我が名は物部布都である。   作:べあべあ

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第9話 不満足

 村人たちは、逃げるために距離を取った。人間としての本能だった。命の危険からは逃避するように出来ている。だがそれは絶対命令ではない。必死の状態とわかった上で、立ち向かうこともある。

 少年が吠えた。

 

「ふざけるなっ! 父ちゃんを返せよ!」

 

 布都をこの村にまで連れてきた少年だった。その目には、妖魔に組み込まれて間もない原型を保ったままのよく見知った肉体が映っていた。もう助からないということは分かっていた。だが、今ここでそれに気を取られるわけにはいかなかった。意地であることくらいは分かっていた。到底太刀打ち出来ないことも分かっている。それでも背を向けるわけにはいかなかった。

 

「馬鹿野郎っ、さっさと逃げるんだ!」

 

 少年の腕を引っ張られ、無理矢理遠ざけられる。

 

「何でだよ! 父ちゃんがいるんだぞ!」

「諦めろ! 生きたまま喰われたやつなんかいやしねえんだ。あれは絶対に死体しか喰わねえ」

「違う、そうじゃない!」

「いいからこい! お前まで死んじまったらどうする! 生き残るためには何でもする、それがこの村の掟だろうが」

 

 少年は奥歯を割れんばかりに噛み締めた。

 

「……っでも」

 

 否定しなければならなかった。整理のつかない感情に涙が溢れる。

 

「……大体、どこに逃げるっていうんだよ。村から出れば必ず死ぬって」

「それをやる」

「え?」

「生き残ったやつ全員で逃げりゃ、一人くらいは生き残れるかもしれねえ。こうなった以上はやるしかねえんだ」

 

 少年が顔を上げると、覚悟を決めた顔の男が見えた。

 

「ごめん」

「今はそういう時じゃない」

「うん、ごめん」

 

 事の発端は自分のせいだと少年は謝った。それが伝わったかどうかは分からないが、とにかくのんびりしている時間は無かった。

 ここには二種類の人間がいた。生きるために逃げる事を決意した者たちと、生きるために頭を下げた者たちだった。

 化け物に向かって老いた一人の男が跪いている。

 

「仮面様、どうかお鎮まりください。我らはあなた様に忠誠を捧げた身、どうかこれ以上は――」

 

 正しさなんて分かりはしない。そんなものは過去にしか存在しない。

 あがいた結果が過去になってようやく分かる。

 老人の言葉に化け物が返事をした。

 

「ならば、その忠誠を見せろ」

 

 土の根ような手足を使い、屋根で優雅に眺めていた少女を指し示した。

 

「そいつを引きずり下ろし、我が下に差し出せ」

「ははっ」

 

 屋根の上の少女、物部布都は笑みを見せた。

 身を隠すどころか、身動き一つしない。

 

「射落すのだ!」

 

 老いた男の命令で、老人の周りにいた者たちが駆け回り、弓矢を準備すると布都を狙って弓を引き絞った。

 

「ここまで緩慢だとあくびも出ないぞ」

 

 布都はずっと待ってあげていた。

 それは矢を射掛けてもそうだった。避ける気にもならなかった。また、実際に射掛けられた矢は外れた。

 

「それじゃ野兎も狩れん」

 

 布都は屋根から飛び降りてみせた。

 

「そら、もう一度やってみるといい」

 

 大きく手を広げ、そう言い放った。

 一歩踏み込むと、周囲の人間は一歩引いた。

 

「と、取り囲め!」

 

 布都の目的は初めから変わらない。どう楽しむか。それ以外にはない。だからこそ、予想を超えるものを期待している。

 目を細め、周りを確認する。

 自分を囲む人間たちの腰は引けていた。少し遠くの気配は動きを止めていた。

 

(さてどうなることか)

 

 微笑を見せた。それが合図となった。

 

「押し倒せ!」

 

