「……っ……う……」
鈴木数馬はやっと意識を取り戻した。目はまだ開ききらない。滲む視界の中で、それでもと体に力を入れて立ち上がろうとする。だがまだダメだ。ボロボロになった体が前に進むことを拒否している。
仕方ないので這って動く。
「咲輝……」
彼女がどうなったのか知らない。進まないと、確認しないといけない。もう手を遅れかもしれない。なんて考えは放棄している。そもそも思考に浮上して来ない。
ただ助けるという意志の元にただ進んだ。帝の姿が見当たらないのに引っ掛かりはしたが、もうそんなことはどうだって良かった。
部屋の出口に辿り着いた時にやっと体に少しだけ力が入るようになった。
壁に寄り掛かり、体を擦りながら暗闇に支配された通路を進む。当然歩速は遅い。それでも足は踏み出していける。
どれだけ歩いたかは分からない。ただやっと終着点を見付けた。どういう訳か扉は破壊されている様で、本来あっただろう扉は無く、暗い通路からも部屋の様子が分かった。
だからそれで体に力が入った。駆け出す。光射す部屋で何かの装置に入れられ目を閉ざしている咲輝の元へ。
「生きて……るのか?」
安らかに瞳を閉ざしている彼女をこうして見るだけではどうなのかは分からないが、装置についているディスプレイにテレビ等で見る波形が映し出されているのを確認した。
「……波打ってるってことは」
ダメな時はピーと音を立てて横一直線になるというのだけは理解している。
今咲輝の状態を映していると思われる波形は安定して波打っていた。数馬が知る限り、この状態ならは問題ない。
「これどう触ればいいんだ」
ボタンらしき物は見当たらない。であればディスプレイを触っていくしかないのだが、如何せん専門的な機械過ぎて何も知らずに触っていいのか怪しい物だった。
数馬は取扱説明書は読まないタイプの人間ではあるが、さすがに人命が掛かってるとその限りではないのだ。
「画面を触って……」
だからといって悠長にしていられず、ディスプレイをタップしてみる。
ピッと音がして画面が切り替わって、ゲームのメニュー画面の様な一覧が現れた。
「これか?」
目に入ったのは「終了」のボタン。なんだかよく分からないが終われば解放してもらえるかもしれない。めちゃくちゃ浅はかな考えで取り敢えずそのボタンをタップした。
直後、装置からガシャッという音が聞こえた。どうやら当たりの様だ。
装置のガラス部分がスライドして行く。そしてそれは咲輝の体が解放されたという事。
「咲輝っ!」
解放され、重力のままに前方に傾いて倒れていく咲輝を真正面から抱いて受け止める。
「大丈夫……そう、だな」
仰向けにさせて自分の膝に咲輝の頭を乗せ、首元に手を当て脈を測る。それをするまでもなく、心地良さそうな寝息が聞こえてきてはいるのだが、念の為というやつだ。
「……ともかくよかった。黒鎌帝の姿は無いし……それに、この部屋で何かあったみたいだけど」
荒れ放題な部屋を見渡し観察する。元々は綺麗に片付いていたのであろうが、辺りには本やら絵画やら様々な物がほとんど破壊された状態で散らばっている。むしろ、なぜ咲輝の入っていた装置だけが無事なのかがよく分からない。
「……っていうか、この装置は心臓を移植するためのものだよな……帝は咲輝の心臓を持っていたのに、なんで咲輝が無事な…………まさかっ!」
ある可能性に行き着いて、咲輝の緑色の手術着に手をかける。予想が正しければ、咲輝には──
「っ……んん……?」
と、手術着をズラして左胸を確認しようとしたタイミングで咲輝の目が開かれた。
「…………………………あ」
「………………」
冷静に考え直す。いくら「咲輝の心臓が普通の人間の物に移植されたのか確認しようとしていた」という大義名分があったとしてもだ。今数馬がやっている事は本人以外から見れば「手術着を来て寝ている女の子の胸を触ろうとしていた」様にしか見えない訳であって、まぁつまり。
「っやあああああああああああああああああああ!!」
「ごぶっ!?」
咲輝にぶん殴られても文句は言えないわけである。
「か、か、かかか数馬様!?」
「ごめ……ん」
