我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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この話には作者の趣味が過分に含まれます。(古代ファンではありません


第1話 黒髪

 肌寒い夜だった。

 月光が少女を照らしている。

 

「夜が甘美であるのは、秘するからだとは思わないか?」

 

 そう言う少女の口元は、光が妖しく反射していた。

 

「独り占めするのもいいが、分かち合うのもいい」

 

 細く白い指が口元の光を拭うと、指先に付いた光が舐め取られる。舌の上で唾液と混じり合い、程よい苦味と甘味を少女に伝えた。

 

「しかし、分かち合えばすぐに無くなってしまう」

 

 少女は足元に目をやると、小さなため息を吐いた。

 微動だにしない肉体が一つ。所々に人ではあり得ない特徴があった。

 

「よく喋れる程度には稀なやつであったのに、少しもったいないことをしたか」

 

 布都は足元のそれに向かってしゃがみ込み、顔を下げる。灰色の髪が血に触れたが気にした様子もなく、舌を這わせた。

 

「……あぁ」

 

 先程よりも、強く深い香りが鼻腔を満した。

 酔ったような恍惚の表情を浮かべた布都は、手を胸に突き刺し、ゆっくりと侵入させる。深く入る毎に液体が溢れ出て、熱が白い蒸気として目に見える形で出てきた。

 手を引き抜くと、そこにはお目当ての果実があった。

 

「……堪らないな」

 

 そう言うと、かぶりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 この国がまだ日本という名前を持っていなかった頃。

 邪馬台国が滅亡した後、内乱状態になったこの国をまとめ誕生したのが、ヤマト政権という政治組織であった。 

 この政治組織は、六世紀頃には九州から東国まで勢力を拡大し、権勢を誇った。

 勢力拡大には武力による衝突が主であったが、この国の拡大に関しては少し事情が違っていた。

 

 絶対的な課題として生存があった。

 人を回避しなければならなかった。人と人とで争うよりも優先すべきことがあった。

 刃が通じない程の頑強な皮膚、骨ごと食いちぎるような牙と顎力。夜になればそれらは現れ、人を襲った。

 人間同士でいがみ合っていることを続けていられるような環境ではなかった。

 人間は手を取り合った。

 そうした動きにより、ヤマト政権の拡大し、仮初めともいえるくらいに人の生存が確保され、人は思い出したように人間同士で争うようになってきていた。

 

 争う理由は権力だった。

 ヤマト政権には氏姓制度という身分制度がある。豪族には、例えば蘇我氏といったように()が与えられ、また(せい)という地位や職を表す名を与え序列もつけられた。

 その中の(おみ)(むらじ)という二つの姓が、ヤマト政権のなかでも中心的存在の豪族に与えられ、争いの火種となっていた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 その言葉には、諦観と憤りがあった。

 

「――馬鹿らしい」

 

 布都は気に食わないでいた。己の置かれた現状とその扱いにである。

 布都は物部氏という豪族の長の娘として誕生した。物部氏というのは連に値する姓を持ち、その連の中でも大連というより中心的な存在となっている。

 その高すぎる身分がゆえに、自由とは程と遠い環境にいた。だが、布都は自由が欲しいのではなかった。煩わしいものを嫌っていたにすぎない。布都にとっての煩わしいものというのは、人と人との関わりであり、それを強制されることがどうにも耐えられなかった。

 物部の子ともなれば、その数は多い。物部の氏族とは幸運なことに、才能を認められた者は多く、どれもが並以上の何かを持っているとされていた。布都はその中でも格別であった。

 

 ――まるで粘液のようだ。

 

 父の物部尾輿の視線からは常に期待というものが混じっていた。それは次第に氏族中に伝搬し、家人のほとんどが似たような視線を送るようになっていた。布都にとっては、見えない重しが肩にのしかかっている想いだった。自然、布都はそういう視線から逃れるかのように、身を隠すようになった。

 

 威勢表すように大きな物部の屋敷で、気忙しい足音が響き渡っていた。

 

「姫様はいずこに――」

 

 幾人かの者たちが布都を探し回っている。

 布都は屋敷のはずれにある一室にいた。部屋には凹凸があり、身を隠すことが出来た。布都はそれを利用し、壁に背を預けながら身を潜めてだらけていた。

 とはいえいつかは見つかるだろう。そう思うと布都はあらゆる全てに対して気が乗らない。

 

「――布都はどこにいる」

「まだ、見つからず――」

「隅々まで探せ!」

「っは! すぐに」

 

 布都の名を、名指し呼び捨てで口に出せる者はごくわずかである。

 

(父上まで探しているとなれば、面倒事だな)

 

 あまり気の長い方ではない尾輿は、部下がきびきび動くことを好むがその逆をひどく嫌う節があった。

 その大きな声のやりとりは布都にまで聞こえてきており、眉間に皺が寄ったが動きはしなかった。布都は、家臣に対して辛く当たることもないが優しくもない。あまり関心を持っていなかった。

 布都が顔を上げると、闇夜のような黒い髪が肩を撫でる。髪の指先で掴むと、気怠げにいじった。やがて戸を開かれると、部屋の中に少し踏み込んだ人間が中の様子を確認するやいなや、すぐに出ていった。

 布都は戸を恨めし気に睨んだ。

 

「ここにいたのか。――探したぞ」

 

 探すなとは言えなかった。少なくともこちらには用はない。

 

「……何用でしょうか」

 

 目が合うと、尾輿は眉を寄せて咳ばらいをした。

 

「参内せよ」

「何故でしょうか?」

 

