布都は足を上げ、地を踏みしめた。
地に霊力が行き渡る。
神道からなる物部の秘術は自然を利用するものがほとんどである。必然、自然について知らなければ扱えない。この場合の知るというのは、書物を読んで知識を得るとは違う。感覚的に理解しているかどうかとなる。
布都は少しだけ移動すると、一度足を上げ、地面を踏んだ。霊力が点穴を衝き、地が震える。
きしみを上げる地面に、神子は危険を感じ取った。
即座に空中へ浮かび上がり、
「皆の者! 早くこの場から立ち去りなさい!」
周囲の見物人に注意をうながした。
それにより、ようやく現実に思考が追いついた見物人らは逃げ出す。
その間も事態は進行している。
酷くなる震え。やがて地面に亀裂が走り出し、ついに割れる。
割れる大地を見下ろす神子は、余裕を持ってその様を見ていた。
唯一の懸念は周りの人間の被害だけだった。自分を襲ってきた敵により、死傷者が出たとあっては外聞が悪い。その危険さえ取り除かれれば、もう心配はなかった。
「なるほど、これが物部の術ですか。私でなければ最低でも体勢くらいは崩せたでしょうね」
「予兆というやつだ」
「はて?」
「その自信満々の面が割れるところだよ」
詭弁、奇策、搦め手。布都はその全てを扱う。楽しむため、必要であるため。理由はいくつかあるが、今回の場合は後者。必要だった。
布都が萃香との戦闘で負った代償は少なくない。片腕の欠損だけでなく、単純な全身の疲労もあった。むしろその方が大きい。全力、限界、それらを超えて行使された肉体は形とその機能を保てているものの、元のように動けるような状態までは回復しなかった。鬼と対等に遊ぶというのはこういうことらしいと納得した布都であったが、少し残念に思うところもあった。しばらくはこういった遊びは出来ないと思えば、そうも思う。だが鬼と遊んだあとならば、ある程度の妖怪では遊んでももう大して楽しめないだろうとも思った。
それなのに、今、戦闘している。
あくまで強気な台詞を吐いている布都だが、その内心はどうして自分は戦っているのだろうかと自問していた。理由なぞ考えることもなく自明であるが、それでもどうしてこうなったんだろうかと思ってしまう。体がだるい。地割れを起こしたときもそう。力任せに霊力でもなんでも地面に流せばよかったものを、わざわざ極小の労力でそれをおこなおうとするくらいにはだるい。
「はぁ」
しかしここで引くことは出来ない。目の前に大悪がいるのにそれを処さないというのはこの世の倫理に反する。万人が泣こうが知ったことではないが、その中にあの子が入ってくるなら話は別である。
「この世の全てが理知によって解明されると思っているようなお気楽なやつに理外の理を教えてやろう」
「それを為すのが、――不老不死です」
「……不老不死だと?」
突然の言葉。
布都は引っかかりを覚えた。
「よもやそれを……?」
「ええ、私はそれを目指しています」
「笑えないな」
「はて」
やはり言葉では埒が明かない。
――本当に笑えない。
不死ほどつまらなく、恐ろしいものがあろうか。簡単な話、寝たくても寝ることが出来ないようなものだ。枯れない花があれば不気味だろう。長寿こそ目指しけれ、そこに不老に不死となれば、時間の獄に入れられるに等しい。
時の移ろいに慣れてしまった時、それは心が摩耗した時であろう。一瞬の開花、燃える激情。それらが生の醍醐味だろうに。
「世の摂理を知らんのか」
「貴女は知っているような言い方で」
「少なくとも人は死ぬ」
「私が人を超えれば済む話」
「身体がどうかなったとしても、中身までもが変わるかな」
「初めから違うとは考えませんか」
「そもそも何のために生きたい」
「生を全うするため」
「そうかよ」
布都は唾を吐き捨てた。
忌々しさ。しかし――。
心を落ち着かせようと、ゆっくり息を吐く。
吸って吐いて、吸って吐いて。
――不死、か。
理外のものを無理やり理内に押し込めれば、どうしても歪みが生まれる。その歪みとどう付き合うつもりなのか。
「確かめてやる」
目を閉じる。
暗闇が訪れる。
視界が閉ざされたことにより、他の感覚が澄む。
音、臭い。霊力。
