我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第15話 おやばか

「気をつけた方がいいですよ」

 

 布都の部屋にやって来た馬子の第一声はそれだった。

 

「……それは我に言っておるのか?」

 

 部屋には、布都とその膝の上に屠自古。

 遊んでいたというか、話していたというか。

 とにかく、二人の表情は楽し気であった。

 

「鬼が出たという噂が」

「ほう」

 

 布都は馬子の方へ上半身だけ傾けた。

 

「もしかすると都にもやってくるかもしれないとのことで。今朝廷では遷都も視野に入れて話し合われていますよ」

「なるほど。鬼であれば、そうなりましょう」

「ただの遊びで済めばいいのですが」

「で、そいつはどういったやつなのです?」

「『楽しませろ』と、それだけだそうで」

「さもなくば、といったところか――」

 

 布都の表情に獰猛さが混じった。

 

「会ってみひゃいもほ――」

 

 屠自古が布都の口を両側に引っ張った。

 

「――何をする」

「……別に」

 

 頬をふくらませ、顔をそむける屠自古。

 

「んん? なんじゃ? 寂しかったのか?」

「違うっ」

「じゃあ、何か? 我に恨みでもあったのか?」

「そ、それも違うっ」

「んぅ? じゃあ、言ってみるがよい」

「……ぅー」

 

 のけ者にされたことに腹を立てたことくらい布都にはすぐに分かっていた。だがしかし、どうしてもからかわなければ気が済まなかった。こんな好材料そうそうない。

 獰猛さもかき消され、可愛くて可愛くて仕方ない飼い猫を愛撫するような表情に変わった。

 言葉を発することが出来ずに、うめくことしか出来ない屠自古。もう布都は我慢が出来ない。

 屠自古から声が上がる。

 

「――っわ、何」

 

 頬ずりをした。

 まだ幼い屠自古の頬はたいへん柔らかいものだった。

 

「離れろ!」

 

 屠自古が渾身の力で布都を引き離そうとする。

 とても布都が引き離されるような力ではなかったが、布都は屠自古から離れた。

 

「いやぁ、すまんすまん。ついな」

「何がつい、だ!」

 

 屠自古は、布都から顔を背けると、「まったく!」と顔を赤らめた。

 まんざら嫌そうでない様子がまた布都の心をくすぐった。

 

「さて――」

 

 布都は立ち上がった。

 

「ふと?」

 

 見上げる屠自古に、ふっと笑いかけると、

 

「少し、散歩に行ってくる」

 

 布都は部屋から去った。

 残された屠自古と馬子は顔を見合わせたが、馬子は少し難しい顔をした。

 

 ――まさか。

 

 いや、やはり、というべきか。

 しかし相手は鬼であれば、人のみでどうこうできるものではない。

 へんにつついて怒らせれば、辺りが更地になるかもしれない。

 その時布都はこの世にはいないかもしれない。

 失敗したか、馬子にそんな想いがよぎった。が――。

 

「――少しゆっくりしてからにする」

 

 布都の声。

 戻ってきた。

 そして屠自古を抱き上げ、話しかけた。

 

「なぁ、屠自古。鬼とはどういうものか知っておるか?」

「馬鹿にするな。そのくらい知っておる」

「じゃあ、言うてみい」

「鬼はあれだ、強いやつだ」

「他には?」

「……あと、怖い」

「おや? お主は鬼が怖いのか?」

「怖くなんてない!」

「それはそれは。ならお主には怖いものなんてないのか?」

「ないに決まっている!」

「そうかそうか」

 

 布都はけらけら笑う。

 挑発されればそのまま綺麗に乗っかる。

 なんと愉快な奴だろうか。

 屠自古を床に降ろすと、頬に手をやりはさんだ。

 

「何をするっ――」

 

 喜怒哀楽。

 人にはばかることさえも、自分の心から素直におこなうのであろう。

 怖いものはないと言い張った顔を恐怖に染めるのも、これ以上ないくらい満面の笑みにするのも、どれもきっと面白いのだろう。

 布都は顔がころころ、いや物理的にむにゅむにゅ変わる屠自古の顔を見てそんなことを思った。

 屠自古の手が布都を打とうと顔に迫る。

 それを布都はつかみ取り、

 

