鬼にも階級のようものがある。
それは力の強さというかケンカの強さで決まるような大雑把なものであったが、それなりにしっかりとした上下の関係があった。口の上では軽く接していても、その奥にどこか尊敬や畏怖があった。
そんな鬼の間で、一番に名が挙がるような存在が萃香である。
酒好きの鬼といえども、萃香ほどいつも飲んでいる者はいない。いつも酔っていて、頬が赤い。そんなことから、酒呑や朱点だったりと呼ばれていたりする。
未知や恐怖の権化である鬼の中でも特別に目立つ存在。
今、萃香はその力を人、――それも一個の人間に向けようとした。
「脅しじゃないんだからな? くたばんなよ?」
見た目は童女。振り上げる拳もまた同じ。
だが振るうと、軌道に接していた空間が擦られ叫びを上げる。拳の前にあった空間は押し出され、空気の弾となって布都の肉体に向かう。
「――っ」
布都はとっさに半身をずらし避けた。
その瞬間、先ほどの鬼との差を感じさせられた。
――当たれば終わる。
身体が吹き飛ばされるような攻撃ではなく、当たったその箇所が吹き飛ぶであろう。
「お、いい反応をするな。まぁ、そうでもなきゃ、ほとんど無傷で鬼なんて倒せないだろうけどな」
余裕を見せる萃香。布都は舌打ちを我慢した。
「そら、次いくぞ。避けろよ――」
萃香はゆったりとした動作で振りかぶり、また殴った。
言語では表現しがたい音と共に、布都に向かって空気が襲う。
およそ人の身では視認出来ようはずがないそれ、しかし布都は避ける。およそ勘と、極限までに高まった集中力がそれを可能にさせている。
「よーし、次は連続でいくぞ」
瞬間、布都は川にでも飛び込むように横へ跳び、接地前に手を着き、もう一度跳んだ。
認識からだいぶ遅れて後ろから木々の砕ける音が聞こえてくる。
砕けた木々の倒れる音まで聞いている余裕はなかった。
布都はまた回避行動に移る。
空間の叫び声に呼応したように木々が悲鳴の声を上げていく。
――どうやって近づけばいい? いや、近づいた所で危険が増すだけか?
絶対的な力の差をここまでありありと見せられると、さすがの布都も策と呼べるようなものがまったく浮かばなかった。
どうしようもない。
そんな言葉が出てくるのを抑えようとするも、抑えきれずに脳裏を支配する。
決死で近づいた所で、傷を負わせることが出来るのかさえ怪しかった。至近距離で攻撃動作などしようものなら、代わりに半身がふっとばされそうな予感もしてきた。小石が大岩を砕こうと玉砕するが如き真似ではないかと。多少の傷をつけることが出来たとしても、それと引き換えに自身が砕けてしまってはなんの意味もない。
「ふぅ」
息を吐く。脳裏の思考を外に出すように。
――そのようなこと考えていては死ぬだけ。
欲しいのはやらない理屈ではなく、敵を殺す理屈。ぐだぐだと危険ばかりに思考を巡らせていては、いつまで経っても状況は改善されないだろう。
だからといって考えを止めて突っ込むような無策無謀をすれば、そこで全てが終わる。
――何でもいい。
そう思った布都は、腰にさげていた刀を手に取ると地面に落とした。
少しでも身軽にするため。
手が思い浮かばないのなら、出来ることは現状を思いつく程度で最善化することくらい。とはいえ、身に着けていたものを外すことくらいしか思いつかなかった。
布都の葛藤にも似た思考をを読んだかのように、萃香は攻撃動作を止めて口を開いた。
「ん、満足したかい?」
その言葉で、布都は硬直した。
腹の奥から立ち上った熱が脳を貫く。
身体が前傾姿勢を取り、――止まる。
「――ふぅ」
大きく息を吐く。
――落ち着け、落ち着け。
念仏のように唱える。
もう一度、息を吐き、言葉を吐く。
――思考を変えろ。
