新世界への移動には潜水艦を使う。一旦海底に潜り、そこから新世界と旧世界を繋ぐ唯一の穴を通り、浮上する流れらしい。亮と深淵が新世界へ向かうために使う潜水艦は、現在停泊している潜水艦ではない。日が登ってすぐまた別の潜水艦が迎えに来た。ゼロに別れを告げ、深淵と共に潜水艦へ乗り込む。かなり大型のものだ。深淵曰く海に住む魔物に襲われても無傷で目的地へ到着するためのものらしい。
深淵とは別の部屋に入れられた。重要人物のための部屋らしいが、中には壁と一体型の長椅子があるだけで、どちらかというと犯罪者を閉じ込めておくための部屋みたいなものだった。一応、分厚い窓が付いていて、外の景色も見える事は見える。亮に続いて銃を持った兵が二人入り、ドアの入り口に陣取って待機している。まったく丁寧な歓迎だった。
椅子に座って待っていると、潜水艦の小さな駆動音が聞こえた。潜水が始まったのだ。その間、亮は視線を動かすことなく、ただ虚空を見つめていた。脇へと視線を向ければ、長年に渡って濾過され、綺麗に澄み渡った海中を拝めるのだが、そんなものに興味はない。
彼を監視しているのかどうかはわからないが、銃を持ったまま立っている兵士二人はそんな亮を見て仲間と顔を合わせて首を傾げた。
『……潜水艦は初めてか。これは我々の技術の結晶だ。君が驚くのも無理はない』
嫌味たらしく言い放ったのは、兵士達の背後にある扉を一枚挟んだ向こう側の男。声は頭上から聞こえて来た。部屋の天井から垂れ下がってるスピーカーが音源だ。が、マイクやスピーカーなんてものはとうの昔に壊れた偉人たちの忘れ物しか知らない。だから亮にとっては珍しいものだった。だが知識にはある。なにも驚くことはない。
「なんでわざわざこんな物を使って海に潜るのか考えてたけど、あんたのその言い方を聞いてアホらしくなった。殴れば沈む程度の強度しかない鉄の箱が技術の結晶か、大した技術の進歩だ」
『……分からないのか、これは君を閉じ込めておくための牢なんだ、殴れば沈む程度の強度であるわけがない。それと、あまり粋がるなよ。その気になれば我々はいつだって貴様を』
────ゴッ!
と、言葉を遮るように。兵士達の背後の扉だけがグニャッと歪み、まるで紙のように丸まった。
「なるほど、これが俺を閉じ込める牢か。殴らなくても沈みそうだ。贅沢言うわけじゃないが、もてなしがなってないんじゃないか。力の差をいち早く理解できたゼロや深淵の方がよっぽど利口だ」
『……チッ』
舌打ちを合図に待機していた二人の兵士が亮に銃口を向ける。だが二人とも銃身が震えていた。それはそうだ、彼らはずっと亮を見張っていた。彼が体を動かしていないのを確認している。であるのに、厚さ10ミリの対魔物用に魔力を混ぜ込んだ鉄板の扉が丸まったのだ。兵士達からすれば自分は鉄板より硬いわけじゃないので、いつ自分の体がねじきれるのか気が気じゃない。
「安心しろ、到着するまで黙っててくれれば何もしない」
「っ……」
そんな彼らの不安を知ってか知らずか、亮はそう言い放って椅子に深く腰を沈めて目を閉じる。潜水艦の駆動音を聞きながら、この先どうするか。ただそれだけを考えていた。
やがて潜水艦が浮上を始めた。小さい振動がやがてなくなり、到着した様子が伝わる。
「到着した。立て」
「ン」
片方の兵士の指示に大人しく従って席を立つ。着いて来いと言われ、先導する一人の兵士の後ろを歩き、さらにその後ろをもう一人の兵士が歩く。微かに声が震えているが、今更指摘する気にもならない。
先導する兵士が潜水艦の出入り口の梯子を登り切ったのを確認した後、亮は梯子を使わず跳躍して登り切る。
前後の兵士が何か言いたげではあったが、気に留める事はない。
「そこを進め」
しばらく進むと、港の倉庫などで見かける大きなゲートが見えた。それを指して兵士が亮に指示する。適当に返事をして言われるがままにゲートへ向かって歩く。兵士は亮の後ろからついて来た。鬱陶しいと思いつつも、ここより明るいゲートの向こうに足を踏み入れた。
光の向こうには彼の想像と違う光景があった。ただ一人、車椅子に座った白髪の男性がポツリと居ただけだった。てっきり、無数の兵士に囲まれるのか、狭い部屋に閉じ込められると思っていた。
「ようこそ、新世界へ、魔人」
「あんたは?」
「国王だ。……ふむ、そちらで言うところの長の認識で違いない」
「長か……てことはあんたを殺せばこの里は取れるってことでいいのか?」
亮のその不穏な言葉に、背後の兵士が銃口を向けた。面白い事にその兵士には先程まであった震えがなかった。なるほど、目の前の王とやらを守るためなら自分の命は惜しくないらしい。
