魔法使いの杖。インテリジェントデバイスと呼ばれる自立思考するAIを内蔵した杖であるレイジングハートは、現在、仮の主であるユーノ・スクライアと、彼の呼び声に応えて駆け付けたことによって死にかけている少女を助けるべく、一つの手段を行使することとした。
対象のリンカーコアより強制的に魔力を抽出することによって変身を完了させるという荒業。通常の魔導師相手では本来不可能であるそれは、倒れた少女、高町なのはが魔法を一切知らない素人であったことが幸いし、どうにか形として成立した。
空すら貫く眩い桜色の魔力が飛びかかってきた暴走体――この暴走体のコアとなっているジュエルシードの回収がユーノの使命である――が魔力の渦に吹き飛ばされる。
その間にレイジングハートは朦朧とするなのはの思考よりバリアジャケットの核を選択。杖の形状は基本的な設計を元にバリアジャケットと同じ白を基調とした杖型に固定。
物理的な圧力すら生み出す魔力の中でなのはの体を小学校の制服に似たバリアジャケットが包み込む。その蒼白とした顔と相まって、まるで死装束のように見えた。
『固定完了。強制治癒に入ります』
「ぁ? ぁああああああああ!!??」
次いで、胸の傷口へと注ぎ込まれる治癒術式による激痛でなのはは絶叫をあげながら意識を覚醒させた。
敵が目の前にいる以上、麻酔をして安全に治癒をする暇などない。魔力量に物を言わせて、欠損した内臓、肉、骨を疑似的に生体組織と繋げて蘇生させていく。それによって瀕死の状態で停止していた痛覚が覚醒、傷口を直接まさぐられるような激痛に、なのはは泡を吹きながら悶絶していた。
「ぃ、ぎ!? ひぃ……! ひぃ……!」
痛みに脳髄がスパークする。痛みで意識が断絶し、痛みで意識が浮上する。時間にしてものの数秒程度のことであったが、大人でも根をあげる拷問のような強制治癒は、体感では数時間にも及ぶ地獄であった。
そして、なのはを中心に渦巻いていた魔力が治癒により使い果たされ淡い残滓を残して消滅する。
「はぁ……! はぁ……!」
支えを失ったなのはは、倒れそうな体を、レイジングハートを杖にすることで何とか支えた。
だが既に失った血潮と痛みによって疲労困憊。蒼褪めた顔と震える手足では、未だに万全な状態を保つジュエルシードの暴走体を前には抵抗することすらかなわないだろう。
一秒後に消えるはずだった命が一分後に伸びただけ。現状は最悪を抜け出しておらず、何よりもなのはは未だに現状そのものを理解しきっていなかった。
そして、そんななのはの状況を黙して待つ程に暴走体は気が長くない。
「■■■■ッッ!!!!」
苛立ちの咆哮をあげて暴走体が再度跳躍する。見上げた巨躯より生み出される触手は数えて十本。
あぁ、あれが私の身体を貫いたのか。などと呆けるなのはを再び貫かんと、触手は勢いよく襲い掛かり、それよりも早くなのはの目の前に飛び出したユーノが障壁を展開するほうが早かった。
「こっちだ! 早く!」
暴走体の触手を全て弾き飛ばしたユーノが痛む体を押して声をかけて先頭を走りだす。
今必要なのは体勢を立て直すだけの時間だ。なのはは攻撃を防がれたことで警戒する暴走体を一瞥すると、先を行くユーノを追って震える足を必死に動かした。
「あ、あの……これって一体、何なのかな?」
「ごめんなさい……貴女を巻き込んだことは謝っても許されることではないけど、今は端的に説明させてほしい。僕はユーノ・スクライア。君の名前は?」
「わ、たしは……高町なのは」
ユーノとなのはは走りながら互いに自己紹介をする。その背後では一定の距離を開けながらこちらに飛びかかるタイミングを狙う暴走体が迫ってきていた。
状況はもう一刻を争う。ユーノは「それじゃなのは、聞いてほしい」と前置きをしたうえで、簡潔に説明を始めた。
「今、僕らに襲い掛かっているあの化け物を君には退治してほしい。お願いします、お礼は必ずしますから」
「化け物、退治? で、でも、私にはそんなことをする力、なんて――」
