「ただいま」
由紀との戦闘になっていない戦闘を終えてから、コンビニで必要な物を買って帰ってきた。この家のルールである挨拶をすれば、家の中から「おかえり」の声が聞こえてくる。
靴のままフローリングに足を踏み入れ──る瞬間に靴を体内に取り込んで靴下で踏み抜く。
廊下を歩いてリビングへの扉を開けば、八代、愛菜、優衣の三人は大型のテレビに視線を釘付けにされていた。
「……?」
気になって少しだけテレビを見る。
『現在も犯人は人質を連れて立て篭っています!』
無人機からの映像と共に、アナウンサーの切羽詰まった声がスピーカーから聞こえてくる。
テロップと映像を見る限り、ホワイト地区南側のビルで立て篭り事件が発生しているそうだ。同じホワイト地区でも亮達の住む北側とはかなり距離がある。外で騒ぎになっていないのはそのためだ。
「線路の爆破事件に関係ある人なんだってさ」
「そうか」
一応、何か仕事の関係かもしれないと思って、キッチンに荷物を置き、彼女達から少し離れた位置で観賞する。
小型無人機が飛行しては映しているのはビルの8F。窓側に人質を抱えながら、片手で拳銃を人質の頭部に向けつつ何か話していた。中の様子は今の無人機の角度からは見えない。
「(……あの女の子……)」
人質である、灰色の髪を腰まで伸ばした背の低い女の子が目に止まった、その直後。
『あぁ、良かった生きていてくれた』
と、頭の中の誰かの強い想いが響いた。もちろん、これは亮の想いではない。喰らった誰かの記憶に残っていた想いが溢れ出て心に響いているだけだ。
無人機が撮影している人質だった女の子が堪らなく懐かしい。あれからどうやって過ごしてきたのか。苦労はないか。彼女は偏食だったから今はきちんと食べているのだろうか。きちんと学校に行っているのか。友達はできたのか。お姉ちゃんは元気か。あの子達とも仲良くしてるか。
などなど。想いが止まらない。
「(……チッ)」
その強すぎる想いに、やがて亮を含めた他何十万人もの記憶と想いが希薄になっていく。
会いに行かなくては。
という強い意志の元、勝手に右脚が動き──
だがその瞬間、「亮」の大好きな人の笑顔が浮かんだ。
そして、たったそれだけで「亮」が戻る。一万年近く募った想いが打ち勝つ。
いつか八代はコレを呪いだと形容したが、これが無いとそもそも自我なんて保てないのでどちらかと言うなら「加護」だろう。
おかげで、今回の事件の理由も確信に変わった。
その上で、改めて今回の事件において自分の出る幕の無さを実感する。敵の目的の一つに間違いなく自分の抹殺があると分かっていてもだ。彼等は復讐の対象として自分を狙ってくる。
しかしそれは一部の者達の考えで、大半はきっと──そこまで考えてから夕食の準備に取り掛かろうとキッチンへ足を運んだ時、携帯電話が震えた。仕事用の携帯電話だ、ナナシで間違いないだろう。
「俺だ」
『今夜か明日の夜明け前か、早い内に仕事だ』
先程までの考えはこんなにも早く否定されてしまった。出勤することもないと思っていたが、どうやらそんなことは無いようだ。
「……昼下がりに立て篭りする奴ら相手に出る幕あんのかよ」
『私もそう思っていた。このままテロが続くだけならコーヒーを片手に鑑賞する予定だったが、連中は随分と厄介な物を持っていてな』
つまり今彼女は忙しいのだろう。新世界の闇としての情報網を持ってしてもそれだけ時間をかけて足取りを掴めるような敵を追っているはずだ。
「なんだ、核でも持ってたか」
『それなら表が対処する。敵が持っていた……いや、作っていたのは
またそれかよと思いつつ、最後に強調した部分については亮も気になった。
「小型?なんだ、この前、デパートを襲った連中が持ってた奴か」
『それの改良と取れる。あれは取り付けた位置から数メートル範囲に効果を及ぼすものだった。だが、今回見つかったものはより一層範囲が広くなり、更に範囲が絞れるようだ』
「範囲が絞れる……一方的に敵の魔術を消せるって事か」
