我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第18話 鬼、そして鬼

 鬼は腹に触れると、かすかに笑った。

 

「認めよう。お前のようなやつは初めて見た」

 

 和らげな声。それに反する力の胎動。

 鬼から出た圧が空間を押しのけ、布都に到達する。

 髪が肌が神経が心が、振動を受ける。

 

「お前は楽しめそうだ」

 

 ――この圧。

 

 人の域を優に超えていた。

 

 ――我の三倍、いや四、五……。

 

 布都は鼻で笑った。

 鬼と人。その差は歴然。

 

 ――ここまでの差であれば計るだけ無駄なことよ。

 

 黙ったままの布都。鬼は声をかける。

 

「なに、心配することはない。その全てを出し切って見せよ」

 

 と、誘う鬼。

 布都は眉間にしわを寄せた。

 

 ――しかし、こいつまだ分かっておらん。

 

 その差が絶大なれど、無限ではない。また、力と力をぶつけ合うようなものでもない。

 布都は鬼の言うままにしてやるのも癪だと思った。 

 

 

「――そちらから来たらどうだ? よもや怖くて仕掛けられぬではないのであろう?」

 

 にしても雑な挑発。

 しかし、

 

「――よかろう」

 

 効果はあった。

 鬼が踏み込む。

 地が爆ぜ、音を置き去りに――。

 すぐさま布都の目前にまで。

 音、そして。

 

「ふんっ」

 

 拳が迫る。

 身を反らし、躱す。

 が、風圧で吹き飛ばれる。

 塵が吹き飛ぶように、布都の身体はすっ飛んだ。

 張り合うことすらかなわない。

 力と力。両者の間では拮抗すらせずに砕ける。

 布都には躱す以外に術は無い。

 地と水平に、布都は木の側面に足をつき、勢いを止めた。

 

「まだだ」

 

 鬼はすでに眼前にまで迫っており、次なる拳を繰り出していた。

 視認するやいなや、布都は木を蹴る。

 が、またもや風圧で飛ばされる。

 

「気を緩めるなよ。すぐに終わってしまう」

 

 布都は数度身を回転させた後、地に立った。

 鬼が再度迫ってくる気配はない。

 

 ――終わってしまえ。

 

 布都はそういう気分になった。

 まるで、壁に話しかけているような。

 

 ――さっさと喰って仕舞いにするか。

 

 鬼と人。

 そこには確かに覆ることのない差があるのかもしれない。

 しかし、人と一括りにして物部布都という個人を見れていないのであれば、届きうる刃を見落とすことになるかもしれない。

 

 ――我が勝ち、生き残る。

 

 布都は気を固めた。

 腰にさげていた刀を引き抜き、地面に投げ捨てた。しょせん戦闘には役にはたたない飾りである。布都にとっては多少とはいえ、重りにしかならないものを提げたままで戦うほど目の前の鬼を舐めていない。

 布都の勝利は、鬼の生命を絶えさせること。敗北とはその逆、自身の生命が絶えることである。

 固めた気というのは、その二つ。

 殺すか殺されるか。

 これはただの遊びではない。

 正真正銘、命を賭けた遊びである。

 二者択一。

 血に酔うよりも気持ちよく酔える、布都の知る唯一の方法。

 

 ――屠自古。

 

 賭ける必要の無い命に、する必要のない戦闘。

 それでもせずにはいられなかった。

 

 ――もし我が帰らなかったらどう思うだろうか。

 

 満たされてしまった。

 存在そのものを慈しんでしまうような。

 思いは想いに。

 想いは恐れに。

 自分が変わって別の何かになってしまうような。

 そんな怖さに突き動かされ死地にまで来た。

 それで分かった。ちゃんと知ることが出来た。

 今この場おいても、自分が何も変わっていなかったということ。そして、おそらくこのまま生きて帰りまたあの屋敷に戻れば、また変わらない自分を知ることになるであろうということ。

 それら全てが自分の一部。

 

 ――充分。

 

「そら、さっさと来い」

 