「ははっ、その通りだよ。だが、こちらに戦意はない。全員武器を降ろせ。彼がその気ならとっくに私達は……いや、この世界は終わっている」
「あんたは大分肝が座ってんな」
「そうでないとこっちで王を務めることはできんのだよ。物理的な力を振る事は私のやる事ではない。弱い私はそれをするべきではない。私が使うのはココだ」
そう言って自分の頭を指差す。
「であるから、交渉相手はきちんと見極め、きちんと礼節を持って接せねばなるまい。間違ってもこの世界を壊さぬためにもな」
王は自分の強さと弱さを理解していた。無謀を起こしはしない。いつでも最大限に利益を得るように、最小限の被害に収まるように、全ての物事に対して頭を使って計算し立ち回る。彼が王たる由縁が垣間見えた。
「そうか、あんたは強いな」
「世辞でも嬉しいものだな」
亮は本音だと返し、王はそれを鼻で笑い、亮の背後で銃口を下ろしているものの、殺気立つ兵達を下がらせる。兵達は危険だと抗議したが、「客人に殺気を立てっぱなしの兵がいて話ができるか」と言うと、彼らは渋々と引き下がった。
先ほどまではあれだけ震えていたのに、いざ王に危険があるかもしれないとなると、あれだけ殺気立てられるのかと二度感心した。
兵達がいなくなったところで、亮は本題を切り出す。
「……それで、あんたは俺に何を望む?ゼロや深淵が言うには、あんたは俺がこっちに来る事を願ってたらしいな。なにが目的だ。あんたが持っていない力か?殺して欲しいやつがいるとかか?」
「いや、そうではない。君に求めるものと言えば、世界を壊さないでいただきたい。ぐらいしかないよ。この世界では君を縛ることができない」
その言葉に嘘がないことはわかる。だからこそ解せない。
「新世界の王がずいぶん謙虚だな、住まわせてやるから働けって言われるものかと思ってた」
「うむ、働くのであればそれはそれで。世界最強の労働力はとても嬉しい。君なら会計も建設もなんでもできるだろう」
皮肉を言ったつもりだったが真面目に返されてしまった。
「……あんたは何が言いたい?」
「それは最初に言ったよ。ようこそ、新世界へ。ぐらいかね。実のところ、君をこの目で見てみたかっただけなのだ。君に求めるものなど本当に何もないのだよ」
「は?」
「この世界は平和だ。魔物はおらん。君達の世界の……以前のような人と人の殺し合いはほとんどない。皆は平和に暮らし、些細なことで喜び悲しむ。それだけの世界なのだ。世界に悪がないとは言わんが、それでも善が大半を占めている。わざわざ君が出るまでもなく、その悪は駆除できる」
「ならなんで来る事を望んだ?俺がこの中を全部壊す事は考えてないのか?」
「もちろん考えたよ。今この場で殺されても良い様に遺書も記した。だが、これは私が歩まなければならない一歩なのだよ」
話が読めない。デメリットはあれどメリットなど何もないではないか。
「私は君をこう思っている。世界最強の化け物。旧世界の成れの果て。世界で最も不幸な人間。私は、この新世界で国王になる前から夢を持っていた。一人でも多くの人を幸せにしたいとな。そして君は世界で最も不幸な人間だ。だから、君を幸せにしたい」
まったくどんな聖人君子だ。ヘドが出る。一人でも多くの人を幸せにしたい。聖職者か。はるか昔に旧世界で流行っていた悪徳宗教の方がまだそれらしい売り文句を使っていた。
亮には、「一人でも多くの人を幸せにしたい」と本気で心から願ってそれを恥ずかしげもなく掲げ、自分の使命として生涯の全てを費やしてでも全うするために生きている彼が理解できない。
「……あんたのその夢はあまりにも気持ち悪いが、言いたいことはわかった」
「それは嬉しい。私は自分の夢を誰かに理解して欲しいとは思っとらんよ」
まったく掴み所のない老人だった。重ねた歳で言えば亮が遥かに上回っているが、きっと彼は亮より多くのものを積み重ねてきたのだろう。狐と二人でただただ自分を恨みながら長い年月を無駄に重ねてきた自分とは違うのだ。
だから、彼は王なのだ。
「……交換条件というか、あんたをこの世界の王と見込んで頼みがある」
彼の志を本物と認めた上で、亮は切り出す。
「条件次第だが、なにかね」
「こっちに神の術はあるか」
「魔術ではなく神の術……?」
「あぁ。魔術とは違って……そうだな、この世の在り方を歪めるような、そういう術だ」
亮の言葉に老人は少し考え込んだ。
「ふむ、大概魔術もこの世の在り方とやらを歪めている気もするが」
「スケールが違う。時間を巻き戻す。世界の物理法則をそのまま変更する。そういう、世界の根幹そのものを改竄する術とかだ」
