暖色のLEDライトが照らす部屋で一人の少年が重たい目蓋を気合いで開きながら、小型ディスプレイと向き合っている。もうそろそろ日が昇る様な時間帯に不健康な事この上ないが、別にこんな事は日常茶飯事。
それでも眠気に耐えることには慣れられそうにない。なので、この報告を見たらベッドに入ろうと決めてかかったはいいが、読み始めた瞬間に目は冴えてしまった。
「……こうなっちまったかぁ……」
現国王、黒鎌正義はナナシから電子メールで送られてきた報告を、完全に頭の中に叩き落としてから呟いた。
記されていた内容は、外界遠征終了時から隠田轟の殺害に至るまで──つまり数時間前までの魔人一家と宮里由紀の動向。そして現時点で推測できる範囲でまとめられた今回の敵の目的。
しかしながらこの報告を見て正義が驚くことは無い。
これは、安定装置が外界遠征前に極術師の不在の影響を弾き出した時に示して見せた流れの通りだからだ。
言ってしまえば。
「まっ、知ってた〜」
一個人としては腸が煮えくり返るくらいには腹立たしい流れではあるが、王としては喜ぶべき事態だろう。予定通りに事は運んでおり、懸念材料は排除された。
「18年の前、魔人に奴を殺させ、その場に紀子を立ち会わせ……いや、元を辿れば34年前、魔人に奴の娘を殺させた所から始まった」
全て、安定装置によるシナリオ通りだった訳だと鼻で笑う。
「機械を弄くり回すために生まれてきたニーナ・ヴァルバットと二ーノ・ヴァルバット。二人が協力する事で機械文明のレベルを底上げされる懸念はこれで無くなったわけだ」
実の所、真の狙いはそこだ。もちろん大きな騒ぎを起こさせることで向こう数十年上がりの者達を制御する事もあるが、二人が協力する事で許容範囲以上の技術進歩を止める事が最も大切。
「しかしまぁ良くここまで事が運ぶもんだ」
今回の件だって、全てが終わったあとに床下の者達への扱いに対し、王として言及すれば少しは改善されるだろう。世間からの風当たりが良くなるわけではなく、床下者達が恐縮して。という形だが。
「人類みな平等であれば幸せな世界など訪れない。不幸な人間がいるから幸せになれるからだ。王としての使命は国民に対し「下には下が居る」と思わせ続けることだ」
かつて父親から教わった帝王学を復唱する。なるほど、その通りだとその言葉の正しさに実感を持った。
「だからこそ魔人は欠かせない。どの位置に存在する人間だろうと問答無用で殺せるジョーカー。最低だろうと最高だろうと、笹塚未菜との約束がある限り、安定装置の尖兵として機能する新世界の裏の切り札……」
こんな歪で曖昧で、個に頼りきりな世界に対して、シンプルに気分が悪くなる。帝が安定装置を破壊しようとした事に対して当然とすら思えてくる。
だが王として考えれば、安定装置と魔人の存在はやはり欠かせないものだ。
人類は行き過ぎた。今回の件だって34年前と18年前の件がなければニーナと二ーノが技術的特異点を越えその技術を使った科学を量産させ、人類が行き過ぎた科学力を持ち、世界を混迷させることは間違いなかった。
長い間守り続けている科学力のある一定ラインを越えてしまえば、新世界は終わる。
結論は変わりはしない。今回の件はもう終わりだ。後に残る危険人物は魔術で人を絶対殺すだけの者。殺傷力が絶対なだけの存在ではやれる事などたかがしれている。だから。
「……あ、やべ、来月
ふと国営行事を思い出して、正義はまた眠れない夜を明かすのだった。
その翌日、由紀は一人で通学路を歩いていた。外界遠征も中止、裏の仕事もないとなれば本業である学生としての責務を全うしなければならない。人を殺めた自分がのうのうと日常の象徴たる学校に向かっている事に酷く違和感を覚えた。
