人がゴミのようだ、という過の偉人の名言がよくマッチした場所だと思う。徒歩五分で到着したホワイト地区有数の巨大なデパートでは、一体どこから湧いてきたのだろうかと思うほどの人がいた。
亮が活気溢れるこの空間に感動を覚えたのは最初だけで、いざその人混みに紛れると激しい憂鬱に襲われる。
「……なるほど、人混みってのはこんなに鬱陶しいんだな」
魔力や人の視線、気配を感じるだけじゃない。人の七十倍の嗅覚を持つ亮にとって、人が入り混じるこの空間はある意味で地獄だった。耐えられなくはないが、気分を害されるとわかりそれらの感覚を抑える。
「慣れろ。確かにここの人の数はすごいが、セントラルほどじゃない」
「セントラル……確か、長……王の根城がある地区だったか」
「そうだ。面積が一番小さい地区ではあるが、人の密集がすごい。富裕層ばかりが住んでいることもあり、休日のこういった大型のデパートにはこれでもかと言うほど集まる」
想像したくない話だ。一度感動を味わうと、もう後は亮の中で評価が下がっていくばかりだった。
「適当に君の生活用品を揃えようか」
「ン、わかった」
「逸れるなよ、行くぞ」
確かにこの人混みに紛れ逸れたら、目視での捜索は手間がかかりそうだ。亮は笹塚の魔力の質と感覚を覚え、彼女の後に続いた。最も、特異な質を持つ彼女の魔力はそうそう忘れられはしないが。
「メンズの服といえばこの辺だろう。何か好みは……亮?」
聞くが早いか亮は早足で洋服を選び始め、さっさと手に取る。そんなにこの人混みが嫌なのかと思ったが、洋服を手に取る亮の顔がどこか輝いていて、好みの物だったのだと知る。
「これ頼む」
「あ、あぁ」
ジーパン、黒の無地のTシャツ、革のジャンパー。二式ずつ。本当に選ぶのが早かった。
「好きなのか、この組み合わせ」
「あぁ。俺の師匠が……いや、まぁ、おう」
「ふっ、そうか」
可愛いところもあるじゃないかというのは、心の内にしまっておく。
「次は歯ブラシ等の日用品だな」
「適当でいい」
「ならスーパーマーケットで食材の買い出しと共にすませよう」
そうして向かったスーパーマーケットで、亮はまた感動を募らせた。旧世界で何度も世話になったスーパーマーケットだが、商品棚は倒れ、食い荒らされていたりと散々な店舗しか見てこなかったので、綺麗に商品が並んでいる光景が本当に新鮮だった。
「すげえ、占領すれば二ヶ月は持つな。節約すれば一年持つぞ」
「あー、やめてくれ」
物騒な言葉を止めて、懐からメモを取り出す。それに従って商品を選び、買い物カゴに放り込む。
「……なんで加工前の食材は取らないんだ?」
「亮、料理というのは娯楽だ。インスタントや冷凍食品にも十分な栄養素が含まれている」
「あんた、料理できないのか」
「違う、しないんだ」
ひどい大人の言い訳を見た気がする。かく言う亮も料理などできる環境ではなかったため、したことはないが取り込んだ料理本のおかげでやろうと思えばやれる。
「よし、他に見て回りたいものはあるか?」
「いや、特には。終わったならさっさとあんたの家に戻りたい」
「そうか。なら行こう」
買い物カゴに商品を入れたまま出口に向かい、商品を買い物カゴに入れてそのまま店を出た。
「そういや、服の時もそうだったが、あそこのレジとか言うので会計はいいのか?」
「あぁ、ここはいいんだ。会計は店の出口通過時に自動で行われる。体内にそういうものが入っていてな。今はそれが主流だ」
自動会計システム。クレジットカードというものが失われた今は、体内のチップが手に取った商品を認識し、出口を通過すると手に取った商品を自動で会計するというシステムになっているらしい。支払いはバンクからの引き落とし。まぁ、クレジットカードがチップになっていると言っていいらしい。
利用には事細かい制約があり、通らないものはレジで現金会計をしなければならない。平均的な生活水準を普通に保てるものならば、大抵は自動会計だそうだ。
「さて、帰るか。荷物もかさばってきたところだ」
「貸してくれ、持つ」
そう言って笹塚から荷物を取り、両手に購入した衣服と日用品、食材を持った。
「気がきくじゃないか」
「……?当たり前じゃないのか」
突然襲われた際、生存率を上げるならば死なない方が荷物を持って動く方がいい。
「ほう、君は中々、女の扱いというものを心得ているらしいな」