 距離が詰まる。

 布都は微笑を引っ込めた。

 右腕を伸ばし、組み伏そうとやってきた者の頭を掴み、潰す。もう片方の手で、吠えながら突進してきた男の首を割いた。身を回転させ、落ちゆく頭を蹴り飛ばし、指示を出した老いた男に当てて昏倒させると、動きが止まった。

 ほんの少しの間の動作。場の空気を変容させるには充分だった。

 

「うそ、だろう――」

 

 怯えから出た現実の否定。言葉を発した者に向かって、布都に目を合わせ舌なめずりをして見せた。

 

「っひぃ」

 

 布都はわざと酷さを出して殺して見せていた。怯えを仮面の化け物に対してだけではなく、自分に生ませるため。

 恐怖は二分された。

 布都はそれ以上を望んだ。仮面の化け物に対する恐怖を自分へと塗り替えてやりたかった。

 

「も、もう嫌だ――」

 

 一人、耐えきれなかった男が逃げた。

 

「――忠誠は、どうした」

 

 地面が震えるような声。

 地中から生えた木の根のような手足が、逃げた男の腹を貫いた。

 

「っ――――」

 

 男の名を叫ぶ声。

 村人にとって極限の状態だった。逃げれば死、従っても死。動かないでいることが、延命出来る唯一の方法だった。だがそれも数秒だけであることは分かっている。分からないはずもなかった。生死の狭間、人はその在り方を変えることがある。

 逃げた男が腹部を貫かれた時に男の名を叫んだ者の表情が、悲嘆から悲憤に変容した。

 

「――何故だ、どうしてこうなる。生きることさえも選べないのか」

 

 返事はない。

 

「ただ生を願っただけじゃないか。その為に必死に生きてきただけじゃないか。もう俺の娘もいない。どうしてこうなるんだ」

 

 この村で生きるには常に犠牲が必要だった。

 外敵から守ってくれる代わりに、生贄を出さねばならなかった。逃げたものは全て惨たらしく殺された。そのうえで、罰として生き残った者にさらなる生贄を要求した。

 租税は命によって行われていた。

 

「今だ! 射掛けろ!!」

 

 火が降った。

 最初に逃げたはずの者たちが戻って来て、火を灯した矢を仮面の妖魔に向かって射掛けていた。

 

「お前ら、大丈夫か!」

「な、なんで、戻って」

 

 少年が前に出て答えた。

 

「意地だから」

 

 生きることを考えるなら、あのまま逃げ去ってしまうのが一番確率が高かった。それでも戻ってきた。

 

「生きるとか死ぬとかじゃない」

 

 このまま、逃げて終えてたまるかと、腹が立った。それが生存本能を越えた。

 

「あのクソ野郎に一矢報いてやらないと、この先絶対に納得出来ない!」

 

 恐らくは死ぬことになるだろう。皆、そう想っている。一度は決死の覚悟で逃げることを決めた上で、それを翻してこの場に戻ってきた。死の恐怖はもう通り越して来ていた。

 

「愚か者め――」

 

 怒りを表す妖魔に、緊張した顔の村人たち。その中に一人だけ愉快そうに口元を撫でる少女、布都がいた。

 

「悪くない。良い土産話が出来た」

 

 布都の中で人間という存在の印象が上書きされた。

 少し前からなんとなく変容してきていたものが、形を帯びてきた。

 布都は村人たちに向かって口を開いた。

 

「――見守っているのと、手を貸すのとどちらがいいか選ぶがいい」

 

 答えは聞かなくても想像出来る。

 

「しかし、手を貸す場合は我を主と仰げ」

 

 鬱陶しくて拒んでいた存在を、今なら所持してもいいという気になった。

 

「ど、どうする――」

 

 そうは言うも、時間はない。この瞬間、もしくは数秒後、いつ仮面の化け物が襲いかかってくるか分からない。

 死ぬ覚悟はしてるが、決して死にに来たわけではない。だが頷こうにも、手を貸すといった少女の手は仲間の血で濡れている。

 一瞬の逡巡。

 答えは出ている。後は納得の問題である。

 少年が声を張るために顔を上げた。

 