ちなみに、愛菜と優衣とは通学時間をズラしている。同居していることを隠したいわけではないが、わざわざ一緒に出るほどの事でもない。
こういう時、「わざわざ別に出る必要はない」という結論に至らないあたり、由紀ももうモンスターハウスの感性になってしまっている。
一人静かに歩いている時に考えるのは、残りの復讐相手の事だ。
「(尻尾を出さない……か)」
未だに行方を掴ませないボスがいる。新世界の裏の頂点たる組織が探しても見つけられない相手。亮曰く、生き物を絶対殺すだけの魔術師だからこんなに隠れられるのが不思議だそう。
かなり聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、何にせよ見つけなくちゃ話にならない。
「おいあれ……」
「話は本当だったんだ……」
初めての通学路を歩きながらもやっとこさ学校だと思った時には、周りから奇異の目を向けられ、ヒソヒソと何か言われている事に気付いた。
「(そっか、腕か)」
昨日送られてきた新しい制服の右袖はダラッと垂れ下がっている。義手の手配も腕の再生もしていないが、するかもしれないので袖を切ったりもしていない。
「(まっ、食事以外に致命的な支障はないでしょ)」
机に埋め込まれた仮想ノートの筆記に右手は必要ない。筆記ペースなどは落ちるかもしれないが、それだけの話だ。
ただ注目を集めるのは良くない。元々極術師として周りからの壁はあったが、こうなっては気を使って近寄ってくる者も現れるだろう。一度世界に絶望したからか、なんだかそれも鬱陶しい様な予感がしている。
それに、変に踏み込まれるのも宜しくない。愛菜や優衣との関係なら別に構わないが、現在家のワンフロア下で商売をしている彼の事を知られてはいけないだろう。
なんて考えているうちに校門を通過した。下駄箱で上履きに履き替えるために買っておいた靴べらを取り出し、一度カバンを床に置いてから靴べらを使って靴を履く。
教室ではなく、まずは職員室に向かった。外界遠征がなくなったのでそのための書類の記入と、腕の欠損に関する書類の記入だ。ちなみに腕の欠損は外界遠征時に魔物にやられた事にしてある。
体良く利用された感はあるが、外界の魔物の危険性を伝えることと、今回の件とは関係ない床下の者達にヘイトが向かないようにする二つの理由。由紀としては別にそれでも構わなかった。
一番時間がかかったのは、現住所の変更等の書類だ。昨日の王による今回の件の放送で、由紀は母親の死の報道を許可した。家の全損と母の死によって住む家が無くなったので当たり前だ。放送はしていないが、外界遠征時に仲良くなった愛菜と同居中と教職員に伝えた。過程は違うが実際そこに住んでいるので問題は無いだろう。
住民データの変更はナナシ達が行ったらしい。世帯主の欄に全く知らない名前があったことには少々驚いたが、よくよく思い返してみれば約四十年前に亡くなった二代目深淵、笹塚未菜に今年17歳になる娘が居ることはおかしい。
よって、一世代前に存在しない者が居た。その者が世帯主として登録されている。実際に人が来ても亮の事だからどうとでもなるのだろうと由紀は納得した。
「失礼しました」
一通り終えやりとり、そう言ってから職員室を後にする。先生方からも同情の視線を頂いたが、それだけだった。彼らもかける言葉など見当たらないのだろう。一週間以内に右腕と母親と家を無くした経験を持つものなんて存在するか怪しい。
別にわかってもらおうなんて思っていないのでどうでもいい事だ。と、考えながら歩いていたら向かいから愛菜が歩いてきた。
「あ、由紀ちゃん終わった?」
「えぇ。なんで愛菜ちゃんと一緒に来なかったのか聞かれたわよ」