熱に従ってしまえば、火中に飛び入る虫と同じ結末が待っている。一時の情動で捨てるほど、現世に未練が無いわけでもない。まだ得ていないものがある。
「満足したことなど無い。それともお前はあるとでも?」
くりっとした瞳を見つめる。
「当然。今この瞬間もね」
「何故」
「私が私であるから」
その表情、声色からは、微塵の混じり気も感じられない。
「酒に喧嘩。これがあれば私は満たされるのさ」
「偽りなく?」
「ああ」
布都には分からない。
「納得いっていない様子だな」
酒も喧嘩も知っている。布都にとってもよく親しんだものだ。そしてそれらが、満ち足りたと感じた瞬間から抜け落ちていき、決して内に留まらないものであると。
「人間というのはいい。可能性の塊だ」
「何が言いたい」
焦らされるのは嫌いな性質である。
「教えてやるよ。お前はまだ可能性の中にとどまっていたいのさ。満ち足りたければ、これでいいと、そう思うことだ」
「そんなものは――」
「そう、つまらないだろう。でもそこに満足がある。要はそう思えるかどうかさ」
「思えるはずがない」
「正しさなんかない。好き嫌いの問題にすぎないのさ」
「馬鹿らしい」
「いや、真実だ」
「何故」
「それが真実だから」
「どうしてそう言い切れる」
「知っているから」
「何を」
「それが真実であると」
「阿呆らしい」
「そうでもない」
ふざけた問答だと、布都は思った。無駄だったとすら。
「――いや、違うな。阿阿呆にでもならなければ分からないことがあるのさ。特に賢いと思ってるやつには近づきようがないものでね」
布都はこの無駄とさえ思える問答を切り捨てられない。
「あれこれ考えるのを止めにして、衝動で行動してみなよ。きっと楽しいぜ」
「今衝動で動けば死ぬが?」
「そうだな。でも、そうじゃないかもしれない」
「言いたいのはそれだけか?」
「はやるなよ。せっかく楽しくなってきたのに」
「さっき言ってたことと違うようだが?」
「いや、違う違う。満ち足りた上でさらに楽しむのさ。酒にはつまみがいるだろう?」
「そうか? なくともいけるぞ。何もなくとも月でも見てればそれでいい」
「なんだよ。分かってるじゃあないか。うんうん、やっぱそうだと思ったんだよな」
――遊ばれているのか?
いい加減頭が痛くなってきた。
「お前は分かってるけど気づいてないだけなのさ。つまみがないから、月を見る。これは誤魔化しでも妥協でもない」
「分からん」
「そんなはずはない。一度でも、満ち足りたようなことが本当にないか? その後にそれを打ち消そうとしただけじゃないか? ただ認めたくないだけで」
「知らん」
「いいことを教えてやる。満ち足りる方法なんていくらでもあるのさ。その中で好きなものを選んで、好きな楽しみ方をすればいい。お前が認められないのは、その方法か、それとも楽しみ方、それらを見つけられていないだけってこと。言っただろ、衝動で動いてみろって。――ここを使い過ぎなんだよ」
萃香は頭を指して見せた。
「食うことや飲むことが好きなやつは出来るものだよ。なぁ、物部布都」
少しだけ分かってきた。思い当ることは無くは無い。
しかし、それを初対面の奴に言われたことがなんとなく気に入らない。
「その時、その瞬間を、舐め干すように楽しむ。何かをする時、それが一番楽しくなるように自分を沿わせるのさ」
「要は気分次第ってことになるが?」
「いいんだよ。それが一番大事なんだから。行うことそれ自体が楽しければ、その楽しさを全力で楽しめれば、それで満足出来ないなんてことはない」
酒に酔うような、刹那的快楽。
「そら、楽しもうぜ。楽しまなきゃ生きてても損だぜ」
「酒に酔ったように行き、醒めれば死ぬのか?」
「ほら、お前はやっぱり分かってた。――最高だろ?」
分かっているけど、気づいていない。
布都の中で、萃香の放ったその言葉がようやく溶けた。
