時も足も進んでいく。
どちらも進む以外に術を知らない。
進めば、変わり映えのしない光景にも変化が見えてきて、視線が行く。
境の分かりづらい村の集合群を抜けると、さらに大きな村が見えてきた。とはいえ、見える範囲での変化はそうない。ただ大きく多くなっていったくらい。とても大きな村、――都といってもいいのかもしれない。だがそこには商業施設等の建物が見当たらない。相変わらず民家と社のみ。ただそれが大きな円を描くように寄り集まっていて、その中央にと大きな社がそびえ立っていた。
その中心付近にまで物部一行はたどり着いた。
――どうするか。
予想と大きく違う展開に戸惑う人たちを置いて、布都は別行動をとった。
少し離れると、空を見上げた。 くすんだ空は如何様にも姿を変えそうだった。
――自分は必要ない。
そう思った。
諏訪子と名乗る神はどこに行ったかは知らないが、姿が見えない。侵略しに来た集団に対し、抵抗の一つもしない民衆にこちらとしても何かすることもなく、淡々と行軍が進んでいく。神が危害を加えないと言ったのをどこまで信用するかという問題でもあるが、実際として危険が見られないとあれば、気も変化してくるというもので。
つまるところ、何かあると思っていたのに何もないので肩透かしをくらって退屈になった。
集団行動などしていては、見つけられたかもしれない楽しみを逃してしまう。布都にとっては、別行動をとるには充分すぎる理由だった。
木を隠すなら森の中。見られたくないものは煩雑かつ小さなところに隠すもの。幾重もの戦闘の経験によって磨かれた勘を頼りに、隅の方から探索していく。
隠したいものというのは、陰気なところに持ってくものである。気分がそうしたがるのか、それとも陰気という属性が為にそこへ行きたがるのか、それは分からない。
民家に挟まれた狭い路地。
日中のほとんど影が差すせいで、地も空気も湿っている。
布都は、話しかけられた。
「あんた、外から来たのか?」
くたびれた男。頬がこけていて、目だけがぎょろっと力を感じさせた。まともに立つのも辛いのか、壁に背を寄り座っている。よく見ればまだ若いことが分かる。
「……そうだが何だ?」
「そりゃ良かったな」
「何故?」
「ここまで来るってことは、そういうことなんだろ? 安心しろよ、ここに居る限りは殺されはしねえ。神様がいるからな」
離しているだけで陰気が移りそうな男に、話を止めたくなったが、向こうから快く情報をくれるようなので乗ることにした。
「……何かしてくれるのか?」
「そうだ。守ってくれる」
「それは結構なことだな」
「だろう? 俺もここに来てから妖怪なんぞ見もしなくなった」
布都は、小さく鼻で笑った。
妖怪からは襲われるだけではなく、襲い襲われるそういう関係にある。神に祈りを捧げつつも、武器を研ぎ、術を錬磨し、妖怪を払わんとしてきた大和の者たちとは考えが違いすぎる。神に守られるかわりに、牙を捨てるなど考えられないこと。それとも、実際に守られてみればそうなるものなのだろうか。
「……ただ、死なないというわけでもねえ」
「どういうことだ?」
「あんた、見たところ良いとこの出だろ? 何だってこんなとこに追いやられたかは知らないが、ここじゃ身分なんてない。神か人かだけだよ」
「早く話せ」
「そうかよ」
男がよろよろと立ち上がった。
笑みを浮かべているが、ひどくぎこちない。
「命の安全を命で買ってるのさ。ここにいれば殺されはしない。神は人を殺さない。つまらない話だ」
「どうやって買う?」
「そりゃ信仰だろう」
――信仰とは何なりや。
と、問おうとしたが先に答えが返ってきた。
「簡単なことさ、期待に応え続ければいい。命を削って捧げるような祈りを捧ぐのさ」
「本末転倒であろう?」
「はは、まったくだ。だが、向こうの理屈はこうさ、『元に還っている』だとよ」
「頭がおかしいんじゃないか、その神は」
「まったくその通り! と言いたいところだが、それは人の尺度だろう」
神の尺度を採用したような言葉。
「お前はそれでいいのか?」
「良いも悪いもない。ここに来てしまった以上は、受け入れるしかない。自分の番が来るのその時までただ生きるだけ。逃げれば、妖怪に喰われて死ぬだけさ」