思い切りを顔面をグーで殴られた数馬は、咲輝に膝枕したまま、後ろに倒れ込んだ。なんとも締まらない構図である。
「え、ええっと、どういう……」
「いや、待って。まず順に状況を確認したいんだ、俺も」
本当に数馬の考えている通りなら、黒鎌帝がどうなったのか。というより、彼の本当の目的は、自分の思っていた事と全く違う物になる。
「俺、このまま倒れて上向いてるからさ、咲輝は自分の心臓を見てみてくれよ」
「私の心臓、ですか……」
少々困惑気味に咲輝は自分の左胸に手を当てる。
「これは……心臓が動いています!どうして……いつもはこんな……」
「やっぱりか」
ドクンドクンとリズムを刻む自分の左胸に、咲輝は戸惑いを隠せない。宝石の心臓に鼓動はなかった。この左胸の鼓動は咲輝にとって初めての感覚だった。
「帝は……咲輝の心臓と自分の心臓を交換したんだ」
「……」
数馬は咲輝の生存で確信を持った自分の想像を彼女に伝えていく。
「冷静に考えれば、咲輝から力を借りるなら今じゃなくていい。もっと前にだってできたはずだ。このタイミングで行った理由は、咲輝の体に合う心臓を作っていたからじゃないか?」
「……私に合う、心臓……」
そうだとすれば、一つ前の部屋にあったビーカーに入った臓器の数々に納得が行く。あそこで咲輝の体に拒絶反応を起こさない心臓を作り、そしてそれができたから今回の件を始めた。
「今、帝の姿はどこにもないからそうだって断言できないけど、多分そうなんじゃないかな」
「そうでしたか……でも、そうしたらあの方はどこに」
「……分からね」
「数馬様が帝様を打ち倒し、私を助けてくださったのではないのですか?」
「いや、俺は負けちまったんだ。帝の足元にも及ばなかった」
数馬はあの帝との戦いを振り返る。一矢報いはしたが、それだってまぐれのようなものだ。帝の力と想いに為す術もなかった。
「気を失って、目が覚めたのがついさっき。その時にはもう帝は居なかったよ」
「では帝様は本懐を成し遂げに行かれたのかもしれませんね」
「そうだといいけど……」
少し嬉しそうな表情の咲輝に釘を刺すように、数馬は言葉を繋げていく。
「……意識を失う前にさ、声が聞こえたんだ」
「声、ですか。ここに数馬様の他に、誰かが?」
「あぁ。終わりだって、確かに言ってた」
あの時はもう視界が利かないほどにダメージを受けていた。その声の主の顔は見えなかった。その時はいっぱいいっぱいで気が付かなかったが、今冷静に思い返してみればあの声の主には思い当たる節があった。
「……多分、その誰かが、帝が言ってたこの新世界の闇の頂点ってやつだと思う」
「では、帝様は……」
「そう決めつけるには早いさ。外に出てみればわかるハズだ。……ただ」
「どうかされましたか?」
言葉を詰まらせた数馬の顔を、咲輝が覗き込む。手術着はきちんと整えられてはいるが、それでも素肌に一枚しか着ていないのだからかなり危うい格好だった。
しかし、数馬はそれを眼福だと思う気力すら湧かず。
「……ちょっと体動かねえや」
咲輝の無事を確認できて安心できたのか、体に力が入らなかった。冷たい床が心地良く、身に染みる。
「動かないって……大丈夫ですか!?」
「大丈夫、ちょっとだけ休ませてくれ」
言ってゆっくり目を閉じて、ただ意識は残したまま、心地良さに身を委ねがら思考していく。
それは、あの誰か分からない声の主の事だ。
「(あの声は……アイツは、父さんと母さんを手に掛けた奴と同じ声……そんでもって……)」
一番新しい記憶を引っ張り出す。はっきりと一度だけ、顔を見て声を聞いたタイミングがある。
「(あのデパート襲撃事件で、根本さんと七尾さんと一緒に居たやつ。もし同一人物だとするなら。新世界の闇の頂点は思っていたより近くに居るんだな)」
聞きに行くしかないなと覚悟を決めた。幸いなことに手掛かりの一人はクラスメイトだ。帝に打ち倒されていたら、もう探る必要なんてないのかもしれないが、そう楽観視できない。
この部屋は多分、帝が絶対に守りたかった部屋のはずだ。その部屋がこうも荒れているのを見れば、もうそれはそのまま答えになってしまう。
「……よいしょっと」
