我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第30話 理解

 呪いと願いはどう違うのだろうか。もしくは願いの一種なのだろうか。恨み辛みが意思を押し、呪いへと到る。手を合わせ、願おう。『世に幸あれ!』と。

 もう発端など誰も分からない。気にしている暇などない。ことが始まってしまえば、切っ掛けなどそう大事なことではなかった。ただ目の前の敵を撃ち払う。殺す。感情をぶつける。幸あれ。自分に、他人に。

 

 喧噪の声。

 怒声と悲鳴が飛び交っていた。

 

 ――どうしてこうなったのだろう。

 

 贄個は力を奮いながらも、脳裏ではそう思っていた。

 始まりは分からない。ただ、何かしらのいさかいがあった。知らせ受け、事を荒立てるのはまずいと急行したはず――。

 

「どうしてっ……」

 

 来るのなら、迎えなければならない。そうしないと仲間が死ぬ。だが、代わりに相手が死ぬ。例え自分が殺さなくても、仲間がとどめを刺す。

 夢は無残だった。理想は汚れた。

 戦うことでは決して得られない結果を求めた。

 独りでは立っていられないことは分かっていた。だから、同じ人間ならば手を結びあえると思った。少なくとも、妖怪を前にしては人間という一つの塊になれるのだからと。

 だが、結果はこれだ。

 上がる断末魔。地を濡らす鮮血。

 一帯の温度が上昇し、熱気を纏う。

 襲い来る鉄器。

 

「くそっ」

 

 やられるわけにはいかず、反撃。

 その度に人が死ぬ。

 伸ばした手は星どころか、月にさえ届かなかった。空を掻いただけの手は、人を殺すだけだった。

 見上げた空は禍々しく、とぐろを巻いていた。

 地に在る身体で、手をいくら伸ばそうと届くはずがなかった。声が空まで響くわけもなかった。天の意思は聞こえない。自分たち人間がアリの喧嘩を見ているように、天もまた同じように見ているのかもしれない。聞こえるはずがない。届くはずがない。

 世界は何一つ変わらない。自分の見えるところを世界と呼ぶ人間なら世界が変わる。でもいつかは気づかされる。我々とて天からすればアリに過ぎないということを。

 どれだけ力をつけようとも、どれだけ人の上に立とうとも、変わらない。

 空は地上から怨恨を吸い取っていた。

 

 ――どうすれば。

 

 解は簡単だった。争いを止めればいい。

 でも手段は無かった。声は届かない。

 最上の策とは、自然とそうなったように事が進むことをいうらしい。

 では自然とはなんだろうか。神だろうか。

 恨みを吸い取るのならば、神への恨みも吸い取ってもらいたい。

 この渦に飲まれるしかない罠に嵌めた全てに。――幸あらんことを。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 物部勢が押し、蘇我勢が押されている。

 

 ――旗色が悪い。

 

 熱が迫ってくる。

 

「お下がり下さい!」

 

 必死の形相でやってくる家人。

 なんだか人の尊厳なんてものを考えてみたくなる。

 人は誰だって自分が一番大切だろうと思う。そうでなくても、近しい人。家族や恋人、もしくは主。そういうものを上げるのではないだろうか。

 どれも大事などれも大切な、そんな人間たちがあっけなく倒れていく様を見ていると、価値とか尊厳とかそういうものを考えたくなる。

 昨日笑っていた顔が浮かぶ。声が浮かぶ。

 人と人とが争っているのに、この不条理感一体何なのだろうか。人とはこんなに簡単に動かなくなってしまうものなのか。物になってしまうものなのか。知識の上では至極簡単なことでも、現実でこうも見せられると自分が実のところでは何も知らなかったのだと、知ったつもりでいたことに気づかされる。

 だから、間違っていなかった。

 

 ――不老不死しかない。

 

 この唾棄すべき現実から離れるには、やはりそれしかない。

 

「お、皇子っ」

 

 抱きついてくる屠自古の頭を撫でる。

 

「私のそばにいれば心配はありません」

 

 ただ、これは一体どうしたものだろうか。物部の強さ、想定の倍どころではない。個々の能力が高すぎる。仮にも訓練を受け武器を持った兵たちが、ろくに抵抗もできずに倒れていく。組織的な動きが保てなくなってきた。旗色があまりにも悪すぎる。少なくとも、前にいるとはいえ、総大将である自分の眼前まで敵が来ているくらいには。

 

「っ皇子!! おさがり下さい! ここは持ちません!!」

 

 叫ぶ家人。

 

「くそ! 物部め!」

 

 恨みをぶつける家人。

 体勢としては受けの構え。現実は、構えではなく押されて凹んだにすぎない。

 