「この周囲に妖怪は少なかったが」
「運が良かっただけだろう。現に逃げた奴は全て屍で戻ってきた」
「見たのか?」
「いくらかな」
思ったより饒舌だなと思いつつ、続きをうながす。
「そう言えば、いくらか人に会ったが口を利こうとしなかったな」
「そりゃ簡単だ。長いやつほどそうなる。話すことなんてない。ただその時が来るまで生きているだけだ」
「お前もいずれそうなるのか?」
「……冗談じゃねえ。って言いてえところだが、どうしようもねえ」
「なるほどな」
「命を削って命を買ってるんだ。命を買うのを辞めて、外に飛び出せば削る命が無くなる。これじゃどうしようもない。お前さんも覚悟はしておいた方がいいぜ」
「なるほど、よく分かった。あいつが命を使って脅してきたわけがな」
「……何の話だ?」
「ああ、気にしなくていい。こちらの話だ」
布都は不思議だった。
少し不快になっている自分が不思議だった。
他人に、それも出会ったばかりの他人に情でも感じたのだろうか。不思議で堪らない。でもその前に。
「――お前何だ?」
布都は男を蹴り飛ばした。
男の形が崩れ、小さな蛇の集まりとなって周囲に散って行った。
「いやぁ、おみごと!」
声の方向。横を見上げると、民家の屋根に諏訪子が座っていた。
「……不快な茶番だな。気分が悪い」
「そうだろ? えぇっと、物部布都だっけ? 想像の通りさ。蛇の集合体に術をかけたものだ」
「霊魂だけ本物でか?」
「そう。彼はちょうど昨日に元に還ったのさ。そこに私がちょちょいと細工をしたというわけだ」
「で、我にあんなものを見せたわけを聞こうか」
「……ひどいもんだろう?」
諏訪子は顔をしかめていた。
「この地は元は私の地だったんだ。祟り神だなんていっても、祟ることしかしないわけじゃない。ちゃんと人に恩恵だって与える。言ったろ? 私は人が好きだって。でも、それがために負けたのさ。この地と私の神力を奪いに来たやつにさ。私が私だけのために戦えば負けはしなかったけれど、そうすればこの地は不浄の土地になってしまう。人なんてとても住めるものじゃなくなる」
気づけば、諏訪子は地上に降りていて、目の前に立っていた。
「元のあいつは悪いやつじゃないって知ってはいるんだ。でも、今のあいつは復讐で眼が眩んでる。あいつの下についた私は従うしかない。あいつの目的が叶えば済むと思ったけれど、その前にこの地の人々が持たない。だから私は賭けた」
「物部にか?」
「そう」
「何故?」
「勘だよ」
「真面目に言っているのか?」
「真剣だよ。これ以上ないくらいに。全てをその勘に委ねたのさ」
「どこかで似た話を聞いたな」
「私も聞いてたよ。だからやっぱり私の理知より私の勘を信じようと思った」
「理知を信じればどうしていた?」
「もう一個の集団の方に交渉に行っていたかな? なんかすごく力を持ったやついるだろ?」
「今からでも遅くはないぞ?」
諏訪子の言っているやつが誰だか分かると、笑いが込み上げてきた。
「っくく、神に頼られたとあれば、それはもう気持ちよく返事をするだろう」
「なるほど、そういうやつか。でも、もう遅いみたいでねぇ」
「それは残念だったなぁ」
「そうでもないさ。あいつが選んだってことは、私には合わなかったろうし」
「ん?」
諦念を混じらせ諏訪子は笑い、呟く。
「……過去と遊ぶのは神のやることじゃない」
悲しいことや辛いこと、たくさんあった。けれども、神が直接人間に干渉しすぎるのは神格を弱めることに繋がる。神格が弱まれば、他の神に下されることもあればその存在を保てなくなることにもつながる。
それでも耐えきれなくなった想いが身を動かした。
「私はね、神も人も巻き込んで遊びたいんだ。もちろん皆笑いながら」
失敗すればどうなるか。考えなくても分かる。
「神が祈るなんて馬鹿な話だろ? でも毎日祈った。川に神力を流して吉兆を見た。そしていつも変わりがなかった流れに揺れが出来た。その揺れがどういうものかははっきりと分からないけれど、私の勘はそこに賭けるべきだと言った。だから私は動いている。私は勘に従っているのさ」
