傷をいれていない。生身の人間の所業とは思えない射撃の腕だ。なにより、水に沈めた物が浮き上がるように全身を顕にする深淵が、理解できなかった。
「これで五。後はいないのだろう?」
「……ン、居ない」
よし。と、深淵は銃を再び懐に仕舞う。やはりおかしい。どうみてもあのサイズの銃を仕舞ってはおけない。サイレンサーがついているし、何より銃の厚みが仕舞った位置から確認できない。過の偉人が残した、伝説の創作物に登場した猫型ロボットの秘密兵器でもなければ──そこまで考えてようやく気がつく。
「影か」
「正確には闇だ」
それで納得ができた。だから深淵なのだろう。闇に干渉する魔術。数多の魔物と人を食らい、様々な魔術を手に入れた亮ですら持ち得ない魔術だ。
「タネはこれだけではないが、まぁこれが私が深淵たる由縁だ」
彼女の言葉に内心、亮は歓喜する。
「(あぁ、これなら見つけられるかもしれないな)」
神の術があるかもしれない。自分の望む力が手に入るかもしれない。期待に胸を膨らませる。狐の言う通りだった。向こうにはこちらにない何かがある。
「さぁ、次に行こうか。どこだ?」
深淵の質問に対して亮は勘を用いてウォッチドックの位置を探り。
「ここから15キロ離れたところだが……」
「だが?」
「俺ならすぐに着く。ここで待っててくれ」
15キロなど大した距離ではない。ビルの上を飛んで行けば五分足らずで到着するし、走って行けばそれこそ一分足らずだ。
「ふむ、それならば。私が君の影に入ろう。影の中から特等席で君の戦いを鑑賞する」
言うが早いか、再び深淵の姿が亮の影の中に沈んでいき、消える。彼女の言葉が正しければ、今は亮の影の中に居るはずだ。
「……マジでなんなんだこれ」
もし仮に、この魔術を扱う彼女が「神聖さ」を持ち合わせていたら、すぐにでも取り込んで色々と試していたところだ。人の影に入り込む魔術など聞いたことも見たこともない。
ため息をついたのちに、膝を曲げて伸ばす。たったそれだけの動作で倒壊したビルの頂点へ登る。さらに地を蹴って次々と、まるで大きくスキップしているような軽やかさで移動する。
見つけた時には既に、全てのウォッチドッグは首が落とされた状態だった。戦いもクソもない。そもそも戦いにすらなっていない。そういうことだと深淵に伝えると、つまらないと回答が来た。
「あとは回収を残すばかりだ」
「持ち運べばいいのか?」
「これを持ち運ぶのか?汚らしい」
「じゃどうすんだ。まさか連中をこっちまで連れてくるわけじゃないだろう」
亮の勘でもここから野営地の間には彼らの警戒する強い魔物や、他の生物になりきるアバターは存在しない。連れて来ても問題はないと考えるが、一応向こうは軍だ。色々な誓約がそれを阻むらしい。
「こうするのさ」
ウォッチドッグの頭に深淵が近づく。そうすると、彼女の影にズルズルとウォッチドッグの頭が沈んで行く。恐らく銃を仕舞ったのと同じ手法だろう。
「あとはこれを野営地で解放すればいい。さ、戻って手前に残してきたのも回収するぞ」
「ン、わかった」
深淵と魔人。新世界と旧世界の化け物は、こうして二人の初めての共同作業を終えた。
睡眠の必要がないことは向こうに伝えはしたが、パーソナルスペースは必要だろうとのことで、亮は自分専用のテントを貰った。短期のバイトの社会保障の一環だとゼロは言っていた。知識としては理解できるが、実際に「社会保障」などという言葉を聞いたのはこれが初めてなので実感がわかない。
「(狐、沈めすぎたか)」
心の中で声をかけても反応がない。あと軽く三日は戻ってこないだろう。多少の罪悪感は芽生えたが、うるさいより良いかと考えたら、その罪悪感も霧散した。
明日には新世界へ入る事ができる。今日狩ったウォッチドッグの数は20。後はゼロ達、新世界の軍の仕事という事で、深淵と二人で新世界に行く予定だ。
「魔人、起きているか」
「……深淵か」
「入って良いか」
テントの外から深淵に声をかけられた。
「ン、大丈夫だ」
許可を聞いて深淵がテントに入る。かなり大きいテントだ。人が立ってラジオ体操くらいは余裕でできるサイズ。近くもなく、遠くもない位置で深淵と向き合う。
「新世界に入る前に君に聞いておきたい」
「なんだ」
真剣な眼差しだった。
「君は、新世界を壊すつもりなのか?」
「ンなことないが」
「ハッキリ言おう。君の力があれば恐らくは新世界を壊すことは容易い。だから私は正直君を入れることは反対だ。個人の力で支配することもできる力だからな」
やはりか。そんなことだろうと思った。
「目的はなんだ?いまさら寂しいからとかいう言葉は聞かないぞ」
あの狐しか知らない自分の目的を彼女に語るのは憚れる。偽の目的を伝えても良いが、なぜだろう。正直に話しても良い気持ちだった。
久し振りに人に触れたからか?いや違う。同じ化け物なら、きっとわかってくれると思う弱い自分がいるからだ。ダメだ、それは許されない。他人に自分を理解してもらおうと思うな。
そう言い聞かせて、彼は嘘言葉を吐く。
「世界に飽きた。別の世界が見たい。ダメか」
「……君は嘘をつくのが下手だな。まぁいい、私が嫌と言っても王は君を新世界へ招くだろうからな」
ため息を吐いて彼女は亮に背を向けた。
「まったく、その力があればすぐにでも新世界でどんなことでも成し遂げられるだろうに」
そう言い残して彼女はテントを後にした。その言葉には、どこか力を持つ亮への嫉妬が感じられた。きっと、彼女は自分の力を使ってでも成し遂げられない事があったのだろう。別にそれを聞く気にはならないが、だがそんな思いを否定する意味を込めてこう呟く。
「……こんな力があっても、人一人守れないんだよ」