我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第25話 欲望と策謀

 風を頬で感じた。

 ようやく落ち着いてきた、らしい。

 

「なんとまぁ……」

 

 激動の一日だった。そしてどこかではまだ激動真っ最中なのであろうと。平穏な一日がやたら物騒な客により吹き飛んでしまった。思えば、今日は何をする予定だったかしらん。うふふ。

 ふざけていると、思い出した。

 そして同時に予定が直に現れた。

 

「皇子! 来ました――って、えぇ!?」

 

 声の方に視線をやると、人が集まっていた。

 そして、その人垣を押しのけこちらにやって来る少女。和らげな緑の衣服に、活発そうな瞳。そう、蘇我屠自古。会って、お茶でもゆっくり飲むはずだった。

 なのに、この惨状。荒れ果てた地。恐怖や驚愕の顔の人々。人は天災には逆らえないというが、彼女らがそうなのかもしれない。

 

「っわ、っよ、っせ」

 

 割れ地の上で飛び飛びに足を運ぶ。

 地が割れてるせいで、尋常じゃなく足場が悪い。しかしそんなことは屠自古にはどうでもよかった。それより何故か黄昏ている婚約者の方が気になった。

 

「ど、どうされたのです?!」

 

 屠自古は肩を揺さぶった。

 

「え、ああ、綺麗な空だなぁと思いまして」

「は?」

 

 空は鈍色一色。使い古された刀剣の類の方がまだきらめくかもしれない。

 

「……その、君の親はどちらとも凄い人だね」

 

 想いをそのまま言葉には出来ず、伝わりようが無いくらいの遠回しになった。きっと空のせい。

 

「え? あ、いや、父上はともかく母上は知りませぬ! ロクに顔も見たこともないですし!」

「ん? 君の母はあのもののべ――」

「っ違います!!」

 

 鼻息荒く否定した屠自古。

 

「あいつは断じて母などとは!! あいつは、その、あれです! 布都です!」

「……そうですか」

 

 その権幕に、神子は思わず改まった。

 どうやら親子仲は悪いらしい。色んな意味で。

 

「今しがたまで、その布都さんはここにいらしてましたよ」

「え、そうなのですか?」

「ええ」

「どうして今は居ないのですか? もしかして私が来るのを知って!?」

「いや、それは無いでしょう。さすがに未来を見るなどと――」

「いやあいつならやりかねません」

 

 さえぎる屠自古。

 

「……嫌いなんですか?」

「嫌い、というわけでもないような気がしないでもありませんが、……いややっぱり嫌いです!」

 

 神子は目を丸くした。

 表情豊かだとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。でもこれは多分、あの人物が関わっているからこそなんだろうと思うと、やはり好ましくはない。

 だから少し意趣返し。

 

「――いやぁ、大変でしたよ。貴女を嫁には出さんと暴れ放題で」

「……え? 布都がですか?」

「ええ」

 

 目も口も丸くする屠自古。

 

「もしかして、この辺りの……」

「ええ、そうです。貴女の母がやっていったことですよ」

「は、母ではっ!」

 

 顔を真っ赤にして抗議する屠自古。そこからは複雑な喜び模様が見て取れた。とにかく認めたくないらしい。

 あることを思いつく。

 神子は悪い笑みを浮かべた。

 

「今度、遠くに遊びに行きましょうか。お母さんも連れて」

「え? 布都もですか?」

 

 認めていることも気づいていないのかどうか分からないが、とにかくこれは復讐になる。

 

「当然です。私たちの旅のおまけに連れて行きましょう」

 

 神子は笑みを濃くする。

 あの化け物にも弱点があるようで、思い返せば例の件の発端はそれが要因だった。目の前で存分にいちゃいちゃしてやろう。そんで泣かせてやろう。たぶん最高に愉快だろう。

 

「お、皇子?」

「ん? ああ、何もないですよ」

 

 神子は心で誓った。

 

 ――絶対、泣かす!

 

 気分がすこぶる良くなってきた。

 勝手に頬がゆるむ。

 いけないいけないと手で包み込むが、抑えられない。

 道中に散々いちゃついて涙目になったあいつに、「歳をとると涙もろくなると言いますからね」と言ってやろう。続けて「それで何か感動するような光景でもあったのですか? 伯母上?」と付け加えてやろう。さぞ愉快だろう。

 ……その前に、師を失うことになっていないといいが。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 驚くものを見た時の反応とは人それぞれだろうか。その反応が幾通りかは分からないが、その数は多くはないだろう。思考や理性を飛び越えて本能に近いところまでやってきた衝撃。それは天より遣わされた神の子を自称する前衛的な髪型の持ち主をも、その他大勢と同じような反応を示すものだった。

 それほどまでに目の前の光景は――。

 