立ち止まって少し話す。時間の余裕はまだある。
「なんか一緒に行ったら面倒臭い事になりそうで……」
「……まぁ、確かにそうね」
二人はホワイト地区に二人しか居ない極術師。そもそもが注目の的であるのだから、そんな二人が並んで登校していたらもっと騒ぎは大きくなっていたかもしれない。
「それじゃ、またあとで」
「ええ」
そのままスレ違い、由紀は下駄箱を通過して教室へと続く階段を登る。やはりというか、下駄箱を通過した時点で視線が集まる。それは同情の意か奇異の意か、それとも好奇の意か。由紀には一人一人の視線に込められた意味など理解できないが、それらに対し、まとめて。
「……はぁ」
と、溜息をつくことだけはできた。
職員室で手続きを済ませた愛菜は、由紀と同じように下駄箱を経由して教室へと向かっている。
途中、玄関の方を覗いたら、エアサスペンションとリクライニングシート二つを搭載し馬力を上げた水陸両用のシニアカーだった物に乗る銀髪の髪の長い少女と全てを諦めた様な目をした鈴木数馬の姿が目に入ったが、彼女が登校する時は大体あんな感じなので気にせずスルーする。他の生徒も同様で、「あ、今日は来たんだ」みたいな雰囲気。ちなみになぜ登校中に警察官に捕まらないのかがこの学校の七不思議の一つになっていたりする。
階段を登っていつも通り教室に入れば、いつも通りの騒がしさがあった。最近やったゲームが、ドラマが、魔術が──なんていういつもの話と、タイムリーな話題は外界遠征や宮里家の事だったり。
愛菜はどれもこれも興味は無いので黙って自分の席に着く。
「(お家に帰りたい……)」
心の中で呟きつつ、机の脇の電源ボタンを押し、魔力認証を通してロックを解除する。机そのものがパソコンのような機能を持つため、この様なロックが掛かっているのだ。だからといってゲーム等が好き放題できる物ではない。あくまで勉強用の代物。
一通り準備を終え、頬杖を着き視線を左側にやる。愛菜の席は教室に入って奥、窓側の最後尾なのでよく外が見える。窓から外を眺めても校庭が見える訳では無い。ただどこの地区でも少し高いところにいけば見える様な街並みが広がっているだけだ。
平和な世界。いつも彼女が身を置く暗い悲劇の世界ではなく、ただ人がより良く生きていくための日常が広がっている。まるであんな世界は無かったと言うような光景。この学校だってそうだ。由紀に世間が知るよりも過酷な試練があったなんて、誰も知りはしない。ただ昨日の王による宣言を聞いて「かわいそう」なんて言葉で彼女の悲劇を片付けていく。
由紀には今のこの世界がどう見えるのか。それは少し気になって──
『ぴんぽんぱんぽん!あー!あー!こちら二ーノ・ヴァルバット!』
突然、謎の校内放送が始まった。
『宮里由紀さん!おねーちゃんの件でオ、ハ、ナ、シ、があるから昼休みに屋上に来なさ──あ、ちょお兄ちゃんやめ』
──ブツッ
と、突然始まった校内放送はそこで終わった。かと思えば。
『ッおら二ーノ!!お前また校内ネットワークをクラックしてんじゃねえええ!!』
と、教師の声が学校中に木霊する。本当に騒がしいことこの上ないなと嘆息していると、その数秒後。
「……全く、センセーも大袈裟ね」
銀髪を腰まで伸ばし、跳ねまくった髪の毛を弄る少女、二ーノ・ヴァルバットが教室へと入ってきた。恐らく教師が彼女を探し歩き回っているのだろうが、彼女は何故そこまで堂々とできるのかが甚だ疑問である。
「あ、二ーノさんおはよう!今日は来たんだね」
「おはよう……えっと、新堂さん、だったわよね?」
「おぉ!覚えててくれたんだ〜。ていうか、数馬は?今日は一緒じゃなかったの?」
新堂と呼ばれたポニーテールの少女の問いに対して、二ーノはいつもの様に「ニヒッ」と笑った後に。