が、そんなサバイバル精神に則った上での行動だとは知る由もない笹塚は、単に亮が無意識系のイケメン精神の持ち主だと感じていた。
「そういうわけじゃないが、まぁいいか」
何か勘違いされている気はするが、好印象を持たれたのならそれでいい。価値観の齟齬は中々埋まらない。まぁ初日だしと諦め半分で、亮は笹塚と共に帰路に着いた。
「ただいま」
「……ただいま」
笹塚につられるようにして帰宅の挨拶をし、購入した荷物の収納を教わりながら片付けていく。一通り片付けて落ち着いたところで笹塚に呼び出された。
ダイニングの大きなソファに腰を下ろして、笹塚は真面目な表情で切り出した。
「さて、出発前の続きだが、今から言う事は他言無用で頼む」
「……あぁ」
並々ならぬ雰囲気を感じて、亮も構えた。
「まず、私は後半年の命だ。もちろん、この世界の人々はみな自分の寿命を把握しているわけではない。私が特異なんだ」
「つまりあんたは普通の人間じゃないと」
「リバースオブダークネス。新世界の最初の魔術師、深淵の体細胞を使ったクローン。その成功例が私だ」
クローン。その単語は旧世界でもよく聞いた出来事だ。人類最大の業、自然破壊によって枯れ果て始める資源を複製するための技術。植物、動物の複製が行われていた。だが人の複製は禁止されていたはずだ。こちらの世界では当たり前なのだろうか。
「もちろん人の複製など御法度だが、人の心の闇というものがその計画を立ててしまった。そして、生まれた瞬間から私は自分の死期を決められている」
亮は黙ってそれを聞いていた。
「そのことに関して今更どうこういうつもりはないが、私がそういう物だと言うのは知っていてほしい。君には程度の低い話かもしれないが、それが私の、新世界の化け物の現状だ」
大した感情は浮かばなかった。複製品として生まれてきたから、死期を定められていて、どうせ新世界内では残酷な扱いをされてきたのだろう。ただ、現在は不自由なさそうな生活を送っているところを見ると、なんとかなったのか。なんとかしてもらったのか。
「だから君には半年でこの世界で生きていくのに十分な知識と常識を身につけてもらい、そして、私から全てを引き継いでほしい」
「引き継ぐ?」
遺産相続とでも言うのか。それとも自分の意思を継げとでも言うのか。
「君は私の義理の息子ということにする。そして私の遺産を継いでもらう。クローンだから、子供なんて物は居ないし作れないのだよ」
苦しそうな笑顔だった。
「……まぁあとは来るべき時に頼む事がある。新世界の化け物として、旧世界の化け物にお願いがある。君には、それを果たしてもらいたい」
「やっとしっくりきた」
全てはこのためなのだろう。彼女が自分を引き取ったのも。ようやく亮は納得できた。王のような「幸せになってほしい」などという理解できない気持ちではなく、そういう明確な目的があった上での慈悲の方が納得できる。
「俺は、自分のために動く。少なくともこうなってから誰かのために動いたことはない。だから、今まであんたらの行動原理が理解できなかった。あんたらに利はないからな」
「あぁ、よくわかる。利のない行動ほど信用できないものはない」
そういう生き方を彼女もしてきたのだろう。
「しかしな、世の中にはいるんだよ。自分に利はないのに、誰かのために行動できる正真正銘の化け物が」
彼女は知っているのだろう。そういう人種を。
「目の前で困っている人がいたら見捨てられない。利がなければ理すらない行動を、自分の命すら捨ててでもしようとするヤツ」
忌々しそうに語る彼女の笑顔は、まるで懐かしむような、そんな印象を受けた。
「私は憧れた。惚れた。一度はそうなりとさえ思った。まぁ、無理だったがな。……この話はいい。あとは君に関係する事か……あぁ、君の職についてだが、下のフロアの蔵書庫の整理を頼む」
「蔵書?」
「あぁ、今世間では電子媒体の書が一般的だが、紙媒体の本もある」
確か、デパートに書店というものはなかった。たまたま無いだけだと思ったが、そういうことかと納得する。
「紙というのは貴重な資源でな。だが需要はある。そういう趣味を持つもののために下のフロアでありとあらゆる紙媒体の本を保管しているんだ。時には売ったりもする」
「そのための整理か、わかった」