その流れに耳を傾ける。
せせらぎ。水の音。
混じり合い、発露する。
光。球。たゆたう霊魂。
当てもなく、ゆらゆら揺れ動く。
水面に浮かぶ葉のよう。
心象が言葉になり、やがて形になる。
身が宙へと浮く。
周囲は無音なるとも賑やか。輪郭はおぼろげで、光輪のように淡い。
瞼を開けると、暗い雲より抜け出てきた光が瞳に入ってくる。
死とは――。
「その間合いは絶大なりとも極小。寄り添うように近いが、触れるには遠すぎる。ゆらり揺らめいて、現世旅。――さぁ、戯れようじゃないか」
割れた地面から、ぼんわりとした光が続々と浮かび上がってくる。輪郭のぼやけたそれらはどんどん数を増し、夜空に浮かぶ星々のように地面を彩る。
「お前、モテるのだろう? 随分と好かれてるようだ」
『何に?』とは神子は言えなかった。
物部の秘術は神道から来ている。神道は霊魂を重んじる。思考を加速させる欠片はこれで充分だった。
「まさか――」
「人気者は大変だな?」
布都は嗤った。
戦闘は理屈ではない。ただの力比べでもない。意思や思念の交流である。
布都の解釈するには、騙し合いである。それに到らなければ、戦闘とは見做さない。
「恐れるからこそ、招き寄せるのだ。それ、行くぞ?」
布都は人差し指を伸ばし、ひょいっと上げた。
それを合図に、周りの球状の光が神子へとゆっくり進みだす。
「っ!」
こんなにもはっきりと目に見える形で死が迫る光景に、神子は堪らず。
「このような虚仮威しにっ」
「おや、ひどいことを言うじゃないか。理解しないから恐怖が生まれるのだ。拒絶せずに話しかけてみたらどうだ?」
馬鹿を言えと怒鳴りたいところだったが、それどころではない。ゆらめく光はどんどん迫ってきている。
神子は分からなくなった。
目の前に対峙している存在は一体何者なのか。何か根本的な思い違いをしているのではないだろうか。
――何故。
そんな思いが神子の胸の内に満ちる。
知識の上では知っていた。幼少のころから才知を認められた存在。自分と似たような経歴を持っている。違うところと言えば、変わり者と知られ
「日陰者は日陰に帰れ。ここは天照らす天道の元。死なぞ、一部の隙も無く入る余地などない!!」
剣を抜き放つ。
薄暗い天候の中でも、少し霊力を流すだけで輝かんばかりの光を放つ霊剣。あらゆる手を利用し、苦労して手に入れたシロモノである。まずは暗雲から消し去って――。
「――天道は我にあり!」
剣を高らかに掲げ、まっすぐ上に光を放つ。
多分に霊力を含んだ光は、分厚い雲を蹴散らし太陽を暴いた。
「――次は、そのつまらない詐術の番です」
掲げた剣を横に傾けると、陽の光を受け反射した。多大に込めた霊力の剣が反射した光は、灼熱の光線と化した。
光が布都へ――。
「っ!」
防御姿勢をとる暇もなく、布都は光に灼かれた。
それでも霊力で障壁くらいは作ることが出来た。だが、その急ごしらえの障壁は即座に壊され緩衝材程度の役割しか果たさなかった。
布都は地面に叩きつけられる。
数度転がる。動きが止まると、仰向けに。
宙に漂わせていた光も全て掻き消える。
空が見えた。
気味の悪い空。芋虫のような雲が身を寄せ合っている。光さえも隙間を見つけることが困難なほどに押し合っている。そんな空に一カ所だけ穴があいている。まるで腸を破かれたよう。そこから差す光はさしずめ血であろうか。
頬が緩む。
――楽しくなってきた。
空に開いた穴は、だんだん雲によって塞がれていっている。欠損は埋められるものらしい。
「やはり詐術の類。よくもまぁ、あのような偽りを言ったものです」
「偽り、か」
「まだやりますか? もう貴女の手は理解しました。詐術の類は通じませんよ」
小さく笑いが飛び出る。
見破られたところで何一つ問題はない。そもそも防衛過剰な相手とその心理を突いた策でしか無かった。目的は相手の対応を見ること。その対応で相手の心を見ようとしただけ。目的は充分に果たしている。
ゆっくり立ち上がる。
身がところどころ焼け焦げているが、問題はない。もう、問題はない。
身の心配をする時期は過ぎた。
「一応断っておこうか」
「何がです?」
