屠自古は迷っていた。
会いたいけれど、行きたくない。
一度目に訪ねた時は、寝ていて話せなかった。二度目に訪ねた時は、部屋には居なかった。それどころか家の者が掃除をしているところに遭遇して、恥かしかった。人の気配がしたから思わず名前を呼んだのに、まさか本人がいないとは思わなかった。家人から子どもを見るような目で見られて恥ずかしかった。
「そうだ」
屠自古は決意した。
向こうから会いに来るまでは、自分から行かない!
――布都のくせに! 布都のくせに!!
何度目かは分からない呪詛のようなもを心で唱えながら、屠自古はどたどたと廊下を走った。
別に布都に会わなければいけないわけでもないと。別に会いたい人は他にもいるのだと。
それで布都であるが、屠自古を待っていた。
いつか来るだろうと思っていたが、一向にこない。聞いた限りでは、何度か来たのだと言う。だが間が悪かったみたいで、直接会えていない。
しかし自分から行くより、向こうから来る方が多分面白いことになるだろうと、外出もせずにしばらく待っていたのだがさすがに飽きてきた。
――都にでも遊びに行くか。
朝ではあるが、空は曇り模様。
雨が降るかも知れないというのに、何故そんなことを思ったのかは分からないが、とにかく行こうと思った。
退屈には勝てない。
――ただ待つだけというのはいかんな。
ということで、都に向かった。常人をはるか超える速度、けれども布都にとっては別段急いでるわけでもない速度。
都に着くと、久しぶりという気分と相変わらずという感想が出てきた。
相変わらずといった感じの人通り。にぎやかさ。
良好な空模様でもないのに、よくもまぁ人が集まっているものであると感心しながら、歩く。妙な新鮮感に浸りながら、布都はしばらく散策をしていた。
――なにやらよく見えるな。
色映りが良いといったところか。布都には人の気のようなものが前より色濃く見えた。
とはいえ、しばらくすると次第に見飽きてきた。
――いっそあいつも連れてくればよかったか。
と、思うも。
――とはいえ、あの角は隠せまいか。
一人では飽きてしまうものも、二人ならば、誰かとならば。なんて考えれるくらいには、他人を意識に入れるようになっている。
そんなわけで、一人ではつまらないし帰ろうかと思案し始めたころ、なんとなくであるがとある一角に目が入った。
それは背伸びをしたために周りの人間に意識が入ったからかもしれないし。天啓のようなものかもしれない。注目を浴びているのはいつものことで、もうすでに慣れて気にしないでいたのだけれども、不思議とその注目に意識が入って、その注目がまた別のところにあって、その別のところというのに視線をやってしまったがために――。
「あ、とじこ――」
少し遠くであるが、知った姿を見て思わず名前を口に出し、そのまま寄って行こうとした時だった。
――な、なんじゃあ、あいつ!?
そこには屠自古と、その横に変な頭をした変なやつがいた。男、だろうか。――よく分からなかった。とても中性的で、判断つかない容貌だったが、着ている服は男物だった。
繰り返すが、布都は注目を浴びていた。
これは今は少し修正が必要で、矢が殺到するかの如くに注目が刺さっていた。
物陰に半身を隠し、顔だけ出している。
怪しいどころではない。
そんな奇行をしている者を見かけたら、とりあえず見てしまうだろう。どうしてそのようなことをしているかとか、どんなやつがとか。
思わず二度、三度と見てしまっても不躾だと自戒はしないだろう。それどころか四度、五度、見る者さえ少なくない。
初めは何か変な事をしているやつがいる。次には、身なりがいい。その次には、その身体的特徴からとある名前が思い浮かぶ。そして、いやそんな馬鹿な事がと打ち消す。だが、目に移る光景が証拠となり困惑する。ついには、疑問を抱きつつも認めざるを得なくなる。
あれは"あの"物部布都ではないか、と。
そしてその物部布都も似たような思考が脳内で巡回していた。
初めは屠自古の横になにかおまけがいる。次には、身なりがいい。その次には、その身体的特徴からとある疑惑が出る。あれは誰だと。よもや屠自古の――と。そして、いやそんな馬鹿な事がと打ち消す。だが、目に移る惨状が証拠となり困惑する。ついには、疑問を突き飛ばして認めずに記憶を消そうと思い始める。
あれは"単なる"思い違いではないか、と。
――いや、しかし……。だが――。
かくして、物部布都は答えに至った。
――否定出来ない。
ゆらり揺れるように身を反転し、生気の感じられない表情のまま駆けた。足だけが雄弁に、その他は寡黙に。