 ――このままではまずい。

 

 あまり前には出ないようにと言われていたが、この際仕方がなかった。

 

「落ち着きなさい! ――ここには私がいる!」

 

 屠自古を置き、前へ踏み出し、剣を抜く。

 次に次にと攻め寄ろうとしていた物部の兵を、抜き放った剣の放つ光彩だけで吹き飛ばす。

 

「そこの者」

 

 近くにいた家人に目配せをする。

 意味を理解した家人が屠自古を連れ、後ろへと下がっていく。

 

「敵は強い。まずはそれを理解しましょう。そしてこちらには私がいる。次にそれを理解しましょう」

 

 まだ期は熟していない。もう少し場が温まってから、颯爽と登場して注目を集めた方が良かった。まだあまり目立つなとも言われてもいる。だが、状況がそれを許さない。

 

「敵の頭を狙え! あいつだ!!」

 

 敵の声。

 明らかに注目を浴びる。

 頭を狙うのは常套手段。やはり効果的。

 

「しかし、ただの頭だと思ってもらっては困りますね。画期的で前衛的な素晴らしい頭です。見るも考えるも惚れ惚れするかのような――」

 

 言い切る前に、火球がいっぱい飛んでくる。

 やはり適切な判断だったらしい。これは他の者では到底対処不可能な攻撃。それがわざわざ集まってくれて対処が楽になった。

 

「残念ですが、まだ虫の羽音の方が勝る」

 

 鬱陶しいだけと暗に告げる。

 剣を収め、片手をつき出す。

 球体を広げるようなイメージで力を発すると、具現した光の膜が火球とぶつかり打ち消す。芸も仕込みもない。込められた霊力に差がありすぎるだけ。

 

「これで持ち直しました。さて――」

 

 結局人を動かすのは気である。

 

「おおっ」

 

 蘇我陣営は今の攻防の間で、完全に組織として復活した。

 

「来るなら構いませんが、次は攻撃します――」

 

 行動の果ては補填不可能な代償。すなわち死。双方にそれが強く伝わり、簡単に手を出せない状況が生まれる。

 膠着。

 

「まずは一旦戦いを止めませんか? やるならここではないと思いますが?」

 

 その問いかけには、神子が思ったより早く応えがあった。

 飛び上がりたくなった程の感情を抑え、贄個は言う。

 

「――賛成する。我らも本意ではない」

「どうも」

 

 神子は微笑んだ。

 地上はこれでいい。

 空を睨み、神を想う。

 

 ――馬鹿め。

 

 思わず、どっかのおっかない母を思い出すようなそんな笑い方に変じてしまう。

 

 ――使えると思ったか。この私を。

 

 人間を争わせて怨恨を生ませようなどと、雑な計画を立てたものだ。協力する見返りが、命の保証と神の加護による物部への勝利? ふざけてる。我々のことを何一つ理解していない。これを裏切りだと思うなら勝手にするがいい。少し賢くなったねと大いに馬鹿にしてやる。

 人は人のために生きていて、神のためには生きていない。神のために祈りを捧げても、神の啓示に従っても、人は人としか生きられない。人は人のために生きている。人形にはなり切れない。人形にすらなれなかった結果が、ここに住む無気力な人間たちだ。

 

「我々の生き方は我々で決める。上が勝手にごちゃごちゃと口を出すものではない!」

 

 再び剣を抜き放ち、頭上に座する大渦の空に剣戟を放つ。

 

「天を解せないのならば、神に代わって私が天に寄り添おう――」

 

 渦は破られ、散り散りに。

 怨恨と言う名の計画が、その形を保てずに地上に降り注いだ。

 太陽の光が地上へと伸びてきた。

 

「――愚か者」

 

 空が震えた。

 伝搬するように空気が震え、地が震え。心が揺れた。

 

「ヒトが私の邪魔をするか」

 

 空に複数の影。

 大きなそれ。地上に降ってきている。

 

「煩わしい。ヒトはヒトと遊んでおれば良いものを」

 

 影。いや、大きな柱。

 

「天網恢恢疎にして漏らさず。――報いを受けよ」

 

 柱は各地に円周上に降り注いだ。

 船が岩礁に乗り上げたかのような揺れが地上で起こる。

 力の高まり。

 柱と柱で結ばれた結界が出現。

 

「生きて出られると思うな。帰るところに還してやろう」

 

 顕現。

 声の主が姿を現す。

 雲が裂かれ、光が漏れる。差した光から、ゆっくり降りてくる。

 赤と青の服に、紫がかった青の髪。背には謎の輪。遠くて表情までは分からないが、醸し出す雰囲気は剣呑そのもの。

 