「我は人を殺したことがある」
「戦闘を経験したことがあれば、よくあることでしょう」
「そういう意味ではない。何故この場面で言うか、それが重要である」
「……脅しでしょうか」
「いや、覚悟をうながしただけである。せいぜい楽しませるがいい」
唇を舐めると、土の味。唾と一緒に吐き捨てる。
ゆっくり息を吐くと、酒気のようなものを感じる。心が浮つき、身が軽くなる。視界は淡く歪み始め、全てが好ましく想えてくる。
「くふ」
全てを肯定するということは、全てを否定することに等しい。
成り立ちはしないのだから。
「集中は切らすなよ。まぁ、それだけ臆病ならば問題はないだろうが」
「――臆病、と言いましたか?」
霊力の糸を操り渦を起こす。
風。
吹き荒ぶ風は、地面の砂を巻き上げ、自身と共に流れゆく。
「今度は何の詐術でしょうか? 偽りばかりで実のないものに、私は――」
実はあった。風に乗った砂がそれ。
見えない攻撃は知っていれば対応は出来るが、知らない攻撃は対応のしようがない。
目に砂が入り込み、思わず閉じてしまった神子に、布都は即座に距離を詰めた。
「――阿呆め、敵から目を離すな」
その言葉を聞いた神子は、理解した。
焦り。
その前に、対処を。
敵が来る。来た。
やる事は一つ。
霊力を急速に高め、殻のように具現させる。
「下だぞ」
薄く目を開け、下を見る、が。――いない。
「阿呆」
上から強い衝撃。
とにかく出力を上げ、防御する。
防殻は破られていない。
「っち、硬いな」
言葉の後、衝撃が和らぐ。
遠ざかるのが見えた。
「せっかく良いものを持っておるのに、全然使い切れておらんな。お前の知覚はちゃんと上から来る我を感じていたはずだ。なのに言葉一つでお前はそれを無視して、下を見たのだ。神の子が聞いてあきれる」
神子は言い返せない。
全てが事実だった。
けれど、事実はまだある。
「……それでも私は無傷です。貴女とは違う」
如何に近づこうとも、防殻を破れない限りは負傷することはない。であれば、一方的に攻撃を与えられるのはこちらのほう。
神子は現実と推測で心の落ち着きを取り戻してきた。
だが布都にとっては取るに足らないこと。
「――然り。けれども、絶対はない。およそ駆け引きなんてものは、頼みとするものが破られた時に最高潮になるのだ」
全てを払った果ての果て。極上の果実。
「さて、次はどうやって攻めてみようか。特に何か思い浮かぶというわけでもないが、何もしないというのも暇であるし。はてさてどうしたものか」
一切の焦りが見えない布都の表情。
神子は嫌になった。
永遠に延々と続きそうな攻防のように感じられた。
それこそ冗談ではないと吐き捨てたかったが、口に出す労力が躊躇われた。この先そこまで続くか分からないのであれば、少しの体力も温存すべきだと思った。しかし、そんな永遠なんて望むわけがない。逃れる術はある。簡単な話、こちらも攻撃を仕掛けて相手が活動出来なくしてしまえばいいだけのこと。そう思い到ると、いくらか楽になった。そう、これは永遠なんかではない。終わりはちゃんとあって、そしてその終わりはある程度自分で左右できる代物であると。
息を吐くと、気持ちが落ち着いた。
「……次はそちらが防ぐ番です」
「ほぉ!」
神子の言葉に、喜色に富んだ返事をする布都。
むっとしつつ、神子は剣を布都に突き付ける。
霊力がふんだんに込められたそれは光り、あふれんばかりの輝きを放った。その輝きだけで目を灼かんばかり。
「うむうむ。なるほど霊力の総量だけでいえば我より上であろう」
「当然です」
「しかしそれだけだ。別に今までになかった話じゃない」
「……何が言いたいので?」
「体験と経験の積み重ねで熟していくものが食べたいのだ。だからこうせっせと教えてやっているのだ」
「上からですね」
「経験不足どころか、戦闘が初めてなんじゃないかとすら思っている。かぶりつきたくなる衝動を必死に抑えているのを褒めて欲しいくらいなのだが」
「気持ちのいい比喩ではありませんね。人に向かって食べるだとか」