「その仕事も教えるから安心しろ。あとは、そうそう、君には一ヶ月間はこの家からは私の同行がない限りは出させないぞ。私は別の仕事もあるから、その最中に、勝手に家を出ないように」
「は?」
唐突な制約に亮は焦る。
「今日の君の動向を見ててわかった。さすがに世間を知らなさすぎる。これは命令だ。破るなら刺し違えてでも君を闇に沈めよう」
「やれるなら、と言いたいとこだが、まぁいい。どうせ時間は無限にある」
一ヶ月間ならば、暇だがどうにかなる。何百年と退屈な日々を送ったのだ。今更一ヶ月程度だ。
「出発前も言ったが、半年間。よろしく頼むぞ」
そしてまずは一ヶ月。
「亮、このザマはなんだ」
「いや、片付けをしてみたんだが、必要なものを出してまとめてみたら収集つかなくてな」
「いや、必要なものなど携帯と財布だけでいいんだ。なぜそんなに取り出す」
「突然家が燃え上がったらどうするんだよ」
「君が緊急事態を常に想定した用心深い人物というのはよくわかった」
「亮、これは?」
「ン?あぁ、エーテルを利用したプラズマだ。大気中のエーテルを凝縮して高密度のエネルギーを作り」
「わかったもういい」
「そうか」
「……プラズマを握りつぶすな」
「笹塚……さん、この本はどこにしまえばいい?」
「これは……向こうのアダルト作品の棚に」
「ン、わかった」
「……君はそういうものに興味はないのか」
「興味があった時期はあった。今はちっとも」
「……」
「なんだその目は……」
「いや、なに。健康診断でも見たが、男性なのにモノがないというのはどういう気持ちなのかと」
「うるせえ」
「今日の夕食のメニューはなんだ」
「ンー、鳥の唐揚げとポテトサラダ。あさりの味噌汁か」
「レモンはいらない」
「あんたそろそろビタミン取ったらどうだ」
「大抵の栄養素を取っていれば今の体格は維持できるような体質で生まれてきた。問題はない」
「揺るぎねえな」
「今日は仕事で遅くなるかもしれない」
「ン、店番は任せてくれ」
「君ももうこの店の経営に関しては一人前だな」
「誰かさんに仕込まれてるからな」
「ふっ……行ってくる」
「いってら」
「ただいま帰った」
「おう、おかえり。風呂沸かしといたぞ」
「気がきくようになったな」
「慣れた」
「後は口の利き方を気をつければ家政婦にでもなれそうだ」
「……ンー、おかえりなさいませご主人様?」
「やめろ気持ち悪い。それは間違っていないが違う。というかどこからそんな知識を仕入れてきた」
「旧世界だ」
「……まったく旧世界にはいったいどういう娯楽が流れてたんだ」
まぁ、上手くいっていた。些細な問題はあれど、親子として順調な生活を送っていた。旧世界の化け物はある程度、「普通」の皮を被っていられた。深淵にはそう見えた。
だが、違った。それは新世界の化け物の目線に、旧世界の化け物が合わせただけに過ぎなかった。
一旦新世界に一人で出てしまえば、化け物の化けの皮は簡単に剥がれる。
「……こうなってしまったか」
一ヶ月。社会の常識というものを知識として理解した亮は一人で外へ出た。目当ての「神の術」に繋がるものを探すために。深淵が一度同行して買い物に行った時は問題なかったが、まさか彼一人の外出一回目からこうなるとは思っていなかった。
「人助けというものの範疇だと思ってるんだが、ダメか」
「……いや」
チンピラに絡まれて攻撃されたところを反撃した。など簡単な話ではないのが問題だ。
亮と笹塚が居るのはホワイト地区の雑貨ビルの一室。中にはジャケットだけを羽織った半裸の女性一人と、外傷がない状態で意識を失っている六人の成人男性。
「……これがただの人助けで終わらないことを君は知らないだろう」
「違うのか」
それはそうだ。知るはずもない。新世界で生まれ育った者でも、知らない者の方が圧倒的に多いだろう。
「君がそこに転がしている男達は、新世界の犯罪組織の者達だ。そして、その内のそこの人物が指名手配できないくらいには犯罪に手を染めてきた男だ」
「……なるほど。要するに、笹塚……いや、深淵の職場ってとこか。ここは」
彼女が「新世界が表沙汰にできない人物の抹消」を仕事にしているのは知っている。そして自分は今その彼女の仕事を代わりにやってしまったのだと気がつく。
「君には知って欲しくはない世界だった。君を幸せにしたいという王の気持ちを踏み躙ることだからな、これは」
「わからないな。こういう連中を知らないことが幸せなことなのか?」