答えの出せない疑問について考えるのは止めだと。確かめに行くのだと。思わず逃げるように走り去ってしまったことを、正当化した。
悩みは後ろから来るか、前から来るか。
走る布都には、後ろから追って来るようにしか思えない。
屋敷に飛んで帰り、自室に籠り、部屋の隅で頭を抱えて小さくなって、ああでもないこうでもないと、悩み果てていた。しばらくすると、やはり答えは出ないと屋敷を出た。
そして、どたどたと政治の中心に分け入ると、
「馬子殿ーーーーーー!」
すがりついた。
ぎょっとした馬子は、とにかく人払いをした。
「馬子殿、馬子殿、なんですかあいつ、なんですかあいつ」
布都の瞳は潤んでいた。
「えぇっと、どうしましたか?」
「『どうしましたか?』じゃござらん! 屠自古が、どこの馬か牛の骨とも分からんようなやつと!」
ここで馬子は全てを理解した。
「ああ、それはおそらく屠自古の婚約者です」
「婚約者? ああ、なるほどそうでしたか。――ん、婚約者? じょ、冗談を……」
「貴族の、それも蘇我の娘ですから」
「それはそうですが」
「相手も良き者を選びました」
「そんなものは存在しませぬ」
「いえ、それが大そうな人物になるでしょう。歴史に名を残すような者ですよ」
「しかし屠自古とは関係ありません」
「ですが、向こうも気に入っているようです」
「冗談でありましょう?」
「いえ、冗談ではありません。私も認知した者です。なんでも悪漢に絡まれていたところを助けてもらったそうで――」
動転している布都は話を理解するので精一杯で、その話のおかしさに気づかなかった。蘇我の娘が悪漢に絡まれる機会なぞ、あえて作りでもしないとあり得ないことに。
「武も知もその両方とも傑出しています。また、この国における仏教の第一人者とも言えるでしょう」
「――ぶ、仏教?」
「居場所は、上宮――」
布都は、
「おや」
いなくなっていた。
法が、世界が、裁けない悪があった時どうするか。
布都なら間違いなく「そんなもの知ったことか」と一瞥もしないだろう。
が、事にもよる。
布都は世界の大悪を誅せんと駆けた。もう悩みは後ろから追ってきていない。前にある悪を打ち砕かんと走るのみだった。
――怠け者の神め!
強く踏み込み
――神道らしく、神を想ってやろうではないか!
地を蹴り上げ、
――お前が動かぬというのであれば!
空を跳ぶ。
――精々信徒らしく、我が代わりに罰してやる!
蒼を誇る空に、
――おお、謳おうではないか! 血の杯を掲げ、高らかに!
その姿を刻まんと、
――怨敵の首と共に!
意思を示す。
――隠り世の門をいざ開かん!
布都は、突貫した。
目的地へとたどり着いた布都は、覚えのある気配に向かって突っ込んだ。
塀を飛び越え、閉ざされる木の板を蹴り飛ばし、
「おんどりゃぁ!」
耳か角か分からんものが生えた頭に、飛び蹴りした。
「っ!?」
が、外した。
「避けるでない! このガキャ!」
睨みつけ、叫ぶ布都。
蹴りかかられた方は当然というべき疑問を発した。
「いったい何ですか、貴方は!?」
と叫びつつ、状況把握に努めようとした時、すぐに結論は出た。
灰銀の髪に、実体がないような白い肌。白いぶかぶかとした装束は明らかに高級品。それも一部の中のそのまた一部の者くらいではないと手が入らないようなもの。
そんな特徴に該当する者といえば、一人しかいない。
物部布都。
幼少の頃からその力を認められた天才。
今では物部を名乗りながら蘇我の中心部にいるという妙な立ち位置。
殴りかかられた厩戸皇子が知らないわけがない。
何故なら――。
「いいでしょう! その挑戦受けようではありませんか! 全人類の頂に立つことが決まっている私が、まず貴女を超えたという事実を作ることによってそれの第一歩としましょう!」
布都はちょっと冷静になった。
「――お前、阿呆か?」
なんだか触ってはいけないものを触ってしまったような感覚になった布都であるが、目の前から感じる力はそれなりのものだった。
――はて?
いぶかしむ布都。
「驚くのも無理はないでしょう。この美貌にこの力。神は私に二物を与えたというか、神が私なのかもしれません」
布都はもう一度同じことを思った。
「お前、阿呆か?」
それに対し、心外とばかりに、
「なんということでしょうか。――いや、そういうものですね。そうですね。地を行く人間が如何にして天の意思を知れるのでしょう。そう、知ることなど出来はしない。でも、聞き伝えでなら知ることは可能。まず手始めに貴女に教えて差し上げることにしましょう」
布都は、目まいがした。
――こんなのが屠自古の……?