これまでの安定装置はただ一定範囲内の魔術を無効化する──実は具体的な理屈は亮も知らない。特殊な磁場を形成して魔力の流れを無茶苦茶する事だけは知っているが──ともかく、その魔力の流れを乱す磁場の範囲を決められるという事だろう。
『あぁ。こんな物が流れれば、極術師の抑止力が機能しなくなるだけじゃない。善良な市民の自己防衛能力を奪う結果に繋がる』
新世界の平和は魔術によって成り立っている点が多い。通り魔なんて言葉が風化している理由の一つに、「人は魔術を使える」という共通認識があるのだ。凶器を持っていたとしても、殺そうとした誰かが魔術で反撃してくるかもしれない。という認識があるため手を出せない。
抑止論なんて人の善性に任せた身勝手な理論で世界の平和は維持されている。
だがもし、一方的に相手の魔術を封殺する術があるとすれば、その理論は瓦解する。
『この装置が存在する事は世間に流せない。よって、我々の……君の出番ということだ』
「わかった。で、誰が作ったんだ?」
『まだ確定ではないが、十中八九、ニーナ・ヴァルバット』
それは知っている人物だった。
「『床下』出身か」
『そうだ』
この新世界の地下区域には、「アンダー・ザ・フロア」、通称「床下」と呼ばれる地区が存在する。ホワイト地区の半分にも満たない面積の地区だ。
そこには家庭環境のせいで良識を身につけられなかった人間だったり、余りにも突出した能力を悪用する人間が生活している。
最も厄介なのは、危険すぎる魔術を身につけて産まれてしまった者。能力的には間違いなく極術師に届くが、活かす方法が存在せず、また人格的にむしろ人に害しかなさない場合にぶち込まれる。
床下からは正しい知識、良識、常識、そして何より正しい心を身につける事で出られる。大規模な更生施設と言っても過言ではない。そう聞けば刑務所の様に聞こえるかもしれないが、治安の悪さはあれど新世界と大して変わらない生活が送れる場所だ。
先程テレビに映ってた人質も床下出身だし、何より、現極術師、リフレクターが床下出身だ。
『彼女と、彼女の妹は天才過ぎた。そしてそれを悪用することに長けてしまったから床下に放り込まれた。その悪性がなりを潜めたから床下から出てきた訳だが……』
「潜めてただけって事だろ」
『……そうだな』
ナナシの事だ、心を痛めているのだろう。こういう馬鹿なことしなければ普通に生きていけたのにと思っているのは間違いない。
なにせ、魔人に依頼されてしまったからには「死」を免れない。彼女は今しがたニーナ・ヴァルバットに死刑宣告を下した。世界平和の名の元に死ねと言ったのだ。
『職務内容は二つ。ニーナ・ヴァルバットの殺害と小型魔力除去装置の製造方法の抹消。彼女の記憶があればこの事件の黒幕も判明するだろうが、それは表の仕事だ。よって記憶は不要。彼女の居場所の特定は現在我々で行っている。判明次第連絡する。いつでも出れるようにしておけ』
「了解だ」
返事をして通話を終え、体の中に携帯電話をしまう。何にせよ居場所が分からないければどうしようもないので、取り敢えず亮は夕食を作り始める。
「……コロッケだな」
冷蔵庫の中身を思い出してから今日の献立を呟いた。半玉になったキャベツをさっさと消化しなければならない。
よって、添え物はキャベツの千切り、通称キャベ千。後は油揚げの入った味噌汁があれば問題はないだろう。そうと決まればまずは米を研いで──
「うわぁあいつまじかよ」
愛菜の嫌そうなリアクションが耳に入った。なに事だとお米を研ぎながら視覚をテレビの前に作る。目が三つある感覚にも慣れてしまっているので問題ない。まぁ問題があるとすればテレビの映像だ。
「(鈴木……数馬)」
無人機が映し出した映像の中に、犯人と対峙して会話する者が一人居た。それが彼、鈴木数馬。彼は建物の中で人質を抱えた犯人と向かい合っている。
「(どうなってんだよ、帝と昨日戦ってボコボコにされたばっかだろ……)」