「時期にわかるわ。時期にね」
と、なんだか意味深な言葉を残し、自分の席へと着席していった。
彼女が来るといつもこんな感じだ。賑やかな学校が更に賑やかになる。主に彼女の保護者役の数馬やこのクラスのムードメーカー役の男子達が生贄になるのだが、どうやら今朝の生贄は数馬だけの模様。
「んん……何が起こるんだろ?」
取り敢えず二ーノがああ言った以上、何かが起こるのは確実なので、新堂は期待半分で自分の席に腰を下ろし。
「根本さんどう思う?」
後ろの席の愛菜へと尋ねた。
「え、それ私に振ります?……んー、爆発するんじゃないですか?」
「やだ見に行かなくちゃ」
「止めないあたり鈴木さんの人望が知れますね」
とまぁ、かなり面倒臭いと思いながらも、愛菜はこうやって会話は成立させる。これも生きていくのに必要だと割り切ったからだ。その代わり敬語を崩すことはしない。会話はする。クラスメイトとしては存在する。けれどそれ以上先には踏み入らせない愛菜の意志の表れがこの敬語。
たまに同学年なのに敬語を使うのかと思われる事もあるが、このスタンスを崩さず、且つ彼女が極術師という称号があるおかげで、むしろ敬語は相手に対して好印象を与えることがほとんど。この世の中謙虚な姿勢であることはやたら評価されるのだ。
「まぁほら、良く
「双海さんの口癖みたいなものですも──」
答えようとした愛菜の言葉を遮るように。
『この変態かずまあああああああ!!!』
『ぎやあああああああああああああああ!!』
由紀の怒声と数馬の悲鳴が校内中に響き渡った。
「……」
「……」
愛菜と新堂は目を合わせたまま黙りこける。
「……逝ったか」
「南無三」
どうやら数馬は氷の女王の怒りに触れてしまったらしい。二人は静かに手を合わせた。
それからホームルームが始まり、由紀は自分の現在の状況について軽く説明した。王の宣言は本当であり、今の環境についてはあまり触れないで欲しい事。あまり触れないで欲しいと言った手前、虫がいい良いのは分かっているが、片腕の欠損のせいでできない事があった時、「助けて欲しい」と。
クラスメイト達は首を縦に降ってくれた。一人で色々とそつなくこなし、困った人がいれば助けたりもしていた由紀の日頃の行いが幸いしたのだろう。
そんな彼女が「助けて欲しい」とはっきり言ったことに好感を抱いた者が多い。
「(……亮さんの言った通り……ね)」
そしてこれは、亮のアドバイス。はっきりと助けてくれと言っとけ。後が楽だ。という人の良心を逆手に取った一手。
彼の言う通りその後の授業も困る事はなく、科学の実験では色んな人が手を差し伸べてくれた。
何十万以上の人の心を持つ彼のアドバイスを元々疑ってはいなかったが、ここまで来ると不気味ですらあった。
だがまぁ不気味なだけで実際スムーズに運んでいるのだから良して──問題は昼休みだ。
「(……二ーノ・ヴァルバットからの呼び出し……間違いなく、彼女の事よね)」
自分の右腕を奪っていったニーナ・ヴァルバットについての話だろう。一昨日の深夜、数馬とあの倉庫を駆けていた少女は、きっと今回の経緯について知っていることがあるはずだ。
それにしても上手い一手だと舌を巻く。わざわざ校内放送で呼び出した事にはいくつか大きな意味がある。
まずこれだけ大勢の人が二ーノの「お姉ちゃん」と由紀に関わりがあると知っていると、自分は下手に知らないなんて言えない。昼食中にクラスメイトに「行かないの?」なんて尋ねられ「行かない」なんて言えば心象は悪くなる。
そして片腕がなくクラスメイトに助けて貰ってる手前、いい顔をしていないと後が苦しくなる。なので今回の屋上での会話から逃げることが出来ない。