思考の隙間でそんな咲輝の声が聞こえた。ただ気にかける余裕はない。
もし、根本愛菜や七尾真衣──今は七尾優衣ではあるが、彼女達にその彼の事を聞いて、もし会えたとして、帝にまるで歯が立たなかった自分が、帝を打ち倒した相手とまともに戦えるかどうか。
少し恐怖も湧いてくる。帝も上位術師と比にならないほどに強かった。極術師と同じくらい無茶苦茶で、強さの次元がズレていた。同じ人間という生物だとは到底思えない強さだった。
それより強い存在が居たとして、恐怖しないという方が無理な話だ。
「……って、あれ」
気が付けば、頭に何か暖かい感覚があった。
「置き心地はどうですか?」
「えっ、いや、なにしてるんだよ」
驚いて目を開けた。
「膝枕という物だと思います。先程まで数馬様にやって頂いたのと同じ。数馬様に助けていただいたのです、これくらいは」
そう言って、咲輝は優しく微笑んでいた。しかし、数馬は素直にその笑みを受け取れる気にはなれなかった。
「……俺は結局帝に負けちまったんだ。だから、俺は咲輝を助けられなかったんだよ。俺に、そんな資格はないさ」
帝に元々その気がなかったから今回は良かったものの、もし咲輝を殺して心臓を奪い取っていたとしたら、間に合ってすらいなかった。そう、助けられていなかった。
それに今だって帝が居ないからここまで来れたのだ。そして今の自分に帝を退ける力はなかった。
「そんなに卑下しないでください。あなた様がここまで来てくださった。この現実、その物に意味があります。命だって失う可能性があったのに、自己を省みず私を助けに来てくださった」
だが咲輝にとっては、ただそれだけで十分だった。「宝姫」というだけで腫れ物扱いされるというのに、それを知っていても尚普通の人間として接してくれた。それどころか命を懸けて助けに来てくれる。
もうそれだけで咲輝にとっては尽くしたい相手になり得る。膝を差し出すくらい、なんてことはない。
「数馬様が自分を卑下していては、それだけで堪らなく嬉しい私が馬鹿みたいではありませんか」
心を救われ、こんなにも暖かい気持ちを与えてくれた。きっとこの気持ちは──けれど一旦胸にしまい、笑顔で隠す。
「……そっか、嬉しく思ってくれるか……じゃ、それでいいかな」
「はい、それでいいのです」
言葉を交わし終えれば、直ぐに数馬から寝息が聞こえてきた。黒鎌帝が事を成しえたのか、確認するのはもう少し後になりそうだった。だが咲輝に不満はない。自分を救ってくれた者をこの場に放りだすことなんてできやしない。
それはきっと、帝も分かってくれる。
「私は、薄情者なのでしょうか……」
ふとそんな疑問が浮かんできたが、それでもやっぱり膝の上の数馬を退ける気にはならないのだった。
「ここは、あの廃園か」
帝を食らってから通路をひたすら進んでいたら、この前帝と咲輝と数馬の三人が会話をしていた廃園の劇場内部に辿り着いた。途中にはレールとトロッコの様な物があったが、亮にそんなものは必要ない。レールを敷くほどの距離があるならばと地を蹴って高速で飛んで行った。
『他にも隠されていた通路がいくつかあったようじゃの』
『隠されているのは当たり前として、なんでここだけこんな…………あぁ、そういうことかよ』
微かに。ほんの微かな、残り香の様な神聖を感じ取って、ある程度は察した。
『主』
『ン、早いところ行っちまおう』
少々腹立たしいが、今ここでイライラしても変わりはしないし、彼女が彼に期待している事実に揺るぎはない。感情はいつもの様に押し殺し、歩いて劇場の控え室から舞台の観客席まで行き、そこで体内から携帯電話を取り出した。
一応この件も仕事だ。であれば仕事終わりには報告の義務がある。迷わずにナナシ──ではなく、今回の依頼者である王へと直接電話かけた。いつぞや彼から掛けられたプライベートの方の電話だ。
『もっしぃ~!』
「うぜえよ」
通話が開始されてからのやりとりはいつも通りだった。およそ自分の父の死を聞く者の態度ではない。
「仕事は無事に終わった。黒鎌帝はもうこの世に居ない」
隠していても仕方ないので、端的に事実だけ伝える。
『相変わらず仕事が早いことで』