どうやら彼はまたしても首を突っ込んでいるらしい。一体今回は何の理由でどの女の子のために戦っているのか。知る由もないが、間違いなく一つ言える事がある。
「(……報われないな、宮里由紀は)」
彼が宮里由紀のために戦っている訳では無いという事だ。そもそも彼は宮里由紀が旧世界から戻ってきている事も知らないだろう。戻ったと正式に発表されるのは明日だと愛菜経由で聞いている。
「あるじー、晩御飯なにー?」
もう興味を失ったのか、八代がキッチンに来た。まぁ中継の方も彼がいるなら何とかなるのだろう。どうやるのかは分からないが。なので視界を消して料理に集中する事にした。
「コロッケ」
「厚揚げの?」
「ンだよそのゲテモノ」
ツッコミを入れながら研いだお米を炊飯器にセットしてスタートボタンを押す。その間に八代の隣に優衣が立っていた。
「義兄さん、なにか手伝うことある?」
「いや、無いよ。優衣は寛いでてくれ」
「妾は?」
「邪魔だ失せろ」
「この扱いの差よ……」
亮には自分自身に気を使うなんて器用な真似はできないのだ。
「でも義兄さん、作ってもらってばっかりなのも……私にもキャベツの千切りくらいできるよ!」
「……優衣、俺はかつてそう言った真衣に刃物を握らせたことがあったんだ」
亮は思い出す。確かまだ年齢が二桁にいかないくらいの時の、おかしく不気味で、けれど大切な思い出を。
「真衣が包丁を入れた時、その食材は燃えたんだ」
「えっ?」
あの時の衝撃は今でも忘れられなかった。
「ど、どういう理屈で?」
「いや、俺にもまったく分かんね」
あれはもう料理が苦手とかそう言うレベルじゃない。料理ができないを文字通りいく様な出来事だった。
「というか、白いのにはその記憶はないのかの?」
「う、うん……多分、義兄さんの記憶にしか……」
なんだか引っ掛かる言い方ではあるが、言及するのはやめておくことにした。
「やったの……」
八代も察したようだ。気を使われ、且つ神様としてその力の使い方はどうなんだとどこか遠い目をする優衣。と、直後に優衣の背後から手が伸びて肩にポンと置かれた。
「優衣ちゃんは鈴木さんの活躍でも観てるといいよ。亮のお手伝いは、私がする!!」
愛菜だった。キッチンにやってくるなり、無い胸を張って宣言した。
「もうテレビはいいのか?」
「飽きたっ!」
「そうか」
人質になんか取って立て篭ってても結末なんて一つだ。幾人か犠牲はあれど犯人は捕まる。そもそも限りあるこの世界で逃亡なんて無理だ。バカかよっぽど強力な後ろ盾がなきゃそんなことはできない。
「……ンじゃ、愛菜、手伝え。優衣と八代はいい、好きにしててくれ」
「ぅ……わかった……」
「負けた……」
優衣と八代があからさまにがっかりしているが、愛菜には話すこともあったので、ちょうどいいタイミングだったというだけだ。
「キャベツ出して千切りにしてくれ」
「あいさ〜」
その間に亮は衣を作るために小麦粉やらパン粉やらを取り出して作業準備に掛かる。
「手、動かしながら聞け。渡したロケットペンダント、まだ持ってるよな」
「うん、もちろん。返す?」
キャベツを千切りしつつ、愛菜答えた。トントントンとまな板を叩く音は結構大きいので、声は聞こえにくい。だから二人とも声量は少し大きめだ。
「今回の件が収束するまで預けとく。その代わり、お前、敵と遭遇したら真っ先にロケットに魔力を流せ」
「私でも勝てないんだ」
「勝てるかもしれないし勝てないかもしれない」
向き合ってよろしくお願いしますと挨拶してから始めれば十分勝機はある。だがそんな殺し合いは無いだろう。もし、さっき「亮」に飲まれた誰かの記憶にある奴が今回の黒幕だとしたら尚更だ。
珍しく真面目に自分を心配してくる亮を見て、愛菜も興味が出たらしい。
「……どんな魔術を使われるの?」
尋ねる。知れれば対策のしようはあるだろう。
「黒い球体を放って、触ったら死ぬ」
「わぁ、シンプル」
