それから、幾度か過ぎた日の夜。
林の中に点々と明かりが灯っている。
先頭を行く物部は、常に未知と言う不安と戦っていた。後発組は、物部の残した後を辿るだけでいいが、先行く物部はそうもいかない。安全など定かではない場所で、限りなく最善の状態で休める地を探すしかない。
そんな物部氏一行も、夜が深まった今、休息地を見つけ腰を下ろしていた。
周囲を探索し、大丈夫であろうと贄個が結論を出した結果、この場で休息を取ることになった。術者の実力とと信頼性を重ね合わせた時に、物部氏の中では贄個が一番である。布都は相変わらずあまり干渉していない。周りから見た布都は、先頭にはいるが何やらぶつぶつとひとり言を言っているように見えていた。力のある者は、布都の横にぼんやりと不思議な存在を感じることが出来て、それが布都が言う迷子という者であるというのは分かったが、実際それが何なのかはまったく分からないままだった。
そんな布都は重心を地に下ろし、木に背を預け、目を閉じていた。
他の者も似たような体勢である。いつ何があるか分からない状況では、すぐに立ち上がれることが望ましいわけである。明日の為にゆっくり休息をとろうとして、明日が来なかったら本末転倒なわけである。
「しかし、だいぶ大所帯じゃないか――」
横から声がしたので布都はうっすら目を開けると、諏訪子が辺りを見回しながら立っていた。
「何だ、見て回ってきたのか?」
「ざっくりね」
「何か面白いものでもあったようだが」
「まぁねー」
言葉とは裏腹に、諏訪子は少し難しい顔をした。
「ただ、私の勘はよく当たるはず、――だったんだよなぁ」
腑に落ちない。答えは合っているはずなのに、合ってなかったように思える。複雑で端的に言い表せない。
諏訪子の表情は猜疑に満ちていた。
が、布都には関係ない。
「勘など外れることを前提にするものであろう」
「――それは普通の人間の理屈でいいんだよ。私が気になるのは、私の勘が外れたかもしれないってこと」
「お前は巫女か何か」
「いやいや、そんなんじゃあないね。近いと言ったらそうなんだけど、そこには絶対的な隔たりがあるんだなこれが」
「……まぁ、言う気がないのならいくら詮索しても予想にしかならんか」
「そういうこと。物分かりが良くて助かるよ」
気分良さそうにした諏訪子に、布都はまた質問を投げてみる。その身の正体について聞いても、答えてくれないであろうことは分かっている。なので、簡単なことを聞いた。
「あとどのくらいで着く?」
「もう近いよ。この感じなら明日一日歩いてれば、着くだろうさ」
朗報に、気が楽になった。
この集団野宿は色々と面倒なもので、元の屋敷生活を何度も思い出してしまっていた。
「ってなわけで、明日に備えてよくよく眠るといいよ――」
声だけ聞こえた。
意味深に思え、何事か問うてみようと目を凝らしてみたが、やはり姿がなかった。
◇◆◇
朝になり、進行が再開されると、そう時を起たずして家屋群のようなものが見えてきた。
家人に調べさせたが、その全てが空だった。生活をしていた名残りはあるが、どれもが時が経っていた。
「捨てられた村だろう」
それが結論になった。
ここではそれ以上の判断は出来ないと、調査は打ち切りになった。細かい調査は後発組みがやるだろうと先を急いだ。
ようやく近づいたという気の逸りもあって、無人の家屋などにいつまでも構っていられない。
近づいたという感触は全体の中に広がっている。
家屋群から進めば進むほどに、一行の緊張感が増していく。集中力が研がれ、感覚が澄ませられる。
敵地にやってきた。そう思えば、皆自然とそうなった。
ただ、この頃になると不思議な何かを気のせいと言うにはあまりにもはっきりとした形で感じられる者が多くなってきた。
気持ちの昂りからくるものではない。進んでいるのに、どこか迷い込んで来てしまったような感覚。何らかの領域に入ったというような――。
それは、間違いではなかった。
諏訪子の声。
「さて、頃合いかな――」
「んん?」
横を行く諏訪子が布都の疑問の声に応答せず、前へと駆けて振り返った。
「ひとまずは遠くより長きの旅ご苦労」
風で布がはためくように、辺りにざわめきが起こった。急に声が聞こえてきた、音が直接やってきた。
