我が名は物部布都である。   作:べあべあ

21 / 33
第20話 灰銀

 闇の濃霧は突如として晴れた。

 閃光が走り、触れたもの全てを光に染め上げていった。

 月光より激しい潔癖な力の奔流。

 全てを侵してしまう禍々しさがあるのなら、全てを拒絶してしまう清らかさもある。

 よく似ているのにひどく違っていた。

 

 閃光が去ると夜の森が戻った。

 正も負もない。ただの壊れた自然。

 虫の音すら聞こえない静寂の間。そこには人と鬼だけが息をしていた。

 身体を霧状から肉体に戻した鬼が言う。

 

「色々と反則だな。どうして成り立っているか、今その理由を知る必要はないけどさ。しかし、興味は尽きないな」

 

 布都が答える。

 

「肉体を霧のように出来るのもよっぽどであろうよ。さすがに人の身では無理がありそうだ」

 

 と、自身を人の身と称した布都は、極限まで高めた霊力により全身が光り輝いている。透けるような白い肌は、もはや本当に透けているのではないかと本気で疑ってしまうくらいに生気に満ちていた。月光を集めて形作ったような、そんな肌。裏を返せば、そこまでしないといけなかったということにもなる。自らの毒に侵されないためにも。

 

「――ま、実は私にも反則技ってのはあるんだけどな」

 

 萃香はそう言うが、鬼の段階で人にとってみればすでに反則であり、そのうえその能力もまた充分に反則であるといえるわけだが。

 まだあるのかと、布都は諦念混じりの想いが湧いた。

 

「――でだ、何度か見せたように集めたり散らしたり出来るわけなんだけど、それって別に私の身体だけじゃないんだ」

「うん?」

 

 言葉の意味は理解出来るが、いまいちピンとこない。

 

「ま、全部言っちまったんじゃ面白くないだろ?」

「要は体験に勝るものなしと」

「そういうこと」

 

 ――だが。

 

 それで死ぬ気もない。

 布都は聞いてみる。

 

「それは致死なるものか?」

「ああ。おそらくな。でも、それ自体はそうじゃない。だが限りなくそれに誘うものだ」

「なるほど。相分かった」

 

 事前運動として、身体を少し動かす。

 

「じゃあ、タネあかしといこう」

 

 必要なのは度胸と理性。

 暴くは死と生の道。

 それには何よりもまず歩いてみることだといわんばかりに、布都は前へと駆けた。

 直進、――ではない。左右に跳びながら進む。

 相手を惑わそうとする。これは、即座に前へと詰め寄ることが可能であると、互いに認知し合っているから意味のある動作。そしてその後に必殺へと繋がる攻撃手段を持っていることも。

 萃香は警戒せざるを得ない。

 駆け引きとは相手に打撃を与えるものがないと成立しないものである。

 

 ――芸が無いのは好かん。

 

 ただ飛び掛かるだけでは、迎撃され、人の身ではそのまま戦闘不能になる。これまでの二回は、炎を吐いたりと目くらましをして虚を突いて近寄ったが、また同じというのは面白くない。面白くないどころか、対応されて手痛いことになるかもしれない。鬼の一撃という負うリスクはあまりにも高い。

 攻め手が決めきれない布都は、次第に萃香の周囲を大周りに回り始めた。近づきすぎると、危ない。が、距離を離したところで有効打は無い。

 対する萃香は動かない。

 訳があった。

 布都が見せた例のものを警戒している。布都のアレは、萃香を充分に警戒させ、軽はずみな行動を許さない抑止になっていた。

 よって萃香は、布都の動向を注視している。

 こうして生まれた膠着であるが、布都にとってこの状況は絶対的に不利だった。

 鬼と人、その体力も歴然。それも今動き続けているのは布都である。そのうえ、先ほどの攻防で布都は命を大きく削るようなことまでしている。それだけでなく、そもそも布都にとってこの戦いは連戦である。それも鬼との。

 

 ――どうする。

 

 布都に焦りが生じる。

 多少動き回ったところで、萃香の認識からは出られそうにない。それは実際に萃香の背側に周った時に感じた。

 突破口が見つからない。

 とはいえ、何かはしなければならない。

 

 ――やるしかない。

 

 布都は仕掛けた。

 萃香の死角から飛び上がり、萃香の上空へ。

 布都はその動きを、萃香が把握していることは分かっている。

 しかしそれでも、どうにかしなければいけない。

 策は――。

 