次に何かあった時、二ーノを黙らせることができない。深夜に一通りの少ないところなら、彼女が復讐相手の一人だと分かれば殺せるが、真昼間に学校で殺しなんてできない。
あのニーナと同じく、ふざけている様に見せかけて随分な策士だった。由紀としては究極の切り札「魔人にお願い」があるのだが、流石にこう何度も彼の手を借りたくもなかった。
彼ならこの学校全員の記憶の書き換えるなどの手でこの小細工をどうにでもできるだろうが、これ以上彼に依存してしまっては本当に「自分が何をしたかったのか」分からなくなってしまいそうだった。
「まっ、なるようになるしかないわね」
割り切って、由紀は昼休み開始のチャイムとともに席を立ち上がり、屋上へと向かった。途中、やはり「二ーノさんのとこに行くの?」なんて声を掛けられたので、「二ーノさんと悪巧みしてくる」なんて冗談を噛ませてあしらった。二ーノ・ヴァルバットの混沌具合は学校中に知れ渡っているので、「関わってはいけない」精神から由紀に着いてくる者は居なかった。
三フロア登り、屋上の入口の扉に辿り着いた。案の定扉は電子ロックが掛かっており、ドアノブを捻っても開く様子はない。どうやら二ーノより先に来てしまったらしい。
「あら、早いのね」
どうしようか考える間もなく、背後から声がした。言わずどもがな二ーノだ。
「むしろ、呼び出しておいてあなたが遅いんじゃない?」
「ごめんなさい、お兄ちゃん……数馬が着いてくるって聞かなくて」
「っ……」
この場でその名前を出されるのは酷く痛い。これは、遠回しに鈴木数馬が様子を見に来る可能性が高いことを示している。というより、ほとんど来ると言ってるようなものだ。
身内が内緒話をしていて、彼が首を突っ込んでこない訳が無い。
「(……今からでも、亮さんを呼ぶべき……?)」
頼りたくはない。だが、もし数馬にこれから話すことを盗み聞きされていたら。少なくとも学校には居られないだろう。殺した殺されたなんてやり取りを彼の前でしてしまえば、彼はきっと黙っちゃいない。
そして真相に触れて、根本亮という存在に辿り着いてしまえば。由美が死んだ件すら数馬は知らないのだ。もしそれも知ってしまった場合、数馬がまともな生活に戻れそうにもない。
「ニヒッ、安心して。絶対に来ないわ」
「……信じろって?」
「えぇ。あたしだって、お兄ちゃんに知られたくないこと話すのだから」
どうやら、彼女も自分と同じ立場らしい。
「屋上の鍵も閉めるしカメラはクラック済み。音声も録音できないし、屋上に入ったら奥へ行く。ジャミング装置は今発動した。ドローンが飛ぶこともないわ」
「……それを信じるとして、あなたはそこまでして何を話すつもりなの?」
「家族の最後を聞きたいと思うのはおかしい事?あなたは違うの?」
それは至極当たり前の事だった。誰でも思う、当然帰結だった。特に世界の敵である今回の者達の最後はきっと正式に報じられることは無いだろう。二ーノに関しては亮が関わっている以上当たり前のことだ。
「……わかったわ、あなたを信じる」
「ニヒッ、ありがと」
とは言っても、裏切られる可能性は否定しきれない。何せ彼女が家族と呼んだ者達は新世界その物にケンカを売っている。それくらい無謀な者達の家族なら、たかが学校に居られなくなるくらいわけないだろう。
そして、そんな者とサシで対話をするならそれ相応の覚悟がいる。良いだろう。と、由紀もタカを括る。これもきっと避けては通れない道だ。
復讐とはまた違うものかもしれないが、それでもケリを付けなきゃいけない一件だろう。
屋上に入るなり二ーノは屋上の電子ロックを閉じる。学校内のネットワークに好き勝手出入りできる技術を持つ彼女にとって、絶対破られない電子的施錠は造作もない事だった。