他にも、悪しき物を浄化する。影を生み出さない光を作り出す。終わったものを例えなんだろうと再成する。通常の魔術は「原理」が存在するが、神の術は原理などない。なぜなら、振るうものが神だから。それがルールなのだ。神が右と言えば左は右になる。彼が探しているのはそういう力だ。
「そういうものがあるという話は聞いたことがないよ」
「些細なことでもいい。……例えば、そう、この世界で一番人々から信仰されている人、銅像でもなんでもいい。ともかく人の想いが集まるものはないか」
現在の位置からでは、いや、新世界からはそういうものがある気配は感じられない。神聖さは魔力とは違うから感知できないとあって欲しい。以前は同じ要領で感知できたが実はできなくなってしまったということになっていて欲しい。信じていたい。
「……自分で言うのもなんだが、私が一番人々の信頼を……集めている……はず」
とっても自信なさげだった。魔人を知っていてその上であれだけ言えるくせに、自分が国民から信頼されているのかどうか不安らしい。
「なんか、悪い」
「待ってくれ、信頼されているかどうか王にとってはかなり大事な話なのだ」
「それはわかるが、そうじゃなくて……いやいい、自分で探す」
今は無くともその内出てくるだろう。この世界は向こうと違って人がいる。時代を重ねている内に人々が「縋る」物を作るはずだ。
「力になれなくてすまぬ。だが、理解できない力という点ではやはり彼女だろう」
王がそう言い終えた時、倉庫からこちらに向かって誰かが歩いてくる。
「そう、世界に三人しか居ない極術士深淵、笹塚未菜」
「呼びましたか、王」
深淵だ。出発前と変わらないスーツ姿で彼女は、王の前で一礼した。
「彼は神の術というものを探しているらしい。君は心当たりがないかな?」
「神……それは、かつて旧世界に居た炎神、水神あたりのことか」
「知ってんのか」
炎神と水神。旧世界にて最初の魔術士だ。旧世界に希望を齎した彼らは人々に信仰され神となった存在だ。
笹塚が水神と炎神の名を出すと、王も思い出したようでハッと顔を上げた。
「君が探し求めているものはよくわかったよ。両者とも一度、宇宙を移動していた時代の新世界の目の前まで来ていたらしいね。当時の者達は生きた心地がしなかっただろう。なにせ、生身で宇宙空間を自由に動いていたのだからな」
「……あの言葉はこれのことか。まぁ知ってるなら話が早い。あぁ言うタイプのやつらだ」
存在を忘れていたくらいなのだから、本当にこの世界にはなにもないだろう。期待はせずに言葉を待つ。
「ならば尚のことこの世界には居ないよ」
「そうか……」
隠している様子もない。本当に居ないのだろう。少々落胆しつつも、そのうちになんとかなると気持ちを切り替える。
「何か分かれば連絡をする。君は……そういえば住む場所も決まって居なかったか」
「衣食住どれも要らない。しばらくは探し回って歩いてる」
「魔人、そうはいかないんだ。この世には警察という存在がいる」
「知識としては知ってる。深夜徘徊していたら補導とかいうのされるんだろ。大丈夫だ、姿を透明にしていれば誰にも気付かれることなんてない」
王は一瞬驚いた顔をした後にくっくっと笑う。
「まさに、君はなんでもできる。我々の保護など必要ないと。ならば笹塚君」
「はい、私も同じことを。不安なので私の家に置こうかと」
「は?」
いいかね。と、王は一呼吸置いて。
「この世界では無闇矢鱈に魔術を行使してはいけない。人々が好き勝手に振るえば世界は荒れる。君ならバレずに済むから罪にはならない。けれどね、そういう教育を親は子にする。そしてその子は親となり、子にするのだ。家族の絆が、そうやって世界を平和に導いて来たのだ」
「……仮に罪に問われたところで」
「君には関係ないだろう。牢に飛び込められても牢を壊せる。そもそも私達では君を拘束することは叶わない。けれど、ダメだ。世界で最も強いからそれが許される道理はない」
本当に、王は強い。亮はそう思った。自分に立てた誓いを破ることはない。たとえ何が相手だろうと。自分の心に立てた柱が揺れることはないらしい。
「……ン。あんたがそこまでいうならいい。昼間に自分で探す。魔術も使わない」
「身体能力も並々の人間にとどめて置いてくれよ。街中で突然ビルまで飛び上がったらそれこそ大問題だ」
「わかったよ」
深淵の補足にもそう返事をした。
「あとはそうだな……」
王はある程度考えた後に口を開く。
「君はお金というものを知っているかな?」