「そうでもない、今回は移動時間より戦ってる時間の方が長かった」
『通勤時間と勤務時間を比較すんなよ税金泥棒って呼ぶぞ』
呆れた様な声を聞きつつ、さっさと帝の遺言でも伝えてやるかと思い、口を開く。
「王として輝くお前の姿を見たかった。帝の遺言だ、伝えたからな」
『……おうさ』
流石に先程までのテンションはなりを潜めている。敬愛していた父の死を誤魔化しきれるほど、まだ大人に──いや、冷酷にはなり切れないらしい。
「一応、お前の知らない部分の顛末を話そう。帝は、宝姫咲輝のために動いていた」
『……っ』
電話口から呻くような声が漏れていた。けれども気にせず言葉を続ける。
「シェイカーと何かしていたのは知ってると思うが、奴らは自分と咲輝の体の合う心臓を作ってた」
『んだよそれ。全く違うDNAを持ってる者二人に合う心臓なんて……』
「普通は無理だ。だからシェイカーの頭を借りた。アバターに取り憑かれた研究者の頭をな」
シェイカー博士がアバターで宮里由紀のクローン、宮里由美を作った事から分かるように、シェイカーは最もこの新世界でアバターの使い方を知った者だ。
もっとも、そのクローンに殺されるというヘボな研究者でもあるが。
「アバターの一部を流用して、宝姫咲輝か黒鎌帝のどっちかの細胞に触れればそれに同化したDNAを持つ心臓を目指し、自分の死を偽装してひたすらにそれを研究し、見事完成して今回の騒動に至ったわけだ。全ては、宝姫咲輝を宝姫の呪いから解き放つため。そしてなにより」
これは帝を食らって分かったことだが、帝の第一目標は違っていた。言葉にはしなかった本当の目的。帝を食らい、彼の心の奥底にあった強い願い。
腹の底にため続けていた、けれど自分では気が付かないようにしていた本当の想い。
「宝姫の名を宝姫咲輝に捨てさせ、それから王の役割をお前に捨てさせ、もう一度、三人で笑い合うため」
言葉にすれば些細な願いだった。けれど帝が何よりも成し遂げたかった思いだ。
「三人で、もう一度遊園地にでも行きたかった」
『やめろてめえが知った口きくんじゃねえ!!』
王の、黒鎌正義の怒声がスピーカーから響く。
『てめえに何が分かる。その未来を奪ったてめえにッ!!』
「黒鎌帝の全てだ」
『んだと!?』
こうなるのは目に見えていたが、この際亮も彼に言いたいことがあった。もちろんそれは帝にも通じることではあるが、まぁ伝えてしまおうと、柄にもなく小さい王へと告げていく。
「黒鎌帝を食らった俺は帝の思いの全てを奪った。だからこそ言える訳だが、三人で笑い合うって、こんな手順が必要なのか?」
『……あ?』
「王の役割を捨てるとか、宝姫の名を捨てるとか、そんな大層な事しなくちゃダメなのか?お前もお前だ、始める前に、俺が提案した様に帝の顔でも変えて生活させるんじゃダメなのか?」
亮には分からなかった。なぜ、彼らは自分の願いのためにプライドを捨てられないのだろうと。
「なんで中間が取れない。王でも、呪われててもいいじゃねえか。大切な人と一緒に居るのに、一緒に居たいっていう想い以外要らねえだろ。くだらない大義名分なんか捨てりゃいいのによ」
『……それは……』
王という立場が邪魔するのだろう。咲輝のためとは言え、世間を混乱させ、正義のためとは言え、安定装置を破壊しようとした帝を「王」は許せないのだろう。
だがそうだったとしても、黒鎌正義として、黒鎌帝を許すことは出来るはずだ。
「まぁ、済んだことだからもういいけどよ」
『っ……ぁ……』
ただもう遅い。先にこれを言わなかったのもあれだが、そこまで面倒見るつもりもない。別に、亮にとっては関係の無い話だ。
「ンじゃ切るぞ。ナナシにも連絡しないといけないからな」
『……』
返答はないが、どうせ泣いてるのは分かるので返事は待たずに切る。
どうか今回の件でもう彼が迷うこと無く「王」として優秀になってくれることを祈るばかりだ。恐らく、これから彼は悩んだ挙句、「王として父親を殺した。もう戻れない、だから自分は王道を全うしよう」辺りの結論に着地するだろう。
そうなったとて、自分の仕事はいつもと変わらないので関係ない。
次はナナシへと電話を掛ける。
『私だ』