「マスターキーでも開かないから」
そう一言添えてから二ーノはドアに背を向け歩き出す。やがて屋上の端っこまできた。これなら仮にドアで聞き耳を立てられたとしても、よほど大きな声でなければ聞こえないだろう。お誂え向きに今日は風も吹いている。
「……それで、何を話せばいいのかしら?」
「せっかちね……ニヒッ、いいわ、あたしもまどろっこしいのは嫌い。ただそうね、先にあたし達の側の事情、聞いてもらえるかしら?」
復讐の動機。大体の流れは聞いてはいたが、当事者から聞いたことは無かった。興味が無いわけではないので、由紀は小さく頷いた。
「あたし達は床下の孤児院で育った。いつから、なんてのも知らない。物心着いた時には孤児院の人達を家族と呼んで過ごしてたわ。本当の親が居ないことになんの疑問を抱かずにね」
普通の家の者が血の繋がりのある者を家族と呼ぶ。それと全く同じ感覚で血の繋がっていないもの達を家族と呼んで育った。親が居ないことが不幸だとか、そういう感覚は由紀には分からないが……けれど家族と呼べる者がいるなら、親の有無はさしたる問題じゃないのだろう。
「だけど、あたし達には親と呼べる存在、孤児院の先生がいた」
先生。それは聞いたことのある人の事だろう。もちろん、亮が食らったという者の事。それを裏付けるように。
「あなたは知ってる?ディザスターと呼ばれる存在を」
と、二ーノは尋ねた。
「…………」
由紀は顔を伏せるだけで答えはしない。二ーノが自分の事情をどこまで知っているか分からない手前、答える訳にはいかなかった。
「ニヒッ、その顔……何も言わなくていいわ。ある日突然、そのディザスターとあなたのお母さんは突然現れて、先生と話をしたかと思ったら跡形も残さず消して行った。あたし達はその会話の内容をよく覚えてる」
その辺も亮から聞いたことがある。かつて宮里紀子は新世界の裏側に属し、彼女達の先生を亮が殺める際、そばに居たと。
同時にニーナが白露大橋で言っていたことも思い出して顔を顰めた。あそこでの出来事は忘れてはいけないことだが、少しトラウマになっている。
そんな由紀の反応を伺ってから二ーノは続けた。
「始まってすらいないだろうが、終わらせに来たぞ。なあに、終わりはしないさ。意志という物は脈々と受け継がれていくものだ。この世界を変えたいという願いは、きっと誰かが受け継いでくれる。そうか、よかったな。くたばれ」
芝居がかった身振り手振りで大袈裟に表現した。ただそんな物がなくとも由紀にとってその光景はとても容易くイメージできた。
「それだけだったわ。会話が終わってすぐに、先生はディザスターに吸い込まれるようにして消えた。良くある悲劇だな。なんていう呟きを、あたしは生涯忘れない」
彼だという確信は強まる。人の想いを取り込み、自分のものとして刻み、それでも「良くある」なんて言える存在はきっと、彼しかいない。
「それから、あたし達は復讐のために生きたわ。あの床下で知識と経験を積み重ねて、心を殺し、何とかこの表の世界にまで這い上がった。こそこそ動いて同じ志の者達を集めて──そしてあたしは、鈴木数馬に会った」
突然出てきた意外な名前に由紀は驚く。
「二年前、たまたま変なのに絡まれていたあたしを、たまたま通りかかっただけの数馬はなんの躊躇いもなく助けた。初めは「表の世界にこんなの居るんだ」くらいな感覚だったけど、その一週間後、たまたまお姉ちゃんと喧嘩して街を放浪していた時に、たまたま相談に乗ってもらった」
考えられない様な、そんなたまたまの応酬。だが有り得ない話だとは思わない。それが鈴木数馬だと言うことはよく分かっているから。彼ならやりかねない。
「それからね、高校に上がってより一層、数馬と愉快な仲間たちに触れて、あたしは変わってしまった」
