我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第7話 瞬き

 自然を感じると、摩耗した感覚が研ぎ澄まされるような気分になった。気配を感知する範囲と精度が増していく。 

 

(思っていたより賑やかだな)

 

 深く入ると、いたる所で小競り合いが起こっているのが分かった。距離が近づけると、波紋のように小競り合いが外へ外へと移動していく。布都は当て付けのようにわざと近づくようにして歩いて行く。いつか堪りかねて一斉にこっちに向かってくるかもしれない。多少の期待があった。

 しかし布都が思うよりも妖魔というのは堪え性があるのが、遠のいていくばかりで起こるものが起きない。

 そうやって歩いていると、人道に出た。

 道は人が4、5人歩けるくらいの少し大きなものだった。山に入る場合は生存性を上げるために集団で入る。物部氏も護衛として関わっているものだった。人間が歩く山道というものは、いざというときの為に走れるように整えられていなければならない。布都はその道に従って歩き始めた。結局のところ、道は分かりやすいに越したことはない。

 

 

 

 感覚に何かの違和感が生じた。

 布都は足を止めた。目を細めて、続く道の奥を見る。

 出会いというのはいつも唐突であるらしい。当然だが、人は常に自分の想定外の出会いを想像しているわけではない。要は、それを歓迎するか忌避するか、それだけでしかない。

 少なくとも、今回にあたっては布都は前者だった。

 草木の輪郭でさえも捉えられる感覚が告げたのは、ひどく歪で無理に組み合ったかのような人の形をした何かだった。

 

「――これはこれは、こんなに月が綺麗な夜に人間と出会うとは」

 

 僧の姿をした男だった。

 互いに向き合う。

 

「月なら隠れているだろう」

 

 視線だけで上を指す。月は雲に隠れて見えない。

 

「隠れるているものを存在しないとは言わない。目に見えるものだけを真であると思うことに人の限界がある」

「求道者のようなこと言うな。流行っているのか?」

「そのようなもので括ってくれるな。不快だ」

「そんな格好をしていてよく言う」

「……未開の地ではこんなものだろうな。未知を自分たちの知っている何かに当てはめたがる」

 

 僧の男はうんざりした表情で言う。

 

「海まで渡り、苦労した甲斐が無い。よもやここまでとは」

 

 布都は良いことを聞いた。

 

「海というと、ずいぶんと遠くから来たのか?」

「お前には知る必要がないことだ」

 

 男は視線を降ろしため息を吐くと、再び布都に向き直った。

 

「だが、まあお前でも悪くはないか。多少だが力を感じる。それにどうせなら男より女のが良い」

 

 布都は察した。

 

「食人は関心しないな」

「それはお前が人であるからだ」

「人ではないような口ぶりだな」

「知る必要すらないと言ったはずだ。お前等は家畜を殺すときにわざわざ説明をするのか?」

「喋る能力があるのなら聞いてみたいだろう。喋れない猿より喋る猿の方が幾分か上等だ」

 

 布都は殺意を表に出した。

 男は驚きで体を強張らせてしまい、布都の動きに反応出来ずに上体を反らしてしまった。

 即座に懐に入り込んだ布都は、引っ掻くように右手を振った。

 

「っが――」

 

 男は腹が裂かれて、倒れそうになる体を支えようと、重心を後ろから前にやった。

 前にかがむように動く男の身体。布都は、その首元に目掛け、左手を振った。

 男の喉笛が割かれ、喉と口から血が溢れだす。湿りのある音が発せられる。泡立った音と地面に粘液が落ちる音。

 布都は血がかかるのを嫌がって、距離を取った。

 

「気にすることはない。我はお前に期待するところなど無かった。何なら言葉を使えたことを褒めてやろう」

 

 倒れ伏した男を見下ろしてそう言うと、山の奥に向かって足を進めた。

 

 

 

 周囲は非常に静かだった。

 どうやら山の妖魔達は今の出来事で逃げ去ってしまったらしい。虫の音さえ聞こえてこないのは違和感があったが、気にしても仕方がない。己の浅い息遣いと小さな足音のみが、周囲に起きた動きを耳に伝えてきている。

 だから、布都は気づかなかった。

 それが気配もなく、己の体に到達したことを。背から腹部にめり込んだ鈍い音でようやくそれを知った。遅れて痛覚が体の異変を訴えてくる。前に一歩、ふらつきそうになる体を拒否するように強く踏みしめる。

 振り返ると、気が天に向かうように湯気のように立っていた。

 

「――慣れてはいないようだな」

 