「それで、どうするんだい」

 

 迷いも何もかも見透かしたような言葉が布都に耳に入ってくる。

 手の平の上で踊らされているような気がして、相当に腹が立つが、ほかに案がない。

 全力でやるのみ。

 布都の全身が高まった霊力でさらなる光を帯びる。

 萃香の頭上、そこから真っ逆さま、頭を下にして手を伸ばす。

 まるで稲妻のよう。布都は地へと急降下した。

 着地、――同時に布都の手の平から伝わった力が電気が走るように地面を割り、その隙間から炎が噴き出させる。

 地を蹴り、距離を取る萃香。そのまま宙へ。

 当然のごとく避けられた布都であるが、分かっていたことなので焦りはない。

 すぐに次の行動へと移す。とにかく攻め立てて突破口をつくらなければならない。

 霊力を練り上げ肺に集め、吐き出す。

 水弾。

 人一人分くらいは飲み込める水の塊が萃香へと向かう。

 その速度、それなり。遅くはなかった。――が、萃香は余裕をもって避ける。

 余裕を残しつつも、萃香は警戒を解いていない。

 もし何かしらで動きが封じられる、もしくはそれに類するようなものがあれば、死ぬこともあり得る。現状の余裕は全てその予期せぬ何かに備えている。実際、布都の繰り出している攻撃は鬼にとっては有効打にはなり得ないものだったが、それでも警戒を続けている理由がそれだった。

 地が割れ、木は腐り枯れ果て、土草は焦げている。

 その全てが布都がやったものであるが、一顧だにしない。

 布都は、とにかく攻める。

 水弾を吐き出したと同時に、飛び寄っていた。

 最中、手を振りかぶり、萃香に到達するタイミングを見計らって振り下ろす。

 が、水弾を回避し布都の動きを注視していた萃香に、やはり距離を取られる。

 それでも、さらに詰め寄る。

 思考が介在する間もない速度。引かれればその分寄り、そしてさらに寄る。

 追い抜かんとするほど。

 時間がない。

 少なくともこうして全力で戦える時が。

 焦燥の中、布都は急きたてられるように攻めた。

 しかし、酔ってふらついただけの動きに見える動作に避けられ、苛烈に攻めようとも霧のように四散され、中々捉えられない。

 

 ――おのれ!

 

 業を煮やした布都は、全ての力を足に集中させ、萃香に体当たりをするがごとくに突貫した。

 ブラフもなにもない。全てを前進に注いだ。

 結果。

 捉えた――ように感じた瞬間、月が見えた。その瞬間、時の進みがゆるやかになった。視界が回転する。意識はまだそのゆるやかな時にまだあった。

 身体に強い衝撃が伝わり、ようやく意識が現在に追いついた。

 木を背もたれに、地面に座っているように体がある。

 状況は分かったが、それしか分からない。

 いまいち動かない思考を捨て、立ち上がろうとする、――も、足が、手が、思うように動かない。

 

 ――な。

 

 ここでようやく痛みを感知した。

 額に強い痛み。

 記憶を辿る。

 あの時、萃香の指が見えていた。

 弾かれた中指。それが額へ。

 

 ――ああ、そうか。

 

 脳への衝撃により回復しきれていない思考で、ようやく布都は現状を理解した。

 

「効いたみたいだな」

 

 けらけらと笑いながら萃香は言った。

 続ける。

 

「言っただろ? 反則は持ってるって」

 

 布都にはその反則が分からない。

 今まで見たものを利用されただけのように思えるし、またこの失敗は自分が突っ込みすぎた結果だろうと思っている。

 

「萃密ってさっき言ったけどね、別にそれって私の体だけが対象じゃないんだよね」

 

 萃香はふふっと楽しげに笑った声が聞こえる。

 

「人の意思だって集めたり散らしたり出来るのさ。――例えば、どうやって攻めようかと思ってるやつの意思を散らしてやると、そいつには迷いが生じる。逆に集めてやると、だんだん攻めることばかりに注意が向く。後は言葉や行動で誘導してやれば、術中に綺麗にはまる」

 

 萃香は得意気に話す。

 

「こうやって種明かしをしても、まったく問題ないくらいの反則だろ? そう思わないか?」

 

 布都は返事をしない。

 