「俺だ。終わったぞ、次はどうすればいい」
事務的に会話を始める。個人的にはさっさと愛菜の元へ戻りたいのだが、ナナシがどういう判断を下すかはまだ分からない。
『こちらもつい先程、結界の設置を終えたところだ。今は明日からは領土拡大に向けて休息の時間になっている。好きにしてもらって構わない』
「そうか。なら早々に戻る。愛菜は?」
『心配はない』
「ならよかった」
愛菜はまだ弱い。万が一の心配が今も残ってはいるが、まだ大丈夫そうだ。
『宝姫咲輝はどうした?』
「鈴木数馬があの場にいた。今頃起きて二人一緒に居るだろ」
『なるほど……しかし、本当によく下位術師が自力であそこに侵入し、生きていられる物だ』
「自力かどうかは怪しいところではあるがな」
あの控え室に漂っていた「神聖」から見るに、神の介入があったのは確かだ。だとすれば、あのトロッコも含めそもそもあそこに入口があったのかどうかさえ怪しい。神の手が加わったとするなら、「最初は通路なんてなかったけど最初からあった」という意味不明な事にもなりえるのだから。
『まぁ、彼女が無事であるならそれでいい』
「なんだ、そんなに
『……黒鎌帝を食らい、知ったか』
「そうだ。奴は安定装置を壊してロンギヌスの槍とやらの起動キーになってるお前もついでに助けられる。そういう望みも持っていた」
何とも素敵な話だ。帝は自分の行いで救われない知人達を片っ端から救おうとしていた。
『おせっかいな王だ』
「違いない」
しかし、ナナシにとってもそれは要らぬ世話だったようだ。
『……して、新世界の魔人はどうだった?』
「なりたての魔人じゃ俺の相手にはならない。まぁ、マグナスよりかは強そうだったがな」
宝姫の心臓のおかげか、単純に魔力で言えば新世界で亮が見てきた者の中ではトップ。新世界最強の称号を持つには相応しい力だろう。それでも力を使いこなせては居なかったが。
『魔人の食らう力。それは君と同じ物だったのでは?』
「なわけないだろ。魔力でしかない俺と、人の形を持った帝。違い過ぎる。宝姫の心臓は血液さえ流れれば確かに無限の魔力の様だが、それだけだ。蛇口捻って永遠に水が流れ続けるとしても、所詮は蛇口の口からしか水は流れない」
濃度とか質とか、そういう違いは大きい。蛇口から永遠に水を流し続ければ皿にこびりついた汚れもいずれかは流れるかもしれないが、だったら限られた水でももっと水圧を強めた方が流れる。
『質か……』
「長い時間をかけて、何万以上の人と何百万以上の魔物を食らった俺に魔力で並ぶなら、最低でもあの心臓を弄って魔力の質を高めさせる細工を作り、永遠に魔力の濃度を上げさせ続ける。そうすればいい勝負できるだろ」
最も、魔力で並んだところで「神術」で攻撃されればあまり意味は無いのだが。
亮の解説を聞き、なるほどなと納得したナナシは、次の質問を始めた。
『彼は……黒鎌帝は主人公だったか?』
それはナナシには珍しい、あまりにも抽象的な言葉だった。だが意味はわかる。
「いいや、ただの中ボスだ」
だからこそ断言する。彼は主人公ではなかったと。
『人は自分の人生という物語の主人公。彼はお前にそう教わったそうだ』
「言ったな。随分好意的に解釈されていた」
『……本当の心は?』
「自分が物語の主人公ならば、自分以外の者はみな主人公未満な訳だ。第三者からすればサブ、モブキャラにしかならない。そんな世界のためにお前が身を削る必要があるのかと伝えたかった」
随分と僻み精神溢れる解釈だが、これもある種の真実だと亮は知っている。
世界のどこかで誰かが命を落としても、世界のどこかの誰かはそれに気付くことすらない。
彼の偉人は「人類みな兄弟」なんて言ったそうだが、「人類みな他人」というのが的確だ。他人に起こった出来事はどこまで行っても他人事だ。
『報われないな』
「報われたさ、奴は自分の大切な人は助けられた。黒鎌帝の人生に置いての主人公が自分だとしたら、宝姫咲輝を宝姫の呪いから解放し、黒鎌正義に消えない傷を残して、本当の主人公に疑念を植え付けるという物語で完成した。俺の知る限りじゃ中々いい結末だと思うぞ。良くも悪くも何かを成し遂げ残せた。最悪なシナリオは……お前もよく知ってんだろ」
