復讐の火種
時間は戻り、日が沈み始めた頃。外界では極術師達が海の大蛇と戦っていた時間帯。
宮里紀子は夕食を作っていた。何処にでもある平凡な一軒家に、どこの家庭からも聞こえてくる様な包丁でまな板を叩く音が響く。トントントンと刻む音は素早く、一定のリズム。かれこれ二十年近い主婦として積み上げてきた経験の現れだ。
「由紀、大丈夫かしら……」
料理を作っていてもその心配が頭から離れてくれなかった。愛する者を失ってから女手一つで娘を育ててきたのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。
紀子も極術師、絶対零度と呼ばれていた頃に外界遠征は何度も行ってきたからこそ、余計に。
「(……他の極術師も居るのは分かってても、心配ね)」
旧世界の魔物達の生態は未だ不明な点が多い。いくら他の極術師達が共にあるとは言え、生きる死ぬの戦いに慣れていない者達が一緒では少々心許ないのは否めない。
自分も汚れ仕事に従事していた時は、戦いのいろはを教えて貰って──と、あまり思い出したくない記憶に蓋をして、ついでにフライパンにも蓋をする。
由紀が外界遠征で家にいない今、わざわざ料理を作る必要も無いのだが、主婦としてのルーティンが身に染み付いているのか作らないと落ち着かない。
『ただいま入った情報です。レッド地区東部の、第二駅と第三駅を繋ぐ線路で爆発がありました。この爆発で──』
「物騒ね……極術師達の不在を狙ったテロか何かかしら。けれどなぜ線路だけを……タイミングさえ合えばレッドヒルズに……はぁ……これは悪い癖ね」
テレビから入ってきたニュースに対してついつい考察してしまう。一応、表に出せない犯罪者達を数多く見て、闇に葬ってきた身。とっくに引退してはいるが、それでも汚れを察知する能力は消えてはくれなかった。
「(彼に会ったから、かしらね)」
ふと娘の抱えてしまった出来事について思い返す。
由紀が妹だと言って連れ帰った由紀のクローン、宮里由美。人間のクローンの製造が禁止されているこの世界で、その存在は間違いなく認めてはいけないものだった。深淵のクローンであった者の話をいくつか聞いていたから、尚のことそう思う。
あの彼ですら心を痛めていたのだから、心の優しい由紀にはきっと耐えられない。初めはそう思っていた。
ただ、それでも。
『きっと何か良くないことが起こるのは分かってる。でも、それでももうほっとけないから』
『由紀の事が心配なのは分かります。ですけど、由美は由紀と戦っている時、本当に楽しそうな顔をしていました……多分、寂しいんだと思います。だったら俺達が傍に居てやらないと。きっと彼女は独りぼっちになっちまう』
二人の真剣な眼差しに気圧されてしまった。そして、この二人ならば、自分も飲まれてしまったこの新世界の闇からクローンを引き上げられるかもしれないと思ってしまった。だから。
『もう会わないといいな』
最後に、それは思い込みだったと、彼に現実を突き付けられる。
昔と何一つ変わらない、この世の全てに無関心な顔で霧の様に消えていった。
最初に二人に説得を受けた時、もっと彼の存在を思い出していればよかったのだろうか。いや、思い出した結果がコレだ。
『想いは力になる。お前が成し遂げたいと強く想って諦めないのなら、奇跡でも起きるだろうさ』
あの人を愛した時、助けたいと思った時。彼が背中を押してくれた。それは彼の優しさなんだと思っていた。
だが、今になってわかる。
彼は公平なだけなのだ。誰に対しても彼は期待している。強い想いが奇跡を起こす物なんだと。だからたとえどんなに強い想いを持ってしても、彼はそれを摘み取る。
想いがどれだけ強く、儚く、尊く、切実であったとしても。
何故ならそれは、自分にとっては食らうべき対象であり、他の事は何の関係もないから。
「……って、やだ、由紀の分まで……」
そこでフライパンの中身に気を奪われた。ハンバーグが二つ焼かれてしまっている。
これもいつもの癖という奴かと溜息をつきながら、もう一つのハンバーグは冷凍庫行きかと考えて──
──ッ!!