眉をわずかに寄せ聞いている布都。
諏訪子はじっくり見る。
「上手く隠しているけど、秘めた力は相当。私の勘は良い方向にあると思ったね」
「我より上のやつもいたんじゃないか?」
「……そう。だから正直勘が外れたのかと危惧したよ。でも今なら大丈夫。賭けられる」
「理由が分からん」
「簡単さ。こいつに賭けたのなら失敗しても仕様がないと思えたからさ」
「失敗してはいかんだろう」
「至極その通り。でもそこが重要なのさ。失敗することを考えていては成功しない。余計な思考はいらない。理屈が出てくる場面じゃない。失敗した時の覚悟はすでに終わらせた。あとは全力で事に当たるだけ」
雰囲気は軽くとも、言葉は重い。
「その全力があの不快な真似か?」
「それも一環。輪の外にいるからちょっと不安になってね」
「お前の願い通りに動いてくれるかと?」
「平たく言えばそうなる」
「言わないと?」
「動きを縛るつもりはない。むしろ存分に動いてくれていい。けれど方向だけはある程度同じところを見ていて欲しかったんだ」
改まる諏訪子。
布都は存念を素直に言うことにした。
「別にお前と敵対しようとは思ってはいない。これから別な事情でも入らなければであるが」
「ああ、それでいいよ」
「一応改めて聞いておくが、お前の目的は復讐だったか?」
「そう。すごく簡単に言った形だけどね。もう少し言葉を足すなら、あいつの復讐の阻止」
「つまりこういうわけだ」
諏訪子の言動と、この地の現状。
「この地の民を使って何かしようとしているのを止めたい、――そういうことだな?」
「うん、当たり。あいつの計画通りにいけば、この地の民は持たない。怨恨を集めて神具に封入して武器にするのが計画。その怨恨のためにこの地の民は苦しまされている。そのために生かされている。で、その怨恨を操れるのは私だけというわけ」
「で、あれこれと迷っているうちにこうなったと?」
「……始めはただの信仰合戦。でもそれじゃ土着神には勝てない。だからあいつはあいつを信仰しなければ生きられないようにしたのさ。妖怪を使ってね」
「生死による恐怖か」
「ま、そんな感じで、徐々に押され、最後は力押しさ」
要は分野が違う。神と言うのは漠然と神ではなく、何かしらを司る神である。諏訪子は土着神、もしくは祟り神。そんな諏訪子の攻撃手段といえば祟ることであるが、相手が神であれば如何ほどの効果があるか。しかし、土着神として強く信仰され多くの神を従えている諏訪子はこの地ではまさしく最上位の力を持っていた。その気になれば神さえも祟り滅してしまえるくらいの。しかし、それほどの力を祟りとして現世に出してしまえば、辺りはとても人の住める地ではなくなる。それは本意ではない。結果、諏訪子は畑違いの戦いをするしかなく、結果敗れた。
諏訪子はため息を吐いた。
「前に会った時はもっと大らかというか、気が大きいけど気さくなやつだったんだ。だから油断してたというのもある。どこか様子が違うあいつのことを、ちゃんと考えなかったのが失敗の要因だった。……でもまだ失敗出来る。最後の一回が残っている」
えらく重いこと。
「物部にとってはえらく鬱陶しい話だ」
「似た物同士ってところだろ?」
「馬鹿言え。失敗出来る回数がわずかに違う」
「それは失礼――」
話はそこで途切れることになった。
布都も諏訪子も空を見上げた。
「そろそろだね」
「……物騒な空だ」
天がうごめいていた。
◇◆◇
不穏な空も、不浄な空も、同じく空。
空だけはずっと続いている。
上を見上げてみれば、見えるものは空のはず。
布都は目を険しくした。
後発組がたどり着いたらしい。それに合わせて空が変わり空気が変わった。何かが起こる。
見上げた空の違いに気づけるのは一体どれだけか。
「これが神というやつか」
天候を変えるとかいう次元の話ではない。
性質そのものが変えられたような変わりよう。
「それだけあいつも本気だってことさ」
常人には見えない力の渦が、空に蓋をしたように覆っている。その力が集まる中心に何かがいる。それが何かは考えずとも分かる。
「あとは事を起こして、あそこに流れる力が増やすだけというわけか」
「その通り。それで一時的にあいつは強大な力を得る」