毒気が抜かれたのか。ならばと由紀はこう尋ねる。
「あなたは、復讐はしないの?」
結局、そこに尽きる。
「そのつもりは、ない」
「……なぜ?」
復讐をしない。自分には全く浮かばなかった理由を、由紀は聞きたかった。
「この世界はあたしの人生を棒に振っても変えられない。そんなにこの世界は悪いもんじゃないって……数馬達と会って、あたしはそう思えた」
至極単純な話だ。それだけだった。この世界が好きだなんて一言も言わない。ただ別に命に代えてまでして、今ある世界をぶち壊す必要を感じられず、その上行動したとて世界を変えられる保証なんてなく、そのくせして死が待ち受けている事だけは間違いない。天秤にかけて自分の命と今ある世界の中に居る方が大切。
二ーノ・ヴァルバットは、普通の感性を持ち合わせていた。
そして、そこまで理解して、由紀は口元を歪め──
「……そう。わかったわ、ありがとう」
歪んだまま、感謝を伝えた。
「……なに?」
そこで初めて、二ーノが由紀に対して気味の悪さを感じた。
「教えてあげるわ。あなたのお姉ちゃんの最後」
二ーノの話を聞き、由紀の中で結論は出た。由紀の笑みの理由はそれだった。
「あなたお姉ちゃんは、あなたが一番最初に憎んだ相手に、文字通り粉々にされた」
「……うそ。だってゴー君はあなたにやられたって……」
「そしてそのゴー君……恩田轟を氷の造形にしたのが私」
「っ……」
躊躇いなく言ってのけた。他の誰かに知られるわけにはいかなかった事実を、由紀は二ーノに伝えていく。これは、由紀なりの感謝だ。
「あなたのお姉ちゃんに私は負けて、腕を一本奪われたわ。けれど、その代わり、私の左手を取ってくれたのが、あなたの大嫌いなディザスター」
「っ!?」
関わりがあるとは思っていた。だが、まさか由紀の背後に居るとは思っていなかった。だから二ーノに驚愕の表情と、何より、恐怖が浮かび始める。
「一昨日の深夜。あなたは数馬の背に引っ付いて逃げてたわね」
「……見ていたの?」
「えぇ。そしてそのすぐ後、そのゴー君とやらは息絶えた」
大した事なさそうに、さも当然のように、由紀は許されざる現実を並べていく。
そんな彼女を見て、二ーノは早々に諦めた。
「くっ…………はぁ……ホントは、少し、期待していたの」
ため息と共に吐き出された心から出た言葉、それは何だかんだ由紀と同じものだった。
「奇遇ね、私もよ。あなたには復讐を諦める選択肢しかなくて、諦めたのかと思っていたから」
「あたしは、あなたが復讐を止めてくれる人がいなくて、だから人としての道を外れざるを得なかったのだと思っていたから」
これは、たったそれだけの差だった。
「「あなたとは、分かり合えるかもしれないって思ってた」」
根っこの部分は同じだったのに、ただ二人に手を差し出した者が正反対だっただけ。
「けどそんなことは」
「なかったみたいね」
二人とも、まるで自分の別の可能性を見ている。そんな不気味な感じだった。ゲームで別ルートに行った自分を見ているかのよう。そんな正反対の存在を、理解出来るはずもなかった。
「ふふっ……」
「ニヒッ……」
二人で笑う。二人とも、「期待した自分が馬鹿だった」と自分を嘲笑う。ならばもうこれ以上の議論は必要なかった。これで会話は終わり、けれど戦うわけじゃない。
二ーノは復讐を諦めている。
由紀からすれば二ーノは復讐の対象ではない。
だからもうこれ以上、会話をすることは──と、そこでふと由紀が口を開く。
「最後に一ついいかしら」
「なに?」
「……あなた、歳いくつ?」
考えてみれば。十八年前に先生が無くなったとして、そのことをよく覚えているという事は、年齢的に今高校生であることはおかしい。そんなふと閃いた疑問に対し、二ーノは。
