我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第12話 森の森の森

 雲海、樹海、海という言葉はそんなところにも使われる。

 海より離れた物部一向は、森の奥深く、樹海といえるようなところにまで足を踏み入れていた。辺りの景色は木と木と木。道なんてものはなく、進めるところを進んでいく。天までありそうな背の高い木々が太陽をさえぎり、辺りは暗く湿っていた。

 足場には木の根がいたるところに、布のように波打っていた。その間を苔の生えた緑の石ころがごろごろしている。

 木々の海中を進む。

 ずっと歩いていく。

 変わり映えのしない景色。視界を越えたころの輪郭までがぼやけていくような感覚。そのうち自分はどこへ向かっているのかと問いたくなる。

 しかし、物部一向には迷うようなそぶりはない。所々足を止めつつも、淡々と進んでいく。

 術があった。

 山霊の声を聴く。

 それが術。

 別の言葉を使うなら、山と一体になる。

 もっと分かりやすくすると、山の中の気、木や土や岩等からそういうものを感じ、それを印としてアタリをつける。所々止まるのは、術氏が気を感じるため。円になって座り、目を閉じ隣の者と手を拳を合わせる。意識を澄ませてしばらくそうしていると、なんだかぼんやりと感じてくる。

 これもまた物部の秘術の一つだった。

 布都は参加しない。ただ付いてきているだけ。意識はほとんどそこに無い。

 布都は、そう遠くない所から発せられる気の正体についてずっと考えていた。

 

 ――願わくば面白いものを。

 

 初めて感じる気だった。

 ドロッとした何か。へばりついたらもう二度と取れないような。呪詛か、瘴気か。負に偏り過ぎて、思わず身を引いてしまうような、そんな。

 

 ――うぅむ。

 

 嫌いではない。が、好きでもない。

 さっさと見に行ってみるのも手であるが、それだと暇潰しが無くなってしまう。のろのろとした歩みに、まだしばらくは付き合わければならない。

 意識が現実に無い分、木の根はびこるデコボコの地では大変歩きづらかったが、足元に意識を向けると今度は退屈に潰されそうになる。

 救いは、徐々に近づいていること。

 

 ――しかし、どうであろう。凡俗術士どもが気づけば、避けようと道を変えるのではないか?

 

 布都の危惧は的中した。

 

「――これはっ」

 

 まずは贄個だった。

 

「この先には得体の知れない、……それも凶悪なものを感じます」

 

 一行の足が止まる。

 ざわつく。

 

「確証が得たいので、皆さんも探ってみてください」

 

 そうして、術士たちが円陣を組み、意識を研ぎ澄ませ始めた。

 

「――っ」

 

 そして一斉に震えあがった。

 皆口にして言う。

 

「道を変えたほうがいい」

 

 と。

 尾輿も頷いた。

 

「分かった」

「――待ってください」

 

 さえぎったのは守屋。

 

「何だ」

「引き返さないのであれば、実際に目で確かめてみるべきです」

「犠牲が出るかもしれんのにか?」

「元より、そういう旅であったはず。それに、後ろに危険を放置していく方がよほど怖いかと」

「うむ、たしかにそうだが」

「――我らには優秀な術士がいるはず」

 

 守屋はそこまで言うと、尾輿に寄って、耳元で囁いた。

 効果的だった。

 尾輿は一行の顔を見渡すと、

 

「――行こう。大厄をなすものならば、いずれ知ることになる。早めに知っておいた方がいいかもしれん」

 

 と言った。

 皆頷いた。

 

 ――さて、何と言ったのやら。

 

 布都は鼻を鳴らした。

 どうやら上手くいっているらしい。いや、協力してくれるらしい。

 その訳は分からないが、とにかくこれでいい。気分は晴れないが、いいとするしか他に思いつかなかった。

 

「では僕が――」

 

 贄個が前に進み出て、先導を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 行くこと数分。

 ただならない雰囲気。誰もが感じた。

 術士にはその方向まで。

 贄子にはその存在まで。

 布都には――。

 

 ――まずそうだな。

 

 人間の五味で例えるなら、ひどく苦く、それでいて酸っぱい。その上、臭い。大外れを盛大に引いた気分になった。

 唾液が引っ込む。

 なんでこんな所にまで来たんだろうかと、いまさらの問いが布都の中に浮かぶ。まったく楽しくない。義務感しかないこれまでの行程。一体何なのだと。どうしてこんなつまらないものに付き合わせれられなければいけないのかと。

 足は動いている。それは、やがて視認可能な距離にまで――。

 周囲から声が上がる。

 

「な、なんだあれはっ」

 