「姿を見せなかった非礼を詫びたいところ、と言うと嘘になるか。まあでも、見せてあげるから感謝してくれ」
光があふれ、その中心から一人の少女が現れた。
「どうも、私は諏訪子。――神だよ」
疑うより他に納得するしかなかった。神が顕現するということの意味を思い知らされた。およそ有り得ないが有り得ている。そんな現実。
存在そのものが異質だった。
「……何じゃ? 我は騙されていたのか?」
ざわめき困惑する中、布都は表情を変えずに首を傾げていた。諏訪子の視線が布都に行く。
「勘の鋭さとその理解の速さには驚かされるけど、それは私の助けにもなる」
「ううん?」
「さて私は神なのだけれど、神というのがどういう存在かは皆もご存じだと思う」
布都も、周りも、話についていけない。
「私はどちらかと言うと、君らにとっての味方になり得るのさ。何故なら、計画通り行けば君たちはここで皆死ぬ予定だ」
物騒な話。仔細は分からずとも、何となく分かる。
「おっと、怒りを私に向けるのはよしてくれよ。計画したのは私じゃあない。協力したのは事実だが、別に好き好んでやったわけじゃない。ある程度言う事を聞かなきゃいけない関係のやつがいてね、そいつの要請なのさ」
見えてこない話を次々とする諏訪子。
「一応言っておくけど、私は信仰の強い地ならかなりの力が出せる。おそらく今君たちが想像したよりもはるかずっと強いものがね」
手を広げ、身振り手振りで説明していく。
「でだ、ちょっと諸事情で私には仕返してやりたいやつがいるんだ。だから君たちには私の味方をしてもらいたい。協力すれば、私から君たちを害することはしないと約束しよう。そしてもし協力を得られないのでれば、当初の予定通り死んでくれ。恨み辛みを深く残して死んでくれると、私の糧にもなるからありがたい」
具体的なことがまったく見えてこない。
布都が口をはさむ。
「よく分からんが、負け犬の世話をしろというわけか?」
「本当に驚かせるね。でも、少し違う。正確に言うと、負け犬の世話をしている負け犬の私の世話をしてほしいのさ」
「ややこしいな」
「ま、そいつ神奈子って言うんだけどさ、そいつの計画に付き合ってやってるんだ。ただ、言われたとおりにやるのも面白くなくてさ?」
首をかしげ、おどける諏訪子。
が、布都は意に介さない。
「何だお前弱いのか? それならお前を倒して、さっさと去ることにするが」
「……言っておくけど、神の間の話だ。人間じゃどうにもならないと思うね。大体私の負けたやつは軍神なんだ。真っ向からやり合ったら到底勝ち目はない」
「だがそいつも負け犬なのだろう?」
「それも神同士の勝負の話。人の物差しで測ると死ぬよ」
「ずいぶんと死を使って脅すじゃないか」
「定命の者に対するいい文句だと思ってね? 遊びに付き合わないやつは疎まれるのさ。神に疎まれるのは嫌だろ?」
「神遊びなんぞに無理矢理付き合わそうとする神など、人から疎まれるだろうよ」
「神なんてのはそんなもんさ。だから諦めて私に付き合えよ。悪いようにはしないって」
布都は守屋を見た。
この集団の決定権は守屋にある。である以上、自分の判断を探る前に、さっさと確認しておいた方がいい。
結果、守屋は頷いてみせた。
意味するところは好きにしろ。
布都はげんなりした。
――覚悟を決めるにしても、限度があるだろう。
自分の決定で多くの人間の進退が決まる。それも生死というもの。
今まで散々避けてきたものが、避けづらい形で自分に降り掛かってくる。実に面白くなかった。
――愚痴は聞かんぞ。
布都は口を開いた。
「付き合ってやる。――ただし、我は別に考えろ」
それが最大の譲歩。
「気が向かなければ、我だけでも去る」
その全てを置いて帰ることが、その時出来るのかどうかさだかではない。それでも口にしないと仮初めの納得すら出来なさそうだった。
諏訪子は分かっていた。
「うん、分かった。それで構わない」
ここが合意点であると。
「とりあえずでも参加してくれるなら、それでいい。充分だ」
話は終わり。
口の次は足の出番。
足を進めなければ、話は進まない。
一行は内に様々なものを秘めながら、その地へと向かった。
◇◆◇
それから少し時間が経ってのこと。