厳密には理屈が存在しているが、理屈を知ったとしても止められないので簡単に伝えた。
「まぁ、うん、分かった」
「ワンチャンあるじゃんとか思うなよ。俺の迷惑がどうとか、ンなもんどうでもいいから遭遇したら呼べ」
「う……うん……うえへっ……」
頷いた愛菜に、笑みが零れた。
「……」
笑った理由については察せるし興味無いのでさっさと人参、玉ねぎを取り出して空いてるスペースで微塵切りに。
「…………そこは、なんで笑ってるのか聞くところだと思うんだけどなぁ」
「心配してくれるのが嬉しいとかだろ」
「うわぁ、それ自分で言う!?」
相も変わらず、普通にフラグというものを粉々にへし折ってくる亮。もう少し乙女心って言うやつを理解した対応をして欲しいなと思うのだった。
「はぁ……はぁ……つ……疲れた……」
昨日今日、これだけ戦った上に更に全力疾走でマスコミから逃走し振り切った宮里由紀は、流石に肩で息をしていた。元々運動とかはできるタイプではあったが、もはやそういう次元の話ではない。
「(喫茶店で時間潰そ……)」
彼の偉人が「木を隠すなら森の中」と言ったように、人を隠すなら人の中だ。由紀は取り敢えず一通りの多い最寄り駅近くに来た。リニアが全線運休してはいるが人並みは変わらない。それにこの駅近辺にはいくつもの店があって、中には2Fと3Fが喫茶店になっているところがある。そこで座って休憩しつつ、やり過ごし、この後について考えればいい。
そうと決まれば動きは早い。馴染みのあるその店に行き、有人ではなく無人のカウンターの方でアイスコーヒーの真ん中のサイズを注文する。首の方に埋め込まれたメインチップではなく、右手の平に埋め込んだサブチップで支払いを行う。首のチップで支払いする時は、読み取り機を首の裏に持ってきて通さなければならないため、なんと言うか不格好が凄い──という新世界の女性としての感性が働いているためだ。そのためにサブチップを購入する者は多い。
余談だがどっかの極術師は「え、でもそれって腕切り落とされたら損しちゃうじゃん」という理論で購入はしていない。
ともかく支払いを済ませた由紀は次のレーンで店員が出してきたアイスコーヒーを受け取った。夕食前の時間帯ということもあり、満席という事もない。取り敢えず隅っこの席がいいなと探す。どうやら2Fにはないようなので、階段を使って3Fへ。3Fには数人の人しか見当たらなかった。お誂え向きに壁際、階段側の席が空いていたのでそこに腰を降ろす。
それから流れるような動作で壁に備え付けられている二つのボタンの内、白っぽい方のボタンを押す。仕掛けは簡単だ、押せば壁に埋め込まれていたトレイが開いてフレッシュミルクが出てくる。小さな容器に入れられたフレッシュミルクを少しだけアイスコーヒーに入れ、元の位置に戻せば壁が閉まる。
もう見慣れた光景なので、それには目も向けず、ストローでアイスコーヒーをかき混ぜた。カランと音を立てる氷の音に少し落ち着きを取り戻した。
「……ふぅ……」
肩から力を抜いてからストローに口をつけて、アイスコーヒーを飲む。慣れ親しんだ苦味と甘みが安心感をくれた。
「(三十分くらいしたら流石に諦めるでしょ……)」
彼等の粘り強さは尊敬に値するものではあるが、流石にしつこい。確か「絶対零度の特番を組みたい」と言われた時も執拗に追い掛け回された事があった。あの時もしつこいとは思っていたが、今回の件では事が事なだけに、余計にそう思う。
「(……思い出したらイライラしてきたわ。気でも紛らわそ)」
懐から携帯電話を取り出す。特にゲームとかはやらないので、開くのインターネット。特に調べたいものがあるわけではないのだが、気になった単語を調べたりとかしていると、割と面白かったりする。いつもはそうやって時間を潰していた。
だが、ホームページに設定しているサイトのニュースの項目。そこに気になるものがあった。
【生中継】爆破テロの犯行グループの一味、立て篭り犯を確保!