「頼むよ!」

 

 注目が少年に集まる

 

「あいつをぶっ倒せるなら、なんでもいい!」

「あ、あぁ!」

「そうだ――」

 

 周りの全てが呼応した。

 布都は面白かった。染み込んだ恐怖が上書きされる様、恐怖が払われる様。命の輝きを初めて見た。人がひどく崇高なものにすら見えた。

 

 ――いかんな。

 

 乗せられそうになる自分を抑えた。

 これは元々、己の欲を満たすだけの行為であるはずだ。思い上がった者を地に落とし、踏みにじる。断末魔を聞きながら、腹を満たす。そういうもののはずだった。

 

(しかし、この高揚はなんだろうか)

 

「聞くがよい。我が名は物部布都である。それが、これよりお前たちの主の名となる」

 

 己は人の上は立たない。そう決めたはずだった。兄を見て、その生き方は自分には性に合わないと、そう思ったはずだった。

 己を支持する声を受けると、少し気恥ずかしげに鼻を鳴らした。

 

「……さて、義務を果たそう」

 

 布都は仮面の妖魔に向き直った。

 後ろに村人が集う。

 

「何をすれば――」

 

 村人たちの顔の緊張は解けてはいない。

 己に出来ることであれば行う。決して人に放り投げたつもりはなかった。やるべきことを行う。それが目的に繋がるのであれば、何であったとしても。

 その覚悟を持って布都の指示を待った村人たちだったが、布都の返答は簡素だった。

 

「少し離れていろ。巻き込まれても知らんぞ」

 

 振り返りもせずにそう言った。

 

(気の昂りというのも問題だな)

 

 ただの人間がやる気を出したからといって、妖魔に勝てるはずもない。死にたいのであれば別だが、そういうわけでもない。恐怖は恐怖としての重要な役割がある。それを忘れてはいけない。

 それより、少し気がかりなことがあった。

 布都は視線を上げた。

 

「なぜ攻撃せずに待っていた?」

 

 布都の声は大きくはない。しかし、天から告げられる言葉のかのようによく通った。

 仮面の妖魔は答える。

 

「人間の心というものが移ろいやすいものであるということを知っているからだ」

 

 物理的に上から発せられる、地響きのような声。同じようで、まったく違っていた。

 言い終えると、仮面の妖魔は肉の触手の一本を周りによく見えるように掲げた後、地面に突き刺した。触手は地面を掘り進み、村人たちの固まっている地面から勢いよく飛び出した。

 

「なっ――」

 

 反応が遅れた村人の一人を絡め取って、上に掲げた。

 

「――聞け。もう一度、我が元に頭を垂れろ。そうすれば命は助けてやる上に、これまで通り守ってやる」

 

 続ける。

 

「否と言えばこいつを潰す。 特別に何度も問うてやろう」

 

 絡め取られた村人の苦痛から出る声が響き渡る。

 

「最後の一人まで、問うてやる。すぐに答える方が得だ。犠牲は少ないに越したことはないだろう」

 

 絡め取る力が増したのか、苦痛の声も増した。

 

 ――さて、どうなるか。

 

 布都は視線だけを後ろに向けると、村人たちの顔には恐怖ではなく憤怒の色が現れていることが見て取れた。

 

 ――ならば。

 

 布都は構えた。

 

「受け止めに行くやつを決めろ」

 

 腕を振るう。

 青白い刃が飛翔し、村人を捉えていた触手を容易く通化した。

 触手と共に、村人が落ちていく。

 慌てて駆け出しった村人が仲間を受け止める。一命を取りとめた村人は周りに礼を言うと、すぐさま自分の足で立ち上がり妖魔に向かって睨みつけた。

 それは明らかな敵意であって、そこには毛ほども順従さはなかった。

 