 参内とは朝廷に出仕することである。

 面倒事だと思っていた布都だったが、予想を超えていた。

 布都の視線を直に受け止めた尾輿は、後ろへ引きそうになる身を堪えて答えた。

 

「……お前を一目見てみたいというものが多くてだな」

「それこそ何故でしょう? 跡取りでもないただの子供をわざわざ見たいなどと、宮中の方々がお思いになるとは考えられませんが」

 

 そう言う布都に、尾輿は言葉が詰まった。

 だが尾輿は引きたくはない。なんと言おうと押し通すつもりである。

 

「政治というのは、いわば関係性だ。お前も物部の人間であるなら、そういう機会も訪れよう。お互いに顔を把握していくのも政治の延長上なのだ。――いいな?」

 

 布都は黙った。

 

(子供騙しとしてもどうであろうか) 

 

 酷い口上で、茶番に無理やり付き合わされそうな状況が気に食わない。

 

「……兄上はどうされるのです?」

「あいつも連れていく。お前一人ではないから、心配することはない」

 

 布都は息を吐くと、しぶしぶといった様子を隠さずに頷いて見せた。

 そんな布都の態度に尾輿は不快感を示さず、喜色を浮かべた。

 

「おお、ようやく来るか。――それは良い」

 

 言うやいなや、尾輿はさっさと部屋から出ていった。

 

 ――これは兄上も苦労しているだろう。

 

 布都は兄の苦労を想った。

 立場には責務があるらしい。馬鹿々々しいと思わないでもないが、特権を享受出来ている自覚もあった。だからといって、興味のないものは興味がない。

 布都は隣に向かって口を開いた。

 

「――止めてくれても良かったのでは? 兄上」

 

 兄上と呼ばれた男は、初めから同じ部屋にいた。

 布都の横で、壁に擦りつくように身を隠していた。

 

「いや、話を振られなかったからな」

「では振られていれば、止めてくれたと?」

「もちろんだ。兄とはそういうものだろう」

 

 男は物部守屋といった。布都の兄であり、次期当主としての扱いを受けている。

 

「では今からでも遅くありますまい。偶々見えない位置にいたから会話に参加しなかった理由と一緒に話されると良い」

「おいおい。ここから追い出す気か? しばらくここでゆっくりするつもりなのだが」

「兄とはそういうものでは?」

「過ぎ去った時には勝てない。時を追いかけるのは負けたやつがするものだ。そこに兄妹はない」

 

 普段、布都はあまり雑談を行わない。話し相手がいなかった。だが例外はいた。その例外が横にいる兄の守屋で、諧謔(ユーモア)の調子がよく合った。そして何よりは、他人が大事に想っているものを、大したものだと思っていない点において仲間であった。

 

 そんな守屋としても、話が合う存在というのは少なく、布都と会話をするのを好んでいた。

 物部氏の子息ともなれば、自分と同じ身分の者すらほとんど存在していない。しかし同じ身分であれば、同じ尾輿の子としては幾人かいる。現状、物部の次の長となるのは守屋とされており、守屋にとっての他の子供というのは敵でしかなかった。実際に暗殺されそうになったことも多々あり、守屋にとって屋敷の中は落ち着く空間とはいえなかった。

 

「父上は結局のところ、どうしたいのと思っているのでしょうか」

 

 守屋は一拍間を開け、答える。

 

「物部という存在を頂点にしたいのだろう」

 

 それに何の意味があるのだろうか。属するという欲がない布都にはそれは分からない。

 だが、参内した際に一体なにをさせられるのか。おおよそ予想がつかないわけでもない。

 

「……されば我らはさしずめ見世物でありますな」

「言うな。悲しくなるだろう」

「そんな感傷的なものをお持ちだとは思いませんでしたが」

 

 目が合う。

 守屋の眼はおだやかとは言えなかった。

 

「……見世物というのは己の意思で動けないものだ。どうにもやりきれないこともある」

 

 絞りだしたような声。

 布都はもう一度茶化した。

 

「さすが体験されてる方の感想は違いますね」

 

 守屋は茶化しには付き合わないで話を続ける。

 

「世代一つ早く生まれていたらと、今でも思ってしまう」

「おや、それは望みすぎでは?」

「ん?」

 

 また目が合う。

 

「……お前に言われると、なんだか新鮮に聞こえるな」

 

 守屋には生まれた境遇を考えたら現状に満足するべきだという風に聞こえた。 

 

「ああ、言葉が足りませんでしたな」

 

 布都はにやりと笑って見せると、人差し指を立てて、くるりと回す。

 

「兄上には何か欲しいものでも? いらぬものばかりと思っていましたが」

「……ふむ」

 

 守屋は頷いた。

 

「……そうか。いや、そうだな」

「良き人生とはいらぬものを取り払ったものではないかと。反対につまらぬ人生とはそれらを取り払え無かった人生かと」

 

 守屋は思わず笑みをこぼした。

 

「年寄りのようなことを言う」

 

 たしかにと思った布都は、簡潔に理由を述べる。

 

「執着が無いからでしょう」

 

 そういうものかと、守屋は頷いた。

 




 布都ちゃん
この物語の主人公。
歴史上では蘇我馬子と妻となってたり、異母兄弟の妻となってたりあやふやな人。ちなみに前者の場合では、とじこの母になってたりする。

 物部守屋
布都の兄。読み方はもりや。どこかで聞いたことがあるような……。



 舞台は古墳時代の最後の方です。
 物語の都合上、文化の発展度が少々早まっていたり。
 その辺りは寛容にお願いします。

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