「――少し、外に出らぬか?」

 

 と言うと、「いいだろう馬子殿?」と、視線で送った。

 馬子はこくりと頷いた。

 

「あまり遅くならぬようお願いしますね」

「うむ」

 

 まだ行くとも言っていないのに、勝手に行くことにされて不満を覚えながらも、屠自古は嬉しさを隠せなかった。

 

「やぁやぁ、相変わらずの人ごみじゃ」

 

 都。

 雑踏の中。

 恥ずかしさもあるのか、弱い力で屠自古は布都の手を握っていた。

 

「何かほしいものはあるか? なんでも買ってやるぞ?」

 

 およそこういうのを親馬鹿というのである。

 もしくは可愛い孫に何でも買い与えて親を困らせるおじいちゃんおばあちゃんといったところなのかも。

 

「別にいらぬっ」

 

 顔を背ける屠自古。

 頬が赤い。

 欲しいものは、手に入っていた。

 

「ん? もしや腹が減ったのか? そうであろう?」

 

 「うむうむ」と謎に頷きながら、布都は飯屋を目指し始めた。

 腹なんてへってないと言ってやりたかった屠自古であったが、何も言わずについていくことにした。

 だってそうではないかと、屠自古は言い訳したかった。蘇我馬子の娘である。外になんてそうそういけるものなんて無かったうえ、どうにも他人行儀な女中やほとんど会ったことがない母親、それに比べてこの物部布都という変なやつはよく会いに来るしこっちから押しかけても嫌な顔もせず、それどころかなぜかは分からないが嬉しそうに、むしろうざったいくらいに歓迎する。

 母と呼んでもいいぞと言うわりにはちっこいし、姉というにはなんか婆くさいし、でも実際に婆というには綺麗で若くて――、なんていうかよく分からないやつには違いなかったけども、嫌なやつじゃなかった。

 理由は分からないけど好かれているのは分かったし、会いに行ってやるのも悪くはない。

と、そんな具合に始末をつけた。屠自古は共に歩く布都から少し離れつつも、手は離さないでいる。

 

「なぁ、布都」

「ん、なんじゃ?」

 

 端正な顔立ちが覗き込んでくる。

 

「なんかやたらと人に見られてないか?」

「気のせいじゃろ。そもそもそういうもんじゃ」

 

 気のせいじゃないじゃないか、屠自古は布都から顔をそらした。

 人の注目が布都に集まっているのは分かってはいるけど、どうにもそれが嫌な気分になった。何も気にしていない様子の布都がなんだか恨めしい。布都のくせに。

 

「ほれ、あそこにしようか」

 

 手をつないでいるので、半ば強制的に店に入ることになった。

 だいたい腹が減ったなどとも言っていなければ、何が食べたいなどとも言っていないというのに、――あぁ、やっぱりこいつは勝手なのだと。

 屠自古は、不快ではないが不満が湧いてくる感情に居り合いがつけれない。

 

「適当によい」

 

 しばらく待つと、食事が出てきた。

 出てきたものを見て、屠自古が顔を歪める。

 

「……げっ」

 

 思わず声が漏れた。

 

「ん? なんぞどうかしたか?」

「……別に」

 

 屠自古は川魚が苦手だった。どうしても特有の生臭さが受け付けない。無理矢理食べると、泣きながら戻してしまう。

 屠自古の持つ箸先がうようよとさまよう。

 

「うむ、結構うまいぞ?」

 

 渋い表情の屠自古をしり目に、布都はぱくぱく食べていく。

 

「……あまり腹がへっていない」

「あれ? そうだったか?」

 

 なんだか腹が立ってきた。

 でも――。

 

「半分食べるから、もう半分は――」

「そうか、ではそうしよう」

 

 言い終わる前に、布都は箸を伸ばし、魚を半分持っていった。

 美味しそうに食べる布都、

 

「……うぅ」

 

 屠自古は覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 飯屋から出た二人は、都の市を歩いていた。

 活気のある路であるが、屠自古の顔はすぐれなかった。

 体の中身を取り換えたい気持ちにすらなっている。

 後悔はないが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪い。手から伝わる柔らかな感触が吐くことをためらう。