この瞬間が永遠に続いてもいいと思えるほどの瞬間を求める。その求めてる瞬間もまた素晴らしく、なによりその瞬間は一つではない。どれも違った快楽があって、その楽しみ方も一様ではない。それを追い求めるのが人生とするならば、なんと良き生を送れるのだろうか。
「お、いい顔で笑うじゃないか。惚れてしまいそうだよ」
「ならば惚れてしまえばいい」
布都の笑みがすこしずつ――。
「おいおい」
官能的なものを孕んだ異質なものへと変貌していった。
生とは繋ぐこと。死とは絶えること。
布都の笑みのそれは、あきらかにその対のもの両方を有していた。
「――ゆくぞ」
視線が交差する。
――なんなら、惚れさせてやる。
物部布都という存在が心に魂にこべりついて終始気になってしまうくらいに。
――我も忘れずにいてやろう。
この瞬間を何度も思い出すように。
――萃香という存在を残すことなく味わおう。
「この瞬間を永遠にと願えるように――」
布都は駆けた。
そこまで離れていない距離。
一瞬。
詰め寄る。
「っ!?」
慌てたような鬼の反撃、布都は確信する。
何かを警戒しているような動き。いや間違いなく、警戒している。それが何かはだいたい見当はつくものの、確証まではない。
視線が交差すると、互いに地を蹴って距離を取り合った。
きっとそいうことなんだろう。
――この駆け引きこそが、対話なのだろう。
言葉を必要としないがゆえ、心の対話になり得る。
それでもやっぱり言葉を要したくなるもので。
布都は反撃した鬼に言う。
「何だ、恐れているのか?」
「まさか。私は鬼だぞ? 恐れられるのはこっちだ」
「そうか。確かにそうに違いないであろう。――でも、もし恐れることがあればどうか」
布都は、数歩近づく。
「それはきっと、恐れられる者が恐れるようなそんなもの。――としか言えない、説明不可の存在であろうよ」
「それがお前だってか?」
「違うか?」
萃香はにやっと笑った。
「そうだと嬉しいな。正直期待してるんだなこれが」
萃香から発せられる妖気が爆発的に上がる。
人が、とか。妖が、とか。そんな分け方がどうでもよくなるほどの力の奔流。
布都はもう一歩踏み出す。
ざわめく木々に地の数々。
恐怖はある。でも怖くはない。その矛盾。
布都の口が歪む。
何故楽しいのかも分からない。
でも今楽しんでいることは確かで。
今ここで飛び掛かっていくのもいい。――が、布都はこの状況でもさらに言葉を交わしたくなった。
「こういう高揚感は初めてかもしれん」
「お、そりゃいい。ま、私は何度かあるけどな」
相手は鬼である。人の世で暮らしてきた者には遭遇し得ない体験もするであろう。
「そうか」
萃香は鼻を鳴らした。
「気に障ったかい? だが人間相手には初めてだよ」
「ふむ?」
「妖怪や神に仙人。こいつらと喧嘩するのは楽しい。つええからな。でもただ強いってだけじゃあ、やっぱりちょっとなぁ? ――お前なら、もう分かるだろう?」
「まあ」
「そうそう。ここよりずっと北に妙な連中がいたんだ。そいつら人間のくせに強かったんだが、やり合うとこれがまた楽しくないのなんの。最後の喧嘩がそれだから、人間とやるのはなんとなく気乗りしなかったんだが、お前を見ているうちに気が変わったよ」
「惚れたか?」
二度目。
「ああ、惚れさてくれ。そんで、そのあとに飲もうぜ」
「生きていたら、だろう?」
「当然」
「そろそろ――」
「ああ――」
命を放り出すかのような戦闘だというのに、わざわざ合図をして互いに確かめ合った。
手を取って歩くのも、刃を交わし合うのも、そう大きくは変わらない。違いは形だけ。もっとも互いがその気であれば、であるが。だが布都と萃香の両者はすでに諒解を終えている。
まず布都が動いた。