そこまで言って、なのはは自分が握るレイジングハートへと目を落とす。ユーノもまた、すぐに頷いてみせた。
「滅茶苦茶な契約だったけど、今の君はその杖、レイジングハートを触媒に魔法を使うことが出来るはずです。それを使えば、きっとあの暴走体も封印することが出来る」
「レイジングハート……封印……」
「眼を閉じて。そして集中すれば、君の胸の奥から魔法が紡がれるはずです」
ユーノの言葉に追従して、なのはは眼を閉じて己の奥に意識を飛ばした。
既に暴走体はこちらを射程に捉えている。三度放たれる触手による攻撃、次こそは確実に殺してみせるとばかりに疾駆したそれに対して、なのはは微動だにしない。
「くっ……!」
せめて魔法が紡がれるまでは盾となってみせるとユーノが障壁を展開しようと飛び出る。だがそれよりも早く、ユーノを追い越して無数の桜色の鎖がなのはの前に張り巡らされた。
全ての触手はなのはとの間に展開された鎖を突破できずに弾き飛ばされる。そこで、なのははゆっくりと眼を開いた。
「……これが、魔法?」
己の内側より漏れだした魔法の鎖。ただ無意識に口から吐き出したそれらを見るなのはは、自分が魔法という超常現象を行使したという事実に心を震わせた。
なのはが知り得る科学では決して行うことが出来ない現象。高度に発展した科学は魔法と変わらないというセリフは果たして誰のものだったか。そんなことを思いながら、そういったどうでもいいことをすぐに破却して、ただ自身が生み出した奇跡に魅入る。
「危ない!」
ユーノが突進する暴走体に気付いてなのはに叫んだ。しかし、今やなのははこちらを瀕死にまで追い詰めた存在に対して、全くといっていいほどに興味を示していなかった。
あるのはただ、この身が編み出した未知への歓喜。
それは乾いた喉が最初に口にする水のようになのはの心へと染み渡った。前世の己を自覚してから過ごした、惰性と倦怠の日々。なまじ記憶が無く、知識だけが残っていたせいで、真綿で首を絞めつけられる息苦しさに悶えていた今まで。
「ひ、ひひ、ひは……!」
粘着質な笑い声が溢れる。喜びと楽しさで過剰分泌された脳内麻薬による絶頂すら覚えてしまう。
気が狂ってしまう。こんな面白いものがこの世界に存在していた事実に脳味噌がぶっ飛ぶ心地。
故に、その喜びのままに、なのはは一瞬にして百を超える鎖を生み出して、突進してくる暴走体へと突き立てた。
「■■■■ッッ!!??」
「ひっひひ! 凄い!」
肉を抉った鎖がその身をのたうち回って、抉った傷口からさらに進入を果たそうともがく。傷口をまさぐられる痛みに叫ぶ暴走体を見て、なのははこちらの意に従い動く鎖の挙動にはしゃいでいた。
だがこの程度では足りない。
もっとだ。もっと、私の知らない私が知りたい。
「楽しいわ! 見てスクライア君! キラキラのお星さまが沢山! ううん、尾を引いて走る流星ね! 私は流れ星をいっぱい吐くの!」
リンカーコアが白熱する。なのはの体からレイジングハートを通じて魔力が猛る。構築した術式は、百を数える内に五百を頂く鎖の奔流となってなのはを中心に渦巻いた。
その中心で少女が躍る。くるくると楽しそうに回り、口許を引き攣らせ、口内より泡を吐いて己に酔う。
アスファルトで削れた顔面の怪我さえ見なければ、桜の海で舞う愛らしい妖精だ。そう見えておかしくない光景を見てユーノが感じたのは、暴走体を蹂躙しながら無邪気な声をあげる純粋無垢な異常者ということだった。
狂っている。
くるくると、狂い狂い、ぐるぐると。暴走体が悲鳴をあげる。激痛をBGMになのはが踊る。
「魔法! 素敵な魔法! 甘いお菓子と綺麗なドレス! お星さまの海が私の力!」
蛇だ。ユーノは思った。地面を這う蛇の群れが、邪悪な怪物に殺到し、アスファルトで擦った顔面より溢れる血で純白のドレスを真紅に染めた狂人に怪物の血肉を献上している。
顔半分を血に染めたなのはが己の顔を一撫でする。すると、皮膚が剥がれ肉が剥き出しになっていた顔の傷が一瞬にして治癒されていた。傷が癒え元の美しい顔を取り戻す。だが無貌の表情を見れば、まるで仮面を被り直したようにみえたことだろう。