忘れていた……いや、忘れようとしていた。今だけは落ち着いて、リラックスしたい。そう思っていた。
だが、世界がそれを許さなかった。
お前はもう追いかけるしかないんだと言われている気さえした。今ならまだ間に合う。見なかった事にして適当な単語を入力し、スペースを入れてから意味と打ち込めばいい。それだけでいつもの日常戻れる。
「(…………戻れるわけ、ない)」
一度思い出してしまえば、そんなことは自分が許さなかった。
由紀はその生中継を開く。概要欄に記されている事の経緯は取り敢えずすっ飛ばして生中継の映像を見る。もちろん音は消して、字幕表示を設定。
どうやら警察の部隊が突入し犯人を確保した直後だったらしい。映像を見ながら状況は大体把握した。
これを見てしらなきゃいけない事は、犯人の顔、特徴、見覚えのある人物かどうか。一つでも手がかりがあればそれを元に調べていく。そうする事でしかテロリストには辿り着けない。
目を凝らして映像を見る。そして、あるタイミングで由紀の目は見開かれた。
「っ……」
解放された人質と共に建物から出てきた、鈴木数馬を見た瞬間だ。
「(…………なんで、数馬がそこに……)」
胸が締め付けられる様に痛かった。今すぐ蹲ってしまいたかった。だがこんなところでそれはできない。だからなんとか理性で押さえつける。
「(…………あぁ、そう。そうよね。数馬は……別に私だけのヒーローってわけじゃ、ないものね)」
ディザスターと戦っていた時も、マスコミから逃げていた時も、彼はずっとそのビルで戦っていたのだろう。
そう、自分ではない、他の誰かのために。
「っ……」
そして新しく気が付いた。数馬の隣にいた人質には見覚えがあった。確か、彼と同じクラスで成績優秀だが圧倒的に出席日数が足りていない、変わり者の女の子の──二ーノ・ヴァルバット。
クラスメイトのために動いていたのか。ならば仕方ない。なんて、思い込もうとして──
「(…………なんで、私は助けてくれないの)」
自分勝手な想いが湧き上がって、それに気づいて、唇を噛み締めた。そうでもしないと涙を流してしまいそうだった。
携帯を閉じて、彼に「助けて」と一言送れば、どんなに気が楽になるだろう。
きっと彼は助けに来てくれる。だが、彼に何をしてもらえばいい?
アレには絶対に勝てないし、母親を殺した程の相手と戦わせるわけにもいかない。
それに何より、復讐なんて物に彼の力を借りられるわけがない。
「(……独りで、やらなくちゃ……そうよ、今までやってきたことじゃない)」
昔から、友達なんて呼べる友達はいなかった。絶対零度の名を継ぐ前は、絶対零度の娘だからと壁を作られ、いざ絶対零度になれば近付いてくる者はいなかった。だから独りでやってきた。
勉強で分からない所があれば自分の力でどうにかしてきた。学校行事はなるべく人と関わらなくていい様にしてきた。
「(彼と関わって、私、弱くなっちゃんたんだ……)」
今でも忘れられない。鈴木数馬は何も物怖じせず言ってのけた。
『極術師ったって、宮里は普通の女の子だろ?術が強いってだけじゃんか』
ナメられてる。確か最初はそういう風に捉えた。何も知らない癖になんだコイツと思った。でも彼にとって本当に自分はただの女の子だと、心の底から本気で思っていた。
だから、由美の件も彼にだけは話せた。そして、誰か味方がいてくれる事の心強さを知ってしまった。
「(だからもう、私は、数馬には頼れない)」
携帯電話の画面を落として、コーヒーを一気に飲み干す。さっきまで安心感を与えてくれた慣れ親しんだ風味が、なんだか毒々しく感じた。
けれど気にすることなく返却口にグラスを置いて、いつもより早く階段を降って外へ出る。熱くなったせいで周りが見えて居なかったのが災いして、店を出るなり人にぶつかってしまった。
「……ごめんなさい」
一言謝罪を入れる。だが本当に謝罪したつもりはない。むしろ邪魔だとさえ思った。