「鬼と喧嘩する時にだって、ほとんど使わないんだぜ? これ。勝負が面白くないうえに、鬼ってのはどうも腕っぷしでぶつかり合うのが好きなやつが多くてどうにもウケが悪いんだ。でも、私はそうは思わない。例え搦め手だろうがなんだろうが、そいつが真剣にやってりゃ、それは称賛に値すると思うし、やっぱり敬意を払うべきだと思うね。そう意味では、さっきお前が殺ったやつとは、意見が合わなくてねぇ。――喧嘩ってもんはそうじゃない。そいつの持てる全てをぶつけ合ってこそじゃないか。そう思わないか?」

 

 布都は動かない。

 万全に動けるためには少しだけ時間がいる。

 ゆっくりと呼吸を繰り返す。一つ一つ意識して、ゆっくりゆっくりと。呼吸により気を取り入れ、身体のすみずみに送り込むように。

 諦めたから、動かないんじゃない。動けないから、動かないんじゃない。

 次に動くために、動いていないだけ。

 萃香の長話をこれ幸いと、回復の時間に当てていた。

 

「で、どうする? 続けるか? ――って、そりゃ失礼か?」

 

 その通りだと言わんばかりに、布都は立ち上がろうとする動きを見せた。

 脚に力を入れ、地面を押す。

 布都の身体はふわりと持ち上がり、――前のめり。全身が地に伏した。

 

 ――な。

 

 回復した。そう思った。

 だが布都は、焦げ混じりの大地の匂いを嗅くことになった。

 

 ――ここが限界なのか?

 

 夜の森。焼け焦げた地面、そして遠巻きに囲む緑。

 吹き飛ばされた布都は、ちょうどその境にいた。腰より上は不毛の大地、腰より下は緑。

 

 ――くそ。

 

 限界という言葉を出してしまった自分に苛立った。それに屈してしまえば、それこそそこが限界になってしまう。多くを逸脱した自分が、その枠を、蓋を、自らこしらえようとするのは何たることか。それが――。

 

 ――物部布都であろうか?

 

 布都は肘を立て、地面に突き刺さんばかりに押し当てた。

 体を起こし、もう一度鬼の前に立とうと。

 

「――っぐ」

 

 地面を押す力は悲しいほどに非力で、わずかに上体を浮かせただけにとどまった。その後の再び地面に接した衝撃で思わず苦悶の声が出てしまうほどに、肉体は弱っていた。

 

「やめとけって。寿命がさらに縮まる」

 

 布都は諦めない。

 ここで折れてはいけない。

 布都はその一心で、また起き上がろうと――。

 だが、

 

 ――あぁ……。

 

 腕が、肘が、上がらない。もうその力も残っていないようだった。

 もう倒れている事しかできない。

 うつ伏せ。なんとか首をわずかに動かし、右に向ける。

 視界が少しひらけ、息も軽くなった。

 

「良いさまだと思うぜ? あ、侮辱してるわけじゃないぞ? 本気で思ってる」

 

 声色からそれは分かった。

 

「それでも、それでも――っていう、お前の強い意思の表れ。でもその意思でもどうにもならないくらいの肉体の限界が訪れた。これは仕方がない。生きてるってのは、肉体を持ってるってのは、そういうものさ」

 

 言っていることはよく分かる。でも、それでも――とさらに思ってしまう自分と、それを諦めさせようとはしたくない自分を、布都は自身の中でせめぎあっているのを感じている。ただ、肉体はもう動きそうにない。

 もうこうやって考えていることしか出来ない布都だったが、それの終わりも感じ始めてきた。視界が次第にぼやけていく。霧がかかったように、視界もぼやけていく。目が覚めた時、はたして自分が自分であるか保証がない。――また、その危惧さえもぼやけていく。

 薄れゆく自己。布都は視界の先の先。置き捨てられていた骨董品に目がいった。この状況で何故、そう思うこともなく、ただ目に入ったそれを意識、思考の中へと入らせた。

 

 ――名も知らぬ。

 

 一振りの剣。

 物部を出る時に渡されたもの。

 

 ――色々あった。

 

 物部の人間に、蘇我の人間。様々な人間がいた。そのどれとも心を引かれるようなのは、いない――わけでもなかったが、それが今なんだろうか。

 初めは兄の守屋だった。総じて優秀である。そんな評価をしていた。現実的かと思えば、理想的だったりして、かと思えばやっぱり現実的で、と印象をなんども更新した。小さなころは、そんな兄から特別構われる自分がどことなく誇らしく感じたこともあった。でも少しずつ成長し、見える世界が広がるにつれてそれもどこか空虚に感じていった。気づけばすでに山頂に立っていたような、その登る楽しさも辛さもしらぬままそこにいた。おそらく兄も似た様に思い、自分に目をかけたのだろうと思った。結局のところ、人の中にあって人の中に居なかった。そんな同士だったのだと。でも少し違った。自分とは違って兄は人としての活力に溢れていた。そう、自分とは違って。