「ねぇ~、布都様ぁ~」

「寄るな。失せろ」

 

 猫なで声で布都に纏わりつく菁莪。

 

「そう言わずに~」

「ええい鬱陶しい!」

「あぁんっ」

 

 軽く振り払われただけのように見えたが、菁莪は吹き飛ばされたように地に倒れ。

 

「痛いですわぁ。これはもう責任を取ってもらわないとぉ」

 

 追われていたはずの者が追っているというかなんていうか、仲直りしたのだろうか。そんな変なことを思ってしまう。

 目が合う。

 

「お、おお! これはこれは婿殿。よくぞ会えたな!! この偶然に我も神に感謝したいところだ!」

 

 ここは上宮。どう考えても厩戸皇子に会いに来る以外に来る機会がない場所。会いに来たというよりは、連れてきたという方が正しいようで。

 

「……どうも。何の用でしょうか」

 

 邪仙に足首を掴まれながら、気にした様子無くそのまま引きずって来る様は中々に異様。

 帰りたい。家はここだけども。

 

「いや、な? 顔を見たくなってな?」

「昨日の今日ですが」

「いやいや、あんのクソガキがどのような面しているのかと思うと気になって気になって思わずな?」

 

 良く分からないが、別段仲良くする気はないらしい。

 

「どうも、天に愛された素晴らしい面です。ではご用件は済ませられたでしょう。出口はあちらです」

「そうかそうか。我もこのような火を点けたくなるような場からはさっさとおさらばしたいのだが、ちょっと土産があってな」

 

 見るからに、土産は足元のそれ。

 

「いりません。連れて帰ってください」

「あら、神子様。それはちょっと傷つきますぅ」

 

 心底楽しそうに悲しそうに、菁莪は言う。

 

「私は貴女様に惜しみない愛を捧げた身。それを物のように――」

「知識だけ置いて、その方とご一緒にされて下さい。どうやら愛に飢えているようなので」

「おいおい、感心せんな。師に向かってその口の利き方はどうかと思うぞ婿殿? ここはやはりそういった部分の教育も兼ねて、師としばらく寝食を共にするのはどうだろうか」

「身の危険を感じますので、お譲りしますよ。私の代わりに、常識や礼でも習うといいのではないのでしょうか」

「あいにく、それらとは無関係になるように生きている」

「ああ、そのようですね」

 

 菁莪がようやく起き上がる。

 

「私を取り合いになさるのはたいへん結構なことですが、この身は一つですので交代で我慢してくださいな」

 

 この邪仙から本当に学ぶべきはこの精神性ではないだろうか。

 

「そうですわ、神子様」

「はい?」

 

 表情を変えた菁莪。何か用事があったらしい。

 

「北の方へ旅をしようかと思いますの」

「そうですか」

 

 ただの報告だった。

 

「神子様も高貴なお人。準備も色々ありましょう」

「はい」

 

 何か食い違った。

 すぐに理解した。

 

「……どうして私が行くことになっているのです?」

「あら、師が旅出ると言えば弟子は走ってついてくるものですわよ。仙道とはそういうものです」

「怪しいことで」

「なんと! 私をお疑いですか!?」

「……はぁ」

 

 どうやら頷くまでこの調子が続くようである。これも力を得るまでの辛抱。

 

「分かりました。行けばよいのでしょう行けば」

「はい!」

「しかし私にも公務があります。……予定を作るのも一苦労ではないというのに」

「申し訳ございません。ですが、神子様にも益のある話だと確信しているのです」

「それはどのようなもので? もし本当にうまみがあるなら、気分も乗るのですが」

「それは――」

 

 霍菁莪は嘘はつかない。ただ伝えることをわざと伏せたりする。言うことと言わないことを意図的に操れば、嘘をつく必要もないというわけだ。騙されて動くのではなく、自らの自己決定により動く。少なくとも、当人はそう思う。

 

「おい、聞いておらんぞ」

 

 そんな中、布都が口をはさんだ。

 顔をしかめている。

 布都にすれば、話が違うとすら言いたくなることだった。 

 そしてその言葉の意図するところ、それを菁莪がすぐに感じ取った。

 

「あら布都様、『私たち二人で』とは言っておりませんでしたわよ。それとも二人っきりをお望みでしたか? ぁあ、それは気が回らず……」

「ずいぶんと口が回ることだ。これを師と仰げば、それはそれは大そうな人物になるであろうな」

 

 それは明らかに神子に向けて言っていた。

 

「耳が痛いですね」

「おや、それはどちらの耳が痛いのか」

「……貴女は舌の上に毒でも乗ってるのでしょうか」

「絶品のな」

 

 布都は舌を出して見せた。

 

「あら、それはたいへん興味ありますわ。是非とも味わいたいもので」

 