「ニヒッ……いいよ」
少し気味の悪い笑いの後に謝罪は受け入れられた。灰色のパーカーでフードを深く被っているせいで顔はよく見えないが、別にそんなことはどうだっていい。
取り敢えずさっさと病院に戻ってゆっくり情報を集めたかった。何か手掛かりになるものを集めなきゃ気が済まなかった。
「(……邪魔臭いわね)」
病院まで走って行きたいが、この人混みが邪魔臭い。さっきまではコレに助けられたが、用がないと思ったら鬱陶しく感じた。できるなら今すぐ氷のオブジェクト──いや、それはやり過ぎだし八つ当たりが過ぎるか。と冷静に考えて、早足で病院への道のりを進む。
「(……そういえば、わざわざ病院に戻る必要もなくないかしら。そうね、荷物だけ取ってネット環境のある場所行きましょ)」
携帯端末では限界があるし、病院では音も出せない。ならばネット喫茶で寝泊まりし、情報収集に務めるのが得策だろう。荷物だって外界遠征時に持っていった大型のバックが一つだけで、その中にはある程度生活できるくらいの物は入っている。
最悪なくても極術師に国から渡される給付金等がある。生活用品を一から買い揃えたとしてもネット喫茶に一年泊まり続ける事に躊躇いは湧かないくらいの金額だ。
「(……お金なら沢山あるものね、私)」
歩いて行くことに固執していたが、お金があるんだからわざわざ歩いていく必要は無い。ここは駅前なんだからタクシーなら停まっている。
今までは必要ない事にお金は使わないとか、いざと言う時のために取っておくとか考えていたが、今使わないでいつ使うんだという話だ。そうと決まればと由紀はタクシーに乗り込んだ。
「ホワイト地区第三病院までお願いします」
「かしこまりました。中央通りから向かいます」
作り慣れただろう上っ面だけの笑顔とマニュアル通りの対応が、今の由紀にとっては居心地いい物だった。
それから由紀は病院に戻ってから荷物を受け取り、今後について話をした。
自分は大丈夫だという事と、母親の遺体はしばらく安置していて欲しいということ。メディアが嗅ぎ回っていて、今は公表したくない事を伝えたら頷いてくれた。葬儀社等とのやり取りは代行があるということで、直ぐに連絡を取り一通り手続きを済ませる。流石に顔を見せないでのやり取りは問題があるので、二日後には一度面会する事になった。一通り終えてからバックを持って再びタクシーに乗り込み、ネットで調べたホテルに向かう。
最初はネット喫茶を考えていたが、途中何かあって直ぐに出入りする事を考慮し、丸三日借りることの出来るホテルにした。
到着した時には20時を過ぎていた。手続きには少々手間取ったが、本人確認をした際に極術師である事が露呈し、更に由紀の表情から相当機嫌が悪いことを察した受付は素早く彼女を部屋へと案内した。
部屋に入って直ぐに着替えを持ってシャワーを浴びる。体の汚れを流し、気持ちを切り替えた。
直ぐに体を拭いて着替え、髪を乾かした。それから部屋のど真ん中にある机の上のパソコンに電源を入れた。電源を入れるなり、壁一面にパソコン画面が広がった。
そう、この部屋は壁一面がまんまパソコンのディスプレイになっている。
だがこれは別に珍しい事ではない。少々値は張るが、一般家庭にあるところはある程度の設備だ。
ついで、ディスプレイに向かい合うように置かれている二人がけ用のソファに腰を下ろした。
「……えーと、これね」
それからソファの正面にある机に置かれているヘッドホンを装着する。その直後、机が光り、やがてキーボードが現れた。別に物理的に現れたわけじゃない。机をタッチパネルとした擬似キーボードだ。キーボード以外の部分はマウスとして扱われる。人の手でなければ反応しないので、物を置いていても問題は無い。
「よしっ……始めましょ」
情報収集の時間だ。まずは母親の仇に復讐する。そのために。
──ブーッ!ブーッ!