 布都の挑発。反応した鬼が再度迫る。

 布都は足を地から離さない。逆に根を張るように、地面に力を流す。

 鬼の拳。

 布都は身を揺らし、躱す。

 今度は吹き飛ばない。

 布都はそのまま手を伸ばす。

 その手は黒く染まっていた。

 全てを腐蝕させてしまいそうな禍々しさ。

 鬼は本能でそれが決して触れてはいけないものの類であると覚った。次なる攻撃を繰り出そうと、前のめりになっていた体勢を崩して後ろへと跳ぶ。

 間髪を入れずに布都は追う。

 一気に詰め寄ると、手刀を振るい下ろした。

 鬼の頑強な皮膚は、布都の手の侵入を肩口から許した。傷すら滅多に負うことのないはずの鬼の剛皮が、溶けるように崩れていく。

 人の攻撃など、到底届きうるはずがない。そういう考えから更新できずにいたから、鬼は当たることになった。いや、避けれなかった。注意さえ向ければ認識出来ていたはずの死をみすみす見逃したのである。

 布都の手がさらに奥深くへと沈んでいく。

 その手が黒く染まっていたのは、侵入したその時だけで、肉に分け入った時にはすでに元の白さを取り戻し、同時に鬼の体内の液体により赤く染まっていた。

 布都の手が目的の物に達する。

 肝。

 ぐぶりと音を立てながら、抜き取る。

 

「――が、ふっ」

 

 たたらを踏む鬼。

 布都は口を開くと、鬼の首に噛み付いた。

 剛皮は多少は抵抗したが、深手のうえ肝まで取られた状態では耐えられずに噛み千切られた。

 布都はそれを吐き捨てると、鬼の首の傷口に、空いた方の手を突っ込む。そのまま身を回転させると、鬼の首が胴と離れた。

 一回りすると、布都の目に落ちていく鬼の首が映った。その様子を見ながら持っていた肝を喰らう。

 

 ――ああ。

 

 身に快感が染みわたる。

 それは得も言えぬ快楽。

 身が体が、歓喜する。

 それにともない、心も喜ぶ。

 でも、

 

 ――満ちていない。

 

 屠自古の顔が浮かんだ。

 喜んだはずの身体と心に不足を見つけた。

 布都は、口元を袖で拭うと、傍にあった木に腰を掛けた。

 抗えない脱力感。

 

 ――さすがにくたびれた。少しゆっくりしよう。

 

 瞼がゆっくり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「なぁ、そろそろ起きないか?」

 

 布都の脳が言語を知覚した。

 

 ――妙な気配だ。

 

 確かめようとすると、まるで煙を掴んだかのようにとらえようが無かった。

 

 

「いやぁ、しばらく眺めてたんだけど、そろそろ動いてるとこが見たくなってねぇ」

 

 目を開き、半身起こす。

 すぐそこにいた。

 童女のような姿に、大きく伸びた枯れ枝のような二本の角。

 

「誰だお前」

「見て分からないかい? ――鬼だよ」

「そんなもの見れば分かる」

「そうかよ」

 

 ――圧がない。

 

 布都はいぶかしんだ。

 鬼であれば周囲を押しつぶしてしまうほどの圧があるものだと思っていたし、事実さっきの鬼はそうだった。

 

「我に何のようだ」

 

 同胞の敵討ちにしては、どうにも纏う雰囲気が軽い。寝てる間に攻撃してこなかったのもそうで、なんというか、妙に妙である。当の鬼は手に持っているひょうたんを、しきりに口に寄せてぐびぐび飲んでいる。鼻につくほどの酒の臭いから、中身が酒であるということは分かるが、やはり目の前の生き物がよく分からない。

 

 ――酔ってるからか?

 

 笑みを絶やさず、楽しそうにすら見える。

 

「それ、お前がやったんだろ」

 

 鬼は視線を、布都が殺した鬼に向けた。

 

「さぁな。そんなもの初めて見たわ」

「おいおい。そういうのはよそうぜ」

「ならば、分かりきった問いなどせぬことだ」

「お前、嫌なやつだな」

「褒めても何も出らんぞ」

「どうやら真までそういうやつらしい」

 

 布都は立ち上がる。

 その動作もじっと見られた。

 気味が悪い。

 

「――いい加減用件を言ったらどうだ?」

「じらされるのは嫌いなたちか?」

「ああ。逆なら好みであるが」

「それなら私もだ」

 

 鬼はうれしそうに笑う。

 

「ただ聞きたかっただけさ」

 

 もう一度、鬼は死体に視線をやった。

 

「――どうやってやった? およそ人になせるものじゃない」

 

 笑みは絶えていない。が、どこか刺すような空気がかすかに混じった。

 

「言わなかったか? それが倒れていることに、今さっき気づいたばかりだ。もしやそれ、死んでおるのか?」

 

 口を――、首回りを――、真っ赤に染めた布都が嘲笑しつつ、そう言う。

 