「…………ニヒヒッ」
笑って誤魔化した。由紀が見た中で、それは中々いい笑顔だった。
そして、ちょうど全く同じ時刻の、校舎裏に。
そこには、根本愛菜と鈴木数馬が向き合っていた。傍から見れば愛の告白でもしているかの様な光景だが、二人を知る者からすればコレはそんな甘い話じゃないと理解できる。
「えっと、宮里さんと鈴木さんって知り合いなんですよね?屋上行かなくていいんですか?」
取り敢えずロクでも無いことを聞いてきそうな数馬に対して、由紀を持ち出し牽制する。が、数馬の表情に乱れはない。
「……二ーノが、任せろって言ってた。なら、俺は二ーノを信じるだけだ」
「……そうですか……」
きっと、何はともあれ由紀が欲しているのは他でもない数馬からの言葉だと思うのだが、どうやら彼は分かっていないらしい。と、愛菜は相も変わらずな数馬に辟易する。
それから少し間があって、ようやく数馬が本題を切り出した。
「根本さん頼む!あの男について教えてくれっ!!」
「……すいません、どの男の事ですか?」
十中八九、亮の事だろうとは思うが、一応尋ね返す。
「……たまたまデパートで鉢合わせた時、最後に迎えに来ていた人が居ただろ?その人の事について聞きたいんだ」
予想通り過ぎるというか、これまた非常に不味い展開になってしまった。
「(……最後の最後で顔出すから……)」
あの時の亮の軽率な行動が自分に回ってきた事に、愛菜は心の中で盛大な溜息をつく。流石に、ここまで具体的に言われてしまってはシラの切りようがない。
「……」
ただ、だからといってお家へご招待。ともいかない。数馬に家を知られるのは嫌だし、何より亮に迷惑を掛けたくないという思いがある。元はと言えば彼のせいではあるのだが、それでもだ。自分が数馬にノコノコ着いてきてしまった事に非があるのは否めない。
神の存在を知る彼は最も警戒しなければいけない人物だと分かっていたから、尚のこと。
そうやって考えてイタズラに時間を経過させる愛菜に痺れを切らせたのか、数馬が口を開いた。
「…………七尾真衣」
そっちの名前を聞いて、愛菜は表情を歪めてしまった。
「彼女から伝言がある。って言えば、取り合って貰えるって、彼女から聞いた」
「……そう……ですか」
詰んだ。その名前を出された上に、伝言なんて言われてしまったら、もうこれは愛菜の手には負えなかった。
「……はぁ、分かりました。呼びますから少し待っ──いたっ!?」
突然、頭に「バチッ」という電撃のような何かが走った。
「ね、根本さん?」
「あ、いえ大丈夫です」
ただそれは一瞬だった様で、直ぐに痛みが引いた。自分の出自が出自なだけに、きっと体の不具合か何かだろうと割り切ってから携帯電話を取り出し、亮へと通話をかける。
「……あ、もしもし……うん、あのね、なんか鈴木さんが……その、神様から言伝を預かってるって」
と、伝えた瞬間。「ギャアアアアアアアアアアア!!!」という八代の悲鳴が聞こえたが、「帰りにまた電話してくれ」とだけ伝えられ、そのまま通話が切れる。
「…………なんだって?」
「放課後、一緒に来てください」
「わかった」
と、それだけで一応会話は終わったが。
「(あぁ、世界大丈夫かなぁ……)」
新世界どころか地球やらその辺が今日中に終わってしまうような気がする愛菜だった。
まぁ、本当は今しがた世界が終わり、新しい世界が始まったのだが、それは文字通り神のみぞ知る。
学園生活しませんでした……orz
ようやく終わりが見えてきました。次々回から別の章へと突入予定です
最近別の作品書くのが楽しくなるとかいうおそらく執筆者あるあるな出来事に見舞われています助けてください