 男は不敵に笑っていた。

 布都の腹部に埋まったものが、中で振動する。

 

「っぐ」

 

 激しい痛みに声が出る。

 抑え込もうとすると、逃げるようにずるっと抜け出して男の元へと飛んでいった。

 

「殺し合いとは殺せば終わりであるが、我々の世界での死と人間の死は同じではない。肉体がすこし壊れたからといって死にはしない。不滅に近い肉体などそう珍しいことではないのだ。――分かるか? 詰ませたものが勝者であるのだ。ようやく勝負の理を出来たお前にもう一つ、次は詰みを教えてやろう」

 

 男はそれを得意げな笑みを浮かべて続ける。

 

「――あぁ、失礼。あの程度の児戯で喜ぶお前に理解出来るかは怪しいものだな」

 

 布都は男を睨みつけた。視線に殺意が載っている。

 屈辱から生まれた怒りが、痛みなど薄れてしまう程に布都の中の全てを支配していた。

 

 ――ただでは殺さん。

 

 どうしてやろうか。布都の思考はそれに染まった。

 裂く、潰す、抉る――。きっとそのどれであっても足りない。全てであってもそう。臓腑が沸き立つ程の熱。頭には凍える程の冷たさ。どうしようもなく、目の前の男を凄惨に殺してやりたかった。

 

「心配することはない。お前も直に拙僧の一部となるのだ」

 

 僧の男は法衣の中から、蛇の尾のような触手を布都に目掛けて出した。

 布都は後ろへ地を蹴り、距離を離しざまに二本程触手を切り落とすと、右に地を蹴った。少し遅れ、布都の居た地には触手が突き刺さり、いくつかの穴を作った。

 布都は腹に手をやり、掴むように血を取ると霊力を混ぜ、腕を振って刃のようにして飛ばした。男は触手を盾のようにして防いだが、刃にあたった触手が大きく割かれ緑色の液体を撒き散らした。陸に揚げらてた魚が跳ねるように、触手が跳ね回った。

 

「防いだにしては、ずいぶんと痛そうだな」

 

 布都は、顔をしかめる男に言い放った。

 

「その気色の悪いのとずいぶんと似合っているじゃないか。品性を表しているのか?」

 

 言い終わるやいなや、触手がまた布都に殺到する。布都はまた同じように躱す。

 

「芸がないな」

 

 そしてまた同じように触手を二本切り落とした。

 が、

 

「――どうかな」

 

 切り落ちた触手の向こうから、先程自分の腹部に穴を開けたモノが飛んで来ていた。

 間に合わない。体制がそこから脱出することを許さない。このまま受ければ、今度は額に穴が開く。そう覚った布都は比較的すぐに動かせた片手を額にやり、飛来物を掴み取ろうとした。が、その飛来物は途中で急降下して、先程空いた穴の箇所に入り込んだ。衝撃は、すぐに通り抜けた。布都は貫かれたことを知った。

 

「言っただろう。児戯と言ったのはそういうとこだ。まったく同じなわけがないだろう。己のことしか考えない者を子供というのだ」

 

 布都は膝をついた。

 足に力がいかなかった。どうやっても胸のあたりでつっかえるようで、立ち上がれない、大きく息を吐き出す。血が混じっていた。

 地面が濡れた。生温い液体。どろっとしたそれは、まばゆい生命が含まれていた。

 人間にとって血は特別な意味を持つ。己の過去と未来の存在の証明であり、生の意味。布都にとっては、ただの液体。己を構成するものではあれど、己ではない。もう一度、大きく吐き出すと、立ち上がった。感覚がぼんやりとして、不思議な気持ちよさを感じた。己の肉体から力が湧いてくるのが分かった。

 男は口元をほころばせた。

 

「運が良い。雛だったわけだ。喰うには最高の餌だ」

 

 ほころばせた口元から、舌が蛇のように伸び出た。嬉しそうに、ちょろちょろと細やかに揺れている。

 

「そして残念だが、もう仕込みは終わっている」

 

 言い終わるやいなや、布都の腹部からまばゆい光が溢れた。

 布都の体はビクリと小さく跳ねると、再び地に沈んだ。

 

 

 

 

 倒れ伏した布都の元まで、男はやってくると様子を確認した。

 息はなく、鼓動も止んでいた。

 

「死んだか。まさかあれで形を崩さないとは驚きだ」

 