と、携帯電話がけたましく響いて、由紀は手を止めた。調べ物を初めてから四時間が経過しているから、現在は0時になるかというところ。
「(……誰?)」
さて、おかしい。この時間に電話がかかってくるなど有り得ない。まずそもそも電話帳に登録されている人の数が圧倒的に少ない。中にはこの時間に掛けて来そうな人物は思い付かない。ならば病院からの電話かと思って──
「……まさか、数馬?」
もし、もし掛けてくるなら彼だ。事情を知った彼なら、こんな時間だろうと連絡してくるかもしれない。マスコミが自分の家の爆発を知っていたのだ、知らぬ間に報道されていて、それを見て、連絡をくれたのかもしれない。
だからか、携帯電話のディスプレイをゆっくり見た。
そして、電話を取る。
「………………だれ?」
違った。ディスプレイに映し出された番号は登録された者じゃなかった。そして、電話番号000000000なんて、本来存在し得ない番号からかかってきた。
『はあ〜ぁい!ど〜もぉ〜!!』
電話口から響いてきたのは煩いくらいテンションの高い声だった。
「……だから、だれ?」
苛立つ。腹立たしい。認めたくないが、微かな希望に縋りついて取った電話の相手が、全身の神経を逆撫でしてくるタイプの人間だった事が──
いや、鈴木数馬以外の人物だったことが。
『ニイィ……やーさー、あんまりにもムダなことしてるからさぁ〜』
「……何言ってるの?」
『暴走したカスの使いっ走りのこと調べてたってしかたなーいのっ!って言いたいわけよ』
気味の悪さを覚えた。この電話口の相手は、今自分が今日の立て篭り事件について調べている事を知っている。
『アンタの母親殺した身としてはさァ〜、さァ〜っさとこっちの居場所突き止めてもらわなとおもんないっつ〜か』
「…………………………は?」
今聞き捨てならない言葉を聴いた気がした。
『あんま遠回りされてっと〜、こっちから行かなきゃ行けなくなっちうんよねェ〜』
「待ちなさい。アンタ今、お母さんを殺したって言った……?」
怒気を、苛立ちを含めた、自分でもビックリするくらいの低い声で尋ねた。この状況でその言葉は、冗談では済まない。
『えぇ〜言ってないよォ〜!』
「ふざけないで!」
『だってェ〜、言った?って聞いてきたでしょ?だからぁ、言ってない〜って答えたの!』
「っ……このっ……」
明らかに人を舐め腐った態度。あの化物とはまた違ったベクトルで腹立たしい。
「(……けど、確定ね。コイツはお母さんの仇……!)」
どうして自分の仇はこうも相手を舐め腐った態度を取るのだろうか。会ったこともない人間に対して、こんな事を言えるなんて、どれだけ人格破綻者なのだろう。いや、恐らく逆だ。人格が破綻しているから人を殺せるのだろう。
『は〜あ……一通り楽しんだし、もういいや。携帯に居場所送ってあげるから、早く来てねぇ〜』
「まっ……切れた」
止める間もなく切れた。再度かけ直そうと着信履歴を確認するも、履歴が存在しなかった。その直後に携帯電話が振動し、メッセージの受信を知らせてくれた。さっき電話口の者が言っていた居場所の件だろう。
コンピュータウイルスが入ってるとか、そういう可能性は否定しきれないが、今のところ開く以外に選択肢はない。
「…………ホント、ナメた真似してくれるわね」
別に、コンピュータウイルスも何も無い。普通に、さも当たり前の様に座標と居場所に関する手掛かりが記されていた。
「ぶっ潰す」
悪意を隠さない強い決意を持って、由紀は立ち上がった。
タバコを吸って吐いてから、携帯電話の通話ボタンを押す。
『ニーナ・ヴァルバットの居場所が割れた』
「どこだ」
日付が変わってから30分経った。割と時間かかったなと思う。
『ホワイト地区、西部、
「内部?」
『かつて橋の内部に歩行者専用通路と複数のテナントを設置する計画があった。それに伴い改造が行われていたが、完成目前であの「緋刃事件」が発生。以降、向こう側のホワイト地区第六高等学校閉校に伴い、改造は中断、そればかりか橋は閉鎖。向こう側の現状は君も知っての通りだ』
「別に、歴史の授業を受けたいわけじゃねえ」
『……橋の真下から、橋の真上を覗いてみろ。そこに入口がある』
「わかった。業務内容に変更は?」
『ない』
「ン」
そうして通話を終え、携帯電話を仕舞い、夜のホワイト地区にディザスターは溶けて消えた。
一応補足です。
人質:二ーノ
敵:ニーナ
誤字ではありませんので安心してください