自分の知る限りでは大したことせずに逝く者が大半を占める。ナナシと共通の知り合いの者を匂わせた言葉を投げれば、「あぁ」と頷かれる。
その彼女と比較すれば、帝は随分脚本に恵まれているわけだ。
『笹塚未菜は……いや……それで貴様は戻って来るのか?』
途中で止めはしたが、二代目深淵、笹塚未菜の「何も成し遂げられなかった」人生に、ナナシも思うところはあるのだろう。
「あぁ、直ぐに戻る。切るぞ」
そろそろ言いたいことも言い切ったので通話を終える。さっさと劇場を抜けて表に出るなり姿を透明にさせ、地を蹴ってブルー地区の基地へと飛んだ。
『ナナシの長寿の秘密が宝姫の呪いだったとはの』
移動中に八代が体内でそう語り始めた。
『何かタネがあるのは間違いなかった。それに大したことじゃないだろ』
帝の記憶にも完全な詳細はないが、なんてことはない。この新世界で多々ある犠牲者の一人というだけだ。
『……事故にあった子供の体に手を加え、運良く不老不死の体になることが大したことではないと……まぁ、なんか良くありそうな事じゃの』
恐らく微かに残った自分の中の良心と共鳴してこんなこと言い出したのだろうが、冷静に言葉にしてみればそうでも無いことに八代も気付く。
王の目の届かない所で時々行われる、こういう非人道的行為は新世界では良くあることだ。特に安定装置が起動していなかった時代には多くの闇を抱えていた。だからこそ笹塚未菜の様な者が居たのだ。
ただ今もナナシや自分という存在が必要とされている事を考えると、あまり昔と変わっていない様な気もするが。
『詳しいことは本人に聞かないと分からないだろうが、俺はあまり興味無い』
『……上手くいけば、黒いのが不老不死になるとしても、か?』
八代の言葉が存在しない脳裏に響く。八代は亮だ、彼女の言わんとしてる事はわかるし、それを考えもした。
『確かに不老不死は幸せな事ではなかろう。じゃが、黒いのが不老不死になれば、主は一人にはならなくて済む』
八代の言う通り、愛菜は死ぬ。どんなに脅威から守ろうと、DNAに刻み込まれた最後の瞬間を間違いなく迎える。それは人として生きている限り避けられない運命で、この世の理に定められた末路。
けれどそれを覆す方法はいくつもある。魔人化然り、ナナシの不老不死も同様だ。
ただ、そう分かっていても、亮は切り出せない。
『さっき主も王へ言っとったじゃろ。大切な人と一緒に居るのに、プライドは捨てられんのか』
『……』
邪魔しているのは笹塚未菜の最後の願いだ。愛菜を人として、普通に生活させてやりたい。その願いだけがどうにも心の中に引っかかる。
『……まぁ、こんな自問自答にも意味は無いがの。主にも答えが出せぬという事は妾にも答えが出せぬという事じゃ』
八代の言う通り、彼女に何を言われようと答えなんてでない。これは自問自答だから。
『プライドか……』
自分の心に引っかかる何かが、そんなご大層な物なのかは分からない。ただ愛菜が自分らと同じく、永遠に生き続ける存在になったとして、それを喜べない理由はプライドではない気がする。
『…………まぁ、暇な時に聞いてみるか』
さすがに無断で人を不老不死にする訳にもいかない。どうせ聞いたとしても「亮とずっと一緒にいられるならなるー!」みたいな回答が返ってくるのは目に見えているが、もう少し腹を割って話してみれば違う意見も出てくるだろう。
最終的にはそれだって本人が生きていないと聞けないことなので、取り敢えずもう一度空を蹴って飛ばして加速し、ブルー地区の軍事基地へと急ぐのだった。
旧世界では結界の設置を終え、軍も極術師達も各々で休息の時間を満喫していた。
そんじょそこらのスーパーマーケットよりかは大きい外界拠点ではあるが、流石に娯楽施設などは有していない。それに、旧世界という魔物が蔓延る場所ではそういう気も起きない。
給仕班の作った「海軍カレー」なる物を昼食として摂り、愛菜は女性用に割り当てられた和室で壁に背を預け、亮から託されたロケットペンダントを弄んでいた。
「……んー」
悩みがあるわけではないが、声が漏れた。とりあえず暇だった。