 男は極上の餌を前に、舌なめずりをした。

 蛇のように長い舌と、その裏に人の舌があった。

 男は人でもあり、妖怪でもあった。霊力を持つ人間でありながら、妖力を持っていた。決して同居しないはずの属性を一つの肉体という容れ物に収めていた。人魔が混じった化け物であったが、致命的ともいえる弱点があった。それは男は霊力、もしくは妖力を使って術を発動することが出来ない。その二つの性質は互いを拒絶する。しかし、何らかの要因によって混ざりあった場合、拒絶の際に力が爆発的に増幅される。つまり操作と抑制がうまくいかなければ、容れ物である肉体が吹き飛ぶことになる。

 人を超えるために妖魔を宿すことに成功した男にとっては絶望であったが、しばらくするとこれは必殺の武器足り得ることに気づいた。男が二つの力を安定させる為に支払った努力と年数は少なくはない。そんなものを他人の体に急に流し込めば、どうなるか。男はそれを必殺の術として昇華した。

 

「しかし惜しいな。もう少し育っていればさらに良いものになっていただろうに」

 

 男の術は敵を独鈷杵という術具で貫く必要があった。それが可能な程度の力の差でないと、術は使えない。基本的な術は使えない以上、男は術具と耐久力をもって戦うしかなかった。その耐久力のために、妖怪も人も喰らった。どちらかに力の量が偏ると、抑制が難しくなってしまう以上は偏りなく喰らうしかなかった。妖怪を喰らうにはさほどの問題はなかったが、人は問題が多かった。数が少ない上に、護衛等も付いている場合が多い。その上、当人の戦闘能力も高い。まさしく布都は極上の餌だった。

 

「さて、喰うか」

 

 布都の髪を掴み上げようと触れた、その時――。

 男の体に電撃が走った。

 何が起こったのかと、男が布都を見た時、見知らぬ力が布都から湧き出していることに気づいた。

 霊力とも、妖力とも違う、力。

 ゆらりと肉体が起き上がると、目が合った。

 瞳には生気がなく、こちらを見てはいるようではいるが違和感があった。見られているというよりは、観察されているような、そんな感覚。

 男は自分がいつの間にか距離を取っていることに気づいた。

 

「何だお前は――」

 

 返答はなかった。

 意図も分からないまま、ただ瞳がこちらを向いていた。

 男は気に食わなかった。訳は分からないが腹立たしかった。

 

「……もう一度、殺してやる」

 

 死んだはず。男にはその疑念で頭が満たされている。

 疑念を払拭せんと、男は独鈷杵を放った。

 

「…………」

 

 独鈷杵が布都にまで到達すると、静電気が起きたような小さな衝撃音を発して、一切の独鈷杵が力を失って地に落ちた。

 男は驚きを大きく露わにした。

 

「っ馬鹿な、そんなはずが」

 

 男は力の属性に気づいた。

 布都から発っせられている力には電がともなっていた。

 操るどころか発することさえも出来ないとされるもの。男は気づいた。

 

「神力……」

 

 口に出してなお、信じられない。

 

「いや、だが――」

 

 否定が出来ない。

 証人もまさしく自分であった。

 

「っがぁ――」

 

 光を見た。

 身体の悉くが硬直した。

 視界は白に覆われ、感覚はその機能を失い、ただ異常だけを告げた。

 何かが近づいてくるのが分かった。

 たった少しの間。けれども恐ろしく長い間。

 何かに身体を触れられたのが分かった。身体はまともに機能していなかった。なぜ自分が、自分を触れている何かを感ずることが出来るのかが分からなかった。視界の白が徐々に薄れ始めると、青白く発光する少女が見えた。生気のない顔に、薄く弧を描いた真紅の口元。瞳はこちらを向いて、何かを視ていた。紅く濡れる指の腹を舐め取る姿。

 

 ――喰われた。

 

 男は己の死を悟った。たがそれより前に、目に映る光景に魂が奪われた。

 己の死のことなど、隅にやってしまえる程に、魂が惹かれた。

 神というのはそういうものらしい。その超越に呑まれた。畏ろしかった。

 意識が消えた。

 

 少女は、この場を後にした。

 夜空はいつの間にか月が出ており、少女の姿を和らげに照らした。

 

「……意識がないわけではなかったが、まぁ似たようなものであったか」

 

 灰銀の髪に、紺碧の瞳の少女。

 人のようだが、人と言い切るには違和感があった。

 

「つまるところ、己は己を知ったに違いない。うむ、そうであろう」

 

 何度かうなずくと、布都はちろりと舌を出して血に濡れた唇を綺麗にして、満足そうな表情を浮かべた。

 

 

 

 


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