 人、――ではない。だが二足歩行の、人が着るような服の、イノシシ頭の――。腕には剛毛が生え茂り、先には岩をも砕きそうな大きなヒズメが。

 妖怪。

 その言葉が即座には頭に出てこなかった。

 出てきた後も、何故かしっくりとこなかった。

 が、今はそれどころではない。

 対象はこちらを向いているようだが、見ているようには思えない。といか敵意を感じられない。

 皆顔を見合わせる。

 どうするべきか。

 先頭をきった者がいた。

 

「やりましょう」

 

 言うやいなや、贄個は走った。

 腰にさげた剣に手をかけ、振り抜く。剣先が空で弧を描き、その軌跡が光を帯びる。

 それは光刃となって、正体不明の妖怪のようなものへと飛んでいった。

 速度、鋭さともに充分。――と思われたが、肉を切り裂く前、触れた瞬間に弾かれ四散した。

 

「――ならばっ」

 

 贄個の足は止まらない。

 さらに駆け、化け物のそばまで詰め寄る。

 剣が光り、音が出そうなまでに輝く。

 一閃。

 直接斬った。

 胴体が上下に割かれる。

 贄個は後ろへ退がり距離を取る。

 

「よくぞ!」

 

 歓声が周りから上がるが、贄個の表情は緩まない。

 手ごたえはあった。が、どこか妙だった。

 上手く言えない何かがあった。

 ただ斬っただけ。そんな、感覚。

 して、それは当たった。

 その光景は――。

 

「み、見よ!」

 

 歓声が別のものに変化した。

 真っ二つになった化け物。その割かれたところから、タコの触手のようなものが生える。そして、その触手同士が絡み合い引き合う。

 胴がくっついた。

 贄個は強く言った。

 

「火だ!」

 

 その言葉に呼応し、術士は皆一斉に力を練る。

 

「今です!」

 

 贄個は合図を出した。

 牛ほどの大きさの火球が飛び出す。

 贄個は自らも火球を作り、火球を合体させた。

 それにより倍以上に膨れ上がった火球は、化け物を飲み込んだ。

 熱が溢れる。

 風をともない、肌に当たる。

 火が去ると、真っ黒になった化け物が変わらず立っていた。

 焦げ臭い。

 

「や、やったのか?」

 

 誰かがそう呟く。

 

「そうなんじゃないか?」

 

 おそるおそる、数人近寄る。

 火に飲まれ真っ黒になって動かない様は、死んでいると思えた。

 だが、贄個には妙な感じがあった。まるで初めから何も変わってないような、そんな感じ。

 あの化け物が反応を見せたのは、胴を斬られた時のみ。自己修復のために動いた。もし、あれが生きているとして、黒焦げの状態から修復としたらいったいどうするのだろうか。それはもう、体を入れ替えるようなこと。しかしそんな事が可能だとは到底思えない。実際に似たようなことをする生物といえば、サナギからかえる蝶や蛾のような――。

 勘だった。

 例えばあの剛皮がサナギのような、もしくは防御のための殻のようなものであったとしたら。一度見せたあの触手のようなものが本体であったとしたら。

 まずい。

 

「――待ってください!」

 

 意識が、逸れる。

 

「え?」

 

 化け物から、無数の触手が伸びる。硬い殻を突き破ったそれは、真っ黒のイソギンチャクのよう。

 伸びた触手は、近寄っていた数人を瞬く間に貫いた。

 貫かれた人間の皮膚が、その箇所から黒く変色していき。

 叫び声すらロクに上げれずに、地に倒れた。

 皆、総毛立つ。

 そんな中、始めからずっと平静でいた者がいた。

 くすんだ水色の瞳に、多少の好奇心が宿っていた。

 前へ。一つ飛び、腕を振った。

 鍛え抜かれた刀剣のような鋭さ。光の刃が、空間を裂いていく。そのまま障害物など無かったかのように、化け物の頭部を寸断した。

 

「おい、布都っ――」

 

 近くにいた尾輿が、咎めるような声を出した。

 布都は意に介さない。

 布都は化け物を見ている。

 あまりに綺麗に斬られすぎて、まだ乗っかったままの頭部。動こうとしてようやく落ちる。

 

 ――ウスノロめ。

 

 動きも、敵意を解するのも、何もかも。全て。

 反応するしか能がないのか。

 

「くくっ」

 

 それでもせっかくの暇つぶし。

 可能である全てで持って楽しませるがいい。 

 

 ――生存本能くらいはあるのだろう?