「それは贈り物?」
そんな愛菜を察してか、真ん中の座椅子に腰を掛け、テーブルのポットに備え付けのお茶を注ぎ終わった宮里由紀が質問する。
「預かり物、と言ったところです」
いつもの様に、他人行儀に返事をする。基本的に愛菜は他者には敬語を使う。それを外して騒ぐのは、家族と呼べる者に対してのみだ。
もちろんこれは他者に敬意を払っているとか、そんなご大層な理由じゃない。
単なる仕切りだ。自分のことを知らず、何より彼の事を知らない有象無象に対しては何の感慨も浮かばない。ならばわざわざ自分の言葉に感情を込めて伝える必要が無い。だから機械的に、「敬語」という誰に対しても角の立たない便利な表現を用いている。こうすれば誰も文句は言わず、好意的にも取らない。誰も関わってこないで済むから、楽。
「預かり物にしては熱心に見てるわね」
「そうでしょうか?」
彼が、亮が大切にしている物に全く興味が無いと言えば嘘になるが、だからと言ってコレに思うところはない。
コレは自分なんかが介入していい物じゃないと分かっているからだ。あの亮が大切と言うならば、「神」が、彼の何より大切な人が関わっていると断言出来る。ならば自分に関わる意味は無いと心の底からそう思っている。亮の過去への想いに自分が介入する隙は全くないから。
「えぇ。そんなに意味ありげな顔の根本さんを見るの、初めてよ」
「……」
「学校で時々あなたを見かけるけど、いっつもつまんなそうな顔してるもの」
由紀にそう言われ、ちょっと苦い顔になる。そこまで露骨に出てしまっていたかと。
「……そう言う由紀さんこそ、なんだか思い詰めてそうですけど」
「っ……」
反撃に出てみる。出発式で既に違和感というか、なんだかイライラした様子だった。その後の潜水艦の中で「ディザスター」について聞かれた時点で察したが、どうにもそれだけには留まらない気がした。
「なんの事かしらね」
「……気のせいでしたか」
まぁ別に深く聞きたいわけではない。たかだか同じ学校で、同じ極術師という枠に居るだけの間柄だ。
「……そうね……ねぇ、根本さんなら、どうしようもない理不尽にあった時、どうする?」
しかし何を勘違いしたのか由紀はそんな質問を投げ掛けてきた。しかも質問の意図も良く分からない。ただ単純に考えればディザスター、魔人亮についてどうすると尋ねられている様に聞こえるが──しかし変な事言って関係について勘づかれても面倒なので、ありのまま、自分の思ったままに答える。
「逃げます」
「……?」
意味が分からなさそうに。由紀は首を傾げた。
「理不尽……要は自分の力じゃどうにもできないってことですよね。なら逃げます。自分には関係ないと放り投げます」
「そんな無責任な……」
「いいじゃないですか。自分じゃどうにもできないなら、目を逸らして逃げたって。自分が困らないならそれで。もし赤の他人が困る事になっても、私には関係ないですから」
「ぁ……」
あまりにも無責任な、自分本意で利己的な愛菜の回答に由紀は慄く。
「ただ自分に取って本当に大切な人が困るとしたら……他の事がどうなっても構いません。無謀だろうがなんだろうが立ち向かいます。だって、大切な人が困るなら、それは私が困るって事ですから」
それは、他人のためと称した自分のための行動原理だった。そしてそれを恥じることなく愛菜は語る。余りにも極端な線引きに由紀は言葉を失う。愛菜はどこまで行っても自分のためにしか生きていない。
「これじゃダメですかね?」
ダメだと、由紀は口にできなかった。だけどもちろん肯定なんてできない。
ただ愛菜の回答を聞いて、自分の中に選択肢ができあがってしまった。その事に、由紀はどうしようもない、胸糞の悪さを感じた。
「……逃げる……」
ポツリと呟いた。それは、どうしようもないあの存在から、宮里由美という妹を取り返すことを諦めることと同義。常に自分に味方してくれる存在が居ない事を、由紀は知っている。鈴木数馬に素通りされたあの時に思い知った。
自分じゃない誰かのために奔走する彼を見て悟った。
一人で立ち向かえない壁があって、自分を支えてくれる者が居ないのなら、諦めてもいいのではないか?