目の前が真っ暗になりそうだった。
――屠自古、許せ。お主の婚約者は夢幻だったのだ。
地に足をついていながら、頭は雲と一緒にふわふわしている。なんたる悲劇であろうか。布都はこの悲劇を呪わずにはいられない。どうして自ら屠自古に恨まれるようなことをしなければいけないのか。
「――無情なり」
そう小さく呟いた布都は、身体を捻り、右腕を振るった。
瞬間、鋭利な刃が飛ぶ。
人間を二つに分けるには充分すぎる程の鋭さ。
それは――。
「何です、これは」
飛刃が近くに寄った瞬間、散じた。いとも簡単に防がれ、――いや防ぐ動作すらなかった。まるで飛刃が怯え散らしたかのようで。
――まだ奥があるな。
そう判断した布都は、とりあえず暴いてやろうと思った。
「嫌なやつめ。性別すらよく分からない分際で屠自古に近づこうとは、思い上がり過ぎてそのまま天に召されれば良かったものを」
「天と一体なのが私なのです。性別がどうたらと、下々の者が気にするところには私はいないのです。――しかし、私は寛大なので教えてさしあげましょう」
仰々しく手を広げ、
「今現在、私は便宜上により厩戸と名乗っています。しかし、私は、私を神子と名付けました。神の子たる私が時を経て成長した時には、子が取れて神となるでしょう。さて、その時性別というのはそれほどに大事なことなのでしょうか? しいていうなら、私の性別は神子です。――いかがです?」
布都は頭が痛くなった。
――こいつの前にいる我、可哀想。こいつの話を聞いている我、可哀想。
つい現実逃避しそうになったが、逃避するわけにもいかない。
言葉が使えぬとあれば、残る方法は一つ。
――したことはないが、折檻の方くらいは知っておる。
「思い上がったガキにはお仕置きが必要であるな」
「道理を知らない無知には、優しく説き諭すのが必要でしょう?」
戦意が乗った視線が交差した。
了解を得たことを確認出来た両者は、部屋を飛び出た。
部屋の外、ひらけた場所に互いに距離を取りつつ降り立った。
人が集まってくる。
「……知っていますか? 若者を邪魔するだけの存在は捨てられて仕舞いですよ?」
「真っ直ぐ歩くことも出来ない赤ん坊を正してやるのも義務であろう」
「それを大きなお世話というのです」
「見るに堪えなくてな?」
「耐える必要はありません。さっさとご退場されればよろしい」
「本性が垣間見えているぞガキめ」
「シワが目立ちますよ御婆ちゃん」
自分を特別で崇高な存在だと勘違いしている排他的なガキ。これが現状の布都のする、厩戸、いや神子への評価。
「まずその勘違いを正してやろう」
右手を開き、小指から順にゆっくり内に折っていく。
高まる霊気に、周囲の地面の小石が震え出す。
――己がただの人間であることを嫌でも実感させてやる。
布都は真っ直ぐ突っ込んだ。
敵はそれなりに力を持っている。が、人である。
――ん? そういえば。
布都は人間とまともに戦ったことはない。加減がいまいち分からない。一撃で殺しては意味がない。
布都は、
「っ!?」
吹っ飛んだ。
「おや、強すぎましたか? これでもかなり手加減してるつもりだったのですが……」
空中で体勢をたてなおし、地面に足をつくと、神子を睨みつつ状況の把握に努めた。
距離はまだあるといったとことろで、対象から黄色い光が壁のように発せられ、そのままぶつかってきた。
「……中々面白い冗談を吐くな。髪型もそうだが、笑いを取りにきているのか?」
「ええ。ですがこの度では私が笑わされていますね。まさかこれほどに差があるとは思いませんでした。この世に生を受けたその瞬間から私は頂にいたのやもしれません」
悲しく笑う神子だったが、布都にはそこに自惚れが見えた。
「思い上がり過ぎもいい加減にしておけ。よもや我が全力だとは思っていないだろうな」
「ええ、その程度理解しているに決まっているじゃありませんか。で、その上で言っているのです。――この程度なのかと」
今度は失望を表す神子。
そこには混じり気が無かった。
布都には覚えのあることだった。
「っふ」
笑いが出た。
「どうかしました?」
そのままくつくつと口元を隠し笑い続ける布都に、神子はそう聞いたが返答はなくただ笑い声だけが発せられた。
――馬子殿は上手く言ったものだな。
面白いけれども気にくわない者。
愚かさも正しくつけあがればなるほど面白いらしい。
ただ気にくわないとすれば。
――屠自古はまだ嫁には出さん。
笑いを止めると、布都は改めて神子を見据えた。
偏見を少し止めてみると、なるほどその力はかなりのもの。雑魚妖怪と比べるまでもないだろう。布都は反省した。さっきはあまりにも加減しすぎたと。布都は考えを改めた。そこそこの妖怪とやるくらいにしてやろう、と。
「お前、モテるであろう?」
「否定はしませんが」
どうしてそのようなことを急に? と、首を傾げる神子。
「残念だが、屠自古は諦めろ」
「そう言われると、ますます欲しくなりますね」
「ならば我を負かしてみるがいい」
「雑作もないことで――」
瞬間、布都から感じられていた霊力がはねあがった。
「ならば、決死の試練に挑むがいい。せいぜい心を強く保つことだ。折れるのが増長した鼻だけで済むといいな?」