と、頭が認識しない程度には大きい音がして、視界が赤く燃え上がった。
「ニィィッヒヒヒッ、いーっ音だねぇ!」
元の原型を消し去り、瓦礫と木材の山となった家の前で子供のように無邪気で、けれど気味の悪い笑い声がした。声の主は白髪ツインテールの少女。見た目は可憐な少女だが、下卑た笑い声と醜く顔を歪めて笑う様が台無しにしている。
夕食時には少し早いが、それでも遅くない時間に家丸々ひとつ瓦礫の山に変えた爆発を前に、そんなことを言える奴は間違いなく犯人かその関係者。
「我ながら会心のデキって奴だぜ!」
ついでもう一人、ガタイのデカい男が手元の携帯電話を軽く投げては持ってを繰り返して、空いてる手でガッツポーズを決めている。
「……」
そして最後に一人、中背中肉の、黒い前髪を左に流して左目を隠した男が黙って燃え上がる瓦礫の山を眺めていた。
彼等は全員、黒いコートを羽織っていた。みな一様に真っ黒で、腰の辺りまで裾がある。街中を歩っていればただの怪しい集団だが、家一つ全焼なんて悪事をやっているのだから怪しいでは済まない。
「前哨戦にしちゃ派手すぎましたかねぇ?」
大柄な男が左目を隠した男にそう尋ねた。
「構わん。元でも絶対零度だ。……それにまだ終わっちゃいない」
「ニィ……ボスの言う通りィ、高圧の魔力反応ありィ」
ツインテールの少女が右腕にベルトで固定した小さな端末を確認しつつ言う。
小型の液晶ディスプレイには自分達の正面、つまりは瓦礫の山の中に大きな魔力反応がある事を示している。
「備えろ、来るぞ」
目を隠した男がそう忠告した、その直後。
──パリン!
と、何かが砕けるような音がして、まず瓦礫の山が二つに割けた。巨大な氷が中央に現れ、それを中心に瓦礫の山が押し出される。瓦礫を燃やしていた炎も低温と溶けた氷によってある程度消化され、煙も晴れる。
そして、その巨大な氷に身を包んだ紀子が瓦礫の山から出てきた。
「ニヒッ、なぁにあれ。歩くアイスブロック?キモっ」
四角柱の透明な氷の中に紀子が入っていて、彼女が歩を進める度にそれが動いていく。ズシッ、ズシッと地を削って進む氷はまるで戦車か何かのようだ。
「ったくよ、こんだけド派手にフィーバーしてやったのに防ぎやがるたぁノリの悪いヤツだぜ」
「年増だからねェ、仕方ないねェ」
二人でやれやれと首を振りながら、まず大男が動く。
「くらいな!」
コートに隠していた長物の銃を取り出して、標準を定めることなく由紀へ向かって放った。
──バァン!
と、大きな破裂音が響いた。連射ではなく一発だけなのは、この銃がショットガンと呼ばれる類の物だからだ。撃たれてから三つに分散してそれぞれが紀子を包む氷に触れ。
──バババババババッ!
と、何度も爆発した。ネズミ花火が上げる音よりも大きく、間の短い爆発。およそショットガンから撃たれた弾が出す音じゃない。
何度も何度も続いた爆発が、衝撃と熱を持って紀子の氷を砕いて溶かしていく。
その爆発が全て収まる頃には、紀子を覆っていた氷の壁はボロボロになっていた。だが、それでも彼女に戸惑う様子はなく、もう使い物にならないと踏んだのか、氷の箱は中央から左右に分離していく。
「インターフォンが見つからなかった訳じゃなさそうね」
「ギャグセンスもふりィんだよ!」
大男が続けて同じ弾を放った。一つの弾丸が紀子へ飛んでいき、氷を纏っていない紀子に触れ──凍ってから小さな氷に阻まれた。
やった事は単純だ。弾丸を凍らせるとほぼ同時に凍った弾丸の勢いを殺すために氷のクッションを作る。
途轍もない早業で、弾丸の威力を完全に見極めた上での神業。
「ニィ……大体わかったァ」
しかし、それくらいの所業は予想の範囲内だ。今襲撃に来ている彼らは、「化物」だと分かった上で殺しに来ているのだから。
ツインテールの少女が右腕の端末のディスプレイを左手の小指で弾いている。動作からするに何かを入力しているのだろうかと観察しつつ、何にせよそれを放置してはいけないと即座に氷の槍を空中に作る。
生成速度、矢の大きさ、全てが極められた物で、その造形は美にすらなりうる。
「はっ!」
掛け声と共に右手を真っ直ぐ右に伸ばし、掌を大きく開く。直後、生成された槍の真後ろに氷の手が現れた。
「……はぁ、確かに歳ね」
思った以上に小さく、脆さを感じる氷の手に溜息を漏らしながらも攻撃の手を止めない。大きな氷の槍の柄を氷の手が持って放り投げた。
目指すはツインテールの少女。彼女が何をしているのかは分からないが、完成する前に止めようとして──
「おらババア!てめえの相手は俺だぜっ!!」
が、その前に大男がツインテールの少女の前に立ち塞がり、再び銃の引き金を引いた。しかも、今度は引き金を押し込んだまま、指を離さない。
──ダダダダダダッ!!