 喉が渇いて仕方がなかった。

 

「――お、おい。立って大丈夫なのか?」

 

 次は蘇我馬子だった。

 これもまた同士だと思った。渇きを覚えているところも同じだと、そう思った。でも少し、いや根本的なところが違った。馬子という人間は、つまらないなら面白くしてやろうというそういう気概があった。自分にはまったくなかったそういうもの。渇きを癒やそうと血に濡れて、本質的な飢餓から目を背けようとした自分とはまったく性質が違っていた。

 

「……その剣、大事なものだったのか?」

 

 そして屠自古。

 特に目立った才は思い浮かばなかったが、何故か一緒に居ると楽しかった。その時だけは、自分という人間が一端の人間であるかのように感じて、認めづらいとこはあるも、正直嬉しいと思った感情は否定出来なかった。あれだけ喜怒哀楽を素直に外へと表すことが出来たら、どれだけ幸せなんだろうかとそう思った。

 

「お前、意識がないのか?」

 

 満たされるとはどういうこと何だろうかと、考えたことが何度かある。その都度答えを出そうと苦心するも、どうにもしっくりいかなかった。全力で走って摩擦で燃え尽きるようなものだと思ったこともある。生死の狭間、極限の境。そこはたしかに燃えるような感触があった。でも、鎮火してしまえば何てことはなかった。ならば、常に燃やせばいいと思って、炎の中に身も心も投じたこともあった。が、思い通りの結果は得られず、外皮だけ燃えて痒い思いをするだけに終わった。その後蘇我に来て、言葉に上手く表せない心の感触を覚えて、こういう満たし方もあるのだと思った。それは酷く悲しいほどに幸せで、あまりにも空虚だった。満たされる、その瞬間から抜け落ちるような、説明の出来ない矛盾のような錯誤。自分は、自分が自分たるものが分からなくなった。

 でも、我はここにいる。

 

「そのナマクラでどうしようってんだ? おい、来るなら迎撃すんぞ? いいのか?」

 

 どうしてこんなところにいるのか。そんなのはもう分かった。よく分かった。ただ幸せになりたかっただけだった。我は、私は、幸せこそ、一番に求めていた。心が満ち足りて、身が躍るような幸せを。自己を強く規定して意識しようと我などと自分を呼んだが、おそらくそれは自分というものが雲ほどに掴めないと気づかないままに思っていたからだろう。

 ああ、そうか。なんだ理解出来たじゃないか。

 満たされるということとは――。

 

「お、おい! いいのか? 本当にいいのか?」

 

 我は我を思う。身体の訴えも、意思の訴えも、その両方を受け取るものも。およそ考えた先にはない。思考せずともここに在る。ただ我を感じるというだけで全て結する。

 

 ――そういえば身体が軽い。意識も今までないくらいに透き通っている。邪念がないからだろうか? いやそもそも邪念というのは――。

 

「っと、つい考えてしまったな」

「意識あるのかよ! てかおい、これ以上近づけば本当に攻撃するぞ!? いいのか!?」

 

 視界は良好。景色はいつもと変わらずとても流麗。木々がその生命力を誇り、草木も負けじと生い茂る。空は闇にして、その生命力を失わず輝々とそれを示す。月は魔性を帯びながらも、その神秘さを地上へと光として届けている。

 空気は冴え冴え、纏わり憑くようにして世界に寄り添っていた。

 布都は空気と混じり合ったように、前へと進む。

 それは萃香の意識の範疇を超えた。

 気づいたら目の前にいた。それが萃香が感じた布都の認識だった。

 

「っわ!」

 

 布都は"ナマクラ"を振るう。

 名も知らない"ナマクラ"。しかし、それが何であろうか。思えば自分もそうではないかと。人が名付けた名前は、文字通り人が名付けた名前。それが自己を規定するものではない。自己はあくまで自己。自己と他者と区別をつけるために付けただけのものにすぎない。

 こんなナマクラ。何故兄上は物部を離れる自分にわざわざ渡したのだろうと思う。おっと、考えてはいけない。どこまでも思い、想い、我を自己を私を――薄く消え去っていくのだ。