「何度か見たことはある。円形の形の整ったやつ。後は偉人の肖像が書かれた紙。金で物を交換……買うって言ったか?」
「その認識で間違いはない。こちらの世界でもお金の概念は変わらない。金は多くの物が買える。食料、衣服、家、娯楽品、新世界に流通する八割以上の物は金が手に入れられる。そして、その金を手に入れるには」
「働くってことか」
「そういうことだ。だが君にまともな仕事をしてもらうには、ふむ」
王は亮の格好を足から頭まで一通り見て苦笑した。それはそうだ、亮の格好はボロボロのスニーカーにボロボロのジーパン、そしてボロボロのシャツの上にボロボロの革のジャケット。この格好で出歩けば、間違いなくホームレスと思われるだろう。
「まずはその服はどうにかしないと、な」
「わかった」
返事をした亮の体に異変が現れた。
突然、体が真っ黒に染まり、そしてそれが一瞬にして晴れる。そうしてどういうわけか、新品同様の服に着替えられていた。
「……それはなんだ?」
「取り込んだ物ならいつだって出し入れできる」
最も取り込んだものはガラクタばかり。服は何着かあれどまともに使えそうな物はほとんどない。
「王、下手しなくとも彼は自分持ってる旧世界の遺物を売るだけで」
「うむ、間違いなく億万長者になれる……」
小声で深淵が王にそう言っていた。ヒソヒソ話のつもりだろうが、亮にはよく聞こえている。
「ゴホン。それも人目のつく場所での使用は控えるように」
「あぁ、わかった」
「お金については私の店で働いてもらおう」
「あんたの店?」
なんだろうか。まさか彼女がサービス業を営んでいるとも思えない。能力を活かす点と言えば、何でも屋と言う名の殺し屋か。
「本屋だ」
「本屋……?」
とても、なんとも言えなかった。
王は魔人がこれから生きていくための資料作りに取り掛かる。役人に任せておけるものではない。そんな不正をやらせるわけにはいかない。
彼の今後の生活は深淵、笹塚未菜に任せておけば問題ないだろう。今は自分にできることをやるだけだ。
彼を真っ白な存在として扱うには根本家という架空の一族を作る必要があり、何世代も存在しない人物を作るのには手間がかかった。完全管理されているこの世界だからこそだ。遥か昔は様々な国が存在していたため、そういうのは簡単だと教わったことがある。
「……ふむ、これでよし」
出来上がった資料の最終チェックを済ませて机から離れる。使用人に持って来させていたコーヒーに口をつけ、執務室を後に、長い廊下を通ってエレベーターへ乗り込む。
他に人が乗っていないことを確認すると、鍵を刺して回した後に1F、7F、2F、1F、の順にボタンを押した。すると押したボタン全ての灯りが消え、エレベーターが動き始める。
この隠しコマンドを入力して向かう先は最下層だ。物の数秒で駆動音が消えて扉が開く。資料の作成で少々の眠気を感じていたが、扉を開いた直後に流れ込む冷たい空気がそれらを吹き飛ばした。車椅子の車輪を動かし部屋の奥へと進んでいく。
そこには巨大な剥き出しのコンピュータがあった。排熱のためにカバーは邪魔になる。横12m奥行き10m高さ6mの巨大なコンピュータとなれば尚更だ。ど真ん中のキーボードまで進み、起動キーを入力してコンピュータを起動させる。
「ようやく、この時が来た。これで、全ての計算式が揃う。私の代でやっと完成させられた」
カタカタとキーボードを叩く音はコンピュータの起動音にかき消される。
『安定装置を起動させるためにはエンターキーを押してください』
無機質な合成音声が響く。王はその指示に従いエンターキーを押す。
『世界の人間を確認中────』
いつもはここで弾かれる。たった一人足りなかった。何にも揺るがされない唯一の存在が足りなかったからだ。だが。やっと。
『確認できました。安定装置を起動します』
やっと、来た。
「……ふぅ……」
車椅子に深く体を沈める。体からこんなに力が抜けるのは初めてだった。
『起動完了。フェイズワン。安定装置が危険な状態にあります。安定装置が世間に露見しない政策を取ります。フェイズワンは安定装置の守護が魔人になると完了します』
まだもう一つ工程を挟むことに多少の落胆を覚えたが関係ない。魔人は世界で最も不幸な存在だ。彼は表向きの生活など送れない。すぐに闇に堕ちる。深淵と同じように。
「だが、人類はこれで大きな一歩を踏み出した。なれる。世界の人々が幸せになれる」
彼は確信している。何代も前から、世界の人々が幸せになるために作り上げて来たこの安定装置が、新世界から不幸な人間を無くすと。誰もが笑顔になれる世界になると。