少女マンガのような恋に憧れていた。苦しんでいるヒロインの元へ颯爽と駆けつけ、助ける白馬の王子様に憧れていた。恋に落ちた少女は様々な困難を乗り越えて、王子様と両思いになる・・・
文字通り、マンガでしか起こらない展開だったと悟った。
私、島田美波は帰国子女だ。お父さんの仕事の都合で私が小さいときに家族でドイツに引っ越したらしいのだが、あまり詳しいことは覚えていない。ただ、初めて見る土地に興奮し、その場所に住む人々が使っている聞いたことのない言語に不安を感じたことは脳内に焼き付いている。
今になって聞けば、直前までお父さんが単身赴任でドイツに行くか、家族みんなで行くかで両親が揉めていたらしい。お父さんは自分一人だけで行く、家族にまで迷惑はかけられないと言っていたが、最終的にはお母さんの「一緒にいてこそ家族じゃない」という一言に折れたとのことだ。もしここでお父さんの意見が押し勝っていれば私はずっと日本で暮らしていただろう。どちらがより良かったのかは分からない。ただ、ドイツで両親や妹とみんなで生活出来たことは間違いなく幸せな時間だったと断言できる。本当に両親には感謝している。
完全に移住したわけではなく仕事での引越しのため、明日日本に呼び戻されることになってもおかしくない、とお父さんが言っていた。そのため、家に帰ってからは日本語とドイツ語の両方の勉強をすることとなった。
助かったのは、まず日本語を最初に学び、使えるようになったことだ。これによって頭の中で、日本語で思考が出来るようになった。人は、最初に覚えた言語を使って生活していく。最初に覚えたのが日本語であれば、その後、ほかの言語を習得して会話するときも一度日本語に変換してから意味を理解し、会話するようになっている。ドイツにいるから、と安易にドイツ語から学ばせなかったことについては本当にお母さんに感謝している。もちろん、その分だけドイツ語の習得が遅れ、学校で苦労はしてしまったが。
ドイツでの暮らしは10年以上続いた。ドイツの人々から見れば外国人である私だったが、学校生活は充実したものだった。見た目で完全に浮いている私を気にせずに接してくれる人が多く、ドイツ語の勉強に付き合ってくれたクラスメートもいた。偏見や差別の目で私を見るクラスメートも少数いたが、私のところまで被害が来る前に友達が守ってくれた。本当に感謝してもしきれない。私もできる限り友達のために色々なことをしたが、まだまだ借りの方が大きいだろう。
そんな生活が終わりを迎えたのは、日本でいう中学3年生の時だ。お父さんが本社に勤務することとなり、日本に戻ることが決まったのだ。しかも、ドイツに来る前に住んでいた所とは違い、かなりの都会らしい。
「美波と葉月には申し訳ないと思っている。特に美波には2度も引越しを経験させることになってしまった。ドイツでの生活にも慣れただろうし、こちらで出来た友達もたくさんいるだろう。」
お父さんはそう言って謝ってきたけど、心配ないから大丈夫、となるべく明るく伝えた。ドイツへの愛着もないわけではないが、自分もれっきとした日本人だったのだろう、日本への愛着は捨てきれずにいたのだ。もちろん長い年月を過ごしたドイツへの感情もあるが、母国への想いがそれを上回っていた。日本で暮らしたい、日本で生活したい、という気持ちが心に満ちるのに、あまり時間はいらなかった。
私がはっきりと賛成を口にしたことで、前にドイツに来た時とは打って変わってスムーズな引越しとなった。・・・クラスメートとのお別れ会では号泣してしまったが。おそらく、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見られただろう。ただ、友人も泣いていたのでおあいこということもできるかも。涙を流しながら見送ってくれた友人を見て、いつか、いつになるかは分からないけど、絶対に借りを返しに来よう、と心に誓った。
そんな訳で約10年日本に帰ってきた私だったが、その気持ちを噛みしめる間もなく、手続きに追われた。
高校入学の試験である。帰国子女の私が義務教育を受けないまま高校に入れるかどうかが心配だったが、そこはお父さんもきちんと考えていたらしく、文月学園という私立高校を勧められた。私立にもかかわらず学費が安く、とにかく『学力を伸ばしてくれる』高校ということで、私もいい印象を抱いた。おまけに家からそんなに離れている訳ではなく、私でも十分に徒歩で通えるくらいの近さであった。「善は急げ」という諺が日本にはあるが、早速お母さんと一緒に学校へ見学しに行った。
そこで1人の教師から文月学園の特色などについて詳しい説明を受けた。召喚獣とか試験召喚戦争とかいろいろな話を聞いたが、いずれも勉強への意欲を伸ばしてくれる制度だと感じた。少々不気味ではあるが(実際お母さんは危なそうだからここはやめておいた方が、とささやいてきた)、なにより学費の安さが魅力的である。ここに入学できればあまり両親に迷惑を掛けずに済むと考え、受験することに決めた。
家に帰ってからお母さんは、危なそうだからやめておいた方がいいかもとお父さんに相談していたが、ここで私が猛烈アピールを決行した。結果、しぶしぶながらもお母さんも受験を認めてくれた。
ドイツではそこそこの順位だったこともあり、帰国子女用の特別入試に無事合格することが出来た。喜ぶ家族に囲まれながら、日本での高校生活に胸を躍らせていた。
そんな期待は入学早々吹き飛んだ。
先生が教科書の内容を日本語で話しながら黒板にどんどんと文章を書き連ねていく。周りの生徒は(遊んだり眠ったりしているごく一部の生徒を除いて)すらすらとノートに文字を書いていく。対する私のシャープペンシルは授業開始から不動の立ち位置をキープしていた。
「・・・かんじ、わからない」
思わず、小さな呟きが漏れてしまった。それと同時に、冷や汗が流れてきた。
そう、確かに日本語の勉強はしていたし、そのおかげで会話もなんとか様にはなっている。だけど、勉強してきたのは平仮名である。それだけ覚えていけば頭の中での翻訳には不都合が生まれなかったため問題なかった。
だけどそれはドイツでの話である。日本で平仮名だけで生活できるはずがないと気付くのが遅れた代償が今の状況である。説明会や特別入試の時に日本語をつっかえながらも話せたことで、先生もこれなら大丈夫だと思っていたのかもしれない。おかげで、ドイツにいた頃と変わらない状態で日本の授業を受けることになってしまった。
こんなことなら、もっと町に出ておくべきだったと今さらながら後悔する。出かけていれば平仮名だけでは生活できないと気付けていたかもしれない。本屋にいけば一発で気付いていたのに。ここで自分の読書嫌いが牙を抜くことになるなんて思ってもいなかった。
・・・理不尽なのは分かっているが、漢字を教えてくれなかった両親を少し、少しだけ恨んだ。
結局、先生の言っていることだけは理解できたが、教科書がまったく読めないまま授業が終わった。
そんなこんなで、家で涙目になりながら小学生用の漢字ドリルと格闘する日常が始まったのである。