「普通であれば気分が悪いはずなんだ。そして人によってはそれが見ていられず助けてしまう。誰かが人を不幸にしようとしているのを我慢できない。そういう人種がいる」
「なんだそれ、主人公か」
「かもしれないな。いや、きっとそうなんだ。自分が納得できないから人の秘密だろうがなんだろうが土足で踏み込み、みんなが納得できるやり方で納得する。それも一人じゃない。仲間や、時には敵と協力して目標を成し遂げ、最後には皆笑顔になる。……思い出すだけで腹立たしい」
そういう笹塚の顔は、亮が見たことのない笑顔だった。実際にそんな人物が居たのだろうか。そしてその誰かは、彼女と何かしら繋がりがあったのだろうか。
まぁ、そんなことはどうでもよかった。
「俺はンなことない。いつだって自分優先だ。俺は俺が最も大切だ。この状況も助けない場合、なにかしら罪に問われるんじゃないかと思っただけだしな。次からは見て見ぬ振りでもするさ。ンで、こいつらどうするんだ、殺すのか?」
「あぁ、君の手を借りるまでもない」
懐からあちらの世界でいた時に見た拳銃を取り出し、それで的確に倒れた男たちの頭を撃ち抜いていく。亮は先ほど自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら、その光景を眺めていた。
「わかってはいたが、君は本当にこちら側の人間なのだな」
「そんな大層な話でもないだろ。目の前で人が殺されても無感情であるかないか。事実通りの差でしかない」
人を殺すとその人から恨まれるという。霊がどうのこうのとかいうのを聞いたことがある。この世界でならば、人を殺すことは犯罪で、償えないほど大きい罪である。後は殺された人の家族たちが悲しむ。人を殺しちゃいけない理由なんて様々あるが、亮には当てはまらない。
罪になるかもしれないが、彼を拘束できる存在はこの世に存在しない。殺された人の家族が悲しむかもしれないが、心底どうでもいい。そうすると社会的な立場が完全になくなり、新世界の敵になるが、新世界など敵ではない。
では殺された人に恨まれ呪われるというのは?
それは、望むところだった。殺してくれるのであれば殺してほしいのが本音だ。最も、呪い殺されるのが本当であるならば、とうの昔に死んでいるとは思うが。
「そうやって割り切れてしまっているから、君は世界で一番不幸なんだ。目の前での人の生き死にを、客観的に見れてしまうのが」
「……そうでもない」
人の生き死には統計で見れば大したことではない。だが関係者になればそうはいかない。そんなことは知っている。人の生き死に多くの想いが関わる。だが、亮は関わり過ぎた。主観で見てみる努力はする。現にしてはいる。殺したら親族はどう悲しむか。考えて、その後を思考して、けれど、その上でどうでもいい。
「……先に帰っていてくれ。そして今日のことは見なかったことにしてくれ。何もなかった。何も関わっていない。そうしてくれ」
「わかった」
そうまでして関わらせたく無いのだろう。きっと、踏み出してはいけない一歩を彼女は止めてくれている。そんな感じがした。
ならば、彼女が生きている間は留まってやろう。人を攻撃して、一ヶ月ぶりに感じた事がある。
やはり、こっちの方が気が楽だと。
『まったく主はつくづく幸せにはなれんのじゃな』
『さあな』
久し振りに語りかけて来た狐が、くつくつと笑っていた。
亮は表の世界を笹塚の元で学び続けた。表の世界での常識、価値観、感性。理解できたとは自分でも思う。性に合わないとは思っているが、馴染むことはできているだろう。居心地は悪いが。
そして、その時は来た。
「もしもし」
『魔人か?』
笹塚に渡された携帯電話に非通知からの着信が来る。それに応答したら、知らない声が聞こえた。
『深淵が倒れた』
「……あぁ、もう、半年か」
覚悟はしていたのに、胸が痛んだ。自分に人らしい心が残っていることに苦笑する。
『メールを送る。その病院に来い』
「あんたは?」
『深淵の上司とでも言っておこう。あぁ、笹塚未菜の友人とも。名前は……ナナシでいい』
彼女にも友人というものが居たのか。なんて考える。ナナシ、名無し。もう少しうまい偽名がないものか。
「わかった。すぐに行く」
そう言って電話を切った。
優しい世界が終わる。平和な世界が終わる。なんとなく、そんな気がした。