「でもね、まだまだ私は知りたいことが沢山あるの」
なのはがレイジングハートを一振りすると、鎖の海で全身をズタズタにされていた暴走体が現れた。
即座に回復が始まった暴走体が、動けるまで回復すると同時にその場から飛びずさる。
燃えたぎる殺意の熱で彩られていたその瞳から炎は掻き消え、今や怯える童のような恐怖ばかりがその眼に露わとなっていた。
その眼をなのはは酷薄に見下す。冷酷非情、慈悲なき双眼に映るのは、己の力への欲求のみ。
「だから私に魅せて、レイジングハート」
最早、獲物と狩人の立場は逆転し、これより始まるのは勝敗の決まりきった意味無き闘争。
地獄の如き少女による、一方的な蹂躙に他ならず。
「■■■■ッッ!!!!」
乾いた咆哮と怯えた殺意が暴走体より解き放たれる。だが全霊を賭しただろう触手の群れは、なのはが展開した鎖の総量の一割にすら届かない。
まるで互いに秘めた異常をこそ顕現させたかのような軍勢の優劣、対するなのはが指揮者のようにレイジングハートを振るえば、敵手の群れと同数の鎖が飛翔した。
敢えて同数を選んだ理由は一つ。なのはは打倒を目的とせず、あくまでこれよりは自身の研鑽を前提とした鍛錬にすぎない。
虚空で両者の意志が激突する。しかし、所詮は人ではない者に人の狂気を超える道理はないと言わんばかりに、なのはの魔法は一方的に暴走体の悉くを打倒した。
「ひぃ、ひぇひ、えひっ、えひっ。いひひ!」
肉をぶちまけさせる己の魔法の冴えに、なのはが嬉々として肩を揺らした。
あぁ何たる甘美な光景だろうか。
あまりにも突然の出来事に過ぎて、まるで夢にでもいるような錯覚に陥る。
だけどどうか覚めないでとなのはは願った。この世界に自分の人格を目覚めさせてくれた神へと祈った。
一秒毎に生きている実感がある。この喜びに呼応して揺れ動く鎖の数多へ充足を乗せて操り、感謝を込めて暴走体へと爪立てて。
全てが新鮮だった。
高町なのはに秘められた魔力は、間違いなくかつての自分には欠片も存在しなかった奇跡。
そして多重展開した魔法を平然と操れる地力だって、きっとかつての自分では鎖を二つでも操れれば充分であった程の高み。
単純な地金を見誤った。この身は確かに肉体能力では劣っていたが、高町なのはには目に見えない才能が存在していたのだ。
故に、歓喜の中でなのはは自分自身へ慙愧の念を覚えていた。
ごめんなさいと、この才能に一切気付かずに腐らせていた自分に謝りながら、これまでの鬱憤を晴らさせてあげるべく暴走体を的に魔法を存分に行使する。
千を超える桜色の幻想こそ、彼女が秘めた力。そして、これは未だに加工されていない宝石の原石ですらあった。
だからごめんなさい。
こんな素晴らしい力を秘めているのに、家族に尽くさせるという
君はきっと私の中で憤りを覚えていたはずだ。
私はもっとやれることがある。
もっと素晴らしいことを実現することが出来る。
何故、お前のような凡人が
きっと人格が目覚める前の自分ならそう思うはずだ。凡人たる己を唾棄し、罵倒し、殴り殺しても尚足りぬ憎悪を覚えるはずだ。
だからこそ本当にごめんなさい。
でも、ありがとう。
そんな天才を、天才だと分かる自分に授けてくれてありがとう。
だからこそこれから先は決して君を不安にはさせない。
より強く。
この肉体の赴くままに強く。
高町なのはをもっともっと、この凡夫の身では理解が出来ない全てを賭して磨き上げてみせるから。
どうか安心して、君の全てを私に食らわせてほしい。
その手始めにまずは一つ。
「さぁ、楽しいことを始めましょう」
恐ろしい怪物を、素晴らしき我が身で駆逐してみせようではないか。
無垢なる狂気が怪異を飲み込む。
今や愉悦の赴くばかり、高町なのはは悲鳴へと変わった暴走体に向けて、やはり不細工な笑みを見せたのであった。
暴走体があげる悲鳴が消えるのは、これより一時間後のことである。
次回、修行回。