「比喩なのだが、比喩でもなかったりする。いや、微妙な塩梅でな? 出来れば真に死の恐怖を味わって欲しかったのだが、どうにもこれが難しい。加減するには強すぎるが、本気で殺るには経験が足りてなさすぎる。人間なんてのは腹でもぶち破ったら、大抵死ぬのだ。少しの隙を突けば、造作もない。さすがに我も困ってきた」
「……ならば止めませんか。そもそも私は望んでいない」
「うーむ、それもいい気がしてきた。どうにも昂った気持ちが抜けてきてなぁ」
腕を組み首を傾げる布都。そこからは緊張感の無さが見て取れた。本当に気分では無くなってきたらしく、威圧感や異物感といったようなものがかなり薄れている。
神子は正直ほっとした。
気の隙間、そこを衝く。堅固な守りを破る最善の方法。
布都は衝かれた。
「っ好機!」
宙を浮く布都の後方の地面から穴が開き、何かが飛び出した。
人、いや仙。いや仙でもなく、邪仙。
「素敵ですわね! こんな素体が手に入るなんて!」
その邪仙は神子も見知った姿。
「霍菁莪っ!」
水色の衣服に身を包み、いつも楽し気に笑顔を携える仙人。師でもある。正直その思考や素行は相いれないが、それでも仙道を知り、また教えてくれる。無下には出来ない。そんな存在が――。
「がっ」
布都は受けた衝撃に血と声で反応した。
背から手が突っ込まれ腹を突き破られている。
布都の肉体は決して堅いわけではない。霊力で補強することで、ある程度頑強に出来るが、身体事体はさほどではない。何より、布都の今の肉体は万全とは程遠い状態にある。
「っな」
首を後ろへやると、ようやくその姿を確認出来た。
「えー、神子様を助けに来た者ってところでどうでしょう?」
楽しげな声色。子どものような純粋な笑み。
腕が引き抜かれる。
再び襲う衝撃に布都の肉体は耐えられずに、地に落ちた。
「菁莪! 何故!」
神子は即座に詰め寄った。
「はて、何故と申されましても……」
対する菁莪は、人差し指を頬に当てて首を傾げてみせた。
「お邪魔でした?」
「もう戦いは終わるところだったのだ!」
「――あら、神子様。それはいけませんわ。『終わるところ』では、まだ終わってはいません。ちゃんとお教えしたはずですよ?」
「そんなことはいい! それよりっ」
神子は飛び越してきた布都を振り返った。
布都は地面に倒れ伏し、その周囲に血だまりを作っていた。どう見ても致命傷。助かる見込みは感じられない。そう、死とは突然襲ってくるもの。そんなの到底許容出来るものではない。だからこそ、この邪仙を師と仰いだ。だが、この結果はどうだろうか。納得出来るものなのか。
「神子様? お顔がすぐれませんよ? たった一つの命に頓着されるようでは、人の上に立てません。天より人を見下ろす者がそれでどうするのです?」
「理屈は分かるが……」
しかし、と続けようとした神子、そして菁莪は、上から頭を糸でつり上げられたかのようにびくっと跳ねて緊張した。
それは禍々しさとしか形容出来ないものだった。
立っていた。
「……仙はまだ喰ったことが無くてなぁ?」
血に飢えた獣の舌なめずり。天上へと昇るような恍惚の笑み。
「婿は下がっておれ。巻き込まない自信はない」
「は?」
婿、そう呼ばれたのが自分だと分かった神子であるが、問題はそこではない。
「何故、立って……」
ひん死の重体だったはず。いや、今でもそう見える。でも何故――。
「もう、抑える必要もないようだ――」
布都は、笑みを凶悪のものに変えた。
それは完全に捕食者の笑み。
神子から布都の身の心配が消え去り、逆に菁莪への心配へと移った。
その菁莪の顔は険しい。普段の笑みは完全に消えていた。
「……獣を飼いならすのは趣味じゃないのですけど」
「代わりに我が腹の中で飼ってやる」
布都から気がほとばしる。
霊力に妖力が混じっていく。
「さて、仙人狩りの時間だ」
はためくだけだった左袖が浮き上がり、中から黒いもやが出てくる。触れるもの全てを腐蝕させてしまうようなそれ。
明らかな劇物。
菁莪は大きな計算違いを覚った。
「ま、待って――」
待たれない。布都は行動を――。
「ちょ、ちょ――」
菁莪は全力で逃げ出した。
布都は追った。
「えっと、私は……?」
一人になった神子はその場で立ちぼうけになった。