短く地を蹴り、距離を詰める。
対する萃香は身体を弛緩させたまま、布都の行動を待っていた。酒気のする吐息が心地良く、状況も合いまって精神的高揚がそのまま萃香の集中力に繋がった。
どちらかが動かない限り戦闘にはおよそならないが、先に動いたのは人間の布都。
鬼か人間か、そのどちらかが仕掛けるといったら、ほとんど人間からだろうが、この二人の場合は少し事情が違う。鬼や人間といった種族ではなく、ただの個人の性格によるものでしかなかった。萃香は興味を持ったものに対して、少し観察してから動き出す癖があり、布都は身を放るようにして対象を確認しようとするところがあった。布都は、想像通りで終わってしまうほど退屈なものはないと考えている。これの一番の対策は想像しないことであるが、無策ではすぐに潰える。布都はその狭間にいる。
駆け寄る途中、布都は息を吹いた。
肺で練られた霊力が、口から吹きだされ外気と混じると火と変じた。
それは萃香の視界から布都の身体を隠すには充分だった。
燃え吹きあがる炎。
明かりが灯され、森の一部に光と影が出来た。
対する萃香は瓢箪の中身をくいっと口に含んだ。
迫る布都。
合わせて萃香は口に含まれていたものを吐いた。
鬼を酔わす程の酒に、鬼の妖気。それらが練り混ざり焔と化す。
布都のそれは風船のよう。
萃香のそれは槍のよう。
いや、槍とするにはあまりにも強靭。その火は暗闇を強引に押しのけ、視界を焼くほどに周囲を照らした。
やぶれた風船は空気に溶け混じり、突き破った槍は轟々と燃えさかる。あまりの熱に、地面の草々が耐えれず縮こまり頭を垂れる。
その攻防の間に、炎に姿をくらませていた布都は萃香の側面、死角から迫っていた。
「っ――」
腕を振るう。
手刀。
限界まで研ぎ澄まされた霊気。それは刀匠が幾年も掛けて打ち鍛えた刃のようにして手を纏う。
布都の判断は簡潔だった。斬撃をいくら飛ばしても斬れぬ。ならば、直接斬る。
速度充分。遅れて気づいた萃香にはもはや避けることが叶わないだろう。
これが通じるかどうかで、次の攻めが変わる。
ところが萃香は防ぐ手立てを見せない。
不審ながらも、振るう腕を止めない布都であったが、――気づいた。
萃香が拳を握った。
攻撃と攻撃の交差。
すなわち、痛み分け。
――否。
死と傷は等価ではない。
だが、ここで引けるだろうか。布都の中にそんな思いがよぎる。
死の直前の刹那。
身体は本能を叫び訴えた。避けろ、逃げろと。
意思は吠え猛る。引くな、行けと。
本能に準じるなら、そもそもこの戦いはしてはないけない。そもそも鬼に近づこうとしてはいけない。
布都は、叫びを採った。
攻撃を止め、回避行動へと移行する。
両断せんと萃香目掛けて縦を向いていた布都の手が、動きそのままで向きを変え手の平を見せた。刃状にあった霊気が手の平に集まり、布都と萃香の間の空間を一枚の板を叩くようにして衝撃を放った。
互いの身体が浮く。
萃香はわずかに。布都は大きく。
宙の浮きざまに、布都は足でも同様のことを行い、さらに距離を取った。
――臆したのではない。
自分にそう言い聞かせる。
あのままであればおそらく死、もしくは最低でも戦闘不能の状態に陥っていたであろう。
――適切だったはず。
布都の眉間にしわが寄る。
――しかし、何故。
納得できていない。どこか引かかりを覚える自分がいるのか。
理屈でなだめようとしても、それで理解しても、どこかしこりがある。そんな自分に戸惑う。
その葛藤を払拭するように、再度突っ込む。
強くなる悲鳴の訴えを無視して、猛る意思に添う。
――もう出し惜しみはするまい。
布都の半身が黒く染まっていく。
先ほどと同様に、布都は近づきざまに息を吹いた。
違ったのは炎ではなく、霧のようなナニカであること。