 『布都め。母などと名乗るのなら、もう少し察しろよ』と、屠自古は内心で毒づいた。

 そんな布都の足が急に止まった。

 必然、屠自古の足も止まる。

 さては心でも読まれたかと焦った屠自古であったが、布都の視線はずっと奥の方にあった。人の向こうの向こうの向こう。人ごみを超えた先であろうか、布都の目はどうももっと遠くを見ているようだった。

 

「なるほど。お主、よほど父親に可愛がられているようじゃな?」

「は?」

 

 急に何を言い出すのだと、屠自古は怪訝な顔をした。

 こいつなら心くらい読めそうだと思った矢先に、今の言葉である。思考が追いついていかない。

 再度布都が歩むにつれ、屠自古もついていく。

 して、分かった。

 

「やぁ、馬子殿。このような所で奇遇、――というわけもあるまい?」

 

 布都はにやにやと、まるで机の引き出しの奥に隠していた日記帳でも見つけたかのような悪い顔をした。

 

「ちょっと所用がありましたで。これさえなければ、始めからついていくつもりでした」

「ふぅむ? 忙しい身は辛かろう、でございますな?」

 

 布都はまだからかうつもりである。

 

「いえ、公務ではないのです」

「というと?」

「少々、面白そうな話を聞いたので」

 

 布都は笑みを収め、目をぱちりまばたいた。

 この蘇我馬子という人間が面白そうと判断する話とはなんぞや。

 布都の興味が向いた。

 

「厩戸皇子という人物を知っていますか?」

「ウマヤト? 存じませぬな」

「でしょうね。私も先ほど初めてお会いしましたから」

「それが馬子殿の言う、面白い話と?」

「えぇ。近いうちに貴女は知るかもしれません」

「……ほぉ」

 

 布都の書物やら伝承やらなにやら様々なものが詰め込まれている頭には、人の名前はほとんどない。その中に、人が加わるとすれば、よほどの人物であるということになる。

 馬子はそれを布都に伝えた。

 わざわざ自らが会いに行って確かめてまで、である。

 それはつまり――。

 

「どっちで?」

「貴女を知った時と同じで、どちらも、です」

 

 蘇我馬子という男はやはり人の中で生きたいのだ。

 布都は馬子の楽し気な瞳を見てそう思った。

 自分と競い合えるような、そんな人物を待っているのだ。

 布都は少し申し訳ない気持ちになった。

 武においては馬子は凡夫にも劣るが、こと知、政治においては比類するものがいない。それがゆえに、本気になれるような相手を探している。才、能力を全て使い切らせてくれるようなそんな相手。

 布都は当初その相手、好敵手として目を付けられていたことは分かっていた。今では諦めた様子であるが、心の底から諦めきれている様子でもないのも分かっていた。

 本当によく分かっていた。

 今の布都と馬子の関係は、敵対していない好敵手というような存在であった。

 しかし布都にはその馬子の望みを叶えてあげるつもりがない。そのことがどうにも布都に罪悪感を覚えさせた。

 だから布都はその全てを飲み込み、新たに見つかった好敵手になりそうな人物の到来を祝福することにした。

 

「なるほど。であれば、我はいつも通りに過ごしておきましょう。馬子殿がそこまでいうのなら――」

 

 馬子は柔和な笑みで深く頷いた。

 話が一段落すると、布都は手をぐいぐいと引かれた。

 手を繋いだままであったので、屠自古の仕業である。

 つまらなさそうにふくれているので、理由はすぐに分かった。

 

「おぉう、すまんすまん」

 

 繋いでない方の手で、頭を撫でる。

 

「そろそろ昼ご飯にでもしますか。良い頃合いでしょう」

 

 布都が顔を上げる。

 

「あ、すまん。もう食べてしまったあとでな」

「これは早いことで」

 

 話まじりに何を食べたか聞く馬子。

 

「……おや、それは珍しい」

 

 馬子は屠自古を覗き込むように見た。

 屠自古は目を逸らす。

 

「……どうかしたのか?」

 

 首を傾げる布都。

 

「――ばかふと」

 

 屠自古の頬はほのかに赤かった。


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