「まずはお前からだな」

 

 目が合った、そんな気がした。

 

「我は八坂加奈子。またの名をタケミナカタ。――神への裏切りの代償は大きいと知れ」

 

 名乗りよりも、後半の言葉のほうに。

 

 ――何を言うか。

 

 神子は侮蔑の面を作って見せた。

 同じところに立っていすらしないのに、裏切りとは何か。始めから利用するだけだったはずだろう。

 

「初めから協調関係ですらなかったというのに、厚かましいことで。ああ、もしやどこぞ邪仙の言いくるめられたのでしょうか? だとすれば、お笑いものです」

「――愚弄するか」

「いえ、現象について論じただけですよ」

 

 馬鹿は言われなければ気づかない。馬鹿は自分の無知を容認出来ない。何という素晴らしき馬鹿の輪廻。ぐるりと回る終わりなき輪。背負っているのが馬鹿の輪とはお笑いでしかない。

 

「背中の感性について語りたいところですが、今の私は少し忙しい」

 

 この場で、この状況で、主犯である神に向かって言う言葉は簡単だった。

 

「邪魔者はさっさと退場してもらいましょう」

 

 神子は、我ながら性格が悪くなったと内で愚痴りながら、その全ての責を師と義母に押し付けることにした。

 

「理を解せない神に、神たる資格なし。さっさと落ちて頭を垂れるがいい」

 

 ここは神地ならぬ人地。

 

 ――神遊びがしたいのなら、よそでやるがいい。

 

 笑みが深まる。

 そして気づく。

 

「なるほど。決めるのは地位でも力でもなく、意思のようですね。何だかわくわくしてきました」

 

 下にいる者から愚弄されたとあれば、毛穴から怒りが吹き散らすかのような想いをするのは無理もないことかもしれない。

 八坂加奈子と名乗った神は、威厳を保ちつつも抑えきれない怒りを放っていた。

 

「――望みを叶えてやろう」

 

 訳すると、殺す。

 だが神子は笑みを解かない。

 

「ならばさっさと退場なされるといい」

 

 意に介してやらなかった。望みというのなら、『どっか行け』である。

 これでもかと馬鹿にしてやりたい。そんな思いが神子の中に湧く。あのおっかない義母だったら、何と言っただろうか。そんなことまで考える。

 しかしそんな余裕はない。

 神を舐めているわけなど決してない。

 むしろ自分より力を持った存在だとはっきりと認識している。そう、だからこその挑発。相手を知るため、そしてちょっと楽しい。ああ、なんだかあの人が少しづつ分かってきた気がする。結局のところ、楽しいのだ。自分の方が上だと確信している相手を煽り憤慨させ、翻弄する。

 

「おや、何もしないのですか? ひょっとして神というのは、偉そうにする以外に出来ることがないのでしょうか? こんなものを崇拝している者は頭がどうかしているようで」

 

 嘲り嗤う。

 それで相手がどういう性質の者かが分かってくる。

 怒るか、流すか、もしくはそのどれでもないか。

 ハッタリとかそういうものじゃない。ただ相手を知ろうとするだけのもの。それに少しの楽しみを加えただけ。今なら分かる。戦いとはどういうものかを。

 だからこうしよう――。

 

「――天道は我にあり! 俗物はさっさとそこを退くが良い!」

 

 上空の一切のものを押しのけ、自分に光を差させる。

 この場の主役が自分であると示すように。

 この世で一番輝き、その先もずっと輝き続ける存在。

 

 ――それこそが私。

 

 その他は脇に溢れる演出に過ぎない。気に喰わぬのであれば、同じ舞台に立つしかない。入り口はいつだって歓迎一色。もちろん出口も同様。

 

「――俗物はお前だ。ニンゲン」

 

 耳の触りが良くない言葉。嫌な予感がする。

 

「言葉を持ちえたことで勘違いしてしまったのか、それとも見苦しい勇気か。どちらにしても、過ぎたことだ」

 

 思わず力が入る。

 この神とやらは何一つ理解出来なかったらしい。

 もう少し加えてやろう。

 

「そうやって空に浮かんでないと、不安で仕方ないですか? 見下ろしていないと、自我すら保てないですか?」

 

 引きずり下ろす必要もない。

 その滑稽な様を自覚させるだけでいい。

 

「頭の悪い者ほど高いところが好きだと、どこかで読んだ気がします。今考えてみると、なるほどそのようで――」

 

 言葉の途中、風が起こる。

 

「――分際を知れ」

 

 奥で蠢きがあった。

 




次話は7日以内に出します

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