黒い灰だか小蠅だか判断つかないものが、吹き出し萃香へと向かう。
「っ――」
ぎょっとした萃香だったが、即座に回避行動をとった。
萃香のいた後、その地点にあった草木が一気に腐蝕したかのように、その形を崩した。
布都はもう迫っている。
回避先の萃香に、接近し、黒く染まった腕を伸ばしていた。
萃香は向かい撃たずに、避けた。
穢れ。もしくは、世界から出た膿のような。形容しがたいものを感じさせる。
さらに追撃しようとする布都に、萃香は見せた。
腕っぷしだけではない萃香としての本領を。
萃香の姿が霧のように薄れていく。
「なっ」
布都の動きが止まる。
「わりぃな。それはまずそうなんでね」
姿を消しながらそう言う萃香は、布都がどうやって鬼を殺すことが出来たかを知り、驚愕と恐怖を覚えた。鬼同士で喧嘩するときでもめったに使わない能力を人に使うくらいには。
「……どこにいる?」
これでは攻撃のしようがないと動きを止める布都に、萃香は答える。
「まあ反則みたいなもんだ。そっちのも見せてもらったし、説明はするさ」
布都は周囲を見回しながら、警戒を怠らない。萃香の気配をそこら中から感じている。
「私はあらゆるものの密度を自由に操れるのさ。自分も含めてな」
布都は鼻を鳴らした。
「反則じゃないか」
「そうでもない。お前のそれを見たらな」
布都の半身を黒く染めていたものはもう引いていて、自身の髪色に似た霊気すら漂いそうな白々とした肌に戻っている。
「だが、あまりおすすめはない。お前、もう長くないぞ。そしてその力を使えば使う程、残りの時間が大きく削られていくはずだ」
「自分の身体のことくらい自分がよく分かっておる」
「だったら何故そんな無茶をする?」
「焚きつけたやつが何を言うか」
「まぁ、そうか」
布都は深い笑みを作ると、唇を舐めた。
「それに先ほど少し伸びたしな。鬼というのはたいそう美味なるものであった」
「で、私も喰おうってか?」
「涎が滴るほどに」
「目が悪くなったかな? 見えないが」
「ならばさっさと姿を現して、目ではっきりと見るがいい」
「そうさな、気が向いたらな」
ただ乗り気じゃない、というよりは何かある。
「よもやそのまま去る気ではないだろう?」
「そうなんだがなぁ。どうにもなぁ」
「臆したか?」
「ま、そうなるな」
「認めるのか?」
「さすがに死ぬかもしれんし」
「覚悟の上じゃないと?」
「いいや、そういうんじゃない。ケンカってのはそういうもんだってのは重々承知だし、だからこそ楽しい。でもだからって、命を捨てるのは面白くない」
「面白くない?」
「死んだら楽しめねえだろ?」
「まあな」
「その塩梅が、意地を採るなって方に傾いているのさ」
「ふむ」
姿を現さない理由。なぜそのまま仕掛けてこないか。
布都は答えにたどり着いた。
気乗りはしない。そう思いながらも、布都の塩梅は意地に寄っていた。
布都は大きく空気を吸うと、体内に溜めた。
布都の半身が黒く染まる。
染まる部分が、回数を増すごとに広がっていくのを布都は知覚している。
「おいおい、またかよっ」
何かする。と、霧状の萃香は警戒を強め、布都から離れるも――。
周囲に黒い霧が急速にまき散らされ。わずかに汚染される。
ぞわりと、気味の悪い不快感を自身の一部から感じると、萃香はその部分を自分から切り離した。繋がりを失ったそれはただの粒子となり、萃香は肉体の一部を失なった。
引くのが遅かったと後悔する萃香だったが、これで終わりと決まったわけではない。次があるかもしれない。後悔するのは後でいい。自らも病む致死の猛毒。何故その当人が生きているのかさえ怪しくなってくるほど。
夜の森。立ち込める黒霧により、視界は皆無に近かい。
未来はまさしく未知。暗雲轟々として先は見えずとも、高揚感は増すばかり。今、この一瞬を刻々と――。