 すかさず寄る菁莪。

 距離を取る布都。

 実に嫌そうな顔を浮かべている。

 知ってる者からすれば、おそろしく珍しい表情である。

 話が進まない。

 神子は話を切り出す。

 

「で、どうして北なのですか?」

「――かの地では神が統治する国がある、と言われていますのはご存知でしょう?」

「ええ、誰でも知っているような噂ですね」

「さて、私は仙でございます。ある程度の事は対処可能」

「探りに行ったのですね」

「ええ。ですが、すぐに帰ってくるはめになりました」

「貴女ほどの人が?」

「仙であり続けるとは、畢竟死なぬことです。危ない橋は渡らないことです」

「ならば、そもそも行かなければ良かったのでは」

「それが、そこの神は剣を欲しているとも、もしくは手に入れたとも、そんな情報を得たので」

「それが欲しいと?」

「ええ、貴方の為に」

 

 そこに含まれた意味を神子は感じ取った。

 

「……そうですか。それは仕方ありませんね」

「そこらの霊剣とは違い、正真正銘の神の剣です。全てを断ち切る剣。まさに剣というべきものです」

「――それをどうやって手に入れるつもりで? その神が既に持っているにしろ、探している段階にしろ、目的がかち合うことになりますが」

「それはもう、頑張って譲ってもらうのですよ」

「……貴女らしいことで」

 

 明るい展望が見えない旅。

 北に行くにつれ、危険が大きくなるのは周知のことである。基本的には未知の妖怪が多くなる。そんな危険を冒してまでたどり着いたところで、その先にさらなる危険がある。北の向こうに国があるという噂は、菁莪の感じからどうやら本当であるらしいが、それだけ。

 しかし、そんな不確定なものにあの布都が参加するというのが気になった。

 黙って聞いている布都に問いかけてみる。

 

「貴女はどうして菁莪に賛成したので?」

「興味があった、ではいかんかな?」

「足らない、と答えましょう」

「ではこう答えよう。損じたものを得るためにと」

 

 布都は左袖を掴んで見せる。

 

「それで菁莪の話に乗ったわけですか」

「そんなところにしておいてくれ」

 

 当たっているとも言えないが、外れているわけでもないらしい。少なくとも、菁莪が関係しているのは確かだ。でなければ、今そこで殺し合いが始まっているだろうし。

 

「まあまあ、よろしいではありませんか。思ったが吉日です。早い出立を――」

「ですから私は公務が」

「あら、別に神子様を置いていってもよろしいのですよ? 旅の仲間は他にもいますし」

「……他とは?」

 

 この面子に入っても大丈夫というか、わざわざ菁莪が連れて行こうとする人物の名が思い浮かばない。

 

「屠自古様とか、お誘いしたのですが」

「――死にたいのか?」

 

 布都が詰め寄った。

 

「――まさか。私はとことん生きて飽くまで楽しみたいのです」

「ならば妙なことはするな」

「いえ、これは私からのお節介のようなものですわ」

「……どういうことだ?」

「もうすでにこのヤマト王朝の重臣たちは、北の向こうの国を認知しています」

「噂で、だろう」

「いいえ、私がきっちり証拠を持ち帰ってきたのですから」

「証拠?」

「その証拠は喋ることが出来ますので。少し舌足らずな感も否めなかったのですが、子どもの方が持ち運びに便利でしたので」

 

 物騒な内容はさておき、布都はそれが意味するものを感じ取った。

 

「……つまり、王朝は土地を欲しがったという訳か」

「さすがは布都様。ご理解が早くありますね」

 

 大軍が動く。そして自分たちも。

 理屈を理解出来た布都の気分は良くない。

 危険を乗り越えた先には、国がある。国があるということは、そこには住まう民がいる。民がいるということは、それにともなう文明がある。つまるところ併合して、それら全てを手に入れてしまおうというわけである。

 菁莪がどういう手口を使ったかは、布都には知り得ることではなかったが、おおよその見当はついた。人の欲を突くのが上手い邪仙は、おそらく例の国を魅力的な土地と説き、その国力は大したことないと説いたのであろう。後はそれの説得力を上げるために、子どもを連れてきて、想定通りのことを喋らせた。

 

「お前、ロクな死に方はせんな」

「仙人ですから」

「ふん」

 

 一人の邪仙の欲が国を動かした。その欲はあまりにも純粋で、自分のためであり他人のためでもあった。

 国を挙げての北征が始まる。

 名だたる重臣が兵を率い、権力争いをも引き連れて、足を時を進める。

 まがりなりにも一つの国として、味方として共同体として。

 剣を槍を矛を。北に向けようと。

 邪仙は裏の無い笑みを携え、飽くまで楽しもうとする。それ以外に生きることでやることがあるだろうかと言わんばかりに。


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