 

 斬られたら戻るように、火を浴びれば抵抗したように。

 

「さっさと来い」

 

 黒い触手が伸びてくる。蛇行しながらゆっくり。

 と、急に加速。

 布都は身をよじり、かわす。

 さらに数本、伸びてくる。

 それもかわす。

 倍数伸びてくる。

 腕を振り、全て切断しきる。

 幾度か繰り返す。

 

 ――埒があかん。

 

 布都は地を蹴った。

 大きく前へ出る。

 一飛びで本体まで迫らんとするほどの跳躍。

 迎撃に伸びてくる触手。

 最中。

 腕を一振り。複数の刃が生まれ、空間を狂い舞う。

 伸びてきた触手は全て切り刻まれ地に落ちる。

 跳躍する布都の下には、今まで切り落としてきた触手が落ちている。

 布都の視界、下の下、ぎりぎり映った。

 バラバラになっていた触手たちが互いに重なり合っていく様。やがて大きな球体となった。

 布都は化け物の本体とその球体の間に降り立った。

 着地した布都の耳に、何かが破裂したような音が飛び込んでくる。

 確かめる前に、回避行動に移る。

 地を蹴り、跳ぶ。

 その間、身をねじり後ろを見る。

 球体から太い針のような触手が飛んで来ていた。

 切り裂く――、手段は取れない。

 伸びてきたわけでなく、切り離され飛んできている。斬ったところであまり意味はなさない。

 手を前につき出す布都。すると、霊力で作られた薄い水色の壁が現れる。

 触手が壁にぶつかると、はじけた。

 が、その間、その奥で先ほどの球体が膨張しているのが見えた。

 大きく、大きく、膨れ上がった、――かと思えば急に凝縮したかのように縮こまる。

 して、手榴弾のように破裂した。

 当たれば体が黒く変色し、即座に死に至る。そんなものが放射状に飛散される。

 それは布都だけでない。離れた位置にいる者たちも同様。しかし距離があるため、被害は抑えられる。近距離にいる布都は、避ける事はかなわない。布都は壁を持続させ、致死針の飛来に備える。

 挟まれている布都が、片方に専念すれば当然もう片方がその隙を狙う。

 布都も警戒を怠ってはいない。

 背から迫ってきた触手に気づいた。

 空いた手をつき出し、霊力の壁を作った。

 壁にぶつかった触手ははじかれる。

 両面に壁をはったおかげで、布都は無傷だった。

 が、それでも防戦一方。

 とにかく位置が悪い。

 

 ――どうする。

 

 とりあえず一度敵の攻撃が止まるのを待つか、それとも壁を全身を包むように広げるか。

広げるか。

 そうしている間に、敵の攻撃が止んだ。

 本体から切り離された方がやせたように小さくなっていた。

 周辺に散る触手の肉片はない。

 次はない。

 そう見た布都が、本体を見据え、どう殺してやろうか思案し始めた時。

 本体から伸びる触手の一部が地中へ入ってるのが見えた。

 布都ははっとした。

 同時。

 地中から布都に向かって触手が伸びてくる。

 一瞬の硬直を、気力で振り払い、体に指令する。

 足に力を入れ、後ろに飛ぶ。

 同時に身をよじる。

 かわした。

 着地の寸前。

 触手は急激に曲がった。

 

「っぐ」

 

 触手は布都の肩口を貫いた。

 ぞわりと、何かが這いまわるような感覚が布都を襲う。

 力を集め、肩口へと集中させる。

 触手が消えた。

 

 ――いつ以来のことか。

 

 思えば、敵の攻撃をまともに受けたのをは久しぶりのことで。

 

 ――悪くない。

 

 笑みがこぼれる布都。

 そんな中、身体全体が脈打った。

 布都の動きが止まる。

 目の端に黒いものが映る。

 瘴気。

 腕。皮膚の上。煙のように広がっていた。

 

 ――これは。

 

 再度、霊力を肩口に向けて集める。

 黒煙が苦しむように揺らでいく。

 だんだん押し込められ、傷口まで押されていく。

 が、途中で止まった。

 凝縮した瘴気と霊力とで拮抗している。

 

「っち」

 

 布都は力を解放した。

 いつもは体の奥深くに隠していたそれ。

 通常状態とは比にもならないほどのそれ。

 霊力と、妖力。

 妖力が瘴気と混ざり合い、霊力が包み込む。

 抑えてたものを解放し、布都は高揚感に包まれた。

 吐く息が心地良い。

 

 ――さて、どうしてやろうか。

 

 殺す算段を気分良く考える。

 布都は輪郭のぼやけた瞳で化け物を見ようとした。

 

「ん?」

 

 そこには何もいなかった。

 気を追うと、離れていっていることが分かった。

 逃げたらしい。

 これから楽しもうというところだというのに逃げられた。

 

 ――つまらん。

 

 世界は優しくない。肩透かしもいいところである。布都の眉間にしわが寄る。

 

「あ、姉上、無事ですか?」

 

 何か寄ってきた。

 

「あ?」

 

 ――そういえばこいつ……。

 

 布都の目が愉悦で細まる。

 

「――いっ」

 

 後退るのが見えた。

 ため息が出た。

 

「はぁ」

 

 色々台無し。

 ここまで上手くいかないものとは。

 もうどうにでもなれ。

 布都はこれでもかなり我慢している。つもりだった。


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