「一時的に、か」
「そう。所詮入れ物には合わない力だ。抑え留めておき続けるのは無理がある。だから入れ物を用意して、それに移す。あとはそれを使って復讐するっていうのが、あいつの計画」
ぼやかされると、聞きたくなるもの。
「その入れ物とやらは用意出来たのか?」
「ああ、多分ね」
「多分?」
「私にははっきりとは分かっていない。あいつの方が詳しいしね」
「ずいぶんといい加減なことだな」
「やるのはあいつだ。私は所詮ちっぽけな土着神さ」
「ふぅん」
まだある。
「それで、結局どうするつもりだ?」
「私かい?」
「それもだが、その計画とやらもだ」
「簡単な話さ。人と人を争わせて、怨恨を加速させる」
「争うもなにも、ここのやつら無気力すぎるであろう」
「誤算だったろうね。人という者を理解していなさすぎたんだろう。ただ生きているだけじゃ、人間に活力は湧かない。存在することそれ自体に意味を持つ神とは違う」
「じゃあどうするつもりだ」
「もう想像はついてるんじゃないかい?」
布都は睨んだ。
「お前――」
「おっと、やめてくれよ。私は嘘は言っていない」
布都は諏訪子の言葉を思い出した。「私からは君たちを害することはない」という言葉を。
「……誘導はすでに済ませたというわけか?」
「嫌だな、私は手足の一部のように動いただけだよ。他にもいるって」
「それに加担するようなやつは、よほど性根が悪いな。裏でこそこそと、自分は直接手を下さずに人だけを動かすらしい」
「待ってくれよ、私が直接どうこうするわけにもいかないだろう? 私は私の出来る範囲で全力をしているだけだよ」
嘘はなくとも、やはり意地が悪い。
「蛇のように長い舌のわけが分かった気がする。器用に包んでしまえるのだろうな」
「おいおい、一体何だって言うんだ。所属感が強い人間にはとても見えなかったのに、どうしてそんなに当たってくるのさ」
「知るかよ」
布都はふてくされた。
そんな疑問は自分の中でもあった。その違和より、不快が勝った。
――余計なことを。
そう思った時、布都は不快の訳を理解した。
物部と蘇我。その争いを、どこからか出しゃばってきた神が自分たちのいざこざで余計な手を出してきた。
――気にくわない。
どちらにも情のようなものがないわけではない。でも、争っている以上はどうしても勝ち負けは出る。それはそれで仕方がないものだと思っている。でもだからこそ、その結果をよそ者がちょっかい出してきたのが気にくわない。
人と人とが、その知性と情熱を傾けて競い争っているところに、神が自分たちの都合で邪魔をしてくる。例え勝敗の結果が変わらなかったとしても、不快感は拭えない。
布都は自分の言ったことを思い出した。
協力するかどうかの時、「気が向かなければ、我だけでも去る」と言ったことを。
――去ってやろうか。
それも悪くないと思える。
ただその時は間違えなく、形成は蘇我に一気に傾く。
そこには神子がいる。そして邪仙がついている。
いくら物部が精強であると言っても、この場ではかなりの不利を被る。
――駄目だ。
「……結局は、我も個を押し通すことが出来ないのか」
そもそも個とは、他の個がないと区別出来ない。集団がないといけない。生物が自分しかいないのであれば、個という概念を感じることも出来ないかもしれない。人は人を感ぜずには、連帯感も疎外感も感じることが出来ない。個を強く感じたければ、集団を意識するのが一番。そしてその集団の滅びを見ることを喜べそうにはない。それがどちらとしても。
「少し、修正がいるようだ」
「ん?」
酔った様に、その場を最大限楽しむのが良いと思った。でも今ではそれだけでは不足があると思った。少なくとも、人が人として生きるには足りない。
「結末に納得してやる」
それが例えどんなものでも。
「そうやって我は我を通して見せよう」
答えは更新されていくもの。
だから今はこれでいい。
人が願いを持って全力で走るのなら、その結末がどんなものであれ納得するしかない。やり切ったのであれば、そうするしかない。叶うことを願わない限りはきっとそう。
「変えてやる――」
布都は最後だけ吐き捨てた。