「分かった。ならば死ね――」

 

 皆がこれからのことに覚悟を決めた時、布都は不敵な笑みで右腕を上げていた。

 青白い刃が、仮面の妖魔の割れていた部分に到達し、血が吹き出し怒りの叫びが上がる。

 

「痛みがあるのかよく分からないな。もう少し、傷つけてみるか」

 

 痛がるそぶりより、怒りだけを表に出す妖魔に布都は続けて攻撃した。

 複数の青白い刃が一斉に妖魔を襲い、妖魔の体中から血を吹き上げた。

 

「ふむ、腹立たしさが勝ってるというよりは、そもそも大して痛みを感じていなさそうだな」

 

 布都に向かって、上から下からと触手が、その身体を貫かんと殺到した。

 

「うーむ、醜くく情けない叫びでも上げてくれたら満足出来るのだが」

 

 襲ってきた触手を、くるりくるりと身を回転させて避ける。その際に、次々と両断された触手が地に落ちた。

 

「これじゃつまらんぞ」

 

 見上げ、そう言う布都は、さらなるを求めた。

 

「ところで、――お前、頭が高いんじゃないか?」

 

 布都はそう言って指を妖魔の仮面に向かて指すと、炎が燃え上がった。

 

「あの鈍い刃が刃の役割しか持たないとでも? お前のほうがはるかに鈍かったわけだ」

 

 炎に包まれた触手が布都に向かっていく。

 布都は薄い笑みを浮かべたまま動かない。

 そんな布都に目掛けて、上から押しつぶそうと触手が降ってきた。布都に到達すると、地響きが起きた。

 

「足りないな」

 

 布都は、降ってきた触手を右手一本で受け止めていた。触手が逃げようとうねるが、布都に触れらている箇所だけが動かない。

 

「――調子に乗るな」

 

 怒りを表すように触手の速度が上がった。風を押しのける音と共に、布都の両側から触手が挟むように迫ってくる。

 布都は掴んでる触手を下に引き寄せると、真上に飛び上がった。

 

「力も、速さも、――知恵も足りない」

 

 追いかけてきた触手を足場代わりに、蹴って仮面に接近する。

 仮面の化け物は後ろへ仰け反った。

 

「その上、心も足りていない」

 

 布都は手を目一杯に広げて仮面に覆いかぶせ、勢いそのまま、地面に押し倒した。

 視界いっぱいに土煙が起こった。

 村人たちからは、どうなったのかの様子が分からない。来るなと言われた以上は行けない。どうすると周りを確認すると、皆同じようだった。

 

「――行こう」

 

 誰かがそう言った。

 一度、言葉になれば我慢は出来なかった。皆頷き合うと、駆け寄った。

 

 

 

 布都は仮面に足をかけ、ぐっと上半身を折って顔を近づけた。

 耳は無いが、耳元で囁くようにして言った。

 

「恐怖がどうとかと言っていたが、どうだ、――今の気分は?」

 

 仮面から軋む音がする。

 

「怖いのならそう言ってみろ。すぐに楽にしてやるぞ?」

 

 布都はくつくつと笑った。

 返答は無かった。布都が足に力を入れると、仮面から出る軋む音が大きくなった。

 

「残念だ。どうなぶってやろうと考えていたのだが無駄だったな」

 

 布都はかけた足を外すと振り返った。

 

「トドメはお前たちでやるがいい」

 

 そう言われた村人たちに依存はなかった。自分たちの手でやれるのであればそれに越したことはなかった。

 もう興味をなくしていた布都は、その様子を見るわけでもなくぼんやりと空を見上げていた。

 

「はぁ」

 

 ただ消滅を待っているようで、つまらなかった。満足には程遠かった。得るものはあったが、最後の最後で肩透かしをくらってしまった。

 

(もう少し遊ぶか)

 

 布都は帰りを延期した。

 

 

 

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