「なるほどなぁ。……まぁ、いいか。これは始めに伝えていなかった私の落ち度でもある」

「ん?」

「私は萃香、見ての通り鬼だ。そんで、鬼ってのは基本的に嘘が嫌いだ」

 

 布都は首を傾げて見せた。

 

「……そんなもの知っているが?」

「そうかよ」

 

 鬼、萃香は首を振った。

 鬼という言葉を聞いただけで、顔色を変えるのが人間である。

 しかしどういうわけかこの目の前の人間は、挑発さえしてくる。そもそも鬼なんてものは、嘘をつかれると直感的に分かってしまい、内に怒りの芽が生えてくるものであるが、不思議と目の前いる嘘を吐いているはずの妙な人間には腹が立たなかった。

 その理由も萃香には何となく分かっていた。

 答えは至極簡単で、目の前の人間が嘘をついていないから。とはいえ、真実は言っていない。ただただ純粋に目の前の人間は、自分の心に嘘をつかずに、相手にもつかずに、真実の出来事を言葉に換えていないだけで、その実ずっと本心を言っていた。

 そして、布都は直接それを口にした。

 

「――ところで、いい加減かかってきたらどうだ? 図体のように気の小さい鬼だな。でかいのは角だけか?」

 

 最初から喧嘩を売っていたにすぎなかった。

 

「我は物部布都である。物言いはつまらなかったが、あの鬼の肝はたいへん美味かった。この幸運に感謝して、元気におかわりといこう」

 

 闘気を露わにする布都。

 萃香は顔色を変えない。

 

「んー。それも悪くはないんだが、ちょっとその気分ってわけでもないんだなこれが」

 

 懐かしむように、倒れている鬼を見る。

 

「そいつ、……まぁ馬が合ったというわけでもないが、それでも付き合いはあった方だ。私がこの近くにいたのも、こいつの力を感じて来たのもそうだ。ちょっと様子を見に来ようかと思えるくらいはあったんだ。だからさ、聞きたいんだよ。どういう風にやったのか。何も復讐しようって腹じゃあない。なぁ、聞かせてくれないか?」

 

 正面。目が合う。奥まで見ようとする意思が伝わる。

 

「アイツの最期。そしてその経過。鬼を殺す人間なんて聞いたことがない。ああでも酒に毒を入れたとかは無しだよ。周辺で暴れてほしいならそれでもいいんだけどさ」

 

 布都は目を細める。

 

「教えてほしいか?」

「ああ」

「ならば言おう」

 

 布都は口を歪め、

 

「毒を使ってだな?」

 

 せせら笑う。

 

「策を弄し、罠に嵌め、毒を盛り、動けないところを執拗にいたぶってやったわ」

 

 これまた明確な挑発。

 萃香は頭を掻いた。

 

「うーん、話が進まないなぁ。どうしてそこまで本当のことを言わないのか」

「馬鹿め。言う義理も必要もないわ」

「まぁそうなんだけどねぇ。いやなんていうか、ほんとにやる気はないんだ。なぁ、もう楽しんだろ? そろそろいんじゃないか?」

 

 歩み寄ろうとする萃香。――だったが足を止める。

 布都から立ち上る気が一気に上昇する。

 

「やる、やらないは、お前の決めることじゃあない――」

 

 布都から立ち上る気が、鬼の萃香の足を止めた。全てを浄化するかの如く清らかすぎる霊気に、全てを覆い隠し惑わすような妖気が混ざり合っている。

 

「おいおい、なんだそりゃ――」

 

 その萃香の疑問は言葉として答えられることなく、形として、語る意思なしというもので答えられた。

 人の身体から妖気が出てくるというあり得なさ。そしてそれが、相反するはずの霊気と混ざっているというさらなるあり得ないさ。

 萃香はそこに見過ごしてはいけないものを感じた。

 何か違う。何かを修正しなければならない。そう、根本から。

 

「お前、何だ――?」

「あぁ?」

 

 疑問には答えられず、二つの気が混ぜられた光弾が萃香に迫る。

 腕を振り、手の甲で軽くはじく。

 脅威、ではない。

 だが、問題ないとするのはよくない。勘がそう告げる。

 萃香は諦めて、付き合うことにした。

 

「言葉で聞けないのなら、もう仕方がない。こうなりゃお前の望む形で聞いてやる。加減が難しいんだからな? うっかり死ぬなよ?」

 

 萃香は闘気を表した。




難産&難産
そして難産

遅くなりすぎて申し訳でござる

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