「み~こ様っ」
神子の後ろにどこからともなく現れた菁莪が、抱きついた。
神子は、殺気立つ護衛を下がらせ、殺気立つ屠自古の頭を撫で、
「――何か朗報ですか?」
と言った。
「はい、それもう!」
菁莪は神子の前に回り込むと、手を合わせ頬に当てながら、実に嬉しそうに話しだした。
「後は神子様の許可次第ってとこです!」
何度も頷く神子。
「そうですか、ご苦労です」
「いえ、そんなわざわざ言われるような……」
神子は咳払いをした。
「――で、当然何の話か聞かせてもらえますよね?」
「もちろんですわ。でないと話が進みませんものね」
「えぇ、本当に」
神子は人の心が読めたらどんなに楽になるだろうかと、そう思わされた。本気で身に着けてみようかとも。
よそに、菁莪は語りだす。
「――今から行く国の国主に話をつけてきたというわけです」
「国主と?」
「はい、つまり神ですわね」
「……詳しく」
「おや、気になりますか? そうですわね、その気の誘引がなんとも魅力なもので――」
「早く」
神子の声色に怒気が混じり、菁莪は両の手の平を広げて見せた。
「神子様、神子様」
「何ですか」
「申し訳ありませんが、そちらの可愛らしい方も」
「……あぁ、分かりました」
神子は屠自古の背を押した。
「少しの間だけ、離れていてください。二人きりじゃないと出来ない話があるようなので」
「は、はい」
屠自古はぎこちなく頷くと、小走りで離れていった。途中でちらちら振り返ってみたが、どうにもならない。
「――で、そこまでの話とは何んでしょう」
改まった神子に菁莪は、
「神遊びですわ」
短く答えた。
「遊び、ですか?」
「そう、遊び。辺りの人間にはいい迷惑な話ではありますが、これはたいへん利用出来ます」
「知ってることを話してください」
「かいつまんで話しますと、復讐の手伝いを復讐で邪魔されそうなのを邪魔をするというところです」
「ややこしいですね」
「人を使って何かをしようとしてる神と、それを邪魔しようとしてる神。私はその前者から頼まれごとをされたわけです」
「何を」
「頭が付いた手足が欲しいとのこと」
「手が足りないと?」
「そうらしいですわよ。わざわざ向こうから頼みに来るくらいですから」
「もしかしてこの遠征は――」
菁莪は神子の唇に人差し指を当てた。
「見返りは簡単ですわよ。生命の保護と、その神の加護。事が上手くいけば、今まで探していた剣もいらなくなるという副次結果もつくので、悪い話じゃありません」
「わざわざ断る必要もない話であるのは、間違いなさそうで」
「はい。ですから――」
「乗った上でどうやってこちらの利益を最大化させるか、ですか」
「素晴らしいですわ!」
「私もそろそろ慣れてきました。特に最近環境に揉まれたせいだと思いますが」
「喜ばしい限りではありませんか。そしてこれは一つの神子様の復讐にも繋がりますわよ」
「復讐? どうしてです?」
「この間の勝負では、実質負けでしたでしょう? やり返す機会ではありませんか。構図としては蘇我対物部の分かりやすい図ですし」
「……なるほど」
神子は分かった。理知過ぎた。今までは経験が追いついていなかったために手の届かなかったところに、理知が届くようになった。だから菁莪の言った狙いに一つ言っていない部分があることに気づいた。思えば露骨ではあった。
気づけば、色々と疑うことが出てきた。
そもそももっと前から目をつけていたのではないかとか。思えば登場の仕方が良すぎるとか。
――我欲に忠実過ぎるからこその邪仙か。
到ったからこそ、もう一つ思考が進んだ。
――ならば、私にとっての最大の利益とは。
それは少し難しい問いだった。
いくらか答えは出来たけれど、そのどれもが最大とするには不足なものばかりだった。
「で、神子様? どうします?」
「ああ、話は受けましょう。そうではないと話が進まないようです」
「では、そのように計らって来ますわ」
「はい」
神子は、ふわりと浮かび上がり遠くなっていく菁莪の背中を見送る。
「いつか欲の重みで地に落ちる時がくるのでしょうか」
地に落ちるにしても、知っている知識を渡してからにしてほしい。
神子は肩落とした。
「上は扱いづらい者しかいないようで……」