そう思ってしまう自分が嫌になる。この心に渦巻く、冷たくドロドロとした気持ちの悪い感覚に、とても気分が悪くなる。
そして、この感覚を自分は知っている。昨日の朝、相対したあのどうしようもない存在から感じた感覚だ。
「……宮里さん?」
心配そうに自分の顔を覗き込んでくる、自分と同じ極術師の女の子。
「根本さんは……」
入学式だったか。確か、目の前の少女を見た時にも、何故かこの感覚を感じた。ふと思い出すと、目の前のこの少女と、どうしようもないあの存在がダブって見えた。
だからか、突拍子もない言葉が出てきた。
「ディザスター?」
「……………………は?」
まぁそんな訳もなく、マジで何言ってんだお前と言わんばかりの顔をされた。
「へ、変な事言ったわ、ごめんなさい」
「びっくりしました」
苦笑いを浮かべる愛菜だったが、内心では「っぶねええええ焦ったあああああああっ!!」とパニック状態。文脈的には正解だったりするから心臓に悪い。
王にも指摘されたが、やはりこの格好が悪かったのかと不安になる。
「……正直、根本さんの考え方には全面的に賛成はできないけれど、ありがとう。とっても参考になったわ」
「それなら良かったです?」
尋常なく身勝手な言葉を綴らせたと自覚はあるのだが、まさかそれが参考になったと言われると思っていなかった。
愛菜は由紀の気持ちを考えたことは無いし、何より彼女はあの鈴木数馬に恋心を寄せる者として「諦める」という選択肢を持たない人種だと思っていたからだ。
たとえ何があろうと自分の心に決めたものを曲げない、そういう人外タイプだったはずではと。
「あ、そうだ、ねえ根本さん。一緒にお風呂行かない?」
「大浴場がありましたっけ」
「えぇ、前回外界遠征に来た時に入ったのだけれど、すごい大きいところだったわ。相談に乗ってくれたお礼に背中くらい流させてよ」
「嫌です」
「え……」
簡潔に拒否され、由紀にショックが走った。
「な、なんでよ」
「だって……同性だからってお風呂は一緒に入るものですか?」
「そういわれると……」
まだ仲が良く無いから、みたいな雰囲気を作ってやんわりと断る。実際の理由は体を見られて色々詮索されるのが面倒だからだ。亮に手を加えられ、「MA70E」だった頃よりかは綺麗になっているが、深淵のクローンとして未完成な自分は完全に再生しきらない部分がある。背中には明らかな凹みがあったりする。そういうのでやり取りが発生するのが面倒くさい。
「まぁそういうことで、また何かの機会に」
と、会話をぶった切ろうとしたその時、部屋の外からドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえた。やがてその足音は部屋の前で止まり、間髪開けずにバタンと扉が乱暴に開かれた。
「二人とも!大変だよ!!う、海にっ!」
駆け込んできたのはドリフターこと久坂陽吾だった。どこから走ってきたのか肩で息をしていた。上手く言葉を紡げそうにない陽吾を見かねたのか、由紀は座椅子から立ち上がって陽吾の元に駆け寄った。
「落ち着きなさい!ほら、深呼吸して」
背中を撫でながらそう言って落ち着かせる由紀。
「すー……ふーっ……ありがとう宮里さん」
「どういたしまして。それで、どうしたの?」
陽吾が落ち着いたのを見て、続きを促す。
「海に、すっごく大きい魔物が出たんだ」
軽い沈黙がその場を支配した。そりゃ陸にあれだけの魔物が居たら海にだっているだろう。しかし、現状それほど慌てる材料が見当たらない。この拠点がピンチという訳でもなさそうだ。
「あ、潜水艦」
ボソッと愛菜が呟いた。
「そうっ!!潜水艦が危ないんだよ!」
旧世界と新世界を繋ぐ唯一の乗り物が潜水艦。確かにそれが破壊されると新世界に戻れなくなる。破壊されても新世界から別のを持ってこさせればいいのだが、巨大な魔物が海に居るとなればそう簡単にはいかない。
「今他の二人が食い止めてくれてるから、二人とも手伝って!」
「もちろんよ!行きましょ、根本さん」
「はいです」
もうちょっと休ませて欲しいものだと思いながらも、愛菜は立ち上がって二人に続く。
「(マグナスさんとかが居て足止めって事は、結構な魔物って事だもんね。がんばったら、亮、褒めてくれるかな)」
歩を進めながらふとそんな事を考えていた。さっきの話ではないが、そう思ったら、少しはやる気も出て来るのだった。
やりたいことができて日常編なんか始まりませんでした。