 満ちていく。

 我が身は我であり。また、我が心も我である。すなわち、我の持つ剣も、衣服も、周りの全てもまた変わらずに我であろう。そうであろう。

 身が皮が、突き破られ、我が飛び出した。

 そう、これこそが物部布都である。

 

「我は物部布都。言わねばならぬ理由もないが、そう宣言する方が親切であろう」

「……お前」

 

 消え失せたはずの自己が轟々と唸る。

 魂の絶頂。高揚感。

 場の全てが歓喜し、迎える。

 

「ここが遠くも目指した頂きである。心して掛かれ。幸福の絶頂ぞ」

 

 手に持っている剣を振りかぶる。

 名が無いのなら我が付けてやろう。我の剣それで充分であろう。恰好をつけるのなら布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)か?

 萃香は今までに覚えの無い恐怖を感じ、すぐさま飛び退った。

 理解が追いつかないが、とにかく触れてはいけない。"ナマクラ"にそう感じた。

 理解は本当に追いついていなかった。

 萃香は目視した。認識した。けれども理解するまでに、何故か絶対的な遅延を感じた。

 世界が布都を後押しするかのようにするすると空間を通ってきて近づき、剣を振り下ろす。確実に認識していたのに、理解が遅れる。慌てた頃には、もう剣は通過していた。

 フツ。

 そんな音が耳に届いた。

 

「それ、死ぬぞ?」

 

 萃香は気持ち悪さを感じた。まるで自分の中に異物が入ったような気持ちの悪さ。何なのか分からないが、それに物部布都を感じた。仮にも鬼である。研ぎ澄まされた剣だろうが、霊気で強化ようが、傷を負うことも難しい頑強な皮膚である。それが何も細工もないような"ナマクラ"に抵抗なく寸断されるなどありえない。

 が、そのありあえないが目の前どころか自分の身で起きた。

 

「っおい、おい」

 

 萃香引くことしか思い浮かばなかった。いや、正確には考える間もなく、勝手に身が後ろへと退いた。ケンカというのは身と身、心と心、それらがぶつかって当り前。そうやって楽しむものだと思っていた萃香が、その全てを恐怖により拒否して退いた。

 剣戟の類なら、例えもしあり得なく斬られたとしても霧状になれば無効化出来る。しかし、さっきの剣戟、いや剣戟なのかさえ怪しいものは、斬るというよりかは、……そう、割り込まれた。自身に他者が割り込んできて、そのまま通り過ぎていった。そんな感触だった。触れた地点は、もう無い。霧状にして戻すことが叶わない。すなわち、斬られる度に自身を失う。

 萃香は頬に伝い落ちる滴を感じた。

 

 ――冷や汗ってやつか?

 

 萃香はその滴を指でぬぐった。

 

「……いや、そうだよな。全てをぶつけてこそケンカだよな」

 

 意地がある。萃香は、およそ初めての死の危機に腹をくくった。死に繋がる可能性があるケンカは幾度となくやってきた。だが、死に直面するようなケンカは初めてだった。

 ここで逃げるなんて今までの全てを捨てるようなものだ。そう思った萃香は死へ繋がる底へと身を投げた。

 

「私も酔狂でね。今まで最高にわくわくしてるよ」

 

 恐怖の混じった笑顔。でも、間違いなくそこには歓喜もあった。

 

「――行こうか」

「――ああ」

 

 萃香は本気を出した。

 散じていた自分を全て一身に萃める。身が木々を優に越し、山へと到ろうする前に集まりだし、凝縮され、元の身体になる。

 気が溢れんばかりに充溢し、鬼の身体といえどもはち切れんばかり。

 

「中々」

 

 そう口にした布都には、怯えもなくば勇ましむ意思もない。

 ただ前へと進み剣を振り上げる。

 

「おう」

 

 答える萃香は、来る布都に目がけて剛腕を振りかぶる。

 交差する刹那。

 布都は身をよじり、萃香の腕を躱す。

 ――が、暴的な圧は避けれず、左肩より先が吹き飛んだ。

 衝撃を堪える暇もなく吹っ飛んだおかげで、布都はその刹那の間に剣を振り下ろし、剣先を萃香に当てることが出来た。

 その後、遅れてきた衝撃に全身が包まれ、布都の身体は飛ばされた。

 最中、布都は灰銀の輝きを見た。




やーっと鬼編終わりです
長かったです

ようやっと神子ちゃんが出せそうです
仲良くなれるかは、……えふんえふんですが。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。