と、銃声が絶え間なく響いた。
「くっ……」
氷の槍に弾丸が触れ、その弾丸一つ一つが爆発していく。美すら感じられた氷の槍は複数回の爆発によって粉々になった。紀子は思わず顔を顰める。由紀にはこの弾丸に着いて心当たりがあったからだ。
「(確か、彼の偉人達が禁じた兵器の中にクラスター爆弾とか言うのがあったわね。そのあの弾丸はその応用……そして、それを可能にした極術師が、ボマー。その継承者ってわけね)」
紀子自身はボマーに会った事は無いが、かつての極術師であり犯罪者のボマーがそういう手を使ったと聞いている。教えてくれた者は「鬱陶しいだけだった」と適当な感想を漏らしていたが、実際に受けてみたら鬱陶しいなんてレベルじゃない。
人一人を殺害できるほどの火力をもった爆発が複数回も発動するなんて言うのは、鬱陶しいの言葉で片付けられるものじゃない。
「(恐らく、術は弾丸に埋め込まれているはず……なら、銃その物か弾丸を凍らせれば)」
瞬時に術について思考し、適切な対策を導く出せるのはそれなりの場数を踏んだから。世界の裏側での経験は活きているからこそだ。
導き出したなら答えは簡単。直ぐに大男の銃に座標を定めて魔術を発動させ──
「はぁ〜いだぁめ!」
声と共に、白髪ツインテールの少女に拳銃の様な形の物を向けられた。黒いそれは拳銃ほどのサイズではあるが重心部分がやたら大きく、ティッシュ箱くらいの大きさがある。であるにも関わらず、銃口は小さく、大型の弾やらグレネードやらが出てくる様には思えない。
「(っ!?術が!)」
術が発動しない。そればかりか、自分を守っていた冷気が消え失せていた。そしてこの現象を紀子は知っている。上手く魔力が集結せず、だから術も発動しないという現象を。
「(まさかアレが
と、理解した時には。
──バンッ!
と、一発の銃声が響いて、弾丸が紀子の胸元を貫いていた。
「ニイイイイィィィィィィィイエエエエイ!」
銃口を紀子に向けたまま、ツインテールの少女が歓喜の声を上げる。どうやらあの銃は魔力除去装置であり、同時に拳銃でもある様だ。
「ぐっ……」
胸のど真ん中。心臓を撃たれた訳では無いが、苦しさからしてもう、ダメなのが理解できた。
「……」
地に伏せた紀子の前に、何もしていない男が立った。
「やつは何処だ」
「……や……つ……?」
男の疑問に対して、掠れた声で返す。
「十八年前の床下だ。忘れたとは言わせんぞ」
「ぁ……そう……あの時の…………なら、あなた達の狙いは……」
ならば、さっさと本命に当たって砕けて欲しかったなんて思考して、意識が消え始める。
「何処だ!奴はどこにいる!?」
「……知らない……わ」
「……チッ。ならば、沈め」
言って、男が右掌を開いて、紀子へと向けた。直後、その掌から真っ黒い野球ボールほどのサイズの球体が現れる。直ぐにその球体が紀子の体へとゆっくり飛んでいき、触れる。
「……ゆ…………き……」
最後に、そう呟いて、宮里紀子は生命活動を終えた。
「いーち抜けピってヤツだ」
「ニィィッヒヒッ」
上手く戦いを運び、勝利した嬉しさに大男は笑顔で煽って少女は汚い笑いを漏らす。元とはいえ、闇の世界の深淵にいて極術師だった宮里紀子を殺害できたことは、これからの戦いへの大きな自信に繋がった。
「さぁ、復讐の時だ。俺様達を切り捨てたこの世界を嫐り殺すぞ」
それが掛け声となり、この平和な新世界の犠牲者の一部達が動き出した。
彼等は復讐者であり代行者。自分のため、或いは自分達と同じ復讐心を抱える者達の代わりに狼煙をあげた者達だ。
キリよく区切ったら短くなってしもうた……